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2026-01-25 34:47

「奇跡を起こす信仰の祈りの為に」2026年1月25日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年1月25日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com 
▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)Ⅰヨハネ-15何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。
マルコ-17翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。 そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。 イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」
 

メッセージ題 : 奇跡を起こす信仰の祈りの為に(Iヨハネ-15, マルコ-17)

*新年、第4週目のメッセージとして、教会の一番の力であるお祈りについて。ある牧師の本で「私たちの祈りは天国でゴミ扱いをされている」と。なぜでしょう?力が伴うお祈りの為に…マルコ11章を通して

-14イエス様と弟子たちが最後のエルサレムの訪問を。近くのべタニア町に出られたとき空腹を覚え、無花果の木、葉の茂っているが実りはない?それを見て怒られ呪われた。驚いた弟子たち-17エルサレム神殿に入られると?まるで市場のように。生贄で使う動物を買う人、両替所で神殿に使うお金に替える人…多分その収益は祭司長のもの?その時期が過ぎ越し祭りだったので大変<-その場面を見られ、イエス様が怒られた。15-17節、私の家はすべての国民の祈りの家なのに!

*そのときは知らなかった。次の日、無花果の木は根端まで枯れて死んでいた。=将来の神殿の状況

#どうして、イエス様が祈られた通り、悲惨な状況になったのでしょう?(私たちはどうすれば、力ある祈りができるのか)

←イエス様に聞いてみますと…節、神様を信じなさいと!=そのような奇跡を起こす為には?

1)神様の御心の通り祈るなら! Iヨハネ イエス様は父なる神様の御心で、父の鬱憤をもって?

←無花果の木に言われたことは、当時の信仰生活に対する警告の御話だった。神殿は祈りの家なのに、商売の家として転落?神様は赦さない! イザヤ, 12旧約時代のイスラエル民の信仰生活も

2)祈りながら、疑ってはいけない! マルコ 目の前の高い山に向かって、立ち上がって海に飛び込め?と言い、少しも疑わず、その通りなると信じるなら!?理性知性的に考えてみると不可能!疑う

だからできなかった。どうすればできる?神様の創造の働きを信じる信仰を持つなら!vs理性知性の人は絶対できない。*キリスト者になる為に、必ず信じなければならないこと?処女誕生、死者の復活

→自由主義神学者たちの仕業?聖書で理解できないことを消す、科学的に理解できないことを消す

そしてみれば聖書で残されたのは?倫理道徳。他の宗教と違いがない?=だから宗教多元論。どんな宗教でも同じ?その神学者たちの人間性は?しかし、聖書を信じないので。vs22節、神を信じなさい

3)共同体の祈りは大事ですが、一つの心で祈るとき力がある! マタイ-20どんな願いことであれ?個人の祈りより共同体の祈りが力ある。ですから悪魔は一つにならないように妨げをする。→どうすれば共同体が一つになって祈ることができるのか?問題が生じるたびに、ゆるしてあげ理解してあげ愛し合うなら…秘訣は?25節、赦してあげること。どのくらいまで赦すべきですか?マタイ, 22

*人間は皆、自己中心的、心が一つにならない。それは創世記3章、罪を犯してから。悪魔は罪を犯した人の心に一つを入れたのですが、それによって全世界が地獄に。それが自己中心性!戦います。避ける為には自分の考えを下ろし、相手の立場になり相手を理解する心を持つなら、一つになれます

このように一つの心になって祈るなら?神様は何でもかなえてくださると!←これが共同体の力です

#代表的な事例?イエス様!イエス様の人生は悔しさしかない! 人類の罪を贖う為に、赤ちゃんの姿で、罪がないお方が鞭を打たれ、唾をかけられ、十字架で血を流しながら死を?→悔しさの限りを!

*しかし我慢された理由?神様の御旨をかなえる為に! また、迫害するすべての人を赦すお祈りを

#イエス様の赦しの力で、すべての人の心の恨み、嘆き、怒りが溶かされ…一つに!そして祈ると?

@新年、奇跡を起こす祈りの秘訣!1)、2)、3)…覚えて実践しましょう。今できなければ?大きくなれ

サマリー

2026年の新年に向けて、教会は奇跡を起こす信仰の祈りを捧げることを目指しています。マルコ11章を通して、イエス様が示した教えを振り返り、神を信じることの重要性を考察しています。このエピソードでは、信仰の祈りの力とその疑いについて探求し、イエスの教えを通じて信じることの重要性を強調しています。また、共同体の祈りの重要性や、人々が互いに許し合い、愛し合うことで心を一つにする方法についても語られています。共同体が一つになって祈る重要性や、奇跡を起こす信仰の祈りについても述べられています。イエス様の教えを通じて、許しや理解、愛し合うことが強調され、教会の力が高まることが期待されています。

奇跡を起こす信仰の祈り
今日は、「奇跡を起こす信仰の祈りの為に」という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
今日のテーマ通り、2026年度新年の私たちの教博、教会は、奇跡を起こす信仰の祈りを捧げる教会になりたいと思っています。
それを、今日、マルコ11章を通して、イエス様はどのようにそれを教えてくださったのか、それを一緒に考えてみたいと思います。
マルコ11章の聖書は、イエス様の後生涯の最後に、イエス様と弟子たちが、イエルサレムに登られた時のことです。
マルコ11章の12節から14節まで、イエルサレムの近くのペタニアという村がありました。
そこでイチジクの木を見て行った事件です。
実を結ぶ季節ではなかったのですが、イチジクの木の葉っぱが茂っていました。
葉っぱが茂っているなら、実があるのは当たり前だと言っているのですが、そこに葉っぱは茂っているのだけど、実はなかった。
その葉っぱが、実がなかった、このイチジクの木を見て、イエス様が怒りの祈りをされるのです。
今からのち、いつまでも、お前から実を食べる者がいなくなるようにと言われた。
イエス様は普通はこんなような話をされる方ではありません。
そのイエス様の怒られたことに対して弟子たちは聞いてびっくりしたでしょう。
そして11章、15節から17節、イエス様がイエルサレム神殿に入られます。
神殿には、その当時が杉越市の祭りの時期だったから、その中でいろいろな人たちがたくさんいて、そこで行われたことを見て、イエス様がまた怒られる場面です。
皆さん、神殿に行ったら、自分の罪を、食材のために生贄を持って神殿に入らなきゃいけません。
しかし、この生贄をずっとナザレから、ベツレムから、それを連れて行くには難しいのではありませんか。
だったら傷が多い動物になってしまうので、神殿に来てから、
神殿が備えておいた動物をお金を出して、買って、それで生贄を捧げて礼拝すること。
それが当時のみんながそのようにやっているところでした。
だから、神殿はそれを儲けるんですね。動物を売って。
また、今私たちが持っているお金では、今、日本人の顔が書いてありますが、
当時はみんな、ローマの皇帝の顔が描いているんです。
皇帝の描いているこのお金を神殿に献金してはいけないといって、神殿に献金用のせげるというお金がありました。
それを了解して、そのお金で献金しなければいけなかった。
だから、それを了解しなければいけないのに、了解するのにお金が必要です。
だから、神殿は動物を売って儲け、了解しながら儲け、それをどうするのか、
それを最初たちのインマイポケットになってしまった。
だから、それを神殿で行うので、杉越の街で全国から人が全部来るので、
その人たちのお金を集めたら、みなさん、どれほど儲けるでしょう。
だから、神殿はいつも賑やかだったということです。
それから見てみますと、神殿はどんなところなのか、商売の家のように見えたということです。
これを見て、イエス様が怒られるんです。
イエス様は神殿の刑代に入り、それを売り返している人たちを全部追い出しをし、
両替人の鯛や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返しながら、
私の家を商売の家をしてはいけない。
神の家、私の家は全ての人の祈りの家ではないかと言われたということです。
イエス様は、イエルサレム神殿がもともと神様が作られた目的通りじゃなくて、
それが間違えて悪用されることを本当に気の毒だと思われたんです。
そしてイエス様が一軸の木を呪うように神殿に帰ったこのところでイエス様は怒られたんです。
神を信じることの意義
その時まで弟子たちはイエス様が今日は怒られたなと思ったんですけど、
それが何を意味するのかは分からなかった。
次の日弟子たちとイエス様がまた神殿に行くために
一軸の木の前、イエス様が言われたこの一軸の木のところを通る係に
一軸の木が枯れてしまった。
根元まで枯れてしまったということが見て分かりました。
弟子たちは徒弟は驚いたんでしょう。
またイエス様が神殿のために祈ったこと、これも同じです。
これを一軸の木が実がないように、今の神殿が神様の御胸通りにいっていない
一軸の木の姿とイエス様の神殿の姿がほぼ同じだということを考えながら
イエス様は一軸の木を呪われた。
また神殿はどうなったのか。
これからAD70年でイエス様が言われた通り
ローマ軍によってイエス様の神殿が破壊されます。
石の上に石が残らないように、全部粉々にして破壊されてしまった。
イエス様のお祈り通りになってしまったということです。
じゃあ、イエス様はこの世で言われた通り
一軸の木がもう枯れてしまったので
弟子たちがそれを見て驚きました。
その深い意味までは弟子たちは知らなかったんですけど
とにかくイエス様が言われた通り
一軸の木が一日で全部枯れてしまったことを見て
イエス様はすごいと思ったんです。
そうしながら自分たちも考えたでしょう。
私たちも主の祈りをいつもやっているんだけど
私たちは何にも起こらないんだけど
イエス様の祈りはこんな素晴らしいことが起こるのか
そうしながらイエス様
私たちはこんなことがなぜできないんですか
と多分言ったと思います。
そしたらイエス様は何と言われたのか
これが中一章二十二節です。
イエスは言われた
神を信じなさいと言われた。
結局イエス様の働きと
全ての人の祈りの中で含まれているこの内容は
神を信じることに対して
いろいろ問題があるということを教えてくださる。
じゃあ今年私たちが
本当に神様が願われる働きに用いられるためには
祈りの力が必要です。
そうでしょう。
これ祈りの力によって
これから人を救い、癒し
これからもう全てを主が望まれる通り
私たちがやっていきたいと気持ちはあるんじゃありませんか。
私たちの働きは祈りでやります。
しかし祈りのパワーがない。
どうすれば祈りの力があるでしょう。
と言ったらイエス様が
神を信じなさいと言われた。
じゃあ神を信じなさいという意味は何なのか
これを今日三つで皆さんと一緒に考えながら
2026年度は
本当に神様の身むね通り働く教会になりたいと
思っている心でいっぱいです。
じゃあ神を信じなさいという意味は何でしょう。
今日読んではないんですけど
第一要年古書14節でこう言っています。
何事でも神の御心にかなうことを
私たちが願うなら
神は聞き入れてくださる。
神の身むね通り祈りなさい。
また
イエルザレム神殿を見て
神様の心の中の
なんて言いますか表現
鬱憤ということですかね。
もうククク
なぜこんななったのか
神様のこの御心を理解して
神様と同じ心を持って祈るなら
私たちの祈りは
神様は必ず成し遂げてくださるということです。
当時一律旧約聖書では
宗教主導者たちが神様を拝むんですけど
祈りはするんですけど
なぜするのか
今日見てましたけど
立法学者たちは立法を通して
また最初たちは神殿を通して
宗教を通して何か儲けることを考えながら
信仰生活してたんです。
宗教主導者たちの目では
神殿に来る全ての人が
多分お金のように見えたんじゃないかと
皆さん教会が神徒たちが集まることを見て
いや今日献金どのぐらい集まるかなと
いつもそればっかり考えたら
皆さんこの教会が主が喜ぶ教会になりますか?
多分当時そのような考えを持ってたんじゃないかと思います。
それを神様が許されなかった。
だからイエス様が神殿に行かれた
そして話されたことすべては
当時の宗教主導者たちに対する原告のメッセージ
これような働きをしたらお前たちは裁かれるじゃんと
絶対にそんなことをやってはいけないということを
イエス様は叱られたと思いますけど
彼らは彼を理解してなかったということです。
皆さん旧約聖書で
イスラエル人たちは熱心に礼拝しました。
もうイザヤ1章の11節
あなたたちが捧げるすべての生贄は
一体何の用があるのか
あなたたちは毎月の初めに礼拝し
毎週安息日の礼拝し
また断食の祈りも礼拝し
もうあなたたちは数多く礼拝する
献金したり生贄を捧げたりするんだけど
私はあなたたちの献金、生贄に飽きてしまった
飽き飽きしているんだと
神様私はこんなこと願ってないということ
神様が願うのは
先週学びました
おそれを敬う心で神を拝むこと
また神を愛して
神様の愛して神の身分を知りたい
そして神様が何を願っておられるか
それを成し遂げていきたい
私はそのために生きていきたいと
その願いを持って神様に礼拝するなら
神様喜ばれるでしょう
そうじゃなかったんです
彼らは礼拝するなら祝福されるんじゃないかと思って
祝福を目指して
習慣的に、儀式的に
神様に対して何の心もないで
礼拝ばっかりしちゃった
礼拝を守ったから神様に対して
私は全部やった
祝福をくださいという気持ちで礼拝した
だから神様が当時の教会
また旧約聖書のイスラル人たちの
数多くの礼拝の儀式を
望まなかった
嫌だった
それがイエス様が言われた
イチヒクルキノ
葉っぱは茂ってるんだけど
祈りがないんじゃないか
イエス様の教会は
人がたくさん来て
礼拝は立派に儀式的に
儀式的に捧げてるんだけど
その中で
神様に対しての恐れを敬う心
神を愛する心がないんじゃないか
当時のことを見て
イエス様はそれを嘆いておられた
そのイエス様の嘆きを
皆さん神様
このような教会を
これから変えてください
という祈りをするなら
そうだ私もそう思った
あなたの祈りは素晴らしい
私の祈りを叶えてあげる
と言われるんじゃありませんか
神の御心に叶う祈りをするなら
神様は必ず成し遂げてくださる
ですからこれから私たちの祈りを
神様の御心をして
それを成し遂げていくように
祈っていきましょう
まずそれが奇跡を起こす
素晴らしい神の信仰の祈りのために
初めの証言です
理解できますね
じゃあ2番目
イエス様を続けて
奇跡を起こす信仰の祈りのために
疑ってはいけない
信仰の祈りの力
祈りながら疑わないようにと言います
信仰の祈りは叶えられます
疑いの祈りは何にもできません
じゃあ私たちの疑いの祈り
何があるんですか
じゃあイエス様教えてください
マルコ11章23節
はっきり言っておく
誰でもこの山に向かい
立ち上がって海に飛び込めと言い
少しも疑わず
自分の言う通りになると信じるならば
そのようになる
しかし皆さんこれを考えてみてください
目の前に大きな山があります
この山に向かって
この山を立ち上がって
そして海に飛び込め
と自分が言いながら自分が理解し
疑わず
これを通りできると信じますか
これはこれは難しいですね
まず神様はこれをやりなさいと言ったのか
これがまず大事な条件になりますけど
でもイエス様はこう言ったんじゃありませんか
あなたの目の前の大きな山
事実これは言葉を変えれば
皆さんの目の前に大きな問題なんです
家庭の問題 子供の問題 経済の問題
今あゆみちゃんの受験の問題
ゆなちゃんの受験の問題とか
私たちの目の前にある山積した
皆さんの問題 私の問題 教会の問題を意味するんです
しかしこのことが
海に飛び込めと言って
少しも疑わなければその通りになると言っています
しかし皆さんこのような祈りをしながら
疑わず信じる人がいるでしょうか
この目の前の大きな山
これを見てください この大きな山
これを立ち上がって海に投げ込め 飛び込め
できると信じる人は誰もいないでしょう
理性 知性を持っている人は誰もできないと思います
しかしどうすればできるのか
神を信じればできます
神は天地創生の初めに何もなかった
何もなかったのに全世界と宇宙を作りました
星を作りました
また海とまた陸地を作りました
全世界のすべてを作りました
天地創生を作られた神様を考えるなら
今目の前の山も神様を作ったからここにあるものですから
これを作られた方がそれを海に投げ込め
共同体としての祈り
これできないかできないはずがない
思われるのではありませんか
想像進行を持っていったらこれは簡単です
しかし理性 知性的に考えたらこれは絶対無理です
イエスサムオロマニアの前 天使がマリアに来ました
あなたを通して神様があなたはこれから男の子を産む
マリアは私は男を知らないのにどうして子供を産むことができますか
と言ったら天使が何と言うと
神にできないことがあるのか
神はできないことは一つもない
神様にできないことは一つもない
マリアはそれを信じた
見言葉通り初めにこれが成し遂げられますようにと言って
それで子供を産むようになりました
とにかく私たちは自分が理解できない
それは信じない傾向があります
自分の理性 知性でこれは可能ではないか
風邪は神様に祈ったら治してくださるのではないか
ところが癌というものは神様は無理だろう
また今横になっている私の何か
これは無理だろう
みんなそう思うんです
これは反省するべきではないかと思います
以前の私の母は
私が家に行ったらいつも私に
泣けや泣けやここに来て
お前はお父さんに
イエス様を信じてください
イエス様の話は絶対やめるべきではない
絶対やってはいけないよ
あなたが書いた後に私が苦しいから
絶対言ってはいけない
あなたの父は絶対信じない方だから
信じない方だから言ってはいけないよ
しかし父は私に宣伝を受けました
これはどのように説明するでしょう
皆さん私は私たちができないと思ったら
神様さえも難しいだろうと思います
だから祈りで力がないし自信がなくなります
以前私が西南に勉強するときに
授業の時間で大学教授
皆さん私は大学 新学校の教授は
進行が私よりはるかにいいから
新学校で大学教授をやっているんじゃないかと思いました
はるかにいいから
しかし教授はそうではありませんでした
ある日 授業の中で
パン5つ 魚2匹で5000人が食べされたというところを
この教授は何と言っているのか
お弁当持ってきたでしょう
そんなことがあり得るでしょうかと言っちゃったんです
私はその教授に対して失望してしまって
素晴らしい信仰を持っているから
新学校の行事になったんじゃないかと思ったんですけど
そうじゃなかったということです
その信学者たちが自分の頭で理解できないから
聖書の草上の物語は
これは神話だという作り話だと
これを言っている人は全部信学者です
なぜ 理解できないから
皆さん 理解できるためには何が必要なのか
聖霊様が必要なんです
聖霊様が教えてくださらなければ
理解できないんです
キリスト教は
皆さん キリスト教は2つをぜひ信じなければいけません
1つ 何でしょう
少女が子供を産んだ
男を知らない少女が子供を産んだ
これを信じなければ
キリスト教はもともとできません
また 死んだ人が蘇られた
復活
復活を信じなければ
これも信仰できません
少女誕生
復活
これは
理性小さい人は信じることはできません
これは聖霊の助け
聖霊様が教えてくださらなければできません
だから 信学者たちは
聖書の記事の中で
奇跡 これは今もできるのか
できない
だったらこれを除いて
聖書の中で奇跡は全部除きます
それで聖書を見てみたら
聖書に残されているのは
倫理道徳的な記事だけです
倫理道徳的な記事だけだから
仏教の記事も
他の宗教の経緯を見てみても
全部同じじゃないですか
だからその人たちは
どんな宗教でも全部同じだ
だからどんな宗教でも熱心にすれば
みんな天国に行くんだ
だから始めは違うけど
あとは全部同じところに行くから
私たちはみんな兄弟姉妹だ
これは宗教多言論の人たちです
皆さん なぜそれが出てきたのか
神を信じないから
聖書を信じないから
聖書で私たちに教えてくださること
全部信じないから
だからイエス様は一言
神を信じなさいと言われたんです
皆さん ぜひとも私たちは
相乗信仰を持って
神を信じる私たちになりましょう
そうするとき 奇跡が起こるんです
そこには聖霊様が助けてくださる
皆さん 祈りながら
心の底から疑いが生じたら
これは祈りを少しやめて
悔い改めてから始まらなきゃいけない
ぜひとも 皆さん 2番目
相乗信仰を持って 信じて祈りましょう
3番目
イエス様は 3番目
祈りは大事だけど
共同体の祈りはもっと力がある
一人祈りはパワーがあります
祈りのパワーがあります
しかし みんなが集まって祈るなら
ものすごいパワーがあります
しかし みんなが集まって祈ったとしても
心に一つにして祈らなければならない
マタイ18章19節
また はっきり言っておくが
どんな願い事であれ
あなた方のうち2人が
心を一つにして求めるなら
私の天の父もそれを叶えてくださる
2人または3人が私の名によって集まるところには
私もその中にいるのである
大事なのは共同体です
共同体の祈りはすごいパワーがある
一人の祈りもパワーがあるので
共同体の祈りはどれほどパワーがあるでしょうか
ところが 心が一つになることが大事です
どうすれば共同体が心が一つになれるでしょう
話は簡単ですけど
何かトラブルがあったら
みんながお互いに許し合って
理解し合って
みんなが愛し合おうなら
心が一つになるでしょう
ですから まず大事なのは
許してあげるということです
何か間違えた 何かいろいろな問題があったら
許してあげる
ですから 〇子注意書25
また 立って祈るとき
誰かに対して何か恨みを持っているなら
許してあげなさい
そうすれば あなた方の父も
あなたの過ちを許してあげる
だから 私も準備が清くなったから
私の祈りがパワーがあるということです
私たちは他の人をどのくらい愛しなきゃ
許さなきゃいけないのか
聖書は7回ところか
7の70回でも祈ってあげなさい
許してあげなさい
その意味は
それを通してみんなが一つにならなきゃいけないよ
人間はみんな自己中心的ですから
みんなは自己中心的な
自分の観点から見たら
トラブルもあるし 葛藤もあるし
だから心が一つにならない
みなさん 自己中心ということは
いつから始まったのか
自己中心性の克服
5世紀3章 千薬の知識の木の実を食べたところから
人々がみんな自己中心になりました
その前は夫婦を愛して
神様を愛する
みんな愛し合った
罪を犯してから
悪魔が心に自己中心性を入れて
人々の心に
自己中心の心でみんな生きる
自己中心の人は自分の考え
自分の観点からみます
自分の観点からすべてを判断します
みんな自分の判断があるでしょう
判断が違うんじゃありませんか
だから葛藤がありトラブルがあり
いろいろな問題が生じるんです
自己中心の人は
みんなが自分のために何かしてくれることを願います
自己中心の人は嫌なんですね
自分の観点で見て
自由すべて判断してしまって
批判してしまったら
これも問題ですね
世の中の中心が自分になりたいと思っている人ばかりだったら
トラブルしかないんじゃありませんか
この戦い 葛藤 争いを避けるためにはどうすればいいのか
まず自分の考えや自分の判断が
間違える可能性があるということを
思って下さなきゃいけない
また相手の立場になって
相手の観点から
相手の心からもう一度考えてみる
ああ こんなトラブルがあって
共同体の重要性
こんな問題があったんだけど
その人の立場になってみれば
ああ その人もそうするようになるかな
ああ そうでしょう
たぶん私がその人の立場だったら
そうしたかもしれない
そうするなら何とかお互いに理解し合う
お互いに何とか許してあう
このような何かができるんじゃないかと思います
とにかく私たちは許しから
理解し合う 愛し合う
これによって
共同体がだんだん一つになることが非常に大事です
共同体が一つになって祈るなら
神様は全てを叶えてくださると言いました
共同体が一つになるために
イエス様が十字架を背負ってくださった
イエス様が十字架を背負っている理由は
罪人と罪人の間に和解のため
神様と罪人は私たちの間に和解のためにしてくださった
それを妨げている罪
またいろいろな誤解 葛藤を
イエス様は十字架の地によって
記憶をしてくださいました
贖いの地を知ってくださった
それを通して私たちは和解の道が開かれた
その模範としてイエス様は祈られるんです
ルカの23章34節
父よ彼らをお許しください
自分たちが何をしているか知らないからです
イエス様は唾をかき
鞭を打たれ
もう槍で刺す
この人たちをどのように許すことができるんですか
彼らが今何かよく分からないからこんなことをするんだ
イエス様は彼らをお許しくださいと言いました
皆さん 許してあげること
それを通して
人々の心の中にある恨み 嘆き 怒りを
全部溶かしてしまって
お互いに一つにならせてくださるために
イエス様が十字架で死んでくださったということです
私たちはイエス様のように
全ての人のために
私が犠牲してあげる
血を流してあげるという覚悟で
お互いの人々を許し
理解し 愛し合うことをさえできれば
私たちみんなが一つになるでしょう
奇跡の信仰の秘訣
この一つになった共同体の祈り
その祈りがこれから奇跡的な働きを起こすようになろうと言います
信念
イエス様は私たちに
奇跡を起こす信仰の祈りのために
三つのことを教えてくれました
まとめてみましょう
まずはじめに
神様の御心をもって祈りなさい
神様の嘆き
神様の気の毒さをもって
私たちは神様の代わりに祈ること
二番目
信仰の祈りをすること
疑い 疑わなく信仰の祈りをすること
三番目
許し合って 理解し合って 愛し合って
共同体が心を一つにして祈ること
信念
私たちはこのような祈りができるなら
神様が力強く働かれて
人々を救い
癒し
生かす
教会になるでしょう
だったら私たちを通してこれから
今まで何もなかったとするなら
これからは主の御業があちこち行われて
そしてもう人々が教会に行きたく
精霊様が働いて教会に行きたくなる
愛し合いたくなる
これで教会がますます良くなっていくことではないかと思います
イエス様はそのために神を信じなさいと言われたと思います
今私たちの教会の人数は
皆さんのご存知通り少人数の集まりです
少人数の信徒たちがいるとき
みんなが一つになる
許し合う
愛し合う
この働きが一番やりやすいでしょう
今私たちが一つになることがうまくできなければ
これからだんだん人数が多くなれば
一つになることはできますか
難しくなるでしょう
だったら教会だけ大きくなっちゃって
心はみんなバラバラだとするなら
この教会はどうなるでしょう
神の奇跡を行わないで
トラブルばかりある教会になるではありませんか
教会は大きいけどトラブルばかりの教会
神様は使いますか
ちっちゃくても心が一つになっている教会
その教会を神様は使ってくださるのではありませんか
今年私たちはもう人数 数
関係なく
愛し合う
また理解してあげる
もうこれで許してあげる
このような素晴らしい雰囲気を
私たちがぜひ作っていきたい
そしてみんなが心一つにして祈って
支えていく 助けていく
教会になっていきたいと思います
ぜひ今年私たちがこのような教会になりますように
そして神様の働きが
もう立派に行われる教会になりますように
ぜひともみなさん一緒に作っていきましょう
お祈りいたします
主よ 今日は神を信じなさいと言われながら
共同体が一つになる秘訣を教えてくださいました
信仰の秘訣を
奇跡の信仰の秘訣を教えてくださいました
何より大事なのは愛し合うこと 許し合うこと
本当に理解し合うことです
私たち教会はこうなりたいと思います
今まで私たちは牧師の足りなさによって
いろいろトラブルがありました
しかし悔いを改めて
これからは何とかお互いのために
配慮して理解し合って許し合って
教会を運営していきたいと思います
特に新年
私たちは本当に一つになることを願います
聖霊様 働いてください
私たちを主のために
一つになる教会にならせてください
そして大勢の人々を
助けることができる教会にならせてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン ありがとうございます
34:47

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