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今日は、神に近くあることを私の幸いとしという題を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
9月は私たちの信仰を新たにしたいと思って 9月最後まで今メッセージをしているところなんですけど
これはどんな話かと言いますと 皆さん信仰は素晴らしいものです
神様を信じるんだということは 素晴らしい力があるものです
しかし 私たちにはなぜ信仰に力が見出さないんでしょうか
その理由を私は神様に問い続け それで何とか答えがあったので 私がそれを9月に用いてメッセージを知っているところなんですけど
それは信仰は神を知り 神を愛し 神を誇ることが私たちの信仰なんです
しかし私たちが神様よりこの世を愛し この世をもっともっと誇る
このような姿勢を持っているから 私たちには力がないということを皆さんに申し上げたいと思います
それはなぜそうなんでしょうか 現在のもとにある私たちは霊的な目が暗くなっているので
神様が見えません だから世の中のことばっかり見えるんです
だから世の中のことが私たちのすべてになるしかないのではないかと思います
ですからこの世の中でもっともっと詳しく知って 愛して誇ること これが自然的なことなんですけど
しかしヤコブ書4章4節を読みますと 世の友 世を愛することが神の敵であることを知らないのかと言っています
ですからここに世に生きているキリスト社の葛藤があります
私の場合は 私の信仰生活で一番難しかったのは
この世に対する愛を捨てることでした 今もそれがなかなかできてないのではないかと思います
私は40歳の初めに 会社を辞めて仏会を始めたんですけど
会社を辞めたから 仏会を始めたから この世に対する欲はなくなったんじゃないかと思いました
しかしそうではありませんでした 仏会 牧師の世界でまだ欲が働くんですね
ですから人々が知ってくれる有名な牧師になりたい また大きな牧師教会を運営する牧会をしたい
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そのような貪りが私の中で動いていることがわかりました 神様を一番愛するべき牧師が
この世のことを愛し 羨ましく思う
またそれを誇りにしている 皆さん見てわかるでしょう
なんとなく カクレキとか何とかそのような人が現れたら 牧師がすごく嬉しく思っているようなこのような姿が見えませんでしたか
私はそのことを捨てようと捨てようと頑張ったんですけど なかなかできなく これは表情が出てしまったんですけど
今まで牧師がそんなことをやっていたから 神様が私と共におられることは難しかったでしょう
今どうですか すべては辞めて今開拓しているところだから それが今なくなったんですか
バリザイビットの中である人がイエス様に質問します マタイの22章の36節から38節
先生 立法の中でどの掟が最も重要でしょうか イエスは言われた心を尽くして精神を尽くして
思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい これが最も重要な第一の掟である
なぜイエス様が最も重要な掟が神を愛することだと言ったんでしょうか その時
神様のご臨在があります その時神様が皆さんと共におられます
そして神の永遠な命が与えられ 保護があり祝福があるので
人間が一番幸せになることが第一の掟 第一の掟 神を愛する時だということを私たちのために教えてくださっています
ところが これがうまくできないということですね
私たちは神を愛することをすぐ忘れてしまって この世の中のことを誇りこの世の中のことを羨ましく思っている私たちではありませんか
それを先週申し上げました 今週はもう一つ私たちがこの世の中を愛するしかない理由
もう一つを皆さんと分かち合いたいと思います
神を信じて神を愛する人より 信じていない人がもっとうまくできるからです
信じる人より信じない人がもっとうまく この世でうまくできるなら
なぜ信仰生活しますか なぜ神を愛しますか
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これをどのように説明すればいいのか これをよく教えてくださる聖書は詩編の73編です
このメッセージを聞いてこれから世の中を愛することより 神様を愛する私たちになりたいと思います
詩編の73編はアサフという人が書いた詩です
皆さんこのアサフという人は ダビデの幕屋のリーダー 責任者
歴代帳の25章2節に見ますと アサフはこの神様ダビデの幕屋の賛美する人たちのリーダーだったんです
皆さん神を愛し神を賛美し神を褒め称える役割をする そのリーダーアサフには神様が祝福されて
全てがうまくできたと思うでしょう しかしそうではありませんでした
アサフにもいろいろな葛藤があったんです これがアサフが書いた詩編の73編です
これは悪人たちはこの世で幸せに生きているのに なぜ偽人たちは苦難を受けているのかということです
詩編の73編の3節から少し読んでみましょう
神に逆らう者の安泰を見て 私は奢る者を羨んだ
死ぬまで彼らは苦しみを知らず 身体も肥えている
誰にもある労苦も彼らにはない 誰にもかかる病気も病みも
彼らには触れない 傲慢は首飾りとなり
不法が衣になって彼らを包む 目は死亡の中から見回し心には悪巧みがあふれる
そして11節に そして彼らは言う 神が何を知っていようか
一と高き神にどのような知識があろうか 傲慢な話をばっかりやっているのに彼らはもう幸せ
みんながある苦労病気も彼らにはなかった 悪人たちは死ぬまで健康で
生きているとき幸せ 豊かな生活をしていた
12節を見ますと 美をこれが神に逆らうもの 常にアンノンで財務を成していく お金はますます増えていくということです
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しかし 神様を熱心に拝んでいる詩人アサプはどうですか
73編の13節14節 私は心を清く保ち
手を洗って潔白を示したが虚しかった 日ごと私は病に打たれ
朝ごとに懲らしめを受ける 自分は神様の前で貧しく清く神様を拝んでいるのに
自分には病気が多かった また苦しみが多かった 信じない人は幸せに生きているのに
なぜ神を信じている人 それも一番熱心に信じている人は苦難が多いのでしょうか
主の見舞いで正しく清く生きようとするこの努力が 虚しく感じられる場面ではないでしょうか
皆さん詩編1編ご存知でしょうか 私がささっと読んでいますね
いかに幸いのことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道をとどまらず 傲慢な者と共に座らず
神の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人 その人は流れのほどろに植えられた木
時が巡り来れば実を結ぶ 葉をしおれることはない その人はすることは全て繁栄をもたらす
神に逆らう者はそうではない 彼は風に吹き飛ばされるもみから 神に逆らう者は裁きに絶えず 罪ある者は神に従う人の集いに絶えない
神に従う人の道は主は知ってくださる 神に逆らう者の道は滅びに至る
皆さん 偽人は何と幸いなことかと言ったんじゃありませんか
しかし四辺一辺と全く違うことを アサプは考えるときに
信仰ということ 神様を信じるということの中で矛盾を感じるんです その時信仰生活に疑いが生じ葛藤が生じるんです
今私の息子が礼拝院に参加してないんですけど 彼が神様につまずいてこのような部分があるのではないかと思います
正直に世の中の理性的 合理的に考える人は このような壁を乗り越えるのは難しいでしょう
ここに神様の恵みが必要なんです
2番目です 信仰生活で矛盾 信仰生活で理解できない不公平を見るとき
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皆さんどうしたいんですか しかし私たちはどうするべきでしょうか
皆さんこれが非常に大事なんです 葛藤の中で苦しんだ詩人はその理由を知りたくて
人に言うんじゃなくて神の聖状に行ったんです そして神様に問い続けたんです
これが詩演73編の中7節にあります 遂に私は神の聖状を訪れ彼らの行くせいを見分けた
世の中で今理解できないことが神様によってなんとか その意味そのことがわかるようになったということです
わかるようになるためにここで皆さん大事なのは信仰の姿勢です
これは恐れ敬う心が大事なんです
神様のために一生が熱心に尽くしてきた自分なのに 神様はなぜなんでしょうか
他の人未信者たちは苦しんでないのに なぜ主を熱心に信じて主のために尽くしている自分には
なぜこんな問題が多いんでしょうか 神様この理由は何でしょうか
それを問い続けたんです その時神様は大きな悟りを与えてくださったんですけど
そのために 葛藤する葛藤があるとき皆さんどうしますか
これが大事なんです 大勢の人は信仰の葛藤
神様に対していろいろな疑いが生じるとき 寂しい思いをしながら神様から手を引く人もいます
それで去っていきます ある人は続けて不平不満をします
これを神様に言うんじゃなくて他の人にやります 同じ葛藤を持っている他の人と話をするならどうなりますか
その葛藤その疑いがますます大きくなって 一生に落とし穴に陥ってしまう場合もあります
しかしここで正解は身分を知りたい心で神様に前に出て 神様に答えが来るまで求め続けること
これが大事 この時恐れを敬う心が姿勢で神様を求めることが大事
つまずいた時皆さんこの積み入れた心を誰にも言わないで 自分だけ持ってひそがにいるなら
そこに誰が働くのかサタンが働くんです だからサタンがつまずかせるんですね
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その時は皆さんリーダーに リーダーに話をして一緒に祈りながら解決することをその姿勢が大事だということです
いろいろ疑いがあり葛藤がありいろいろ不平不満したいことがあります その時皆さんそれを本当の意味を知りたいんですか
そうじゃなければその不満不平を持ってこの共同体を潰したいんですか どっちですか
本当に教会を愛し神を愛するなら 不平不満を持って神様本当知りたいです
真実を教えてくださいという姿勢で 神の前でひれ伏して神を求めることが大事です
これが神を恐れ敬う人がやることです その人に与えられる素晴らしい答えこれが3番目です
神の正義上に訪れた時神様は何を見せてくださったんですか また詩人はどうなったんですかということです
神様は正義上で 神様は正義上で神を教えてくださったのは
神を無視して生きる人の最後の場面を見せてくださったんです これが73編の18節から19節です
あなたが滑りやすい道を彼らに対して備え 悪人たちは今まで幸せだったんですけど最後見てみたら神様が滑りやすい道を
彼らに対して備えていく 彼らを迷いに落とされるのを知ってくださった
彼らを一瞬のうちに荒廃に落とされ 災難によって滅ぼしつくされることを見せてくださった
神様がその今素晴らしくなって幸せになるように見えるその人の最後の場面を見せてくださった時
知人は 人間がなぜこの世で生きているのか
またこの世でどうするべきなのかを悟るようになりました 結局
悪人は神様が裁かれるということを教えてくださった さあ皆さんこの世は私たちは100年生きます
100年生きるこの世の意味は何なのか これは
100年を通して次に神様の裁き 判断があります
そして私たちは天国か地獄が永遠な天国が地獄が行く そのような神の裁きの前に人間に
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神様に対するチャンスを与えてくださることが この100年の人生の意味なんです
だから100年の人生の意味の中で私たちが準備するべき一番大事なのは 自分の救いなんです
神様の前で自分が救われるのか イエスキリストじゃなければいけないもんですから
イエスキリストの中心化を通して自分が救われること また救われてない周りの方々を覚え
その方たちのために祈りまた福音を述べ伝えてその人々を救ってあげる これが100年生きる私たちの人生の一番大きな意味なんです
皆さんそれを信者がしっかりそれを覚えていかなければなりません もう一つがあります
御国にふさわしい キリストの神父として準備する過程がこの100年の人生なんです
救いのためまたキリストの神父として清いキリスト神父にならせるために 神様が信者たちだけに与えてくださることがあります
これが苦難ということです 信仰の苦難です
皆さん苦難はこの世から自分自身を清め 神様に委ねさせ
神を体験することができる道なんです 神様には本当に大事な訓練コースなんです
神様は私たちに世の中のすべてを与えることもできます 世の中のすべてのことを与えてくださっても
神の子供たちが堕落しないでこの世を勝ち抜き 福音の宮座をうまく伝えることができるのか
できるなら神様はいくらでも私たちに与えてくださるはずなんです しかし現在のもとにある人間はそうではなかったということです
苦難があるとき神を求めます 苦難がないとき神様は求めないでしょう
苦難があるとき皆さん第一ペトロの4章1節を見ますと 苦難があるとき罪との関わりを断ち切ったと言います
苦難の中にいる人は罪を犯さないんです 豊かさの中にある人は罪を犯します
だから神様の立場から見てますと 苦難の中にいるキリスト社が安全なんです
また苦難の中で死を求めるでしょう 苦難があれば自分自身をもう一度振り返ってみるんです
しかしすべてがうまくできる豊かである だったらのんびりしちゃって自分がうまくできたら偉そうになってしまう
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だから苦難ということは神様が神の子供のために この世の中から神の子供を清く守るために
安全のために使う神様の素晴らしいトゥールなんです 皆さんこれが理解できますか
なぜ私だけに苦難がありますかという このような不平不満をするんじゃなくて
苦難がある時こそ神を求めまた自分自身を清めにし また自分を振り返ってみて私が何が神様の前で私が何が間違いがあるのかと
考えることは苦難の時だけなんです だから人生の中の苦難は神様に対しては神の子供を守るために
非常に大事な大事なトゥールだと考えていいでしょう ですから苦難の中で真実なキリスト社たちが悟ることを
詩編の73編の26節と28節に書いてあります 私の肉も私の心も朽ちる
であろうが しかし神は常に私の心の岩
私に与えられた分 私は神に近くあることを幸いとし主なる神に神に避け所を置く
このような悟りを与えてくださったのは 苦難によることなんです
苦難は当時は難しい厳しいと思うかもしれないけど そのような苦難がある時こそ私たちは神の前に進み出ていくし神様にいろいろ
神の秘密を聞くチャンスになります じゃあここで17節に神の正義上に訪れたって言葉が出てきます
これは神様を求めたということでしょう じゃあ私たちは苦難の中で神様をどのように求めればいいですか
はじめは祈りと礼拝です 約分4章8節見ますと神に近づきなさいそうすれば神は近づいてくださいます
罪人たち手を清めなさい心を定められない者たち 心を清めなさい
神様は神に近づく人に 続けて近づいてきてください
なぜ神様は私たちに先に近づいてくださらないのか 神様は私たちの自由意志を侵す方ではありません
私たちの自由意志を尊重される方ですから 私が近くなってた神様も近くに来てください
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皆さん簡単です皆さんが祈りをするときに何を考えればいいのか 皆さんが祈りをするときに神様が近く来ておられることを信じてください
なぜなら神様はその通りなさるからです だから私は神を求めるとき神は来ておられるんだということを考えていただきたいです
だから神様は待っています 約分4章23節見ますと神様は礼拝として神の前に出てくる人を今世の中から探しておられると言っています
だから祈りと礼拝を持って神の前に進んで行く進み出て行く その時神様も私たちに近づいてください
2番目 神の見言葉を読むそして目想することです
4編の119編の130 見言葉を開かれると光が差し入れ無知なものにも理解を与える
これは素晴らしいでしょう じゃあここで見言葉が開かれると光が差し入れ無知なものにも理解が与える
どのように見言葉が開かれますか これは精霊様によってです
精霊様が私たちは神に近づき真面目な心で聖書を読もうとするとき 精霊様が見言葉を開いてください
そうするなら 聖書の中で驚くほどの秘密が私たちに照らされ悟らせる
私たちは見言葉と精霊 これは大事なんです
聖書は精霊によって読まなければいけません だから祈る心で読んで目想すること
そして精霊様それを教えてくださいという心で読むことは大事なんです
特に大事なのは神の身胸を悟ったと言いますと従うことが大事です
いくら近づいていくら神様のことを聞いたとしても 従わなければ意味がないでしょう
もちろん精霊によって照らされて知るようになったら 私たちの体が自然に動いてしまいます
だから精霊の照らしが大事なんですけど
ヨハネ14章21節 私の受け手を受け入れそれを守る人は私を愛するものである
私を愛する人は私の父に愛される 私もその人を愛してその人に私自身を表すと言う
ここで大事なのは表すということ 神様イエス様はご自分をどのように表してくださいますか
見言葉の解釈とともにイエス様に出会う体験をするようになります
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これが私たちがいつも申し上げる神様と親しい交わりの中で 見声を聞き従うとき神に出会います
神様のすべてを私たちが悟ることができる 神の聖場 神の神殿 礼拝の場でこのような照らしと悟りと体験をすることによって
神様を愛することができます その時ひどい愛するんじゃなくて神を愛しイエス様を愛することになります
その時イエス様の十字架の許しを体験し それを誇りに思うそれを伝える人になるのです
世の中のことを愛するんじゃなくて誇りとするんじゃなくて 神のことを愛し神のことを誇りにしましょうといった時に
どうすればできるのか お祈りと礼拝で また神の見事な要望を目指すことで そしてそれを従っていくことでそれが私たちにできます
そうするなら神様のことをもっともっと愛し誇りに思う 神様をもっともっと近づいていくんです
その時神の小輪際が私たちに与えられ ますます力が満ちあうれる信仰生活ができます
そうじゃなくてつまずいてしまって落胆してしまって なぜ教会に行くのか疑い葛藤の中でそれでも神を求めるんじゃなくて人々の中で
なんとかいろいろな裏話ばかりしながらそのように過ごすなら神様が来るはずがないでしょう 体験することもできないでしょう
だから信仰ということはもう面白くないんです だからだんだんだんだん信仰が冷めてしまって神様と遠く離れてしまう
今特に最後の時そのような信仰になってしまえば 私たちは非常に危ない信仰になります
28節に神の身そばにいることが私の幸せ ということは
もしつまずきの中で神を離れたとするなら 一生がいつまずきの中で神を恨み
神を恨んだらこの世の中しかないから この世の中を愛しこの世の中のために生きよう
生きる可能性があったのに私は ああそうじゃなくて神様の戦場に行って神に出会って私たちはこれを悟ったから
だから私はつまずきの道に行かなかったということ 幸いだったということを葛藤詩人はこう言っていることです
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神に出会って永遠の命を味わって天国の希望の中で この世の中を主の力と主の五輪際のこのパワーで勝ち抜くことができるから
どれほど素晴らしいことでしょうか じゃあ皆さん9月私皆さんに申し上げたかったのは
なぜ私たちの信仰は力がないのか もう牧師の問題ですか私の信仰の問題ですか
それではありませんです 皆さんの愛して誇って求めていることがこの世ですか神様ですかと
よくよく考えてみてください私はイエスさんをもっと知りたい イエス様を愛してイエス様を誇りにしていくならイエス様を来てください
そうするなら皆さんが努力するんじゃなくてイエス様の恵みが イエス様の五輪際の力が皆さんを幸せにしてください
じゃあ誰を愛するんです先ほど私が皿洗いをしながら買ってきました ある人と結婚したのに私がこの
結婚した妻を愛するじゃなくて結婚前に出会ったある姉妹を愛して続けて愛するなら 妻はどうなるんですかという思いです
私が信仰する前はこの世の中のことを好きだったんです しかし信仰に入ったら
信じて私と結婚したイエス様神様を愛するべきではありませんか しかし私と結婚している神様イエス様じゃなくて
またこの世の中を愛するから 神の五輪際もない神様の恵みもない
神様の素晴らしい栄光の力も私たちが体験することはできないんです ぜひともこのことを気をつけて
私が神を愛しているのか世の中を愛している 神を誇っているのか世の中のことを誇りにしているのか
もう一度考えてご自分の信仰を直していただきたいということが 9月の私たちのこのメッセージの大事なポイントでした
ぜひともこのようにして私みんなが神を愛することによって 五輪際によってみんなが素晴らしい証を
教会で分かち合う そのような教会になれればと思います じゃあお祈り出します
神様9月には私たちの信仰は素晴らしいことなんですけど なぜ私たちの生活には信仰の力が現れないのか
それを私たちが分かち合いました 私たちが神を愛し神を誇りに
そしてそうするなら神の五輪際が共にいるべきなんですけど 世の中のことを愛し世の中のことを誇りにし世の中のことばかり言っているから
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そうではないかという原因を分かち合いました しかしどうか私たちが神を知り神を愛する
そして神様を誇りとして思って神様を延べ伝える この信仰の本質を
私たちがうまく成し遂げることができるように導いてください イエス様の皆を通してお祈り致します
アーメン