突然お別れがやってくる場合もあれば、その人との別れに多少時間が与えられている場合があるかと思います。
そういう私も大切な母を今から16年前に水蔵がんで亡くしました。
水蔵がんというと、がんの中でも早期発見が難しい沈黙の臓器と言われています。
母の場合も水蔵がんが発覚したときはすでにステージ4と診断され、
余命5ヶ月と宣告されたのですが、幸いにも免疫治療などの効果があり、診断から2年後に亡くなりました。
これは水蔵がんのステージ4の平均寿命が6ヶ月から1年と考えると、本当によく頑張ってくれた2年でした。
当時私はすでにオランダに住んでいて、ちょうど6ヶ月の長寿を連れて日本に一時帰国していたときに、
母の目に黄色い感じの黄色い色が出て、おかしいなと思い、近所の内会に母を連れて行ったところ、
すぐに大学病院を紹介され、あれよあれよと言う間に水蔵がんと診断されたわけです。
当時は、ある大学病院で手術できますと医師に言われ、わらにも凄える気持ちとは、まさにこのことで言われるがまま手術をしたのですが、
お腹を開けてみると、実際がんは神経が集中していて、すごく難しい箇所にあって、
主要の一部を病理診断のために取ることができただけで、がん自体を取り除くことはできず、そのまま何もせずにお腹を閉めたという手術でした。
そして残念ながら病理診断の結果、やはり悪性腫瘍と診断され、予免5ヶ月と宣告されました。
母の場合は、その時5ヶ月という予免があったことで、私も家族も母とお別れする時間はある程度与えられていたということですね。
母が膵臓がんとわかる少し前に、私は一時専業主婦となることを決めたので、幼い長女とともに、幸いにも日本とオランダを行き来する日々が2年ほど続きました。
今は医療が進んで、体の痛みのコントロールなどができる時代になってきました。
しかし、死を目前とする人の孤独や不安といった心の痛みに関しては、我々はどのように対応したらよいかということは、なかなか学ぶ機会がありません。
医療の進歩により寿命が延び、高齢者が増えるのと同時に、死が身近になっていくことも事実です。
うちの母の場合も、この嫁5ヶ月をどう過ごしたらよいかということについては、本人も家族もいろいろ考えました。
今振り返れば、母は体に負担がある抗がん剤は大変、避けたいとの思いもあったと思います。
しかし、残される私の父や私の思いなどに配慮し、できるだけ抗がん剤を使って、同時に免疫療法も行いながら、がんと共に生きる希望というか、
そのようなものを本人は持ち続けてくれて、我々家族に希望を与えていてくれたのかもしれないと思います。
母は途中から、私や長女が日本に帰国する際は抗がん剤治療をお休みし、できるだけ体力がある形で私と長女と過ごしたいという気持ちがあったことから、
我々家族もその気持ちを尊重し、抗がん剤治療をその時はお休みしたりなどしていました。
実際、この本の中でも治療方針などについて、家族の間で意見が分かれたり、最悪の場合には仲違いが起きてしまうこともあり、
また、どうしても生きてほしいという家族の強い思いが死にゆく人を苦しめてしまう場合があると書かれています。
死にゆく人をサポートするのが大切なのに、死にゆく人自身は家族が争う姿を見たくない、これ以上悲しませたくないという思いから、
自分の本心を伝えられないまま、そして残される家族も死にゆく本人が本当に思っている言葉を聞けないまま、
安らかで自然な死を迎えられず一生を終えてしまう。
まず2の、聖なる諦めによって執着を手放し、現実を受け入れること。
これがとても私には響きました。
というのも、先ほどお話したように、母が嫁5ヶ月と宣告された時は、
なかなかその現実を受け入れられず、愛する母に死んでほしくないという思いや執着が、
母が本当に望んでいることは何かを考える前に、できるだけ母に長生きをしてほしいといった思考になってしまい、
母に聞きたいことも聞けないなど、色々なことで自分自身をがんじがらめに縛り付けていました。
日本に3ヶ月滞在し、オランダに帰り、また3ヶ月オランダに滞在して、再び日本に戻る。
こんなような生活の中で、常に1歳未満の子どもを毎回飛行機に乗せ、
時差などでギャン泣きする彼女を眺めながら、子育ての不安も母と共有できない。
だって母はもっともっと厳しい戦いをしているのだからと、こういった寂しい思いなど色んな思いが交錯して、
自分の考えもぐっちゃぐちゃで整理をつけることができませんでした。
ではどうすれば大切な人の死を、聖なる諦めをもって諦め、受けることができるのでしょうかと、
鈴木さんは本の中で問いを投げかけています。
皆さん、この点どう思われますか?
本の中で鈴木さんはこのように語りかけています。
引用します。
最も大切なのは、中略。
死にゆく人が何を思い、何を願っているのかを明らかにして受け止めるということです。
残される人が自分の感情だけにとらわれず、大切な人の本当の思い、願いを知り、受け止めることができれば、
死にゆく人は残してゆく人たちへの心配や後悔などを手放して、幸せに包まれながら旅立つことができるのです。
それが死にゆく人たちの最後の願いです。
そして見送る人は死の本当の意味を知り、死にゆく大切な人から大きな愛にあふれたメッセージを受け取ることができるのです。
鈴木さんは諦めるとは明らめることだとおっしゃっています。
この明らめるとは明らかにする、明るいという漢字を使った明らめるということです。
明らめるには勇気と覚悟が必要とのこと。
これね、本当にそうだなぁって思うんです。
私の母の場合、彼女が何を思い、願っていたかというと、最後は我々家族と過ごした家で迎えたいという希望でした。
基本的には抗がん剤治療を受けるときに病院へ行き、その後は自宅療養だったのですが、
最後の半年は信頼していた医師がいた東京の病院に入院し、その後実家近くの神奈川の病院に定院をして、
その間、我々は自宅で最後を迎える準備を整え、
介護用ベッドや酸素吸入器などの練習をしたり、訪問・介護の手配をしたり、
その回あってか、母は無事自宅に帰ることができ、自宅に帰ってからちょうど10日がたって亡くなりました。
家族一同としては、「はぁ、間に合った!」という気持ちでいっぱいでした。
一つの文でお話しすると、スラスラといった感じなのですが、現実には色々あって、
でも今思うと、オランダにいて親の死に目に会えない方がたくさんいる中、
自分はこうして母の死に至る2年間、本当にそばにいることができた運というか、幸せというか、
めぐり合わせに感謝の気持ちでいっぱいです。
弟2人と父がいる5人家族なのですが、とにかく皆、母が家で最後を迎えられるように動き、
ちょうど家族全員が実家に泊まっていた夜に母は息を引き取りました。
それはまるで家族が揃うのを待っていたかのようでした。
そして鈴木さんがおっしゃっていた3番目、死にゆく人との仲良し時間を大切にすること。
この仲良し時間とはどういうことなのか。
鈴木さんは本の中でこう説明しています。
引用します。
ろうそくが溶けて短くなっていくと、最後の方では炎は徐々に小さくなっていきます。
そして炎が消えかかる寸前、急に炎は強く明るくなり、その後にふっと消えてしまいます。
同じように、死が近づいた患者さんが突然元気を取り戻し、まるで病気から回復したかのような状態になることがあります。
その時、死にゆく人たちはそれまでの人生でやり残したことや、言いたくても言えなかったことなどを周囲の人に伝えることがあるのですが、
これを医療に携わる一部の人たちの間で、仲良し時間と呼んでいるというのです。
そして鈴木さんはこう続けます。
仲良し時間を穏やかに過ごし、死にゆく人の本当の思いを聞き届き、幸せな旅立ちの準備を整えることは、
残された人から死にゆく人への愛情の時間です。
そして、仲良し時間を幸せに過ごすことができれば、それは将来、自分が亡くなる時のための大切な経験と知恵にもなります。
本の中では、鈴木さんがシスターとして立ち会った数々の最後の仲良し時間について具体的な例が出されています。
そして、同じクリスシャンとして信仰があった遠藤修作さんとその奥様について、
遠藤修作さんが亡くなれる時などについても書いてあり、とても興味深く読みました。
実際、私も母とこの仲良し時間がありました。
それは、母が実家近くの病院へ転院した頃、
父と私が交代で、その病院で母の横で寝泊まりしていました。
その頃は、親戚のお見舞いなどがあることもあって、母の妹、私のおばが来てくれることもあり、
特に私のおばがいる時は、母の信頼できる妹が来たこともあり、
私はちょっと実家に帰り、長女と時間を過ごし、また寝泊まりに病院に戻るという日々でした。
その頃、ちょうど私が病院を去り、おばと親戚の人たちがいる時、
母はおばに、「ゆきこは?ゆきこはどこ?」とすぐ私の気配がなくなったことに気づき、聞いたっていうのです。
おばはすぐに私の携帯に電話をして、まだ駐車場にいた私は、
もうこれが母との最後の別れかもしれないって思って、かけ戻って私が母のそばに行くと、
はあ、よかったって、ゆきちゃんがいれば安心と一言言ったのです。
それまでは、母の存在が私の安心になることがあっても、
私の存在が母の安心材料の一つになっているとは思わなかったので、
それまでオランダと日本を行き来していた日々が、もちろん自分自身のためでもあったのですが、
私が横にいることが、母の安心材料となっていることが、この一言でわかり、
嬉しいと思うと同時に、このまま安心して亡くなってしまうのでは?って思ったほどです。
その後、無事、母を自宅に帰らせることができた時、
自宅に帰ってきた当初は、母も口がきけていて、
うちの実家は今の隣に和室があるのですが、そこに母の介護用ベッドを置き、
父はその隣で寝るっていうことをしていたのですが、
昼間、その和室に母と私以外誰もいない時、
この10月の温かな日差しが縁側から差し込んでくる日に、
お母さんは、ゆきちゃんのことはもう何も心配していないから、
どこに出しても恥ずかしくない娘だと思っていると、
そして、私の長女を優しい子に育ててねと話してくれたのです。
それまで聞きたいこと、話したいことが山ほどあったのですが、
これを聞いて、もう私はこれで一生生きていけるくらいの十分な言葉を母からもらったって思いました。
そして、これ以上何も聞く必要はないって思いました。
今思い返しても涙が出てくるのですが、本当に不思議です。
その言葉をもらったあの日の和室、縁側からの日差し、母の匂いなどを今でも鮮明に覚えています。
そして母は、私だけではなく弟2人とも父ともそれぞれ別の時間にこの仲良し時間があったのです。
そしてこの本を読んで、それは母だけにある特別なことではなくて、死にゆく人との仲良し時間だったんだって気づきました。
そしてこのような仲良し時間を死にゆく人と分かち合うためには、家族とともに向き合う死へのプロセスがあることも、著者の鈴木さんは説明されています。
それは次のような段階と流れがあります。
ここでは親を例えにお話しされています。
第1段階、まだ親が健康で元気なうちから、その時のことについて家族全員でしっかり話し合う。
第2段階、親が発病したら、まず初期では皆で病人を見守りながら医療的な治療に専念してもらい、家族が互いに希望を持って過ごす。
第3段階、病状が進行し、いよいよ余命宣告を受けた時は、親の死を受け入れる心の準備を進める。
第4段階、死の間際には仲良し時間を共に過ごし、家族全員が幸せに最後の時を迎える。
これは、お話しするとすごくロジカルで、別に普通のことを言っているようなのですが、
愛する人が病気になり、死にゆく人になった時は、これを実践するのはとても難しいことです。
だからこそ、この段階を踏んでいくというプロセスが大切だと思います。
うちの母の場合は、第1段階をすっ飛ばして、第2段階の発病と第3段階の余命宣告が隣り合わせてやってきたので、なかなか現実に心がついていかず、大変でした。
この第1段階である健康で元気なうちからその時について話すは本当に大切で、
いざ第2、第3段階に入ると、私のように母にあなたが亡くなるから、だから今聞いているのよっていうのを感じてしまい、
母の生きる希望も私がいろいろ質問して聞くことによって奪っているような感覚になってしまいます。
だからこそ、元気なうちに皆さん話してください。
それは治療方針だとか、延命治療だとか、葬儀についてなどとか、そういった実務的なことももちろんなんですが、
いろいろな思い出や聞きたいことがある人はどんどん聞いておいたほうが良いと思います。
私は残された父とそのような話をよくしています。
父も私も母の経験があるので、お互い事前に話し合う重要性を認識している間柄です。
しかしどんなに事前に話していても予定通りに進まないこともあります。
本の中では末期間の患者さんが緩和ケアを受けていたホスピスから外泊許可を得て週末自宅で家族で過ごしていたところ、
急に様態が悪くなり心拍停止となってしまった例が挙げられています。
本人もご家族も延命治療は望まないことで考えは一致していたのにもかかわらず、急に自宅で心拍停止という緊急事態が発生し、
一緒にいた家族はびっくりしてホスピスの主治医に連絡せず急いで救急車を手配。
現場に駆けつけた救急隊員からは、蘇生死途中は行うかどうしますかという確認があったところ、
その家族は助かる可能性があるならお願いしますと告げられたんですね。
救急隊員は救命という任務を果たすべく人工呼吸や心臓マッサージを行い、そのまま救急病院に搬送。
救急病院の医師は当然ながら今ある命を救うため最大限を尽くし、家族としては緊急事態という現実の中で全て医師に任せたため、
患者さんには人工呼吸器などがつけられ、望まないはずの延命治療が施されてしまった。
こんなケースも書かれています。
事前に話し合いがあっても、いざ予想とは違う緊急事態が起きたり、愛する人が苦しんでいる様子を見ると、
自分自身の感情も動揺してしまうことから、死にゆくご本人の意思が尊重されなくなってしまう場合があります。
だからこそ、家族と病気になったご本人との共通認識を常に確認し続ける姿勢が大切だなあって思います。