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今日は 聖霊の働きは祈りの働きという態をもってメッセージを分かち合いたいと思います。
教会は祈りの家です。 教会はすべての人の祈りの家と言うことです。
ですから教会の上に聖霊が臨んでおられます。 いくら立派な建物を持っている教会だとしても
祈らない教会はただ人間が集まる場所にすぎません。 キリスト社にはもちろん聖霊様がおられます。この心の中に。
しかし たくさん祈る人の上には聖霊様はいつもその人に臨んでいます。
ですから霊の人なのか肉の人なのか区別はその人の祈りの生活を見ればわかります。
今日は祈りがなぜ大事なのか一緒に分かち合いたいんですけど 悔い改めを祈りをするときに必ず聖霊様が来てくださいます。
また私たちが祈り続け求め続けるなら 聖霊様がその祈りを聞かれて働かれます。
すべて信仰生活は祈りによって成し遂げられるので 今日はこの祈りの大事さ
聖霊の働きは祈りの働きだということをメッセージを分かち合いたいと思います。 新約時代は聖霊の時代と言います。
イエス様はこう言われました。私が去っていくのはあなたたちのためである。 私が行かなければ聖霊様が来ないであろう。
と言いながら聖霊様を送ってくださるためにイエス様が十字架で私たちのために死んでくださいました。
これはどんな意味なのか。 聖霊様が来るためには清い心が必要なんです。
もともと創世紀2章7節に主なる神は土の塵で火土を形作り その花に命の息を吹き入れられた。
そして人間は生きるものになった。 もともと土霊なんですけどその土霊である人間に命の息が吐いたんです。
この命の息って何でしょう。よくわからないものが入って人間が生きるものになったということです。
ところが人間が罪を犯して創世紀6章3節に見ますと 神様は私はこの人間はもう人間の中に永久にとどまることはできない。
人間は肉に過ぎないからという言葉を使います。 肉に過ぎないということは肉の欲のために生きる人になったから
私はこの汚い心にはいけられない。 そして
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精霊様がその人から去ってしまいました。 精霊様が命なんですけど命の息なんですけど神様が離れてしまった。
命の息が消えてしまった人間はただ土霊に過ぎません。 ですから人間は欠乏の中で今苦しんでいるんです。
このような人間が生きるためには生かすためにはどうするのか 罪の問題を解決してその中に再び精霊様が来なければいけないということです。
私たちはイエス様が十字架で私たちの全ての罪を全部清く洗ってくださった そのおかげで
悔い改めた人には精霊様が来てくださって 新たに生まれさせてくださり
昔のもともとの姿を回復してくださった。 ですから精霊様が来てくださった方には
救いがあり 命があり神の子供であり天国の旅です。
しかし命がなければ精霊がなければ命がなく天国に行けることはできません。
もう一度精霊様はイエスキリスト十字架が自分のためだということで 悔い改めてイエスキリストを受けてた人には精霊様がその心の中に来てくださる。
なぜならその心が清くなったからです。 精霊様は命だから精霊様が来てくださった人には命が来てくださったんです。
これを私たちに教えてくださる旧約聖書には素晴らしい幻があります。 これがエジケール37章で枯れた骨の幻です。
神様がエジケールをあの谷に連れて行きます。 その谷に行ってみれば
はなはたしく枯れた骨がいっぱいあります。 みなさんはなはたしく枯れた骨がいっぱいある
これが何だと思いますか? これが今この世と同じだということです。
死の谷、呪いの谷。 そのところで神様がエジケールにこの骨にあなたは言葉を語りなさい。
そして美言葉を呼び出したら、それで美言葉が入っていくならこの骨が立ち上がって
それをくっつけて、その上に金属がつけられる。 しかしその中に命の息が見えない。
だからまた命の息にあなたは対弁しなさい。 それで語ったらその中に命の息、精霊が入っていくなら
その人はもう大きな軍隊になった。 これがエジケールの幻の話ですけど皆さんご存知でしょう。
この中で枯れた骨は神様から離れているイスラル民の姿です。
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罪によって命がない。 枯れた骨になった民に美言葉が入っていて、その美言葉を受け入れて悔いを改めるなら
また精霊が入るなら大きな軍隊になるように。 これが神様が人を生かす、人を救う方法なんです。
ここで大事なのは、十字架でこの罪を解決してくださる 素晴らしい神様の御業があるんですね。
ところがこの精霊がどのように働くのか。 枯れた骨に美言葉が入っていくこと、またその中に命の息が入っていくこと、このすべては祈りでできます。
ですから神様はイエス・キリスト十字架によって罪を許され、救われて神の子供になったキリスト社には祈りの力を与えてくださいます。
ヨハネ中6章24節にはイエス様はこう言います。
今まであなたたちは私の名によって祈らなかった、求めなかった。 しかし求めなさい。そうすれば与えられる。
それならあなたたちの喜びが満ちあうれるだろう。 ですから私たちは何があってもどんな問題があっても祈らなければなりません。
個人的にキリスト社たちにルカの中1章9節から13節が与えられています。
求めなさい。そうすれば与えられる。 求めなさい。そうすれば与えられる。
求めるなら聖霊も与えてくださると言います。 また教会、共同体に祈るならマタイの中8章18節に
はっきり言っておこう。あなた方が地上でつなぐことは天上でもつながれ、 あなたたちが地上で説くことは天上でも説かれる。
地上で祈る人に主導権があります。 地上で祈る人がつなぐならつながれる。説くなら説かれる。
神様が世の中のすべてのことに対する主導権を神の子供たちに与えてくださると言います。
これはすごいパワーではありませんか。 祈ることが素晴らしい。
皆さん赤ちゃんが泣くならお母さんが 動き始めます。働きます。
神の子供が祈るなら神様が働きます。 同じ権利です。
ですから聖霊様の働きは個人であり教会であり 神の子供の祈りによって成し遂げられます。
特に今日は一緒に分かち合いたいのは 共同体の祈りの大事さです。
共同体、教会が祈るなら 個人の祈りでは想像もできない
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驚くほどの神の御業が行われます。 その事例が今日読んでくださった
始祷行伝中2章の記録であります。 始祷行伝中2章では初代教会の神徒たちの危機の状況が発生しました。
ヘロデ王という狼よりもっと狡猾なユダヤ人の王がいました。 この人はユダヤ人でもないのにユダヤの王になっているから
世の中の人々の信任を得ることはできませんでした。 だからユダヤ人があちこちで反対運動をします。
彼の悩みはどうすればユダヤ人の心を得て 長く長く自分だけじゃなくて自分の息子と孫まで
ずっとユダヤ人の王を長く長くできるかということが一番悩みでした。 だからいつも考えます。
ユダヤ人たちが何を願っているかな。何を願っているかな。 それをなんとなくうまく成し遂げてあげてその人気をもって信任をもって
ユダヤ人の王を長く務めたいと思うんですね。 しかしユダヤ人の話を聞いてみれば
最近イエスという異談によって悩んでいることをわかりました。 だからイエスを迫害しイエスさんは信じる人を迫害し
教会をなくしてしまえばユダヤ人たちが喜ぶんじゃないかと思いました。 そして教会を迫害してみればユダヤ人たちの動きが違います。
それで教会の使徒という役部を捕まって裁判もしないで殺してしまった。 そしたらユダヤ人たちが大喜びをします。
ああそうだ 教会を迫害すればユダヤ人の心を得るんだ。
そして彼は続けて教会を迫害しようとして今度は使徒ペトロを捕まえました。
しかし次は杉越の祭りなのでその日は殺すことができなくて少し待っている状態です。
皆さんこのようにどうしようもなくやられっぱなしの初代教会 教会はどうすればいいんでしょうか
皆さん教会は何をもって迫害する相手と戦いますか 反対運動しましょうか
デモしましょうか もう裁判に訴えましょうか
そうじゃなければワイルを使ってなんとなく誤魔化しをしましょうか 教会が何ができるのか
教会の最高の武器は祈りなんです それも個人の祈りではなく共同体の祈りです
ですから首相芸伝中二症では繰り返し記録しています 中二症骨折こうしてペトロは牢に入れられていた
教会では仮のために熱心な祈りを神に捧げられていた 中二症中二症ヘロデはマルコと呼ばれていたヨガネの母マリアの家に行った
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そこには大勢の人が集まって祈っていた ヘロデ王の箱買いの中で教会が生き残るために何をしたのか
みんな集まって祈っていた 祈る時神様が働かれるんですけど神様は神様の見つかりを使わせます
そしてペトロを解放します 皆さん天使が神の見つかり天使がペトロを救うんですけど
16人の兵士が4人組で4組に分けて そしてペトロを後退で彼を守っています
16人が4後退で守っているので 天使が現れて彼たちの目の前でペトロを起こし
牢の扉を開き 彼を連れて出ていくんですけど
それを守っている兵士たちはわからなかった
皆さん霊的な働きを 根的に身体的にそれは理解ができない
それを超えて働きがあるんだということ 私たちはそれを理解していかなければいけないのではないかと思います
神様の見つかりは霊的な働きをするので 世の中的にいろいろ考えてもそれを超えて働くので
目を開けているのでその動きをわからない それをどう理解するんでしょう
神様が用いられる種の見つかりは旧約聖書であちこち働きます サドムとコモラで現れてそれを滅亡する働きをするでしょう
ヨウスワの時に現れて カナンの西浴戦争で働くでしょう
ダニエルの友達のヨウコウロの中で その中でも種から持ち入れた種の見つかりが現れていました
今度はペトロが捕まえていたこの牢の中でも現れて働くんですけど 私たちは想像もできない働きを通して彼を救います
皆さん天使たちは今も働くと思いますか もちろんです
天使たちがどなたなのかヘブライ賞1章14節はこう言います 天使たちは皆
奉仕する礼であって救いを受け継ぐことになっている人々に 使えるために使わされていると言います
救いを受け継ぐことになっている人々 私たちではありませんか
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私たちの危機のとこに天使が現れて助けてくれます その天使の働きは有名な先生たちのメッセージを聞けばたびたび現れて
私たちの中でも皆さんがどこか危機の時 ある方がいろいろ言いますね空港で到着したのに今大変だった
その時誰か不思議に私を助けてくれたとか 皆さん不思議なことがたくさんあります
その人が誰なのか 人のように見えるんですけど
天使です 神様は彼を天使を使わせて
神の民救われて人々を助けるんです じゃあここで大事なのはとにかく私たちが覚えるべきことは
私たちが祈るなら神様が助けてくださるという どんな手を使うのかは神様が自由に働くことです
じゃあここで今日の一番大事なポイント 共同体の力は心を一つにして祈るところで働かれます
ペテルを危機から救われた神様 ところが皆さんヤコブはなぜ助けてくださってなかったんでしょうか
人ヤコブが捕まえてすぐ殺されたでしょ ペテルが捕まえた時には救われました
なぜヤコブのところには救われなかったのか 私がいろいろ考えた中
業界がヤコブが捕まえた時には何の準備もない いきなりやられた状況なので
祈ったという記録は聖書に書いてありません ところがペテルのところには祈ったからいろいろな働きを行ったんじゃないかと思います
皆さんこれはぜひ覚えていただきたいんですけど 業界に神様が祈りによってできる特権ということを与えてくださいました
ところがそれは使わなければ意味がありません 求めなさいそうすれば与えられる
求めなくても与えられるのではありません 求めなさいそうすれば与えられる
求めなければ神様さえもしょうがないということです これが礼的な法則です
自由意志を持っている人間だから私たち自由があります だから私たちが願わなければ神様さえも私たちを助けることはできない
だから願うなら祈りなさいということです 祈るときに神様が助けてくださいます
また大事な一つはマタイの中八書中九節に出てきます またはっきり言っておくがどんな願い事であれあなたたちのうちに二人が地上で心一つにして求めるなら
私の天の父はそれを叶えてくださるよという 個人の祈りと異なって共同体の祈りには
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心一つにして 一つの体のように祈りなさいという条件がついています
私たちがたくさん祈るんだとして 教会が鳥なし祈りをするんだとして
うまくできていない理由それは 心一つにするというところがうまくできていないのではないかと思います
私たちは教会の頭であるイエス様の体の一部分部分です だから一部分部分である私たちは一つになって心一つにして祈るとき
一つの体として神様に祈ることができます 皆さん腕と足と手が
バラバラになって別々合同する そのような体は神様が喜ばれません
頭の指示を受けて 体の部分部分が一体になって一つになって動く
心が一つにして動くそれが神様が一番喜ばれることです しかしこれよりもっと難しいことはありません
私たちは自己中心性があるのでその時その時 自分の考え自分の感情によって相手に対する
妬み 狂騒心
憎しみこのようになって 教会に人がいるんですけど心が一つにまとまらないということが問題なんです
神様は私たちの心の中心を見ておられるのに 私たちは神様のように相手を哀れに思う心で
母の心 良い牧者の心を神様が願っているんですけど
私たちは祈るは祈るんだけど 自己中心的に心がバラバラになって祈ることが非常に多いのではないかと思います
じゃあ今日共同体の祈りで一番大事なのは心を一つにして祈る どうすれば心一つにして集めることができるか
そのような祈りができるのかそうするなら 首都行電注入所でペトロを救ったその働きが今も行われるでしょう
以前私韓国の私の高校 高校は
テニスが一番最強の高校でした 同じ格好の立派な選手が3人がいて
全国で私の時代には全国で名前が知らされている有名な選手です それで格好と格好が戦う時にはその時に
シングルマッチをしてそしてダブルマッチをするんじゃありませんか ところがシングルマッチをしているところで
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この選手の中で一人が私と弱くしている その選手が私に何というのか
彼が負けてほしい 自分は勝ったんだけど彼が負けてほしいっていう話をするんですね
彼が本音を私に言ってくれたんだけど 表面的には私の格好が勝利しなきゃいけない
一致団結して私は勝ちましょうって言うんだけど お互いに自分はもっと偉くなりたい
競争相手と勝ち抜きたいという気持ちがあったんでしょうか 本音としては彼が負けて私が勝ったから彼が負けてほしいという話をするんです
決して心が一つになるのは非常に難しいんです 競争心があるからですね
これは世の中どこでも同じではないかと思います 業界も同じです
他人の不幸が私の幸せという言葉もあるでしょう 言葉によっては一つになりましょうと言うんだけど
思ってはそう言うけど心の中には私はその人嫌だよ またその人なんとかその関係があまり良くないから
そのような複雑な気持ちを持って 私は一生一生とかなんとか言葉を使います
心の中心を見ておられる神様なので そのような境界は界部的には一つになるように見えるんだけど
結局バラバラな境界と同じです 今私たちの境界は開拓してもう何年経ってない状態ですからそんなことはないんですけど
心の中心を見ておられる神様の前で 境界・共同体の心が一つになることはどれほど大事なのか
神様はイエス・キリストの心で一つになっている境界を願っておられるんです じゃあではどうすればいいんでしょうか
自分を捨ててお互いに愛すること その時力強い力が与えられるんですけど
どうすればこれができるのか もし皆さん境界の中で他の方に対して美しくない心を持っておられるとか
競争心を持っておられるとか憎しむ心を持っておられることがあるなら 悔い改めながら相手を祝福してください
また許しながら祝福してください また祈りながら思い存分祝福してください
祝福し続けるなら 心が近づくそしてだんだんだんだん一つになることがわかるでしょう
牧師である私はいつも神様から取り扱ってもらいます 私が自己中心的な考えをするか
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また神徒たちに対してふさわしくない美しくない心を持つなら 神様が非常に悲しまれることを私が感じます
神様が嫌がれることを私が感じます だったら私は直ちに悔い改めて相手を祝福します
そして牧師はみんなを愛するように神様を訓練されます だから皆さんもしかして牧師が私を嫌がるんじゃないかと思われる方は
そんなことは一切ありません だからそんなことを考えないでください
神様が牧師を許されないと思います 皆さんにもこのような訓練があるのではありませんか
もし皆さんがある方が嫌で嫌でたまらない だから私この教会離れて他の教会行きたいと思う
もしそんな場合は向こうの他の教会行ったら この教会で嫌がった人を10倍以上もっと嫌がる人を神様がつけてくる
神様が今何をされるのか あなたがすべての人を愛するまで私はあなたを訓練するという覚悟
だからこの教会で嫌がる人を愛ができなかったら 他の教会に逃げたらもっともっと嫌がるような人をつけてください
そこで我慢できることはまだ他に残るわけではない もっともっと嫌がる人をつけてくださる
だから 初めのところで自分がその心自分が中で何か問題があることをわかって
悔い改めながら見事を思ってそれを解決しながら すべての人を受け入れすべての人を愛する人にならなければいけないということです
なぜなら 皆さん
教会はキリストの体ですイエス様の体です イエス様の体は自分だけじゃなくて体のあち部分が私みんなです
私たちみんなが愛し合わなければ教会が一体にならないし その教会を通して神様は何をできると思いますか
だから教会に直されたすべての人がみんなを愛し合うような訓練ができるまで 私たち一人一人を神様が訓練なさるんだということを覚えて
早く自分自身が愛するところに心を合わせて神様の身むね通り実践していく そうするなら神様は私たちを喜んでくださるでしょう
皆さん 初代教会 ヘロデにヤコボが捕まえて殺される時は無防備でした
だからやられてしまいました しかしペテロが捕まえた時にみんなどう思ったんでしょうか
激意識があったでしょう ペテロさえ殺されてしまえば主の教会がなくなるんじゃないか
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それで祈り始めたんです 彼たちの心には競争心 憎しみ 妬む心全くありませんでした
ただ主の教会を生かしたい 神様中心的な心でペテロを愛する心でイエス様を愛する心で一つになって祈りました
だったら驚くほどの主の御業が行われてペテロが救われたように
私たちの教会もこのような心で一つになって祈ることができればと思います
そうするなら 聖霊様が私たちの教会に来られて思い順番に働かれるでしょう
聖霊様が働いたらペテロを老から救い出してくださったように ある方は病気から癒してくださり
ある方は問題から解除してくださり ある方はサタンの攻撃から救われ守ってくださり
みんなが神の命によって生きるように 聖霊の豊かな働きが伴うでしょう
祈りの力はすでに教会に与えられています すでに私たちに与えられています
これから大事なのは教会はその力をどのように使うのか 使うのか使わないのか またどのように使うのかということです
私たちみんながお互いに愛して一つになってうまく使えば 神様がこの教会を通して聖霊の素晴らしい働き
いろいろなことができるでしょう 教会がこれを悟ることができるなら
熱心にやるべきことはイエス様を愛すること また隣人を受け入れ
どんな場面の人どんな境遇の人もみんな許して愛して受け入れて一つになること そこに力を入れるべきでしょう
それでみんな一緒に神様の見こえを聞いて従うなら 今も
初代教会のような素晴らしい働きがこの道教で行われることを信じます 神道教で一生でイスカリーテユーダの問題がありました
その時神道たちは心がバラバラにしやすかった状態で ペテロのメッセージを聞いて彼たちは心一つにして祈った時
ペンテコスのリバイバルがありました 今日私たちのこの教会でこの私たちのメッセージを通して
私たちの教会も神の見言葉を聞いて心一つにしてこれから祈ることさえできるなら 私たちの教会にもリバイバルが来ること私は信じます
ぜひとも私たちの教会心一つにして祈る 教会みんなを愛する教会みんなを大切にして助けてあげたい
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憐れんであげたいそしてみんなが一緒に一つになっていく教会 ぜひともこのような教会を成し遂げていきましょう
そうするなら神様は私たちの教会一番喜んでくださるでしょう そして教会の祈ることはすべて主が成し遂げてくださるでしょう
この祈りの力を思い順分 喜んで発揮する私たちになりましょう
お祈りいたします 神の子供である私たちには特権として祈ることができるこの力を下さいました
精霊様が祈る時働かれるんだと今日学びました ですから個人の祈りも熱心にしますけど
教会に集まって祈ることも熱心にして精霊様が私たちを通してたくさんの働きができるように
神様ぜひともぜひとも私たちが心一つにして祈ることができる教会にならせてください
イエス様の皆を通してお祈りいたしますアーメン