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2022-02-06 28:43

「霊的な戦いはとりなしの祈りで」2022年2月6日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年2月6日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

使徒12:1-12 そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。

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今日は、「礼的な戦いは鳥なしの祈りで」という題を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
私たちがぶどうの木の生活をするなら ぶどうの実りを実ります。
ぶどうの意味は喜びという意味がありますけど そこに必然的についてくることが礼的な戦いです。
なぜこういうのかということですけど、 皆さん、弥勉中古書の流れをご覧ください。
弥勉中古書の1節から17節までが ぶどうの木の生活についてずっと説明しています。
そしていきなり18節に、「世があなたたちを憎むなら」と言います。
ぶどうの木の生活をするなら 次に礼的な戦いが来るんだということです。
私たちはこの礼的な戦いだけは必ず勝たなければなりません。
弥勉中古書の10節、盗人が来るのは 盗んだりほほったり滅ぼしたりほかならない。
盗んだりほほったり滅ぼされてしまいます。
その初めの例として、創世紀3章でアダムとエヴァが 祝福の園エデンで蛇から誘惑されました。
そこに騙されて、祝福のエデンの園をすべて失ってしまいました。
ですから私たちは、このサタン、悪魔との 礼的な戦いをうまくやっていかなければなりません。
個人に向けられた礼的な戦いは、選択と従順の問題です。
ですから私たちは、考えを通して、言葉を通して、行動を通して、何を選択し、誰に従うのか、
心を守ることが大事なんですけど、 業界に向けられた礼的な戦いは、どのように戦えばいいでしょうか。
皆さん、イエス様の働きは、私たちの個人の信仰と生活と私益の模範であるなら、
業界の模範は何ですか。これは初代業界なんです。 業界は初代業界のようにしなければなりません。
イエス様と弟子たちの共同体が、新しい革袋になるから、新しい武道士を新しい革袋に入れるべきだという、
その見言葉通り、リバイバルが来ました。 初代業界にリバイバルが来たなら、救いの身技が行われます。
じゃあ、救いの身技が行われる素晴らしいところで必然的についてくることが、礼的な戦いです。
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業界に向けられた礼的な戦いは、どのように戦うのか。 業界は取りなしの祈りで戦います。
この良き事例が、使徒行伝12章であります。 ですから今日は使徒行伝12章を通して、
最後の時、リバイバルと大収穫を準備する業界は、必ずあるもの、
礼的な戦いですけど、そこに私たちは取りなしの祈りで勝つんだと、
守るんだことを一緒に分かち合いたいと思います。 今日のメッセージを聞いてくださって、
毎週行われる金曜日の業界の取りなし祈りで、もっと関心と参加をお願いします。
まず一番です。 使徒行伝12章の初代業界に襲ってきた危機、
初代業界はどのように解決したのか。 使徒行伝2章、エルサレムにペンテコステのリバイバルが来ました。
聖霊様が来られました。 業界を建ててくださいました。
そしてこの業界に12使徒、120人の神徒たちが福音を述べ伝え、神様を行われる驚くほどの癒やしと奇跡がありました。
そうしたら、怖いエルサレムの街で、1日5000人、1日3000人の人が集まりました。
皆さん、1日5000人、3000人、その人たち全部どこにいたんでしょう。
神徒たちの家が家庭業界として役割をしました。
使徒行伝2章42節から47節、彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを作るごと、祈るごとに熱心であった。
45節には財産や持ち物を売り、各々の必要に応じてみんながそれを分け合った。
そのようにしたら民衆全体から恋を寄せられた。
こうして主は救われる人々を日々仲間に加え人手にさせてくださったと言います。
皆さん、リバイバルが来て、神徒たちはこのような姿勢で人々を支えていくなら、
教会に人々がますます集められます。教会が大きくなります。
そうしたら、それを一番嫌がる最主張たち、またはユダヤ人たちが、使徒行伝4章では教会の指導者たちを対応して連れて行きます。
また、使徒行伝5章では教会の中で紛乱を起こします。
使徒行伝7章ではステファーノ執事を殺します。
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そうです。神様の驚くほどの働きが現れるなら、必然的についてくることが悪魔の攻撃です。
霊力な戦いがあります。この霊力な戦いをよく見ていますと、
みんな神を信じているという人々を通して、教会の外から教会の内部から絶えずトラブルを起こします。
ここに教会がうまく対応できなければ、教会は分裂され、また教会が消えてしまいます。
そんなことは絶対あってはいけないから、教会は心を一つにして力を合わせて祈らなければいけません。
神様は信徒たちの祈りを聞いてくださって、神様が働かれて悪魔の攻撃から教会を信徒たちを守ってくださったんです。
この一つの事例として、使徒経典中二章の事例を分かち合いながら、私たちもこれからどのように教会を信徒たちを守っていくのか考えていきたいと思います。
使徒経典中二章1節2節を見ますと、その頃ヘロデ王は、教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
ヨワネの兄弟ヤコブを剣で殺したと言います。大変なことがあります。
皆さん、私たちの教会中二家族があるんですけど、その中で誰か一人を殺して、もう殉教者が現れた。教会どうなると思いますか。
教会、大変な緊張するようになりますよね。またそのような教会、人たちが集められますか。
大変です。ここでヘロデ王が登場します。皆さん、ヘロデ王の名前はイエス様が来られた時もヘロデ王でした。
また、初代教会の時代にもヘロデ王の名前が現れます。ヘロデ王は長く長く生きたように見えるんですけど、そうではなく、
ヘロデ王とヘロデの息子、また孫たちが後についてイスラエルを支配したということです。
ところがヘロデ王はユダヤ人ではありません。エドム人、エッサオの子孫です。
エドム人であるヘロデ王がローマの皇帝に閣立って、イスラエルの王になったんです。
ユダヤ人ではない人がユダヤ人の王になるから、ユダヤ人の反発がひどかったでしょう。
ヘロデ王は神殿を作ってユダヤ人の心を勝ちました。それがヘロデ神殿ということです。
それにもユダヤ人たちがうまくついてくれなかったんです。
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ですからヘロデ王の子孫たちはどうしたらユダヤ人の心を得ることができるか、いつも悩んでいるところですけど、
その中でユダヤ人たちはユダヤ教ではなくキリスト教に反感を持っていることをわかりました。
イエス様を信じるか、昔々の伝統通り信じるか、その中で反感があることをわかって、
それでキリスト教の使徒の中で一人であるヨハネの兄弟、ヤクブ使徒を殺しました。
そうしたらユダヤ人たちが非常に喜びます。ヘロデ王はわかりました。
ああ、キリスト教を迫害するならユダヤ人たちの心を得ることができるんだ。
だから次に彼たちのリーダーであるペテロを殺そうとして、ペテロを逮捕したんです。
ところがちょうどその時期が杉越の祭りの時期だったんです。
杉越の祭りの時期に人を殺したらいけないから、捕まえておいて、杉越の祭りが終わったらペテロを殺そうと思います。
そこにヘロデ王の関心がどれほどあるのか、ペテロを守るために16人の軍人、兵士たちが投入されて、
4組で24時間監視をするんですけど、兵士とペテロを足を縛って絶対逃げることができないように監視するところです。
皆さんもしこのようにヘロデ王がユダヤ人の心を得るために、キリスト教の人たち、神道たちをみんな捕まえて殺すんだとするなら、
イエス・キリストの福音はどうなるんでしょう?教会はどうなるんでしょう?
また、リーダーであるペテロが殺されてしまうんだったら、誰が教会を導いていくんでしょう?
これを見てますと、キリスト教が抹殺されるべき危機に直面していたんです。
このような時に教会はどうすればいいんでしょう?
教会は力もありません。権力もありません。教会はお金もありません。影響力がある人もいません。
今の雰囲気はみんな捕まえていって殺される雰囲気だから、教会はもう行かない。私は逃げてしまおう。
みんな逃げてしまったら、教会はどうなるんでしょう?
みなさん、教会は何を持って、巨大な政治権力、宗教の権力の前で教会を守ることができるんでしょうか?
教会は何にもないように見えます。しかしみなさん、この世の中で誰も持っていない大きな力を教会が持っているんですけど、
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これが神様の力、神様の助けなんです。 その力のために教会ができることは何でしょうか?
これが祈りなんです。 首都教典中二症古説中二説、教会では彼のために熱心に祈りを神に捧げていた。
また、そこには大勢の人が集まって祈っていたと言います。 教会が集まって熱心に行う祈り、持続的に行う祈り、これが取りなしの祈りなんです。
古説に熱心に熱く祈っていたと教えてくださいます。 ところが教会が祈るんだって、当時ヘロデ王の政治権力の前で
どんな効果があるんでしょうか? あります。
ここに私たちも人たちが持っていた信仰をぜひ持っていきたいと思いますけど、 シト・パウルはこう言いました。
第二コリント中症四説に、私たちの戦いの武器は陸のものではなく、神に由来する力であって、
要塞を破壊する、そこにするのに足ります。 教会が持っているこの神に由来する力は、これが祈りの力なんです。
祈りがすごいのは、祈りを聞いてくださる神様、応える神様がすごいお方だからです。
神様は不可能がありません。 海を分けて自分の民を、海を陸地のように歩いて渡される方、
太陽と宇宙を止められるお方です。 死んだ人を生かされ、癒されない病気がない、不可能がないお方です。
そのお方の力を教会がどのように得るのか、祈りで得ります。
キリスト社の特権の中で一番大きな特権は、祈りの答えの特権です。
マタイの七書七説、求めなさい、そうすれば与えられると言います。 求めなさい、そうすれば与えられる。
ヨワネの中六章二十四説、今まであなたたちは私の名によって何にも願わなかった。
願いなさい、そうすれば与えられ、あなた方は喜びに満たされると言います。 神様は私たちに祈りなさいと言います。
ですから私たちは何より祈らなければいけない。 祈る責任があります。
では2番目。ところが今日の聖書は誰が祈ったと言いますか。 七道行伝中二書五説には教会が祈ったと言います。
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皆さん、教会は神徒たちの集まりです。 これは神徒たちが集まって取りなしの祈りをしたということです。
教会の力と教会の問題のすべての解決の方法がここにあります。
マタイの中八章、中八説から二十説、これは非常に大事な聖書ですけど、はっきり言っておく。
あなた方が地上でつなぐことは天上でもつながれ、 地上でつながるということは地上で祈るということです。
あなた方が天上で説くことは天上でも説かれる。 またはっきり言っておくが、どんな願い事であれ、
あなた方のうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、 私の天の父はそれを
韓国の聖書ではその人たちのために叶えてくださると言います。 二人また三人が私の名によって集まるところには私もその中にいるのであろう。
皆さん個人の祈りは力があります。 しかし教会が心一つにして行う祈りはもっともっと力があります。
二人また三人が祈るということは教会が祈ることを意味します。 個人が銃を一発撃つことと、みんながいっぺんにある地点を見て銃を撃つこととは違いがあります。
銃一発とミサイル一発の違いがこの違いだと言いましょうか。 この働く力の次元が違うということです。
個人の祈りと教会の鳥梨の祈りは威力が違うということです。 心一つにして捧げる共同体の祈りは神様が喜ばれる祈りだから反応する速度も速いし威力も違います。
ぜひとも鳥梨祈りを通してキリストの福音が妨げることがないように祈らなきゃいけないし 教会が神徒たちが敵の攻撃から守られるように教会は祈る責任があります。
では3番です。 鳥梨祈りの威力はどのように表れたんですか。 これが今日読んでくださった使徒行伝中二章6節から中1節までのことです。
杉越の祭りの最後の日。 次の朝になればペトロは死刑にされる日です。
ところがペトロを見てますと眠っていったと言います。 明日殺されるペトロがその状況で眠られるんでしょうか。
ところがその時主の天使が現れました。 皆さん天使はヘブライ賞1章14節を見ますと救われた神徒たちに使いようとして神様から使わされているしもべです。
18:07
天使がローに現れたらローの中が明るくなりました。 ところがその明るさの中でペトロは続けて眠りについています。
そしたら天使がペトロの脇腹をつついて起こしたと言います。 そして急いで起き上がりなさいと言います。
そしたら不思議にペトロを縛っていた鎖が自然に解かれてしまいました。
守っていた兵士がいたんですけど、兵士とペトロの足を今まだ縛っていたはずなんですけど彼たちは何にもわかりません。
天使がペトロに帯を締め履物を履きなさいと言いました。
本当にこれはあり得るんでしょうか。 その夜は杉越祭りの最後の日の夜でした。
皆さん昔々パラオのエジプトから苦しんでいるイスラエルの旅立ちが杉越の祭りの最後の日
エジプトから出張エジプトができたように、今杉越祭りの最後の日にペトロは神様が行われる超自然的な奇跡によって
ヘロデ王の手の内から解放されるようになりました。 ペトロが天使について行ったとき監視していた
軍人、兵士たちを傍に通るのにも何の制止されることもありませんでした。
外に出るこの鉄の門がしっかり閉まられたんですけど、ペトロが前に出たら自動ドアのように
もうすーっと開かれてしまいました。 本当にペトロはこれが夢なのか本当なのか
区分ができませんでした。 聖書は彼が幻を見ているのかと思ったそうです。
外に出たらその時ペトロはパッと気がつきました。 そして彼は神様が天使を通してヘロデ王の手と
ユダヤの民の目論みから自分を解放してくださったことを悟るようになりました。
皆さん本当にこんなことはあり得るのでしょうか。 この働きが本当にあったと皆さん信じますか。
神様がなさるならいくらでもできます。 もっと大きな働きもできます。
ところがここで大事なのはこのような働きがあるように神様が働かれるように
教会が取りなしの祈りをしたことこれが大事なんです。 私たちの大胆さは私たちの祈りを聞いてくださる
21:09
神様がおられるんだということを信じることです。 第一弱音古書14節
何事でも神の御心にかなうことを私たちが願うなら神は聞き入れてくださる
これが神様に対する私たちの確信であろうと言います。 私たちの確信私たちが信じていることは何ですか
私たちが神様に祈ったら神様は聞いてくださり解決してくださるんだということです。
それが神の子供である私たちがいつも持っていかなきゃいけない 確信であります
脱獄したペトロが首都行伝中任書中任説を見ますとマルコの母の名前がマリアですけど
マリアの家、皆さんこのマリアマルコの母の家はペンテコステのリバイバルがあったその家です
そこに大勢の人が集まって祈っていたということです その家に行って門を叩きます
その時ロデという下部が門を叩く声を聞いてどなたですかと聞きます
だったら私ペトロですと言います。ところがその声を聞いた女下部とそこに集まって祈っていた人たちの反応
この後これがおかしいんです ペトロがどうしてこの外に通されるか今ヘロデ王から厳しく監視されているんじゃないか
たぶんペトロではなくペトロを守っている天使かもしれないと言います 自分たちが祈っていたのに祈りを答えとして成し遂げたことを自分たちが信じない
皆さんこれがいつあったんですか 先例者ヨハネの父ジャカリアが自分が祈ったのに祈りの答えとして先例者ヨハネが生まれるという話を聞いて信じなかったことと同じことが起こります
皆さんそれほど神様が行われる超自然的な働きは 私たちが理解するまた信じることに難しい
そのことなんですけど神様は教会を祈りを聞いてくださってすぐ答えてくださったんです
皆さん教会の力は祈りに応えられる神様の力です 教会が何を誇りますか神様を誇ります
神様の力を誇りますけどその神の力は私たちの祈りを通して働かれるんです
また18章19節 またはっきり言っておくがどんな願い事であれあなたたちのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら
24:08
私の天の父はそれを叶えてくださる その人のために叶えてくださると言います
ここに教会の祈りには神のご臨在の約束 祈りの応答の約束またその人のために成し遂げてくださるという約束がついています
ところがなぜ今まで教会はこんなことがなかったんでしょうか なぜなんでしょう
私はそのことをいろいろ考えたんですけど 神様を信じる信仰の問題もありますけど
何か神徒たちの心が一致できない一つになれない 別れていて祈るんですけど心がバラバラな場合が多かったです
皆さん夫婦も心が一つになることがどれほど難しいでしょうか まして教会共同体が心が一つになること
これが難しいでしょう ですから今までこんなことがあまりなかったのではないかと反省しています
しかし今私たちの教会は違います 私たちは今までそのような教会ができることを夢見てきたんですけど
今やっと私たちにもそのような働きができそうなそのような雰囲気ができました
心一つにして一緒に祈ることができる その礼儀的な雰囲気が今私たちの教会やっとできているのではないか
これが神様の祝福の中で祝福だと思って 私たちの教会を私はいつも誇りに思っています
鳥梨の祈りで心一つに集まることができる教徒体は本当に素晴らしい教会です
皆さん教会が大きいんだってそれが神様を見るのに立派な教会ではありません
神徒たちの人数と関係なく心を一つにすることができ また祈ることができる教会が神様の見舞いでは一番素晴らしい立派な教会です
その教会は礼儀的な戦いに勝つ勝利の教会 最後の時用いられる教会です
私たち教会はぜひともこのようになっていって 続けてこの状態を維持していきたいと思います
願わくは手術礼拝だけではなく 金曜鳥梨の軌道の集まりでも私たちの心を集めましょう
そして教会の中にある様々な問題 また教会を攻撃する敵の攻撃から
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私たちを守り神徒たちを守り教会を守り コロナから守り安全て幸せな教会
また主の最後の希望 リバイバルと大収穫に用いられる教会になることを切に祈ります
皆さん教会の祈り 教会の力 教会に対する礼儀的な戦いは鳥梨の祈りで戦います
ぜひとも覚えていただき力を合わせていきましょう お祈りいたします
主よ 教会が繁栄して幸せになるなら
必ず訪ねてきてダメにしようとする敵の攻撃 どうすればいいのか教えてくださってありがとうございます
教会の力は私たちの祈りを聞いてくださり働いてくださる神様の力です
私たちには何にもないんですけど心を合わせて一生に祈ることができる これがあります
鳥梨の祈り それで神徒を守り教会を守り地の果てにまで福音を述べていられる教会にならせてください
願わくはチャールズ・ピーニーに与えてくださった祈りの礼を私たちにも与えてください
そして鳥梨祈りに強い私たちの教会にならせてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメン アーメン
28:43

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