さあ今日は、啓示の三段階の信仰という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、私たちのメッセージが何だったのか覚えてますか? 先週、「奇跡を起こす信仰の祈りの為に」という言葉で対目を持ってメッセージをしました。
メッセージをした後、1週間、私は苦しんでました。 なぜなら、先週申し上げた、奇跡を起こす信仰の祈りが何かと言いますと、
神様の御心を持って祈りましょう。 疑いなく信仰を持って祈りましょう。
共同体が一つになるために、許しながら、愛しながら、祈りましょう。 偉そうに、そのようなメッセージをしました。
ところが、なぜ苦しかったのかと言いますと、 皆さん、これ一つ一つ、私たちの力でできますか?
できません。神様信じましょう。 アメン、信じましょう。信仰、信仰。
私が信じたいと思って信じることができますか? 皆さん、日本の信学者たちは、私が見て、天才的な方たち。
天才的な信学者たちも、信仰ができなくて、 理性、知性、またいろいろな科学的な根拠を持って、信じてみようと思いながら、できないから、
宗教多言論。 結局、すべての宗教は全部同じだ。
山に登ったら、もう登ったら、全部同じだように。 登る道は違うだけで、全部登ってみれば同じだ。
だから、すべての宗教は、もう、真理があり、救いがあり、 すべて兄弟姉妹だと。
これは、誰が言っていますか? キリスト教の信学者たち、自由主義信学者たちが、このような話をするんです。
信仰ができないから、信じたいんだけど、信じられないから、 頭で何とか何とかやろうとして、信仰じゃなく、他のことを、今、やっているところで。
信じること、私たちはできません。 自分の頭で、信じることさえできれば、
某世のように、全部信仰を持ってやるでしょう。 できません。
どうして、どのようにすれば、それができるのか。 これは、ただ、精霊によってできます。
皆さん、第一コリット2章9節から、この後の9、10、11、12、 ずっと読んでみてください。
これは、すごい言葉が書いてあります。
しかし、この言葉は、目が見もせず、耳が聞きもせず、 人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神様、ご自分を愛する者たちに、準備されたと書いてある。
皆さん、キリスト教のために、キリストたちが、目で見たこともない、 耳に聞いたこともない、自分の心で考えたこともない、
素晴らしいものを、神様がキリストたちのために、 既に準備されているんですよ。
どうして、わからないんですか。 精霊様が、それを教えてくださる。
精霊様が、教えてべきなんですけど、 精霊様を教えてくださらなければ、
いくら、頭を使っても、いくら、勉強するんだとしても、 自分が、目も見たことがない、耳も聞いたことがない、
心に思い浮かびもしなかったことを、 わかるはずがないということです。
ですから、精霊様の働きが必要なんです。
ところが、今まで、教会は、精霊の働きをすると言ったら、 みんな、人がおかしくなる。
精霊の働きを、なんとか偉そうに、 自分を偉そうにすると、心が純粋ではないですね。
乱用、誤用、そうしてみれば、 もう、世の中の信者たちは、
精霊の働きだったら、 また、おかしい人ばかり考えられる。
神秘的なことばかり考える。 だから、精霊の働きは、みんな嫌がるもの。
精霊様がいなければいけないのに、 精霊を拒否するような雰囲気を作ったこと。
これが、今まで私たちはやった過ちなんです。 それが、教会がやっている、この大きな過ちだと思います。
精霊の働きという話が始まったら、 みんなが嫌がる、拒否する、
何か心配する、雰囲気を作ってしまった。
それが、悪魔の働きだ、私は思います。
精霊の働きが、教会に二度もできないように、 既に、教会の雰囲気作りを、悪魔がやってしまったんじゃないかと思う。
しかし、皆さん、真悪の時代は、精霊の時代です。
精霊様がいなくて、真悪の時代で働きができるのか? できません。
ですから、私たちは、精霊様に対する正しい知識、 正しい理解を持って、これから問題がないように、
私たちは、精霊様と、これからの働きをしなければいけないんじゃないかと思いながら、
今日、啓示の三段階ということを、ぜひ理解していただきたい。 と思って、今日メッセージを準備しました。
皆さん、旧約時代は、旧約時代の信仰生活は、 神様が見言葉で約束して下さいました。
見言葉を受け入れ、それを守るなら、 見言葉を守るなら、祝福される。
しかし、失敗しました。
神の見言葉は、素晴らしいもの、完璧なもの、 もう、完全なものです。いいものです。
しかし、人間が、神の見言葉を守る力がないんです。
神様は、この見言葉を守って、祝福を受けなさいと。 そして、神様はいろいろなことを祝福されました。
見言葉の約束を与えて下さいました。 その約束を、あなたのものになりなさい。
見言葉を与えたのに、守ることができない。
だから、見言葉をわかっているんだけど、守れないから、 罪意識を持っている。
また、守れない自分自身が情けなくて、自分自身を苦しむ。 以前、私の父がいつも言ったことと同じです。
あなたは、世の光、世の潮になりなさい。 皆さん、世の光、世の潮、いいことでしょう。
なぜ、あなたは、世の光、世の潮にならないのか。 私は、ムチをパンパンと打ちました。
そしたら、私は、そうです、世の光になりたい。 世の潮になりたいと、頑張りました。
できませんでした。 世の光、世の潮になることは、素晴らしいことです。
しかし、私はそれができない。 それをできる力がないので、
この言葉自体が、私には苦しみだったんです。 同じです。
旧約聖書で、神様が言われた数多くの約束は、 守るなら大きな祝福でした。
しかし、イスラエル人は守れなかった。 だから、イスラエル人は、神様から罰を受けられ、滅亡され、滅亡され、
旧約聖書の信仰生活は、散々悲惨な状況でした。
ですから、神様は、旧約時代のほぼ終わりの時に、 新しい約束を与えた。
これが、エレメア31章のところにあります。
しかし、来るべきの日に、私がイスラエルの家と結ぶべき契約は、 これである。と主は言われる。
すなわち、私の立法を彼らの胸の中に授け、 彼らの心にそれを記す。
私は彼らの神になり、彼らは私のためになる。
さあ、新しい時代をこれから与えられろ。 その時代には、私は新しい約束を与えろと言います。
この言葉を今の言葉で変えれば、 神様は私の心に、神の言葉を胸の中に置く。
これをどうするんですか? 真理の霊、聖霊を送ってくださって、
聖霊様は私の胸の中にいらっしゃるなら、 真理の霊、真理が私の心にあることです。
聖霊様がおられることを意味します。
だったら、私は真理の霊、聖霊様によって、 真理を分かって、
まだ聖霊様が助け主ですから、力を与えてくださって、 分かっている真理を守ることができるようにさせてくださって、
祝福を受けるようにしてくださるという、 新しい約束をくださったんです。
そのために、イエス・キリストが宗旨家で死んでくださって、 聖霊が来られるように、私たちの心を清めてくださる。
宗旨家によって。これはカラディア3章、 宗3節、宗4節のことです。
そして、旧約聖書、ヨエルの章には、 もう素晴らしいメッセージをくださいます。
旧約時代には、聖霊様が特別な時期、 特別な人に与えられた。
また、消えてしまった。
しかし、新約の時代は、 聖霊様がすべての人の上に注ぐ。
そして、その方が聖霊様とうまく交わりができれば、 いつまでも私の家で残られ、働かれ、助けてくださる。
これはすごいですよ。
まるで旧約聖書のダビデのように、 旧約聖書のサムソンのように、
新約の時代の人々は、サムソン、ダビデのような 信仰生活ができるようにしてくださったんです。
これは新しい約束なんです。
しかし、今の時代、ダビデのように、サムソンのように、 聖霊によって力をいただいて働く人は誰もいないんです。
なぜでしょう。
神様は約束約束約束、いろいろなことを教えてくださったのに、
それが新約時代に実現できていないんです。
何が問題でしょうか。
ここで、経時の三段階ということをぜひ知っていただきたい。
これを知らなければ、聖霊の働きをわからないことになります。
じゃあ、経時の三段階は、まず、ある歴史的な事件がありました。
一段階です。神様がある歴史的な事件を起こします。
この歴史的な事件がどんな意味なのか、その解説が、私たちに与えてくださった聖書の中に書かれてあります。
聖書の中に書かれてあることが、私と、この私とどんな関わりがあるんですかということを、聖霊様が教えてください。
じゃあ、事件がありました。それが聖書に書かれてあります。
それを、聖霊様が一人一人に適用させてください。
それが、三段階の経時です。ぜひ、これを知っていただきたい。
まず、イエス様が、イエス様の十字架のことを考えていきましょう。
2000年前、エルサレムで、ある人が、当時、十字架で書けられて死んだ人がたくさんいたんですけど、
ある人が、十字架で書かれて、亡くなりました。
これ、ある事件があったんです。
彼が、どなたでしょう。なぜ死んだでしょう。
その解説が、聖書にあります。
じゃあ、これはイエス・キリスト、神様が使わされた、イエス・キリスト、神の一人っ子だったんです。
なぜ死んだんでしょう。
神様と罪人を和解させてくださるため、罪人の罪をあがなうために、代わりに誰か血を流すために、
十字架にかけられ、苦しまれ、そして血を流して、死んでくださったんです。
そのイエス・キリストを信じることによって、信じる人は罪が許され、そして救われる。
ここまで、聖書が教えてくださる。
ああ、十字架で書かれた、血を流した。
この事実は、このような意味がありますよ、ということ。
それを信じる人は救われますよ、罪が許されますよ、神の子供になりますよ。
これ、ジェネレム・聖書に書かれているんです。
しかし、三段階、イエス様が誰の罪のために、十字架で死んでくださったのか。
これは、聖霊様があなたのため、この私のために死んでくださったということを、
聖霊様が私たちに教えてくださる。
血の流しがなければ、罪の許しがない。
あなた、あなたのためにイエス様が十字架で、2000年前、血を流してくださったんだよ、ということ。
聖霊様が強く悟らせてくださる。
聖霊の働きがなければ、2000年前、十字架の事件。
これが、イエス・キリストが私たちを救うために血を流された。
これと私がどんな関係があるのかが、見当たらない。
再三段階、聖霊様によって、それが分かって、それが私に救いとして与えられる。
それが私の癒しとして与えられる。
それによって、私が新しい力を得、主に申し上げるものになる。
すべてが、聖霊によって与えられるんです。
バリサイ人たちは、聖霊様が働きませんでした。
彼らは聖霊を受け入れませんでしたから。
だから、バリサイ人たちは、刑事の二段階まで、聖書まで知られる。
彼らは、イエス様を信じませんでしたけど、
もう、メシアがこのような働きをする。
それによって救われる。また、いいことを全部分かっています。
それが、自分のダメだということを、
彼らは聖霊様がおられなかったので、知らなかった。
だから、偉そうにメッセージを、自分が受け入れるべき聖書を、
自分が偉そうに教えながら、自分は滅亡されてしまいました。
このような愚かなことが、バリサイ人です。
刑事の三段階、歴史的な事実、それを聖書でよく解説されていって、
それが、今日はある人、今日はある人、今日はある人、
それを適用されるべきなんですけど、
それが、聖霊様が働き入って教えてくださるんですけど、
その聖霊の啓示を、よくよく見て、よくよく受け入れて、
よく用いられた方たちがいます。
私が大好きなイギリス先生。
イギリス先生は、本当に、私はもう少し交わりをしてみたから、
本当に純粋ですよ。本当に謙遜ですよ。
その方は、聖霊の働きをよく知っていました。
以前、教会でイギリス先生に来られた時に、
私も、先生もやりなさいと言って、私をやろうとしていたら、
何にも見えない、何にも考えられない、何にも。
しかし、先生はよくやっています。
私はよくわからなくて、よくできませんと言っている。
それで、手を置いているのは、このような泣き出しがある。
驚いたんですよ。
先生は、どうしてこれがわかるんでしょう。
今、聖霊様がその人を助けたかった。
しかし、私には何にも見えない。
なぜなら、聖霊の照らし、悟りが、私はあまり訓練されていないから。
だから、それで私を、手を置いたら、泣き出して、
うわあ、びっくりして、私がびっくりしちゃった。
それで、この人は、その日、何かすごい神様からの恵みをいただいたのではないかと思います。
ああ、素晴らしいな、どうしてこれがわかるんだろう。
また、皆さん、張詠琪先生。
張詠琪先生が、実は、私たちの教育、韓国で誰もやっていないときに、そのことをやった先生。
これは、すごい開拓された方。
また、ケネセイギン先生。
ベインヒンとか、ケスリン・クルマンとか、
その方たちは、この聖霊様に働きたいし、よく訓練を受けられて、それでよく用いられたことです。
皆さん、啓示の3段階の、第3段階のこと、考えてみてください。
これは、おかしいことですか。神秘主義的なことですか。
そうではありません。
事実は、私たちが自然にこれをわかるように、自然に身につくべきことだったんですけど、
私たちはそれを、なんとかおかしいことだと思い込んだら、
それが事実は、私たちにはおかしく、おとしいものになってしまったんです。
私たちは、これが自然にできるように、私たちが訓練していかなきゃいけないなと思います。
これができるとき、パリサイ人にならなくて、
イエス様と弟子たちのような、使徒たちのような働きになります。
事実は、新白時代の人々は、聖霊によって働くようになっているんです。
今、神様が既に約束をして、聖霊様を送ってくださるために、イエス様は十字架にかかり、
もう信じる人は、全ての人に聖霊が来られていらっしゃるんです。
しかし、聖霊のそのような働きは、私たちは今、あまりやっていません。
だから、命が満ちあわれる信仰生活ができていないんです。
隣で、今、病んでいらっしゃる人がいても、病院に行ってくださいと言って、
自分は手を置いて、祈ろうとしないんです。
また、救われるべき人がいたとしても、
私じゃなくて、他の人がやればいいでしょうと思いながら、
救われるべき人を救っていない状態にあります。
皆さん、私たちの教会、なぜ名前がブドウの木教会か知っていますか。
いろいろな意味がありますけど、イエス様を十字架を背負う前に、
語られたメッセージとお祈りが、
要は、十四章、十五章、十六章、十七章とあります。
その中で、十四章、十五章、十六章、
それは何のためのメッセージなのか、
精霊を送ってあげるというメッセージ。
十四章と十六章は、精霊様に対してどこに書かれてありますか。
その真ん中で、十五章、何ですか。
これはブドウの木のことが書いてあります。
事実、ブドウの木の生活が、精霊が働く生活なんです。
私たち教会は、精霊の働きの教会にならなきゃいけない理由がここにあります。
ブドウの枝は、自ら実を結ぶことができる。
枝が実を結ぶ。実はそこで結ぶんですけど、
枝が力があって実を結ぶんじゃなくて、
木が枝に実を与えてくださる。
だから、枝に実が与えるように、
イエス様が私たちの家におられるなら、
私が実を結ぶんじゃなくて、
私の家におられるイエスの霊、精霊様が、
私に実を結ぶように、助けてくださる。
イエス様は、三蔵のスイクオンのメッセージをしました。
心貧しい人は幸いです。悲しむ人は、天国は自分のものだと。
心貧しい、悲しむ、
まあ、無理やり悲しもうとすればできると思いますけど、
なんとか感動によって、神様の導きによって、
これ、泣きながら、そして心貧しい人になることは自分はできません。
聖書で、あなたは世の光、世の潮だと、これもできないし、
あなたたちの木が、立法学者バリザイ人たちより勝るものじゃなければ、
天国に入ることができない。
立法学者バリザイ人よりもっと立派な木を持って、
陽気を行いを持っている、難しいでしょう。
女を見て、よく思っていたら、これはもうすでに完死したものだった。
これは私たちが守るのに非常に難しいことです。
敵のために祈りなさい。敵を愛しなさい。
これも難しいことではありませんか。
三条の成功の内容は、私たちが守るものではありません。
守れないものをなぜ下さったんですか。
あなたたちが、聖霊様が受け入れられるなら、
心におられる聖霊様が、
あなたたちに、このような天国の民としての生活ができるようにしてくださるということです。
聖霊様がおられたら、それができます。
皆さん、昔、私はタバコをよく吸いました。
皆さん、私は昔、どれほどタバコを吸ったのか。
1974年度、大学に入学しました。
大学に入学したら、なんとか自由になったような、
友達ももうタバコを吸い始めました。
私も吸ってみようかと思いました。
カーッとやりながら、タバコを吸い始めました。
もうタバコが好きで好きで、
ご飯をなぜ食べますかと言ったら、
タバコを吸うためにご飯を食べるんだと言われるほど、私はタバコが好きだった。
教会に執事になりました。1988年。
教会の執事だったら、タバコをやめるべきではありませんか。
タバコを3度もやめるために頑張りました。
結局、まだタバコを吸って、吸って、吸って、3度も失敗しました。
しかし、1988年の執事になって、
いや、執事がタバコを吸ってはいけないと思いながら、
その時、なんとか、もう、とにかくその時、カーッと切れました。
タバコの匂いが嫌になってしまいました。
そして、タバコを見たこともありませんでした。
どうしてですか。
精霊様がやめさせてくださった。
私の努力しては絶対できない。
精霊が働いたら、タバコもやめられ、
もう私たちができないと思っていることは、自分でもできるようになります。
不思議な働きは、精霊様がやってくださいます。
これが刑事の第3段階の生活です。
私たちが後悔しないように、刑事の第3段階の進行が私たちにできるように、
これから心を開いて、精霊様がよくよく受け入れて従って生きるなら、
精霊様が私たちができない様々な働きを、
私たちを通して行ってくださると信じます。