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2013-04-07 42:32

2013/04/07:教会とは(1)信仰の共同体

2013/04/07 聖日礼拝

尹善鎬牧師

マタイの福音書 -19

00:01
みなさん、おはようございます。
では、見事をいただく前に一言お祈りいたします。お祈りしましょう。
神様が過ぎた一週間も、本当に新年祝福大合祈祷会、また水曜日午前の夜の祈祷会を通して、また様々それぞれのお家で礼拝祈祷なり、祈り賛美のなり、その中で主が恵んでくださり、守ってくださりまして、また礼にもやされ恵まれて、主の御前に近づいてまいりました。
どうか主よ、愛する兄弟姉妹よ、このところに主が集めてくださったこと、本当に主よ感謝をいたします。
私たちが捧げる礼拝が、神様に喜ばれる礼拝であります。
今から御言葉に耳を傾けます。
しもべを聞きます。主よ、お語りください。私たち一人一人の礼拝を主題してくださいます。
天の御国を見ることができ、神様の御心を知ることができ、そしてその御言葉通りに生きるあなたのものとあらすめてください。
このものがくって、主の英語だけがあらわされ、聖霊様がこの中においでになりまして、行きめくって一人一人の心の中に、礼の中にあなたの御教えを授けてください。
探査って御前に至れて、神様の御願によってお祈りいたします。
アーメン、アーメン、感謝します。
今日からですね、3回あるいは4回くらいにあたって、教会とはという題を持って、
共に考え、また御言葉に学び、神様に学び、そして教えていただき悟って、主の教会をその名にふさわしい教会として、神の英語に満ちる教会として、私たちが一つになってですね、立ち上げていきたいと願っています。
今日のタイトルにもありますけれども、皆さん、教会は信仰の群れ、信仰の共同体です。
何より皆さん、信仰が一番です。信仰が一番重要です。
03:01
教会とは、天皇、父親、神様を唯一の主と信じ、イエス・キリストを祝い主として信じ、受け入れた霊的共同体といいます。
すなわち、信仰の共同体です。
そのことをですね、覚えていただいた上で、今日の説明の箇所にしたいと思いますが、
今日の箇所を見ますと、イエス様がデヒカツにですね、このように尋ねられました。
十三説の中ばかりですか、人々は人の子誰だと言っていますかと尋ねられたんですね。
そしたらデヒカツがですね、パーフェクト様の弱音がエリアだ、エレリアだ、ゆげん様一人だと言っていますと答えたんですね。
そしたらイエス様が今度は、そしたらあなた方は私を誰だと言いましたと尋ねられました。
このイエス様のクエスチョンは、今朝、皆さんお祈りをした時に私たちに質が尋ねられているクエスチョンでもあります。
その時にですね、ペセロがこう答えました。
それがこの有名な十六説なんですね。
あなたは生きる神の御子キリストです。
あなたは生きる神の御子キリストです。
皆さんペセロは群衆のようにイエス様はただ人間の預言者の中の一人だ、ではなく生きる神の御子キリストですと告白したんですね。
これは素晴らしい信仰の告白です。
イエス様を正しく知っているわけなんです。
皆さん私たちはですね、神様を、イエス様を、精霊様、この神の御言葉の、この聖書の御言葉を正しく知る時に、正しい信仰を告白することができるんですね。
よく知っていないのに、どうして正しい告白をすることができるんですか。
例えばですね、皆さんほとんどの方が結婚されたんですけれども、結婚する前にですね、あまり知っていないのに三門にあるどこかの喫茶店にあってですね、
06:11
その翌日結婚された方いらっしゃいますか。いらっしゃらないんですけどね。
よくお互いに知り合って、知ったからプロポースができるわけなんです。
愛の告白ができるわけなんです。
イエス様を、神様を正しく深く、御言葉にあるようにその広さ、高さ、深さをよく知った人が正しい信仰の告白を、このペテラのようにすることができるんです。
だからこのペテラの信仰告白が素晴らしいことなんです。
そのペテラの信仰の告白を聞いていらっしゃったイエス様は、このようにとても重要なメッセージを語ってくださいました。
これはイエス様の宣言なんですね。それが今日の言葉の十八節。
では、私もあなたに言います。あなたはペテロです。
このペテロは百通にもありますけれども、言語の意味は岩という意味なんですね。
私はこの岩の上に、つまりこの岩はペテロの信仰告白、彼が告白したその信仰を意味します。
ペテロという人間を意味するんじゃないんですね。
彼のそのイエス・キリストは生きる神の御子・キリストですという信仰告白の上で、私は私の道家を建てますと宣言してくださいました。
ハデスの門もそれには打ち立てませんと宣言して教えてくださいました。
皆さん、これを言い換えますと、イエス様は私たちの信仰の上に、信仰による告白の上に主の教会を建ててくださるというメッセージです。
逆に言いますと、信仰がないと教会は建たない、建てられないという意味でもあります。
建物は立派な建物を建てることができるかもしれません。
でも信仰の告白のないその上では、主の教会を、この霊的教土体を、信仰の教土体を建てることはできないわけです。
09:11
ですから、教会、そこには一番重要なことは、まさに私たちの信仰なんです。
イエス様は、今日も素晴らしい日本イエスキリスト教団の告白を、皆さんが月に2回告白していらっしゃるんですけれども、本当にその通りなんです。
イエス様を救い主として信じて、神は今も生きておられ働いていらっしゃるんです。
それを信じる信仰。キリストは神の御子であることを信じる。聖霊様が私に内じる、そして働かれる、清めてくださる、それを信じる信仰。
主の民は勝利するという御言葉を信じる信仰。この信仰の上に、主の教会が建て上げられていくわけなんです。
だから教会は信仰の群れ、信仰の共同体なんです。教会が教会らしくないケースを話したいと思います。
これは目的、その本質について話しているわけなんです。
例えば、教会は趣味教室ではありません。文化カルチャーセンターでもありません。あるいは自分の腕を振る舞うコンサートホールでもあります。
こういったものが普通的に道具として用いられることはとても素晴らしいことでしょう。
でもこれが目的に本質になってはいけません。本質と基本質が逆転されてはいけない、本末転倒になってはいけないことなんです。
基本質的なものはいくら変わってもいいんです、変えてもいいんです。
でもこの信仰の告白ですね。例えば、生徒には見たが誤りがある。そう、変わってはいけない。
でも基本質的なものはいくら変わってもいいんです。
皆さん、この信仰、目的を本質をつかんで進んでいくときに、その教会は健康な教会。
ですから皆さん、私たちが、まずですね、その教会で信仰生活、あるいは様々な方針に携わるときに、
12:07
まず自分自身の信仰について深く悩んで、考えて、祈って悟らなければなりません。
自分自身の信仰の精神がどれほどなのか、精霊に照らして教えていただけですね。
自分の信仰のために泣き、自分の信仰のために祈り、信仰の成就のために御言葉のあるようにですね、立派な信者になれるように、
そう思いませんでしょうか。
ですから、牧師をはじめ、薬、すべての法師さん、あるいは教科学の教授の皆さん、自分の信仰が一体どれほどなのかを教えていただいて、
そして本当に神様に喜ばれる、認められる、あなたの信徒は立派だとですね、喜ばれる信者になれるように、
先は祈って、祈っていかなければなりません。
法師者になる前に信者に、
精神一体でですね、一緒に見てみたいと思います。
ヘブルの、ヘブル書ですね。ヘブル書、第十章、二十二節です。
新約聖書、四百三十六提出。
それでは、二十二節を文書にしたいと思います。
三、そのようなわけで、私たちは心に火の注ぎを受けて、
邪悪な良心を清められ、体を清い水で、
ですから、全き信仰を持って、真心から神に近づくはありませんか。
後半にですね、何を持ってですか。
全き信仰を持って、真心から神に近づこうではありません。
皆さん、神様の御前に近づく時に、私たちに求められることは、
全き信仰なんです。
15:01
皆さん、神様は、私たちの信仰を見られ、信仰を計られません。
私たちの体重は計られません。
信仰、信仰の元数が何年なのか、
あるいは法師が何年されたのか、
例えば、明治教会で何年あったのか、
あるいは、自分がどんな大学を卒業したのか、
どんな才能を持っているのか、
それはですね、あまり重要なことではありません。
なぜでしょうか。
神様は心を見られるからです。
信仰を見られるからです。
信仰を見られます。
今ですね、4月1日から新年度を迎えてですね、
朝6時、午前10時の江戸時期、3回もなんとですね、
祈祷会を開いていますけれども、びっくりしました。
なぜびっくりしたのでしょうか。
皆さんの信仰がとても素晴らしい。
神様が聴いているうちにですね、
スポンジが水を吸収するようにですね、
よく熱心に聴いてください。
よく書いて、目指してですね、
祈るときもですね、もう熱く祈られるんですよ。
もう涙、また鼻水も出てですね、
泣きながら、もがきながら祈ってください。
5分、10分ほどで、30分も1時間も祈っていらっしゃる。
1日にですね、もう2回、3回もおいでになる。
足がちょっと不便な方もですね、
もう20分、30分もですね、歩いて、
夜も来て祈っていらっしゃる。
月曜日から土曜日までですね、
1日もかかわさず来ていらっしゃって祈っていらっしゃる。
本当に、僕一人としてですね、
すごいな、感動して感謝しております。
役人の皆さんもですね、
先生もどんどんどんどんやってほしいと。
目標をよく使い、よく助けてください。
天使なんですね、助ける天使なんです。
本当に心の畑がですね、とてもいいんですよ。
神様が喜んでおられると信じます。
ヘヴルピッドの手紙11を6節見たら、
信仰がなくては神に喜ばれることはできません。
18:03
何がなくてですか?
信仰がなくて。ある意味ですね、
他のものはなくてもいいんです。
でも信仰がなくては決して神様に喜ばれることができない。
なぜでしょうか?
教会は信仰の群れ、信仰の共同体だからです。
教会の中ではですね、ちょっと腕が、実力が、あるいは格質が足りなくてもいいんです。
信仰さえ立派であれば、また成長中であれば、
主はそれを喜んでおられる。
信仰のように教会の中を見てみますと、
その中には平安がある。
喜びがあるんですよ。喜びがある。
僕からですね、何かしませんか?誘われて、
もう嫌々ながらですね、強いられて死ぬんじゃなくて、
喜んで、喜んでですね。
私、九州の傑技コンベントにですね、何回参加したことがあるんですけれども、
法師の村上先生がおいでになってですね、
この喜んでという、私は知ってますけど、
東京なのか、どこかの食堂に行ったりですね、
なんか週末をするんですよね。
そしたら、店員さんがですね、喜んで、喜んでと言ってですね、
こう持ってくると、そういうことです。
皆さん、果たしてですね、店員さんたちも喜んで、
お客さんに接待しているのに、
皆さんは神様に喜んで、こうしていらっしゃるでしょう。
信仰さえあれば、主が喜んでおられます。
だから信仰が一番なんです。
だから教会を皆さん、他の者様といって、
この信仰によって主導されなければなりません。
教会を導く、引っ張る全能力は信仰なんです。
他の者が教会を引っ張ったりしたら、
線路から外れてしまう。
あるいは、他の待ち方方向に行ってしまいだす。
その本文をよく覚えていただきたいと願っております。
ジェス様は、主の教会を殿堂の上に建てるとおっしゃっています。
あるいは、人の上に建てますともおっしゃっています。
あるいは、鐘の上に建てますともおっしゃっています。
21:01
ただ、信仰の上に私の教会を建てますと。
ですから皆さん、信仰の立派な教会は、
何をしてもですね、信仰をもってそれを進めていきます。
全知全能の神様、不可能を可能にしてくださる神様、
マイナスをプラスに赤字を黒字にしてくださる神様の
その無限なる力を信じる信仰をもって進めていきます。
状況や現状やそういったものは審議しません。
神様を信じる信仰を見て仰ぎて進んでいくんです。
信仰の良い教会は、例えば教会紹介をしても会議をしても
役員会をしてもですね、賛美と祈りの恵みをもって恵みが満ち上がります。
会議をしても何をしてもですね、恵みで満たされるんです。
恵みで満たされます。
なぜでしょうか。信仰の上に立っているからです。
お互いが信頼をもって、愛をもって、尊重する心をもって
決めていくわけですから、そこに恵みがあるわけなんです。
聖書一箇所、もう一箇所見てみたいと思うんですね。
エペソービストに載っています。
6章7節です。380ページです。
それではご一緒にお読みしましょう。
3、人にではなく主に仕えるように善意をもって仕えなさい。
アーメン。
信仰の立派な教会は、人にではなく主に仕えるように善意をもって
お互いが仕え合う教会なんです。
だから信仰の立派な教会はですね、
愛が満ちあう、
仕えることが満ちあう、謙遜が満ちあう、
お互いを愛し合う、愛が満ちあう。
一つの教会を紹介して明かしておきたいと思うんですが、
札幌にですね、希望の川川教会があるんですけど、
この教会にとても真立派な信仰を持つ役員さんが一人いるんですね。
その教会は駐車場がとても白いんですよ。
24:00
三回行ったことあるんですけれども、
たぶんですね、56時台は停められるスペースがあります。
北海道はですね、別海道だから何もかも別海ですね。
海道も駐車場がないんですけれども、ほぼ満杯になって、
改築するか増築するか。
だけども駐車場をまた使うのはいけないし、
でも周りの墓地もないし、祈っていたんですね。
そういったところ、私の派遣協会の今言論博士になられた京先生を高地でお迎えして、
正解をその教会が開けました。
そのときにですね、なんとこの役員さんがですね、我が家が一番恵まれた家だから、
それでその先生をわざわざ自分のお家に泊まっていただいて、
朝昼晩食事も一緒にしながら、先生からですね、よく見事いろいろ教えていただきました。
もう恵まれたいですね。もう食事のすべての世界も本人がですよ、自分でもうお仕返しします。
それを役員会で言ったら、みんな、ほかの役員さんも、
ああ、それいいですね、思い入れてくださいと。
でも自分がゲームだってですね、絶対もうですね、一切のようも研究しました。
で、最後の正解が終わってですね、朱人牧先生と役員さんと松本先生が教会の周りを回っていたんですね。
そしたら、街道の裏に畑がありました。
畑でもないような、畑のようなそういう空き室があったんですね。
そこが欲しがっていたんだけれども、役員さんがなかなか売れて、売ってくれない。
もうとんでもない値段を言っててですね、もう買うことができないほど諦めていたんですね。
そしたら、この話を聞いた松本先生からですね、そしたら役員さんの牧先生に、そしたら、
明日から特別喜怒会に入ってください。祈って、祈って。神様は全てをもうやってくださるから。
それでその役員さんが、研究委員長だったんですね。
それで、あなたが委員長だから、何か報告するときに、教会の皆さんに、
順調にうまく今進んでいますよ、そうだけで言っていいんですよと。
それで、そのとおりに従って、教会が特別喜怒会に入りました。
役員さんは、もうちょうどメッセージをいただきましたし、自分は神様に本当にもう多く捧げたい。
で、祈って、祈っていたところ、不思議なことが起きました。
その、もう心が固くなら、頑固だったこの柳井さんがですね、教会に行ってですね、土地を売り上げてきて。
27:06
なんと少し言ったら、他の役員さんはですね、またとんでもない値段を言うだろうと思っていた。
でも、その役員さんは、これは神様のお答えだと信じて、信じてみたら、なんと安い値段で言ってくれたんです。
教会がお願いしたわけではないんです。
向こうが自分の足で教会に来て、売りたいですと言ってくれた。
教会がその土地を購入して増殖をしました。
その後も伺ったんですけれども、もうきれいで立派な回答ができて、
皆さん、信仰さえ、主はその信仰を見られて、個人の人生も主の教会も神様が。
皆さん、このようにですね、教会の中で一人だけでも立派な信仰を持っていれば、もちろん十人、三人、全員がみんなですね、立派な信仰を持ってほしいですけれども、
そうなっていくと、神様はその信仰を見られて、全てのことを無視してください。
自分はどれほど思っているか、それはもう関係ありません。関係ありません。
神様は皆さんのポケットを狙う方ではないですから。
ですから皆さん、教会は財政や人事や、そういう心配いらないんです。
その建築研究もですね、その教会もですね、その一番恵まれた役員さんが一番多く捧げた。
皆さん、信仰とは、わかりやすく言えば、神様に対する愛です。
神様に伝う私たちの愛なんです。
信仰がいい立派な信仰、どういうものでしょうか。
神様を本当に本当に愛することです。
それが一番信仰の良いクリスチャンです。
ですから、信仰の良い牧師は、信仰の良い信者は、神様のためなら、
神様のことのためなら、もう犠牲も喜んで、命も喜んで、どんなこともすることができるんです。
本当に人を愛するならば、どんな犠牲も道具もしんどくありません。
喜んでできるんです。
この十二の弟子たちもですね、精霊に恵まれた彼らたちが帰られてですね、
30:00
もうみんな殉教したんですね。
喜んで、喜んで。
例えば皆さん、十代、二十代のですね、若い者だけはですね、
自分が好きなカスとか俳優さんとかなんとかマニアがいるんですよね。
彼らはコンサポンに行くためにですね、九州から北海道まで行く。
いや、アメリカまで行く。
自分のお金で時間を出して、そこに行って、一日もずっと待っている。
でも、退屈じゃない。しんどくないんですよ。楽しみなんです。
なぜですか?好きだから。愛するからです。
愛したら、愛したら、愛していたら、何でもできるんですよ。何でもできる。
皆さん、結婚される前に、デートされたときにですね、夜十時、十一時までですね、行ったり来たりするじゃないですか。
うちもですね、デートするときに、私は運転ができなかった。
妻は運転ができてですね、車に乗って家に行くんですね。
そしたらまた別れたくない。さあ、あなたの家まで行こう。行って。
そしてまた家まで行かなきゃ。また行ったり。
それを何度もしたことがある。それで十時、十時、十一時になる。
帰ってきてまた電話する。
それで自分は寝てしまうときがよくありましたけれども。
なぜ、そういうふうにするんですか。愛するからです。
神様を愛する。教会を愛する。あるいはね、牧師を、巨大すなわちを愛したらですね、喜んで何でもすることができるんじゃないですか。
ですから、愛が深ければ深いほど、忠実な信者になります。
愛が厚ければ厚いほど、謙遜な信者になります。
愛が厚ければ厚いほど、犠牲を、禁止を、喜ぶ信者になります。
教団のある教会の話です。
学校の長子をされた夫人の方が引退されて、その方は一人だったんですね。家族もいなかった。
年を召されて静寂に行かれて、そこで天国に召された姉妹ですけれども、
彼女は若い時も土俵とられた後も、教会を牧師とどれほど愛したか、本当に模範的な死んだとそうです。
でもびっくりしたことは、その方が召されるときに、親からもらったことなのかわからないんですけれども、
その遺産の現財産が約1億円くらいだった。
33:03
それを全国教会に献金で、その献金の中で10%を教会は教団を問わず、
牧師先生、牧師夫人の研修や学びのために、きちんとしてそれを用いている。
死を愛するから惜しまず捧げることができる。惜しまず捧げることができる。もったいないなと思います。
妙大の教会にもこのような素晴らしい信者さんがいらっしゃったことを聞いて、自分もメッセージを2回させて、
また司会をしながら皆さんと話し合い、祈り合う中で、本当にとてもいい信仰を持っている。
そういうことを感じて、分かって、本当に心から感謝していました。
それで木曜日、金曜日、新学校の入学式がありまして、
私は研究生で1年を勉強しているんですけれども、先生方にお会いして、妙大の教会のことを誇っていました。
先生はとてもいい教会に仕返してくださって、本当に感謝しています。
とても信仰も素晴らしい。木曜日から金曜日に1日に20人も来て祈っています。
すごいですね、ユン先生。燃えていますね。
皆さん、神様はストーリー一人の信仰になれます。そしてその信仰を見て、死が素晴らしいことをなしてください。
それより私たちの信仰がもっと立派な信仰になれるように、祈って学んで使っていこうではありませんか。
死は必ず清聴に導いてください。
もう一度申しますが、信仰は皆さん、幻のような抽象的なものではありません。
そこに言葉を一緒に見てみたいと思います。
またえによる福音書第22章37節、新約聖書46ページ、37節、ご一緒に読みましょう。
36:04
そこでイエスは彼に言われた、心を尽くし、思いを尽くし、視力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。アーメン。
皆さん、イエス様が神様を愛する時に適当に愛しなさいとおっしゃっていないんですよね。
心を尽くして、思いを尽くして、視力を尽くして、命を尽くして、そういう意味でもあります。
あなたの神である主を愛しなさいと。
これが信仰です。
このように神様を愛し、イエス様を愛し、聖霊様を愛し、教会を愛し、兄弟姉妹を愛すること。
これが信仰です。
心を尽くし、思いを尽くし、視力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
教会は信仰の森、信仰の教土台であり、その信仰の上に主は教会を建てて下さい。
お祈りします。
これはしばらく示された言葉、あるいは恵まれた言葉、あるいは悔やさ、あるいは教訓、さまざまなメッセージがあったと思うんですけれども、
それを倫理しながら、試しめながら、
願いを持って、私たちの主を立派なものにさせて下さい。
教会の信仰を神様に喜べる信仰の森へ、高い所へ引き上げて下さいと、一緒に祈っていきたいと思います。
では、ご一緒にお祈りいたしましょう。
ハレルヤシオ神様、あなたの御御御心から感謝いたします。
神様、どうかあなたが私たち一人一人を、あなたの森の輸出が見切り下さいましたと、心から感謝いたします。
どうか神様、あなたの信仰を、本当にあなたはいける神の御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御
御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御御
39:17
愛するイエス様、今日も御言葉を心から感謝致し、私達の信仰の上に主の教会を主御自身が立て上げて下さる事を今日も改めて教えて頂きました。
どうかしよう、今に至るまで、妙太寧教会の中で多くの兄弟姉妹達の犠牲と愛と労苦と涙の祈りがあったからこそ、今も教会が立て上げられている事を心から感謝致します。
どうかしよう、さらに一歩私達も進歩を、どうかしよう、高い所まで引き上げて下さり成長をさせて下さりますようにお願い致します。
不可能を可能にし、マイナスとプラスにする、その全知全無なる神様の御手の力を信じて、信じて歩んで行けるように。
どうか、これから主が、主の教会を僕が言いなさい。また本当に恵みの道へ、栄光の道へ主が導いて下さる事を待ち望んでまいります。
どうかしよう、我らの進歩を、どうかしよう、立派な進歩の者へ、高い所へ、神様のその愛の、神様の力の深さ、高さ、広さを知る事ができ、体験できますように、どうかしよう、あなたが救って下さい。
本当に御言葉を感謝致します。
7月が始まりました。新しく進学する兄弟姉妹たち、あるいは出塾する兄弟姉妹たち、また様々な新しい事に携わる兄弟姉妹たちのそれぞれの使わされた所で、
どうか、あなたの皆が慰められ、そしてその所で守られて、勝利者として、明かし人として、主が祝して守って下さりますように、よろしくお願い致します。
また本当に心の病や体の病が抱えて、祈って祈っている兄弟姉妹たちとして、その病を、死をどうかあなたが癒して下さい。
もう治療を受けずに、死が癒して下さいますように、進歩をもて守ってまいりますので、どうか死を、あなたは死んだ者も生き返される死を、あなたの力ですから、癒し主の神様が、どうか死をあなたが癒して救って下さいますように、お願い致します。
42:04
様々な事情がありまして、教会になかなか来れない方々の、その進行をあなたが見られて、どうか死を、本当に健やかに過ごせるように助けて下さいまして、共に休ませ、共に礼拝できますように、どうか死を、あなたが、あなたが祝して下さいますように、お願いを致します。
言葉を感謝します。
兄弟姉妹、感謝して家様の皆によって、お祈りを致します。
42:32

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