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では今日は、どうすれば信仰ができるのかという課題を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
教会は新年の初めからビジョントリップをやっています。 私たちの教会の招き、
また私たちに与えてくださった神のビジョンは何なのか。 それは、回復とリバイバルだということを申し上げました。
イエス様がマルコ2章22節に、 新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきだと言われました。
新しいぶどう酒ということはリバイバルを意味します。 それは新しい皮袋、
回復された教会を意味します。 ですから私たちの教会は、教会回復を課題を持って今進めているところであります。
では神様が願っておられる新しい皮袋の教会って何でしょう。 正しい器を持っていく。
ただ恵み、ただ精霊、ただ十字架、ただ信仰、ただ見言葉という 5つの面を持っている器の中に、この中身は神を知り、神を愛することを求める信仰の本質。
それをたっぷりいただいてそれを求めていく信仰生活です。
そのために一つの面である、ただ信仰によってそれを先週分かち合いました。 信仰によって当たり前のように見えるんですけど、
ただ信仰によって生きるということはどれほど素晴らしいことでしょう。 先週分かち合いました。
12年間長地の病気で患っていたある女性が、 イエス様の衣に手を触れば自分の病気は治るぞという信仰が彼女に来たということです。
この来た信仰をしっかりと持って、この群衆の中に歩いていくイエス様のところに行って、その体、衣に手を触った瞬間、
自分の体から病気が治ったということを自分が感じるほど、 この信仰は素晴らしい力があるんです。
私たちみんな信者でしょ。信者は信仰を持っている人って意味なんです。 私たちみんな信仰を持っているのに、なぜこのような生活がなかなか見当たらないのでしょうか。
今日はどうすれば信仰によって生きることができるのか、それを一緒に考えていきたいと思います。
皆さん、信仰のように見えるんですけど、信仰と違うものが異なるものがいろいろあります。
その中で私たちはよく使うものがありますけど、 積極的な生き方、ポジティブシンキングということを世の中でたくさん使うんですけど、
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それをまず皆さんにお話したいと思います。 私は大学院卒業後、韓国のある企業に就職しました。
当時それを企業が一番人気があったんですね。 就職してから入社する日を待っているところで、会社から手紙が来ました。
入社する前に、このような本は必ず読んできてくださいという、この信用サインに対する会社からのお勧めでした。
その本がいろいろあったんですけど、その中で一冊が積極的な考え方、積極的な生き方と関連した本がありました。
私はそれを読む瞬間、夢中になりましたね。 考えてみたら40年前のところでした。
40年経っても、その本の中で2つの事例を私は覚えています。 それを皆さんに紹介しましょう。
あるお父さんと少年が一緒に山に登って、なんと言うんですかね、
ぼつぼくと言いましょうか、木を切る。 ぼつぼくのために山に登りました。
ぼつぼくしながら、木が倒れるのに父親の向こうに向かって倒れて、 大きな木の下に下敷きになった父親。
それを見て息子がびっくりして、お父さんと言いながら走って行って、 お父さん下敷きになっているこの木を持ち上げて、それをパクッと動かして父親を救ったんです。
しかし、後になって大人何人がギリギリでその木を持ち運んだということです。
大人何人がギリギリで持ち運ぶものを、少年がそこにいて、お父さんと言いながらそれをパクッと動かしたということです。
少年のその力はどこから来たんでしょう。びっくりするでしょう。
じゃあもう一つ、アメリカである専業主婦がいました。
夫は立派な会社のサラリーマンでした。
女性は子供が何人いたので、子育てだけでも自分は精一杯だ、難しいと思っていました。
ところが、このご主人が何か事故があって大きな怪我をして、腰が使えなくなっちゃった。
だから旦那さんが寝たきりになってしまったんです。
この主婦はどうしてるんでしょう。子育てだけでも自分は精一杯難しいと思っていたのに、
これからは旦那さんをケアしなきゃいけないし、
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生計を立てる、生活しなきゃいけない、その責任を取らなきゃいけない状態になりました。
子育てもできない自分だと思ったのに、これからものすごい大きな重みが自分に教えられたでしょう。
どうしたらいいでしょう。
彼女はまず、私が一番うまくできることが何なのかと思いました。
それで自分はパイ、パンを焼くことがみんなおいしいと言われたから、
これで何かできないかと思ってパイを何個作って、それを町のパン屋さんに持って行きました。
その味見を知ってください。そして何か可能なら、私がこれを少し作って、
それで納品することができるように助けてくださいと言った。
そのパン屋さんがそれを食べてみて、これおいしいね、これ売れるかもと思いながら、
毎日毎日少しでもいいから、それを作って私たちに納品してくださいと言いました。
彼女はこれを家の中でも精一杯なのだけど、パイを作って作って、それをこのパン屋さんに持って行きました。
パン屋さんはそれがだんだんだんだん売れるから、もっと少し持ってきてください、もっと少し持ってきてくださいと言いました。
それで彼女はパイを作る工場を作って、それで社長になったのです。
みなさん、子育てだけでも精一杯だと思って専業主婦が、
どうしてその働きを全部やりながらパン屋さんの社長になることができるのでしょうか。
人間の潜在能力は無限大です。
しかし人々はその無限大の潜在の能力の中で、ある人は5%くらいしか使えなくて、
死んでしまう。ある人は、たくさん使う人は15%までは使うんだそうです。
でも私たちの能力の大部分は使わないまま人間は過ごしていくということです。
その潜在能力を開発しましょうということは、その本の主な目的でした。
それをやるのが積極的な考え方だったんですね。素晴らしいでしょう。
その会社は入社する社員たちにみんなそれを求めたんです。
ところがみなさん、ここで積極的な考え方と信仰は何が違うんですか。
どのように異なりますか。
私たちの中にある95%ある人は85%使ってもいないそのような能力を
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それを開発してその力を使いましょうということは積極的な考え方です。
しかし信仰は何ですか。積極的な考え方は自分の中にあるものを100%使いましょうということですけど、
信仰は自分の中にあることと関係なく、外から神様からの力をいただいて
私たちが行きましょうということが信仰と積極的な考え方の違いなんです。
ですからイスラエル人たちはいつもこのような話をしました。
例を挙げて新明記20章1節からのことです。
あなたが敵に向かって出陣するとき、馬や戦車または味方より多数の軍勢を見てはいけない。
恐れてはいけない。あなたをエジプトの国から導き上げられたあなたの神、主が共におられるからである。
イスラエルよ聞け。あなたたちは今日、敵との戦いに挑む。
心をひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。
あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからであろうと言います。
外部の強い敵をイスラエルはどのように戦いました?積極的な考え方ではありませんでした。
神様からの力をいただいて、神様が共におられて、その助けによって勝てたんです。
自分の力ではなく、神の力で生きること、これが信仰生活です。
ところが、なぜ大勢のキリストたちはその力が使えないんでしょう?
神様一緒におられるでしょう?信じるでしょう?
私の外からの神の力をいただくために一番大事なのは信仰なんです。
しかし、大勢のキリストたちは、信仰ができない信仰生活をやっているのではないかということです。
じゃあ、信仰ができない信仰生活って何ですか?
まずはじめに、一割の信仰です。十字架の福音でいつも私たちが学ぶこと。
自己中心的な、立法主義、人文主義、語略の信仰です。
立法主義、皆さん、非常に難しく、非常に複雑なんです。
だから、みんなが、その中に何があるかなと思います。
しかし、その中に何にもありません。力がない信仰です。
なぜなら、神様が共におられないから、命がないから、そこは偽りの信仰だと言います。
パウロが言います、第一コリント4章19節、20節です。
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神の国は言葉ではない、力だ。
神の国は、神様の命、力があるところ。
言葉で難しく言うけど、力がないことではないということです。
立法主義信仰は、立法を守る自分の熱心によって、それを既として神様に認められて、報いをいただこうとすることです。
このような信仰は、いくら頑張って熱心にやっても、神様が共におられません。
ですから、積極的な信仰、それで洗剤能力を開発できるかもしれないけど、神様が共におられることではありません。
2番目、信仰ができないものは、疑いということです。
皆さん、疑いながら祈るなら、何にもありません。
疑いながら祈るなら、何にもありません。
約部1章6節7節です。
いささかも疑わず、信仰を持って願いなさい。
疑う者は、風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています。
そういう人は、主から何かいただけると思ってはなりません。
私は長い間、疑いによって苦労しました。
信仰で疑い、これはすごく辛いんです。
私はいつも、イエス様は、次元が違う世界から来た宇宙人ではないかと、それはいつも疑いでした。
疑いが生じたら、皆さん、どれほど辛いか知っていますか?
信じたいんです。
信じますと言いながら、いつもついてくるこの疑い。
それをどうしたらいいんでしょう?
しかし、いつか疑いがなくなってしまいました。
いつなくなったのか。
ある日、教会で賛美するのに、いきなり、
第1コリント12章3節。
また、聖霊によらなければ、誰もイエスは主であると言えない。
聖霊様がそれを照らしてくださったんです。
ああ、私がイエスが主だと言えるのは、神様が来たんだ。
神様が働いてくださったんだ。
ああ、だったら私は神に出会ったんじゃないか。
神様から信仰をいただいたんだ。
それがはっきりできた、その瞬間から疑いが消えてしまいました。
それからは一度も疑ったことはありません。
みなさん、疑いなく信じるから、
見言葉見言葉ごとに確信がきます。
確信がきます。
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見言葉が聞けば納得ができる。
力がつけられる。
だからどれほど感謝かわかりません。
疑いを持っていらっしゃる方がいますか?
みなさんと一緒に祈って、聖霊の働きによって、
見言葉が自分に照らされるように祈りましょう。
確信が来るとき、みなさんどれほど力があるか知っていますか?
しかし疑いがあるなら、信じられない。
どうすればいいの?
苦しむんですよ。
ぜひとも、聖霊の働きを切磋に持ってみましょう。
また3番目、なぜキリスト社たちが信仰ができないのか。
私は一番問題がここじゃないかと思います。
二股かける信仰をやっているからです。
この世の中と神様と、神を愛することと、この世の中のことが好き、愛する。
この二股かける信仰はダメです。
信仰は愛です。
神を愛することが信仰です。
愛というのはただ一人だけです。
重ねて愛することは許されないでしょう。
妻も愛し、他の女性も愛し、妻が許さないでしょう。
神様は妬みの神、劣情の神と言います。
二股かけるなら、神様の怒りを呼び起こすしかないんです。
約分4章4節5節
神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることは知らないのですか?
世の友となりたいと願っている人がいれば、神の敵になるのです。
ご覧ください。
この世を愛することと、神を愛することが、共にやることはできません。
また、いつも申し上げますが、私が西南を卒業して、新卒牧師研修会に行った時、
ある年取っていらっしゃる牧先生が、一緒に参加して、自分はこの世に転倒していますよ、
チラシを見せてくれました。
そこに何が書いてあるのか。
仏様もイエス様も、あなたを愛しています。
それを私は聞きました。
これ、何で仏様が入るんですか?と言った。
仏様も助けてくれるし、イエス様も助けてくれれば、
これがよほど良いことではないでしょうか?
皆さん、それは信仰ではありません。
信仰は、神様だけを信じて、愛して、神様だけに委ねることは、これが信仰です。
二股かけると、神の怒りを受けるかもしれません。
だから、私たちはこのような信仰をやってはいけません。
ですから、正しい信仰は、この3つをやらないことです。
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まず、一割の信仰をやらないこと。
また、疑わないで正しい信仰をすること。
また、二股かけること。
これが今、一番問題ではないかと私は思います。
この世のことも愛しながら、神様も愛する。
もし、そのような心があったら、今日のメッセージを聞いて、
ぜひ、これを捨てていただきたいと思います。
では、それがどうしてできるのか?
聖霊様です。
聖霊様が照らしてくださって、
そうするなら、理論の信仰ではなく、
実践、生きている信仰になります。
ですから、私たちの教会は、見事場と聖霊の調和。
見事場が照らされるときに、聖霊様が示してくださって、
心から信じられる、そのような信仰を私たちが求めています。
また、私たちが行うすべては、神様から出発しなければなりません。
私たちが計画を立てて、
神様の助けをいただいて働くことではありません。
神は絶対主見者です。
神は人間の付き添いではありません。
神様は、神様から始まったことを支えてくださる。
ですから、自分の頭から計画をして、
やりながら、神様助けてください、こんなことはやめて、
まず神様から聞いて、すべてを始まらなければなりません。
今日読んでくださった、イエス様、どのように働きましたか?
ヨワネ五書中七節、中九節、二十節、
これは私たちの教会の一番大事な聖書です。
イエスはお答えになった。
私の父は今もなお働いておられる。
だから私も働く。
父が働かなければ、イエス様は働くことはありません。
そこでイエスは彼らに言われた。
はっきり言っておく。
子は父のなさることを見なければ、自分からは何事もできません。
父がなさることは何でも、子もその通りする。
父は子を愛して、子自分のなさることを全て子に示されるからであると言います。
皆さん信仰によって生きたいなら、私たちも神のお声、
神の御言葉を聞いて、それを聞いた御言葉、お声を信じて、
それで行うことが大事です。
そのために私たちの教会でやっていることは、
神を体験することができる段階を皆さんに申し上げたでしょう。
それをよくよく覚えて、それを生活化しなければなりません。
じゃあ皆さん、この始めは何だったんですか。
神様は今も働いておられる。
神様は今も働いておられます。
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神様は主導権を持って、全ての計画を持って、
計画を成し遂げる資源を全て持って、今も働いておられます。
じゃあその神様とどのように働きができますか。
交わりです。私たちはその神様と親しい交わりを持ちます。
この交わりは個人的に実際的な交わりにならなきゃいけません。
理論的なことは役に立ちません。
皆さん、神様と親しい愛の交わり、これが私たちの人生の一番大きな目的です。
これだけでやっても私たち人生はOKです。十分です。
恥ずかしいことですけど、先週私はYouTube放送を見ながら、
韓国の大企業の取締役たちの年報はいくらになるのか、さらっと見たことがあります。
そこで、以前私と一緒に立ち止めた同僚の、その人は今携帯を作るその部門の社長なんですけど、
今年報がいくらか、年報ですよ。
百何十億で、私は知恵をさらっと見たんだから、120億。
1年間120億を年報としてもらおうと。
それを聞く瞬間、頭が真っ白になって、羨ましくて、考えてみました。
120億だったら、日本円で12億円。
だったら、皆さん、1年間、
ジャンボ宝くじが2回当たる。
わあ、1回当たっても一生幸いだと思うんですけど、
2回当たる金額を、給料を、彼は毎年もらっているんだなということ。
その瞬間、羨ましくて羨ましくて、いいな、いいな。
それで私自身を比べてみたら、
かわいそうで、かわいそうで、私自身が情けないような人間として見えた。
それはパッと入ってきました。
ああ、なんとか言葉には表せない、私自身の情けない状態。
その時、あんまりなかったんですけど、私の心の中でコロコロと言いながら、
見声が聞こえました。
いや、皆さん、これは、あなたは私がいるんじゃない?
あなたは私を持っているんじゃないの?びっくりしました。
じゃあ、その同僚はお金を持っているんだけど、私は何を持っているんですか?
神様を持っている。イエス様ともにおられる。
誰がもと、豊かな持ち主でしょうか?
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神様は一緒にいる。
神様を持っているという言葉は変ですけど、神様を持っている人ですか?
120億ウォンの年報をもらっている人ですか?
比較できないでしょう?
そのお金は、生きているだけで持ち入れられるんですけど、
私たちは、神様によって生きている間に、全ての必要を満たしてもらっているし、
また、天国で永遠に祝福されるようになっているのではありませんか?
それをずっと考えているとき、しばらくでも羨ましく思った私自身が、
本当に情けなく思われました。
だから、私はそう言いました。
主よ、そうです。私はあなただけで十分です。
あなたが共におられるなら、私が何にも持っていないとしても、
私が一番金持ち、一番豊かな人ですと告白しました。
皆さん、信仰が弱くなれば、見ること、聞くことによってつまずきます。
だから、私たちは信仰によっていかなければなりません。
私は神と共にいる。
共におられるこの神様はどんなお方なのか、
それをしっかり持っていれば、こんなことで羨ましく思わないでしょう。
情けない私自身、本当に信仰がなければ私は生きられないなと思いました。
つまずいてしまいます。
だから、皆さん、信仰が大事です。
神様と親しい関係から離れたら、私たちは死にますよ。
だから、創世紀5章で、
エノクという人は神様と親しい魔女の中でずっと進めていました。
神様は彼を生きたまま天国に連れて行きました。
だから、この世の中から見えなくなっちゃったと言います。
皆さん、神様も信じるし、この世の中のことも好きだし、
これで親しみができますか?
できません。
神様は一人で十分です。
私が何にもないと言っても、何にも持っていないと言っても、神様だけで十分です。
これが神を愛することであり、このような人と神様は親しくされてください。
ぜひともこのことを皆さん覚えてください。
私は先週これを持ってずっと思いました。
これがきっかけになって今日のメッセージを準備したかもしれません。
これが親しい魔女の中でできる人の状態です。
この魔女の中にいるなら、神様が私たちが必要なとき、私たちを招いてください。
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招かれるとき、敏感に反応することが大事です。
私たちが神様の招きに敏感に反応するなら、
神様は精霊を通して、聖書と祈りと環境と教会を通して語ってくださるんですけど、
神ご自身と神の目的と目的を実現する道を、方法を知らせてください。
神様のノアを招きました。ノアに具体的に教えてください。
アブラムを招きました。アブラムに具体的に教えてください。
ヴォーゼを招きました。ヴォーゼにも具体的に教えてください。
神様は本当に親しい環境にいる人に全てを教えてくださるんです。
神の見こえを聞いたら、葛藤があると思いますけど、
自分の生活を調整して信じて従うなら、
神様は私たちを道具として、神の大きな御業を成し遂げます。
その時、私たちは全知・全能・絶対全の神様、
奇跡を呼び起こす神様、その神を体験するようになります。
ここで大事なのは、私が主のためにただただ頑張って熱心にやることではなく、
その頑張る理由は私の頭から出た計画なのか、
神様が示してくださったことなのか、そこが大事だということです。
信仰の先輩たちは、神の見こえを聞いて、そして働きました。
ノアが箱舟を作ったことも、自分の計画ではありませんでした。
アブラムがカナンに行ったところも、自分が行きたくていたのではありませんでした。
主から示されていたんです。
ヴォーゼがエジプトに行ったり、公会を分けたり、
ヨーシュワがヨルノ川を分けたりすることも、自分がやったことではありません。
神の見こえを聞いて、従ったことでした。
神様から聞いたこと、示されたことを信仰を持って従うとき、
神の偉大な働きに用いられるのです。
信仰によって行きたいですか?
そうするなら、その信仰の出発点、神様から始まらなければなりません。
神様から語りかけてくださった、示されたこと、それを聞こうとして、
そして神の前に静かに神を集中して、神様に注目しなければなりません。
人間的に積極的な考え方、思考、それは素晴らしいでしょう。
しかし神様の超自然的な働きは、始まりからでは違います。
その実りは比べられないほど異なります。
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私たちは今年、神を体験するこの考え方、その段階に従って信仰生活するときに、
今年、神の素晴らしい御業、実りを見ることができると思います。
今年、神を体験するその働き方、それが真実、信仰によって生きるその方法なんです。
それを実現していきましょう。
じゃあ結論を申し上げたいと思います。
最後に私たちが死んで天国に行って裁かれるとき、
神様が私たちは何を持って裁かれると思いますか?
神様から言われたことを私たちがどのように実現したのか、
それを神様が見られるでしょう。
私たちが主のために計画立てて、ただただ頑張る、
これは全て燃やされると思います。
主の御声を聞いて、そして主が願われることに忠実になる私たちになりましょう。
その人たちにどれほど多くの報いがあるでしょうか。
ちなみに私は皆さんにこれをいつも申し上げたい。
この世の中は100年、天国地獄は永遠です。
私たちはこの世に来た理由は、この100年の人生の意味は、
よく食べて楽しんで生活しなさいということでこの世に来たのではありません。
使命があるから来ました。
私たちはこの100年の間、どんな難しさがあるんだとしても、
苦しみがあるんだとしても、主からいただいたこの使命をうまく成し遂げて主の前に行くなら、
幸せで楽しくよく食べることは天国であればいい。
この世の中には主から示されたことにもっと集中してやっていきましょう。
ところがこの使命人としての人生、
これが信仰がなくてできるものではないでしょう。
ですから私たちは神様に対する信仰、主の栄光をために生きたいという信仰、
天国を希望するこの信仰、この信仰が増し加えられるように祈りましょう。
この信仰を持っている人が神を体験するこの生活ができるんです。
その人が天国で永遠に永遠に吹き映画を観る、楽しむ、その人生ができるでしょう。
最後に私は一言ヘブナイショーをお読みしたいと思います。
ヘブナイショー10章、35節から37節です。
だから自分の核心を捨ててはいけません。
この核心には大きな報いがあります。
神の御心を行って約束されたものを受けるためには忍耐が必要なのです。
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もう少しすると来るべき方がおいでになる。
遅れられることはない。アメン。
じゃあお祈りいたします。
主よ、2023年新年の初めからビジョントリップを行っています。
ただ信仰によって生きる。
私たちもノアのように、アブラムのように、モーセのように、信仰によって生きる生活をしたいのです。
どうか主よ、私たちに恵みを与えてください。
また信仰ができるように、聖霊様、私たちに照らしてください。
私たちに神様の見言葉の素晴らしさを、私たちの霊に、心に照らしてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アメン、アメン。