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今日は、6月に私たちは聖霊様についていろいろ調べたところです。
その中で、教会と各家庭でどうすれば聖霊の働きがうまくできるのかということを一緒に考えていきたいと思います。
旧約時代の信仰生活と新約時代の信仰生活の大きな違いが何だと思いますか。
旧約時代の信仰生活は、立法による信仰生活でした。 新約時代の信仰生活は、聖霊による信仰生活です。
いつそれが変わったのですか。これが今日読んでくださったカラシア書3章中3節と中4節によってです。
イエス・キリストの十字架によって、私たちを罪と地獄から救ってくださっただけではなく、
もっと広い意味で他の目的もありました。 それはユダヤ人の前衆仏と言いましょうか。
ユダヤ人の前衆仏であった神様、救い、天国、また信仰の偉業、このすべてのものが、昔はユダヤ人のものだったんですけど、
それが、違法人である私たちにも持つことができるようにしてくださったんです。
また、違法人である私たちは、アブラモの経歴と全く関係がありませんけど、私たちも神の子供にならせてくださり、私たちに聖霊を贈ってくださったんです。
違法人である私たちに、ユダヤ人が持っている特権がそのまま与えられたのは、イエス・キリストの十字架のゆえであり、
イエス・キリストの十字架を信じるすべての人には、そのような恵みが与えられるようになったんです。
聖霊様がおられるということは、どれほど大きな意味があるのでしょうか。
キリスト教に命があるということは、神の霊、聖霊様がそこにおられるということです。
創世紀2章7節に、もともと人間を土で作ったんです。
土で作っておいて、そこで命の息をふーっと入れました。
そしたら、生きるものになりました。
ここで命の息ということは、非常に大事な言葉で、命プラス聖霊です。
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命の息がふーっと入ったら、土に過ぎない人間が、私たちは生きるものになったということです。
ですから、聖霊様が共におられる人と、共におられない人の違いは、
言葉が変ですけど、土のままの人と、土の中に命の息がふーっと入った人の違いのような違いがあるんです。
これをダビデはよく知っていたんですね。
ダビデは、サムエル・ジョーの17章26節に、コリアテに向かってこんな話をするんです。
生きる神の戦列に挑戦するとは、あの無価値霊のペリシテ人は一体何者だ。
生きた神様が共におられるイスラエル人に、神が共におられないそのような異邦人が挑戦するのはありえるかということです。
生きた神様と共におられる人に、神様が共におられない人が挑戦するのは言葉にならないということでしょう。
ですから、そのような信仰を持ってダビデはコリアテを倒しました。
私たちは、聖霊様が共におられるんだということを、皆さんどのくらい切に今信じているし、それを味わっているんですか。
それがうまくできなければ、今世の中の人々は聖霊様が共におられません。
また多宗教ということは、聖霊様がおられません。
他の宗教とキリスト教はあまり違いがない。
信じる人と信じない人があまり差がない。
私たちはもう理論的な曖昧な信仰になった理由は、聖霊に対して私たちが確かな信仰、また知識を持っていないことではないかと思います。
ですから、私たちは生きている、生き生きする信仰生活のために、何より回復しなければいけないことが、聖霊による信仰生活です。
聖霊様をよく知らなければいけないし、聖霊中万を知らなければいけないし、聖霊の賜物を知らなければいけません。
ですから今日は、神様がくだせたこの驚くほどの祝福、聖霊中万と聖霊の賜物をまず調べてみて、
それをどうすればうまく活かすことができるか、うまく活用することができるか、それを一緒に考えていきたいと思います。
まず一つ目、先週も申し上げましたけど、聖霊中万です。
聖霊によって中万になるということは、キリストシアの一番の祝福であり、独見であります。
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世の中の人とキリストシアの違いは、神様の霊が共におられる違いです。
神様が共におられるのか、共におられないのか、その違いは、先ほども申し上げましたけど、
神様が共におられるモーセと、神様が共におられないパラオと同じです。
皆さん、モーセ一人がエジプトのすべての兵士を倒しました。
モーセ一人がエジプトのすべてのことを全部倒しました。
神が共にいるなら、そのぐらいまでできます。
神様が共におられるダビデが、共におられないコリアテを石一本で、一行で倒しました。
魚人を倒しました。
たくさんのこともいりません。石一本で終わりでした。
神様が共におられるエリアが、神様が共におられない一割の預言者850人を倒しました。
神様が共におられるイエス様は、罪と悪魔を倒して、全人類を救うことができました。
神様が共におられるなら、どのぐらいまで、どこまで私たちの働きができるのか、それは誰も知りません。
どこまでできるのか、私たちの想像をもっともっとできる。
神が共におられるということは、神の霊によって満たされることにできますけど、
神様は私を通してまともに働きができることですから、
聖霊10万は、私たちが今担っている世の中のすべての問題を解決することができる神様からの力です。
この驚くほどの特権を旧約の聖書では何人の人だけが味わいました。
しかし、新約の私たちには、キリストの十字架の恵みによって悔い改めて信じるすべての人がそれを味わうことができたんです。
ですから、新たに生まれて、新しくなった私たちが最善を尽くして求めるべきことは、聖霊10万です。
先週、2つの聖霊10万があると申し上げました。
内的聖霊10万。私のうちにおられる聖霊様に敏感に反応して従う。
これによって内的聖霊10万ができます。
内的聖霊10万になったら、人が変わります。人が成長します。
そして、イエス様のように聖霊の9つの実りを持つ立派な人になります。
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本当に立派な人になります。
ぜひ、私たちこのようになりましょう。
また、聖霊10万。上からの力によって満たされる聖霊10万です。
これは、毎瞬間、私たちが神様に祈ることによって聖霊10万をいただくことができるんです。
そうしたら、その力で解決できないものは何にもありません。
だから、上からの聖霊の力、聖霊10万が必要です。
この内的聖霊10万、上から臨む聖霊10万。
これによって、イエス・キリストが福音書で行われた全てが、私たちにもできるようになっているのです。
ですから、人たちは使徒行念で、どこに行っても祈りが大事だと。
そして、祈りの場所を探したんです。
どんな町に行っても、祈りの場所をどこにしようか。
もう、ユダヤ人の街道があったら、そこが一番いいですね。そこに行って祈ることができる。
そうじゃなければ、もう、イオン人の地域でも祈る場所を探しました。
ピリッポに行って、祈る場所を探しながら、ルディアに出会いました。
ルディアが、自分の家を教会で使ってくださいと言って、ピリッポ教会がルディアの家から始まります。
こんな素晴らしいことがありました。
だから、使徒たちが祈るたびに、精霊に満たされる。
精霊に満たされたら、閉ざされた道が開かれました。
だから、どこに行っても祈って、そして、天道福音の働きができたんです。
私たちも、私たちの力、理性、知性、熱心、今まで自分の経験、そのことによって全てをやるんじゃなくて、
精霊の充満、精霊の力をいただいて、働くことを学びましょう。
そうするとき、神様が願われるその働きが、神の力によってできます。
私たちを通して。
だから、精霊充満を求めるのは非常に大事で、
私たちは精霊充満を命じられたことを考えながら、毎日毎日精霊充満を求めましょう。
これは独見ですから、特別な力ですから。
二つ目、信じる私たちは、精霊の賜物について知らなければなりません。
精霊の賜物、賜物ということは、恵みとして与えてくださるプレゼントということです。
それは、第一コリント中二症7節には、
一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益のためですと言います。
私たちの有益のため、私たちを豊かにしてくださるために、精霊の賜物をくださいました。
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しかし、あるキリスト社たちは、精霊の働きとか言うだろう。
いや、多忙死する傾向があります。
大間違いです。
精霊様が私たちのところに来られて、精霊の賜物をくださる理由は、
神の子供たちが、私はこれごとがないから、私はこのことを思っていないから、
私は何もできませんという、そのことじゃなくて、
精霊様は私たちに、私たちに必要なことをすべて与えてくださるから、
私はできません、私は無理です、私はそんなことをやったことはありませんという、
この話をやめなさい、と。
精霊の賜物をいくらでも与えてくださるから、
主の宮座もできるし、人生の中でも勝利する人生を持ちなさい、
ということが、精霊の賜物をくださる理由です。
じゃあ、精霊の賜物は、第一コリットの中二章では、九つが書いてありますけど、
この以外でも聖書にはたくさんの賜物があります。
じゃあ、九つの中で、神様が神の頭脳、神様の頭脳を私たちにくださいました。
知恵の賜物、知識の賜物、信仰のパワー、
それによってすべての働きをうまく成し遂げることができます。
また、神の手をくださいました。
神の手ということは、病気を癒す力、奇跡を行う力。
私たち教会は、これから病気を癒す、奇跡を行うことを求めていきましょう。
そうするときに、パワープルなキリスト社員になります。
また、神様は、神の口、神の目をくださいます。
予言、異言、通訳、霊の分別、それによってよく見ることができるんです。
そうするなら、今のような平凡な人生ではなく、
神の力によって生きることができる特別な人生になります。
皆さん、これがどれほど大事なんでしょうか。
このような賜物は、私たちにプレゼントとして既に与えてくださったものですから、
神様がいくらでもくださると言っているものですから、
私たちはこれから活用していきましょう。
イエス様は、人間として来られたとき、
このような賜物を用いて、私たちが想像もできない、奇跡的な働きを成し遂げました。
要は、3章34節を読みますと、
神様がイエス様に聖霊を限りなく与えてくださったと言います。
私たちにも、上から聖霊が限りなく与えてくださるなら、
イエス様のような働きができます。
それは、信じることによって、求めることによってできます。
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それを求めていきましょう。
聖霊の賜物を通して、私たちは何をすればいいのか。
まず、教会の中におられる家族を助けることです。
教会の中の家族を愛して、その方を助けるのに、
神様からの驚くほどの奇跡の力を使いなさい。
また、教会の外にいる人たちに、このような賜物を通して働いて、
その方たちをキリストに導く働きをしなさいということです。
また、それを用いて教会を建てたり、
神様のために使える働きをしなさいということです。
結局、賜物を用いて、
第一の忌ましめ、第二の忌ましめがうまくできるようにしてくださるんです。
また、自分自身の有益のために、威厳をくださいました。
だから、聖霊の賜物は、教会の中の人、教会の外の人、
自分のための、すべての人の有益のために、与えてくださるものです。
ですから、私たちは今まで、
私はこんなことを持てないから、神様この働きできません、
私はこんなこと無理です、いうことをなさらないで、
聖霊の現れと力を期待しながら、
主の働きに邁進していきましょう。
その間、私たちはこの賜物に対して、理解がうまくできなかった。
そして、お互いに比較しながら、妬みながら、葛藤しながら、
それで、一番、私が申し訳ないのは、
天道寺さんに申し訳ないことがいっぱいありますけど、
それは私たちの信仰が幼い状態だったから、そんなことがあったと思います。
じゃあ、これから私たちは成熟した心を持って、この賜物を使いましょう。
私たちにどんな賜物が現れても、それはすべて大事なものです。
たくさん預かった人は、それを誇りなさいと言って預かったのではありません。
たくさん預かった人には、神様がたくさん求めると言います。
皆さん、ダラントンの例えで出てくるでしょう。
コダラントンをもらった人が外に出て、コダラントンを残しました。
そのとき神様は、「よくやったーっ!」と言いました。
二ダラントンもらった人は、「二ダラントンを残しました。そのときも、よくやったーっ!」と言います。
一ダラントンもらった人は、一ダラントンを残したら、「よくやったぁ!」と言われるのではありませんか?
ですから 私はもう小ダランタンなのか 二ダランタンなのか
そのことを比較することではなく
自分に与えられたことをもって 熱心にやればいいんです
聖書はこう言います
忠実な良い下辺だ よくやった
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お前は少しのものに忠実であったから
多くのものを管理させよう 主人と一緒に喜んでくれと言います
多物をよく使う人には 神様から大きな報いがあります
それを考えながら 私たちにある多物をよくよく使いましょう
教会のために また 信徒たちのために 周りの方たちのために
さあ 三つ目に
ところが このような 聖霊の働きを担う私たちは
特に注意するべきことがあります
聖霊様は神様です 主です
ですから 聖霊の多物は 素晴らしいと思うんですけど
それは力がありますけど
それは私たちが神を使うんじゃなくて
神様が私たちをどうして 働かれるんだということを考えながら
私たちはその中で 主導権は神にあるんだ
ことを考えて 注意して使いましょう
これから 私は何項目を申しますけど
聖霊様が私たちの中で
思い存分に働くことができるためには
どうすればいいかということです
私たちがそのようなことをうまくできれば
私たちの中で 聖霊は自由に強く働くことができるでしょう
まず一つ目に 心を清くしなければならない
罪は聖霊様を悲しませます
エペソ4章30節を見ますと
神の聖霊を悲しませてはいけない
あなたたちは聖霊により
あがないの日に対して 保障されているからです
無慈悲 意気通り 怒り 喚き 素知りなどを
全てを一切の悪意と一緒に 捨てなさいと言います
聖霊様は清い霊です
汚いところでは働くことができません
ですから 私たちが悔い改めて 罪を捨てる
清い生活をするなら
私たちの中で 聖霊様は力強く働くことができます
清い人が清い人の中で
聖霊様はもっと強く働くんだと考えながら
自分自身を清める 悔い改める生活をやりましょう
先週も申しましたけど
祈る時 神様の働きはできるんじゃなくて
信じる時できます
だから信仰の祈りが大事
祈る時 神の見合わせが現れるんじゃなくて
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信じる時が現れるものですから
だから恨みの祈り
神様 なぜ私にこんなことをされたんですか
嫌ですとか こんな祈りはダメです
また 不信仰の祈りは何の意味もありません
信仰の祈りが力があります
信仰の祈り
聖霊の御臨罪は
神様が自分のために与えてくださる
恵みであり 特権であります
神様は御臨罪をいくらでも与えてくださると
願っています
私たちはそれを知っているから
信仰を持って 神の御臨罪を求めればいいんです
だから 聖霊様が御臨罪を求めるなら
言いながら 聞いてくださいと言う必要はありません
簡単に
しかし 信仰を持って 短く
聖霊様
短い言葉で来てくださるんです
何とか哀憂するときに
何か嘆きの声みたいに
神様に求めなくても来てくださるんです
信仰が大事です
信仰がないから むしろ大声で語るかもしれません
だから 私たちは人を助けるとき
聖霊様 来てください 来てくださいと言う
信仰を持って 短く
しかし 強く
祈ることによって
聖霊様が来てくださって
人々を助けることができるんだということを
考えてください
聖霊様の望み 望まれることは
信仰が大事です
だから 信じましょう
3番目 聖霊様はいつも死体を求めることが大事です
先週申し上げました
ヨワネン7書37節から
祭りの最も盛大に祝われる終わりの日に
イエスは立ち上がって大声で言った
渇いている人は誰でも私のところに来て飲みなさい
私を信じる者は
その人の内から生きた水が
川となって流れ出るようになる
これはご自分を信じる人々に受けるようになる
聖霊について言われていることだと言います
神様は渇いている人を満たしてください
ですから私たちは
もっともっと聖霊の力
もっともっと聖霊様の恵み
神様の愛を
私たちは上渇きをもって
神様に求めることが大事なんです
アメリカの有名な伝道者
ディエル・ムーディという人がいます
彼はシカゴで立派な教会
成功的な仏会をしているところでした
しかしムーディはそれだけで満足できませんでした
もっともっと強い聖霊の力と
神の恵みを求めました
どれほど求めたのか
聖霊の力 神の恵みを
もっともっと私は豊かに受け入れなければ
24:03
私は生きる希望がありません
生きたくありません
聖霊様来てください
モーセが神の栄光をもっともっと見せてくださいと
同じようにディエル・ムーディは
神様の栄光に対して
聖霊の力に対して
聖霊の力を望んでくださる
今のままでは意味ありません
今私が味わっているこのことは
神様はこれで満足できません
もっともっと来てください
もっと与えてくださらなければ
私は生きる希望がありませんという気持ちで
切に切に求めたそうです
ある日
言葉で言い表すことができない
聖なるご臨在が自分を圧倒しました
その後
彼は世界的な福音伝道者としてもちろん
皆さん私たちが勉強して
今私が使う日本語はほとんど辞書を開いて
今使う言葉なので申し訳ないんですけど
私たちが自分の一生懸命に説教を準備して
一生懸命に努力して
いくら頑張るんだって
皆さんに感動がありますか
説得できますか
なかなか難しいんです
人が人を説得するのは
これは難しいことでしょう
しかし
聖霊様が働いたら
私が何か下手くそな何かを用いて
言ったのに
聖霊様それを用いて
爆発的に働きができるから
結局聖霊様が働くんですよ
だからリエルムーディを通して
聖霊様が爆発的な
世界的な伝道者として使っていく
その秘訣は
聖霊に対する上川家があったからです
私たちも聖霊に対する上川家をもって
私たちの主に用いられる人になりましょう
4番目
聖霊様と共に歩まなければいけません
からでは古書25節
私たちは霊の導きに従って生きているなら
霊の導きに従ってまた前進しましょう
霊の導きを受ける
聖霊様は私たちは人生の方向と道のりを
導いてくださるんですけど
聖霊の導きをうまく私たちは悟るためには
もちろん神の御言葉も
私たちがよく知らなきゃいけないんですけど
私たちを導いてくださる
聖霊様の細かくて静かな御声を聞く耳が必要なんです
その聞く訓練を私は受けなければなりません
ジョン・ウィンバーという先生がいます
その先生はこう言います
神様がとどまりなさい
みなさんこの声が聞こえますか
聖書に神様がとどまりなさいと書いてないから
だから神様が自分に
27:00
あなたはここにとどまりなさい
言ったでしょ
静かでまたこの細かい精密な御声です
神様がとどまりなさいと言った時にはとどまる
神様がやりなさいというところでやる
その先生は御声を聞いて定点的に従ったんです
いつも神の御声を聞いてその通りやったら
精霊様が力を持って来てくださった
その先生は癒しの特別な力を持っているので
病気を持っていらっしゃる人のために祈る時
祈りなさいということは聖書の命令です
だからその先生は祈るんですけど
祈り始めた時には精霊の力を感じられない
しかし祈っている時に精霊様が来てくださって
そしてこの祈りを通して驚くほどの常任部
ビンヤードのムーブメントがあるんですけど
その中で大きな働き
世界的なイギリスではヨハン・ウェスレーの
次に尊敬される人が常任部と言われるほど
癒しの世界では優れた先生
その先生は初めに祈る時には
精霊様の働きをなかなか感じられない
しかし神の命令だから
神様が祈りなさいと言ったから
祈るんですけど
祈っているうちに神精霊様が来てくださって
精霊の働きが強く現れて
そしてその人たちが癒されること
自分はたくさん見たと言うんです
常任部先生はこう言います
私は神様が完全な結果を約束したからではなく
私に病気を持っている人のために
祈りなさいと命じられたから祈り始まる
しかし私が命令に従って祈る時
神様は間違いなく精霊の十万と
精霊の賜物を与えてくださって
癒しが可能にしてくださったと言います
皆さん 私は精霊の賜物
精霊の力がないから何にもできません
ということではありません
神様が命じられたことをやっているなら
精霊様が来てください
やっていないから何にも行わないし
何にも癒しができていないかもしれません
私たちの信仰生活は精霊による生活です
この生活は私たちにくださった神の恵みであり
特権です
精霊十万 精霊の賜物 精霊の油注ぎ
全ては神様の特別な恵みなんです
精霊十万
これはいくらでも神様が
自分の子供たちに与えようとするプレゼントです
求めるなら 信じて従うなら
30:00
いくらでもあらわしてください
私たちは精霊による生活をする時
心の中で平安と喜びがあり
毎日毎日力ある 満ちあふれる
また実りがある生活になるでしょう
結論を申し上げます
精霊様が来てくださった理由は
私たちを助けるためでした
精霊十万によって 精霊の賜物によって
私たちは他の人を助け
他の人を生かすことができるんです
しかし注意しましょう
私が精霊様を使うのではなくて
精霊様が私を使ってなさるものですから
私たちはPLを祈って聞いて従う
そして精霊様が私を使ってくださるように
渡すことが大事です
精霊の力を体験した人はいつもこう言いました
パオロがコリント教会に行った時
第一コリントの2章3節4節 こう言います
私がコリントに行った時
衰弱して恐れて不安でしたと言います
人がこんなに衰弱して恐れて不安になる理由は何ですか
精霊の現れと力があることとない働きを
自分はいろいろ経験して
精霊の力 現れがある働きがなければ
コリント教会は全然できない
だったら精霊様が現れなければどうするのか
だから自分はいつも心がボソッとなって
衰弱して恐れて
そして自分は精霊様来てください
ここで精霊の働きを表してください
主の栄光を表してください
祈ってコリント教会を開拓し
ピリッポ教会を開拓し
ガラディア教会を開拓し
エペス教会を開拓し続けたということです
精霊様が来てくださればできます
精霊様が来てくださらなければ
力がある人でもできません
私たちも同じなんです
小さな私たちの群れですけど
精霊様が来てくださるなら
日本を救うことができると信じます
しかし精霊様が来てくださらなければ
千人が集まって一万人が集まったとしても
何にもないと思います
結局精霊様です
私は切に祈るのはコロナによって
今東京都知事が入院したという話を聞いて
リーダーの立場の人の苦しみ
総理の
私の最近総理を見て可哀そうに見えるんですね
本当にどれほど辛い思いがいっぱいあるんでしょうか
反対運動もしてるし
オリンピックもやらなきゃいけないし
皆さんこの立場になってみなければ
リーダーの苦しみは分からないでしょう
33:01
私は切に祈るのはコロナで苦しんでいる日本
オリンピックをやらなきゃいけない日本
主を聞いて助けてください
救ってください
私たちは日本を愛するなら
そのような祈りを起立としてはやるべきではありません
ぜひともぜひとも
精霊様日本に来てください
日本がこれをうまく成し遂げて
日本がもう一度リバイバルして
全世界に福音を述べされる国にならせてください
という祈りです
お祈り出します
神様6月を通して精霊様を教えてくださってありがとうございました
私たちは理論的な信仰では今うんざりです
もう二度もやりたくないほど
今まで理論ばっかりやってきました
今は実際が必要です
精霊の現れと力によって
本当に癒され本当に生かされる
本当に日本が助けられる
この働きを見てみたいです
精霊様来てください
来てください
私たちを助けてください
イエス様の皆を通してお祈り致します