それが、はからずも繰り引きになってたみたいな。
でも、ほら、それはさ、ほんとに近しい間じゃないっていうか、
ほんとにその関係が深くないっていうのもなんだけど、
家族ではないとか、友達ではないっていう距離感の人って、
あんまりなかなかいないじゃないですか。
どうしたって、だって自分の人間関係の中にいる人には、
あの人にはしゃべれないし、みたいなのは、絶対にあるから。
職場でもしゃべれないしなとか。
なんかだから、関係性があればあるほど、やっぱりしゃべりにくいけど、
私とだったら、そういうのを抜きにして、
で、変な言い方しちゃうと、自分にちょっと都合よく話すことができるじゃないですか。
それって大事っていうか、いい場所ではあるよね。
とまり木は本の中。
私に戻るためのブックガイド。
暮らしの中で、誰もが背負っている役割。
時には、ほんの少しだけ解き放たれて、自分を見つめ直してみませんか。
あなたの役割をふっと解いて、一人の私に戻してくれる本を、
茨城県下妻市のブックカフェ、トクブックスがご紹介。
ワンエピソード一冊、本の紹介とその一冊を選んだ思いを語ります。
こんにちは、パーソナリティを務めますトクブックス店主の平忍です。
こんにちは、アシスタントを務めますワークライツの佐野巧です。
よろしくお願いします。
前回は公開収録でした。
はい、そうですね。
お疲れ様でした。
ちょっと濃い感じの盛り上がり方がね、面白かったです。
皆さんの、一棚オーナーさんの棚作りの愛がたくさんあふれていた回でした。
なんか皆さんすごくこうね、棚オーナーを始めて、ちょっといろんな心境の変化があったっていうような話をされていて、
すごくびっくりしたし、嬉しかったです。
えー、なんか皆さんすごい楽しんでらっしゃったし、
一棚オーナーってなんか本を売るっていうだけじゃなくて、表現の場でもあるし、
あと友達ができるみたいなね、人と人との出会いの場でもあるという。
本当に素晴らしいですね、トクブックス。
作ってよかった、一棚オーナー。
本当に。
でですね、新しい試みがトクブックスさんの中でちょこっと始まりまして、
この番組をより楽しめるかもしれない取り組みなんですよね。
そうですね。
なんと番組宛のお便りをトクブックスさんで書けるっていう感じにさせていただいております。
はい。
また佐野さんがね、いろいろ考えてくださる佐野さんがまたちょっと一つアイディアをお持ちくださいまして、
トクブックスでポッドキャストの中でお便りを募集したいねっていう話をしていて、
で、私たちに聞きたいことだったりとか、あと何ですかね、
私が思ったのは、私がこんな本読んだんだけど、お二人はどう思いますかっていうのを
何かもらったらちょっと嬉しいなと思って、
それぞれやっぱり本って感想が違うと思うので、
何かそんなことを聞いてみたいなっていう人がいたらね、
ぜひ課題図書みたいな形で私たちが読んで、それに対してお話できたら面白いかなと思って、
そんなのも募集したいなとか思ってます。
我々にとっても新しい本の出会いになるかもしれないし、
もちろんもうちょっと、いわゆる普通お他みたいな感じで、
この間どこどこに行って楽しかったよ、みたいなことでもいいかもしれないし、
何でもありなんですね。
本のことはもちろんだけど、ちょっとした日常の嬉しかったことの報告とかもいいんじゃないかなとは思ってます。
ラジオっぽい感じね。
ちょっとポイントとしてあるのが、
インターネット上のウェブフォームとかじゃなくて、
本当に本屋さんに来て手書きじゃないと書けないお便りなんですよね。
そうなんですよ。あえてね、そこをね。
なので、店の一角にちょこんと置いてありますので、
ぜひご来店の際はお便りをお願いいたします。
それがまた盛り上がれば面白いですよね。
そうなんですよ。なので、ぜひぜひ書いていただければ、
番組の中でも取り上げさせていただきたいと思いますので。
ぜひよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
さて、ちょっと久しぶりの書籍のご紹介です。
今回は何という本でしょうか。
今回は絵本の心の穴という絵本です。
出版は株式会社岩崎書店。
リンジーボニア文ブリジダマーグロ絵東七役。
弟が死んだ。そして穴ができた。
この穴をどうしたらいいの。弟に会いたい。
悲しみや喪失感に寄り添うグリーフケアの絵本。
こちらは岩崎書店ウェブ書籍ページからご紹介しました。
ありがとうございます。
ちなみに、まずグリーフケアっていう聞き慣れない単語が出てきまして、
僕もこの絵本を紹介していただいて初めて知ったんですけれども、
調べてみると、グリーフケアとは大切な人やペットとの私別など、
大きな喪失による深い悲しみに寄り添い、
自分らしいペースで心の回復を支えるサポートです。
悲しみを無理に忘れさせるのではなくて、
悲しみとともに歩んでいけるように援助することを目的としているケア。
なのだそうです。初めて知りました。
これ、主人公の男の子は、弟のマッティ君が私別をしてしまったんですよね。
そこで、ぽっかりと空いてしまった心の穴にしっかりと向き合っていく物語で、
詩が取り上げられてはいるんですけれども、絵本自体は結構カラフルだし、かわいらしいんですよね。
そうですね。
なんだけど、結構心の穴っていう黒い穴が、かわいらしい絵柄の中で、
ちょっとうっとくるような感じで描かれていて。
そうですね。何かやっぱり異質な感じがしますよね。
かわいらしい絵の中で、この主人公の男の子の胸のあたりにね、
黒くぐるぐるぐるって穴が空いているっていうような描写があって。
結構ね、とらえにくさ、とらえられなさみたいな感じがあって。
これ、グリーフケアのお話、僕もグリーフケアっていうもの初めて知ったんですけれども、
これは、タイラーさん、どういうきっかけで手にされたんですか?
これもやっぱり、絵本紹介するときに、穴っていうテーマで本を探したときに出会った本なんですけど、
穴のテーマの絵本って、結構ちょっと深いのがわりとあって。
話題が深い。
何かね、面白かったんですよね。
やっぱり穴って、いろんなとらえ方があるっていう感じで、
これもやっぱりほら、心の穴っていう感じ。
どうなんですかね?心の穴って聞いて、何を想像するのかな?みたいな。
なんかこう、自分の中で描けてしまった感じですよね。
本当はふさがっていったんだけど、何かの表紙でポロッとなくなってしまった。
なんかケツ落下。
描けたっていう感じですよね。
私が図書館で働いてるときに、同僚にグリーフケアの資格を取るために勉強してる同僚がいて、
私も彼女から言葉を聞いて、なんとなくは聞いたことあったんだけど、
グリーフケアって、大切な人を失ったときに、残された人たちに寄り添う。
何て言うんだろうね。
元気出せよ、みたいな感じではないんですよね。
全然そうじゃないんだよね。
その勉強してるって聞いて、すごく興味があって。
カウンセリングとはまたちょっと違う。
カウンセリングの中の一ジャンルみたいな感じなんですかね?
私が勉強したところには載ってなかったけど、
でも結局、行く先は、その人の前向きになるためのステップを一緒に進むっていうか。
この心の穴の中にも、最初って、穴があるっていうことになんとなく気づいて、
でも、違和感を感じながらも普通に生活している。
主人公の男の子とお父さんお母さんがいて、
でも、とあるきっかけで、穴っていうものをちゃんと意識するようになっていって、
そこから今度は、亡くなってしまった弟のことを話し始める、みたいな感じ。
すごい弟にまた会いたいって気持ちも、あふれてくるんだけど、
でも、そこもちゃんとね、自分の中で整理をつけていくというか、
こんなちっちゃい男の子なのにね、やっていて。
もしかしたら、この絵本の流れも、そういうグリーフケアのプロセスをね、踏んでるのかなって。
本当にこれ、私もすごく説明するのすごい難しいんだけど、
そういうもやもやを抱えたときに、こういうことなのかなって、
この絵本を読んで気づいてくれたらいいなっていう感じ。
私もちょっととても、やっぱり穴が大きすぎちゃうと、どう説明していいかわかんないし、
例えばね、そういう男の子みたいに何かをなくしてしまったときに、
どういう声かけをしたらいいんだろうって思ったときに、
なんていうの、言葉で説明ってやっぱり難しいから、
なんとなくこれを読んで、ああ、そういうことか、みたいな。
わからなくても、こういうこと、こういう気持ちとか、こういうもやもやってあるよなっていうのを、
知ってもらうきっかけになればいいかなっていう感じ。
あとなんか、例えば死滅とか、まさにそうだと思うんですけど、
元気づけてあげたいし、元気になってほしいんだけど、
これなんて言って声かけたらいいんだろうって、すごいあると思うんですよ。
でも、実はこの本の中では、なんか元気づけようとはしていないんですよね。
ただ話を聞いてあげる、話を聞いてくれる人がいるみたいな。
それがあるからこそ、ちょっとだけ心が軽くなっていく。
この男の子も、完全に気持ちがすっきりしたわけじゃないんだけどって、
でもちょっといい感じになってきている自分を、ちゃんとつかんでいるっていうのがあって。
そうね。すごくそうだよね。そういうプロセスっていう感じはあって、
あとやっぱり、もう思い出さないようにとか、忘れてしまおうっていうことではなくて、
きちんとその存在を認めて、その存在で埋めていくっていう、
弟の存在をきちんと思い出して、その穴を埋めていくっていうのも、プロセスの中であって、
家族の中でも、絶対に言ってはいけない話題みたいなのがあったときに、
やっぱりそれぞれが、お父さんもお母さんも、黒い穴があったんだけど、
そうじゃなくていいんだっていうのを、知るきっかけになればっていうか。
たしかに、悪いことじゃないんだけど、言っちゃいけない。
そうそう、なんだろうね、なんかわかんないけど。
それも、たぶん思いやりだったりするじゃないですか。
お母さんが、弟の話したらまた悲しくなっちゃうから、じゃあ僕は我慢して言うのやめようとか、
楽しかった思い出の話をしたいけど、やっぱりこれを言ったらお父さんが傷つくかもみたいなのが、
やっぱり小さいながらもあったりとか、大人でもたぶんそういう部分があったりすると思うんだけど、
そういうのもね、そうじゃなくていいんだよっていう。
なんか、本当に解決するわけじゃないけど、
でも、例えば話を聞いてもらえるだけで、ちょっと心が軽くなるってあるじゃないですか、
まさにそれなのかなって思ったんですよ。
だって話を聞いてくれた、自分のこの悲しい気持ちを聞いてもらったとって、弟は戻ってこないんだけど、
でも、生きている人はまだその先に長い人生があって、
そうなんだよね。
そこをがんばって生きていかなきゃいけないわけですから。
これ、なんかふと思ったんですけど、
グリーフケアって、人の死とかペットの死じゃなくても、
何か自分の欠落に向き合っていく上でのグリーフケアみたいなものがあるのかなって、
うっすら考えてはいたんですよね。
ありますよね。
それこそ恋人と別れるとかでもあるし、仕事を失うとかでもあるかもしれないし、
うちは役割をとくとは言っているけれども、
やっぱり社会的な大切な役割を失ってしまう、不本意な状況で失ってしまうということもあったときに、
やっぱり心にぽっかり穴が開くみたいな表現ってありますもんね。
アンタッチャブルだからといって、全く触れないのはあれだと思うし、
それ触れずに前に進むのって、なかなかちょっとまた難しいのかなって気もする。
トーの本人からしても、聞いてほしい感はあるんだけど、これって言っていいのかな?みたいな。
でも、そう思うと、私もだけど、今ちょっと悩んでることとか、やなことがあったときに、
でも、やっぱり言いたくなっちゃうかな。
聞いてほしいはなんかあるんだよね。不思議なことに。
表だって聞いて聞いてっていくことじゃないんだけど、何なんですかね。
逆に聞く側というか、例えばこちらのお店だったら、とくぶっくさんだったら、
平さんはもしかしたら、結構無意識に話していいよオーラを出しているのかな?みたいなのも思ったんですよ。
今までやっぱりちょっと、お客様でそのつもりがあったかどうかわかんないけど、
意外と結構深い話が始まってしまったみたいなのは、
平さん、この人には話して大丈夫かも?みたいな。
それが、はからずも繰り返しになってたみたいな。
でもほら、それはさ、本当に近しい間じゃないっていうか、本当にその関係が深くない。
家族ではないとか、友達ではないっていう距離感の人って、あんまりなかなかいないじゃないですか。
どうしたって、自分の人間関係の中にいる人には、あの人にはしゃべれないし、みたいなのは絶対にあるから。
職場でもしゃべれないしなとか。
なんかだから、関係性があればあるほど、やっぱりしゃべりにくいけど、
私とだったら、そういうのを抜きにして、変な言い方しちゃうと、自分にちょっと都合よく話すことができるじゃないですか。
それって大事っていうか、いい場所ではあるよね。
本当は自分でももちろん、だめだったこととかはあるんだけど、話を聞いてもらうときに、ちょっと自分に都合がよく話せる場があるっていうのは、ちょっといいよね。
いいと思う。
てか、100%客観的に自分のこと話すとかって、ちょっと無理がある気がするし、
あと、自分がとった行動とか、自分がされたことに対することって、絶対に自分の解釈とか、そのとき生じた自分の気持ちってあるじゃないですか。
それを、いや、でも客観的にその気持ちおかしいよねとかって言われたら、何様じゃんみたいな。
そうだよね。
って考えると、自分の感じたまま、考えたままを話してもらえるのって、結構安心できるだろうなって思うんですよね。
あとね、心の穴も、これ確かよくよく考えたら、この男の子が弟との楽しかった思い出を話す相手って、直接の友達じゃなかった気がするんですよ。
弟の友達とかでしたっけ?
そうだったね。
ちょっとなんか離れてるんですよね。
お父さんお母さんでもないし、いつも遊んでる友達でもないし、そういうなんかね、距離感が確かに重要だよなって、今の聞きながら思っちゃいました。
でもそうだよな、僕もなんかインタビューやってて、初対面なんですよ、基本的にインタビューって。
初対面ではあっても意外と話していただけることがあって、それはなんかもちろん相手が話し慣れてるっていうことももちろんあると思うんですけど、一定の近しい人じゃないから話せるっていう感じは確かにあるだろうなって思いました。
なんかすごい納得しちゃった、私。
なんでかなってやっぱ思うわけ。
いろんな方といろんな話をさせてもらって、ほんとにそれこそ初めて会った人にこんなこと言っちゃっていいのかみたいな話も結構あるんだけど、
それってやっぱり家族じゃないとか、友達じゃないとか、仕事関係の人間でもないっていう、そうじゃない人だからなのかなって今すごく思いました。
なんなんですかね、なんか親しけりゃいいってもんじゃないみたいな感じは。
あと、たぶん私自身もすごくあるんだけど、ちょっと都合よく、自分の悪いところを見せずに都合よく話せるってあるよな、みたいな。
そうですね、確かになんかあんまり仲のいい人とか、近しい人だと、なんか論破されるみたいな。
なんか突っ込まれるよね。
お前は絶対自分に都合のいいようにしゃべってんじゃないかって言われちゃうけど。
それが必要なこともあるかもしれないけど、今違うんだよみたいな。聞いてくれよみたいなね。
うーん、そうだよな。
なかなかそれがスナック感なのかなみたいな。
それはあるような気もするな。
たぶんなんか話す側も、一生落ち込んでいたいわけじゃないはずなんですよ。
絶対に立ち直りたいし、そもそも元気でいたほうがいいじゃないですか、生きている上で。
だからなんか、進んでいくための準備段階みたいな、一番最初の段階なのかなって感じもしますね。
一回すっきりする。
で、ちょっと言語化すると冷静になれるじゃないですか。
あの時あんなふうに聞いてもらったけど、冷静に考えるとちょっと自分のこれも矛盾してるんだよねとかって思うじゃないですか。
わかります。
一回それで受け取って、じゃあ次こうしようって始めて踏み出せるのかなって感じもありますしね。
なんかね、グリーフケアもケアするのも段階を踏みながら復帰していくみたいなことも書かれていたので。
そうでしょうね、きっとね。
いいですね、さすがにトクブックスさんはグリーフケアの場所とは言わないんですけれども。
自分の心の穴のことをちょっと話せる場所って大事な気がしますね、それはね。
これね、だって穴空いてることに気づいていない人もいそうですね。
そうだよね。
ありますね、なんか平さんご自身なのか聞いた話なのかわからないですけど、よくよく考えると、これってなんか穴が空いてたんだなとか欠落があったんだなとか。
どうなんだろうな。
なんかやっぱりその別れに関しても納得してれば穴にはならないかなって。
私、ほら、母を亡くしたんですけど、そのときにやっぱりきちんとプロセスがあった。
なんていうの、人が死に向かうときって、こういうふうにっていうのを、なんていうの、私本当に怖かったんですよ。
親が老いていくとか、亡くなるんだっていうことを考えることがすっごく怖かったんだけど、
実際にそういう時間を一緒に過ごして、最後ね、すごく納得感があるっていうのを。
ここで言う納得感っていうのは。
なんかね、死に行く人をきちんと見せてくれる、死にざまを見せてくれるっていうのが、なんていうのかな。
例えば、あんまりこういうビジネスっぽい言い方すんのもあれなんですけど、グラデーションというか、
あるとき急に、たとえば昨日まで一緒に話してたのに、次の日急に亡くなってしまったとかじゃなくて、
たぶんもうこのまま弱っていって助からないんだろうなっていうのを、目の前で嫌でも見ることになっていく。
これが本当に、命の火ってこういうことかってわかるのよ。
命の火の大きさがどんどん小さくなっていく姿を、母が見せてくれたと思って。
あんなに恐ろしかったんだけど、こういうふうに、っていうのはなんかね、すごいものを見せてもらったみたいな。
それはもう、たまたまそうなったというか、たとえばもう最後近いなってわかってきてるから、
なるべく平さんご自身も、お母様のそばに一緒にいようっていうふうな感じになって、
結果的に命の火が小さくなっていくところを見てきた。
そうすると、やっぱり亡くなった後も、私たち家族は誰も死んだって思ってないみたいな感じなの。
実感あるっていうのを、兄弟で話したりするときに、いやいや、全然死んだ気がしてないって。
やっぱりどっかにいてくれて、見てくれてるっていうか、すごく納得感がある別れ方ができたんだよね。
怖いじゃなかったら、何になったんですかね?怖い。もともとは怖いって思ってたけど。
怖いと思ったけど、納得で、なんていうんだろうな、怖いではなくなったんだよね。
物理的に、亡くなった後に葬儀までちょっと日数があったんですよ。3日4日。
ご遺体と一緒に過ごす時間が長かったので、私が。
2人しかいないわけ、部屋に。
さよならを言いに来てくれる方がいるから、私はそこで待機して、ご挨拶しようと思って。っていう日が、ほんと3日4日あって。
そのときに、本当に、こんなこと言ったらあれだけど、死体と2人っきりなんだけど、全く怖くないんだなって思って。
私は結構怖がりなんだけど、これが本当にこういう感じになるんだって、不思議だった。
なんかね、死にざまを見せてくれたっていう感じ。
最後まで素晴らしいお母様ですね。
かっこいいなと思った。
今の時代って、人が亡くなる瞬間をそんなふうに共にできるって、なかなかその機会ってないのではって思ったんですよ。
例えば本当に、お年を召してきて、介護施設に入ったりとか、病院に入ったりとかして、別々に暮らしていて、本当に亡くなる直前ぐらいに電話がかかってきて、亡くなるところを見届けるみたいな。
なんかそういう感じなのかな、最近はみたいな。
でもそうなんですよ。そうなんですけど、なんだろうな。
実際、本当にその施設に入って、浪水っていう形なんで、徐々にもう危ないかなって言って、連絡が来てって言って。
でも最後、ちょっとコミュニケーションも取れたりとかして、私が枕元で、みんな来てくれたよ、よかったねとかって言ったら、うるさいって言われて、母に。
私がなんかもう、ふらーって言ってたら、うるさいとか言われて、母に怒られたと。
最後までお母さんって。
ごめんごめんみたいな。
だから、なんかね、すごく私はすごく納得がいく最後、お別れだったから、穴にはならなかったんだよね。
だけどたぶん、やっぱり急に亡くなったとか、準備してなかった場合っていうのは、やっぱり穴が大きかったりとか、そういうのがあるのかなって、すごく思って。
そうか、単純に心の準備ができていないと、ちょっと衝撃が大きいというか。
そうだよな。
なんかね、そうやって考えてみると、例えば病院の対応してくれるスタッフさんとか、今でいうと、例えば創意の会社さんとか、お坊さんとかもそうなのかな。
そういう方たちも、もしかしたら、グリーフケアの一端になってるような人たちなのかな、みたいな。
でもね、そう言いますよね。創業するとか、準備をするとかっていうことの段取りを得て、やっぱり仏様になっていくっていうか、わからないけど、それもやっぱり必要な時間。
そうなんだからね、みんな誰もね、あんま寂しくなくなって、もちろん創業のときは泣いてとかするんだけど、なんか寂しくない感じなんだよね。なんか不思議に。
へー。
なんかほんとに、よく言うけど、またひょっこり、どっかただいまって帰ってきそう、みたいなね、のがあったりとかするんだけど。
だからなんかね、ありがたいなと思った。
いやー、もう最後まで素敵なお母様ですよ。
これもいいですね、この心の穴っていう絵本って、もしかしたらちょっとね、近しい人が、もしかしたら先長くないかもしれないっていう方にも、一旦手に取っていただくのもありなのかもしれないですしね。
実際どうですか?なんかこの心の穴を変われていく方とか、何かご紹介したときとかに、こんな感じでご紹介してます、みたいなのってあるんですか?
これはね、グリフケアの勉強してる子には、紹介して、あーっていう感じだった。
あー、そう、みたいなね。
なんとなく、そういうことが近い子には、納得感があるというか。
なんか、悲しいことへの対処方法って、意外とわかんないですよね。
いや、わかんないよね。
とりあえず、がっつり乗り切るしかないのでは、みたいな思っちゃうんで。
でも、なんかやっぱり、準備がしたか。
私ね、本読んでたのって、親が死ぬときのための準備だったっていう部分もあったりとかするなって思ってて。
それは、昔からですか?
うん、すごく、やっぱ本当に怖かったの。
親が老いること、死ぬことが、すごい怖くて。
で、そのときに、動揺しない自分でいたいって、ずっと思ってて。
で、そのために何が必要かって、なんかそういうことを知るとか。
で、やっぱり、本を読むにつながったんだけど。
そういうときって、何から読み始めてたんですか?
何を読んでたんだろうな、わかんないんだけど。
でも、なんか、何かをやっぱり知りたいっていうか。
そういうときに、自分がきっちりと見遅れる自分になれるようになりたいみたいな。
だから、仏教とか禅とか、そういう系の本は、すごくなんか役に立ったっていうか。
あと、だから準備ができたなって。
で、しもつまに戻ってくるって決めたときに、やっぱりどうしたって、高齢の親と一緒に過ごすわけだから。
たぶん、そういう役割を私がするんだっていうことで。
だから、そのときには、もう克服できたっていうか、怖くないなって思えたんだよね。
だから、帰ってこようが、選択できたっていうか。
お母さまに限らず、あるはずのものがなくなってしまう。
自分の手元から消えてしまうことへの恐怖みたいな、そういうことなんですかね。
そういうことからの読書でもあるんですかね。
怖くないですか?
大切な人が死ぬってことを、なんか想像しちゃって。
そのとき、自分がどうなっちゃうんだろうっていうのは、想像してすごい怖くなって。
たしかに、僕は何の対処もできないのは、やだなってなりますね。
やっぱりそうだよね。
それは、自分の気持ちに対してもそうだし、助けられないっていうのも、やだな、悔しいなっていう気持ちはやっぱりありますし。
本当に痛いとか苦しいとかがあれば、どういうふうにしてあげたら苦しい状態から逃れられるのかとか。
リアルな話で言ったら、こういうところの病院にちゃんと連れてってあげるといいよとかがあると、できたらいいのになっていうのはありますね。
たしかに、そういうところ、何度も経験できることじゃないじゃないですか。
そうだね。
だし、実験もできないじゃないですか。
そうだね。
考えると、やっぱ絵本とか人文書っていうのってヒントがあるんですかね。
と思います、私は結構。
特に人文書なんて、人間そのものに触れていくようなものだし。
そう言って考えると、人文書の読み方もちょっと変わりそうな気がする。
やっぱり、生きることを考えたときに、死ぬことも考えることもあって。
思わず、すごい話になってきましたね、今回は。
心の穴っていうのは、ストレートに弟の死っていうのが振り上げられているし、
あと、直接じゃないけど、民族学系の本とか読んだりすると、結構いろんな死の捉え方の話があったりもします。
自分の心の準備と。
本当に準備が必要だったなって思う。
やっぱ準備があったほうがいいけど、でもそうじゃないことも、もちろんあるわけじゃないですか。
そうですね、自分の心の救済の仕方が見えてくるかもしれないですからね。
確かに、それはあるかもしれない。
心の穴。