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今日は信仰、信仰に生きるとは何の意味なのか、それを一緒に考えていきたいとおもいます。
教会は手術者礼拝と金曜祈祷会のメッセージを通してビジョントリップをやっています。
なぜ信念の初めにこれを分かち合うのか。 私たちの個人と教会の方向性を確かにすることによって
神様に対する私たちの熱心が無駄にならないようにするためです。 私たち教会のビジョンは何ですか。
回復とリバイバルによって大収穫を準備することです。 そのビジョンの中で私たちの使命は教会回復です。
教会回復とはイエス様がお話しなさったマルコ2章22節
新しい葡萄酒は新しい革袋に入れるものだと言われたとおり 新しい葡萄酒であるリバイバルを準備する
新しい革袋の教会として私たちの教会が回復したいと思います。 では新しい革袋の教会はどんな教会なのか
またそうすれば本当にリバイバルが来るのか これは聖遺書の約束を通して皆さんに説明しているところであります
ですから今度の私たちのビジョントリップに本当に関心を持ってくださればと思います 新しい革袋の教会
これは正しい信仰の教会と言う それは5つの面を持っている器
ただ恵み ただ聖霊 ただ十字架 ただ信仰 ただ見言葉
今今日はただ信仰を学びますからこの5つの面はどんな器なのかを私たちがこれを今学んでいるところです
この器の中に中身は何かと言いますと信仰の本質です 保世話6章6節に神を知り神を愛する私たちの信仰を入れることです
それをするなら神様がその教会を用いて これから神様が最後の最後の時になさいたいというすべてを成し遂げてくださるでしょう
私たちがすべてできません神様がなさい 私たちは器作りをうまくやればいい
そこで熱心に求めることで神様が私たちを通して働いてくださるんです では今日はただ信仰によって
私はこのただ信仰によってこれをどのように説明しようかと悩みながら
マルコ5章に現れているある女性ある女の事例を通して説明したいと思います
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マルコ5章では12年間長血の出血が止まらない女がいたということです
この長血の病気ということを言うんですけどこれは婦人の病気で
多様な症状と痛みを伴うこのような病気です
聖書ではこの女は長い間この病気の故に私はこの病気の故に私の人生がダメになったと思われるほど
この病気が自分の人生の今すべてなんです だからこれを解決したいと思って
その過程で自分の財産をほとんど費やしてしまった
だからこの女性はこの病気の故に人生がダメになったと思っていること
だからそのくらい自分は辛さを持っていることがわかります
ある日この女性はイエス様に対する噂を聞きました
その噂を聞くとき その心に何か生じました
私はその方の衣服に手を触るさえできれば私は救われるという信仰が来たんです
皆さん信仰は来るものです だから彼女はこの信仰によって
群れの中に入って密かに 通り過ぎるイエス様の衣服に手を触ったんです
信仰によって手を触った瞬間 彼女の体に何か感じることがありました
出血が全く止まって病気が癒されたことを体で感じたと言います
皆さん信仰通りになったんです
もし彼女がイエス様が来られるから とにかく噂の通り素晴らしい方だなと思って
見に行って何かたまたま衣服を触ったと言ったら 何も行われなかったと思います
彼女は信仰によってその方の衣服に手を触ることさえば 私の病気が治るぞと思って彼女は触ったんです
これが信仰です 信仰はイエス様の力が現れるルートと言いましょうか
今日私たちも心に信仰を持ってイエス様に進み出ていくときに イエス様の力が現れるようになります
ここで皆さん 子供の過去今すごいクイズ
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彼女が癒されたのは何にゆえですか これはイエス様に対する信仰のゆえです
皆さん この信仰が私たちの信仰生活をすべてを可能にしてくれます
ヘブナイショー1中1章1節には信仰とは望んでいる事柄を確信し 見えない事実を確認することだ
難しいですね リビングバイブルではこう書いてあります
望んでいることが必ず叶えられるという確信が信仰だと言います
望んでいることが必ず叶えられると 心でキャッと持つことができる確信 これが信仰だと
この信仰が私たちを救います エペソン2章8節
事実あなた方は恵みによって信仰によって救われた このことは自らの力ではなく神の賜物だと言います
またこの信仰によってイエス様を受け入れるなら イエス様がその人の心に入ってくれます
この信仰によってイエス様を受け入れますと言ったら入ってくる またこの信仰によって信じるときに精霊が働きます
信仰の先輩たちはこの信仰によって数多くの奇跡を起こしました
このような信仰によって生きる生活には法則があります まずはじめに神様に進み出る唯一の道は信仰だけだと
信仰がなければ神に出会うことはできないということです 私たちは礼拝に参加して神に出会わなかった
なぜなんだろう 皆さん 信仰によってということを聖書は教えてくださるんですね
信仰は人格帯である神様と神の御言葉を信頼することだと言う
人格帯という意味は人間と同じような神様 神様は人間と全く同じです
その神様と神の御言葉を信頼することだと
それで神を知るぐらい神を信じることができるし 神を信じるぐらい神の栄光を体験することができると言います
皆さん 神の栄光を体験したくありませんか
信仰です 信仰がなければいけません
ところがこの信仰はどうすれば持つことができますか 聖書は私たちに信仰と神の御言葉
信仰と聖霊は緊密な関係性があると言います 私たちが聖書を読むときまたメッセージを聞くとき
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聖霊の働きがあったらそこによって信仰が生じます 神の御言葉に聖霊の働きがあったら信仰ができます
ですからその時理論的な聖書 皆さん聖書はもう理論的な言葉でしょう
これをロゴスと言います それが霊魔 生きている御言葉になっていくんです
聖霊の働きが大事です ある人が証をするんですけど証を聞く私に聖霊が働いたら
この証が私もそうなるかな 私もそうなるぞと思っちゃうんです
だったらその通りできます だから中二年間長地の病気に患った姉妹にも
噂を聞くとき聖霊が働いて 私も治るかもと思って彼女は人の中に密かに入って
イエス様の心に手をタッチするたんです
このような聖霊の働きはどのように私たちは行うことができますか
聖霊は神様ですから私たちが勝手にこうだこうだやってくださいということはできません
本当に聖霊の働きは謎です しかし聖霊様は祈りを通して働かれます
ルカの十一章十三節 神様は求める人に聖霊を与えてくださろうと言います
祈りです 祈りによって聖霊様が働かれます
私が働いてくださればいいなと思うことだけではできません 神様に祈ること
祈るとき聖霊は働きます 信者たちに一番大事なのは信仰です
しかし信仰に入るところにはいろいろな段階があるし 間違えた信仰に流れる場合もあるし正しい信仰に流れる場合もあります
ですから信仰を持つとき その後に大事なのは信仰を教育ということが大事です
まず私のケースを申し上げたいと思います
私は大学3年生のとき 在学中に軍隊に行きました
韓国には国防の義務があって 男性は必ず 私のときには3年だった
3年間軍人に行かなければいけなかった
私の夢は 博士になって大学教授になることが私の夢でした
ところが軍人に行って3年間 軍人の生活で勉強ができないから
だから3年間すべてを忘れてしまったような
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それで軍隊から学校に副学をしたら 世界が完全に変わっていきました
私はエンジニアですから 一番大事なのは数学ということでしょう
でも私のときにはスカラー概念で学んで 今はベクターという3次元の
次元が違う勉強をしているんですね
だから私は心配しました
学校に行ってみれば 今まで軍人に行かないで ずっと勉強した在学生たちは優秀ですよ
私は博士じゃなくて大学にまで入れないんじゃないかと 大変心配を持ちました
これから私はどうすればいいんだろう 私の人生はどうなるんだろう
そのときに神様に祈ってみたいと思いました
なぜ皆さん 私は神様教会を思い出したのか
私は教会学校出身です
小さなとき 私の教えてくださった先生が 教会に通って行って
私たちは日曜日 教会に行きましょうと言って 子どもたち全員連れて教会に行って行ったんです
そのときに私は不思議な気持ちで 神様に対して 私は何か心に何かあることがある
私は今 教会学校に力を入れている理由は
子どもたちは今自分は分からないでしょう 100年の人生の中で何が起こるか分からないので
そのときあなたは悩みの中で神様に求めなさいという 親の願いが教会学校です
教会学校大事ですよ この後に全て忘れるでしょう
しかし人生の難しい場面で 子どもたちは教会に行くはずです
私がそうだったからです だから私は教会に行きたかった
しかし父親は教会大嫌いなかったで 怖かったから
私は父親を避けて みんなが寝ている 寝ている朝 一番早い
蒼天の祈り会に参加しようと思いました
それで蒼天の祈り会に早く起きて行きました
水に溺れた人が藁でも捕まえようとする その気持ちでした 私の人生これからどうなるか
その日 この蒼天の祈り会を導く女性の伝道師さんが
この見言葉を朗読されたのですが これがヘブライ書11章6節でした
信仰がなければ神に喜ばれることはできません 神に近づく者は神が存在しておられること
また神はご自身を求める者たちに報いてくださる方であることを 信じていかなければならない
この見言葉を聞く瞬間 皆さん大半まで私の頭をバーンと殴るように
見言葉が私にぶつかってきたんです これが私は多分
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長知の病気に患れていた女性がイエス様の噂を聞くときに 彼女の心に信仰が来たということと同じだと思います
私は昔から子供の時から神を信じていた 私は神様を否定したことがない
だったら信仰を持って神様に進み出れば 神様は私の声を必ず聞いてくださると
先週約束したから これから教会に行こう
毎朝早天の祈り会に参加しました 祈りました
不思議不思議 皆さん初心者の祈りが一番よく聞かれるんです
祈りの答えがバンバン来て 私は不思議な神を体験することができました
ですから私は正式的にその教会に出席することを決めました
ところが教会って誰も知り合いもいないし 先生のメッセージ聞いても全くわからない
だから当時はもう祈りばっかりして 見言葉は全然関心がありませんでした
とにかく家族を救ってください 私の今の当面の問題を解決してください
不思議にこの祈りが全部答えられるんじゃありませんか
当時はもう見言葉を学びたいんだけど メッセージだけ聞いてよくわからなかった
体験的に誰か教えてくれればと思った
だからそれを教えてくださる選挙団体に行って訓練を受けました
それで見言葉を学んでいるある日 春の休みにあってお盆休みですかね
その時にみんな山に登って修練会に行こうと
その修練会の時に僕先生のメッセージが 私をバーッと心を支えました
その時私は大きく悔やられました 3日間泣き続けました
その時みなさん 天国の味見をしたと言いましょうか
罪が解決できて 許されたこの確信が来て
天国の味見をしたこの瞬間 こんな立派な素晴らしい神様を
全世界に使いたいと思って その修練会の時に私は
私を選挙主と使ってください 検診をしました
私の場合は 初めは自己中心的な問題を 解決するために神を求めたんですけど
この後信仰生活しながら神の愛を悟って イエス様の恵みを体験して
神様のために行きたいと そのような段階で進めてたんですけど
しかしそれでも私をうまく教えてくださる 先生がいなかった
だから長い間 宗教信徒 自分の問題解決のために
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長く長く信仰生活しました その後私は十字架の福音を学びながら
正しい信仰は何なのか これを全て体系的に学ぶことができました
私は長い間迷いを通して考えたことがあります
信仰生活される方は 約3つの部類があるんじゃないかと思います
まず初めにイエス様を受け入れて 救われたということによって
私は天国に行くんだ それで信仰生活が終わったように
それで自分の自己中心的な信仰を やっている方もいます
またある方は救われました それで祈りの体験をしました
それにも関わらず続けて 自分の関心がこの世の中の問題解決ばかり考えて
それで神の手を求める信仰があるな ということが分かりました
もう一つは救われて その恵みに感謝して
これから私の人生 あなたに捧げます
それで主が願われる神の御業 主の栄光のために生きる
神の御業を求める信仰があるということです
ところが皆さん その信仰を神様が喜ばれるのか
その結末はどうなるのか それは深刻に考えてみなければなりません
聖書はそれをいろいろなことで 説明してくださるんですけど
広い道に行く また細い道に行く
また畑も四つの心がありますね
道端 石だらけの地 茨の心 また横いちの地
いろいろあるんだということを 私たちが教えてくださる理由は何でしょうか
結論から申しますと 滅びに至る道もあるし
永遠の命に至る道もあるんだと
信仰生活をしているんですけど 滅びに行く道があるんだ
永遠の命の道があるんだと
皆さん これをよく考えなければなりません
救われたということは 信仰の始まったということです
また終わりではありません
私たちの信仰生活の終わりは 天国に入る瞬間終わりです
これからは心配しなくていいです
その間 油断してはいけません
信仰の段階は 救われて 祈祷される段階があるし
この次に聖火という段階がある
それで栄華という段階があります
祈祷された それで終わってはいけません
聖火の段階をずっと通り抜いて
そして栄華という段階で 神の国 天国に入る
そこまで私たちの信仰を 保ち続けなければならない
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それから緊張して その信仰を持っていかないといけない
だから マタイ7章21節に
私に向かって 主よ主よと言う者が 皆 天の国に入ることではない
私の天の父の御心を行う者だけが 入るのであろう
その人だけが入るということを よく考えていかない
ただ神の手を求めながら 聞いてくだされば 感謝します
それからは世の中の自分のまま 熱心に過ごしながら
また問題があったら 神様 神の手を求めながら
神様を助けてくだされば 自分の目的のために行く
これは実行中心的な信仰ですね
このような信仰は アラノの40年間イスラエル人のように
死式のイスラエル人のように
旧約で滅ぼされたイスラエル人のような 信仰になります
この信仰を4編の106編の15節には
主はその願いを叶えられたが 彼らを痩せ衰えさせられたと言います
痩せ衰えさせられた これをNIV聖書では
ウェイスティングディジーズと言います
これは消耗病ということです
ますます使えなくなる信仰がなった
霊魂に病気になった かかったということです
だからイスラエル人たちは アラノで死んでカナンに入れなかった
そのような人になったんです
ですからここで大事なのは 信仰教育ということです
救われたといって終わりではありません
この次に必ず十字架の福音を 学ばなければなりません
皆さん自己中心的な信仰は 自分の目的のため
自分のやり方で自分の熱心で 信仰生活すること
自分の目的ゴリアク 自分の熱心でジンポン主義
自分の方法でジンポン主義 自分の熱心で立法主義信仰です
そうしたら皆さんこれはバリザイ人のように イエス様から叱られるばかりの信仰になります
私たち神中心的な信仰 今分かっているただ恵み
ただ精霊 ただ十字架 ただ信仰 ただ見言葉
その器に信仰の本質を入れる 神を知り神を愛する
そのことを求める信仰にならなければなりません
また神の手をばかり求める信仰じゃなくて 神の御化を求める信仰しなければなりません
そうするときに神を知ることができ その人に親しみが与えられるんです
神様との親しみ そしてその時御声が聞こえて PLOの生活ができます
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こうするなら私たち信仰の素晴らしい先輩たち
モーゼ ダビデ パウルのような神様の親しみができます
主の栄光を見て 栄光から栄光へと無限な成長ができます
皆さん私たちの信仰は今このことでとどまっているでしょう
神は無限なお方です 神の世界は無限な宝があります
私たちは入り口で何とか入ったり 深い海があるのに
海辺で子どもたちが波を乗って 怖い怖いと言いながら入れないような
こんな信仰じゃなくて 無限な神の世界の中に入って
無限な神の栄光 神の素晴らしさを体験する信仰
これは神の御香を求める信仰を持たなければならない
それがモーゼだった ダビデだった パウルだったんですよ
その人たちはそれを感じてから この素晴らしいことを見て
この世の中の排泄物と思って それを目指して神様の前に進み出てきました
皆さん私たちはこの大事なのはこれなんですよ
信仰がますます強くなるんじゃなくて すぐ冷めてしまう すぐ冷めてしまいます
なぜ信仰が冷めてしまうのか この茨の地のような心
ルカの8章14節でこう言います
そして茨の中に落ちた者は神の御言葉を聞くが 途中で人生の重い煩い
また富や快楽の誘惑に覆われて 身を軸するまで至らなかった
結局茨の地に落ちたのは そのことは神の国にならなかった
神様に至るまで成長できなかった
結局ダメになったということです
皆さん信仰によって生きるものではなく 人生の重い煩い
富と快楽の誘惑に覆われて そこに心を奪われてしまうなら
命の義運が塞がれて信仰がダメになります
ですから私たちは私たちの心にある石だらけの畑は 石を全部取り除いて捨てなきゃいけない
石 軸を中心 頑固な自分の何かが捨て 主張を捨てて
茨は心配 悩み事 誘惑に陥る そんなことです
世の中のいろいろな誘惑 そこに弱い 自分の中の弱さ
その茨を全部取り出して 全部燃やして捨てなきゃいけない
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それで自分の心を耕して 耕して また耕して
良い土に作って そこに見事場によって信仰 信仰 信仰
そうするとき私たちの心が良い土で 神の国が豊かに実るように増し遂げられるんです
このために皆さん一番大事なことは何か 教会なんです
教会共同体として集まり 毎週毎週見事場と賛美と祈りと礼拝
それが必要なんです 信仰に火をつけて燃え続けなきゃいけない
皆さんキャンプファイヤーをするときに 木の枝一本にうまく火がついたと思いましょう
一本だけだったらすぐ消えてしまいます しかし枝がたくさんたくさん集まっておいて火をつければ
長く長く燃え続けることができるんでしょう
一人で信仰生活するなら何かあるとき恵まれるかもしれませんけど すぐ消えてしまいます
しかし私たちは教会に集まって見事場を聞いて 祈りをお互いにしてもらって賛美をしてもらって
今日教会がギターを持って賛美するから 中尾先生が来たなと思いました
素晴らしい やっぱりギターがあっても全然違うでしょう
いつか神様がピアノを与えてくださって賛美するなら皆さん涙が出ると思います 感激すると思います
それが何かと言いますと信仰に火をつけることです 見事場によって火をつける賛美によって火をつける
祈りによって火をつける 恋愛の力が神様の信仰に火を続けて続けて燃え続けてあげることです
その信仰が燃え続けるときに 人を救ったり癒したり また大出る人々を助けたり
神の栄光のために自分が持ち入れることができるんです だから私たちはもう火で燃やされ燃やされ
完全燃焼してそれで死のために働きながら 最後に私たちは天国に入ることができればと思います
このように消えない 燃え続ける熱い信仰によって
神様を喜ばせる私たちになれればと思います 皆さん信仰は今弱くなってますか
もう火が消えてますか ダメです
見事場と賛美と祈りと恋愛 お互いの交わりによって自分の信仰は自分が火をつけるべきです
燃え続けるべきです それを通して主に持ち入られ 隣人に持ち入られ
家庭も教会も全て信仰によって生きる素晴らしい働きに 役に立つものになれればと思います
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最後にヘブライショ中1章6節をもう一度読みたいと思います
信仰がなければ神に喜ばれることはできません 神に近づくものは神が存在しておられること
また神はご自分を求める者たちに報いてくださる方であることを信じなければなりません
皆さん1週間礼拝に参加しなければ火がパッと消えてしまう 礼拝に参加しなきゃいけない理由
燃え続ける燃え続ける 燃え続ける熱い信仰を私たちがいつまでも持ち続けたいからです
この世の中で罪 サタン 悪魔 いろいろな誘惑問題が来るんでしょう 心配事がいっぱいあるんでしょう
燃える信仰を持って 燃え続ける信仰を持って出ていくなら全部消えてしまう
その信仰が救うんです 信仰が神の御業を行われるんです
ぜひとも燃え続ける信仰を持っていきましょう お祈りいたします
神様 今日はただ信仰によって生きる生活を学びました
いつも 信仰に見言葉と賛美と祈りによってまた礼拝によって火をつける
そして燃え続ける信仰 その信仰によって疑いもなくなり心配もなくなり恐れもなくなり
それで単純だけど力ある人生にならせてください 救いと天国を確信するから
いつまでも喜びあり美しいキリスト社にならせてください イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン ありがとうございます