1. 日本サッカートーク番組 fm105
  2. 091:鹿島アントラーズのマー..
2024-04-26 49:26

091:鹿島アントラーズのマーケティング部門の神戸佑介さんへのインタビュー。スポーツビジネスやキャリアについて

今回のフットボールフレンズは鹿島アントラーズのマーケティング部門の神戸佑介さん! / サッカーとの出会い / サッカー少年団と清水FC / 清水エスパルスジュニアユース時代 / GKでの挫折。高校と大学とフットサル / 就職活動で考えていたこと / メディアからJリーグへ / Jリーグの構造 / イレブンミリオンプロジェクト / 規律委員会と小幡先生 / 鹿島アントラーズへの出向 / Jリーグに戻ってきて再び鹿島アントラーズへ / 実はすごくユニークだった鹿島アントラーズの中継の仕事 / クラシコ3にみんな来てね / クラシコ3って何? / クラブで働いていて素晴らしいと思うこと / 社会の課題をフットボールのチカラで / 鹿島アントラーズはただいま絶賛求人募集中 / 鹿島アントラーズでの働きかた

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105km、68mのフィールドには喜びと楽しさと悔しさが詰まっている。サッカーを愛するクリエイターたちの雑談ポッドキャスト fm105、今日も渋谷からお届けします。
パーソナリティーは湘南ベル回りサポーターのデザイナータホイと、清水エスファルス渋谷シティFCサポーターのコピーライター竹パンです。
あ、今日は鹿島アントラーズサポーターと言っといた方が良いかもしれないですけど、はい。
4月の4週目の収録でございます。お願いします。はい、今日ね僕らね2人でマイク1台でやってるので、ちょっと聞きづらいかもしれないのと、
4月のフットボールフレンズのコーナーなんですけど、今日はいつもと違ってというか、毎回違うんですけど、初めてのパターンでJリーグの中で働いている人と
お越しいただきました。鹿島アントラーズマーケティングディビジョン、マーケティンググループコミュニケーションチームの神戸佑介さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。はい、部署名長いですね。コミュニケーションチームで大丈夫です。これはやっぱりメルカリになってからですか?
いや、まあ元々長めだったような気がしますけれども。最近どこの会社も長いですよね。横文字がね。横文字にしていくと長くなる。
なんか漢字4文字ぐらいで言えそうですけどね。はい、神戸さん、鹿島アントラーズの神戸さんに来ていただきました。
はい、よろしくお願いします。これ聞いていただいている方もね、大人もいれば若い方もいると思うんですけど、Jリーグでの仕事、これから興味ある人もいたりとか、今ね、サポーターとして見ててどんなことしてるんだろうみたいに興味ある人もいると思うので、
その辺の話が聞けるとみんなにとってめちゃくちゃいいかなと思ってお越しいただきました。はい、で、僕との関係みたいなのも後々出てくるんですけど、まずはね、サッカー歴から聞いていきたいんですけど。
サッカー歴聞きます? あの最初のところ。ちなみに神戸さんは何年生まれですか?
1982年です。 静岡県生まれ?
です。 僕と同じなんですね。実は同い年なんです。同じ静岡で生まれました。
今度ね、サッカーレベルで言うとめちゃくちゃ差があるんですけど。 そんなことないじゃないですか。
神戸さんはサッカーはやってたんですか?最初はいつからですか? 最初はもう本当に小学校2年とかですかね。
それでも僕はまさに清水出身で、サッカーどころというかサッカーの町という、まあ当時なんかはよく言われ伝える町で、今はそうかな。
だいたいもうみんなの幼稚園とかから始めてるんですよね。僕ちょっと遅めで、みんながやってるのが楽しそうで、みんながお揃いのジャージ着てランニングしてるとか言って、
なんかあれ入りたいって言って、そこに2年から入らせてもらったっていう。
それどこのクラブですか? 学校の少年団です。 当時は清水はサッカー少年団と選抜チームの清水FCとかっていうのがあって、
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だいたいその3年生ぐらいからセレクションとかが始まって、それにこう最初はたくさんセレクションを買ったりするんですけど、だんだん絞られていって、6年になると本当に30人ぐらいしかいないような選抜チームになるんですけど、
3年生の時からかな、清水FCに入らせてもらって、6年生までプレイしたので、その清水FCとサッカー少年団の両方でプレイしました。
なんか清水FCの概念ってちょっと不思議ですよね。街の選抜チームって別に全ての街にあるわけじゃないですもんね。
当時は結構ありました。 どこにもあったんですか? だから武田さんのご出身の八重洲にも八重洲JFCっていうチームがあって。
八重洲の選抜チーム。静岡県は当時そのスタイルでチーム組めてたんですか? そうなんですね。なんか分かりやすいのがキャプテン翼の南轄ってそういう概念ですよね。
もともと若林君と翼って違う小学校だったじゃないですか。でも南轄選抜っていうので全国大会に出てくるんで、一緒になっていくんですよ。
キャプテン翼の細かい設定覚えてへん。 キャプテン翼の概念ですよ。
最初多孝のライバルだったのは急に同じチームになってるぞみたいな。 周鉄か。周鉄トリオだから周鉄だね。
滝君とかはね。そっちですよ。
こんな概念で始まってるんですけど、そうなんです。 寛兵衛さんはサッカーが上手い人なんです。
え?その時ポジションどこですか?小学校の時は。 キーパーです。
そうなんです。寛兵衛さんはゴールキーパーなんです。
ゴールキーパー初出演じゃないですか。
あんまりいるんですよ。このサッカー業界では。
後々出てくる僕の仕事場でも結構出会いました。
そういうもんなのかな?
キーパー出身者。結構います。
この後がなかなかびっくりがいっぱいあるんですけど、その後中学年代はどういう道に進まれるんですか?
清水エスパルスという地元のクラブでプレーさせていただきました。
地元のクラブっていうレベルじゃない。
清水エスパルスにいた人です。中学年代。
それもセレクションがあるんですか?
ありました。ただ当時清水FCである程度先発で出てるような子たちはおおむねエスパルスには入りました。
そういう仕組みだったんですか?
仕組みというかある程度も。
ヤヤ株組織みたいな感じなんですか?
先行する際にある程度もどの選手がどういう出てるの?どこのチームでどう出てるの?とかってある程度把握してたりすると思うんですよ。
当時の東海一流のエースだった佐野優弥君っていう。
ここにオーバーヘッドかなんかで決められて決勝ゴールバーれて負けたっていう。
すっごい悔しい思い出があります。
カンベさんの代でいうと僕の代なんですけど、静岡県には佐野優弥、小林大吾とかがいた代ですよね。
佐野優弥選手ってベルマラ居ませんでした?
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居たんじゃないですか、ベルマラ。
あと確か吉和、鈴木吉和。
佐野優弥さんって今クラブチームの監督されてて天皇杯予選の決勝まで行ったか行ってないかっていうポストを今朝見たところで。
ありがとうございます。
我々同級生。
結構元気長く頑張っていらっしゃるのは見聞きしてて。
僕の年代では本当に大エースでしたね。
一番の有名人でしたよね。
チェントコーレ・ハリマっていうチームです。
ハリマ?
頑張ってますね。嬉しいな。
それ初めて知りましたね。
エスパレスのアイスターに行くと歴史で過去全国優勝したチームがパネルで貼られてるんですよ。
ジュニア年代だったりとか高校年代とかで静岡県の。
その中に当時の清水エスパレスジュニアユースの写真があって名前もみんな書いてあるんですけど神部さんいましたね。
写真撮りました。神部さんだって思って。
本当にすごいメンバーに囲まれてたんで。
本当に僕なんかボールあんまり来なくても勝てちゃうみたいな。
そういう試合展開が多かったんで。
皆さんに勝ち取らせてもらったっていうわけです。
キーパーだったわけですもんね、その時。
そうです。
ゴールキーパーだったんですかね。
ゴールキーパーです。
その先なんですけど、ユース昇格か高校かみたいなのがあると思うんですけど。
そこってどういう選択だったんですか?
選択っていうよりは、もちろんジュニアエースに入ってたらトップ目指したいじゃないですか。
だからやっぱりユースは希望するは希望するんですけど、やっぱりゴールキーパーって体のサイズとかがすごい重要なんですよね。
僕当時、今も同じですけど、174センチ台だったんですよ。
やっぱりそれだとキーパープロになれないっていうところで、ちょっと身長足りませんっていうことが、そこでユースへの昇格はできないっていうことだったんですけど。
それって同じ学年にキーパーって何人いたんですか?
僕だけでした。
じゃあその台はキーパーの昇格はなし?
キーパーの昇格はなかったです。
だからユース、違うチームから新しいキーパーが入ってきて。
鶴田くんっていうキーパーが190くらいありますよ。
でかかったですよね。
なんか記憶にある。
身長っていう定位だったかもしれないですし、分かんないですけど、実際のところは。
ただもう変わってきたキーパーの190は仕方ないかなって思います。
174でその判断されちゃうんですね。
です。
168とかだったら仕方ないとは思います。
もう170代のキーパーで当時だって活躍してたのって、トップチームには真田さんとかいらっしゃって、もちろん170代でやってらっしゃいましたし、川口義勝さんとかも179とかそのくらいですよね。
公式ではっていう、実際はちょっと分からないですけど。
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そんな中でしたけど、どんどん大型化進んできてたところだったんで。
まだ高校で伸びるかもしれないじゃないですか。
いや。
結構今だからあれみたいですよ。親の両親の身長とかも見られてますから。
特にお母さんの身長とかって言いません?そこが遺伝するみたいな話を。
ですよね。
ゴールキーパーはそれが結構残酷ですよね。
残酷ですね。
分かんないですもんね。キーパー選んだ時には自分がどんだけの身長になるかって。
じゃあそこでユース昇格がなくなった時に高校を選択すると思うんですけど、それってどういう選択だったんですか?
家庭では文部領土頑張れって言われ続けてたところもあるんで、地元の一番の進学校の清水東を受験して入ったっていう感じですね。
そう。清水東サッカーで有名ですけど、進学校なんですよ。
聞いて思った。
静岡県の総じてそうです。藤枝東とかも進学校ですからね。
そうですよね。
東だってことは進学校?
東が一番ですよね。
割と多いですね。東が。
そうなんだ。
どの町も全部東ですね。まず東。岩田東とか三島東とかどの町も。
そうなんだ。
東ヒエラルキーです。何でかは知らないですけど。僕そういうもんだと思って生きてきましたよ。
じゃあそこで清水東に行かれるわけですね。
当時それこそさっきの話、高原直博さんとか東海一中卒業して清水東じゃないですか。
その世代が活躍してるのを中3の頃とかに見てて、サッカーの選択肢としても当然清水東ってチャレンジだなと思いながら、
勉強でもそうだしサッカーでも当然チャレンジだと思いながら選んだところですね。
清水東時代はどうでしたか?
試合には。
全国とか。
全国なんかっていうよりも、まずそこで僕キーパーじゃなくなったんですよ。
そこからフィールドプレイヤーに。
フィールドを始めたんですよ高校から。
これも斬新ですよね。
ちょっと顧問の先生からはちょっと驚かれましたけど、キーパーでプロ目指して、
フィジカルな要因でもダメだっていうような話になった時に、やりたいことやりたいなって思ったんですよ。
小学校中学校って強いチームにいて、あんまりボール来ないんですよね。
あんまりボール来なくて目立てもしないんですけど、練習めちゃめちゃきついんですよキーパーって。
フォワードやりたいなとか、前の方でシュートとか打ちたいなとかっていうことはずっと思っていたんで、
ちょっと思い切って高校からフィールドやらしてくれって言って、フィールド始めました。
すごい。だってお前清水ジュニアユースのキーパーだっただろ?ってね。
キーパーやってくれよってなりますよね。
そうですよ。
じゃあフィールド、それはもうフィールドのヒエラルキーで言うと下から始めるってことなんですか?
ですです。だから最初本当に走れなくて。
キーパーって本当に瞬発系の動きするんですよ。何本もジャンプしたりショートダッシュしたり、
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そういうのを繰り返して側筋系の筋力がつくんですけど、
80分とかそういう長い時間を走れる、そういう体力っていうか筋力になってないんですよね。
体が全然順調じゃなくて、じゃあ10キロ走ってこいって言われたときに全然、最初きつくて本当に。
3年ぐらいかかりましたやっぱり。体が全部本当にちゃんとフィールドになるのに。
試合とかはどうだったんですか?
それでも頑張って、3年の頃には公式戦ちょっと出させてもらいましたよ。
ポジションどこで入れてたんですか?
フォワードです。
願い叶って。
願い叶いましたよね。
キーパーやってた時に、ジャンプとかすごくやるじゃないですか。
落下点を捉えやすくなるんですよね、キーパーだと。
ジャンプするとめちゃめちゃ高いところでヘリングできるんですよ。
このぐらいの身長なんですけど、結構競り勝ったりしてて。
なのでなんか知らないですけど、パワープレイ要因として入ったりするから。
174センチのパワープレイ要因。
でも落下点予測って、去年もこの番組の話したんですけど、
なんかヘリングって落下点予測すごい大事だよなと思ってて。
身長が高い選手より低い選手が競り勝ちになる。
去年僕渋谷の試合で安倍昌平さんのヘリング見てたんですけど、
安倍昌平さんってちっちゃいじゃないですか。
でもヘリングめちゃくちゃ勝つんですよ。
落下点予測すごいなとか思ってたんですけど。
やっぱキーパーやってるとそうなりますよね。
なると思います。
なんか漫画でサッカーのヘリングの練習のために野球のフライキャッチをやるみたいなのありましたけど。
だったらサッカーでやりゃいいじゃんって思ったんですけどね、その漫画を読んでて。
キーパーっていうのがそうなるっていうのはあんまりキーパーからフィールドになる人がいないから。
サンプルがないですよね。
こないだあれですね、U23の中国代表がパワープレイで最後フィールドでキーパー出してきましたよね。
あれとかまじ若島津くんじゃないかって。
リアル若島津くんじゃないですか。
まあああいう風に使うっていうのはだと思いますよ。
じゃあヘリングでキーパーが最後上がってきてゴール決めることたまに結構あるじゃないですか。
あれはやっぱ落下点予測強いし、もちろん高さもあるから合理的なんですね。
ある程度ステップで合わせられるんですよ、ちょっとずれても。
確かに誰よりも一番ハイボールの処理をしてますもんね。
蹴り出しのボールが飛んでった瞬間ぐらいにどの辺に落ちるかなんとなくわかるから、そこにステップ合わせにいくっていうのができるんじゃないかなと。
高校入った時点ではプロを目指そうっていう思考はもう一回なくなってはいたんですか?
もう現実的にはちょっとしんどいだろうなと思ってたんで。
中3の時に?中学の時に?
もちろん中3のそのタイミングでも思いましたし、高校の入った時もゼロからスタートですからね。
本当にそれは難しいだろうなとさすがに思ってましたけど。
それで高校3年間終えて、その先の進路では大学ではサッカーって続けられるんですか?
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大学はサッカー部には入ってません。
入ってないんですね。
サッカーサークルでちょっと楽しくサッカーやれればいいかなぐらいに。
大学生活ちょっとエンジョイしたいなぐらいの感じで入って。
サッカーサークル入ってたんですけど、もうちょい真剣にやりたいなって思い出すんですよね。
その時に同じサッカーサークルの中で割と同じような思考を持ってた人たちでやってる社会人のフットサルチームがあって、
そのチームに一緒にやらないって声かけてもらったんで、ほぼそのチーム立ち上げ駅だったんですけど、そこからフットサルを真剣にやるようになりました。
フットサルやられてたんですね。
大学4年間はサッカーとフットサル両立しながら、でもフットサルのほうが多分真剣にやってました。
結構違う競技ですよね、フットサルとサッカー。似てると言っても。
全然違うのかな。
カンベさんのゴールキーパーの時のトレーニングを考えるとフットサルの方が向いてそうですよね。
短いスプリントとか。
そうですね。確かに競技的にはバスケットボールとかハンドボールとかに近いですよね。
短時間でガッて上げて、早めに交代してリフレッシュしてみたいな。
その時はフィールドプレイヤーってことですかね?
フィールドでしたね。
でもファープレイの時は、手が欲しい時はキーパーになって出てきて。
やばい、そのポジションの人結構フットサルだとニーズありそうですよね。
キーパーもできるフィールドって見たことないから。
結構ブラジルとかにもいますよ、普通に。
そうなんですね、キーパーできるフィールド。
フットサルやられてたの初めて知りましたね。
よく考えたら同じ時に東京にいたんですね、僕ら。
同じ時に上京して、同じ時に東京で。
僕もサッカーサークルに実はいたんで。
いたんだ。
そこでその先なんですけど、ここからお仕事の話に移っていくんですけど。
サッカーにこうやって関わってきたカンベさんなんですけど、
就職活動とかするときにサッカーに関わるみたいなことって当時は考えてたんですか?
考えてました。私は大学の専攻がスポーツ科学科。
人間科学部スポーツ科学科って言い忘れたの。
ありまして、社会学から経済学から指導論とかいろんな授業があるわけですけど。
そういうスポーツを専門とした専攻だったので、自然的にというか自然に。
自然にスポーツで仕事にしたいなっていうことは考えてました。
周りの人もそういう就職する人が多かったんですか?
いろいろですね。普通の就職する人も結構います。
でもその指導の道に進む。
例えばドイツとかに行ってサッカー指導を学びに行く人もいれば、
どこかのクラブチームに入って分析系を始める人もいれば、
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あとはトレーナーとかそういう道に進む人もいれば結構いろいろでした。
その時僕は大学選ぶときに基準なかったので選択肢なかったんですけど、
今だったら行きたかったなと思いますけどね。
いいな、俺の時なんてプロがなかったからね。
プロはあったけど上手くいくと思ってなかったからね。
Jリーグがこんな。
プロ始まったぐらいですか?
始まったぐらい。
高校卒業したのが。
そうそう。
神戸さん実は新聞社に就職されてますよね。
単純な発想なんですけど、スポーツを仕事にしたいんだけれど、
どの道がいいかと考えたときに、
メディアの業界でスポーツに絡むっていうことができたらいいだろうと考えて、
メディアを中心に就職活動をしていた。
その中で縁があったのが地元の静岡新聞社、静岡放送、SBSですね。
と、就職することができたという流れです。
これがすごいんですよ。
なかなか入れないですからね。
なかなかどころじゃないですからね。
地元では一番すごいやつですからね。
その時僕、スポーツ忘れてたんですよ。就活の時。
僕東京来た最初は、
急に自分の話になるんですけど、
スポーツ中継の仕事をしたいと思って東京に来てたんですよ。
ワウワウとかでサッカーの中継をする仕事をしたいなと思ったんですけど、
就活の時にスポーツ抜け落ちて、
メディアってどこだけ残って、
メディア系に行きましたけど。
何か忘れてましたね。スポーツを。
結果今ちょっと関われているので、
一番いい流れではあるんですけど。
この間聞いたんですけど、
新聞社と放送局が一緒になってるんですけど、静岡は。
台風のレポートとかやられてたって聞きましたけど。
最初に入って、最初2年ぐらいは新聞記者やってて。
それから社内のグループ内の移動みたいな感じで、
テレビの方に行ったんですね。
やっぱ報道の部署に行って。
報道で若手だと災害とかの時の現場レポートとかに借り出されるわけですよ。
若いという理由だけで。
清水広のカンベさんって呼ばれる先生。
そういう現場でのレポートみたいなのもやらせてもらったりしました。
スポーツ系のこともやられてたんですか?
スポーツは本当にごくわずかで、
高校野球とか、あとはインターハイとか、
そういうものを現地に行って原稿を書いたり、
現地からラジオで報告するみたいなこととか、
そういうことをやってました。
もともと思ってたスポーツに関わるというと、
そこまでがっつりな時期ではなかった?
そうですね。
何ならサッカーには全然関われてないですからね。
触れてないですね。静岡にいるのに。
21:01
そうなんですよ。
また別のそういう担当の人ががっつりいるみたいな感じですか?
そうです。
そこから転職されると思うんですけど、
その辺ってどういう心境だったんですか?
やっぱりサッカーの仕事をしたいなっていうのは、
在籍中もずっとどこかにあって、
そんな時にちょうどJリーグが職員公募をしたんですよ。
それに応募してみようと思って受けてみて、
入っていただけたと。
2社目はJリーグになるんですね。
はい。
Jリーグって株式会社ですか?社団法人ですか?
今は公益社団法人です。
正式名称は何て言うんですか?
公益社団法人日本プロサッカーリーグ。
日本プロサッカーリーグ。
意外と知らなかった。
チェアマンと社長はまた違うんですか?構造として。
日本プロサッカーリーグ、Jリーグのトップはチェアマン。
社長っていうのが各クラブの社長。
それの集合体が日本プロサッカーリーグってことなんですか?
誤助組織って読めるのかな?
誤助会的な立ち位置というよりは、
中央団体っていうんですかね。業界団体。
そうかそうか。
完全な別会社ってわけではないんですね。
かつては清水エスパルスとJリーグは、
全然関係ないけど一緒にやってるわけじゃなくて。
別会社は別会社です。
別会社は別会社だけど、
法人としての繋がりはあるわけじゃない。
別にブランチじゃないっていうか。
経団連の会長みたいな感じですか?
そうじゃないですか。
なるほどね。
経団連に出資しているのは各企業であるみたいなことに近い。
何かなんだ。
資本関係はない。
操作はね、それこそ明治安田とか。
不思議な団体ですね。
最初は理解するのにちょっと時間かかりました。
一般企業からいくとなかなか難しいですね。
最高意思決定者はチェアマンってことになるんですよね。
別に社長がいるってわけではない。
ただ意思決定する際に、
実行委員会、理事会っていうステップがあって、
各実行委員っていうのは各クラブの社長なり、
代表する方なんですけど、
勤めていて、その方々の意思決定をもって理事会で決定する。
寛兵衛さんはJリーグに入られてどういう仕事をされていたんですか?
最初の本当に1年は集客に絡むところです。
面白い。全然知らない話だから。
当時、11ミリオンプロジェクトっていうのがあって、
年間通じてJ1、J2で1100万人のお客さんを入れました。
1100万人っていうワードあった。
それを歌っており、それを実現するために
事務方の仕事をしてました。
リーグとして各クラブにアプローチして何かやるみたいなことですか?
まとめて何か。
結構その時は、クラブの自主的なプロモーションだったり、
24:01
試作提案を促すような試作というか、
ある程度の助成金みたいなものっていうのを用意していて、
クラブの方でこれをやりたい、あれをやりたいっていうものが
企画がたくさん上がってくるわけですけども、
それに対して助成金交付しますよみたいなところっていうのを
審査というのも鋒がましいですけど、
クラブとのやり取りっていうのはそういう仕事をしました。
全然今までの仕事と違うじゃないですか。
それってどうでした?
理解するのはやっぱり少し時間がかかりましたよね。
今まで本当に現場に行って取材対象の話を聞いて、
記事にしてあげるみたいな、そういう仕事じゃないですか。
全くそのお金の感情とか全然してなかったんですよ。
そうですね。
すべてオフィスみたいなところっていうのをやってくださってたんで、
お金を出す出さないのを判断するみたいなところっていうのも
できるレベルの多分その知識も経験もなかったわけですよね。
最初はそこに慣れるのに時間がかかりましたけども、
若干まだ26歳ぐらいの頃ですから、
本当に何も知らないような。
面白い。
同じような企画を持ってきたけど、
片っぽのクラブは2000万くれって言ってるのに、
片っぽのクラブは400万でみたいな。
クラブ規模の違いとかで、
やること同じなんじゃない?みたいなとかってありました。
今の金額は仮ですけど、そういう差が激しいな。
そうですね。上手く申請してクラブもあったと思いますよ。
けど基本的には全額補充みたいなことじゃなかったんで。
マックスこれぐらい出せますけど、
その場合50%はクラブで出してくださいとか、
そういう規定があった。
国の助成金とかと同じような。
そうです。
なるほど。
その後は他にはどんな仕事をされていたんですか?
それを1年やった後に競技運営の仕事を3年ぐらいしました。
尾端先生とも?
そうです。
この番組にゲストに出ていただいた。
私の恩師。
元国際出身の尾端先生もその時に。
規律委員会の事務局仕事をさせていただいてて、
その時に規律委員だったのが尾端さんです。
その当時尾端先生結構厳しくなかったですか?
そうでもなかったですか?
もうマイルドになってたんじゃないですかね。
Jリーグ。
僕その姿見てないから。
タホイさんがすごく厳しい人としてずっとビビってる感じがある。
別にちゃんと威厳があるといいよね。
威厳がね。
私は規律委員会にご一緒させてもらった時は、
とてもいつも笑顔でニコニコとマイルドにお付き合いいただいたかなと。
よかったです。尾端先生のこと。
本当にお世話になりました。
競技規則みたいのを決めていったりするんですか?
競技規則はあくまで。
iFabがルールは決めるじゃないですか。
僕ら全然知らないですよね。
知らなかった。
常識っぽく寛兵衛さん言ってますけど知らないです。
27:01
iFabって初めて聞きました。
そうなんですね。
FIFAじゃないんだ。
別にあるんですね。
そこの役割関係ってどうなってるんだっけっていうのはちょっと確認したほうがいいですけど。
基本的に国際サッカー協議会が
ロー・オブ・ザ・ゲームって言われるいわゆる競技規則を作ってるんですよね。
それをJFAが採用して日本に協議会に落とし込んでるんで。
だからルールとか決めるとかってことはないです。
ただレギュレーションとかを決めるとかっていうのはJリーグでやってます。
例えば警告2枚で退場しました。
一発退場とかってあるじゃないですか。
一発退場の時のこういうその時は何試合の出場停止になりますかっていうところの
ルール決めっていうのは多分ローカルのリーフとかに委ねられてると思う。
調整したりとか周知させたりとかっていうのが割と作業とかに。
とはいえそんなにルール変更されることないんで。
そうですね。
基本的にはあるルールをきちんと運用していくっていうのがJFAの仕事です。
運用が面白いですね。
そこからその後鹿島に出港されるんですか?
そうですね。競技運営の中で3年やった後鹿島アントラズに出港っていう形になりました。
Jリーグから出港っていうのがあるんですね。チームに。
イレギュラーといえばイレギュラーでありますけども。
そうなんですね。
2軒ありました当時。
どういう形で出港って決まるんですか?
その鹿島側からリクエストがあるんですか?
もちろんクラブからのリクエストはあった上ではと思うんですけどね。
韓米さんという以前にもともと誰か来てほしいというリクエストがJリーグに上がってくるってことですか?
です。
そんなあるんだ。
それで成立するケースってほとんどないと思うんですけど。
逆もあったんですよね。結構クラブからJリーグに出港で来てるケースもありました。
それは多そうな気がしますね。
当時僕の競技運営の時の上司だった大森雄二郎さんってベルマーレから出港で来てたのか。
そこで出港してからはチームの運営みたいなものをやるようになっていくんですか?
チームの運営って言っても広いですけどね。
私は地域連携、ホームタウン関連の仕事をまず1年やらせてもらって、もう1年はチケット制御です。
その後、今鹿島アントラ所属じゃないですか。転席されたってことですか?
完全移籍です。
そんなことがあるんですね。
クラブがオパーを出してってことですよ。
そうですね。声かけいただいて。
たまたまですけど、私もそろそろJリーグ離れて、違う経験をしたいなと思っていたところだったので。
それが合致したというか。
一般の企業で言うと出港転席って結構ハードル高いじゃないですか。
仮パックみたいな状態になっちゃうので。
もちろん1回戻ってましたよ。
1回戻ったんですか?
そのまますぐじゃないですよ。
30:00
5年ぐらいそれから。
あ、そうなんですね。
2014年末ぐらいまで僕は鹿島にいましたけど、その後2015から20年の1月までJリーグにいました。
全然間ありましたね。
そんな仮パックみたいな話じゃないですよ。不思議だなと思ったんですけど。
でも5年経ってオファーが来るっていいですよね。
ありがたかったです。
戻られてからはどんな仕事されていたんですか?
まず広報でした。
Jリーグの広報。
広報で1年10ヶ月ぐらいでやりましたね。
ちょうどチェアマンも変わった頃ですか?
村井さんとその前は。
そうです。戻った時にチェアマン変わってましたね。
行った時はまだお東さんだったと思うんですけど。
戻った時はもうチェアマン村井さんになってましたね。
広報の後また別のことも。
そうですね。
本当に今やってる仕事にかなり繋がる仕事になっていくんですけども。
中継政策を関わるようになりました。
2016年の10月頃だったんですかね。
それこそ2017年からJリーグの公営権がDAZNに変わるタイミングで
Jリーグでも中継政策を独自にというか自前でやっていくっていうようなタイミングで
組織内に新しいチームを作るっていうことになって
その時に社内広報みたいなのがそこで手を挙げて
関わらせてもらえることになった。
本当にいろんな職種やられてますね。
そうですね。
でもJリーグのメンバーってそういうパターン多いかもしれないですね。
割とジェネラリストな方が多かったりするんです。
さすがに中継ってなかったですけどね。今までは放送局がやってた仕事ですからね。
そうか。それが変わったっていう話は何かで読みました。
DAZNになって政策がJリーグで政策になったっていうところが。
それは大きな差ですね。
大きいですよね。
全くノウハウないところから始めますからね。
スカパー政策だったものがJリーグ政策になった。
でもそういう意味では放送局にいたカンベさんは頼られたんじゃないですか。
とはいえ僕がやってたことって取材報道じゃないですか。
全然違うんですよ。
でも広報をやってた時に
クラブワールドカップの仕事とかをJFAさんのサポートとかでさせてもらったり
あとはACLの広報サポートみたいなものをさせてもらったりとかっていうことがあって
その時に結構日本と海外の放送権の扱いの違いっていうのが結構勉強になって
日本っていろんな試合にいろんな取材メディアが赤いビブス来て
1レベル取ってるのよく見るじゃないですか。
あれが完全に権利でガチガチに縛られてて海外のタイプとか
映像メディアで入れるのってライツ買ったところだけなんですよね基本的に。
そういう仕切り方をしていて
日本はちょっと特殊な
そうですねいろんなテレビ局が入って
33:02
こういうふうに権利って売られていて
映像メディアのアクセスって仕切られてるんだとかっていろいろ勉強させてもらって
その時の経験が結構中継事業立ち上げる時は結構いきましたね。
ダゾーンになったところを立ち上げてたんだ。
じゃあ最初繋がらないとかなった時大変でしたね。
あの時はそうですね。
変な汗出ましたよね。
直接的ではなかったですけど
直接的なのかな。
担当といえば担当の一味なんで
焦りましたね。
今はもう鹿島で中継担当?
そうですね。
お名刺を見せていただいて。
鹿島アントラーズは2013年にスタジアムに中継サブシステムを導入していて
早いですね。
その設備を利用して自社で中継政策っていうのをやっているんですね。
そうなんですか。
それと他のチームはやってないものなんですか?
野球のチームとかはよくやってますけど
サッカーだといないんですか?
サッカーだと多分鹿島アントラーズだけ。
そうなんですか。
2013年だとだいぶ早い段階ですね。
知らなかった。
あと鹿島アントラーズの中継担当なんだかんべさんを会ったのにマジで知らなかった。
試合中は中継サブにずっといて。
そうなんですね。
すいません気楽に連絡しちゃったよ試合中。
本番中に。
本番中にすいません。
なんでアントラーズだけそれをやってるんですか?
鹿島アントラーズのホームタウンの特徴なんですけど
他の地域と違って
例えば静岡だったらテレビ局何局もあるじゃないですか。
でも茨城ってNHKみとしかないんですよ。
NHKさんってNHKさんのための映像しか基本的には制作してないんで
中継制作をしてくれるテレビ局がないんですよ。
なるほど。
だったら自分たちで映像を作ろうっていうところがあって
作って発信していこうっていうのがまず一つと
そうやってメディアの発信拠点とか
コミュニティを作っていくための発信拠点みたいなものを
作っていくっていうような構想とか思想を掲げていくことで
スタジアムの付加価値っていうのが高まっていく。
それによってスタジアムに出資したいっていうような
企業さんを呼び込むための付加価値を作るとか
っていうところを一環でと言いますか
うちての一つとして。
なんか伺いたいことやってるのすごいですね。
クラブの広報の方って何となく
マーケティングツールの制作とか企画みたいな
イメージなんですけど
中継の話は全然想像してなかった。
面白いなと思いました。
ちょっとユニークですよね。
これ今は各クラブも中継担当っていうのがいるんですか?
いますけど大抵どこかの中継専門の会社や製作会社さん
36:04
ないし地方であればテレビ局がやってるケースが
ほとんどないです。
自社でやってるのは珍しい。
なるほど。
すごいな。全然知らなかった。
その後鹿島に行ってからの話でもなってるんですけど
中継担当のカンベさんが
なぜ今僕らと一緒にプロモーションのことをやってるのかは
そうですね。中継担当もしながらプロモーションの仕事もしてるからです。
それは兼務なんですね。
兼務です。
同じコミュニケーションチームの中に
デジタルメディアの担当と広報と
映像コンテンツ制作のメンバーが書いて
映像コンテンツ制作っていう括りの中に
中継もプロモーション映像も入るってこと?
そうです。
そうなんだ。
出目のチャンネルじゃなくて映像っていうツールの話で
一緒になるんですね。
今はそうなってます。
昔は結構独立した事業みたいな感じでやってましたけどね。
そうなんですね。
起き所が結構難しさもあるのか分からないですけど。
それでいうとプロモーションのグラフィック周りは
また別の人がやってるじゃないですか。
それは映像担当だからなんですね。
そうですね。
なんかシミズとかだとそこって
要はそれとこのプロモーションVとグラフィックって
同じ人が担当してるイメージなんですけど
KASHIMAが媒体別で分かれてるの面白いなって思いました。
分かれてる。
結構人数も増えてきて
いろんなプロフェッショナルが少しずつ入ってくるんで
分業でやってるって感じですね。
僕とカンベさんが今何をやってるかの話をしていきたいんですけど
そろそろそっちの話をしながら。
今日は宣伝も兼ねてきて頂いたところがありまして
元々は去年
ムービーをいくつか作らせてもらったところからで
開幕の時の宣伝発表会用のムービーを作ったのが
多分最初だったと思うんですけど
そこからで今は試合のプロモーションの部分で
ちょっとお手伝いさせてもらってます。
今ねクラシコ3っていうのをやってるんですよね。
そうですね。
何ですかクラシコ3。
3はどこ?
一応鹿島アントラーズのホームゲームで
ジュビロ岩田、東京ベルディ、そして横浜エフマリノスさん
その3クラブさんとの対戦の試合を
クラシコ3という風に振らせてもらって
プロモーションさせて頂いてる。
ジュビロと鹿島は昔からね。
昔からね。
いろいろ因縁というか縁の深いチームたちとの
多分時期もありますよね。
この時期に重なっているので。
鹿島アントラーズのサポーターの皆さんの
おそらく一番真っ先に考えるダービーというか
ライバルってジュビロ岩田さんだろうなと。
39:01
これまでの歴史で。
歴史上。
やっぱり96年から、1996年から2002年まで
7年間ですかね。
どっちかのチームでタイトルを分け合ったっていう
そういう歴史があったので。
ベルディとは93年のチャンピオンシップで
ファーストステージ優勝、セカンドステージ優勝で
争った最初の王者決定戦。
マリノスとアントラーズは
折り点でただ2チームだけずっと
J1に続けるという2チームだったりとか。
そういう縁のある3つの試合を
クラシコスリーと銘打って告知をやってて。
この間ね、ジュビロ戦の動画作らせてもらって
放映されましたけど。
素敵なムービーを作って頂いてありがとうございます。
めちゃくちゃ文字量書きましたね。
タブロイド詩をなぞる
みたいなムービーにしたんですけど。
タブロイド詩自体を作んなきゃいけなくて。
英語のタブロイド詩を作るにあたって
めっちゃ文字書きましたね。久しぶりに。
あれでもよく考えたら
カンベタが書くって方法もありましたね。
いや、元新聞記者。
それはプロに任せます。
記事書くのはプロじゃないです。
めっちゃ書きましたよ。
タブロイド詩作るのは大変だもんね。
しかも映像の背景用のタブロイド詩ですからね。
しかも英語になるから。
大した内容は書いてないんですけど。
でもすごいなと思いました。
僕らは簡単に言うんですよ。
こういう風に作ってもらえませんか。
それをね、とんでもない苦労をいただいて
作っていただいたと思うんですけど。
いつも僕がやってるプロデューサーの小牧さんと
コピーライターの島くんと一緒に
原稿めっちゃ書いたんですけど。
それが4月にあったんですけど。
次が3月の最後か。
3月30日。
次がベルディー戦ですね。
5月12日。
5月12日のベルディー戦に向けて
準備を今いろいろしてるんですけど。
鹿島スタジアムでベルディー戦あります。
良かったら皆さん来てくださいというのと。
マリノス戦ですね。大きいので言うと。
どちらも大きいですけど。
箱が大きい。
より東京にいらっしゃる方には
足を運んでほしいですよ。
マリノス戦は国立競技場で開催します。
そうなんですよ。
6月1日土曜日の国立開催。
鹿島アントラーズ対横目横マリノス。
面白そう。
ちょっとこれも準備を進めてます。
そうですよね。マリノスとアントラーズ。
国立ってちょっと上がりますよね。
関係ないサポ的にも上がりますよね。
ずっとJ1の舞台でしのぎを削ってきた両クラブ。
新国立でやるのはこの対戦は初。
この対戦では初じゃないですかね。
去年は名古屋さんでしたもんね。
そうですね。本ゲームは名古屋さんとやって。
Aのゲームでもマリノスさんとはやってないですもんね。
そうですね。
なので新国立でこの2チームをやるというのはね。
42:01
皆さん行きましょうと。僕は行きます。
是非予定を空けておいていただいて。
しかもあれなんですよ。前の会社の後輩たちが
サッカー見に行ったことないんで行きたいですって言ってて。
何の試合に連れて行こうかなと思って。
ここだなと思って。
ここの予定を空けさせておりますので。
色々悩んだんですよ。
清水行くの遠いし。でも清水も国立あるしな。
渋谷の試合に連れて行くのは渋すぎるかと思って。
ここ行きますんで。
観戦はしやすいですしね。アクセスもいいですし。
行きやすさと国立行くと初めての人はテンション上がりますからね。
そうですね。小生ホームゲーム。
あ、同じ日ですか。
1日目。せっかくだからっていうのもある。
はい。
カムメさんに色々お話聞いてきたんですけど。
サッカーの仕事に関わりたいみたいな思ってる人たち
たくさんいると思います。聞いてくださってる方でも。
良い部分とちょっと覚悟しなきゃいけない部分ってありますか?
良い部分は本当に日常に喜怒哀楽があったりして。
やっぱり自分のやってきた仕事が
ダイレクトにお客さんに伝わったりするし
そこに勝敗が乗っかってくることで
観客の皆さんと一緒に一喜一憂しながら
仕事に当たれるっていうところですかね。
なかなか非日常の空間をやっぱり日々作ることって
なかなか尊いものっていうかかけがえのないものというか
あると思うんで。
クラブで働くことっていうのはそういう部分に
素晴らしさを感じたりしますね。
あとはホームタウンがあって
街を作っていくっていう感覚ですかね。
この街にも色んな社会課題があったりするじゃないですか。
地域の課題とか。
その地域の課題とか社会の課題を
フットボールの力でとかスポーツの力で
解決してあげられることに携わることができたら
とてもやりがいを感じるというか
そういうことを携わっている仕事なんだろうな
ということは日々思いながらやってます。
街作りって今色んな会社が言ってるし
色んな事業が言ってると思うんですけど
結局それ商業施設作ってるだけじゃないみたいなところが
日々感じてるんですけど
本当に街作りをしてるのってサッカークラブなのかもなと
今すごい思いましたね。
特に鹿島アントラーズのやってることって
偉大だなと思いました。
やっぱ地方にはサッカークラブが必要なんですよ。
一個宣伝いいんですか。
はい、ぜひぜひ。
そんなことを鹿島っていうホームタウンでやってはいるんですけれど
まだまだ事業を大きくしていかなきゃいけないということで
一緒に働いていただける方々を募集しているんですよ。
大募集してるんですよ。
45:01
少しスポーツに興味のある方で
電職サイトに少しでも登録してやる人が
多分かなりの確率で広告届いてると思うんですけど
確かに見たことある。
俺登録してないけど。
代々的にやってます。
ポジションも経営とか人事、MD、マーチャンダイズ系とか
コーポレートソリューション、コミュニケーション、広報PR
デジタルコミュニケーション、パートナーセールス系とか
アクティベーションとか、地域関連とか
集客プロモーションだったりとか
そういったいろんなジャンルでカテゴリーで採用
代々的にやってます。
ぜひ一緒に働いていただいて
会社を大きくしてチームを強くして
代々的に貢献するということを一緒にやりませんか?
ちょっとでも安易に応募していいのかどうか悩むんですけど
難しい部分もあるじゃないですか
やっぱ大変な部分ってどういうところだったりします?
これだけは。
一個あるのは土日仕事じゃんっていうのはちょっとありますけどね
平日お休みあるんですか?
それで言うと
ホームゲームって年間で20試合くらい
今Jリーグ19試合になったのと
ルバンカップが7試合あるからにもよるんですけど
ACLとかも出てくると少し増えますけど
でもホームゲームって20何試合くらいじゃないですか
その日はもちろん試合開場に出て仕事になるんですけど
アウェーの時は限られたメンバーだけで練習してるんで
その時は毎度稼働するというわけではないのと
アウェーも楽しそうですね
すみません
あとは土曜日ゲームだったら
日曜月曜という形でお休みがあったりとかするので
月曜のお休みとかって割とそれはそれでよかったりするんですよね
結構いろんな商業施設行っても空いてるし
どこ行っても混雑の中でレジャーしなくてよかったりするから
あと大きいところで言うと
募集職種によっては
必ずしも鹿島拠点じゃなくてもよかったり
東京拠点で応募してもいい
ちなみに私も東京拠点なんですよ
東京在住ですよね
東京拠点で採用にやっていて
試合だったりとか例えば撮影とか
鹿島でやらなきゃいけない仕事がある時は
出張という形で鹿島に行って
そうなんですか
寛平さんってそうなんですね
そうです
別に毎日鹿島にいるわけじゃないんですね
じゃないです
そんな働き方があるんだ鹿島なんとならず
だってオフィスがね
そうか東京オフィスが
メルカリの中にもあります
そういうことなんだ
勝手に毎日鹿島まで行くの大変だなと思ってました
48:02
車で
週に1洋服ぐらいはしてます
多い時に2洋服ぐらいはしますけど
毎日着いて帰ってくる
リモートワークとかも多いんですか
多いです
打ち合わせ大体リモートですもんね
めちゃくちゃいいですよ鹿島
すごくしっかりした会社で
すごくそのあたりの働き方の部分は
会社として整備してくれていいなと思います
あれですね
このポッドキャプトを聞いていただいて
カジュアル面談したい人は
カンベさんまで
鹿島アントラーズのホームページ採用って
みんな見ていただければ
めちゃくちゃ出てくるんで
ぜひよろしくお願いします
ぜひそちらも皆さんご興味があれば
カンベさんありがとうございました
ありがとうございました
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49:26

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