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2021-07-04 36:50

「心の聖所を新たにしなさい」2021年7月4日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年7月4日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

00:02
では今日は、心の正常を新たにしなさいという対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
6月半年ですね、6ヶ月間、私たちは放送で修辞地礼拝を守ってきたところなんですけど、
先週から修辞地礼拝が成長化できて本当に感謝しているところであります。
私は胸がワクワクするほど皆さんを出会うことを楽しみにしていました。
先週、礼拝を終えて1週間過ごして喜んでいる私に、神様から何か一言声が聞こえるような気がしました。
それは、正常を新たにしなさいということでした。
ですから今日は、心の正常を新たにしましょうという対応で、皆さんにメッセージを申し上げたいと思います。
皆さん、正常ということはどんなところでしょうか。
宗教エジプト25章から27章まで、そこに神様が、神様のために正常を作りなさいという見言葉を下さるんですけど、
イスラエルの民は長い間、エジプトの奴隷の生活をしてきました。
そのイスラエルの民を救い出すために、神様が暴政を使わせて、
驚くほどの奇跡、たくさんのいろいろな印を通して、彼らをエジプトから救い出す。
これを救い、救いという概念です。
その人たちを連れて、航海の海を渡ります。
これを聖書は洗礼式だと言います。
そして神様が神の山、シナイ山で彼たちに立法を授けて下さいました。
立法を授けて下さいながら、神様はこの立法を守りなさいと言いました。
その時、民は私たちはその立法を守りますという約束をするんです。
守りなさい、守ります。
じゃあ皆さん立法を守るということは、どんな意味があるのか。
ヨハネ中4章21節を見ますと、
私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛する者だと言います。
立法を与えたのに、守りますということは、
私は神様を愛しますという言葉と同じなんです。
神様は愛を通して、イスラエル人たちと契約されたんです。
ですから、その神様とイスラエルの関係を契約共同体と言います。
その時、神様は彼たちに、聖書を作りなさいと言います。
聖書は何なのか。
03:00
神様とイスラエル民の愛する場、恋の場です。
皆さん、若い男女が結婚して新婚の家、新婚の部屋を作るんですね。
その新婚の部屋は何のためですか。
若い男女が思い存分お互いに愛し合うための場です。
神様が私たちと愛するために、恋の場として聖書を作りなさいと言いました。
神様に対して、この聖書は非常に非常に大事な場所なんです。
この聖幕、幕屋と言うんですけど、その中で聖書というところが
一言で聖書と言うんですけど、その中には皆さん、中法をご覧ください。
幕屋には3つの空間があるんです。
まずはじめに、幕屋の中にはお庭があります。
そして聖女というところもあり、そしてそこから地聖女というところもあります。
お庭には祭壇と仙般といって大きな水亀が置いてあります。
また聖女のところには備えのパンを置く机、また食材、また豪卓、祭壇が置いてあります。
また地聖女には契約の箱があるんですけど、契約の箱の上に何があるのか、
あがないのじゃというものがあるんです。
聖女と地聖女の間には垂れ幕があって、一年一度大祭祀だけが入るようになっているところなんですけど、
イエス様は十字架で亡くなるときに、垂れ幕が上から下にシャーッと裂けられたということがあります。
そしてイエス様の十字架のおかげで、今は神徒なら聖徒なら誰でも神様の地聖女まで入ることができるようになっています。
ここで皆さん、聖女と教会の違い、神殿と教会の違いをご存知でしょうか。
神殿は信者の心の中にあるものです。
信者一人一人の心には聖霊様、御霊の神様がおられる場所があります。
これを聖書は神殿、心の聖女と言いました。
この心の聖女、神殿を持っている二人、また三人の神徒たちが集まったところを教会と言います。
ですから、各神徒一人一人の心の聖女が清くならなければ、二、三人が集まっているこの教会は清くなりません。
06:08
まず私たち一人一人の心の聖女がうまく満たされているとき、その人たちが集まっている教会が満たされているんです。
一人一人を無視して、教会だけをうまくやりましょうということはできません。
ですから、今半年間放送で礼拝を捧げることによって、儀式がないんじゃないですか。
だから、信徒たちの心が非常に動揺しているところです。
その信徒たちの心の聖女を新たにしなさいという神様からの何か一言、私が聞いたような気がして、私は心の聖女を私たちが新たにしましょうというメッセージを、今日皆さんに申し上げたいと思います。
聖女、幕屋には地聖女と聖女と鬼は三つがあるんですけど、
この中で私たちはここに置いておく器具、聖具と言いましょうか。
そのことが非常に大きな意味があるので、その意味を考えながら神様と出会う。
皆さん、神様が私たちと間の恋のために聖女を作ったんでしょう。
この聖女の中にある器具一つ一つには、二人の恋のために非常に大事なことが置いておいたはずなんです。
ですから私たちが一つ一つ置いていることを考えながら、その役割を私たちがしっかり理解した上で神様と出会う。
このことが非常に大事だと思います。
まず一つ目、地聖女にあること。地聖女には二つのことがあるんですけど、一つのように見えるでしょう。
二つのことがあります。まず一つは契約の箱です。
25章の10節、11節を見ますと、アカシアの木材で箱を作りなさい。
その箱を純金で内側も外側も覆い、周囲を金の飾り縁を作りなさいと言います。
契約の箱には全部金で覆われているところなんですけど、契約の箱の中には何が入っているんですか。
私たちはこの中で一つ、神様の10回今しみを書いてある二つの石板が入っているところです。
一番大事なのは何かというのは、10回の第一の今しみです。
09:00
あなたには私において他の神があってはならない。
皆さん、これ以上もっと大事なことがあるんですか。
結婚した男女二人が、あなたは私において他の男性がいたらいけない。
当たり前でしょ。あなたは私において他の女性がいたらいけない。
他の女性がいたら大変なことになります。
神様も当たり前として、愛するお二人の間に他の神があってはいけないということをお話しするんです。
神明記六章五節には、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの主である神を愛しなさい。
心を尽くして霊です。魂、また体。霊と魂と体。
それは私たちの全身全霊でということです。
それで神を愛しなさいと言うんです。
神様この今しみを私たちは守ります。
そして私たちは契約の共同体になったんですけど、
この中で私たちが愛の中でずっと続けていくなら、私たちより幸せな存在は世の中には存在しないでしょう。
ここで一番怖いのは、心の中の聖女に神様以外のものが入っていることです。
結婚した夫婦の一番奥の部屋に奥さん以外の他の女性がいた。
これ許されないことでしょう。
神様はこれがあってはいけないというのは当たり前のことではないでしょうか。
男女が裏切ってもどれほど怖いんでしょうか。
裏切ったことに対する怒り。
私たちは神を裏切ったらどうなるんでしょうか。
しかし私たちは優しく心が神様から他のものに移してしまいます。
それが偶像というものですけど、
神様に対して一番の偶像は世の中にある富、名誉、出世、快楽、様々なものがあります。
そこに私たちの心が奪われることを神様は許されない。
だから聖女、二人の新婚の部屋の中に私以外のものが入ってはいけないという
神様の切磋なる願いを裏切る私たちの何かがあるなら
神様に対してどんなものなんでしょう。
しかし私たちの心が優しく神から離れてしまう。
多くの場合私たちが担っている世の中の苦しみは
ほとんどこの原因はここにあるでしょう。
12:00
夫婦の中で問題があったら
結婚制約した初めその時に戻っていって
これを取り戻しましょうと同じように
神様との私たちの間に問題があったら
神様を愛する、神以外に他のものがあってはいけないというところに
問題があるのではないかということを私たちが考えるなら
今になっているいろいろな苦しみを早く解決することはできるでしょう。
そこからです。
皆さん神様は無理やり愛しなさいということではありません。
神様がどんなお方だということを知っているなら
神を愛するのが一番優しいでしょう。
なぜなら神様は美しいお方、愛を深いお方です。
神様よりもっと素晴らしいお方はいません。
問題は私たちは神をよくわからないということです。
神様は今も誠実的に私たちを愛しておられます。
愛を施しておられます。
そうしながら私たちは神を知ってくれて
神を愛してくれることを待っておられるんです。
知性以上にもう一つがあります。
絵で見たら一つしかないように見えるんですけど
契約の箱の上にあるものがあります。
これが25章の17節を見ますと
あがないの座を純銀で作りなさいと言いました。
契約の箱の上にあがないの座があります。
皇后訳では食材序と書いてあるし
深海訳ではなだめのふたと書いてありますけど
天使が翼を張って
その契約の箱を覆われているような姿です。
契約の箱の上に食材のためのあがないのための
この座があるんだということです。
なぜそこにあるのか
皆さん、罪人は神に出会うことはできません。
神様の出会いのためには
罪人は必ず食材ということが大事なんです。
じゃあ、罪を食材はどうするんですか?
立法によりますと
地によって食材、罪を許すことができます。
ですから、旧約時代には
大佐主張があがないの日に
後一時の地を持って祭壇に注ぐことによって
人の罪が許されたんです。
新約の時代にはイエス様が十字架で地を流すことによって
罪のあがないができました。
じゃあ、ここで神様のあがないに
私たちはどのようにすればいいですか?
15:00
一番大事なのは、悔い改める心なんです。
第一弱音の1章8節9節には
自分に罪がないと言うなら
自分が欺いており、真理は私たちのうちにありません。
自分の罪を公に言い表すなら
神は真実で正しい方ですから
罪を許し、あらゆる不義から私たちを清めてくださいます。
と言います。
これが大夫的に現れた二人の人がいます。
サウル王とダビル王。
ある意味から見てますと
サウル王の罪は、神様に不上進、不信仰の罪でした。
しかしダビル王の罪は汚いんです。
殺人罪とか貫通罪とか、こんなものです。
しかしダビル王は許されました。
サウル王は許されませんでした。
なぜでしょう?
ダビル王は悔い改めたんです。
もうベッドが臭くなるまで涙を流し一緒に悔い改めたんです。
しかしサウル王は悔い改めをしませんでした。
悔い改めなかったゆえに
サウル王自身だけじゃなくて
自分の息子と自分の家は全部ダメになりました。
しかしダビル王は
ベッドが臭くなるまで涙を流して
死にお願いして許してもらいました。
その時ダビル王は
四編の三十二編の一節
いかに幸いなことでしょう
そむきを許され
罪を覆われていただいたものは
いかに幸いでしょう
皆さん、罪が許された時の
この上から臨む聖霊の
この恵み、神の愛
いかに幸いでしょうと言われるほど
素晴らしいことです。
じゃあ、罪が贖われたらどうなるのか
主制塾と二十五章の二十二節に
神様は贖いの者の上から
あなたたちに望み
私がイスラエルの人々に命じることを
ごとごとくあなたに語ると言います。
皆さん、罪が贖われたら
罪が許されて清くなったら
神様の御臨罪があります。
また、神様が
神の御心を全部語りかけてください。
神に出会いたい、神の御声を聞きたい
一番妨げることは罪なんです。
ぜひともぜひとも
この食材の座、そこで
悔い改めを通して
神に出ていく私たちになりましょう。
じゃあ、二つ目
聖遺像にある器具、聖遺具なんですけど
器具には三つがあるように見えるんですけど
大事なことは二つです。
備えのパンの机があります。
18:03
聖遺書25章の29節、30節
30節に見てますと
机を作りなさい
机をアカシアの木で作るんですけど
その机の木の上に
金でこれを覆います。
かぶします。
その机の上には
備えのパンを絶えず
私の前に備えなさいと言います。
この備えのパンの机の上には
パンが六つずつ
六つ置いてあることが
二つ、ここに二列で
パンが十二個あるんです。
これは何を意味するのか
イスラル民があれので
40年間
神様からパンをいただいて
食べさせたことを
記念することなんです。
その意味を考えながら
十二部族が上からのパンをいただいて
私たちが
アラノの中で
私たちが食べることに問題がない
人生を過ごしました。
これは非常に大事なんですね。
今の私たちの状況を見てます。
そのパンの意味に対して
神明記8章3節には
このように書いてあります。
アラノでマンナを食べさせられた
これは人がパンだけで生きるものではなく
種の口から出る
すべての言葉によって生きることを
私たちは知らせるためだと言います。
今私たちどうですか?
日曜の糧がいつも与えられてますか?
日曜の糧には礼儀的な糧もあり
本当の実際の生活のための
すべての糧も
神様が今与えてくださっています。
与えてくださいます。心配なさらないでください。
必ず与えてください。
それをもって私たちは
正常に入って神様に感謝することが
できるようにしてくださったんです。
ところがこのパンは
本当に誰を意味するのか
イエス様を意味します。
8章6章35節には
イエスは言われた
生命のパンである
私のもとに来るものは
決して飢えることがなく
私を信じるものは
決して渇くことがない。
聖女にあるこのパンを置いている机は
ついついそれを見るときに
命のパンであるイエス様を
思い出すように
神様が置いてあったことなんです。
私たちはイエス様に対して
このパンを考えながら
記憶するべきことがまたあるんですけど
皆さんベツレームという意味は
パン屋です。パンを作るところ。
じゃあパンを作るところを
考えていきましょう。
穀物を粉々にして
その粉によってパンを作るように
イエス様が私たちの
21:01
命のパンになるために
イエス様のすべてのことが
粉々になりました。
人々から何かいろいろ
憎しまれ
宗教指導者たちが迫害され
十字架で自分の体を
散らしながら
避けながら
イエス様は苦難を受けてくださったから
全人類のための
命のパンになりました。
私たちが私たちの心の正常の中で
パンを置いてあるその机を見ながら
イエス様は私のために
その自分の体を粉々になるほど
苦難を受けてくださった。
だから私たちを
イエス様に見習って
首都福音のために
伝えるために
受ける様々な苦難を
私たちもイエス様のように
担っていきましょうという覚悟
それも私たちがその前で
行うべきでしょう。
また聖書には
職題がありました。
主治エジプト25章の31節、32節に
純金で
職題を作りなさいということです。
この職題には
真ん中の1本と
この3つのものが入り合って
7つの
何と言いましょうかね
支柱ということがありました。
その奥
柱には
またこの
花の飾りのものがあって
いつもオリーブ油
油が注がれて
そこから
火が点けられる
そのような形の
聖樹の中を明かりをする
そのような職題が
置いてあったんです。
その職題は何を意味するのか
世の光である
イエス様を意味します。
8書12節
イエス様を再び言われた
私は世の光である
私を従う者は
闇の中に歩まず
命の光を持つ
と言います。
今世の中には
アダムの犯罪の依頼
光がない世界になってしまう
今世の中には
闇だらけです。
真っ暗なんです。
光がないから
人々の内面性が
暗くなり
運命的な考え
引きこもりが多すぎます。
今は
インターネット、携帯
これを持って引きこもっている人が
どれほど大勢いるのでしょうか。
闇の中に
いる人は光を求めるんです。
光がどこに
あるんですか。
世の光であるイエスキリスト
本当に今
引きこもりの状態で
闇の中で内面性の黒く染みの中で
苦労している
今嘆きをしている
方達がイエスキリストに
24:00
出会うことさえできれば
その人達は
生かされます。
私たち信仰生活で
教会で一番難しいのは
信仰の火が消えた人がいます。
信仰の火が消えたら
どうなりますか。
その人の心が暗くなります。
だったら全てが否定的です。
また
霊性的です。
霊性的になれば
何を言っても
何かそんな意味なのか
私は分からないと
言いながら
霊性的に
真理を語ってくださっても
神の見声を語ってくださっても
嘲笑うんです。
嘲笑いながら
受け取ってくれないんです。
受け取ってくれない人に
私たちはどうすればいいのか
ということです。
だから神様を嘲笑いながら
教会を嘲笑いながら
罪の上に罪を重ねて
生きる人生になります。
ですから
教会
また私たちの心の中にある
職大の火が消えたら
その人の人生は
どれほど
難しい人生になるんでしょう。
ですから
神様は
民たちのこのような
心にならないように
シュチュエジプト27章の
20節、21節を読みますと
神様は
最主徴たちに
また教会のリーダーたちに
正常から
火が消えないように
それを守る命令を
私たちに
与えてくださっています。
ですから教会、リーダーたち
またお祈り
皆さん一人一人の心の中の正常の
信仰の火が消えたのかどうなのか
皆さんよくよく
それを考えながら
ああ私の心に火が消えた
だから熱情もない
神様求みを取る心もない
ああだから
どうすればいいのか
その時は悔い改めて
また御言葉と
祈りを通して
信仰のこの油を
注いでもらって
自分の心の中で
火を燃やしていくんです。
皆さん
信仰の熱心な人は
この熱心によって人を生かす
教会を建てる
それだけではありません
自分自身も喜びがあふれるんです。
ですから
私の食材に火が消えたのか
消えてないのか
牧師と伝道師は
それを見守る責任があるんですけど
個人個人は
私の心に火が消えたのか
どうなのか
それをよく私たちは
調べながら
自分自身が御言葉と祈りをもって
油注ぎを通して
いつも火を燃やしていく
27:01
それが大事だ
ということを
ぜひともお願いしたいと思います。
3つ目に
幕屋のお庭にある
聖宮があります。
そこで大きな水亀と
共に祭壇があります。
1節2節を読みますと
アカシアの木材で
祭壇を作りなさい。
それを全体を
正道で覆いなさいと
言います。
その祭壇の上では何をするのか
神様に捧げるべき
羊とか動物を
神様に捧げる前に
全部解剖するんです。
そして
血、油、肉
それを全部
区別するところです。
そして肉は神様に捧げて
燃やしていく。
血は祭壇に
降り注ぐ。
そのようなことをやりますけど
祭壇の上
神様に捧げるために
置いておく。
そしてそれを全部解剖して
全部散りばなす。
そのようなこと
本当に祭壇は怖いところですね。
今日
それが私たちとどんな関係があるのか
シト・パウルは
私たちにローマ章、中二章
一節、二節にこう言っています。
こういうわけで
兄弟たち、神の
憐れみによって
あなたたちに勧めます。
自分の体を神様に喜ばれる
聖なる
生ける生贄として
捧げなさい。
それこそあなた方は
成すべき礼拝です。
あなたたちはこの世を
見習ってはなりません。
むしろ心を新たにして
自分を変えていただき
何が神の
御心であるのか
何が良いもので
神に喜ばれ
まだ完全なことであるのか
わきまえるようになりなさい。
動物を解剖して
全部ばらばらにして
生きているように
私も祭壇の上で
私の体をばらばらにしておいて
生ける
生きた生贄として
自分の私たちの体を
罪と過ちと
貪りによって
満ち溢れている
自分の霊と
魂と体を
全部解剖して
汚いことを全部神様に
燃やしていて
そして神に聖なる生贄として
神様に捧げなさいと
これが私たちがなすべき
礼儀的な礼拝だと言います。
毎朝
私たち毎日朝のデボーションを
行っているでしょう
そのデボーションの時間
私は祭壇の上で
私が横たっている
30:01
そして聖霊の
見事ばの剣によって
私たちの体を
全部分解して
そして汚いことを
それを全部神様の前で燃やしてしまう
私は地を
神様に捧げ
油を燃やして神様に捧げる
このような
イメージを通して
私の中で汚い
私の中でいるな
神様が見るときに
良くないものは
全部解決していくことが大事です
私の心の正常を
私たちに教えてくださるなら
今日の主張エリクト25章の22節
見事ばのように
神様は私に望んでくださり
来られて
神の身群を
私たちに教えてください
ご臨在と
神の身群を知ることの
秘訣が
私の心の正常が清くなるところに
あります
私たちはこの
今日は5つのことを申し上げましたけど
この5つの
置いておいた
生育器具を
どんな目的なのか
よくよく考えながら
礼拝のときでも
個人の祈りのときでも
その意味をよくよく思い出して
そして
一つ一つ解決して
主を求めるとき
主が来られて
共におられ
主の御心を教えてください
韓国のジョヨンギ先生は
あるとき祈るとき
神様から
ほんの短い時間で
精密な祈りを教えてくださったそうです
今日
5つのことを申し上げたでしょ
その意味を一つ一つ
教えてくださいながら
祈るときその器具の前で
この意味を持って
祈る
そして神様が
精密な祈りを教えてくださったと
そうです
祈りだけではありません
礼拝の時間の中でも
皆さん契約の箱の中の10回
思い出しながら
思い出しながら
私において
他の神がいてはならない
私の他に
他の神があってはいけないよ
それを考えながら
私は
一番愛するのは神様なのか
神以外の他のものがあるのか
それも記憶して
食材の茶で食い改め
また備えのパンを見ながら
今も満たしてくださる神様
また
私たちを通して
働かれるイエス様
また食材で
私は今
火が燃えているのか
私の今熱心
神様に対する情熱
鹿が水を求めるように
私は神様に対して上かわきがあるのか
なければ
今食材の火が消えているところ
私の心に食材の火が消えているなら
33:01
危ないんです
危ないんです
だから見言葉と祈りを通して
私の心のこの食材に
火をつけて
また続けて続けて
見言葉と祈りを持って
聖霊の油を
供給していく
また最後に祭壇の上で
私は主のために生きます
また私の心に汚いものを
神様に全部燃やしてしまう
私の体を
神様に生ける生贄として
捧げていく
献身の思い
それを私たちが祈るときに
礼拝するときに
毎朝のティボーションのときに
この5つのことを考えながら
主に礼拝し祈るなら
主が来てくださり
今日私たちは何をすればいいのか
教えてくださると
思います
最後に
1コリントの6章19節の20節です
知らないのですか
あなた方の体は
神からいただいた
聖霊が宿ってくださる
神の神殿であり
あなた方はもはや
自分自身のものではありません
あなたたちは代価を払って
イエス・キリストの十字架で
地を
代価を払って
祈られたのです
だから自分の体で
神の栄光を表しなさいと言います
私たちの心の中に
御霊の神様が
おられる神殿があります
聖女があります
私たち個人個人の
心の聖女に
神の御臨在
命の光
命のパンが
満たされているとき
その人たちが集まっている
3人が集まっている教会が
一人一人が満たされているときに
教会が
満たされるんですよ
だから教会が
聖霊の十万によって
この世に向かって光を発し
またこの世の中の人々に
イエス様の命のパンを
分け与える
力ある教会になります
神と一人一人が
聖女が今火が消えているのに
その人たちが集まるんだって
この世に対して
何ができると思いますか
だから
6ヶ月間の私たちが
儀式がなかったゆえに
もし心の中で火が
消えそうになっている状態だとするなら
その今度
この聖女を
新たにしなさい
というメッセージを通して
心の中で聖霊の火が
燃えている
命のパンが燃えている
それを豊かにある
私一人一人になりましょう
その人たちが集まっていると
教会は強いんです
神様用いてください
一人一人が
満たされなければ
教会も力ありません
この7月には
36:01
心が満たされる
心で聖霊の火が燃える
それを新たにする
これが神殿の回復です
そして礼拝の回復
祈りの回復
それを求めていく
7月になりましょう
お祈り出します
神様
私たちの教会
礼拝用の聖女化を成し遂げてくださって
ありがとうございます
各個人の心の
聖女が美しく回復されて
教会が力を受け
そして
大勢の人々に対して
神の光と
神の命のパンを分け与える
そのような
教会になれるように
私たちを助けてください
イエス様の源を通して
お祈りいたします
アーメン
36:50

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