お勧めしてもらったその人の感想も聞いてみたいですね。
お勧めされて。
お勧めした人は来たことあるの?
どう?
討論カフェに。
どうかな。
ぜひぜひね。
うん。
これ、もう来たことあったらちょっと失礼ですよ、でも。
ごめんなさい。
確かにね。
でもね、私、名前覚えないで有名にしといてください。
あの、ゆんくんですら他の後輩と一緒にいたら間違えられるもんね。
うん。
なんで。
あ、でもぜひね、紹介していただ、この人に合いそうみたいな人に声かけてもらうってすごく嬉しいです。
嬉しいですね。
なんかまあ、番組をこういう人に勧めてもらうとかのは、すごい光栄なことですよね。
めちゃくちゃ嬉しい。もう、あおいさんだっけ?
あおいさんです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ、ちょっと感想はこのぐらいにして、早速歴史ね、ビッグトリーの歴史にいきたいんですけど。
はい。
今日はね、一冊その記録を持ってきてね、話そうと思うんですけど。
なんか大きなファイルがありますね。
そうなんですよ。実はですね、私、2007年か。
はい。
創業して間もないでしょ。
はい。
から、えっと。
創業。
え、待って、創業改めて。創業は何年?
2000、一応卒業6にしてる。2006が創業に。
あ、じゃあ、わりと早い段階なんですね。
そうです。
はい。
1年間ね、聞いたでしょ?暇してたり。
ちゃもこもそうで。
そうそうそうそう。で、学校に営業行ってたとか覚えてます?全然。
はいはい。
学校とか。
まあ。
飛び込みで学校に入ってたって。
でも、ほとんど、まあ結局、その、後々また話そうと思うんだけど、何校か高校はさせてもらったんやけど、それでもやっぱり、なかなかこう、理解してもらう学校はなかったから、結構こう、くすぶってたんですよ。
いわゆる討論カフェほぼできてない状態みたいな。
うんうん。
そしたら、その、前回出てきた中野さんって覚えてますか?
はい。
その会社の中野に、社会福祉士みたいな資格を持ってる人がいて、
その人が読んだ本の中に、その中学2年生前後が、まあいわゆる発達段階の中でも自我が芽生えて、まあ最もこう、なんていうかな、心が動いたりとか、その、まあいろいろ悩んだりする時期みたいな。
で、高稲城さんたちがやってるこの討論カフェって、まあこの思春期みたいなのがすごくいいんじゃない?って言ってもらったんですよ、その時に。
で、あ、それはなんかいいアイデアもらったなと思ってたら、たまたまいろんな知り合いとかが、旅行会社に勤めたりとか、いろいろあった時に、
中野さんから、高稲城さん、親子で旅行に行って、その討論会、その討論カフェやってみるとかはどう?っていう、ほんとに何気ないアイデアを出してくれた時に、
もう討論カフェしたくてしょうがなかったから、やります!って言ったよ。
やらせてください!みたいな。
それがどんなに大変なことか、知るよしもなく。
それで、どうやってやるかっていう設計を、会長さんがしてくれて、それがスポンサーを集めて、親子をバス1台に乗せて、10組とか。
で、2泊3日に行って、討論カフェをしてもらうっていう。だから、中学生の親子は、参加費が1人で1万円ぐらいだったと思う、当時。
2泊3日で。
なんか、すごい安かった記憶がありますね。
でもさ、討論カフェさせられるからね。
させられるっていうか、それをしたい人が来るでしょ?
そうなんだけど、とりあえず、すごくそれは教育…っていうか、親子の会話ってみんな悩んでて、当時も結構社会課題としてあったから、
そういうのを社会全体で支えていくのは大事でしょ?っていうのが、中野さん含め、いろんな大人が考えてくれて、
私はどっちかというと、もう討論カフェをとにかくやる、みたいなスタンスで実行を舞台にいたというようなのが現状ですね。
で、それが、「そったく親子で心の旅」というイベントをできました。
もうできたのか?まだアイデアができたんだけど、動き出す?
動き出したんです。もう1ヶ月ぐらいで動き出したんで、もうあっという間だった。
で、「そったく」っていう言葉は、当時、お抹茶の先生がいて、お抹茶じゃない、抹茶ジャワンを作ってる陶芸家の方がいて、
その徳沢先生って方がつけてくれたんですよ。
そったく同時って言って、殻の中からヒナがチュンチュンチュンって殻をつつく。
で、親鳥が外から同じ場所をチュンチュンチュンってつつく。
すると、パッと殻が破れて、ヒナが生まれるというタイミングになりますように、この旅がという意味でつけてくれて。
いいじゃないですか。
当時は、私幼かったので、なんだこの名前と思って。
漢字足と。どうもトロカフの漢字ですけどね。
そうね。でも、なんかよくわかんないまま、いろんなものが決まっていくみたいな。
で、スポンサー営業を始めて、スポンサーを十何組、十二十五組くらい集めて、
で、中学生の親子を連れていくというような旅を、第一回が始まったって感じですね。
スポンサー集めるの大変じゃないですか、新しく活動するのに。
なんかお金出し下さいって言うんでしょ。
よく集めましたね。
でも、なんか社会的にありそうじゃないですか、なんか。
なんか想像ですけど。
今の時代だったら、まだもっと集まる気がするけど、当時は、まず言われたのが、
十一二組、最大でも十五組ぐらいしか連れていけないんでしょ、月一台だから。
そうですね、確かに。
すると、社会的影響のインパクトがないからって断られることが一番多かったです。
確かに。
インパクトとか無理よ、親子で討論するのに、百組とか呼べんもんね。
そうですね。
で、あとは、やっぱりなんていうかな、二泊三日も行く必要あるんですか、みたいなのもすごく言われた。
でも、突然、半高期や思春期の中学生、親子を連れてって、
はい、2時間でしゃべってください、無理なんよ、温めて温めて、みたいな、非日常の中でちょっと話すか、みたいなのだろうなと自分は思ってたんで、
二泊三日が譲れなくて、っていうとこはありましたね、当時。
すごい春期の本とか読んで、設計はしましたけど、そういうのがありました。
で、実際にやったら、相当大変でした。
人生で一番大変でした。
なんで私は親子を連れてってしまったんだと思いました。
もう喧嘩、もしくは泣き出す、なんか全くしゃべらない男の子、もう無限にいた、本当に。
もう、めっちゃ難しいわけ。
そういう、まあ、ほんとに大変でしたっていう話です。
はい。で、これを、えっとね、何回までしたんだっけ?
まあ、とにかく、第3回でユンくんが来てくれます。
はい。
自分が、ボランティアっていうか、まあ、一応ね、あの、ギャラもらえてたんですよね、少しだけ。
で、まあ、そんなんで、あの、2泊3日一緒に。
多分、旅行費を出しますっていう。
旅行費プラス、その、ほんの少しもらえてました、確か。
ありがとう。
いただいてました。
うん。
で、そうですね、参加しました。
で、大変だって言うけど、まあ、確かに準備もいろいろ大変だと思うんですけど、
あの、明らかに大変そうな親子っているんですよ。
はいはいはい。
もうスタート地点で。
子供がヤンキーとか、まあ、簡単に言うと。
明らかに、あの、課題を抱えてそうな親子を中心に、
まあ、自分たちは学生なので、
あの、そんな難しくなさそうな親子のところに席について、
あの、のんさんとかは、大人なのでっていうか、まあ、運営側なので、
難しそうなとこに行くし、なおかつ、スタッフが足りてないので、
何席か同時にコーディネートしていく。
だから、それは大変になるわって、まあ、聞いてて思いましたけど。
確かにね。
うん。ヨン君たちが来たときはもう、ボランティアをほんとね、
最大で10人ぐらい集めるようになったんですけど、
一番1回目は、コーディネーター3人で10組ぐらい回したんですよ。
あー。
だから、私たちが。
親子だけになってる時間とかあるから、危ないね。
だからもう、なんかね、ある意味、ほんとにテーブルをぐるぐる回んなきゃいけなくて、
その回ってるうちに、どっかが揉め出しとかもあったから、
確かにね、コーディネートのと、だんだん落ち着いてきましたかね、あれは。
いや、どうなんだよ。
でもね、何回か回を重ねるごとに、
いいとこの子が多くなった。
でも、宣伝するとこも変わったとか。
かもしれない。
でも、やり飽きて、とうとうバスに乗り遅れて、
後ろから車で追いかけてくるとかもありましたね。
あー、ありましたよ。
そうそうそうそう。そういうね。
年割合的に、お嬢様子みたいなとこから来る子が増えてきたかなとは思いますね。
上水くんはね、一緒に、結局十何回目であられるんだけど、
一応最初は、1日目とかは陶芸したりとか、
できるだけ体験して、親子でわはははって笑えるような、
丸一日アイスブレイクみたいな感じで、2日目の夜にトロンカフェをするっていう。
あれ何回ですかね、僕が参加したら、最後の回だと思うんですけど。
あれがですね、第6回?
6回とかですかね。
第6回ぐらいだと。
6回の時は、もうだいぶ仕組み化されてる感じっていうかね。
あ、本当ですか。よかったです。
人数も増えてるし、コーディネーターも増えてるし。
そうかもね。
でもあの時に、討論コーディネーターみたいなのの勉強会、
もう確か7回ぐらいしてもらったと思う、みんなに。
そうやって何回か集まってやりました。
そうそうそうそう。
で、あの、ディスカッションコーディネーターっていうのを、
1テーブルに1人いるようになったかなっていう感じですね。
それはそうと、ユン君とどう出会っていくんですか?
いきなりもうボランティア参加してますけど。
確かに、ユンとの出会いはちょっと。
学生時代に野野さんもやってた、ベンチャー起業論っていう授業があって、
それを授業を履修してたんですよ、受けてたんですよ。
で、それは結構グループでの活動が多いし、
先輩とか後輩とのつながりもすごく深くなりやすい授業ではあるんですけど、
その授業の中で出会いましたね、活動の中で。
で、もう学年はかぶってないんですよ。
OBってことですか?
OBです。
でも、なんかね、OBとの交流も、
あ、社長体験会社があったからかもしれないですね、それこそ。
そこでポスティングとかのビジネスをやってることもあったんで、
そこのポスティングとかもやってました。
やってました、ポスティングのアルバイト。
ポスティングのアルバイト。
そうそうとか、共通の、もう一人、ダン君っていうOBがいて、
そのダン君のビジネスも、ゆん君が手伝ってて、
そうそう、授業で、
先輩が来たね。
インキテーシップみたいな感じなんですけど。
そうそうそう。で、私の記憶ではダン君が、
あ、そうですね。
ゆん君を連れてきてくれて、
なんで連れてきてくれたのか、全く記憶いないんですけど、
なんかね、イベントをするってなって、
お知恵を借りたかったんですよ、とにかく。
そうそう、そうだった。
で、なんか聞きに来たみたいなね。
そっから、たぶん、お宅に誘ったのか、討論カフェに来てったのか。
その後ですね、
洋が済んだら、半年ぐらい会わなかったんですけど、
近く通った時に、事務所の場所、事務所に何回かお邪魔してたんですよ、その時は。
だから、事務所の前通った時にいたんで、手振ってみたいな、
その流れでそのまま入って、ちょっと喋ってみたいな感じだったんですよ。
で、その時に、ちょうど率託の準備をしてたところで、
人を集めてたんですよね、ボランティアスタッフみたいなの。
で、「こういうのあるけど、行く?」って言われて、
面白そうなと思ったから、行きますって言ったんですよ。そっからです。
ありがとう。あれ、来てくれて本当に助かりました。
その後、洋君はね、大学生リーダーまで勤めるからね、コーディネーターも。
コーディネーターも10人ぐらいになっていくんで、やっぱまとめてもらわなきゃいけなくなって、
それで、当時はね、結構、でも楽しかった記憶もたくさんありますけどね。
そうですね、大変なことはほとんど、全部やってくれてたので、楽しかった記憶の方が多いですね。
ボランティアはね、ボランティアより大変なことさせる。
そこらへんはほら、覚悟が決まってるんで、嫌な仕事は全部私がやります、という感じでしたね、当時はね。
だから、そんな感じで出会って、もうそっから、でもコーディネーターを勉強してくれたから、
やっぱり、なんの話でもできるっていう関係性、別に先輩後輩っていうよりは、
討論仲間になれたって感じですかね、そういう経験を経て。
そうそう、だから、それこそ、そったくボランティアになったら、実際のこの親子の討論カフェの前に、
みんな、大事なのは、余白を作る、とか言ってたよね。
部活っぽいですね。
部活っぽかった、めっちゃ。そんな感じでしたね。
だから、この経験が、後々の私の中高生向けのディスカッション教室の、すごい、なんていうかな、原点じゃないけど、
そんな感じになりますね。やっぱ中高生、中学生の親子とやったっていうのは、大きかったですね。
まだ言葉になってませんけど、話さないってことも大事?一緒にいるだけとか、わかんないけど、ちょっと黙ってる、沈黙も大事だし。
でも、ぽろぽろ出てくる、一番印象的だったのは、親子と娘さん、夫婦と娘さんと3人を家族で参加してくれたときに、
将来の夢は何ですか?みたいなお題が出て、お父さんもお母さんも書くんよね。
普通に、サラリーマンみたいなお父さんが、将来の夢に、オーストラリアで焼き鳥屋をするって書いてあったよ。
それで、家族が、えーってなって、いや、夢だからさ、みたいな。
お父さんもいろいろ考えるんだよね。ずっとこのままなのかな?とかさ、焼き鳥屋とかもちょっとさ、なんか行ってみたい気持ちもあるしさ、みたいな。
お父さんも悩んでんだよ。って言い出したときに、娘が、えーって、すごい笑顔になったの。
お父さんも悩んでるんだ、みたいな。で、そっからめっちゃ親子が、もう工事ネタいらなくなった感じ。
中学、子ども大人っていうよりは、みんなすかくじの人生を語り合う感じになったのが、すごい結構、それは印象にすごい残ってる。
準備ができてる過程と、そうでない過程があるってことですよね。
対話するきっかけがなかなかなくて、きっかけさえあれば対話できる、みたいな関係性のところもあれば、
まだ自分の考えとかもまとまってなかったりとか、怒りとか、自分で処理できてない状態で話してくださいってなったら、大変なことになっちゃう、みたいなこともあり、
同時にやるにはちょっとリスクが高すぎたみたいなことに気づいた、みたいなことなんですかね。
言い方では今、子どもたちとしゃべってるから。
やっぱ同時にやるのが難しいって思った最大の理由は、やっぱり子どもたちがまだ言語をたくさん持ってるわけじゃないから、泣くとか怒るとか。
あと、大人が聞いたらちょっと危ういな、みたいな言葉を使ってしますもんね。
大人の親とかが聞いたら。
でもよく聞いていくと、すごい理由があったりするけど。
将来どうなってもいいし、とか言い出すわけ。
でも、どうなってもいいしは、今何を感じてるかっていう話に、ゆっくり時間をかければできるんだけど、やっぱ親御さんはさ、そんな気持ちになれんじゃん。
将来どうなってもいい、どうやって生きていくんだ、あんた。みたいな感じで、もうディスカッションにならんのよ。
なんか、とか、もうなんていうかな、やっぱり子どものことを心配する気持ちと、
1、人間として、人としてお互い話そうよっていうのを分けるってめちゃくちゃ難しいから、
別に親子で価値観の交換をしなきゃいけないっていうよりは、まずは子どもっていうよりは、一人一人価値観の交換をする準備みたいなのが、
大人もね、子どももほんとはいるけど、中高生がまずそれが、自分がやりやすかったのが、大人はちょっとそこまでピンときてなかったんだけど、
ごめん、なんかね、理由は言語化できんのやけど、感じてきただけです。
でもなんか、改めて、そのソッタク、僕最後の回だけ参加しましたけど、あんまそのソッタクに対する振り返りみたいなのはね、あんましたことなかったけど、
確かに親子で同時に話してもらうっていうのは、それは理想、それができたら各家でやればいいんだけど、
それがやれないから、難しいから、場として作ったけど、それもちょっと難しいレベルにあると、状態にあると。
だから、個別に、子どもたちは子どもたちで、大人は大人でっていう形で、まずは対話できるとか、勝ちのほうができる土台、土壌みたいなのを作っていくみたいなところを丁寧にやってんだなってことを改めて思った感じですね。
そうだね、確かにね。
それは、さっきのスポンサー問題じゃないけど、コスパが悪いんですよね。インパクトみたいな。
多分、Dコードで例えば、生徒40人同時にディスカッションしますとかしないじゃないですか。
しないんです。
少人数制じゃないですか。だからやっぱコストはかかるけど、でもそれをちゃんと意義みたいなところでやりきってるみたいなのは。
実際スポンサーになってくれてる人たちは、たくさん連れてったところで、ただの旅行ですもんねって言ってくれたりするとこもあったし、各自理解をね、できる範囲にしてくれたりとか。
ただ、もう相当言われてきましたけどね。
社会貢献的なことでお金出してくれてたんですか、みんな。
いや、半分がお付き合いなんですよ。
そうなんですね。
やっぱり、中野さんっていう人が、今までいろんな人脈もあったから、そういう中でつないでって。
あと共感してくれた人が紹介してくれたんだけど、紹介してくれる人の顔があるから、出すよっていう。
明確に私に会ってくる人もいたし。
あとは、まだ私が創業して間もなくて、こういうことをしてたから、半分若い人を応援するみたいな感じでやるけど、
あくまでも応援だから、どんだけスケールするか見せてもらうよじゃないけど。
お手並み拝見と行かせてもらう。
最大バス何台ぐらい行けるんですかね、みたいなところをガンガン言ってくる人もいれば、とにかく本当にいろんなこと言われた。
ただただ討論カフェをしたい。
そしてそれを今回はその中学生の親子にっていう気持ちで、この中身を作るのにものすごく時間をかけてたんで、最後はうるせえって言ってしまったっていうのが後に。
スポンサー様に。
スポンサー様に。それでやめたという。
やばいよ。
そうです。このやってた、このそったこやこで心の旅は、もう自分のお金が有り余った時にやろうと思ってます。いつ来るか知らんけど。
スポンサーさんに何か言われなくてもいい状態ってことですね。
そういうことですね。
自分でコントロールできる状態。
だからこれは何か意味ないなとか、もうダメだと思ってやめたっていうよりは、もうこれは本当にそのいろいろ言われてやってたら、本質を慕っていくことだなと思ったんで。そういう意味で、後々。この話はまた長いです。
はい。これは上水くんが登場するらへんで。
今これ2007年からどんぐらいの話だったのかな?3年間ぐらいですか?3対3回で。
スポンサーさんが参加してくれたのが2003回、あ、3回目。2009年か。
2009年。
僕登場するのが2014とかなんで、まだまだ全然出てこない。
そうですね、そうですね。まだまだですか、じゃあ全部。
多分2010年と2011年じゃないかな。
2009もいますよ。
いました?
はい。
じゃあ2009から。
結構昔からいますよ、2009から。あ、本当だ。2010からですか?
あ、ですよね、そうですよね。
第4回からか。
自分が3年生と4年生の時だったんで、2009はいなかったんじゃないかなと思います。
そうですね。
あ、でもすごいですね。ほぼ毎年やってる感じですよね。
そうです。
6年連続やったんですかね?
いや。
いや最後の何年か空いてるでしょ?2014にも参加してるから。
そっかそっか。
その、揉めてたんでね。
あ、最後だけ空いたんだ。
揉めてたんで。
じゃあ5年連続やったんだ。
やってます。
すごい。
でも、あの時しかこれはできないレベルのことです。
だから、もう相当な労力がかかってるのに、1円もお金入ってこないみたいな仕事なんですよ、これ。
いや、知ってますよ。最後の回が終わって、僕は、これまたその先話すんでしょうけど、ビクトリーに入った後に、なんかね、だいぶ揉めてましたね。
でも、なんだろうな、ほんとに、討論カフェをとにかくやりたいという思いと、その誰に?ってところがある意味定まった、そういう大事な自分にとっては、すごく思い入れのある過去の一つですね。
だから、やってよかったです。って感じかな。
でも、この3人がその体験を共有してるってのはすごいですよね。親子とディスカッションしたみたいなことをね。