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2022-08-30 30:52

「永遠に生きる人生の為に」2022年8月28日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年8月28日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

Ⅱコリント-18 だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。17.わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。18.わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。

00:00
今日は、永遠に生きる人生のために 流体を持ってメッセージを分かち合いたいと思います。
大勢の人はこう言います。 死んだら終わりだと思います。
ですから、この世で過ごしながら 苦しみがあったり、難しさがあったりするなら、
その苦しみ、難しさを避けようとして 死にたい、死にたいという話をします。
私も以前、いろいろ何かの難しさがあれば、 早く死にたいということをたくさん言ったと思います。
今、悔いを改めているところなんですけど、 また、大きな過ちをしたなら、
死で全てをきれいに片付けようとします。 だから政治家とか、いろいろな方たちを見ていますと、
自殺状ということで、人生をきれいに片付けようとします。
死んだら終わりでしょうか。 先週、ルカの16章で、金持ちは
死んだら全てが終わりではなく、 地獄で彼の人生が続けられることを見ていました。
また、ラゼロは死んだら全てが終わったのではなく、 楽園で、天国で彼の人生が続けられることを見ました。
そうです。 この世の100年で人生の終わりではありません。
天国で永遠に生きるか、地獄で永遠に生きるか、 この2つの中で1つです。
これは人間だとするなら、誰も避けられない 運命的な結末です。
人間は神様の見姿。 神様が永遠に生きられるように、私たちも永遠に生きる存在です。
皆さん、自殺ということは、神様が与えてくださる 永遠な天国に入るチャンスを自ら捨てるものです。
ですから、私たちは絶対そんなことをやってはいけません。
もし、ある人が地獄で永遠に生きるようになったら、 どれほど怖いでしょうか?
どれほど悲惨でしょうか? 地獄がどんなところかわからないから、今平気に過ごしているかもしれないけど、
もし、自分が地獄に行くようになるとわかったら、 多分、気が狂ってしまうかもしれません。
もし、死んで地獄に行くとしたら、この世の100年で 金持ちとして生きることが、皆さん羨ましく思いますか?
少しも羨ましくないと思います。 ですから、私たちは天国で永遠に生きることができるように、
03:01
今、この世に住んでいるこの世の100年、 どんな代価を支払っても、必ず準備していかなければなりません。
人生は来る順序はあっても、帰る順序はわかりません。 いつ、どんなことで、どのように亡くなるか、誰もわかりません。
ですから、神様が今、救いのチャンスとして与えられた、今の人生をうまく活用して、
救い主、イエス・キリストを出会うだけではなく、 愛する周りの方々が、イエス・キリストを出会うことができるように、
天国に導かれることができるように、 助けなければいけないと思います。
ですから、今日は続きまして、 人間が永遠に生きる存在であるなら、
どのようにして天国で永遠に生きる生活を準備することができるのか、 それを一緒に考えていきたいと思います。
これは、私はよくやった方が、シト・パウルではないかと思って、 第二コリント4章を通して、それを一緒に考えていきたいと思います。
シト・パウルの場合は、救われて、 彼の人生が変わるきっかけがありました。
パウルは、もともとイエス様が大嫌いで、 イエス様を信じる人々を迫害する人でした。
その彼が、ダマスコにいるキリスト社たちを捕まえるために行く途中、
太陽の光よりもっと強い光に照らされ、 その光として現れるイエス様に出会います。
また、イエス様の見声を聞きます。 これは、シト・ギョーデン9章4節5節ですけど、
サオロ、サオロ、なぜ私を迫害するのか? 主よ、あなたはどなたですか?と聞いたら、
私は、あなたが迫害しているイエスであろうと言います。 そして、イエス様はこう言います。
行け、私はあなたを違法人や王たち、 またイスラエルの子らたちに、私の名前を伝えるために、 私が選んだ器であろう。
その話を聞いて彼は馬から落ちて倒れてしまいます。 そして彼の人生は新しく変わります。
この見言葉に従うために迫害者がいきなり伝導者として変わります。
そして彼はイエス様を愛して、今まで求めてきた世の中のすべてのことを排泄物として思い、
主のために献身して、すべての人を愛して福音を伝える人に変わります。
06:02
神様を敵対する人が、 神を愛して、永遠の命を受ける人になりました。
ところが、おかしいですね。 イエス様を信じて正しく生きようとするなら、
この世の中が嫌がるんです。 迫害し、殺そうとするんです。
ですから、ヒトパウルほど迫害をたくさん受けた人がいないのではないかと思います。
彼がどんな悪いことをしましたか? いいえ、イエス様を愛して、人々を愛して、彼たちを救おうとすることだけなんです。
これから見てますと、永遠の命を得る生活には妨げがあるということをわかります。
ですから、イエス様はこう言いました。
世があなたたちを憎むなら、あなた方を憎む前に、私を憎んでいたことを覚えなさい。
あなた方が世に直していたなら、世はあなた方を身内として愛したはずである。
だが、あなた方は世に直していない。私があなた方を世から選び出した。
だから、世はあなた方を憎むのであろうと言います。
私たちがイエス様を信じて、真面目に、そして正しく生きようとする時で、迫害があるなら、
皆さんはどう思うと思いますか? なぜ私が真面目に生きようとするのに迫害があるのか、
神様が祝福してくれないのかと思って、私たちは落胆して、神を恨み、
また迫害を避けようとして、この世と妥協する可能性があります。
永遠の命を保ち、永遠の命を最後まで持ち続けるためには、これを乗り越えなければなりません。
私はイエス様を信じて、家で先女の執拝があるんですけど、それをやめたら家から追い出されました。
私は非常に苦しくて怖かったです。
私の母は私のゆえに、私と同じような迫害を受けました。
未熟な私、非常に怖かったんです。 その時、精霊様が私の心に御言葉を入れてくださいました。
マルコの中小29節、30節です。 イエスは言われた、はっきり言っておく、
私のため、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者は誰でも、今この世で迫害を受けるが、
09:05
家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も100倍を受け、どっちの世では永遠の命を受ける。
私が家から追い出された、苦しかったその時、未熟だったその時、私はこの御言葉を掴んで乗り越えていきました。
皆さん、イエス様を信じる時、妨げがあります。迫害があります。その時、私たちは負けてはいけません。
約束の御言葉を掴んで、信仰によって乗り越えなければなりません。
私はマルコ中小29節、30節通り、父が私から宣伝を受け、母、姉、弟、みんな、弟は私の熱心な応援部隊です。
私の弟は今、私をすごく支えてくれる人に変わりました。
そうです。御言葉を信じて耐え忍んでいくなら、必ず神様が迫害を乗り越えるようにしてください。
この苦難がある時に、神様はもう一つの働きをするんですけど、それが私たちを取り扱うことをします。
この時、もし私たちの中で、隠された恥ずかしいことがあるなら、罪があるなら、またこの世に対する未練があるなら、悔いを改めて徹底的に捨てなければなりません。
皆さん、私たちが恥ずかしい、世の中の人々もやらない恥ずかしいことをやりながら、神を信じることができますか?
隠されている恥ずかしいことは、主はご存知です。それを捨てるように、神様は私たちを苦難を通して取り扱われるんです。
ですから、私たちはこれを捨てなければなりません。それを捨てない限り、教会が恥を受け、神様の尊い皆が恥を受けるようになります。
ですから、キリスト教徒がそのことを捨てるように、神様は私たちを取り扱われるんだということを、ぜひ覚えてください。
永遠の命を、そして安全に天国に入るためには、皆さん、私たちは毎日毎日、公開性、透明性がある生活を行わなければなりません。
隠された恥ずかしいことがあったら、皆さん、徹底的に捨てていかなければなりません。
聖者アグスティンという人がいました。イエス様の出会う前は、彼は欲望に従っていきました。
12:05
本当に恥ずかしいことをやりました。
また、彼は真理を求めたんですけど、真理を見つけることができて彷徨いました。
ある時は、真理があるかなと思って、マニ行に入って信仰を持つ場合もありました。
どこでも、まことの満足、安息がなかったんです。
しかし、彼がイエス様に出会ってから、自分の霊魂、霊にまことの満足を得て、
残りの人生をイエス様のように生きました。
皆さん、これが大事なんです。天地創生の時に、光あれ!と言った時に、全世界に光が照らされました。
その時、混沌と無実情の世界が、実情の世界に変わったように、
私たちの心、いろいろな苦しみ、難しさ、混沌、彷徨いがある時、神様の光が照らされる時、
真理の光、イエス・キリストの光が照らされる時に、私たちが変わります。
そして、新しい人生の本当に大事なことを発見して、そこに従うようになります。
ですから、私たちが一番力を入れなきゃいけないことは、真理の光であるイエス・キリストに出会うことです。
イエス・キリストとの関係性の中で、本当に大事な宝を、私たちが体験していかなければなりません。
そして、それを皆さんに明かしする、そして述べ伝えることが大事です。
聖書の中でヘブライ賞という手紙、ヘブライ人への手紙、ヘブライ賞ということがあります。
ヘブライ賞を記録した目的は、キリスト社になったユダヤ人、その方たちに迫害があった時、
この迫害を恐れて、イエス・キリストに対する信仰を捨てて、ユダヤ教に戻っていく人が大勢現れたのです。
だから、それを気の毒だと思って書かれた聖書が、ヘブライ人への手紙ということがあります。
皆さん、イエス・信仰を持っている人が、最後まで信仰を持ち続けることは非常に難しいことです。
廃墟、裏切ることがあります。
私たちも、いくらでも裏切る可能性があります。
ですから、私たちは永遠の命を最後まで保ち、それを守るために、私たちはイエス・サマーとの親しい交わり、
また、光であるイエス・サマー、真理であるイエス・サマーを体験する私たちの生活が大事です。
15:02
だから、迫害がある時に、私たちの一番大事なのは、見言葉です。
イエス・サマーとの親しみです。
その中で、私たちは信仰を守り、最後まで迫害を貫く、このような信仰生活を、ぜひ、私たちがやっていきたいと思います。
そのために、私たちは、今日、第2コリント4章では、2つのことを私たちに教えてくださいます。
私たちは、土の器に宝を収めていることを覚えなければなりません。
第2コリント4章7節には、私たちはこのような宝を土の器に収めています、という言葉があります。
宝は何ですか?イエス・キリストの福音、聖リー様が宝です。
私たちは、土の器と同じです。
土の器は弱いのです。よく壊されます。尊いものではありません。
ところが、イエス・キリストの福音は、これは永遠の宝物です。
イエス・キリストの福音は、永遠の命の泉であり、霊魂の糧であり、復活の命であります。
生きるか死ぬかが、イエス・キリストの福音に書かれてあります。
また、盲人の目を開ける光でもあります。
イエス・キリストは万おの王、万種の主であります。
ですから、イエス様には、命、光、喜び、平和が満ちあうれ、闇、運命、悲しみ、死はありません。
私たちが喜び満ちあうれ、命ある人生を過ごすためには、私の内におられる宝であるイエス様を、うまく保ち、良くして、信じて、委ねていかなければなりません。
宝を土の内に収めている。
私は、進学の時に、神様が特別な恵みを与えてくださったと思います。
出会う人が様々な問題を持っていることを、私に見せてくださったんです。
この問題ということは、罪と悪魔によるものであること、それを示してくださいました。
しかし、私には、その人々の問題を解決できる、イエス・キリスト、万おの王、万種の主がおられるんだ、という信仰を強く与えてくださいました。
ですから、私は人に出会うことを少しも恐れがありませんでした。
恐れの代わりに、あの人たちは、イエス様を出会えば、みんな救われ、癒され、生かされるはずなのに、という気の毒だな、という気持ちが強くありました。
18:14
生意気なお話かもしれませんが、私は、あの方たちを、その方たちを、助ける鍵を持っているということは、私たちに感じられました。
そうです。私たちは物足りない、土の内側のように弱い、本当に私たちは、本当に物足りないものですけど、
私たちの中には、万おの王、万種の主である、イエス・キリストがおられます。
イエス・キリストが鍵なんです。
皆さん、これが、私たちキリスト社の力の秘訣、私たちにある宝なんです。
この宝を良くしていく、自分の弱さばかり見るのではなく、自分の中におられる、イエス・キリストの素晴らしさに、
私たちはいつも焦点を合わせていかなければなりません。
また、私たちが必ず知るべきこと、先週、霊と魂と身体に対してお話ししましたけど、
皆さん、内なる人と外なる人に対して、よく知らなければなりません。
大ニクリと4章の16節から18節に、パウルは様々な苦難に出会いましたけど、
その中で、自分が落胆しなかった理由を、このように説明します。
16節です。
だから、私たちは落胆しません。
たとえ、私たちの外なる人は衰えていってとしても、私たちの内なる人は日々新たにされていきます。
皆さん、私たちの中には、外なる人と内なる人がいます。
外なる人って、私たちの身体、感覚の機関です。
外なる人は、この世で過ごしながら、年取っていく、弱くなっていく、衰えていきます。
結局、外なる人が使えなくなったら、霊魂と分離します。
それが死ぬことです。
しかし、内なる人は、私の霊魂、誠の私です。
その内なる人は、死にません。
その内なる人が、天国でも地獄でも、永遠に生きるものになります。
その内なる人は、外なる人に閉じ込まれている状態です。
大事なのは、これから私たちの内なる人です。
パウロは、外なる人は衰えていっても、内なる人は、毎日毎日新しくなり、力強くなることを喜びました。
21:10
皆さん、これが大事です。
私たちの内なる人が大事です。
どうすれば、私たちの内にいる内なる人が、強くなり、新たになることができますか?
それが強くなれば、私たちは本当に力があります。
そのために、私は道を真理を命だというイエスキリスト、イエスキリストの御言葉、
イエスキリストの霊である聖霊に満たされなければなりません。
そうするなら、私の内なる人が強くなります。
また、私は救ってくださるために、イエス様の中心家で死んでくださったイエスキリストを信じて、
悔いを改める時、罪を洗うたびに、清くするたびに、私たちは新しくなります。
罪を清くして新しくなるなら、聖霊様が豊かに与えられて、
復活の命、復活の力によって強くなります。
ですから、私たちの内なる人を強くするために、聖書をよく知らなければなりません。
神の御言葉が私たちの考えと価値観を変えてくるように、
また御言葉に従って生きる人生になるように、
また、神様の夢、ビジョンに満たされなければなりません。
私は主の祈りで、皆が崇められますように、
御国が来ますように、御心が天で行われるように、地でも行われますように、
私はこの主の祈りの前の、この3つ、皆が崇められますように、御国が来ますように、
御心は天で行われる、地でも行われますように、
私はこれを毎日中、何回やる祈るか分かりません。
この祈り、御名を、御国を、御心を、それを私は求めながら、私はこれを持って、もう祈り続けています。
その度に、私の内なる人が反応します。
私が御名を、御心が、御国が、それを語る、それを思う度に、私の内なる人はもう喜んで喜んで踊っていることがわかります。
皆さん、私たちは神様を求める時、私の内なる人はもともと力強くなり、新しくなり、成長していきます。
無限な神様に私の内なる人が出会って、栄光から栄光へと変わっていく、強くなっていく、だんだん新しくなっていく、この霊的な成長、これが内なる人が強くなる秘訣です。
24:17
皆さん、私たちの信仰の年数が長くなればなるほど、深い信仰、イエス様のように乳和で謙遜な信仰になるべきではありませんか。
ところが、むしろ習慣的に形式的な信仰になり、立法主義、沈黙主義、合理悪的な信仰になり、神を崇めるのではなくて、人々を見ている人から尊敬してもらいたいという、なぜこんな信仰になるんですか。
内なる人に問題があるからです。
なぜ、私たちは外なる人が弱くなっても、内なる人はますます強くなるべきなのに、外なる人が弱くなりにあたって、内なる人さえも弱くなってしまう。
初恋は冷めてしまい、外託精神はなくなってしまい、まあ死ぬ日を待ち望みながら、楽に楽に過ごしながら、私は天国に行こうとばかり考えるなら、内なる人に問題が生じたんです。
内なる人が新たになり、力強くなり、成長していく。私はそのような信仰を求めなければなりません。
私たちの内なる人が強くなって、神をもっともっと知っていって、そして成長していって、私たちの目標はイエス様のように、イエス様のようになること、そしてこのように勝ち、神を喜ばせながら、救いの革新をもって天国に入る私たちになりましょう。
シト・パウロは、神を知っていくその中で、神様が第三の天を体験させてくださいました。
第二コリンと十二章、二節と四節です。
私はキリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられています。
体のままか、体から離れていくか、分かりません。神様はご存知です。
彼は楽園まで引き上げられ、人が口にすることを許されない、言い表せない言葉を耳にしました。
パウロは楽園まで、天国まで引き上げられ、彼は素晴らしい体験をしたんです。
神の国で私たちが味わうべき栄光を、彼はあらかじめ見たんです。
27:01
この大きな希望によって、彼は世の中で迫害を受け、牢の中でいましたけど、楽団することはありませんでした。
皆さん、これはただシト・パウロだけ当てはまることではありません。
私たちも同じように、これから味わうべきものなんです。
私たちもそれを見てみたいです。
この世の中でそれを見てしまえば、天国に対する希望、喜び、その街の呪文をくぐるのはどれほど強くなるでしょうか。
それほど現実に収められないで、喜んで主のために、どんなことでも働く、参加することができるでしょう。
結論を申し上げます。
私たちの体、そとなる人は、土の器のようによく壊れます。
結局、死で土に戻るべきものですけど、
私たちの霊魂、私たちの内なる人は、永遠に生きます。
ですから、私たちはこの内なる人を大事に思って、イエス・キリストによって、
見事ばと生理によって、いつも新たにし、もっともっと大きな希望と、
そして命と、革新に満たされる信仰生活ができればと思います。
皆さん、内なる人が強くなる人は、このような信仰がいつもあります。
私はイエス・キリストの恵みと愛によって救われた。
私はいつでも、この世を去ったら天国に行くんだ。
そこは愛するイエス・キリストが私を待ち望む所だ。
安息と祝福と幸せがある場所だ。
私は今すぐ行きたい。
しかし、私はこの世で、私に預けられた、使えるべき人々がいるから、
しばらくこの世にいるだけだ。
私は早く天国に行きたい。
そして、主のために担う苦しみは何にもない。
私の希望は天国にある。
主よ、私にもっと強い信仰と愛と希望によって燃やしてください。
私はこの世に直している者ではありません。
私は天国の民、神の子供です。
早く天国に行きたいです。
主を聞いてください。
マラナタ。
私たちの内なる人が強くなればなるほど、
新しくなればなるほど、
このような規模で私たちは満たされると信じます。
ぜひとも、教会が内なる人が強い人になっていきましょう。
お祈りいたします。
30:02
素晴らしい神様、私たちはいつも自己中心的、
罪を犯して神様を離れるのですが、
神様は無限の愛で、
イエス・キリストを十字架と復活で清めてくださり、
救ってくださり、
聖霊様が私たちを新たにしてくださることを感謝します。
私たちに預けられている永遠の命を、
私たちがうまく守り、
保たれ、
みんなが天国まで行く、
私たちにならせてください。
そのために、
私たちの外なる人ではなく、
内なる人を、
ますます強めてくださり、
新しくしてください。
イエス・サムの源を通して、
お祈りいたします。
アーメン。ありがとうございます。
30:52

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