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2025-08-22 32:30

【番外編13】阿鼻叫喚?!親子で本音ディスカッション

2007年創業初期の苦労/中学生親子/そったく親子で心の旅/スポンサー営業の困難/親子討論の現実/ピアス問題で激論/世界滅亡論を中学生/ボランティア不足/ゆん登場/ベンチャー企業論/大学生リーダー/ディスカッションコーディネーター研修/お父さんの夢:オーストラリアで焼鳥屋/親子対話の限界/価値観の交換の準備段階/少人数制の意義と価値/スポンサーとの複雑な関係/本質を見失う危険性/討論カフェへの想い/仲間との青春物語/2025年内に上水は登場するか微妙/

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上水優輝

サマリー

このエピソードでは、親子で行う討論カフェの実践とその意義について語られています。特に、思春期の子供たちとその親が直面するコミュニケーションの課題や、討論を通じた理解の深まりがテーマです。また、参加者たちがどのようにコミュニケーションと価値観の交換を行ったかについても触れられています。親子間の対話の難しさとその重要性、そしてそれがもたらす影響についても深く掘り下げられています。さらに、親子での本音ディスカッションの経験や、討論カフェの過去の思い出についても話されています。参加者たちは、ディスカッションを通じて得た気づきや価値観の交換にも言及しています。

討論カフェの導入
ヤッホー! ヤッホー!
番外編です。まずはコメントを読んで、その後、写真なんですけど、今回はとうとうゆんくん登場回なんで。
あー、そうなんですね。 じゃあちょっと今日は、コメント、ご紹介するコメント少なめで行かせてもらいます。
サンゴロウさん、性格が悪いってどういうこと?みたいな回があったと思うんですけど、その回について。
改めて考えてみると、自分は陰口を言う人に性格悪いなぁと感じることが多いと、他者にダメージを与えて自分は安全地帯にいるというスタンスに嫌悪感がある気がする。
うんうん。 うーん。
まあ嫌ですね、確かに。 嫌です。性格悪い。
そんなやつは嫌ですね、やっぱり。
なんかすごい、うん。結構これ同感の人多いんじゃない?
いや、そう、多分かなり多くの人がそう感じてるし、もしかしたら、陰口言ってる人までそう思ってるかもしれないですね。言ってることってなかなかね、気づけないというか、気づけない可能性があるな。
うん。 確かにね。
山嵐さん、ちょっと前の回なんですけど、若作りについてどう思う?っていう回で、
討論カフェが頭、心、思考の柔軟性を保つためにいいというのは、その通りだと思う一方、僕は普段使わない筋肉を使って疲れたという感じはなくて、ひたすらハイになったなぁ、本気出せるみたいな感覚。
おー、嬉しい。
嬉しいですね。なんかジムとか行ってたやつですね。
うんうんうん。討論カフェは思考のジムというか、そんな感じで来たらいいんじゃとか言ったけど、いやいや、むしろ、本気のパンチ出していいですか?みたいな感じで、全然いいですよ、みたいな。
すごく向いてますね。
向いてますね。
そうだね、討論カフェ。
ありがとうございます。
あおいさん、これエピソードの対象ではないんですけど、新たに出会った哲学対話仲間に討論カフェをお勧めした。
ですね。
ありがたい。
ありがたいですね。
哲学対話仲間いるのが羨ましいな。
ね。
うん。貴重ですもん、そういう人。
なかなかそうね、ちょっと踏み込んだ話っていうのは、できる人少ないですからね。
確かにね。でも私、哲学できないよね、あんまり。
大丈夫かな?この人、大丈夫?ってなるかもしれないですけど。
でも、お勧めしてくださったね。ありがたいです。
親子のコミュニケーションの難しさ
お勧めしてもらったその人の感想も聞いてみたいですね。
お勧めされて。
お勧めした人は来たことあるの?
どう?
討論カフェに。
どうかな。
ぜひぜひね。
うん。
これ、もう来たことあったらちょっと失礼ですよ、でも。
ごめんなさい。
確かにね。
でもね、私、名前覚えないで有名にしといてください。
あの、ゆんくんですら他の後輩と一緒にいたら間違えられるもんね。
うん。
なんで。
あ、でもぜひね、紹介していただ、この人に合いそうみたいな人に声かけてもらうってすごく嬉しいです。
嬉しいですね。
なんかまあ、番組をこういう人に勧めてもらうとかのは、すごい光栄なことですよね。
めちゃくちゃ嬉しい。もう、あおいさんだっけ?
あおいさんです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ、ちょっと感想はこのぐらいにして、早速歴史ね、ビッグトリーの歴史にいきたいんですけど。
はい。
今日はね、一冊その記録を持ってきてね、話そうと思うんですけど。
なんか大きなファイルがありますね。
そうなんですよ。実はですね、私、2007年か。
はい。
創業して間もないでしょ。
はい。
から、えっと。
創業。
え、待って、創業改めて。創業は何年?
2000、一応卒業6にしてる。2006が創業に。
あ、じゃあ、わりと早い段階なんですね。
そうです。
はい。
1年間ね、聞いたでしょ?暇してたり。
ちゃもこもそうで。
そうそうそうそう。で、学校に営業行ってたとか覚えてます?全然。
はいはい。
学校とか。
まあ。
飛び込みで学校に入ってたって。
でも、ほとんど、まあ結局、その、後々また話そうと思うんだけど、何校か高校はさせてもらったんやけど、それでもやっぱり、なかなかこう、理解してもらう学校はなかったから、結構こう、くすぶってたんですよ。
いわゆる討論カフェほぼできてない状態みたいな。
うんうん。
そしたら、その、前回出てきた中野さんって覚えてますか?
はい。
その会社の中野に、社会福祉士みたいな資格を持ってる人がいて、
その人が読んだ本の中に、その中学2年生前後が、まあいわゆる発達段階の中でも自我が芽生えて、まあ最もこう、なんていうかな、心が動いたりとか、その、まあいろいろ悩んだりする時期みたいな。
で、高稲城さんたちがやってるこの討論カフェって、まあこの思春期みたいなのがすごくいいんじゃない?って言ってもらったんですよ、その時に。
で、あ、それはなんかいいアイデアもらったなと思ってたら、たまたまいろんな知り合いとかが、旅行会社に勤めたりとか、いろいろあった時に、
中野さんから、高稲城さん、親子で旅行に行って、その討論会、その討論カフェやってみるとかはどう?っていう、ほんとに何気ないアイデアを出してくれた時に、
もう討論カフェしたくてしょうがなかったから、やります!って言ったよ。
やらせてください!みたいな。
それがどんなに大変なことか、知るよしもなく。
それで、どうやってやるかっていう設計を、会長さんがしてくれて、それがスポンサーを集めて、親子をバス1台に乗せて、10組とか。
で、2泊3日に行って、討論カフェをしてもらうっていう。だから、中学生の親子は、参加費が1人で1万円ぐらいだったと思う、当時。
2泊3日で。
なんか、すごい安かった記憶がありますね。
でもさ、討論カフェさせられるからね。
させられるっていうか、それをしたい人が来るでしょ?
そうなんだけど、とりあえず、すごくそれは教育…っていうか、親子の会話ってみんな悩んでて、当時も結構社会課題としてあったから、
そういうのを社会全体で支えていくのは大事でしょ?っていうのが、中野さん含め、いろんな大人が考えてくれて、
私はどっちかというと、もう討論カフェをとにかくやる、みたいなスタンスで実行を舞台にいたというようなのが現状ですね。
で、それが、「そったく親子で心の旅」というイベントをできました。
もうできたのか?まだアイデアができたんだけど、動き出す?
動き出したんです。もう1ヶ月ぐらいで動き出したんで、もうあっという間だった。
で、「そったく」っていう言葉は、当時、お抹茶の先生がいて、お抹茶じゃない、抹茶ジャワンを作ってる陶芸家の方がいて、
その徳沢先生って方がつけてくれたんですよ。
そったく同時って言って、殻の中からヒナがチュンチュンチュンって殻をつつく。
で、親鳥が外から同じ場所をチュンチュンチュンってつつく。
すると、パッと殻が破れて、ヒナが生まれるというタイミングになりますように、この旅がという意味でつけてくれて。
いいじゃないですか。
当時は、私幼かったので、なんだこの名前と思って。
漢字足と。どうもトロカフの漢字ですけどね。
そうね。でも、なんかよくわかんないまま、いろんなものが決まっていくみたいな。
で、スポンサー営業を始めて、スポンサーを十何組、十二十五組くらい集めて、
で、中学生の親子を連れていくというような旅を、第一回が始まったって感じですね。
スポンサー集めるの大変じゃないですか、新しく活動するのに。
なんかお金出し下さいって言うんでしょ。
よく集めましたね。
でも、なんか社会的にありそうじゃないですか、なんか。
なんか想像ですけど。
今の時代だったら、まだもっと集まる気がするけど、当時は、まず言われたのが、
十一二組、最大でも十五組ぐらいしか連れていけないんでしょ、月一台だから。
そうですね、確かに。
すると、社会的影響のインパクトがないからって断られることが一番多かったです。
確かに。
インパクトとか無理よ、親子で討論するのに、百組とか呼べんもんね。
そうですね。
で、あとは、やっぱりなんていうかな、二泊三日も行く必要あるんですか、みたいなのもすごく言われた。
でも、突然、半高期や思春期の中学生、親子を連れてって、
はい、2時間でしゃべってください、無理なんよ、温めて温めて、みたいな、非日常の中でちょっと話すか、みたいなのだろうなと自分は思ってたんで、
二泊三日が譲れなくて、っていうとこはありましたね、当時。
すごい春期の本とか読んで、設計はしましたけど、そういうのがありました。
で、実際にやったら、相当大変でした。
人生で一番大変でした。
なんで私は親子を連れてってしまったんだと思いました。
もう喧嘩、もしくは泣き出す、なんか全くしゃべらない男の子、もう無限にいた、本当に。
討論と成長の瞬間
それをコーディネートするっていう、なんてことを始めたんだろうと思いました。
確かに、なんてことを始めたんだろうって感じかもしれないですね、その現場を見たら。
なんかもう、ピアスが開けたい、ピアス開けることにそこまで反論してるっていうお母さんじゃなくて、ピアスを開けたらバレエ部はやれないって。
学校の規定でね。
バレエ部は許しませんっていう。
結構、ゆるめの中学校だったみたいだけど、ピアスがダメじゃないよ。
バレエ部はピアスがダメみたい。
お母さんとしては、バレエ部を最後まで3年間続けてほしい。
今、バレエ部やってるんですよね。
だから、ピアス云々じゃなくて、部活を最後までやるってことをお母さん大事に思ってる。
でも、娘は今すごく興味のあるこのピアス、これのほうが大事。
開けたい。もういいわ。話にならんわ。って娘が出てくる。
もう意味がわかんないんですけど、どういうことなんですか?
なるほどね。
なんかホテルで、まあホテルで泊まるんですけど。
みんなイメージ近いね。ごめんなさい。
ホテルの結婚式場みたいなところを、どれぐらいだろう、トータル3、4時間ぐらいですかね、借りて、
で、そのうちの2時間ぐらい、その討論カフェみたいなことをするんですよね。
で、その中で、だからホテルの部屋に戻るってことですよね。
切れて、子供が。
一応、お題は人生とか哲学とか、学校とか社会とか、いろいろあるんですけど、
やっぱ身近な学校とかを選ぶわけよね。
で、その後、学校の中に、例えばお題で、学校で自分が一番、
学校が役に立つと思うこと、立たないと思うこととかを親子で話したりするわけ。
その時に、うよ曲折して、会話が広がって、自分のリアルな話が出てきて、
だけお母さん分かってないよ、みたいな。
はいはいはい。
っていう、もう。
激論してたんですね、親子が。
まあ、喧嘩を勃発させてる状態ですよね。
まあ、でもそうですよね。
うん。
なんか、あえて言わなかったことをここだから言いますって言ったら、大変思っちゃったみたいな。
そうそう。で、ちょうど中学生ぐらいだから、今度こう、
まあ、いわゆる当時で言う、いや、現在で言う陰謀論じゃないけど、
どうせ世界は滅亡するし、みたいなことしか言わない男のことか。
はいはいはい。
だから、親が何言っても、どんな意見を出しても、まあ、滅亡するけどね、みたいな。
分かる?
はいはいはい。
ボランティアの経験
もう、めっちゃ難しいわけ。
そういう、まあ、ほんとに大変でしたっていう話です。
はい。で、これを、えっとね、何回までしたんだっけ?
まあ、とにかく、第3回でユンくんが来てくれます。
はい。
自分が、ボランティアっていうか、まあ、一応ね、あの、ギャラもらえてたんですよね、少しだけ。
で、まあ、そんなんで、あの、2泊3日一緒に。
多分、旅行費を出しますっていう。
旅行費プラス、その、ほんの少しもらえてました、確か。
ありがとう。
いただいてました。
うん。
で、そうですね、参加しました。
で、大変だって言うけど、まあ、確かに準備もいろいろ大変だと思うんですけど、
あの、明らかに大変そうな親子っているんですよ。
はいはいはい。
もうスタート地点で。
子供がヤンキーとか、まあ、簡単に言うと。
明らかに、あの、課題を抱えてそうな親子を中心に、
まあ、自分たちは学生なので、
あの、そんな難しくなさそうな親子のところに席について、
あの、のんさんとかは、大人なのでっていうか、まあ、運営側なので、
難しそうなとこに行くし、なおかつ、スタッフが足りてないので、
何席か同時にコーディネートしていく。
だから、それは大変になるわって、まあ、聞いてて思いましたけど。
確かにね。
うん。ヨン君たちが来たときはもう、ボランティアをほんとね、
最大で10人ぐらい集めるようになったんですけど、
一番1回目は、コーディネーター3人で10組ぐらい回したんですよ。
あー。
だから、私たちが。
親子だけになってる時間とかあるから、危ないね。
だからもう、なんかね、ある意味、ほんとにテーブルをぐるぐる回んなきゃいけなくて、
その回ってるうちに、どっかが揉め出しとかもあったから、
確かにね、コーディネートのと、だんだん落ち着いてきましたかね、あれは。
いや、どうなんだよ。
でもね、何回か回を重ねるごとに、
いいとこの子が多くなった。
でも、宣伝するとこも変わったとか。
かもしれない。
でも、やり飽きて、とうとうバスに乗り遅れて、
後ろから車で追いかけてくるとかもありましたね。
あー、ありましたよ。
そうそうそうそう。そういうね。
年割合的に、お嬢様子みたいなとこから来る子が増えてきたかなとは思いますね。
上水くんはね、一緒に、結局十何回目であられるんだけど、
一応最初は、1日目とかは陶芸したりとか、
できるだけ体験して、親子でわはははって笑えるような、
丸一日アイスブレイクみたいな感じで、2日目の夜にトロンカフェをするっていう。
あれ何回ですかね、僕が参加したら、最後の回だと思うんですけど。
あれがですね、第6回?
6回とかですかね。
第6回ぐらいだと。
6回の時は、もうだいぶ仕組み化されてる感じっていうかね。
あ、本当ですか。よかったです。
人数も増えてるし、コーディネーターも増えてるし。
そうかもね。
でもあの時に、討論コーディネーターみたいなのの勉強会、
もう確か7回ぐらいしてもらったと思う、みんなに。
そうやって何回か集まってやりました。
そうそうそうそう。
で、あの、ディスカッションコーディネーターっていうのを、
1テーブルに1人いるようになったかなっていう感じですね。
それはそうと、ユン君とどう出会っていくんですか?
親子のディスカッション
いきなりもうボランティア参加してますけど。
確かに、ユンとの出会いはちょっと。
学生時代に野野さんもやってた、ベンチャー起業論っていう授業があって、
それを授業を履修してたんですよ、受けてたんですよ。
で、それは結構グループでの活動が多いし、
先輩とか後輩とのつながりもすごく深くなりやすい授業ではあるんですけど、
その授業の中で出会いましたね、活動の中で。
で、もう学年はかぶってないんですよ。
OBってことですか?
OBです。
でも、なんかね、OBとの交流も、
あ、社長体験会社があったからかもしれないですね、それこそ。
そこでポスティングとかのビジネスをやってることもあったんで、
そこのポスティングとかもやってました。
やってました、ポスティングのアルバイト。
ポスティングのアルバイト。
そうそうとか、共通の、もう一人、ダン君っていうOBがいて、
そのダン君のビジネスも、ゆん君が手伝ってて、
そうそう、授業で、
先輩が来たね。
インキテーシップみたいな感じなんですけど。
そうそうそう。で、私の記憶ではダン君が、
あ、そうですね。
ゆん君を連れてきてくれて、
なんで連れてきてくれたのか、全く記憶いないんですけど、
なんかね、イベントをするってなって、
お知恵を借りたかったんですよ、とにかく。
そうそう、そうだった。
で、なんか聞きに来たみたいなね。
そっから、たぶん、お宅に誘ったのか、討論カフェに来てったのか。
その後ですね、
洋が済んだら、半年ぐらい会わなかったんですけど、
近く通った時に、事務所の場所、事務所に何回かお邪魔してたんですよ、その時は。
だから、事務所の前通った時にいたんで、手振ってみたいな、
その流れでそのまま入って、ちょっと喋ってみたいな感じだったんですよ。
で、その時に、ちょうど率託の準備をしてたところで、
人を集めてたんですよね、ボランティアスタッフみたいなの。
で、「こういうのあるけど、行く?」って言われて、
面白そうなと思ったから、行きますって言ったんですよ。そっからです。
ありがとう。あれ、来てくれて本当に助かりました。
その後、洋君はね、大学生リーダーまで勤めるからね、コーディネーターも。
コーディネーターも10人ぐらいになっていくんで、やっぱまとめてもらわなきゃいけなくなって、
それで、当時はね、結構、でも楽しかった記憶もたくさんありますけどね。
そうですね、大変なことはほとんど、全部やってくれてたので、楽しかった記憶の方が多いですね。
ボランティアはね、ボランティアより大変なことさせる。
そこらへんはほら、覚悟が決まってるんで、嫌な仕事は全部私がやります、という感じでしたね、当時はね。
だから、そんな感じで出会って、もうそっから、でもコーディネーターを勉強してくれたから、
やっぱり、なんの話でもできるっていう関係性、別に先輩後輩っていうよりは、
討論仲間になれたって感じですかね、そういう経験を経て。
そうそう、だから、それこそ、そったくボランティアになったら、実際のこの親子の討論カフェの前に、
みんな、大事なのは、余白を作る、とか言ってたよね。
部活っぽいですね。
部活っぽかった、めっちゃ。そんな感じでしたね。
だから、この経験が、後々の私の中高生向けのディスカッション教室の、すごい、なんていうかな、原点じゃないけど、
そんな感じになりますね。やっぱ中高生、中学生の親子とやったっていうのは、大きかったですね。
まだ言葉になってませんけど、話さないってことも大事?一緒にいるだけとか、わかんないけど、ちょっと黙ってる、沈黙も大事だし。
でも、ぽろぽろ出てくる、一番印象的だったのは、親子と娘さん、夫婦と娘さんと3人を家族で参加してくれたときに、
将来の夢は何ですか?みたいなお題が出て、お父さんもお母さんも書くんよね。
普通に、サラリーマンみたいなお父さんが、将来の夢に、オーストラリアで焼き鳥屋をするって書いてあったよ。
それで、家族が、えーってなって、いや、夢だからさ、みたいな。
お父さんもいろいろ考えるんだよね。ずっとこのままなのかな?とかさ、焼き鳥屋とかもちょっとさ、なんか行ってみたい気持ちもあるしさ、みたいな。
お父さんも悩んでんだよ。って言い出したときに、娘が、えーって、すごい笑顔になったの。
お父さんも悩んでるんだ、みたいな。で、そっからめっちゃ親子が、もう工事ネタいらなくなった感じ。
中学、子ども大人っていうよりは、みんなすかくじの人生を語り合う感じになったのが、すごい結構、それは印象にすごい残ってる。
準備ができてる過程と、そうでない過程があるってことですよね。
対話の重要性
対話するきっかけがなかなかなくて、きっかけさえあれば対話できる、みたいな関係性のところもあれば、
まだ自分の考えとかもまとまってなかったりとか、怒りとか、自分で処理できてない状態で話してくださいってなったら、大変なことになっちゃう、みたいなこともあり、
同時にやるにはちょっとリスクが高すぎたみたいなことに気づいた、みたいなことなんですかね。
言い方では今、子どもたちとしゃべってるから。
やっぱ同時にやるのが難しいって思った最大の理由は、やっぱり子どもたちがまだ言語をたくさん持ってるわけじゃないから、泣くとか怒るとか。
あと、大人が聞いたらちょっと危ういな、みたいな言葉を使ってしますもんね。
大人の親とかが聞いたら。
でもよく聞いていくと、すごい理由があったりするけど。
将来どうなってもいいし、とか言い出すわけ。
でも、どうなってもいいしは、今何を感じてるかっていう話に、ゆっくり時間をかければできるんだけど、やっぱ親御さんはさ、そんな気持ちになれんじゃん。
将来どうなってもいい、どうやって生きていくんだ、あんた。みたいな感じで、もうディスカッションにならんのよ。
なんか、とか、もうなんていうかな、やっぱり子どものことを心配する気持ちと、
1、人間として、人としてお互い話そうよっていうのを分けるってめちゃくちゃ難しいから、
別に親子で価値観の交換をしなきゃいけないっていうよりは、まずは子どもっていうよりは、一人一人価値観の交換をする準備みたいなのが、
大人もね、子どももほんとはいるけど、中高生がまずそれが、自分がやりやすかったのが、大人はちょっとそこまでピンときてなかったんだけど、
ごめん、なんかね、理由は言語化できんのやけど、感じてきただけです。
でもなんか、改めて、そのソッタク、僕最後の回だけ参加しましたけど、あんまそのソッタクに対する振り返りみたいなのはね、あんましたことなかったけど、
確かに親子で同時に話してもらうっていうのは、それは理想、それができたら各家でやればいいんだけど、
それがやれないから、難しいから、場として作ったけど、それもちょっと難しいレベルにあると、状態にあると。
だから、個別に、子どもたちは子どもたちで、大人は大人でっていう形で、まずは対話できるとか、勝ちのほうができる土台、土壌みたいなのを作っていくみたいなところを丁寧にやってんだなってことを改めて思った感じですね。
そうだね、確かにね。
それは、さっきのスポンサー問題じゃないけど、コスパが悪いんですよね。インパクトみたいな。
多分、Dコードで例えば、生徒40人同時にディスカッションしますとかしないじゃないですか。
しないんです。
少人数制じゃないですか。だからやっぱコストはかかるけど、でもそれをちゃんと意義みたいなところでやりきってるみたいなのは。
親子の本音ディスカッション
実際スポンサーになってくれてる人たちは、たくさん連れてったところで、ただの旅行ですもんねって言ってくれたりするとこもあったし、各自理解をね、できる範囲にしてくれたりとか。
ただ、もう相当言われてきましたけどね。
社会貢献的なことでお金出してくれてたんですか、みんな。
いや、半分がお付き合いなんですよ。
そうなんですね。
やっぱり、中野さんっていう人が、今までいろんな人脈もあったから、そういう中でつないでって。
あと共感してくれた人が紹介してくれたんだけど、紹介してくれる人の顔があるから、出すよっていう。
明確に私に会ってくる人もいたし。
あとは、まだ私が創業して間もなくて、こういうことをしてたから、半分若い人を応援するみたいな感じでやるけど、
あくまでも応援だから、どんだけスケールするか見せてもらうよじゃないけど。
お手並み拝見と行かせてもらう。
最大バス何台ぐらい行けるんですかね、みたいなところをガンガン言ってくる人もいれば、とにかく本当にいろんなこと言われた。
ただただ討論カフェをしたい。
そしてそれを今回はその中学生の親子にっていう気持ちで、この中身を作るのにものすごく時間をかけてたんで、最後はうるせえって言ってしまったっていうのが後に。
スポンサー様に。
スポンサー様に。それでやめたという。
やばいよ。
そうです。このやってた、このそったこやこで心の旅は、もう自分のお金が有り余った時にやろうと思ってます。いつ来るか知らんけど。
スポンサーさんに何か言われなくてもいい状態ってことですね。
そういうことですね。
自分でコントロールできる状態。
だからこれは何か意味ないなとか、もうダメだと思ってやめたっていうよりは、もうこれは本当にそのいろいろ言われてやってたら、本質を慕っていくことだなと思ったんで。そういう意味で、後々。この話はまた長いです。
はい。これは上水くんが登場するらへんで。
今これ2007年からどんぐらいの話だったのかな?3年間ぐらいですか?3対3回で。
スポンサーさんが参加してくれたのが2003回、あ、3回目。2009年か。
2009年。
僕登場するのが2014とかなんで、まだまだ全然出てこない。
そうですね、そうですね。まだまだですか、じゃあ全部。
多分2010年と2011年じゃないかな。
2009もいますよ。
いました?
はい。
じゃあ2009から。
結構昔からいますよ、2009から。あ、本当だ。2010からですか?
あ、ですよね、そうですよね。
第4回からか。
自分が3年生と4年生の時だったんで、2009はいなかったんじゃないかなと思います。
そうですね。
あ、でもすごいですね。ほぼ毎年やってる感じですよね。
そうです。
6年連続やったんですかね?
いや。
いや最後の何年か空いてるでしょ?2014にも参加してるから。
そっかそっか。
その、揉めてたんでね。
あ、最後だけ空いたんだ。
揉めてたんで。
じゃあ5年連続やったんだ。
やってます。
すごい。
でも、あの時しかこれはできないレベルのことです。
だから、もう相当な労力がかかってるのに、1円もお金入ってこないみたいな仕事なんですよ、これ。
いや、知ってますよ。最後の回が終わって、僕は、これまたその先話すんでしょうけど、ビクトリーに入った後に、なんかね、だいぶ揉めてましたね。
でも、なんだろうな、ほんとに、討論カフェをとにかくやりたいという思いと、その誰に?ってところがある意味定まった、そういう大事な自分にとっては、すごく思い入れのある過去の一つですね。
だから、やってよかったです。って感じかな。
でも、この3人がその体験を共有してるってのはすごいですよね。親子とディスカッションしたみたいなことをね。
ディスカッションの意義
そうですね。
あの難しさと、あとはね、うまくいった感動とかもありますしね。
そうそう。
それがきっかけで対話が活性化した家族とかもあるから。
でも、あの当時は何より、その価値観の交換って当時はまだ言葉になってなかったけど、
ディスカッションって言ってましたよね。
そうそう、とか、討論カフェって言ってたじゃん。
でも、あの討論カフェみたいなところで、ディスカッションコーディネーターのみんながすごい仲間として一緒に行ってくれた青春物語に近い。
青春っぽい。
青春物語だった気がする。
なんか、ちょっとワンピースっぽいというか、バス1台で仲間たちと。
仲間が全員。
そうそう。で、もう何か所が何か所もあって、それをクリアしていくみたいな、そういう旅ではあったかなと思いますね。
なんで、そったこやこで心の旅なんですけど、私の討論カフェの旅でしたね。
はいはいはい。
結構、でも、ゆむんはディスカッションコーディネーター結構やってたもんね、ちゃんとね。
そうですね。3回も参加したから。
毎回だって受けるんでしょ、研修はね。
そうですね。
っていう感じで、とにかく今日はそこら辺ですね。
ゆんくんと出会いました。
パチパチパチパチパチパチパチ。
やっと出ると。
やっとですね。
やっと出演できた。
ここから先は、なんかちょっとね、よりいろいろ言える可能性がね、知ってる時代にある。
ちょっと戻るタイミングがないんで、また。
ソッタク始まってから、終わってからかな。
しばらく開くんで、スターリーマン出たから。
じゃあまた知らない時の話とかも出てくる。
また出てきますね。
出てくると思います。
上水くんがね、年内に登場できればな、ぐらいの感じですけど。
25年以内のうちにね。
はいはい。お付き合いください。ありがとうございました。
ありがとうございました。
32:30

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