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2026-02-08 38:34

「『主の祈り』が形式にならないように」2026年2月8日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2026年2月8日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

▼ポッドキャストへのご感想はこちらへ!: https://forms.gle/fHcRBqaFSat8EQfE9 

▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com 

▼メッセージの自動文字起こしはこちら: https://listen.style/p/tokyovinechurch
 

(聖書)マタイ6:7-13 また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。8彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。9だから、こう祈りなさい。『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。10御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。12 わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。13 わたしたちを誘惑に遭わせず、/悪い者から救ってください。』 

ローマ、27 同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。27人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。 

Ⅰコリント わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。 

イザヤ59:1、2  Ⅰヨハネ1:9 自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
 

メッセージ題 : 『主の祈り』が形式にならないように(マタイ6:7-13)

*今日は、キリスト者たちが一日も何度も祈りますが、一番無意味に唱える主の祈りについて…皆さんは、主の祈りを祈るなら本当に成し遂げられることが信じられ、力を受けたりしますか?マタイ6章の山上の垂訓の中でイエス様が「あなたたちはこのように祈りなさい」と命じられた祈りです。この祈りは一番正しい祈りであり、イエス様が教えて下さった祈りなので心を込めて祈るなら神様が成就されるでしょう
*使徒信条は使徒たちによるのではなく、8世紀の教会のリーダーたちが異端から守り、信徒教育の為
*お祈りより大事な信仰行為はない。私の家は万民の祈りの家だ?また地上の祈りを聞かれ天で働く

1.先ず、祈るとき、マタイ6:7 異邦人のように、くどくどと述べてはいけないと!

*異邦人たちがくどくどと述べる祈りと、キリスト者たちの異言の祈りの違いは?「意味がない話を繰り返されること」と「聖霊様の助けによって私たちの霊が祈ること」の差があります。異言の祈りに対してローマ、27“霊”は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださること。Ⅰコリントパウロ

*異言の祈りは御心を知っておられる聖霊の助けによって祈ることなので力があります。使いましょう。
 

2.そして、イエス様は「あなたたちはこう祈りなさい」と! 神様であるイエス様が教え命令された祈りなので…

1)まず、天にいます我らの父よ!

祈りは天にいます父なる神様に!ここで父なる=親しみの言葉、パパ!お父ちゃん!ここで、地上の父親も良いお方ですが限界があります。しかし天の父親は、全知全能、私たちを一番愛され、必要を全部知って、すべてを成し遂げる力のお方です。これを信じること
もしパパと呼ぶのに、何が問題がありますか?イザヤ59:1、2→Ⅰヨハネ1:9悔い改めるなら解決
#これから、祈りますが…祈るとき、優先順位が!マタイ神様が願われること?私たちが願うこと

2)神様が願われる祈りは?

*御名が崇められますように!=主の栄光の為に!どうすれば主の御名が崇められますか?神の子供らしい善き行いによって!祈りと生活の一致!そのとき祈りに力が!
*御国が来ますように!創世記3章以来、この世の神はサタン。義人は苦労し、悪魔の計略が盛んで?
神様はこの世が神の国になることを。その為にイエス・キリストが!ここで悪魔に従うなら悪魔の国、イエス様に従うなら神の国に。イエス様は十字架により聖霊様を送って下さった。従順しながら祈るなら力が
*御心が行われますように!神の御心は義と平和と喜びの御国を私たちに与えることです。その為に福音を伝えなければ、皆が御心を受け入れ従うように!御名、御国、御心の為に祈ることは何より先に

3)私たちの為の祈りは?

*日用に糧の為に!日用の糧とはただ食べることだけでなく生活に必要なすべてのもの。衣、食、住の為に!学生たちの為には、知恵と健康を!職場の人には、健康と実力を
癒しが必要な方々の為に癒しも日用な糧!→求めるならイスラエル民の荒野40年のように満たされる
大事なのは日用の糧!月用?年用?一遍に全てではなく、毎日必要なものを毎日に…そうされる理由
*霊魂の為の日用の糧!罪の怖さ!祝福のエデン罪によって!いくら恵みで?罪が入ってくると?
罪の問題解決、イエス様の十字架に委ねて、また赦すことで!また悪魔の誘惑から守られるように!

3。主の祈りによって、神様に栄光を、私たちのすべてが満たされる体験を…毎日味わい。主に栄光を!

*お祈りは主からの恵みを頂く手段だけでなく、無限な神様に出会い、深い交わりの中に入る扉です
先ず、イエス様が教えて下さった主の祈りから始め…神様と深い霊的な交わりを味わう私たちになりましょう

サマリー

『主の祈り』が形式的にならないように、祈りについて再考し、信仰生活における意義や神との関係を深める重要性が訴えられています。また、祈りは神との繋がりを生むものであり、罪の悔い改めを通じた真摯な祈りが求められることが強調されています。このエピソードでは、『主の祈り』の重要性や、祈りが形式的にならないための考え方が語られています。また、神の国を実現し、神の御心を果たすための祈りの実践が強調されています。2026年2月8日のメッセージでは、主の祈りが形式化することへの警鐘が鳴らされ、祈りの重要性が強調されています。特に、親が子供を守るために祈りの壁を築く必要性について語られています。

主の祈りの意義
今日は、主の祈りが形式にならないようにという対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
今日は、私たちのキリスト者が一日も何回も祈るんですけど、一番無意味に唱えているのではないかと思われる、この主の祈りについて分かち合いたいと思います。
皆さんはどうですか。主の祈りを唱えながら、私が神様に今切実に祈っているんだと思われますか。
また、今祈ったことが本当に成し遂げられると信じて祈っていますか。
以前の教会で、午後の礼拝で、何かその時忘れたんですけど、何か行事がありました。
その最後に私が高壇に上って、それで、主の祈りをもって礼拝を終わりたいと思いますと言いながら、マイクをもって日本語で主の祈りと言って天に参りますと言いながら、
頭が真っ白になって、この後の言葉が分からなくなりました。
主の祈りと言って初めは良かったんですけど、それから忘れてしまって、韓国語だったとしたらすぐ出てきたんじゃないかと思い、日本語だからなかなかそれがうまく出てこなくて、
マイクを持って行って困ったなと思った時に、教会学校の子どもたちが声を張り上げて天に参ります、最後まで私を導いてくれました。
その時私は危機を乗り越えた、子どもたちのおかげで乗り越えたと思いながら、その時を思い出したら今も主の祈りをしっかり覚えなきゃと思っているところです。
私たちは主の祈りを何かの始まりと何か終わりの時に使う何か形式的なものとして考えているのではないでしょうか。
しかしそんなものではありません。主の祈りはすごいものです。
今日の見言葉の中で、イエス様の参上の推診の中で、イエス様、あなたたちはこのように祈りなさいと言いながら教えてくださった内容です。
イエス様は神様ですから、神様がこのように祈りなさいと言われたら、そのように祈ったらこれは確かに答えがあるし、一番確信がある祈りになるでしょう。
事実、どんな祈りより主の祈りが一番大事な祈りであり、一番祈りの応答はこれは当たり前として覚えられる祈りなんです。
ところが私たちは信仰生活をしながら、私はお風呂の中で何かそれを10回ずっと主の祈りを覚えて、
それで何か唱えてから私はお風呂から出ると思いながらいろいろやるんですけど、
それほどたくさん主の祈りを唱えますけど、それが事実、儀式、形式になってしまった。
これが悔しくて悔しくて今日のメッセージを準備しなきゃと思いました。
今年は私たちは主の祈りを生きて働く祈りとして変えていかなければいけない。
神との関係と祈りの重要性
これはキリスト者の使命だと思って私がこれを準備しています。
事実、祈りより神様の前でもっと大事なことはありません。
神様の前で礼拝も大事ですけど、元神様は私たちに神の家、神殿は全ての人の祈りの家だと言いました。
礼拝の家だと言われなかった。祈りの家だと言われました。
なぜ祈りの家だと言われたでしょう。神様は私たちの祈りを待っているからです。
また神様が何かを働く前に、預言者たちにあらかじめ示さなくて働くことはない。
これはアムス8章3節ですかね。
必ず預言者たちにまず言われて、それで預言者の祈りを聞いて、その祈りの答えとして神様が働きます。
ですから極端に考えると、地上で祈る祈りがなければ神様は働きができなくなる。
なぜならこの世は人間に任されたから、人間が任されたのに人間を無視して神様の働きはされない。
だからこの地上の任された人間が神様に要請をするとき、神様はそれを聞き入れて、それを持って答えてくださる。
この働きが神の宮座だと私たちは思っていいでしょう。
それほど神様に一番大事なお祈り、地上で祈る祈りの声がなければ神様さえもどうすることもできないんだと言われるほど大事な祈り。
私たちはこの祈りをどのようにやっているのでしょう。
悔い改めと正しい祈り
南米のところにファン・カロロス・オルティス牧師という方がいます。
その方が本を書いたんですけど、私たちの祈りは天国ではゴミ扱いされている。
祈りは祈るんです。
だから天国まで神様の御前に私たちの祈りがそれを引き上げられるんですけど、神様が見られたらこれはゴミのような祈りだと。
だからゴミ箱に入るような祈りばかりやっている。
多分これを考えるとゴミ扱いされる祈りって何でしょう。
多分実行中心的な。
もうこれを答えたらあなたにプラスになるかマイナスになるか分からなくて勝手に祈る。
このような祈りではないかと思いますけど、これから私たちはゴミ扱いされる祈りはしないように。
じゃあ一番正しい祈り、これを毎日熱心に祈るべきだと思います。
これがイエス様がこのように祈りなさいと言われた祈り、主の祈り。
これを祈ることが一番大事じゃないかと思います。
まずイエス様はこの主の祈りの前にこのような話をする。
マタイ6章7節。
あなたたちは異邦人のようにクドクドと延べてはならない。
じゃあクドクド延べる祈り。
よく考えると異元の祈りが正直皆さん意味分からないでしょう。
異元を使ってみたら同じ言葉を繰り返したということが分かります。
だったら異邦人が祈るクドクドと延べる祈りと私たちの異元の祈りがほぼ同じじゃないかと思われますね。
これを私がAIジェミナイに聞いてみました。
マタイ6章7節のクドクドと延べる祈りとキリスト教の異元の祈りは何が違いますか。
文字で入れました。
だったら論文が出てきました。しっかりしたものが。
その中でポイントだけ言われますと、異邦人がクドクドと延べる祈りは意味がない話を、言葉を繰り返しすることだ。
しかしキリスト者たちが言っている異元の祈りは、
聖霊の助けによって私の霊が神様に祈ることだから、これは次元が違う祈りだ。
これAIの答えです。
AIがよく知っています。
これで私が異元の祈りをしっかりしなきゃと思われるようになる。
だから初めに私が牧師の職もAIが代わりにするんじゃないかということが、私がここから言っていることです。
異元に対して聖書で一番分かりやすく教えてくださるところが、ローマ書8章26節からの言葉です。
同様に霊も弱い私たちを助けてくださいます。
私たちはどう祈るべきか知りませんが、霊自らが、この聖霊様自らが言葉で表せないうめきをもて取り出してくださるからです。
人の心を見抜く方は霊の思いが何であるかを知っておられます。
霊は神の御心に従って聖なる者たちのために取り出してくださるからです。
聖霊様は神様の御心をよく知っています。
それを私たちに教えてくださって、私たちの霊が聖霊の教えによって言葉で語ることが異元なんです。
だから意味は分からませんけど、この霊の祈りを神様が聞いてくださって、
私の心にあるものをあなたがどうしてこんなに立派に祈るのかと神様は感動しながら答えてくださる祈りが異元の祈りです。
だから異元をやるべきでしょう。
パウルが第一コリッド中央演説18節でこう言います。
私はあなた方の誰よりも多くの異元を語られることを神様に感謝しています。
パウルは第一次世界戦争、第二次世界戦争、第三次世界戦争、数多くの印と数多くのメッセージを語って業界を開拓し立て上げ、
初代業界はほとんどパウルの手によって何ができたように見えるんですけど、そこにパウルの異元の祈りの力があった。
ですから私たちもこの異元の祈りをたくさんやりましょう。
しかし異元の祈りの問題があります。
私たちは分からない。私が語る異元を私が意味を分からない。
だから私にはあまり何か念意的には神様を信じて神様は私に答えてくださるんですけど、
意味が分からないから私には役に立たないように見えることがあります。
ですからイエス様が私たちが理解できる言葉として教えてくださった一番大事な祈りが主の祈りなんです。
ですから異元の祈りも素晴らしいことですけど、主の祈りを私たちがいつも祈ることも非常に大事なことです。
主の祈りでどのように祈りなさいと言われるのでしょうか。
まずはじめに天にいます我らの父よと言いなさい。我が父よ。
私たちの祈りを聞いてくださる方は神様、あくまではありません。神様です。
神様が聞いてくださるんですけど、我が父よというこの父という言葉が原点でいろいろ考えてみますと、
子供たちがお父さんにお父さん、パパ、いうことと同じです。
一番私たちと神様の間に親しみを込めて愛を込めてこの呼び名、これがパパ、お父ちゃんということだということです。
この世の中の父も私には非常に、私が一番いい記憶はないんです。無知を打たれた記憶しかないんですけど、皆さんいい記憶がたくさんあるでしょう。
父親が私を愛して勉強を熱心にやりなさい。勉強できなければお前のこれからの競争を世界にあなたはできないんだと思って、
愛を持って無知を打たれたでしょう。それで理解して私はやろうと思っていますけど、
私たちの父は私を一番うまく理解してくださるし、一番私のために働かれる方です。
しかし私の父は限界があります。今世の中にはいません。
だから人間は限界があるから子供を愛するんだとしても子供を最後まで見守ることができないんです。
しかし、天におられる私の父は、私を一番愛されるだけではなく、私の必要を全部わかっておられ、
これは全てを満たしてくださる力がある、全知全能なお方なんです。
ですから私の全てを豊かに満たしてくださる、私が何が必要なのか何が必要じゃないのか、
私が今祈ることが、お前これを成し遂げたらお前のためになるよということを全部わかってから私に答えてくださる方だから、
私たちは安心してこの神様を信じて祈ることが大事だということです。
ところがもしお父さんと私の関係が、今難しいところがあるんですか。
親からいろいろパワハラということがありまして、父に対するこの何か傷があったら、
これが職場に行ったら上司に傷ができるし、またそれが社会に出たらいろいろ社会の政治とか権力に反発する人になりかねない、
ですから私たちはそこが難しいんですけど、実は父なる神様と皆さんの関係はどうですか。
私は子どもたちをよく見ていますと、神様に対して恨みを持っている子どももいますね。
自分の願うとき聞いてくれなかったとか、いろいろ誤解をしていろいろ変な思いを持っている人が多いんです。
特に神様との関係の中で罪があるなら、私たちが分からない罪が神様知っておられるから、
罪があるなら私たちの祈りはなかなか叶えられないかもしれません。
ですからイザヤ59章1節2節、主の手が短くて救えないというのか、主の耳が鈍くて聞こえないというのか、
むしろお前たちの悪が、またお前たちの罪が神の御下を隠させ、お前たちの耳を妨げるんだと言います。
神様と私たちの間に罪があったら、また悪、神様が願われていない、喜ばないことがあったら、
これを解決しない限り祈りがうまくできないということがあります。
ですから皆さん、祈るときに悔い改めを含めて祈ることが大事です。
悔い改めるとき、第一は1章9節、自分の罪を公に言い表すなら、神は信じている正しい方ですから、
罪を許しあらゆる不義から私たちを清めてくださるんだ、悔い改めればいいです。
悔い改めたら神様が何でも許してくださる。
罪を犯したことがなかったのように、私たちを始めのところでリセットしてくださる。
これをよく考えながら祈ることが大事です。
祈りに入るときに祈りの優先順位があります。
まず神様のために祈る、そして私たちのために祈る。
神様のために祈るとき、神様がイエス様を教えてくださる3つがあります。
神の皆のため、神の御国のため、神の御心を成し遂げるために祈りなさい。
神の皆があがめられますように、はじめに祈りなさい。
なぜこれが大事なのか、皆さん人生の目的は何ですか。
この世の中で私たちが生まれました、この死の時までこの世で生きるんですけど、
この人生に生まれた目的、生きる目的、この人生で私たちが何をすればいいですかといったときに、
一言、神の栄光のために生きなさい。
これが、皆があがめられますようにという人生の目的なんです。
神の栄光のために生きるんです。
そうするなら、私のゆえで神様が栄光を受けられていますか、神様が恥を受けられていますか。
私が神様を恥をかけながらこの世で過ごしているんだとするなら、
祈りの基本
神様に対して私たちが本当に悪いことをしている。
ですからまずここが大事です。
皆をあがめられますように。
私のすべてを通して神に栄光を与える。
神に恥をかけることがないようにということです。
ですから私が口で、皆があがめられますと言いながら、
実際行動としては神様に恥をかけられるんだとしたら、これはもう祈りができなくなります。
答えは期待できません。
しかし私がやっているすべてをもって神に栄光を与えながら生きているなら、
この祈りがものすごいパワーとして働くでしょう。
2番目、御国が来ますように。
皆さん残念ながら、創世紀3章以来、この世界は悪魔の世界です。
第2コリント4章4節、この世の神が、この世の神ということは悪魔です。
創世紀3章で、このアダムに与えられたこの世の管理権をアダムがサタンに従うことによって、
アダムが持っていた管理権をサタンが持っているんです。
ですから今、全世界はサタンが動いている。
皆さん、世の中でこんな悪い人は裁かれるようにと皆さんは思うでしょう。
しかしこの人たちはうまくやっていきます。
なぜですか?
この世はサタンの国だからです。
サタンの国はサタンのよく従う者がうまくできます。
むしろ、偽人、神に従う人はこの世で苦労されます。
迫害を受けます。
本当に大変な苦労をします。
ですから、神様がこの世界が御国が来ますように、
この世界が悪魔の国じゃなくて神の国になりますようにということは、
私たちが祈る二番目の祈りです。
このサタンの国を神の国に変えるためにイエス・キリストが来られました。
それから選択の余地が二つあります。
私たちのすべての行動を通して、悪魔に従えばそこに悪魔の国ができます。
イエス様に従えばこれは神の国になります。
どちらか。
今大事なことです。
毎日すべての選択の中で神に従うのか悪魔に従うのか、
これが私たちは今自由意思として与えられているんですけど、
私たちはイエス・キリストの御言葉に従う。
御言葉に従う、メッセージに従うということではまだ厳しくなりますけど、
それがなかなか難しいからイエス様が十字架で死んでくださって、
そして助け主聖霊様を送ってくださった。
聖霊様によって私たちは助けていただいて、
イエス様の御言葉に従うことができるんです。
そして全世界すべての人がイエス様に従うことによって、
世界の所々が、
家庭、家庭、家庭、家庭が神の国になるように。
これは神様の切磋なる願いです。
この世がサタンの国ではなく、神の国になりますように。
また三番目、見心が行われますように。
私たちの必要
皆さん見心は何ですか?
神様は何を願っていますか?
神様は私たちが神の恵みの中で幸せに豊かに生きる、
喜と平和と喜びの神の国を私たちみんなが味わうことです。
創世紀初めにアダムとエバにエデンの園が与えられました。
喜と平和と喜びの園が与えられました。
しかし、罪を犯したらこれが全部消えてしまいました。
神様の大きな祝福と恵みが与えられています。
しかし、罪を犯したらこれはサッとなくなります。
本当に難しいのです。
神の見心が成し遂げられますようにというこの祈り、
そうするなら私たちはいつまでもエデンの園が与えられ、
神様の喜と平和と喜びが満ちあう世界が私たちいつも与えられるでしょう。
一番大事なのは私たちの家庭が喜と平和と喜びが満ちあう
神の国なのか。
罪が入ってきて分裂が入ってきて、
もう喧嘩、争いが入ってきて、
それで戦い、問題、それによってもう神の国がダメになり
サタンの国になってしまったのか。
神様の願いは私たちみんなが神の国になるように、
神の国になるようにということです。
神様の願いは別のことはありません。
神の皆があがめられ、神の国が来ますように、
また神の御心が成し遂げられますように、
そうするなら私たちみんなが平和の中で幸せになるからです。
まずそのために祈りなさいということです。
次に私たちのために祈らなきゃいけないんですけど、
この初めに祈るべきことが中一節。
私たちに必要な家庭を今日与えてください。
これは日曜の家庭ということです。
日曜の家庭はただ食べるものだけではありません。
私たちに必要なすべてを意味します。
一食十。一食十。
今度、金正恩くんさんに韓国に行かれます。
韓国に行くから何が必要ですか。一食十。
当たり前です。
もう金正恩くんのために一食十が
韓国でしっかり備えられるようにしてください。
この祈りは正しい祈りです。
神様が祈りなさいと言ったから、
このために祈るなら神様が解決してくださる。
当たり前です。
私たちの子どもたち、また受験生。
受験生たちに知恵と健康を与えてください。
当たり前でしょ。
この神様が当たり前として私たちに与えてくれ。
ここで皆さんぜひ覚えてくださればと思う聖書があります。
約部1章5節6節。
あなた方の中で知恵の欠けている人がいれば、
誰にでも惜しみなく、
咎め立てしないで応戴になる神に願いなさい。
そうすれば与えられる。
いささかも疑わず信仰を持って願いなさい。
私たちは疑いしないで、
子どもたちのために、
特に受験生のために、
知恵と健康とすべて必要なことを神様に与えられ、
くださることを私たちは祈らなければいけない。
罪と誘惑
これが立場の糧になる。
また職場の人、
皆さん職場どれほど競争が激しいんでしょうか。
その職場に通っている私たちの家族のために、
健康と秩序を与えてください。
周りの人たちに何かうまくリーダーできる、
このリーダーとしての秩序が必要です。
それを持つことができるように祈ってあげることは、
これは本当に大事なんです。
また大事なのは、
癒しが必要な方のための癒しも日曜の糧なんです。
皆さん、癒しがなければ今体が動けないんでどうするんですか。
だからこれも、
今日私たちに日曜の糧を与えてくださいと言った時に、
この癒しも必ず祈らなければなります。
このように毎日毎日生活の中で、
必要なすべてに対して神様に委ねて祈ること、
これを神様が喜んでおられます。
神様が満たしてくださいます。
皆さん今の私たちの教会生活を、
聖書はアラノの生活だと言います。
イスラエル人たちがアラノの生活40年間、
アラノで何をくださったんですか。
マナーをくださいました。
ウズラもくださいました。
水も与えてくださいました。
これだけですか。
いいえ、新明紀8章4節を見ていますと、
私たちが的を着物を振る水、
足が腫れることもなかったという、
また8章18節を見ていますと、
富を築く力もあなたたちに与えたという、
アラノの中で必要なすべて、
ただ食べるものだけじゃなくて、
飲むものだけじゃなくて、
福もまた健康もまた富も、
神様がアラノの中で全部満たしてくださった。
だから今も信仰を持って、
神様が言われたことに従って祈ることは、
非常に大事だと思います。
ここで一つ覚えるべきことが、
日曜の糧なんです。
1ヶ月の糧じゃなくて、
1年の糧じゃなくて、
また一生懐食べる糧じゃ、
一遍にくださいじゃありません。
神様は人間をよく知っています。
一遍に与えることは問題ありません。
しかし一遍に与えてみたら、
人間がダメになったということです。
一番代表的な存在は誰ですか?
ダビデじゃないです。
ダビデが年取っていったら、
あと何かいろいろな問題が起こるでしょう。
どこに悪かったのはソロモンだったんです。
はじめは素晴らしかった。
神様が世の中でどんな王様も持ってなかった、
富と力と知恵と権力とすべてを与えてくれた。
彼は一番完璧に堕落しました。
神様が2回3回現れて、
あなたはこうしたらいけないと言ったのに、
彼は神様の話を聞き入れなかった。
でも神の恵みは素晴らしいでしょう。
ダビデの息子だからあなたは罰をしない。
しかしあなたの息子の時代に行って、
私は罰をする。
そしてルホーヴァウム時代の中で、
イスラエルの国が2つに分けられる。
この悲劇があった。
そうです。
神様は一遍に全部与えてくださったのに、
人間がそれを守ることができない。
だから神様は一遍に与えることではなく、
毎日与えるから心配しないで。
今たくさん持っていないから、
どうしようと思わないで、
毎日祈りなさい。
毎日与えるから。
信じなさい。
それで日曜の糧を教えてくださいました。
皆さん、私たちは日曜の糧を
神様に求めなければいけません。
ところが日曜の糧の中でもう1つがあります。
これが主の祈りの終わりの部分ですけど、
礼儀的な日曜の糧も祈りなさい。
礼儀的な日曜の糧は、
見事場の恵み、油注ぎ、
精霊充満、
また悪魔の羽だらけを打ち破るパワーが必要なのです。
その前に一番大事なのは罪なんです。
罪の問題。
神様が渡してくださったエデンの園が
罪によって全部ダメになり、
もうその中でたくさん与えてくださった
ソロモンの祝福が
罪によってダメになります。
問題は、この日曜の糧の中で
罪のことも解決する方法を与えてくださったということです。
私たちがいくらうまく過ごしたとしても、
今いくら豊かだとしても、
罪が入ってきたら、
それが全部ダメになるんだということを考えて、
それで私たちがやるべきことは、
罪の許しのために祈ることです。
皆さん、罪の許しのためには条件があります。
何ですか?
私たちの罪を許す前に、
あなたに追い目がある他の人を許してあげなさい。
そうしたら、あなたの罪を許してあげるということです。
ですから、私たちが私たちの罪を許してあげてもらうために、
私にいろいろ追い目がある人を
まず許してあげて、
神様に祈ったら、
神様は私を許してくださる。
この罪の問題が解決できたら、
神様が恵みとして与えてくださった祝福を、
私たちがいつまでも保ち続けて味わうことができる。
この神の恵みと祝福は、
罪が来たら終わり、
ダメになるんだと。
ぜひぜひ覚えて、
罪に対して厳しくならなければなりません。
また、罪を犯させるものがあります。
これは悪魔です。
アダムとエーヴァがただ罪を犯したのではありません。
ヘビとして現れたこのものが、
誘惑したからアダム、エーヴァが倒れたように、
私たちを倒すために、
たくさんの悪魔が働いています。
誘惑しています。
いろいろ試みを与えています。
それを乗り越える、勝ち抜くパワーがなければいけません。
そのために私たちが、
主の祈りの中で、
誘惑に遭わないように、
悪いものに遭わないように、
また、それを乗り越えるパワーを下さるように、
祈っていかなければなりません。
私は、私の息子をちょっと礼的に見て、
危ないということがたくさんあります。
私が、これは言い訳ですけど、
私が牧師だから牧師の息子をもっと攻撃、
悪魔が攻撃するから、
息子が倒れたら、私も大変になっちゃうから、
主の祈りの重要性
だから攻撃するかなと思うんですけど、
息子はね、誘惑にたびたび巻き込まれるんですよ。
変な誘惑に。
例えば、会社に勤めるときに、
会社に一緒に働くある人が、
何かおかしいことをやっているので、
息子まで巻き込まれて、
自分をやめざるを得ない、
やめざるを得ない、
このような状況がありました。
そのとき、これはどうすればいいのか、
思ったんです。
皆さん、礼的に弱い人がいます。
特に弱い人がいます。
そのためには、親が主の祈りを持って、
そして防御の壁、
なんていうか、保護膜を立ててあげなければいけない。
それが大事なんです。
今日の教会学のメッセージ、
ヌヘミアの城壁。
これは私、本当に、
ヌヘミアの城壁を建てるときに、
これを妨げる、これを邪魔させる者たちがまああらわれて、
それで城壁を建てることを妨げるでしょう。
同じなんです。
城壁がなければ、
敵が自由に手入れしながら、
私たちをダメージさせるから。
だから、皆さん、
皆さんの家族を守る、子供を守る、
この祈りを親はやらなければいけません。
ヌヘミアが城壁を建てるように、
私たちも、私たちの家族、特に子供たち。
子供たちは弱いんですよ。
子供たちがこの周りの誘惑に、
自分も巻き込まれて、
それで何か被害を受けることがないように、
親はしっかり祈って、
助けていかなきゃいけないんじゃないかと思います。
神様が与えてくださった祝福、破壊は、
本当に壊れやすい。
この花瓶のように、
もうカラス瓶のように、
とうとう落ちたら、落としたら、
これはパサッと壊れるような状況だと思います。
ですから私たちは、いつも子供たちのための
保護膜、防御の壁をしっかりやっていきましょう。
私たちが日曜の過程、
ために祈るだけじゃなくて、
礼儀的にこの日曜の過程のために祈ることによって、
この世に勝ち、悪魔に勝ち、
しっかり主のために働く、
起事と支配になることを、
私たちが祈っていきたいと思います。
主の祈り、
あなたたちはこの世に祈りなさいと言われたこと、
これは私たちに対して一番正しい祈りであり、
これをいつも信仰によって祈ることによって、
私たちが守られ、神に栄光を与えられ、
そしてキリストシャーとして、
全てが働きができるようにしていかなければなりません。
私たちに祈りほど大事なことはありません。
信仰生活は祈りの生活と言われるほどのものです。
私たちは神様から必要なことをいただくことだけじゃなくて、
形式化の克服
無限な神様の世界、
世界の中に入る入り口が祈りなんです。
この世界の中に入って、
神様の不思議な不思議な素晴らしい素晴らしいことを体験しなければ、
この世の中でキリストシャーはどう生きるんでしょう。
世の中で富、権力、
また、いろいろな誘惑がたくさんあります。
これを勝ち抜くためには、
私たちは神様の宝、
神様の素晴らしさを私たちに満たされていかなければいけないので、
そのために一番大事なのは主の祈りだと思います。
聖書でこの見言葉があります。
第一弱音、古書、中曜説。
何事でも神の御心にかなうことを私たちが祈るなら、
祈るなら、神は聞き入れてくださる。
これが神に対する私たちの確信です。
神の御心にかなう祈りをするなら、神様は必ず聞いてくださる。
皆さん、神の御心にかなう祈り、
何ですか、主の祈りじゃありませんか。
主の祈りを正しくやるなら、
神様は必ず聞いてくださるんだという確信。
これを私たちはしっかり持って、
2026年度は祈りによって勝利する。
特に主の祈り。
それを決まり文句のように、形式的に、
もう恋愛の始まり、恋愛の終わりよ、
これで何とかやるような、このようなやり方はやめましょう。
イエス様はこの世に祈りなさいと言って、
特に祈ることに対して教えてくださったものなのに、
私たちはこれを持って、今何やってますか。
悔しさを持って、主の祈りを元の位置に取り戻す。
元の位置に取り戻すだけじゃなくて、
それを思い存分味わって、主に栄光、
私たちを主の祝福に満たされる生活ができるようにやっていく。
この素晴らしい主の祈りを、これから私たちにうまく活かして、
信仰生活、勝利の生活ができるようにしていきましょう。
お祈りいたします。
主よ、今日は私たちが一番大事ですが、
一番たくさん唱えていますが、
一番形式になってしまった主の祈り分かち合いました。
これからは二度も形式、儀式に取り扱いません。
これは神の御心に敵う祈りとして、
しっかり祈っていきたいと思います。
これを持って主のために祈る。
また私たちのために祈ることによって、
主に栄光、私たちに信仰によって勝利の人生ができるように、
素晴らしい人生ができるように、
この祈りを持って主を助けてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。
38:34

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