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2016-06-05 31:37

2016/06/05:神の協力者

2016/06/05 聖日礼拝

尹善鎬牧師

コリント人への手紙第一 3:1-9

00:01
皆さん、おはようございます。
今日、朝ですね、雨とか風が強かったんですけれども、よくいらっしゃいました。
では、メッセージに入る前に、隣の方々と挨拶しましょうか。
おはようございます。よくいらっしゃいました。
それでは、一言お祈りいたします。
私たちは、神の協力者であり、あなた方は、神の畑、神の建物でしたね。
神様、今から、神様の御声に、心を大きく開いて、口を大きく開けて、お聞きいたします。
詩をどうぞ、お語りください。
あなたの御言葉は、私たちの人生の光であって、灯してあります。
どうか、我らの先の道を、真昼のように輝く、あなたの御顔の光を、照らし、命で満たして下さい。
イエス様の御名によって、お祈りいたします。
アーメン。
はい、これぞ別の手紙のメッセージが続いていますけれども、ある統計をですね、資料を目にしたことがあります。
このメッセージと繋がっていますけれども、2011年、日本と中国、韓国の国立大学で、各国の20代から40代の男女を最初にして、
特に主に、精神的なストレスの実際を調査をしました。
その中にですね、孤独とか離婚とか様々な項目がありましたけれども、その中にこういう質問がありました。
あなたは、人によく目覚めを感じますか?という質問でした。
全満点で、10位から言いますと、韓国人3.7、中国人3.4、日本人、一番低いですね、3.0でした。
わずかな差なんですけれども、皆さんはいかがでしょうか?
例えば、誰々さんが本当にうまくできていて、うまくいったら、喜んで祝福しますか?
ある人が他の人々に認められて、褒められて、そしたら、いくらに心から喜んで褒めていますか?認めていますか?
03:13
引きずり下ろしていますか?あるいは、妬んでいるでしょうか?
個人としての手紙は、私たちにとても実際的な教訓とアドバイスを教えています。
パウロ先生は、個人と教会の信者たちに、霊に属する人、肉に属する人がいるということを、
密から非とから何回も繰り返して話している中で、個人と教会の信者たちが、
自ら自分たちが今どのような状態にいるかを思い起こして、そして気づくように導いています。
これはただ、パウロ先生が本当に怒って怒っているわけではなくて、
制度の目的とおりに、教制と指導するためのアドバイスであって、忠告であって、報告であります。
個人と教会は、パウロが約一年間半、その個人との街に滞在しながら伝道して、
そして神の恵みのうちに建てられた神の教会です。
その後、パウロ先生も当から離れて数年の時間が経ちました。
そうであれば、教会が全体的にあらゆる面において成熟して霊に属する教会、霊に属する信徒になってほしいんだけれども、
残念ながらまだまだ肉に属していると。
今日も二節の御言葉を見たら、私はあなた方には地球を与えて、堅い植物を与えませんでした。
昔ですよ、あの教会が建つあの頃です。
そこが最初でしたから、みんな信じたばかりの子供のような信徒だったから、それはそれでよいかもしれない。
ところがその次ですよ。あなた方にはまだ無理だったからです。
実は今でもまだ無理なのです。
堅い植物を食べる時になっているにもかかわらず、まだミルクを飲ませなければならない。
今皆さん、神様の心は、自分の子供が身長も精神もあるいは言葉も、本当に一年生だったら一年ぐらいの体も精神を持つように、
06:16
6年生だったら6年生、中学生だったら中学生ぐらいに伸びるように親はそう思うわけなんですよね。思うわけでなく育っている。
今神様の心が、パオロ先生の心がそういう心なんです。
ところが残念ながら悲しく、コリンド教会の信徒さんはまだ無理な状態でした。
堅い植物を食べれない、食べにくい状態でした。
コリンド教会の親のようなパオロ先生、神様の心はどれだけ悲しいでしょうか。
私の家族の話をちょっとしますと、2008年に日本に来た時に子孫が2歳でした。
だから日本語はもちろん、韓国語もしゃべれない時なんですね。
それでお姉さんたちが通っている教会でやっている保育園にちょっと無理に預けました。
私は放棄をし、反乱を渡った日本語を学ぶためにそうせざるを得なかったんですね。
ところがそれがしばらく続いていて、子孫は急にお母さんが離れてしまって、そして全然知らない人々に置かれていて、
わけもわからないのに日本語が聞こえてきて、とても不安で不安で、チックの症状もできて、
目も今はほとんどないんですけれども、ものすごくバチバチバチバチバチバチに急にじゅーっとバチバチっていっていました。
爪も噛んでいました。なぜか目の病気も何回も目の病気もありました。
そして言葉もですね 4歳 5歳になってもですね お父さん バババババババババ それがずっと続いていました
韓国語も日本語もしゃべれない そしてお育児が帰ってきて お母さんが見えたら もう抱っこして離れないんです
幼稚園に行ってもですね 1年間ほど 福岡部学院でやっている大きい良い幼稚園に 入れてもらったんですけれども
先生のお話がわからない
例えば先生がさ おはちゃ出してもらったら おはちゃが何かわからなくなって
その場面を子どもがやっていることを見てやる
小学校1年生になっても同じでした 留学会に行ってもですね 授業参加に行ってました
09:04
そして先生が 行儀を出しなさいと そういうふうに何か言ったら 子どもがわからなくてですね
この道ですね そういうふうに来ていて 親の気持ちがとても心配でした
これがもし6年生になっても 中学生になっても 大人になっても このままだったらどうしようという
とても不安な気持ちでした
今はですね 元気よく遊んでいますけれども
でも まだ日本語を十分には 理解していないような気はします
パオロ先生のこの気持ちは 私はちょっとね 理解できるかもしれないと思います
パオロのその気持ち パオロ先生にとってはですね この高齢児童協会は定義的に
この例の子どもをですね 自分が生んだ子どものような協会
その親と一人一人が 自分の子どものように すくすくと伸びてほしいなと思うわけなんですよね
祈るわけなんですよね
とっても言葉を教えて 間違ったところを強制するわけなんですよね
ところが 実は今でもまだ無理なんです
3節ご覧ください 一緒に見ましょうか 3節
3 はい あなた方はまだ肉に属しているからです
あなた方の間に 妬みや争いがあることからすれば
あなた方は肉に属しているのではありませんか
そしてただの人のように 歩んでいるのではありませんか
パオロ先生は 高齢児童協会の親徒さんが まだ肉に属している
ただの人のように 歩んでいるのではありませんかと
彼らはこの手紙を受け取って読まれるときに とても心が刺されるように辛かったかもしれません
ところが 親は自分の子どもが間違っていたら 強制するために質疑をする
教えるわけなんですよね
ところが 特にこの高齢児童協会が 肉に属しているというふうに
パオロ先生が言ったのは その理由は 彼らの間には妬みや争いがあった
妬みや争いがありました
そしてみなさん この妬み 妬みと争いは ペアのようにいつも一緒についているんですね
争いが起こるところをよく見たら そのコンテを見たら
そこに妬みとか妬みがあるんです
二人であろうが 三人であろうが 三十人であろうが
12:00
逆に妬みや妬みがある そのグループ集団には 必ずのようにそこには争いが起こったり
また 党派心が起こったりするんですね
私は大学のときに 日本語学科でしたから 以前も申し上げたように
四十人のうちに 男の子は十人 八人ぐらいで 他は全部女の人ですね
四年生のときにクラス委員を 無理に頼まれてやりましたけれども
三十人の女性たちは だいたい一五人で分派だったんですね
なかなか一つに立ち入らないんです
何かをげみをしよう 卒業の作品を取りまくる
なかなか一つに口も間ではない
一年間大変でした それで二度と こんなクラス委員会を絶対しないと
特に女性の多いグループには 絶対しないと思ったところ
教会にはだいたい女性が多い
でも幸いに教会は それほどではないんです
このネザミとトネミは 人間の歴史ぐらい 古い歴史となっていますね
そして政治を組みたら 多くの人々が このネザミや争いのゆえに
自分の人生がつぼれてしまう場合が 多く実は書かれているんじゃないでしょうか
この世紀を見ますと 最初の頃からカインとアゼルの関係を
あの事件を皆さん 思い起こしてみてください
兄弟ですよ
弟のアゼルの生贄の神様が 喜んで受けてくださった
お兄さんカインは 自分の生贄の神様が受け入れてくれなかった
これはもうムカついてですね
それはつまり 自分の弟をネザミなわけなんですよね
そして争いを受けて 自分の弟の命を奪ってしまいました
皆さん このネザミ争いは
たった二人の関係においても 争いを起こしてしまう
実は シャタンのとても強い落とし穴 仕掛けのような武器なんですよね
また 旧約聖書の歴史書に行きますと
あの王 シャオルと ダビデの間にもそれが出てきますね
シャオルは王様なんですよ
身長もでかくて イケメンで 本当に立派な人でした
しかも 自分よりはるかに若い少年で 身長も効くかもしれない
その少年 ダビデがゴリラテを倒した後ですね
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イスラエルの人々がみんな ダビデ ダビデ
あっち行ってもダビデ こっち行ってもダビデ ダビデ ダビデ ダビデ
それで シャオルはどうしましたか
闇に燃えて この子供を殺してやるとですね
おっこけて おっこけて イケメン
イギリスの有名な神学者 シエス・ルイスという先生がいますけれども
この先生が書いた本の中に
人間を堕落させるシャタンの仕掛けの中に
企画意識が最も強い武器だと そういうふうに言っていました
企画仕掛け 比べるわけなんです
この企画意識は私たちの心を破って
生徒が生徒らしく生きられないように
精神も霊も信仰も身体も
生徒は私たちに
みなさん ネタニア争いはとても危険ですよ
触ってもいけませんし 入ってもいけませんよ
時々街を歩いたら 危険 立ち入り禁止とか
入るなとか書いてある そういう看板とかありますよね
聖書も同じなんですよ
今日の御言葉も ネタニア争い 危険 入るな 立ち入り禁止
と 我々に実は警告をしています
ちょっと聖書を開きましょうか
神言の十四章三十一節
三十節です 失礼しました 三十節
十四章の三十節 1075ページです
一緒に読みますね 三十節
穏やかな心は身体の命 激しい思いは骨を蝕む
ここに神科学の訳は 二行目の激しい思いと訳していますけれども
これは大体の英語の生徒を見ても ゼラチン このスッと落ちるのを意味します
それにこれを リビングバイブル 英語もあります 日本語もありますけれども
日本語の訳はとてもわかりやすいです 心にパーンときます
私も読みますね 心が大らかだと長生きし 嫉妬心深いと寿命を危ねます
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わかりやすいですよね 本当にそうなんです
精神科のドクターたちは このネタに その意味は
いつも心を精神を緊張させる ずっと緊張するんですね
人と比べるから 認識中に あるいは自分で比べているから 緊張が続いて続いているから
この精神科のドクターによりますと この嫉妬は人がいちばんエネルギーを使ってしまう
精神的な緊張はこの嫉妬と言います
だからこの真言の御言葉は この通りなんです
穏やかな心は身体の命 心が大らかで穏やかな人は 嫉妬を長生きするでしょう
ところが嫉妬深いと寿命を 自分で自分で縮めていけないんです
ではどうしたらいいでしょうか 皆さん
特にこの嫉妬 どうしたらいいんですか どう扱って どうするにしたらいいんでしょうか
まずもしも心の中に この嫉妬 嫉妬が起きたならば あるならば
これを隠さないことです まず第一段階は隠さないこと
そしてそれを自分の心の中に 自分が誰々を値段でいるということを
その気持ちを認めることが第一段階です 皆さんよく覚えていてください
もしも心の中に誰かに対する 値段での気持ちが閉じてしまったら
すぐに平安が吹っ飛ばされます
その喜びが吹っ飛ばされて 亡くなってしまう
だから今 赤信号 危険災難です この中に嫉妬ができてしまった
それをまず 私もこの中に今 嫉妬があるとそれを認める
いや私は嫉妬でいない 嫉妬でいない 嫉妬でいない
それは駄目です その次は その次の段階が大事です
神様に行ってそれを告白する 打ち明けることです
神様 私は誰々を妬みたくないんです
ところがなぜか私の心の中に この妬みの気持ちがあります
神様 私の心からこの妬みを取り去らせて 取り除いてくださいと
21:02
その気持ちをありのままを打ち明けることです
皆さん サタンの一番うまいことは隠しです 隠すことです
隠し明神ですね 隠して潜り込ませるんです
だから皆さん サタンは例えば妬みとか 拗ねぬいとかそういったものはしょうがないんですよ
みんな妬んでいるから それは趣味でもないし何でもない
ただ感情だからもういいですよ そういうふうに隠すように
潜り込むようにこのままします
ですからそれは大きな大きな罠なんです トラップなんです
皆さん もしも心の中に妬みがあったら それをおさらかしてみてください
どうなるのか 平安がなくなります 喜びがなくなりますよ
礼拝ができなくなってしまいますよ 祈りすらできなくなってしまいます
心から祈りが出てこない 口から祈りが出てこない
身体はですね 教会に来て座っていてもですね ここの中にはもう寝たり寝れ
もうモヤモヤしている 教会の中でも同じです
もしももしもですよ 冗談によって教会の中に何かの寝たり 嫉妬があるならば
その後はもう見なくても争いが起きます おさらかしてはいけない
それはなぜなら ただおさらい思いをさせられたのであわなく
それは イエス様の体である教会を 敷きてしまうような大きな大きな絶望
悲惨なことをもたらすと だから皆さん
寝たり争いとかそういうものは もうしょうがないという意味だと
放っておくのではなく 神の前に打ち明けて
渡させの心という畑に この寝たり争いの種を巻いて逃げようとする
その沙汰をですね 立ち向かってですね 許してはいけない
そしてそれを剥き切って その身前に打ち明けて
それを癒していただかなければならない
そうしないと ずっとこの寝たりに縛られてしまう
平安な喜びがない
これにとって教会は まだ無理な原因は 寝たりと争いがありました
24:01
どんな寝たり争いだったのでしょうか
四節を一緒に読みましょうか
四節3
ある人が あたしはパオロにつくといえば
別の人は あたしはアポロにと言う
そういうことでは あなた方はただの人たちではありませんか
どんな話ですか 国の教会に
教会の思想を立てたのは誰ですか パオルですね
そしてパオルが離れて その後はアポロがいてですね
聖書を教えました よくですね 聖書を知っている教師でしたから
アポロにですね 簡単に言えば 一代目の先生はパオロ 二代目の先生はアポロ
それにですね ペテロもいました
その中にどなたのか 信徒がですね
あたしはパオロ先生が大好き パオルにつく
いや アポロ先生がもっと素晴らしいでしょ
アポロ先生につく
いや もうペテロさんが一番 もう熱くて一番いいんだよ
ペテロにつく
パオロはアポロはけさは
オシロさんが最下最高
ネタに腹立たれ
この点について 聖書ははっきりと教えています
その次の五説を一緒に読みましょう
五説3
アポロとは何でしょう パオロとは何でしょう
あなた方が信仰に入るために 用いられたしもべであって
主が各々に授けられた 通りのことをしたのです
六説 私が読みます 六説 ご覧ください
私が植えて アポロが水を注ぎました
しかし成長されたのは神です 神
皆さん 神の前には
パオロもアポロも あるいはケパも
人間は何者でもない
ただ神様が主権を持って
最初の時はパオロを用いた
その次はアポロを 用いただけなんですね
そして結論的に 今日の九説に
このように語っています
九説を一緒に読みましょうか 九説3
私たちは神の協力者であり
あなた方は神の畑 神の建物です
どういう意味でしょうか 皆さん
七説八説にあるように
大切なのは 植える者でも
つまりパオロでもなく 水を注ぐ者
アポロでもなく 生と蘇生してくださる神なのです
植える者と水を注ぐ者は一つですが
27:04
それぞれ自分自身の働きに従って
自分自身の報酬を受けるのです
たぶん 国土協会の信徒さんが この手紙が書き送られて
そしてこのようにみんな集まって
誰か一人が台上で 朗読したわけなんですよね
みんなすわとそれを聞くわけなんですよ
コピーしないですし コピーできないわけですから
そのときの国土協会の信徒さんは どんな気持ちだったんでしょうか
もしかしたら 置き換えて考えてみてください
たぶん 私もそうですけれども
さあ 何十人が集まっていたのか 知りませんけれども
たぶん こちらのほうはサウロ派
ちょっと離れて こちらはアポロ派
ちょっと離れて 後ろにペテロ派
そして あちらの次にはイエス派とかね
たぶん 分かれて座っていたわけなんです
見向きもしないですね
そういう意味して たぶん座っていたでしょう
そのときにこの御言葉が言われ
あれはたぶん 食い荒らされたのではないでしょうか
そうなんだ 私たちは みんな制御していると思った
それでお互いに値段で争いがあった
神の教会を傷つけてしまった 委ねてしまった
その後 彼らが制御が贅沢された後
抱きしめて 泣いて 悔やめて 祈ったのか
それは知りませんけれども 起きたかもしれない
教会はイエス・キリストをこちらとして
私たちはその体ですね
この牧師 私も体の一機関に過ぎない
皆さんもそれぞれの機関に過ぎないわけなんですよね
その中で私たちに神様が願われるのは
皆さんは神の私の協力者ですよ
お互いに協力し合っていますか
あなた方は神の畑ですよ
神の建物 この建物は家 教会をさしていますね
皆さん いつもこの意識を持っていただきたいです
私たちは神の協力者であって
神の教会 神のイエス・キリストの体なんですね
どうか見事な祈り 礼愛 あるいは奉仕
30:00
さまざまな働きを通して
その教会を健全に 強く そして明るく
立てて立てていこうではありませんか
もしも皆さん 教会の中で あるいは外で
何か誰かに対する 妬みとかきこねみとか
そういった闘心が 少しでももしもあるでしょうか
なかったらいいんですよ
でも もしもあるんでしょうか
今はないんだけれども
何かいつか それが起きてくるかもしれませんね
その時に 今日の御言葉を覚えていただきたいです
妬みは必ずのように争いを起こしてしまう
そして 自分自身の人生を破滅をもたらす
寿命を縮めてしまう
平安と喜びがなくなってしまう
最も重大な問題は
神への信仰 礼愛ができなくなってしまうことであります
どうか皆さん 私たちもさらにさらに
御霊に属する人 御霊に属する教会にならせていただきましょう
そして そうだ 私は神の協力者なんだというこの信仰を持って
お互いに認め合い 助け合い 祈り合い
そういう意味ですね
お互いに一緒に主の教会を建て上げてまいりまいり
31:37

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