(話者: のぞみ、ゆん、上水優輝)
学校への営業、親子事業「そったく」の終了、そして経営者塾での挫折。既存の枠組みに無理に合わせるのではなく、自分たちが「しっくりくる言葉」を模索し続けた先に、独自の教育の形が見えてくる。
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サマリー
このポッドキャストの番外編では、東京での討論カフェの体験や参加者の感想を通じて、ビッグトリの歴史とその成り立ちが語られます。また、学校でのディスカッション方法の難しさや、参加者同士の関係性が話し合いに与える影響についても掘り下げられます。NPOの活動を通じて、スポンサーとの関係や教育の価値について苦悩しながら、自身の信念を見つけていく過程が描かれます。机の下に隠れるという衝撃的な行動も示され、参加者の子供たちへの思いが強まる様子が語られます。今回のエピソードでは、Dコートの歴史やその背後にある思いについて語られ、参加者が直面した課題や反発心が共有されます。特に、ディスカッション教室がどのように生まれたのか、その経過が興味深く描かれています。
討論カフェの体験
やっほー、番外編でーす。この番外編は、最初にコメントを読んだ後、私たちのビッグトリという会社の歴史をちょっとお話しする。
はい。
いい?
はい。いくつかコメントを読ませていただきます。
今回はですね、10月18日だったかな?にやった、東京でやった討論カフェ。
そうですね、みなさんありがとうございます、ご参加。
ありがとうございます。公開収録で3月8月って言ったんですけど、10月は普通に討論カフェだけやろう、みたいな感じでやったんですけど、そこに来てくださった方の感想をいくつかご紹介したいと思います。
千瀬さん、対面討論カフェ、オンラインでなく対面は初めてで、緊張したけどとっても楽しく価値観の交換ができました。感謝。
嬉しいです、ありがとうございます。千瀬さんはね、結構オンラインでも来てくれて、リアルでも話せたっていうのがめちゃくちゃ楽しかったですね。
初対面でした?その時、対面は。
いや、あのー。
別で会ったんですか?
はい、上水くんの晩餐会でお会いしましたね。
イベントでね。
最初は料理を一緒に作りましたね。
なるほど。
鈴野瀬さん、死ぬほど勇気を出して行った討論カフェ、楽しかった。因のものとして生きてきた自分が、人と価値観の交換、討論をして笑い合える未来が想像できたかって感じ。感謝。
そして、山下さんにオラクルしてもらえて、来年の指針もできあした。がんばろう。
おー。
何さんだったっけ?
鈴野瀬さん。
おー、分かった、今。
今分かりましたか?
はい。ありがとうございます。全然いいんじゃないですよ、もう。
分かんないですよね、そうかね。
オラクルってのは何ですか?
オラクルカードをね、持ってきてていた方が。
タロットじゃないけど。
山下さんって方がですね。
で、イベントが終わってから、時間があるじゃないですか、あの時間にオラクルカードで占ってもらったみたいな。
私も占ってます。
あ、そうだ。
興味なさそうですね。
東京に来てたかなと思ったんですよ。
そうだよね、ゆんくんがね、今回。
そうね。
次回は一緒に行こうよ。
まあそう、タイミング合えばね。
ぜひぜひ。
はい、次はですね、富士香里さん。
先週オンライン討論カフェしたところですが、東京での対面も楽しみ。
これまた対面終わる前か。
先週オンライン討論カフェしたところですが、東京での対面も楽しみ。
先週は、その恐れはどこから来るの?と、それ辞めた方がいいんだけど時間を戻せるとしてもやっぱりそうしちゃうなってことの2つでした。
山下さん用がバリおもろかった。
面白かったね。やっぱり戻ってもそうしちゃうなっていうお題は、参加者からもらったお題で。
それ面白いお題ですね。
そうなの。戻ったらするのになじゃない。
それ本編でもやりましょうよですかね。
それ辞めた方がいいんだけど時間を戻せるとしてもやっぱりそうしちゃうなってこと。
これ話したら面白そうです。
そこにね、その人の価値観が詰まってる素晴らしいお題だったんですよね。
ありがとうございます。
ラストですね。これは10月18日のイベントじゃなくて、最近招待制みたいな感じで、子育て討論カフェっていうのを実験的にやってますよね。
子育てしてる方限定で、結構リスクもあるから、気持ちやっぱ入るからね、子育ては。
なのでちょっと招待制って感じでやらせてもらってるんですけど、そこに参加していただいたこっぺさんからの感想です。
子育て討論カフェに参加しました。話したいこと聞きたいことは湯水のごとく止まらず、ここまで長尺で子育てだけにフォーカスしたのも初めてかもしれません。
また今度、親と子がフラットに行こうぜ幻想、話をしたいです。
いいね。来てもらってね。ゆんもね、リアルでは参加したけどね。
そうですね。いや、これでも話したいですもんね、この親と子フラットに行こうぜ幻想。
学校でのディスカッションの課題
最近、トレンドですよね。なんかトレンドだなと思いました。なんかトレンドっぽいなと思う。
あ、そうなの?
そんな感覚がありますけどね、フラットっていうのは。
なんか、やっぱり子育ての話とかはね、本当価値観が異なると、自分の子育てを否定されてる感覚みたいなのが生まれやすいんだよね。
だけど、それを乗り越えていろんな価値観とか話したいなっていう人は、もうぜひぜひウェルカムっていうかね。
ちょっと心はピリつくけどね。
ピリつくのか、やっぱり。そうですよね。
結構消化する線。
なんかその、正直財力もめっちゃ出るじゃないですか。
経済力。
何ができるかとか。
そうなんよ、そうなんよ。
うって思う人は結構いる気がしますね。
あとはほら、子供の人数やら年齢やらもみんな多様だから、そういう意味では、
そういうのを乗り越えて、いろんな考えを出し合うっていう。
興味がある方はね、ぜひ。
フォームじゃないけど、なんか言ってくれたらね。
まずはでも討論カフェにね。
普通の討論に参加したりとかはしないと、いきなりこそで討論カフェに参加したら危険だと思う。
そうだね。まず討論カフェがアウトだったらアウトだろうね。
確かに。先に討論カフェにぜひ。
こっぺさんもありがとうございます。
ありがとうございました。
こっぺさん、お誘いさせてください。
お誘いさせてください。
というわけで、番外編というか、歴史、ビッグトリーの歴史の方にいきたいと思います。
前回は2015年のところまで話をして、2015年になったぐらいのところまで話をして、
僕がついにね、登場しましたよ。
そう。ごめん、めめずくん登場したのに、また一回後ろに下がるわ。ごめん。
何年前ぐらいまで戻るんですか、そこから。
いや、そんなに戻らない。一番戻るのは2008、9とか、7、8とかから戻る。
7、8年前戻るんですか。
いや、なんかね。
起業する前じゃないの、それ。
起業する株式会社になる前。ごめん。
何でかっていうと、この後、めめずくんとDコートを一緒に作るんよね。
この次の回で。
そうなんですね。
そうなんですよ。その前に言っとかないといけないことがいっぱいあるんで。
なるほど。前提みたいな。
前提を揃えておきたいんで。
なので、ちょっとDコートっていうディスカッション教室を作る前に、私のキーポイントとなった歴史を話させてください。
はい。
1個目ですね。
はい。
今ほら、中高生向けにディスカッションの討論カフェをしたいっていう思いは、創業期から何も変わってないんですけど、
どういう形でやるかっていうところは、学校に営業したりしてたの覚えてます?私たちが。
だから、学校でやろうみたいな、単純にね、そういう学校からお金をもらって、私たちが行ってやるみたいな、そんなイメージをしてたわけ。
でも、なんで私は民間で、こんな習い事でやりだしたかっていうのには訳があって。
それがね、実は最初学校に営業したときに、ほぼほぼ断られたんだけど、いくつかのツテで、高校でこの討論カフェを3回コースとかでさせてもらったことがあるんですよ。
で、本当に努力と才能どっちが大事とか、そういう友情のポイント3つとか、いろいろなそういう討論カフェっぽいことをさせてもらったときに、本当に衝撃だったことがあって。
それが、学校に行って、そのクラスで6人ずつグループを組んで、ディスカッションコーディネーターも4人とか連れてってるの。
40人クラスとかってことね。
そういうこと。それで、当然だけど、全然ビジネス的にはアウトなんだけど、自分の理想通りにやりたいから、そういうふうにしてたわけ。
で、私は思いっきりみんなに意見を言ってもらおうと思って、そのときはまさに努力と才能、人生でどっちが大事かみたいな議論のテーマだったんだけど、
ディスカッションがちょっと進んで、女子高生の女の子が、私はちょっと教団にいてみんなの様子を見てたりとか、時間配分とか司会進行とかしてたから、
テーブルにしっかり入れなかったんだけど、てててててって女子高生が来て、先生、このディスカッションは最後、努力が大事って言わせたいんでしょって言われたよ。
それで、え、私は何か言わせたいということは一つもなかったんだけど、そんなこと言われるとは想定もせないから、ただただ驚いて、いや、そんなことないです。
え、どっちですか?って聞いて、ごめんなさい、言わせたいとかなくて、あなたはどっちですか?とか言ってたら、ああ、うん、みたいな感じで戻ってたんよ。
でも、私にとっては衝撃で、何か言わなきゃいけないことがどうもあるらしいぞって、学校には。
まあ、ありますよね。先生が言ってほしい。
そこで初めて気づいたわけですね。
そう。
学校社会について。
それで、そのあと何人かの人に話したら、学校って目当てってあるんよ。この授業で、何、どこにたどり着かせるかみたいな。その目当てが、たかやなぎさんないんじゃないですか?とかって言われたよね。
はいはい。
そんなものはないってなったんよ。
はいはいはい。
つまり、女子高生云々の話とちょっと、それがベースでその人と話したわけじゃなくて、学校関係の人たちからはずっと目当てが大事で、その目当てを明確にしてディスカッションのテーマも決めなきゃいけないですよねっていう話をかなりされて、
それで、そんなものはないですっていう気持ちをうまく言葉にもできず、ただただもやもやしてたのが、その当時の学校でやった討論カフェなんですよ。
で、もう一個、私が学校でやって、難しいと思ったのがね、今のディスカッション教室は中高生、ぐちゃぐちゃでやってるじゃないですか。中学1年生から高校3年生までで。
混ざったってことね。
そうなんですよ。で、しかも学校もみんなバラバラだったりするんですけど、当時は一クラスでやるので、その何年何組のところの教室に行ってディスカッションしてたんですよ。
そしたらね、やっぱり中心人物の意見に反論できないっていう、やっぱり人間関係が連続しているので、その子に反論したら次の日の人間関係が変わっちゃうんですよね。
そうですね。
それで、どんなに振ってもわかるとかしか言わない子とかがいて、やっぱクラスの中って人間関係が固定、固定かとまでは言わないけど、やっぱりすごいこう。
政治がありますよね。
うんうん。勝ち顔思いっきり出しましょうっていうこと自体がすごく、結構ひどいじゃないけど、なんか私はすごい、なんかみんながやりにくいことをやらせてる感覚もあったんよね。
そうね。
逃げ場がないですもんね。
そうなんよね。
学校辞めるわけにもどうせ行かないし。
そうそうそうそう。だから自分がやっていることと、学校という場みたいなところに、なかなかおりあいというかチューニングができずにいました、10年間っていうのが一つ、皆さんに知っておいてほしいところですね。
学校でチャレンジした後は、そったくとかもあったじゃないですか、そういう場を移しながらいろいろ模索したみたいな。
そんな感じです、そんな感じです。それで学校は、ちょっとそういう意味で言うと、なかなか取れないっていうのももちろん大きいんだけど、結局ちょっとほとんど仕事がなくて、そったくをやりませんかって言ってそったくを始めたじゃないですか。
ビッグトリの歴史
これはそったくの回を聞いてもらえばいいんですけど、そったく親子で心の旅っていう、中学生の親子を旅行に連れてって討論カフェをするっていうのをやったんですけど、そのそったくもやめちゃいました。
はい。
はい。
2014年の僕が最後。
そうですよね。
最後だったですもんね。
そう、でもその最後に2人は出会ったからね。
出会いましたね、その回で。
良かった。
そったくもあれですもんね、なんかいろんな大人たちの思惑が。
そうなんですよ。
まあ邪魔というかね、足枷にというか。
なんか本当に。
そういう話でしたね。
NPO活動の葛藤
ちょっとNPOっていうお名前を借りつつさせてもらってたんだけど、実質運営はほぼ私とバルちゃん、トモカちゃんと2人でやってたんだけど。
NPOからその委託されてるみたいな形になってたんですか、形上は。どういうことですか。
NPOの一員としてやってるって感じではあるんだけど、それで、まあ今はさ、クラウドファンディングみたいなのね、たくさん仕組みがある。
確かに、当時はまだね、なんかあった気がする。
ないよ。だからなんか、一件一件企業に頼み込んで、親子で討論カフェする予算みたいなのを語って。
スポンサーになってもらうってことですよね。
そうです、一口。一口平均10万とか結構いただいてたんですけど、結構私たちの活動を応援してくれてる人が紹介とかしてくれて、いろんな会社に行けたんだけど、その紹介してくれた人には言わないんだけど、顔があるからお金出すだけだよとか、
結局これバス1台で10組も行ってないんでしょ?何の効果があるの?とか、今からグローバルだから親子で話すとか、どうなの?とか、なんかもう本当に。
賛同してないような人がスポンサーに、付き合いでスポンサーになっているみたいな状態だった。
そうなんですよ。で、それでも紹介された人からは、ちゃんと頭下げてやりなさいねみたいな感じで言われて、もやもやしたのが、私ほとんど自分のポケットに入れてないんですよ、そのNPOの活動費を。
もちろん運営費と自分たちのビビタル、一応活動費みたいにはもらったけど、すごいそれで給料が増えたりとか全くしなくて、当時若かったからそう思っちゃったんだけど、
自分は、これが社会のためになるみたいな、そういう気持ちで、別にお金のためにやってないのに、なんで私がありがとうございますお願いしますって言い続けるんだろう。お願いしますって言えよとか思ってたよ。
最悪でしょ。最悪です。本当に最悪です。ぐらいに思ってた。気持ちとしてはそれぐらい必死だったから、あと余裕がないからそういう気持ちにもなってたんだと思うよね。それでもう最後ね、やっぱ大揉めして、もうやらねえみたいな。スポンサーの人たちに。
もう一番大事なスポンサーにやらないみたいな。で、最後これだけやろうって言って説得されて、やったのが上水くんとユンくんが参加した。
その時はもうビッグスポンサーがついてくれたから、何件もお願いしてもらわなくて済んだっていうのは大きかったんですけど、スポンサーは報告書とかも長々作らせたいから、でも私たちは運営もするのに報告書作りもしなきゃいけない。
で、もう生産もしなきゃいけないみたいな。なんか本質的なとこじゃなくて、スポンサーが喜ぶ報告書を書くみたいなのに、もう1ヶ月とかかかるわけ。
なんかブラック労働化した教師みたいですね。
でもわかんない、本当はスポンサーも頑張ってねっていう気持ちはたくさんあった人たちもいっぱいいたんだけど、実際上にどんどん上げてかなきゃいけないじゃないですか、決済。
だから担当者レベルではすごくいいねって思ってても、自分が決済で説得するためにはこういう書類がいるとか、こういう報告書がないと困るっていうだけだから、別に全てのスポンサーに問題があったわけじゃないんだけど、
そういう社会の渦の中で耐えきれず、もう自分が自分のお金でできるようになってからするみたいになって、あの説得をやめました。
もうこれは今、この場を借りて全ての皆さんにお詫びを申し上げたいレベルで、当時やばかったんですよ。本当にみんなに迷惑かけて。
ディスカッション教室の設立
そうなんですね。
そう、もう準備してるよとかいう企業さんもあったんよ。来年も予算取ったよとか言ってくれる企業さんもいたんですよ。なのに、やめますみたいな。ぐらい反発しましたね。
尖ってますね。
本当ね。でも今振り返っても同じことをしたと思います。
恐ろしいよね。考えただけでね。
そうなんですよ。それで親子でディスカッションするのがあまりにきつかったから、まずは子どもたちだけ、まさに私がもともと思ってた中高生とまずはじっくり話したいという思いはさらに強くなったという。
ある意味、自分がやってることが意味がある気がするって思えたのは、そったくんのおかげだと思います。
もしかしたら学校だけだったらそれ自体は諦めてたかもしれないけど、討論カフェの価値みたいなの感じました。
それで二〇何年だったから、四年か十五年に、上水くんと出会った。
出会ったのはもっと前に、十三とかに出会ってるんですけど、学校でね。
入ったのが。
入ったのが十五。
十五か。じゃあその一年前ぐらいから、五年後うちの会社をどうするかっていうのを、社長さんたちが集まって一緒に考えるみたいな企業家っていうか、そういう企業家たちが集まって、
それをみんなから壁打ちとかしてもらいながら、自分たちの五年後の事業プランを発表するっていう。
経営者塾みたいなやつ。
そうです、そうです。
よくありますよね。
それに、ちょっと人づてに、参加してみてって言われて、参加しました。
そこで、よしと、じゃあDコートっていう、当時はまだ名前をね、はっきりしてなかったんですけど、ディスカッション教室を発表しようと。
意気揚々と行きます。
大学でね、討論会のビジネスプラン、優勝してるからね。
そうなんですよ。
過去の栄光もありますからね。
いけそうな、やれば勝てそうな気がするっていう、あったんじゃないですかね、気持ちは。
全然ないです。むしろその参加費が十万円で、その社長さんに借りましたからね、私。
十万借りてくださいって。
十万借りない会社が五年後ドヤ顔で喋るわけね。
でも人からね、お金を借りれるってのは社長のお手伝いじゃないですかね。
確かに。
そうそうそうそう。で、それでなんか出たらですね、ボクソに言われたんですよ。
ある教育系の教授、ビジネス系の、ビジネス系の商業、小学部みたいなところの教授なんですけど、
比較的若くて、当時たぶん四五十代ぐらいで、ちゃんと自分でもビジネスしてたし、それがどっちかというと大学生とかそういう育成系のビジネスだったから、
ある意味教育っていうビジネスにたぶん厳しかったのもあるんですけど、
あなたが作るディスカッション教室で、どういう子になるんですか?社会にとってどういう価値のある子になるんですか?って言われるんですよ。
それは私には決められませんって言ったんですよ。
それは社会がどうなってるかもわかんないし、その子自身がどんな価値を出したいかもわからないので、
私がこうなるとは言えませんって言ったら、それビジネスじゃないなって思うんですよ。
で、なんかよくわかんなくて、例えば組織の中で活躍できる人とか、グローバル社会で自分でクリエイティブにやっていける人とか、そういうのだよって言われて、
もう全く反論する言語がないんだけど、そうじゃないだけがすごくて泣いたんですよ、そこで。
そして、もうどうしようもなくて、それを受け入れられなすぎて、机の下に潜ったんですよ、私。
災害かな?
それだって社長育成塾みたいだったでしょ?
そう。
机の下に潜ったんですか?
そう。もうどうしていいかわかんなくて。社長さんが10人ぐらいいるんだけど、みんな。
前で、一旦ちょっと机の下に隠れて。
どうしていいかわかんなくて。
どうしていいかわかんなくて。動物の本能ですね。
で、すごい言われて、しょうがなく発表まで出て。
机の下に入ったとどういう対応だったの?みんな大丈夫だったの?優しくしてくれたの?
一旦休憩入りましょうとか言って。
大事だったんですね。なるよね。
みんなが慰めてくれたりして、やっぱね、まだ言語化できんかもしれんけど、高柳さんが思う、こういう子っていうのが、やっぱビジネスとして大事だからっていう慰めすらも、は?みたいな。
違うって。こういう子とかじゃないし、とか言って。
自己発見の旅
なんかもう、当時ほんとに言語化できてなくて。
なんかほんとに、ディスカッション教室をしたいんだけど、なんかね、ちょっとこう、当時の感覚よ、当時の感覚よ。
私は子どもたちを作る工場みたいなのを作るわけじゃないんだぞ、みたいな、そういう感覚がすごくあって。
そもそも言うと、学校教育の中で職業を言うじゃないですか。あなたの夢は何ですか?って職業を必ず言うじゃないですか。
あの影響が強そうですよね、なんか。
子どもたちにどうなってほしいかっていうのに、それがその感覚で育ってきてるから、私たちは。
だから、なんていうかな、こういうことが、こういう感じのとかっていうのは、なんかそうじゃないみたいな、社会に受け入れられなそうなことをやっぱり言わないといけないから。
そこが、なんか当時のまだ難しさなのかなと。
まあそうだね、そうだね。
具体的かつ俗っぽいことを求められますもんね。
やっぱり、あとそれは大人がなってほしい、また子ども像もあるし、本人たちがどうしたいかとまたイコールじゃないときもあるし。
まあでも当時はそこまで本当に言葉がなかったし、それで一緒に議論して、少なくとも自分がこうもう名を探っていけばよかったんだけど、それこそなんかそこまでのなんか体力がなくて。
しかも、その辺言ってないからわかんないけど、そういうのって一般的にちょっと大会系で、講師がめっちゃ偉くて、なんか教えてやってんだぞみたいな、従いみたいなのがすごいあるじゃないですか。
なんていうか、詰めるっていうのが、まあ出る杭は打たれるじゃないけど、打たれても打たれても出てこいよっていう、そういうスポコンみたいな感じは確かにあったと思うね。
ありました。
だから、まあ泣くというね、もう手段しかなかったんです、私には当時。
机の下に入ると結構面白いですよね。
いやもうどうしようもなくて。
これ聞いてる方も結構それ使えるんじゃないかな、会社とかで怒られたりとかして、泣いたりとかしたらなんか突っ込まれるけど、机の下まで入ったらもう、ちょっと痛い休憩入ろうってなると思うんですよ。
そうかもね。だからなんていうか、そういう拒否というのを、というのをまあ体現したつもりです、自分では。
で、発表も言わず、こうなるとは言わず。
あの、別にその発表も最優秀賞とかもらわないけど、もらうんですけどね、最優秀賞とかの人もいるんですけど、そういうのもなく。
まあそういうのはだって基本フォーマットがあるから、どうなりたいとかどういう課題を解決したいみたいなのがあり、そのためにこのような方法があり、なぜそれで解決できるのかということを示し、
そしてその授業がどういう体制で、どのようなフェーズを得て、どういう時間軸でどう進んでいくのかってことをやる。そのためにこのお金がいるからどう調達するのかとかってことを言わないといけない。
ごめん、もう今、その1分の話も苦手なんだ。その話すらも聞きたくない。
確かに、何かを買うの、Amazonとかでもいいんですけど、何かを購入するのって、生活が何かしら変わるから購入するわけですよね。
何かを学ぶ、教育ビジネスも何かができるようになるから金課金するのに、それが言えないって確かにビジネスじゃないです。
いや、だから今思えばその人は本質的なこと言ってくれてたと思うよ。君のはビジネスやってないよとか、それじゃサービスじゃないよとかっていう。
なんだけど、誰がやりたいって言ったそんなことっていう気持ちもあったよ。何かやりたい前提で言わんでくれみたいな。それもチューニングがあまりに。
前提がありますからね。10万払ってそこに行って経営者として立派になりたいですみたいな前提の一応エントリーしてる10人の中に、何か分かんないけど、金借りてきたものの、そんなん言語化したくねーよっていう人がまたあったりするでしょ。
そうね、ほんとそうね。でも、お金貸してくれた人とかめちゃくちゃ優しくて、自分の事業を見つめる機会になればよかったんじゃないのとかって言ってくれる人で、
だからその会に参加したことは後悔してないんですけど、でもその時に確信しましたね。
Dコートの歴史と反発
なんか、こうなるとかじゃないみたいなことだけは、逆に反発をそのまま自分のアイデンティティにした、アイデンティティか、その事業のアイデンティティにしたとこあるかなと思いました。
こうなるとかじゃないってか、その。
安易に言語化しないってことですよね。
まあそうね、というか。
結局どうなるはあるんですよ。Dコットにも。あるんだけど。
Dコットにもあるの?
やっぱり抽象度が高くて、その抽象度の高さをどう言語化するかはめちゃくちゃ慎重にならないといけないくて、それはたぶん上手にできてないと思うんですけど、まだ僕たちも。
けど、なるは実際にあって、今までこの10年くらいやってきて、なってるんですよ、子供たちが。
だからそれを何と言うかってのは結構難しくて、抽象度が高いから。
たぶんそうね、いや今もっと10年たって気づいたけど、簡単に言いたくないってことだろうね。
それをしっくりくるまでは。
そういう言葉はいっぱい世の中にあるから。
確かに。
それをピックアップして、こうですって言うこともできるけど、そうするとなんか違うなって感じがして言いたくないってことでしょ。
確かに。
だから自分たちの言い方ってのを。
ずっと模索してるところですね。
進歩は必ずしてるんですよ、子供たちも。
でもどう進歩するかを決めるっていうのがかなりむずいというか。
レイヤーがすごい抽象的だから、具体的に字がうまくなるとかだったら何段とかできるわけじゃないですか。
そうなんですよ。
価値観何段とかできないし絶対。
そうなんですけど。
ディスカッション何段って別にスキルを教えてるわけじゃないしみたいな、結構やっぱ難しいので。
そこはね、やっぱり会社の課題ではあるけども、でも何にもなりませんって話ではないから。
もちろん。
そこはね、難しい話だなって。
きっと、はい、そうですね。
そういう思いがどっかで、なんかみんなが別に、そうね、なんか今回は、これはこの歴史話と思いましたけど、
たぶん私はそういう意味で言うと、自分がしっくりこないときに、無理やり枠みたいなものに入ることにすごく苦手なんだろうなとは思いましたね。
でも、結果的に今一緒に考えるね、こうやって一緒に考える人がいるんですけど、
その会は、その人、特にその突っ込んでくる人は、ともに作る気はなかったんですよ。
詰めてね、負荷をかけて、それでも耐え抜いて、先に出てきたものこそがいいものだ、みたいな感じでしょ?
しかもその人が、俺はなんか組織で変革を起こせる人っていうのをやってんだよって言われて、ふーんと思って、全然その人に会えたくない、みたいになっちゃって。
なんかね、なんかそういうところはちょっと自分の良くないところなんですけど、でも私のこのこだわりとか反発心みたいなのが、ある意味そのDコートの不責にはなってるんですよ。
わかります?で、もう一つは子供たちから言われたこととか、その学校で、こう、あら、なんか討論カフェ難しそうだな、みたいな実体験とか、
ソッタクでのあらゆる構造の問題とか、全部を集合して、次回、ディスカッション教室Dコートが生まれます。
なるほどね。
わかりました?なんかあります?結構話したんだよ。
意外に。
ディスカッション教室の誕生
意外と知らないような、机の下に隠れたなんてこと知らなかったね、今のところまでね。なかなか知らない物語が出てきて面白いなと。
そうだね。
ヤン君結構知ってた話?
いや、初めて聞きました。
ほんと?
はい。
その会に行ったことも知らなかったっけ?
いや、それも知らなかったですね。
あー。まあでも、Dコートの話は今後3人たくさんできると思うので、ここまでは結構、2人はあんまりって感じじゃないかな?
うんうん。ほんとに物語をね、知らない物語を聞いてる、半分知ってる、半分知らないみたいな話を。
そったくもそんなに嫌だったと思ってなかったね。当時、学生で、まあ卒業したしてたかな。学生の時もあったと思うんですけど。
そんな大変だったんだとか、そんな嫌だったんだって思いました。
まあ、嫌とかよりも、もうほんとに戦ってたね。
だからそういう意味で言うと、こう、いい子になりきれなかったっていうのあるよ、この10何年。
いい子にする気はないというか、もうせっかく自分で独立したから、ある意味でわがまま通すぞぐらいの気持ちあったけど、それにはやっぱ責任が伴うからさ、仕事がなくなったりとか、誰かの迷惑かけたりとかあるから、その辺はもういまだに大反省していますということを許してください。
まあ、そういうね、時期を越えてって感じですかね、人間にね。
そうそうそうそう。だからね、今反発してくる人が私の前に現れたら、たぶん感動すると思う。いいね。
机の下に隠れる人現れたらね、あの頃も自分見てるよ、だっつって。大丈夫だよって。
そうね、みんな机の下に隠れてください。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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