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2021-05-23 34:45

「真理の御霊が来られるなら」2021年5月23日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年5月23日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

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今日は、真理の御霊が来られるならという対応をもって 今日のメッセージを分かっていきたいと思います。
今日は、聖霊の降臨を記念するペンテコステの礼拝です。 ペンテコステという意味は、50日目という意味です。
イエス様が復活されてから50日目という意味です。 始祷行伝1章3節には、イエス様は復活されて
40日間をこの世に留まり、復活されたことを明らかにし、また神の国について強調した後、昇天されました。
昇天されてから10日目に約束通り、聖霊様を送って下さいました。 イエス様は聖霊様を大きく信頼なさいました。
ですからこのように言われています7節です。 実を言うと、私が去っていくのはあなた方のためである。
私が去っていかなければ弁護者、助け主があなたたちのところに来ないからである。 私が行けば弁護者、助け主をあなた方のところに送ると言いました。
このお話通り、始祷行伝2章で聖霊様が来られて、その時から新約の教会が始まりました。
ですからペンテコステの日を新約教会の誕生日と言われます。 聖霊様が来られて行われた働きはたくさんあります。
ところが今日のメッセージの対応、真理の御霊が来られるならということを決められたのは、
聖霊様は正しいことと正しくないこと、また真理と非真理、偽り、過ちに対して確かな分別力を与えてくださることを強調したいからです。
最後に行けば行くほど、霊的な戦いが激しくなっていますが、これは真理と惑わしの戦いです。
真理と真理ではないものの戦い。 私たちがいくら熱心にやるんだとしても、正しくやらなければ神様が見られるのには何の意味もないんですけど、
美言葉と聖霊の助けをいただいて、私たちはうまくなっていきたいと願います。
ではまず一番です。 まず初めに分かち合いたいことは、三密体の神様の働き、また見たもの神様について分かち合いたいと思います。
まず初めに、三密体の神様の働きには目的があります。 この初めは神様の見姿で作られた人間の救いです。
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なぜ救いが必要ですか? 創世紀3章で、人間が罪を犯して神様から離れたからです。
ところが皆さん、ここで大事なのは、人間が自発的な考えで神様に逆らったことではありません。
悪魔の誘惑を受けて、悪魔の誘惑に騙されて行ったことです。
その結果、第1話の3章8節に、罪を犯す者は悪魔に直します。 悪魔は初めから罪を犯してからです。
悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、神の子イエス・キリストが現れたのですと聖書を書いてあります。
私はこの翻訳が好きです。なぜなら、罪を犯すならどうなるか、悪魔に直しますよということを明らかに教えてくださるからです。
神様は、罪を犯した人間を哀れに思って、創世紀3章15節に、女の子孫としてメシアを送ってくださることを約束しました。
時が満ちてイエス様は来られて、イエス様は十字架と復活を通して、私たちのすべての罪を贖ってくださり、
誘惑者、サタンを滅ぼし、救いの道を開いてくださいました。
ところが、イエス様は十字架を通して私たちにくださったもう一つの大事なことがありますけど、これはカラディアの3章13節と14節に書かれてあります。
イエス様が十字架を担ってくださった理由は、14節に、アブラハムに与えられた祝福がキリストイエスにおいて違法人に及ぶためであり、また私たちが約束された礼を信仰によって受けるためだと言っています。
私たちは違法人です。ユダヤ人ではありません。
違法人である私たちも、アブラハムの子孫として祝福を受けるようにしてくださるために、イエス様は十字架を背負いました。
また、十字架を通して聖霊様を送ってくださるためだと聖書は言っています。
結局、聖霊様はイエス様の十字架の功労によって私たちのところに来るようになったのです。
イエスキリストの十字架を通して悔い改めて罪を許していただいた清い心に聖霊様が臨まれるのですけど、聖霊様の働きについて大事なのは清さと正しさです。
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また、三密体の神様の働きの目的の2番目は、教会です。
神様の働きは、共同体の働きです。
三密体も共同体でしょ。夫婦も共同体です。一心同体。
教会も2人または3人がイエス様の皆によって集まるところですから、共同体です。
神様の働きは共同体の働き。しかし、サタンの働きは共同体を破ることです。
ですから、バラバラにしておいて、5人プレイをするようにします。
神様は共同体の働き、サタンは5人プレイ、これを覚えていただきたいと思います。
イエス様も公的障害を始まるときに、中二弟子を呼び寄せたと言います。
中二弟子と共に働く。神様の働きは共同体の働き。
共同体が一つになって行われることを、神様は大事に思っておられます。
教会はこの地上の神の国であり、最後の時のノアの箱舟のような救いの箱舟です。
教会は命の救いの働きを効果的に、持続的に行うことができるし、
教会は礼儀的な家庭として、救われて新たに生まれた魂を保護し、養育し、成長させて、分敬するまで可能にすることですから、
教会は本当に大事なところです。
ですから、教会を建て、教会のために使える方たちの苦労は、本当に祝福されるべきことです。
ここで、聖霊様の名前について、日本語の訳は各々違います。
神会訳と交互訳では、助け主と言います。神共同訳では、弁護者と訳しています。
なぜなのかと言いますと、元々言語であるキリシア語では、パラクレトスと言います。
パラという意味は、隣、そばでという意味で、クレトスということは、召されて、助けるという意味があります。
これを英語の翻訳でも、いろいろな意味で表しているところですが、
英語の翻訳のことを3つくらい考えてみますと、助け主、聖霊様をはじめに、ヘルパーと言います。
聖霊様をヘルパーだと言います。助けてくださるお方という意味です。
聖霊様は、私たちの弱さをよく知っています。今、私たちが何をもって苦しんでいるか、よく知っています。
ですから、聖霊様を求めれば、助けてくださいます。
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2番目、聖霊様はカウンセラーと言います。
私たちは聞きたいことがいっぱいあります。選択するべきこと、決定すること、そこに私たちの過ちがたくさんあるんですね。
だから私たちが苦しむんですけど、聖霊様に求めれば、私たちを豊かに助けてくださいます。
また、英語の聖書では、聖霊様はカンポートと言います。
カンポートという意味は、慰めるお方ということですけど、聖霊様はただ慰めるだけではなく、
再び立ち上がって働くことができるように、力も与えてくださるお方です。
ですから、救われた私たちは、私たちの隣で、私たちの内にこの方がおられることを認識して、
その方に委ねるとき、難しいこの世の中で、聖霊の助けによって生きることもできるし、使命を担うこともできるし、
天国まで安全に到着できると信じます。
大事なのは、私たちの隣におられる聖霊様を認識して、委ねて、助けを受けることができるかということです。
聖霊様を認識して求めること、これは皆さんはよくやっていらっしゃいますか?
私は理論はよくわかっているんですけど、うまくできていない場合が多いんです。
振り返ってみますと、私が全部やってしまって、後になって、聖霊様、ごめんなさいという場合がどれほど多くあるのでしょう。
私はこのメッセージを準備しながら、創世紀28章のヤクブのことが思い出されました。
ヤクブは、兄エッサを避けて波乱に逃げるとき、アラノで侮辱しなければいけないときがありました。
夜になって、石を枕として寝ているところで、夢の中で幻が見えて、天まで届くはしごの上、
天使が下ったり登ったりすることが見えたんです。
その時彼がびっくりして、ここ神様がおられるんだ、ここ神の家なんだとして、ベネール、ベネールということは神の家の意味です。
神様はいつもヤクブと共におられるんですけど、その時彼が認識したんです。
ですからこの神様に助けを求めるんでしょう。
ですから神様は約束してくださり、彼と共に歩んでくださいますけど、
私たちにパラクレトス、私の隣で助けてくださるお方、ヘルパー、カウンセラー、カンポートがおられることを認識して、
12:03
私たちの人生のすべての問題をそのお方に聞いて委ねて生きることができますように。
ここで大事なのは神様との親しみです。
いつも親しみの中にいる方はそれができるでしょう。
じゃあ今日は2番です。
今日の聖書の本文に戻りまして、
ヨハネの中六書の状況は弟子たちには非常に恐ろしい状況でした。
後ほどイエス様を捕まえて十字架にかけられ亡くなり、弟子たちには大きな恐怖が襲われるからです。
その状況を前にしてイエス様はこう言われます。
ヨハネの中六書1節から4節に、
人々はあなたを迫害するであろう。
彼たちはどのように迫害を受けるようになりますか。
宗教主導者たちによってカイドウから追放され、殺されるまでするんだということです。
カイドウから追放されるということは、ユダヤ人の社会から追い出される、孤立することを意味します。
これは大変なことでしょう。
そのような時、弟子たちはつまずきやすいです。
神様がなぜ私を助けてくれないのかということになりますけど、
だからイエス様は前もってこの話をされるんです。
そのことがあるときには、来るべきことが来たなと思いながら、
迫害を耐え忍ぶ、そして信仰の中心を守ることができるからですね。
ところがイエス様は弟子たちがこれから過酷な試練を受けることをわかっていました。
だったら弟子たちを過酷な試練から救えばいい、保護して救ってくださることではなく、
むしろ迫害と大胆に戦うように言われました。
なぜそうされたんでしょう。
彼たちが迫害を通して信仰の根を深く下ろし、
漁牧として成長することを願ったんです。
皆さん、漁牧になることは、ただビニールハウスでやりやすい環境の中ではできません。
漁牧になるためには、雨、風に、また暑さ、寒さに耐え忍ぶことが大事です。
そのために精霊様を送ってくださったでしょう。
そうしながらイエス様は、ご自分が離れることはあなたたちのためだ、
あなたたちの有益だと言われます。
では、どのような点で有益ですか。
はじめに、助け主精霊様を送ってくださるからです。
イエス様はもともと神様ですけど、
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肉の体を持っておられる方だから、
時間、空間的に制約がありました。
弟子たちを同時に助けることができなく、
また永遠に共にいることができませんでした。
しかし、精霊様がおこられて、精霊様は霊ですから、
時間、空間の制約がありません。
精霊様は弟子たちを一人一人がどこにいても、
いっぺんに弟子たちを助けることができるお方です。
また、イエス様が離れることはなぜ彼たちのためなのか、
自律信仰を持つことができるからです。
目に見える人が目の前にいるなら、
依存する心で自律的な、想像的な下人はできません。
しかし、彼らが目に見えない精霊様を委ねるようになるなら、
自律的な下人になります。
後に、弟子たちが精霊に委ねて自律信仰を持った時に、
彼らは恐れを知らない信仰の勇士になって、
指導行伝の新しい歴史を描く力ある下人になりました。
3番です。
イエス様は続きまして、
精霊様がおこられて行われる働きについて話してください。
8節をご覧ください。
その方が来れば、罪について、義について、また裁きについて、
世の誤りを明らかにすると言います。
世の誤りを明らかにするということは、
悟らせる、覚醒を促すという意味なんですけど、
精霊様は3つの面で世の誤りを明らかにされます。
はじめに、精霊様は罪について、世の誤りを明らかにします。
9節をご覧ください。
罪については、彼らが私を信じないことと言います。
精霊様はイエス様を信じない不信心が、
一番大きな罪だということを悟らせてくださいます。
人々は、含飲とか殺人というような罪は、
これは罪だと思うから、罪意識に患います。
しかし、イエス様を信じないことは、
罪意識に患うことはありません。
人々は、イエス様を信じてもいいし、信じなくてもいいと思います。
しかし、精霊様が裁かれるなら、
イエス様を信じないことが大きな罪だということをわかって、
悔いを改めるようになります。
ルカの公書では、ペトロが海辺でイエス様に出会った時、
イエス様の前で、「主よ、私から離れてください。
18:01
私は罪深いものです。」と言います。
今までペトロはイエス様を出会ったんですけど、
イエス様を無視してきました。
神様であるイエス様を今まで無視してきた、
その罪が照らされたんです。
だから、「私から離れてください。
私は罪深い人間です。」
それを悟るようになりました。
また、使徒行伝2章37節には、
ペトロがイエルサレモの町で福音を述べ伝える時、
あなた方が十字架につけた、殺したイエスを神は主とし、
また名者とされたと福音を伝える時に、
人々は、「兄弟達、私たちはどうすればいいのか?」
と言いながら嘆くんですけど、
この働きも聖霊様がなさったことです。
神様は、罪の中にいる人間を哀れに思って、
イエス・キリストを救い主として送ってくださり、
誰でも誠に罪を悔い改め、
イエス様を信じることになれば、
どんな罪をも許してくださると言いました。
このイエス様は、神様が私たち人間に許してくださった最高のプレゼントです。
このプレゼントを受け入れないのは、
神様の愛と恋を無視することなので、
これはどんな罪よりも大きな罪です。
このように、聖霊様はイエス・キリストを信じないこと、
不信の罪が一番根本的であり、大きな罪であることを悟らせてくださいます。
2番目、聖霊様は、気について世の誤りを明らかにします。
実節をご覧ください。
気については、私が父のもとに行き、
あなた方がもはや私を見なくなることだと言います。
皆さん、気ということは何でしょう。
この聖書が言われる気は、
神様との正しい関係性を意味します。
人間が罪を犯したことによって、
神様との関係性が断絶されていきました。
人間が神様の気に至ることができないから、
罪によって永遠な破滅に所属するようになりました。
ところが、人々は神の気を知らないから、
各々自分なりの気を持って生きていきます。
ある人は善行を行います。
それで、私は気が正しいと言いますね。
また、ある人は空経を行い、
それで自分の気を積むようにします。
ユダヤ人たちは、立法熱心に守ることによって、
自分の気を積むようにします。
ところが、このような自己気は、人を傲慢にさせます。
21:04
自己気が強い者は、
自分がどれほど悲惨な罪人ということを悟らないで、
自己気によって他の人を判断し、罪に定めます。
しかし、このような人間の気は、
神様が見られるのには何にも意味がありません。
では、私たちがどうすれば、神の気に至ることができますか?
ローマ書1章17節はこう言われます。
福音には、神の気が掲示されていますが、
それは始めから終わりまで、
信仰を通して実現されるのですと言います。
神の気、これはローマ書1章4節を読みますと、
イエス・キリストを意味します。
聖霊様は、このイエス様を信仰によって、
イエス様を信じることによって、
神様との正しい関係性、神の気に至ることができるんだと悟らせてくださいます。
3番目、聖霊様は、裁きについて世の誤りを明らかにします。
注意せつをご覧ください。
また裁きについては、
この世の支配者が断罪されることであろうと言います。
この世の支配者は、サタンを意味します。
イエス様が来られる前は、
サタンは罪と死の力で人間を虜にしていました。
サタンは人間を情欲、憎しみのような罪の欲求と、
凶悪感、絶望感、自殺騒動のような死の力で煩わせました。
しかし、イエス様はこの世に来られて、
私たちの罪のために死んでくださり、
神の力によって支配者の中から復活されました。
イエス様が十字架で架けられ亡くなった時には、
サタンが勝利したように見え、
イエス様は悪の勢力を負けたように見えたのですが、
イエス様を復活することによって、
サタンの頭を砕き勝利されました。
復活を通してイエス様は、
生きている者と死んでいる者のすべての裁き主になりました。
聖霊様はイエス様の復活を通して、
サタンはすでに裁かれていると証しています。
このように、聖霊様が働く時に、
未信者は彼らの罪、不信仰が神様が見られる時どれほど悪いのか、
自分たちはいくら努力しても神の気に至ることができなく、
また自分自身は悪魔に直して裁きを受けるようになっていることを悟って、
24:03
悔いを改めるようになります。
聖霊の働きがなければ、
誰もこのようなことを悟ることができません。
以前も申し上げましたけど、
池袋の東口の前に行った時、
大勢の人々がいました。
私は宣教師として、
この人たちをどうするかという、
福音を伝えなきゃいけないという負担をいつも感じています。
そうしたら、私の隣にいた息子が私にこう言いました。
2000年前のイスラエルのイエスが、
あなたのために十字架で死んでくださった。
イエス様は信じれば救われるよ。
このように言われるんだって、誰が信じてくれるかと私に言いました。
そうです。2000年前、イエルサレムで、
イエスがあなたのために死んでくださった。
それを言うんだって、日本の方の中で誰が信じてくれますか?
本当に本当に難しく見えます。
皆さん、今のこの世の中は不信心が満ち溢れている世界です。
その中で福音の働きを担うことができるのは、
聖霊様が働いて人々の堅くなな心を開いてくださって、
罪を悟らせてくださり、礼儀的な目を開いてくださるから可能なんです。
人間の力でいくら頑張るんだってできるものではありません。
聖霊様が働かれるんです。
ヨガネ中六書数三節には、
しかしその方、すなわち真理の御霊が来られると、
あなた方を導いて真理をごとごとく悟らせてくださろうと言います。
皆さん、聖霊様は真理の霊です。
世の中には偽りの霊がたくさんあります。
私たちの心に不信と疑いを植え、
私たちを誤った道に導く惑わす霊がたくさんあります。
ですから霊だとして全て信じてはいけません。
私たちはこの霊が神様から来たのか、悪魔から来たのかを
分別しなければなりません。
神様から来られた霊は、第一ヨガネの手紙四章一節のように、
イエス様をキリストとして認め、
純粋にキリストの栄光を表します。
真理の御霊が来られるなら、
私たちの全ての真理の中に、正しいところに導かれます。
聖霊様が来られて、
牧師である私を真理に導いたことを皆さんに明かしをしたいと思います。
私は大学生の時、イエス・キリストを受け入れ、
悔い改めを通して不思議な体験をしながら、
27:02
信じることはこんなに素晴らしいことだと思って、
宣教師になる決断をしました。
そして、私は韓国の大手企業で勤めながら、
日本の駐社員として来て、東京で勤めました。
駐社員の生活をしているうちに、神様の招きを感じて、
会社を辞めて、日本バブテス連盟の新学校である、
福岡の西南学院大学新学校に、編入入学しました。
その時、私を知っている全ての人は、私が気が狂ったと言いました。
私は新学校でも、赴任された日本の教会でも、
最善を尽くして、日本の方々を愛し、教会のために頑張りました。
私は福井のために、家族も犠牲しました。
それまでやったのに、勃開5年目に、これ以上勃開を続けることができない状況、
教会の問題、家族の問題によって苦しみながら、
韓国に戻らなければいけませんでした。
韓国で2年間浪人しました。
その時、私はなぜ私がダメになったのか、本当に辛い思いをしました。
2年間、韓国で同じような辛い思いをしている勃開者たちと交わりをして、
聖書の見事を分かっているところで、私は悟らせたことがありました。
初めは純粋な信仰、動機を持って勃開を始めたかもしれませんけど、
私の信仰と使役が、徹底的に実行中心的な使役だったことを悟りました。
皆さん、実行中心的な信仰は3つの特徴があります。
自分の目的のため、自分の方法で、自分の熱心で信仰生活することです。
自分の目的を御利益だと言うでしょう。
自分の方法でやることを人本主義、自分の熱心でやることを立法主義だと言います。
皆さん、宣教師が自分の目的のために宣教しますか?
しかし、自分の方法、自分の熱心で行っていました。
皆さん、実行中心的な信仰は神様の見舞いでは罪なんです。
イザヤ53章6節、私たちは羊の群れ、道を誤りそれぞれの方角に向かって行った。
その私たちの罪を全て主は彼に悟らせられた。
イエス様は私たちの自己中心性のゆえに、十字架で死んでくださったんですけど、
私は日本宣教を自分の力で、自分の方法で熱心にやっていたんです。
30:05
そして家族と教会の信徒たちを犠牲にしていました。
その時、聖霊様は聖書を通して、私たちの傍観でおられるイエス様はどのように働くのか教えてくださいました。
これはヨハネの5章17節と19節20節です。
イエス様はお答えになった。
私の父は今もお働いておられる。だから私も働くのだ。
19節はっきり言っておく。子は父のなさることを見なければ自分からは何事もできない。
父がなさることは何でも子もその通りする。
父は子を愛して子自分のなさることを全て子に示してくださると言います。
私は聖書でこのような見言葉があったのか、まるで初めに読んだような見言葉に大きくショックを受けました。
私はこの働きを聖霊様が悟らせてくださったと信じます。
私は自己主張が強いものですから失敗をして家族がみんな大きなダメージを受けた後、
私の主張を下ろしてこの見言葉を受けられるようになって、今は徹底的にイエス様が言われた通り神様との親しい交わりの中で
とにかく主の見声を聞いて従おうと頑張っているところであります。
そして中三節に聖霊様はこれから行うことをつけてくださろうと言います。
皆さん最後の時礼儀的な戦いどれほど激しいですか。
私たちの力では、私たちの方法では、私たちが働くなら
最後の時の災いの中でサタンとの礼儀的な戦いに勝ち抜き、地の果てにまで福音を伝えることができますか。
神中心的に建てられた教会に神様がリバイバルを送ってくださって、
聖霊様が自ら地の果てにまで大収穫を行ってくださると言います。
私は家族まで犠牲しながら主のために献身したんですけど、
神様が共に働くことができない理由は、私は実行中心的な信仰だったからです。
また今各教会でリバイバルを求めています。
なぜでしょう。神様のご臨在が感じられないからです。
なぜ神様、神の教会に神様がおられないんですか。
33:03
私たちは徹底的に神中心的な信仰をして、神様との親しい交わりの中でその方の導きをいただいて働かなければなりません。
そうするとき、ご臨在もありリバイバルもあることです。
このためにペンテコステの日、来てくださった助け主聖霊様に感謝し、
また私たちの過ちを悟らせてくださったことに感謝し、
これから聖霊様と共に最後の時の福音の御業に用いられることを切に切に祈っている心であります。
ではお祈り出します。
主よ、ペンテコステの礼拝、聖霊様の来られることを感謝します。
イエス様を信じることになったんですけど、私たちは非常に弱い群れです。
助け主として聖霊様をよくして受け入れ、イエス様の導きをいただいて、
命の救いと教会を建てる働きをうまく担うことができるように恵みを与えてください。
また聖霊様、コロナによって非常に難しい状況です。
信徒たちを安全に守ってください。
今日、飯山キリスト教会と共同でまた礼拝を捧げますけど、
飯山キリスト教会にも聖霊様豊かに働いてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたしました。
アーメン
34:45

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