1. 1000人の声あつめ
  2. #2-219 2025年10月7日/此花区..
2025-10-27 19:44

#2-219 2025年10月7日/此花区/ 咲州/6

#2-219 2025年10月7日/此花区/ 咲州/6

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古い記憶は、1970年の前の大阪万博で覚えている記憶が、まず一つ、人の頭越しに、遠くの方に円柱型のガラスケースみたいなのの中に、いしころがあるっていう記憶があって、
あとの知識と重ね合わせると、たぶん身長180センチぐらいの父親が、当時3歳の私を肩車して月の石を見せてくれたんだろうなって。
あとで、あとの知識と組み合わせて思いました。
もう一つは、どっちが先かわからないんですけど、なんか人の足の間の奥にお掃除ロボット、なんかこんなモップかほうきをこうやってくにゅくにゅってやってるのが動いてるっていう視覚情報も覚えてて、それも何だったんだろうと思ってたんですけど、
私、東京の大学、石川県出身で東京の大学行って、それで関西に来たときに、大阪梅田の歩く歩道を見たときに、それは実は元大阪万博にあったやつなんだよって会社のアナウンサーの先輩に聞いて、その情報と重ねて、ああって言って、
そっかじゃあ、あの歩く歩道に私は乗ってて、人の足の、身長がすごく低かったから3歳で、人の足の間からお掃除ロボットを見てたんだなって、それも後になっていろんな情報を重ね合わせて、そのときの記憶かって、全然ないです。
私は貯金箱持ってて、いつか引っ越しのときになくしたんですけど、貯金箱持っててお小遣い入れてたのは覚えてます。
一人遊び、みんなとじゃなくて、一人の遊びですか、兄弟が姉がいたんで、一人で遊ぶってことがあんまりなかったかもしれないんですけど、
田んぼが周りに結構あったんで、田んぼの中の道、あぜ道をバランスよく落ちないように歩くっていうのは田舎ならではの遊びとは言えないかもしれないんですけど、うまくあそこからあそこまで行ったら、なんか勝ちみたいな、そんなのが一人遊びとしては、
もしかしたら姉も姉だったり友達だったり一緒だったかもしれないんですけど、自分の中で覚えてるのは、それですかね。
ザリガニ、ザリガニは捕りましたね、よく。釣りですかね。あとなんか、なんていう魚だったか、頭がでっかい、食べられない魚もよく捕りましたね。
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いや、なんていう魚なんだろう、あれ。田んぼの近くの用水路なのかもしれないですね。
頭がね、めっちゃでかくて、これでこれ食べられるって家族か誰かに聞いたら、これは頭が大きくて身がないから食べられないんだよって教えてくれたのを鮮明に覚えてるんで、
確かに頭がでっかい魚だった気がします。これ未だに何なのかわからないんですけど。
自転車で坂をザーッて駆け下りるのが大好きでしたね。そうなんですよ。
そうですね、そういえば田んぼのあぜ道もそうだったかもしれないんですけど、なんかちょっと怖いことが生きてる感じがするのかもしれないですよね。
何回もありますね、坂だったし。それが意外とないです。かすり傷は多かったんですけど、全然運動しない姉が自転車から落ちて大骨折してたのはすごい覚えてますね。
全然無事でしたね。ちなみに大人になってから何年前かな、2010年ぐらいに自転車でこけて、もう骨見えるぐらい削れたんですけど、そのときは骨折れなかったんですよ。
なんかバランスの取り方、なんかしてるんでしょうね。きっとそういうちっちゃい頃にちょっと危ないことするって意外と大事なんじゃないかなって思います。
そうですね、得意でしたね、運動は。
近くから都会に行ったときに、なんか人が違ったとか。
もうめちゃくちゃあって、水がまずい。だからご飯もまずい。
水だけじゃなくて、それまでガスで5号とか6号、家族の分炊いてたのが、なんか1号をちっちゃい安い電気釜で炊飯するっていうのももしかしたらマイナスだったかもしれないんですけど、やっぱりでも水そのものがまずかったんで。
で、その当時まだ水のペットボトルとかそんなに普及してなくて、ただただまずかったですね。
まず水をそのまま飲まないくなりました。沸かしてお茶とか。
で、ご飯も、なんかご飯といわゆる広大調味で食べるよりもカレーとかをよく食べるようになって、だからあんまりそこのときの味覚の経験はあんまり良くないかもしれないですね。
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味付け濃くなったんじゃないかなと思いますけどね。なんかかけて食べるとか、学生だったのもあって、そういう料理が多くなりましたね。
それが、今日も会社でそういう話になったんですけど、皆さん今お仕事してるじゃないですか。
今日もお昼休みに近くの自転車ショップでなんかちょっと見なくちゃいけないものがあって、見たらそのショップの親父さんが60歳くらいの方がね、最近なんかアイドルのキャンディーチューンっていうのにハマってるって言って、
今度なんか抽選会でなんとかとか楽しそうに話してたんですけど、私そういうのがなくて、唯一アイドルとかなんかそういうのと別に夢中になったのはバスケットを小学校4年生くらいから高校まで夢中になってやって、勉強を全然やらなかったですね。
先生にいつもバスケットじゃ食っていけないよって繰り返し怒られてましたね。
なんですかね、中学校の時の部活の先生が、それからいろいろ、例えば息子のサッカーの顧問とか見ても、あれはめちゃくちゃいい先生に最初から当たってたんだなって、やっと分かりましたね、大人になってから。
それは本当に何回かやっぱり最後のシュート決まって、それで逆転して勝ったとか、今でも覚えてる試合があったり、中学はそれこそちょっとスラムダンクっぽいんですけど、当時寝上がり中学っていう、松井の出身地の寝上がり中学、
寝上がりって実は野球じゃなくてバスケットが強い町なんですけど、そこの中学が県内の急練習をしてたんでしょう、当時。
それで一回戦からそこに当たって、我らみそぎ中学が。それで勝ったんですよ。勝ったんですよ。初めて勝ったんですよ。その練習試合でも勝てなかったので初めて勝って。
でもダブルヘッダーって分かりますかね、2試合。相手は1試合目なんですよ。ひどくないですか、中学生で。
なんかシードはなかったんですよ。寝上がり中学もシードじゃなかったんで。県内の1位と2位が一回戦から当たってシードなしだったんですよ。
次に勝ったらその一回戦がない白衣中学と対戦で、もうめちゃくちゃ疲れてるじゃないですか、2時間後とか。それで負けちゃったんですよ。
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そうなんですよ。いまだにあれなんでシードない、理不尽ですよね。そうなんですよ。当時の考えはそれが公平っていう考えだったんでしょうね。そうなんですよ。
だからすごくいい思い出ですよね。そこででも優勝できなかったけど寝上がり中学に勝てたってすごくいい思い出ですよね。
そんなにも仲良くなかったんですよ、同級生同士が。なんか私キャプテンやらされてたんですけど、よくある話でキャプテンやりたい子がちょっと私のこといじめるみたいなのあったんですよ。
女子のね、本当に。小学校のバスケティームとか。しかも双子の兄弟のうちの一人だったんですよ、姉妹のうちの。双子って強いんですよ。絶対一人にならないんで。
男子ちょっと違うんですけど、女子、男子の双子ちょっとまた。男子の双子はその2人が仲悪いってよく聞くんですけど。そうなんですよ。女子の双子は2人がもう本当に一緒になってて、絶対一人にならないから強いんですよ。
絶対ハミゴにならないんで、すごく強いんですね。その子からちょっといじめ、今その当時は自分で認めたくないからいじめられてると思わなかったんですけど。そんなのがありつつ、でも試合に勝つっていう意味では完全に共有できてたっていうところが、中学校のバスケ体験の私は一番崇高なところだなと思ってて。
そうなんですよ。スラムダンクも全然仲悪いでしょ。主人公とカイレーとか。最後に勝った後にパーンってやるじゃないですか。カイレーちゃんと。ちょっと綺麗に言ったらああいう感じですよね。
それはすごい。恋愛はなかったんですけど、私めちゃくちゃ女子にモテて、高校時代に2つ下の女の子がめちゃくちゃ私のことを好きでいてくれて、なんか視線感じてパッて見たら、それこそ本当にこういう影から見ててキャーって逃げてくみたいな。
受験の時とか、一人でマジでセンバーズルを追って、手紙も送ってくれて、もしかしたら実家にあるかな。女の人を好きになるなんて変だと思ったけど、でも好きなんですみたいな。完全プラトニックですよ。
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男子にはモテなかったんですけど、女子はめちゃくちゃその子にモテたり、道歩いてて鳥木さんだみたいに、他の学校のバスケット部の子が言うみたいなのはなんとなく。
あれって最初意識しなかったんですけど、何回かあって、これなんか私すごいちょっと有名になってるみたいな。そうですよね。で、高校入ったら一緒のチームメイトになった、違う中学から来た人がめっちゃ憧れてたって同級生だけど言ってくれたりとかしたの。
やっぱりその時が最初かな。やっぱりあの時ひそひそ言ってたの。やっぱり私の図々しい妄想じゃなかったんだとか。後で分かりましたけど、もうそんな感じで。本当のプラトニックはありました。
でもすごくその思い出で一番私の中でエピソードとして面白いのが、その子めっちゃくちゃ可愛い子だったんでしょ。私に好きでいてくれた子が。その子は後日東方シンデレラってすごく有名な、澤口康子とか出したコンテストで準グランプリになったんですね。
でもお家がすごく固いお家で結局言語界入らなかったんですけど、それくらい可愛い子だったんでしょ。だから女子、男子はちょっと男子頑張れよって思いましたね。でももしかしたら今すごく思うのが、可愛い子って小さい時にいたずらとか受けるじゃないですか。
そういう影響あって私のこと好きでいてくれたのかなとか、それは今話す人のことがないから。私でもいたずらされたことあるんで、その子ちっちゃくてめっちゃ綺麗な子なんで、そういう影響もあったのかな。そうだとしたら切ないなってすごく思いますね。
そうですね。なんかちょっと子供との向き合い方が変わったかなって思いますね。私離婚してて、しかもちょっといろいろあって、例えば彼にも事情とか思いがあったんでしょうけど、私を鍵かけて家に入れなくしたような感じで子供と私別れたんですよ。
だからすごい悲しい別れだったんですよ。それで多分、今思えば罪悪感、私が罪悪感持たなくてもいいかもしれないけど、罪悪感があってすごく子供に損得っていうのかな、なんか減り下ってたっていうか、みたいなところがあって、それが故に言葉悪いですけど子供が私を舐めるみたいな、大事にしないみたいな現象起きてたんですよ。
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それは子供のために良くないんじゃないかなって思って、ちょっとスタンス変えたっていうのがすごくありがたいっていうか、そういう勇気がなかったんですよね。やっぱり子供に嫌われたくなかったから離れて暮らしてるし。
でも嫌われるよりも怖いことってきっとあるなって、子供がちゃんとプレッシャーかけるような人間の言うことを聞いて、自分のこと愛してくれて受け入れてもらってる人をおろそかにする。
本当に大事にして、考えてくれる人よりも怖いっていうかプレッシャーかけてきたりするような、申し訳ないけどそれも父親なんですけど、そっちの言うことを聞いて、そっちに忖度してどっち選ぶってなったときに、そっちの方を選ぶって。
父親と母親はもう彼らの長い人生の中で、もしかしたらロールとしてはちっちゃくなるかもしれないけど、これから例えば会社に入って大事にすべき人と、おろそかにしちゃダメな人って出会うかもしれない。
例えば恋人だったりね。恋人と会社みたいなときに、会社なんかずっと。本当はよくあるのは男性だったら会社の方を大事にして怖いから給料もらってるし、奥さんを大事にしないとかありがちじゃないですか。
なんかそういうふうに息子だったらならないかなって思ったり。ただ私暴力も受けたんで、やっぱりちゃんと暴力を受けてる人間から逃げろっていうのは背中見せたと思って、それには誇り持たなきゃなって思ったり、だから罪悪感を感じる必要はないなっていうふうに自分で思ったり。
対話を通じて、そうだ対話を通じて自己理解が深まったってことです。日経の記者の人が私インタビューしてくれた記事って見たことあります?
それは本当にそんな感じのことを書いてくれてて、鋭いと思って。11回くらい来てますからね。
対話を通じて万博?
完全に忘れてましたけどね。
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そうそうそう。それはちょっと楽しかったですね。で、今度私スイタに引っ越すんですよ。18日に。
そうなんですよ。だからすごく、そんな感じかな。それが繋がってて、一番なんだろうな。
自分のこうしたああしたとか、具体的なものじゃないけど、空間とか時間的にそういうのが繋がってて、それは楽しかったです。印象的でしたかね。
それがね、昨日見つかったでしょ。昨日私ヘルスケアパビリオンでやってた大阪テックなんとかっていうイベントあったので、ご覧に行きました?
なんか、言ったらイノベーション頑張ってる、そうですそうです、スタートアップ企業がたくさん出てて、
学生さんが起業した会社とかたくさんあって、そこでちょっと繋がって、絶対ちょっと私そのプロジェクト入れてって言って、名刺交換して、
面白かったのが、あそこで名刺渡しちゃいけないって言われてたんですって、運営から。だから、落とすから拾ってくださいねとか言って、
繋がったので、そのプログラムというか、そのプロジェクトめっちゃ楽しみです。で、それもね、そのアイディアも対話の中から出てきたんです、息子との関係で。
これ、他に絶対使わないって約束してくれるんだったらここで話しますけど。
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