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2023-11-05 32:23

「人格体であるイエス様が願われる信仰」2023年11月5日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年11月5日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら
https://listen.style/p/tokyovinechurch/

ルカ-19 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12. ある村に 入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、13. 声を張り上げて、「イ エスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14. イエスは重い皮膚病を患っている人た ちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。1 5. その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16. そして、イエ スの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17. そこで、イエスは言われた。「清くされた のは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18. この外国人のほかに、神を賛美するために戻 って来た者はいないのか。」19. それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなた の信仰があなたを救った。」

サマリー

今日は、イエス様が望まれる信仰や永遠の命に至る信仰など、様々なテーマを取り上げています。私たちはイエス様が望まれる信仰を持つ必要があります。中には、サマリアの人々の中にひとりの方が喜ばれる信仰を持ち、癒しと永遠の命を得ました。しかし、自己中心的な信仰だけでは永遠の命に到達することはできません。正しい信仰は、イエス様との個別の出会いや交わりを通じて、イエス様を見習っていくことが重要です。

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今日は、人格体であるイエス様が願われる信仰 また、永遠の命に至る信仰、いろいろテーマをつけてみたんですけど、このようなテーマをもってメッセージを分かち合いたいと思います。
イエス様があなたの信仰があなたを救った
9月の結成招会で ある日本の女性の先生がメッセージをされました。
今日の聖書の箇所で説教されたんですけど 非常に
うまいと思いました。 その時、録音機を足して何とか録音しようとしたら周りに失礼かなと思って、ただ聞くばかりだったんですけど
丁寧な日本語 優しい言葉遣い
深く探られた内容 いやー本当に久しぶり素晴らしいメッセージを聞くんだなぁと感動がありました
そのメッセージを私なりに覚えていることをずっと思い出して思い出して目指すほど これが私たちの教会に今適応するべきだということがいろいろ考えられて
そのメッセージをリメイクして私たちの教会に適応したいと思います 今日のルカの中7章の中9節に
イエス様があなたの信仰があなたを救ったと言われたんですけど 私たちはいつも使う言葉は信仰という言葉を使うでしょう
しかし今日の聖書の中でイエス様が言われたあなたの信仰があなたを救った このあなたの信仰って何でしょう
いうことを今日一緒に考えていきたいと思います 結論から申しますと
自分の問題解決という何か自分問題解決だけの信仰ではなく イエス様にポイント合わせる信仰
またその上恵みを覚え感謝ができる信仰 皆さん恵みを覚えて感謝するときに
人と人との関係が結ばれるんですよ これが人格的な信仰になるんですね
重い皮膚病の患者たちの希望
これがなぜ大事なのかそれをぜひ今日理解していただければと思います 世の中の人々には解決してもらわなきゃいけない
切実な問題があります イエス様がイエルサレムに行く道でサマリアとかカリラやジオをずっと通りかけて
それでイエルサレムに行くんですけど そこで10人の雷病の患者に出会いました
この雷病というか韓国は雷病と言うんですけど 日本では重い皮膚病という言葉を使っているし
また神科薬ではザラッとという言葉を使うんですね 今日私は重い皮膚病という言葉を使いたいと思います
重い皮膚病の深刻さ皆さんご存知ですか 人は人と関わりの中でお互いに助け合って愛し合って生きる存在ですけど
この重い皮膚病を持っている人は人に会ってはいけないんです 愛してもいけない病気です
私たちが教会のある方が病気になったって言ったらもう行くでしょう 行って一緒に祈ってあげたりするでしょう
しかしその人に尋ねてもいけない その人のために祈ってもこれは遠くから祈るべきで
その人のために何か慰めることはできない でも体はますます悪くなって
ダメになっていて見苦しくなる本当に怖い病気です その病ひとつによってこの人の人生はダメになりました
この病ひとつによって人生はもうダメになった 彼らの希望はただ病気が癒されること
それができなければ人間としては存在意味ができません
自分を作られた神様の目的があるはずなんで それも考えられません
当時もそうですけど今もそうでしょう それは病気を医療技術で癒すのは難しい
不可能な 本当に呪われたというしかない病気です
その患者に人が近づくならレビキ13章44節には 自分が叫ばなきゃいけません私は穢れたものです私は穢れたものです
英語で言えば ウンクリン ウンクリン 私はウンクリン 近づかないで
私の方から警告しなきゃいけない これは立法の規定なんです 本当に難しいですね
このような不可能な病の癒しを待ちながら 同じ病を持っている人々が10人集まって過ごしていました
全く希望がないところでなんとか光が見えたらと思いながら待っている その人たちの心
ところが彼らにゴッドニュースがありました またイヨン書23節イエスは彼らの中を回って諸カイドウで教え
未国の福音を述べ伝え また民衆のありとあらゆる病気や患いを癒された
イエス様によって彼らに希望が生じました もしかしてイエス様に出会ったら私たちも癒されるかもしれない
しかし私たちみたいな重い不病の人をイエス様はもう憐れんでくださるかな 皆さん希望がなければ人は生きられません
希望がなければ 希望があるならどんな状況でも乗り越えることができるんですけど
希望がなければ 人間はどう生きればいいでしょう
皆さんはどんな希望で生きていますか キリストシャーとして神の子供として私たちが持つべき希望は何か
この世の任せられた使命を終えたら イエス様は来られる
イエス様は私たちを迎えに来られる そして私たちを連れて天国に行って イエス様は永遠に祝福の中で幸せの中に過ごすだろう
これが皆さんキリストシャーの希望です キリストシャーがこの希望以外の希望を持っていたらそれは少しおかしいことでしょう
皆さんこの希望を持ってますか イエス様に出会うこと イエス様は私を連れて天国に行かれ
天国で永遠に共に過ごす 私はそれがもう近づいています
これから私生きるのはどのぐらいでしょう しかし私は天国に行く希望を持って今過ごしています
これが私たちの誠の希望になります 私は教会の子供たちと二世たちにいつも口にするでしょう
信仰と癒し
子供たち二世たちのために祈りましょう その理由は希望の世代だからです
私はもう空ちゃんあゆみちゃんみどりちゃん ゆなちゃん
考えるだけで喜びが出てきます 考えるだけで希望が出てきます
また皆さんどうでしょうか 私はミユちゃんの赤ちゃん
私はyoutubeでたびたび生まれた赤ちゃんの様子を写真や動画であるでしょう
かわいい だから姉妹たちは子供を産もうとするんだなぁと
今になってやっとそれがわかってそれが希望になっています 本当です
とにかく人間は希望がなければいけられません 世の中難しいです
世の中本当にひどいです 希望がなければ耐えられません
しかし重い皮膚病の患者たちは希望を持つことはできません もう外に出たら無視差別悪口
石を投げる 皆さんこんな人生生きることができますか
そのような絶望の中にいた彼らに聞こえてきたイエス様の噂 これは本当に本当に希望の光でした
もともと彼らたちに希望になったのはそのイエス様が 中1節中2節見ますと自分の村を通られるということです
これは絶対絶好のチャンスです 私たちは自分の問題解決のために信仰を持ってイエス様の前に
出なければなりません イエス様行かれるところどころおびただしい人々が集まりました
なぜでしょう 自分の問題解決のため
ところが重い皮膚病の患者たちはイエス様の近くには行けません かっこいい義務があるからです
それだって絶好のチャンスを逃すわけにはいけないでしょう だから彼らは叫ぶんです遠くから
ルカの中7章中3節
イエス様先生どうか私たちを憐れんでください イエス様先生どうか私たちを憐れんでください叫びました
その村を通られたイエス様が彼たちの叫びを聞かれたんです 皆さんイエス様は自分のところに来る人の一つだけ見るんです
それは何ですか 信仰なんです
マルコ2章の中部の患者に 4人の人が特に担いでくるでしょう
人々に阻まれてイエス様はどこに入れない 部屋の中にいらっしゃるので
だから上屋根を剥がしてそこから吊り下ろすんですよ 周りの人は悪いこの無礼な人たちと言うんですけど
イエス様は彼らの信仰を見て助けられた
イエス様はただ信仰だけを見ます 今日の私たちも切なる問題があるでしょう
その切なる問題を持って教会に来て イエス様に助けを求めるべきでしょう
そこで信仰があるのか それが大事なのです
信仰があればイエス様は必ず応えられます
イエス様は信仰の声には敏感に働きます
彼らは信仰を持ってイエス様先生私たちを助けてくださいと言う 憐れんでくださいという声を遠くから聞いて
何と言うんですか ルカの中7章中4節にこう言います
祭祀の所に行って体を見せなさい
助けてください 癒してくださいというのに祭祀の所に行って体を見せなさい
どんな意味ですか あなたたちは癒される
癒されたら祭祀の所に行って いや私はもう重い皮膚病から癒されました
これから一般の生活に戻ります これは祭祀長が判断してそれを宣言してあげなければいけないので
イエス様のその意味はあなたたちは癒される だから祭祀の所に行って見せなさいということでしょう
しかし皆さん今の体を見たらまだ癒されてない 癒されてないのに
祭祀の所に行ったらどうなりますか それはもう嘘つくしかできないんでしょう
しかし彼らはイエス様が癒された 最初のところに見せなさい
癒されることを信じて行って見せた 信じていく途中で彼らは途中で清くなった癒された
本当にこれは素晴らしい信仰ではないでしょうか 夢で見ていた重い皮膚病からの治癒
癒し 彼らはそれが実現されたんです
イエス様はこの世に来られた目的をルカ4章18節に 囚われている人に解放
目の見えない人に視力を回復 圧迫されている人を自由を
重い皮膚病によって圧迫されている彼ら 一生涯苦しんでいるこの人たちを自由にしてくださったんです
その見事ばどおりできました じゃあ癒されました
その時彼らの喜びはどれほどだったんでしょうか 希望は成就されました
不可能だと思っていたことがイエス様命令に従う時に可能になりました これから早く行って最初に見せてそれからどこに行きますか
お母さんお父さんのところに行ってまた自分の妻のところ家族のところ行って私癒されたよ 癒されたよこれから私は成長から私大丈夫大丈夫
それから私が今までできなかったことを全部やってみようと思いませんか 彼らは急いで急いで自分の道に走っていきました
じゃあ何か間違えたんですか悪いんですか 悪いことありません間違いありません
しかしイエス様をくださるもっと大事な大事な永遠の命のことがあるんですけど
それを得るためにはイエス様が喜ばれる正しい信仰が必要です
サマリア人の喜ばれる信仰
中人の中で一人違法人扱いされたサマリア人がいた 9人がユダヤ人一人はサマリア人
このサマリア人はユダヤ人と異なり ルカの17章15節16線にこう言います
大声で神を賛美しながら戻ってきた そしてイエスの足元に披露して感謝した
他の人は癒されたと見て早く最初のところに行って見せて早く家に帰りたいと思ってみんな行っちゃって行ってしまったんですけど
一人のサマリア人は戻ってきてイエス様のところに来た
ある意味から見たら当たり前のことではないでしょうか しかし今日の聖書は特別だと
彼は違法人なのに私を癒してくださったイエス様に感謝しなきゃと思いました
彼は神様に栄光を与えながらイエス様に感謝の挨拶をするから
イエス様の反応がルカの17章17節からです
記憶されたのは10人ではなかったか 他の9人はどこにいるのか
この外国人の他に神を賛美するために戻ってきた者はいないのか
それからイエスはその人に言われた 立ち上がって行きなさい あなたの信仰があなたを救った
私は聖書を色々 皆さん携帯のオフォールで聖書がたくさん入っているでしょう
私は全部揃って探してみました この最後の時 あなたの信仰があなたを救った
エナイボイ・キン・ジェイムス・ボズニオはwellという言葉を使います 良くなった
ある聖書はhealing 癒された
ある聖書を見たらsaved 救われたという言葉
この解釈はいろいろあります 私は
救われたということはsaved ヒーリングプラスsavedことで考えています
癒されたユダヤ人たちの信仰
その理由をこれから説明したいと思います イエス様は人格的なお方です
感謝するために戻ってきた異邦人を祝福しながら 彼にもう一つの祝福をくださるんですけど
あなたの信仰があなたを救った
この人は病気の癒しだけではなく 永遠の命
天国 また命の救いまでいただいたんです
今日私が皆さんと分かち合いたいのはこの部分です イエス様があなたの信仰を救ったと言われた時に
そのサマリア人重い不不病の患者の信仰について考えてみたいと思います
一緒に癒された9人のユダヤ人 彼らも信仰ありました
癒されてもないのに癒されると信じて 最主張のところに行ったということです
癒されてないのに最主張のところに行ったらどうなりますか 大変なことになりますよね
最主張のところに行く途中で癒されたんです だから彼らも信仰がありました
その信仰によって癒されたんです 彼らは生きている間はこれから健康な姿でこれから過ごすことができるでしょう
しかし それだけなんです そのところまでなんです
しかしサマリア人重い不不病の患者は 信仰によって癒しだけではなく
その上 永遠な天国の救いまでいただいたんですけど その信仰って一体どんな信仰を意味するんでしょう
恵みを知り感謝する信仰
どんな点でイエス様はあなたの信仰があなたを救ったと言われたでしょうか
彼は良心扱いをされている自分自身も差別しないで癒してくださった イエス様の恵みを考えて感謝するために
イエス様に戻ってきてイエス様のところに来た人です 彼の初めの関心は病気が癒されることだったかもしれません
しかし癒しを経験してみたら 彼の関心はイエス様に出会えた方です
彼がなぜイエス様に出会えたのか 重い不不病の人の叫びを無視されないお方
愛と憐れみが豊かなお方 癒しの献身者
そのイエス様に出会って イエス様に何とか自分の心を表現したかった
彼は神様に栄光を与えながらイエス様に恵みを感謝するとき イエス様は彼にもう一つ
あなたの信仰があなたを救ったと言われたんです 大勢の人々は人生の問題が解決できれば解決するためにイエス様に求めます
しかし問題が解決できた後はどうしますか 離れてしまいます
問題解決のために助けてくださいと言って それで助けられて癒されたら
パッと 自分の道に行ってしまいます
これは実行中心的な信仰だからそうです 実行中心的な信仰 自分の目的を成し遂げるためにイエス様を求めたんですけど
自分の願い通り自分の目的 癒しを成し遂げたら
イエス様から離れてしまいます その人はイエス様とこれからの親しい交わり
人格的な交わり それができなくなります
だから癒しで終わりです この後の神様がもっともっと私たちに大事なことをくださる
永遠の命まで至らない 私は究極的な救いをいただくのはこの世の100年の目標です
人生で一番大事なのは何ですか 皆さん人生で何かお金を稼ぐために来たんですか
100年過ぎたら皆さん全部そのまま置いていって行かなきゃいけないでしょう 人生の中で何のために来たんですか
出世する?出世してどうする?お金を稼いでどうする?持って天国に行きますか
世の中で私たちが持って生きるものは何にもありません 救い
永遠の命だけなんです 100年の目的は救われるためにこの世に来た
イエス様に出会うためにイエス様を述べ伝えるためにこの世に来たんです
救われるために一番大事な聖書はヨハネ17章3節です
永遠の命は神様とイエスキリストを知ることだ
知るためにどうすればいいんですか イエス様と人格的な交わりの中で
イエス様と親しみの中に入らなければいけない イエス様と親しみの中に入るために私たちが持つべき姿勢は何ですか
恵みを覚えること 感謝する
恵みを覚えて感謝したらイエス様と自分との間に関係性ができます 親しみができます
親しみの中でこれからイエス様を下さるすべてをいただくことができます しかし恵みを覚えてない恩知らず
感謝もしない 癒された 私行く帰る家に帰る
イエス様と関係ない それでパッと書いてしまえば
皆さん 永遠の命は神様とイエスキリストを知ることだって言うんですけど
その知るところまで私は信仰が進み出ることができますか できます それで終わりなんです
今まで私たちは十字架の福音を通して 自分の目的のために自己中心的な信仰は誤った信仰
一割の信仰だと学びました ここでわかるでしょう
自己中心的な信仰は自分の目的達成できれば 神様との関係がなくなってしまう
離れてしまいます だから自己中心的な信仰はダメだということです
自分勝手に信じる信仰 礼儀 マナーがない信仰
効力的な信仰としては 一時的な自分の問題は解決してもらうかもしれないけど
究極的にイエス様が与えてくださろうとしている 天国の救い 永遠の命を得るのは難しいということです
なぜならイエス様と人格的な交わり 人格的な関係性の中に入れないからです
皆さん私たちの救いは 祈祷された ここで終わりではありません
祈祷されたからその次に 聖火
栄華の過程までずっと進み出ていくのです 第一ペトロー 二章二節
救いに至るまで成長していきなさい だからイエス様信じる それで救いは完成ではありません
救いは天国に入るその時が救いです その時までイエス様との関係の中で祈祷された
そして聖火 栄華の過程にずっと進み出て それで
天国にやっと入るようになるんです そのイエス様との人格的な交わり
そのためには私たちもイエス様に見習った 人格的な信仰を持たなければ
その始まりが 恵みに感謝すること
恵みを覚えること 感謝すること その恵みを覚える感謝するところで
イエス様と親しみができるし もっともっと私の信仰が成長するし
聖火 栄華の過程までずっと進んでいくことができるんです
ですから恵みを知り 恵みに感謝する心が大事です
以前の私は特に韓国人が多いですね 信仰 信仰
自己中心的に ある意味から見れば役者のように
自分が聖書にこう書いてあるよ 自分が願うことをもう探しなさい叩きなさい
もう一生懸命一生懸命頼んだら イエス様からもらうだろう
役者が強制的に奪い取るように 強く祈る人たちをたくさん見ました
私はその信仰に対して拒否感を持っていました 神様は機械ではありません
求めたら無条件くださる方ではありません 信仰は不可能がないよ 信仰信仰
信仰はそんなものではないんじゃないか いつも気の毒だという気持ちがありました
皆さんが神様であるなら 恵みも知らない感謝も知らない
自己中心的な役者のような信者たちを天国に招いて 永遠に永遠に役者と一緒に過ごしたいですか
ですから人格的な神様 特に愛と恵みが豊かな神様は
私たちをもっともっと成熟した信仰になりなさい
エペソー4章13節こう言います ついには私たちはみんな神の子に対する信仰と知識において
ひとつのものとなり成熟した人間になり キリストの満ちあうれる豊かさになるまで成長するのです
聖書はなぜ続けて私たちに成長しなさい成長しなさいと言うんですか 信じたらいいんじゃないですか
キートされたと言ったら私たちは終わりじゃありませんか いいえ
そのような信仰としてはイエス様と交わりができません 聖火栄華の過程まで進み出ることはできません
イエス様との人格的な交わり
正しい信仰は人格的なイエス様に出会って 交わりをしイエス様に見習っていく
イエス様に似ていくことです 私たちの教会は中月に創立5周年を向かって過ごして
これから6周年を向かって今新しい出発をしようとする心であります 私たちはどんな信仰を求めなきゃいけないでしょうか
ただの問題解決ですか イエス様ですか
私はイエス様を知り イエス様の恵みに感謝する
それでイエス様との人格的な交わりが豊かに豊かに行われる 私たちの成熟したキリスト社になることを説に求めます
信仰によって切断されるだけではなく 聖火 栄華
そのところまで私たちの輝かしい神の栄光の光が私たちに 私から発生していかなきゃいけないし香りが発生していかなきゃいけない
それがキリスト社でしょう ただ信仰信仰と言いながら自己中心的な合理悪的な
そのような信仰は信仰ではありません 神様を悪口させる人と同じです
このような信仰は9人のユダヤ人ではなかったんです サマリア人にありました
戻ってくるサマリア人 神を褒めたたえながらイエス様に感謝する サマリア人の信仰を見て
ああこの人は私と交わりができる 永遠の命を彼は豊かに味わう人ができる
それを思ったでしょう だからあなたの信仰があなたを救った
サマリア人はこれから家に帰ってどう思いますか 私はイエス様に出会って
病気を癒されたくて もう癒しの献身者救い主イエス様に出会ったよ
イエス様の使命を信じて伝える
これから私はイエス様を信じていく イエス様を伝えていきたい
思ったのではありませんか 当たり前のことです イエス様に出会った人はみんな
イエス様を述べ伝え 褒めたたえ そしてイエス様と豊かな街を歩む中で
残りの人生をイエス様と共に歩む人生になるでしょう
これから私たちの教会 イエス様から褒められる
このような信仰を持っていきましょう 癒しだけではなく永遠の天国にまで入る時まで
油断しないで 続けて続けてイエス様と親しい交わりを持ち続けていく
私たちになりましょう 私は日本の女性の僕先生のメッセージを聞きながら
このようなことが私には照らされました これは大事だ
ただイエス様を信じていいでしょう 私は信じています 信じています 救われています
役者のようにこのような話をすることではなく
イエス様にみられた美しい人格を持っている 素晴らしいキリスト者になりましょう
小さな群れですけど このような信仰を持っていく時 周りの人が見て
その教会に行きたいと思っていくのではないでしょうか
このような美しい信仰をこれから持っていきましょう サマリア人のような
あなたの信仰があなたを救ったと言われるような このような信者になりましょう
お祈りいたします 神様今日は永遠の命に至る信仰を教えてくださってありがとうございます
今まで信仰信仰 信仰が自分の専用物のように考えたユダヤ人が持っていなかった
イエス様が喜ばれる信仰 救いに至る信仰
サマリア人が持っていたことは不思議です 私たちもこのような信仰を持って
この世でイエス様と共に歩み また
イエス様が再臨なさる時には永遠な天国で 永遠にイエス様と共に過ごす 幸せに過ごす
祝福的に過ごす私たちにならせてください イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン
32:23

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