いわゆるハイカルチャーみたいなものを、農家とか美術館があるってことを文化っていう、すごい狭い意味での、
ハイカルチャー的なものを文化って呼ぶのか、
大衆文化的なものを文化として捉えるのか。
AVみたいなのも人と文化だよね。
ハイカルチャーとは考えてないですね、確実に。
それで言うと人んちに遊びに行くとか、めっちゃ本当はリアル文化だよね。
非文化をのぞく瞬間みたいなね。
実はそういう文化的だなって思ってないけど、実はそう触れてるものとかはね、文化的なのかなって今、ゆんの話で気づいたけど。
東京好きなんですけど、東京遊びに行くときに必ず、必ずというか多くの場合は、歌舞伎町に泊まるんですよ。
文化的だなって思う。
たくさん人がいて、新しいものが、いい悪い別としてですよ。
生まれてるじゃないですか、明らかに。
知らない文化に増えるって意味で文化的だなとか。
それがめっちゃ分かる。
みんな日本語喋ってるんですよね。
外国人ももちろんいるけど。
で、福岡とちょっと違うわけですよ。
みんな日本語喋ってるのに違うんですよね。
それがまたいいなと思ったりはしますね。
わー、なんかそう考えると文化的だな。文化に触れたなって思うみたいな。
異文化に触れたときかもね、確かに。
僕はやっぱ人と喋ってるときが一番思いますよね。
特に公園とかはまさにそうですけど、あんまり同じ属性の人は来ないね。
いろんな仕事をしている、いろんな年代のいろんな地域の人が来るから、なんか面白いなって。
そういう価値観とかでくくれない、もうちょっとその人が通ってきた人生ならではの発言みたいなのが出てくるから、面白いなって。
あー、なるほどね。その個人の文化みたいな。
そうそう。その個人を通して見えてくる文化みたいな。
例えばその人がグンマ圏出身だって言ったら、その人が通ってきた文化、グンマってこんな感じだったんだな、みたいな。
その人を通して見るグンマみたいな人とか。
確かに、その方言とかも文化だよね、あれ。
うん、そうね。
喋り方一つとっても文化だもんね。
自分はね、文化を感じるっていうのがね、すごい限定されてる感じだよね。
まさにさっき伝統文化でノーとか言ったけど、めちゃくちゃ肩が明確なものを見ると、文化なんだなって感じやすいってのある。
葬式とか。
そうそう、儀式的なもの、例えばお宮参りとかそういうのとか、乗り取って何とか、そういうものにすごい、うわー文化や。
あれってその面に見える文化みたいなものに文化を感じる文化的だなって思うんだよね。
文化っていう言葉が、結構ハイカルチャー的なイメージを持つ人が多いとは思うんですけど、それって非常に損だなと思うんですよ。
楽しめる幅がかなり小っちゃいというか。
でも、ハイカルチャーなものっていうよりは、文化は暮らしの中、そのハイカルチャーじゃないものは暮らしの中で感じれたり、もうすでに見る機会があるじゃん。
ハイカルチャーって外意識しないと出会わないみたいなのはすごく思ったよね。
それはハイカルチャー人材じゃないからじゃないですか、我々は。
クラシックとかマジで何歳で見たっけぐらい、出会うことがなかった、自分は。
両親とかがそういうのを連れて行く感じでもなかったし、美術館とかも行ったことないみたいな感じだったから、そういう意味で驚いたね。
こういうのを別に、ハイとかローとかの前にいろいろ見たかったなとは思った。
自分の好みっていうのがあるなと。
美術館とかは、別に無料で確かによくないとか思うのは、行けんもん、普通に。
そういうのあった、小さいときはね。小さいときっていうか若いときはね。
無料でも行かない人は行かないですよね、たぶん。
そうなんですよ。
そうなんですよね。
それこそがだから、経済的な格差だけじゃなくて、そここそ文化的な格差で、別にお金の問題じゃなくて、美術館に行こうなんて発想はそもそもない。
興味を持つ、そのセンサーはもうまだないとか。
センサーがないというか、別に、私もライブハウスとかあったけど、北九州で。行こうとかいうセンサーなかったけどさ。
そういうことですよ。それはバンドとかにハマっていくカルチャーの中にいると、どのことかだと、小学生のときに、当時高校生だったヤンキーの先輩、ヤンキーじゃないな。
お兄ちゃんみたいにさっき言ったら、これ聴けよって言って、かっこいいバンドとか聴いて、それでカルチャーに入っていくじゃないですか。
で、中学生とかで先輩のライブ見に行って、ライブハウスってこんななんだって言って、ライブハウスに入って行ってっていう。
だんだんカルチャーに入っていく、生きていた中で、自然と出会っているから、そこに入っていく。
自然と3歳のときからずっとクラシックのコンサートとかバレエとか、バイオリンやっててだったらやっぱり身近じゃんっていうのと一緒だと思う。
私は身近にライブをバンドやってる人もいたし、それでついてたりもしたけど、その文化にはピンとこなかったっていう、ただそれだけなんよ。
それも別の話ですね。好きじゃない文化。
だから、文化は基本的に、私たぶんね、自分が馴染む文化をめちゃくちゃ探してるかも。
だから、あって、面白いあって、これ大事あって、私はこれ見たいとかいう、自分の感度の問題って感じだよ。
だから、それは出会った10パターンがあったら、10個の中でどれが好きかな分かるんだけど、クラシックには出会ってませんよねみたいな話だから、出会ってないものは選べないじゃんって話をしてるって感じ。
出会ってないものは選択肢にはないですよね。だから0円でもいかないんですって話を、僕とユンクはしてるって感じ。
だから、30個全部出会ってて、全部0円でどれにしますかで美術館に行く人、なんとかに行く人っていう対応性はあっていいと思うんだけど、そもそもそこに選択肢がない人たちがいるよねって話。
選択肢がない人たちっていうのは、無料でも選択肢に入ってないって言うけど、バンドとかの文化がない人たちは、バンドとかの文化に出会ったことがないになるから。
一緒ですよ。
一緒だから、全て偶然性なんじゃないかなみたいな気持ちはあるけど。
だからそれが収入とか、どこで生まれたかとか、どの家に生まれたかで差がついてるのが、いわゆる格差として、ハイカルチャーとそうでないカルチャーってお客がどうするから、ハイカルチャーに絞ってるのはどうなのって話をしてる。
私は、これは私の価値観だけど、環境が格差じゃなくて、好奇心の格差だと自分は思ってるんよ。
だから、同じ話を聞いて、一緒に脳に出会った人たちたくさんいるんだけど、みんな別に興味ないって言う可能性もあるし、そもそも、そういう文化は自分はあんまり素人もしないみたいな。
好奇心とかモチベーションの格差の方がデカい気がしてるっていう感じ。
だから出かけるとかさ、そういう。わかる?行ってみる新しいとこにとか、そういう連続な気がしてる。
なんかあんまり話しかないから、ちょっと難しいんですけど、適度な距離感みたいなのがあるんじゃないかと思うんですよ。興味を持てる。
さっきのちょっと違う、同じ日本語喋ってるのにちょっと違うっていうのは、適度な距離があるから、すごく楽しめるんですよ、自分は。
でも、例えば、アマゾンの民族とかヤバい民族とか多分あると思うんですけど、ヤバい部族みたいなのが。でも、距離が遠すぎて、ピンと違ってるのは当たり前だし、普通に受け入れちゃうし、そこに面白みを感じるの結構大変な気がするんですよ。
で、クラシックも普段慣れ親しまわずに育ってきた人は、距離が遠すぎて、それに面白さを感じるのって結構むずいんじゃないかなと思うんですよね。
でもそれ逆もでしょ?クラシックばっかり聴いてた人は、クラブミュージックとか、ラップミュージックとかには、なかなか出会う機会がなくて怖いなって思ったりって。
親はもう、どこにいるかはもうバラバラじゃん。
だからね、何が言いたいかというと、その好奇心の格差って、どれだけ親に幅広く与えられてきたか。
親?
親ないし、幼少期というか、自分が自立するまでの間にってことですよね。
環境内、どれだけ幅広いカルチャーに触れさせてもらえたかによって、結局変わってくるんじゃないのってこと。結局、経済格差に近いことになってくるんじゃないのってことが言いたいです。
その経験っていうのは、お金と時間がある人にしかさせられないから、貧しい人は長いこともさせてもらえないしとか。
そういう考えってこと?
そういう考えってことっていうか、事実そうなんですね。
もちろんセンスもすごくあると思うんですよ。
例えば、公園に落ちてるちょっと大きめの石を見て、ロックを感じる人も中に入ると思うんですよ。
そういうセンスももちろんあると思うんですけど、経済格差も結構あるんじゃないのって感じですね。
経済的に豊かだったから好奇心がある状態?
好奇心があるじゃなくて選択肢がある状態。
好奇心が同じ10と10でも選択肢がある人の方が選べるものが多いじゃんって話で。
それが例えば、触れてきてなくても好奇心が100ある人は、選択肢がないのに選択肢を自分で作り出す力があるわけですよ。
さっき言ったみたいに、行ったことないし、何の文脈もないし、ハイカルチャーな人たちの中にいきなり飛び雲って不安だけど、そんな不安なんて関係ねえ。
ドンって行ける人は、その1個選択肢を自分で作り出すことができるんだけど、そうじゃないぐらいの好奇心の人っていうのは、
自然と20歳までの間に与えられたことによって、当たり前に脳にも行く選択肢があるし、
当たり前にバレーも見に行くしとかってことがあり得るよねっていう、そこの話ね。
でも、我々はそんなに豊かんで、親がすごいとかじゃないと思うんですけど。
我々はそんなに文化的、ハイカルチャーではないと思うんですよ。
別に、でも好奇心は、自分が行ってみようというモチベーションがあっただけみたいな感じじゃん。
そうだと思います。
センスかける環境とか選択肢、センスかける選択肢っていうところじゃないですか。
ごめん、本当に、実際そういう人たちがいるかもしれんけど、完全私の価値観で言うと、勇気の問題なんじゃないかな。
そう、勇気の問題に集約もできるんだけど、その勇気ってのは、分解すると鈍感力みたいなのもあると思うんですよ。
例えば、自分はそういう人たちと一緒にいると不安になる。
なぜなら、その人たちがどういう水準の会話をするのか、どういう文化レベルの話をするかわかんないのに、自分会話できないかも。不安だって思うのが多分多い。
でもそういう人たちはね、生き延びやすいと思うよ。危険な目にもあいづらいからさ。
確かに戦略の話としてはそうなんだけど、新しい文化に出会うみたいな話で言うと、それって要は異文化に突撃していくわけじゃん。
何の武器も持たずに。殺される可能性があるわけですよね。
まあ、命だから殺されないんだけど、でも人間の本能として、全くわからない集団の中にバンって飛び込むって、超リスクじゃんみたいな。
だから、たぶん、好奇心の問題とか勇気の問題で片付けるのは、そうなんだけど、結構難しいっていうか、ハードルが高い?
いやー、もうちょっとでも、やっぱ私の価値観では、本とかもあるからね、文化で言うとさ。
だからその本を読もうと思うとかっていうのはモチベーションがいるわけじゃないですか。
よくその…
無気力ってこと?
いや、じゃなくて、さっき言ったみたいに、今まで経験したことの中から選択肢の中からは選びやすいけど、選択肢のないものは選択肢を作るっていうところから始めないといけないから、すごいエネルギーがいりますよね。
図書館は行ったことあるじゃん、学校で。
家に、親が本をよく読む家庭かどうかにもよって、学力が変わるとか言ったりするじゃないですか。本とかしてないですけど。
いやー、どうなんやろう、わからん。読み聞かせしてても全く本読まないっていう人もいるよね、実際。
読み聞かせされてたし、本家にいっぱいあったけど、俺はあんまり読まなかったですよ、実際。
なんなら、それあるよね。私、めちゃくちゃ絵本読んでたけど、本も読んでもらってたけど、読む力ないもん、全然。
それまた別の話じゃん。環境を用意されたけど、自分に才能がなかったって話は別じゃん。それいろんなことあるじゃん。スポーツもそうじゃん。
でも、環境がなかったは、事実過去としては認めるけど、これから先については、自分がやるかやらないかの話だから。
これから先ってのは、今この瞬間から。
今この瞬間からね。だから、環境のせいにして文化には出会えませんって言われたら、出会う気がないとしか思わん。
過去そうだったはあるよ、私も。出会えないよ、これは。無理だよって思うよ、私も。
でも、今から人の出会おうとするのは、したいならね。可能じゃないかなって思う。
可能か不可能かで言うと可能なんですよ。だから、もうちょっと世界を広げたい。
じゃあ、海外に行きなさいよって言われても、海外に行ったことない人とか、親も海外に行ってないとか、周りの人も海外に行ってない人からすると、海外とか怖いって思うわけじゃないですか。
でも、親が当たり前に海外旅行とかに連れてってくれたら、海外行こうかなってなるわけですよ。
その経験の差とか、自分が知っている安全ドアがあるわけだよ、経験として。リアリティが。
その差があるよねって。
でもさ、スペイン料理屋さんから行くでいいんじゃない?私は海外しょっちゅう行けないけど、各国のレストランに行くのめっちゃ好きなんよ。
あ、文化的だな、だな。食文化。
それ文化的っすね。
もう今はないんだけど、ロシア料理とか美味しいし。
今、分かった。文化って配達性があるんですよ。ある種の。
要は日本で、分かんない。今は分かるんですよ。でも、箸で食べるとかって時に、スプーン使って食べるとかって、え?日本食スプーンで食べるの?とか、今は思わないかもしれないけど、思うじゃないですか、普通狭かった頃は。
お寿司をフォークで食べてたら、たぶん驚くんじゃない?
手で食べるの、え?って思ってる人がいたり、お寿司をフォークで食べる、え?ってお互いその文化に対しては、こうあるべき型みたいなものがあって、そうでないものに対して、え?って思うっていう、ある種の配達性がある。
だから、のんさんが言うように好奇心でそこに行きました、はいいんだけど、相手からしたら、え?って思ってる可能性もあるけど、それを突き抜ける人間力というか、いるわけじゃないですか。
そこで、いや、私はこの村の人間ではありませんが、あんたたちの仲間ですってコミュニケーションが取れるわけでしょ。
おー、ごめん。逆に分析できてなかった。
ヒップホップとかロックですら型がありますよね。
あるある。
そうやね。
ヒップホップとかロックのとこにスーツ着いたら、もうボコボコされますよ。
え、じゃあさ、全部ノーじゃん。
え?
ノーと一緒じゃん。
全部ノーというか、だから文化っていうのは、何らかのゆるさとか硬さはあるけど、型があると思うんですよ。
で、そうでないものは、あ、ここの人じゃないんだね。そうでない人はここの人なんだねとか。
え、でもそれで言うとさっきの性の文化とか。
性の文化。
アダルト。
あの辺も型があるの?
あるんじゃないですかね。
よくこれが売れてる売れてないが多分あると思うんで、よく再生されてるとか再生されてないとか。
あとなんかよく聞く話、男性が見るAVのプレイみたいなものは、女性からすると全然それは違うんだみたいな話があるけど、
あれはもう作り上げたフィクションとして、文化として男性が見る性的なコンテンツとして成立してるみたいなのは、
ある種の文化というかね、一つの型としてできてるみたいな。
そうだね。
リアルを捉えてるわけじゃないみたいな。
まあでも確かにね。
でもそれが未来は、春画みたいになるんじゃない?
あり得ますね。
文化だね。
文化ですね。
今じゃあ春画はどういう文化になるの?春画は。
ちょっと分かんないですね。
春画に出会えないよね。
なかなか。売ってないし、みたいな。
やっぱ出会いは確かに、文化は偶然性って感じかも。
もちろん育った環境は前提にあるんだけど。
育った環境は8割、偶然性2割って感じじゃないですか。僕の感覚は。
センスはどうすか?
センス。
センスは。
感性ね。
それ面白いと思うとか興味があるとか。
それがどうなんだろうね。
そっちが大事やと思うよ。
それでもどう育つのかとか。
分かんない確かに。感性どうやって育つか。感性って育てれるもんなの?
分かんないですよ。
だから俺はものは、たくさん勉強する。
私は。
選択肢が広がるよね。
私は。
理解できることですよ。いろんなことが。
意味が分かるからね。
意味が分かるんですよ。
それが元の文化が何かまで分かるっていうか。
私は違う意見なんだけど、とことん暇をの時間を作る。ないよね。
もう退屈で退屈でしょうがないっていうときに触れるものって、やっぱり。
与えられるものはね、微妙。
欲するみたいなのが、私の原動力。
それは俺も思います。
なんで?
与えられるものは微妙なのはマジで、そこにはすごく遠い。
感性ね。
欲するという、まずないっていう状態がいる気もするな。
それはそうかもしれない。
選択肢の逆な気がしますね、感性のほうは。
ないのに欲してるものが、その人の感性みたいな。
だから、暇で暇でしょうがなくて、ペンと紙を渡されたときに、分かんない。
ぐしゃぐしゃぐしゃって書く人もいれば、文字を書き出す人もいれば、分かんない。
絵を書く人もいれば、何なら折り紙始める人もいれば、分かんないよ。
でも、とにかくもう何かしたいみたいな状態になったら、感性出やすいかな。
でも、その中の感性もやっぱりね、選択肢から選択肢かけるっていう感じになってたんですよね。
確かにな。
僕はバンド始めたのとかも、どう考えても貧しい家で楽器とか買うはずがない家にいたけど、
周りの影響で、バンドやりたいって思って、
なけなしのお年玉を何年かがためて、ベース買ったわけですけど、
それって普通に何もない状態で、よしベース買おうとはならないっていうか。
でも、よしベース買おうという感性があったんじゃない?
それもパトテックと小六のときに、ある程度金持ちの家があって、そこにはバンドの全部のセットがあって、
弾いてみていいよって言われて、楽器みんな弾けないけど、バンドごっこをして持った楽器がベースだったんです。
で、楽しかったんです。だから、特に経験が多分あるから、ベースを自分は弾くんだって思い込んでる。
でも、それ経験からであって、やったこともない。テレビだけ見て、あ、ベースだって思わなかったっていうか。
でも、体感はいるかも。
感じる。私も大学時代に友達に、ちょっとアフリカンダンスっていうレッスンを見に行くから、
のんちゃん、民族の衣装とか着てるから、一緒にどう?って言われて、なんかついてって、
もう衝撃を受けて、なんだこのダンスは?って言って、アフリカンダンスやったもんね。
何のダンスもやったことなかったけど、でもなぁ、それ連れてってくれるとか、それを体験するとかは、やっぱ人と関わっとかないといけないじゃない?
それはデカいですね。
うん、結果。
それはユーチューブでいいじゃないですか。
人と関わらなくても。
それどうなんだろうね。ユーチューブでいろんなコンテンツ増えたら変わるんかな?
っていうか、今、その、俺たちが生まれ育ってきた時代は、実際にクラシックを見に行かないと、
テレビでたまにやってますけど、触れられなかったけど、ユーチューブでいくらでも今はできるから、見ることはできるから。
でもうちの息子のユーチューブ、全部マイクラになってるけど。
やっぱセンスか。
でも、ユーチューブで見るっていうことは、結局その二次元のディスプレイの中で見るという体験に限定されるじゃん。
月曜日音楽、火曜日美術館とかさ、水曜日ロックとかでも困るよね、確かに。
確かに偶然性みたいなのが楽しい。宝箱みたいな感覚かもね。宝箱あったら全部開けちゃうみたいなの。
ゲームとかしてても。とりあえず全部開けちゃうみたいな。
開けます。当然開けますね。
それが本当は私たちの好奇心で。
でもそうなるとやっぱり歌舞伎町の面白さにつながってくるな。
そうだね。宝箱いっぱいあるじゃん。
でもそれは感性じゃない。私は自然の中にそれを感じる人もいるのかなっていう。
うわ、虫いっぱいおるわとか、そういうレベルで。
恐ろしいこと言いますね。
私最近新しい虫発見したんじゃないかとか、勝手に思って楽しんでるんだけどさ。
そうですね。なんかいろいろ話せたけどどう?文化的だなって自分が思うこと。
むしろさ、今日結構激論になったくない?
そうですね。
でも一周回って、僕はやっぱり自分、人と話すみたいな言い方をしたけど、
知らないものに出会ったときって文化的だなって思ってるかもしれないですね。
異文化で感じる文化ってことか。
そうそう。自分の文化にないものに触れたとき。
具合悪くない?
だから触れるシーンみたいなの考えますよね。
飛び込んで行ったりはしないですよ、そのコミュニティに。
まずね、外から眺めたりとかね。距離感がね。
一番だからそれで接触しやすいのが、知らない誰かと出会って、
その人が触れてきた文化の話を聞くと、
それってそんな感じなんだみたいなのが一番接触しやすい。異文化として人の話が。
なるほど。どうぞ。
こんなシンプルな理解をしていいのかなって不安になるぐらいにはちょっと思ってるんですけど、
さっき上水さんが言った、型が決まってるのが文化って言ったじゃないですか。
型が硬ければ硬いほどハイカルチャーになるし、
柔らかければサブカルチャーになっていくしっていうことなのかな。
こんなシンプルな理解でいいのかなって不安になるんですけど。
方向性としてはそんな感じですよね。
この厳格なものほど、厳格なものほど型が。
確かにそうかもね。
5,7,5とかもう型の最大問題だよね。
なんで5,7,5じゃなきゃダメなのとか言えないもんね、あの世界ね。
でもその型に行き着いた過程が多分あるんだよね、本当はね。
絶対あると思うんですよ。
だから時代が浅ければ、
同じ言葉遊びでもラップはもっと自由だったりするから、
もしかしたら100年とか200年とか経ってくると、
硬くなっていくかもしれないですね。
でまた新しい文化ができるかもしれない。
それもなんかアレっすよね、硬くなったら柔らかくなったら。
時間軸の中でやってるんだから。
最初は何となく始めたものが硬化されていって、
硬化されたものがまた柔らかくなっていく。
そういうのもあるじゃないですか。
確かに。
もしくはガンって型から入ったけど、それが崩れていって、
また誰かが硬化しようとする人がいるみたいな。
伸縮していく感じ。
そうだね。
だから結局は振り子みたいなね。
そうね、私もやっぱり結構同じで、
自分も型を感じてる時と、
過去を感じてる時が自分は結構強かったなって思う。
自分も型を感じてる時と、
過去を感じてる時が自分は結構強かったな。
じゅんの言うとおり、
現在から文化的なものを感じにくいタイプやなとはすごい、
自分自身が理解した時。
そうね、人間らしいよね、文化ってね。
だから過去の人間を感じる瞬間かな、自分はね。