今日は、「子供たちをわたしのところに来させなさい」という対応をもって メッセージを分かっちゃいたいと思います。
今日は収穫・感謝・礼拝、また子供を祝福・礼拝として捧げます。 私たちの信仰生活で
感謝よりもっと大事なことはありません。 詩編50編を見ていますと、それは旅での幕屋のリーダーである
アサプの詩ですけど、 そのアサプの詩では感謝の大事さを教えてくださいます。
感謝をもって神様に礼拝捧げる人には その人が観覧を受けるときに神様が憐れんで助けてくださると書いてあります。
当たり前だと思うでしょう。 みなさんに何かあったときに、みなさんがどんな人を先に助けたいですか。
私を喜ばせる人、 私に何か感謝する人を先に助けたいんじゃありませんか。
神様も同じです。 神様は私たちと同じような人格を持っておられるから、
私たちは神様を喜ばせ、神様に感謝をもっていつも賛美し、喜ばせる人を神様が先に
観覧から苦労から救ってくださる、助けてくださると言います。 ですから私たちは神様に感謝の心でいつも神様に礼拝することが一番大事です。
神様に感謝の礼拝をどのようにすればいいでしょうか。 たくさんのお金を神様に捧げればいいでしょうか。
何か高価なものを買ってきて、それで捧げればいいでしょうか。 そんなことはいりません。
神様はこの世の中の持ち主、すべてが神様のものです。
神様はすべて持っておられます。 だから私たちが神様にこれ以上もっと立派な、もっと素晴らしいものを捧げる必要、
神様はそんなことを願っておりません。 神様が願っているのは私たちの心なんです、心。
心で何を持って神様に進み出て礼拝しているのか。 感謝です。
また、神様だけを委ねることを願います。
私たちはいろいろな手を持って、あちこちいろいろ何か助けを求めながら、神様も助けをください。
神様はあまり喜びません。なぜなら、神様はすべて持っているし、私たちを一番愛しているし、助けるすべてがあるので、
神様じゃなくて他の人、他の手段を頼るのは、神様はあまり喜びません。
全力を尽くして神様を委ねる。 神様だけに委ねることを、神様が一番願っておられます。
またその時が来るでしょう。その時、実践してみてください。 また、神様は
誠意のあるお方です。 神様が一番嫌われるのは、罪、
けがれ、汚いことを嫌がります。
ですから、神様の前に出る時には、徹底的に悔いを改めて、
清めて出る。どのように清めますか? イエス・キリストの十字架の地上に委ねて、主の前に出る。
その人たちを喜んで受け入れてください。 ですから、その人たちが捧げる礼拝を喜んで受け取り、
そして、この礼拝を通して、神の恵みを与えてくださるんです。
じゃあ今年私たちは、神様に何を持って神様に礼拝し、 神様からどんな恵みをいただいたんでしょうか?
神様からもらったことがあったら、感謝することあるでしょう。 何でもないのに感謝しなさいということは、これを無理やり感謝ですよね。
事実は私たちは、たくさんのものをすでにいただいています。
それを覚えて、神に礼拝することが大事です。 じゃあ今日は私はこの中で、私たちが一番感謝するべきことが何か。
子どもたちに対する感謝です。 私も子どもがいます。
子どもたちが、私たちが韓国、まだ日本、 まだ家族はまだアメリカ、
あちこちに行くことに対して、いろいろ環境にうまく適応することができなかったので、難しさがあるんですね。
私は子どもはいつも一箇所で、しっかり一番いい場所で、 一番いい勉強ができればいいんですけど、
あちこち、父が韓国から日本で、なんとかアメリカで、 子どもたちが環境が安定できないから、なかなか難しかったですね。
難しさによって、子どもが何か安定的な勉強をやりたいんだけど、できなかった。
それで今までいろんな苦労がありました。
ところが、町井先生もしっかりお祈りしてくださって、 皆さんがお助けしてくださったし、
私もしっかり祈っていて、今、子どもたちを見たら、 安定的に、自分なりに何かやってるんですね。
もう私は何にもいりません。 それだけでも神様に感謝しかない。
私たちの親の感謝は子どもです。 子どもが良ければ親はもう死んでもいいという気持ち。
私は死んでもいいから子どもだけはうまくやってくださいということが、 親の心です。
だから私たちが一番気にする、また一番感謝することが、 私たちの子どもがうまくできることなんで、
今年私は子どもたちによって神様に感謝があふれています。
子どもたちは私たちの愛の実りであり、将来の希望です。
親は簡単ですよ。 最後に親が幸せになるのか不幸になるのか、これは子どもがうまくできるのか、うまくできないのか、そこに関わっています。
ですから、子どもがうまくできるのが何より大事なんです。
子どもみなさんよろしくお願いします。 親のために頑張ってください。
私たちの子どもがどのようになれればいいのか。 皆さん人生一番大事なことは何ですか。
神様が人間を作ってからこう言われました。 神は彼らを祝福して言われた。
埋めよ増えよ地に満ちて地を従わせよ。 海の上を空の鳥地の上を這う生き物すべて支配せよ。
人間を作られた目的は神様が作られた全世界を神様の代わりに管理する役割です。
神の代わりに全世界を管理する役割。 私たちはそれをうまくやればいいんです。
この世界がうまくできなければ誰の責任ですか。 管理する私たちの責任です。
この世がうまくできればいいんですけど 初めの人間アダムとエヴァがチェンアクの知識の木の実を食べて罪を犯しました。
神は一番愛してたのに神に対して罪を犯してしまって 愛がためになりました。
聖書に怖い話があるんですよ。 罪を犯す者は悪魔に直します。
罪を犯したら悪魔の奴隷になってしまう。 全世界の管理者が悪魔の奴隷になったから
全世界は今誰が王になっていますか。 悪魔が王になっています。
全世界の王が、神様の悪魔が王だって。
何を見ればわかりますか。 悪魔を拝む人は苦情を拝みます。
この世の習わしに従います。 この世のもの、この世の神が悪魔の奴隷。
この世のことを好きになります。 今世の中の人を見てください。
みんなが苦情を拝んでこの世の習わしに従って 自分の欲するままにしながらこの世のことを得られるために精一杯頑張っているでしょう。
だからその人たちは神が天地万物を作られたと思います。 悪魔がこの世の神で悪魔が天地万物を作ったように悪魔を拝んでいます。
私たちの役目は何ですか。 全世界を支配し管理しなさいと言われたから
悪魔が支配するこの世界を神様が支配する神の国としてこれを取り戻しておかなきゃいけない。
それが私たちの人間の存在意味と目的なんです。 そのためにイエス様が来られて最後にあなたたちは言って全ての民を私の弟子にしなさい。
弟子はイエス様に従うのです。 全世界がイエス様に従えば全世界が神の国に取り戻されるでしょう。
そのためにイエス様は私たちにいろいろな働きをしておられます。 ある人はこう言いました。
私は子供がいません。 そうです。
イエス様も子供いませんでした。 シトパウルも子供いませんでした。
イエス様とシトパウルは子供じゃなくて誰がいたのか 弟子たちがいました。
ですから聖書が言われるこの子供は 私たちの子供も含めて弟子たちを考えていいでしょう。
同じようにイエス様は弟子たちを通して全世界を変えておき またそのイエス様の弟子はまたその弟子を通して全世界を変える働きをしました。
初めは全世界が悪魔の世界でした。 しかし福音が述べ伝えることによってだんだんアメリカが変わりイギリスが変わり
ヨーロッパが変わりそして今 アジア上にも福音が入ってきて日本も福音が入って
韓国中国にも入って今中東にも入っていてそれで全世界がだんだん変わっていくのではありませんか。
ですからこの働きをすることが神様が一番願っておられ 私たちはその働きをする子供また弟子を作ることが大事です。
じゃあ私たちの子供たちが世界を変える子供になる そのぐらいのパワーある子供になるために私たちは子供をどのように教育すればいいでしょう。
聖書は見言葉と生理によって教育することが大事だと言っています。
子供教育で一番熱心な方は親でしょう。 ですから子供は親の方針教育方針ということがあってあなたはこのように勉強しなさい
私が行きなさいという格好に行きなさい いろいろ親は子供たちに命令をします。
子供たちが親の要求についていくのに精一杯頑張っておられると思います。
じゃあ親の教育方針格好で学ぶ 世の中でまたいろいろな塾もあるしいろいろな勉強するところもあるでしょう
いろいろありますけど キリスト者は
神様の教育 聖書教育が大事です
皆さんこの世の中の教育と神様の教育の違いが何か知ってますか 世の中の教育は頭良ければいくらでも勉強できます
しかしそれを支えてくれる保証してくれるものがありません 自分が全部やらなきゃいけない
しかし聖書教育神様の教育は神の見言葉通り従うなら
聖霊様がパワーで助けてください これが大事なんです
じゃあイエス様があなたたちは行って全ての民を私の弟子にしなさいって言いました
じゃあイエス様を弟子にするために伝道しながらいろいろ出てくる人は自分がやるように見えるんですけど 事実はこの後ろに聖霊様が共に働いてそれができるようにしてくださる
使徒行伝1周8節 あなたたちに聖霊が望んだら力を受けろ そして地の果てにまで私の証人になろうと言いました
そうです 神様の教育 神様の働きには神の約束があってそれを従うなら
聖霊様がそれができるようにしてくださるんです それが世の中の教育と
神様の教育の違いです 神の御言葉は必ず成し遂げられます
神様を口から出た御言葉は一つもそのまま虚しく落ちることではなく必ず成し遂げます 聖書の御言葉は全部実現するべきです
なぜなら聖霊様がそれを実現させてくださるからです ですから私たちは聖書の御言葉を覚えて従って生きるなら
今はうまくできないように見えるんですけどそれが最後に見たら必ずできる 一番確かだということ
聖書をよくよく研究する方たちが聖書で私たちに子どもたちを 五次元的な能力を持つ子どもにするように教えていらっしゃることがわかります
これが何かと言いますと子どもたちを知力がある また体力がある
また心力がある また自己管理能力がある
また人間関係能力がある この5つの能力を持っている人は
この世の中で神の人としてこの世界を制御することを治めることができるんだという 聖書の教えが聖書の中にあります
皆さん知力がなければ 頭が良くなければどうなりますか
世の中の人と競争できません 心はいいんだけど頭が良くなければ
世界を統治する訓練することはできません 体力がなければ頭が良くても体力なければすぐ疲れてしまう
だからうまく続けることができません 心力がない人
頭はいいんだけどなんとか挑戦する能力とか何かやってみようという何か 心からのパワーがなければ
挑戦さえできなくなる 頭はいくら能力あるとしても能力を使うことはできません
また自己管理ができなければ世の中誘惑とかいろんなものに落ちてしまって 結局最後までいかなくてダメになります
人間関係 皆さん世の中には一匹狼が存在しません
私の力で私が全部やる これはダメです
みんなと力を合わせて ティームワーク ネットワーク お互いに力を合わせて働くことを聖書は言っています
神様も三味一体で存在します 三味一体で協力して働いています
神様も共同体で働くんで 私たちは自分一人で全部やる 嘘です これは絶対できません
だから私たちはこの5つの能力を持たなきゃいけないんですけど まず知力
知力をどのように持つことができますか いい親
父親母親の遺伝子をいただいて もともと生まれる時から頭はいい これは幸いですね
しかしキリスト者はそれだけではありません 神様の約束があります
約分一書五節にこう言われます あなた方の中で知恵の欠けている人がいれば誰にでも惜しみなく
咎めたてないでお当たりになる神に願いなさい そうすれば与えられる
あなた知力がないのか頭が良くないのか 神に祈りなさい神様を下さる
神様は何を下さるんですか 神様は私たちに知恵と経緯の霊を与えてください
知力を与えてください 神の知恵をいただいて勉強すればどんな関門でもパスすることができるでしょう
また体力です 体力は健康な父親母親の遺伝子が大事だと思いますけど
皆さん神の霊が望むなら力がきます サムソンという旧約聖書詩式に出てくるサムソン
サムソンは老婆の顎の骨
骨を取ってペリして敵を一斉に打ち殺しました 剣じゃないですよ
老婆の顎の骨だけ持って一斉に打ち殺しました そのパワーサムソンは主の霊が望んだらパワーが出ます
主の霊が望まなければ力がなくなります 神の霊が望んだということはすごい意味があります
また猛瀬は120歳で亡くなりました 猛瀬が120歳に亡くなるときに新明紀34章の7節を読みますと
猛瀬は死んだ時120歳であったが目がかすまず 活力も失ってはいなかった
120歳まで目がキラキラして元気バリバリで働いた 神様の身技に用いられる人は
神様が健康を与えてくださいます ですから皆さん神様に用いられることは大きな祝福です
体力を神様がくださるからです また心の力
自己管理能力 人間関係能力 それを神様はどのように与えてくださるのか
皆さん聖書は神の御言葉ですけど 聖書を読めば力が入ってきます
力が入ってきます 第二手もて3章16節17節こう言います
聖書はすべて神の霊の導きのもとで書かれ 人を教え今しめ誤りを正し
気に身引く訓練をするた上に有益です こうして神に使える人はどのような良い技をも行うことができるように
十分に整えられます 神の御言葉は私たちはどんな仕事でもうまくできるように
御言葉が私を整えてくださる 御言葉のパワーです
また神様の霊に 満たされるならサムソンというようなパワーが出てくるだけじゃなくて
神の霊が私たち望んで 精霊の実りが私たちの中にあるなら
人が美しくなります ここが大事です
カラディアコーション22節23節 霊が結ぶ気は美は愛であり喜び平和寛容
親切善意誠実乳は節制です それを禁じる大き手はありません
人が美しくなります ですから神の御言葉と精霊の力によって
私たちがうまくいただくことができれば イエス様のような知識と
個人性とパワーがあふれるリーダーになります イエス様は十字架を背負って復活を昇天されましたけど
残された弟子たちがイエス様のように見事ばと精霊によって力を受けました
ですから弟子たちを通して福音が知られました また今は私たちを通して神の福音が述べ伝えられています
私たちもイエス様のように人たちのように働きができるんです どうして美言葉と精霊によってです
先週ある集会に行って 韓国の選挙誌だったのでその選挙誌から聞きました
その選挙誌はエジプトのカイロで福音を伝える 選挙誌の働きも知ってたんですけど
エジプトのカイロはイスラム圏だそうです イスラム圏でイエス・キリストを信じましょうと言ったら大変なことになる
だからそこにはイエス様という話もできないです その先生はどうするのか
毎日熱心に祈るそうです 精霊によって祈りを祈るなら祈りのパワーが力が飛んでしまう
それで外に出て人々と握手を交わす 握手を交わす間に自分からの力がその人に伝えられて
その人の病気が癒された イスラム圏で
病気が癒されるから何かイエス様という話は一切してないのに 握手をするだけでパワーが伝えるからその人がこの先生についてくる
一人また一人ついてきてそのようにキリスト教の群れがイスラム圏の世界の中で それができたという話
大事なのは精霊の力がその人から他の人に伝えられる
だったらイエス様という話をしなくても伝導ができましたということです だから使徒行典一書八説あなたたちを上に精霊が望んだら力を受ける
そして血の果てにまで私の証人になる 皆さん聖書の一説一説が
これはパワーそのものなんですよ力なんですよ ですから私たちは私たちの子供を知力体力心力
自己管理能力人間関係能力をいただくために 見言葉と精霊による教育をこれからしなければいけない
もちろん皆さん学校で勉強すること大事ですよ いろいろ宿で勉強すること大事ですよ
そこに加えてもう最近はもう海外に行ってもう営業の 語学を勉強するのにまだあっちこっち行っているんですけどもちろんそれもいいです
その上キリスト者は見言葉と精霊による教育をしっかり受ける それによって他の人と区別できるパワーを自分を持っていく
これを通して全世界を支配し管理しそれでイエス様信じらず神に従わせる そのような働きができるでしょう
今日私はこの5つの中で一つを強調したい これは心力
心の力 心の力
他のことは全部頭もいいし元気だしすべてがいいんだけど 心が弱ければ
自分は持っている知力自分を持っているいろいろな能力才能を使うことはできません 心が弱いからです
私がそうでした 今皆さん私はもうなんか元気そうなパワーがありそうな見えるでしょう
私はそんな人間ではありませんでした 私はヤコプのように野心がありました
妬みもたくさんありました ところが
心力が弱い 何とかやる
何か野望はあるんだけどそれを成し遂げる心が弱い
私は勉強は少しできたんですけど 友達と一緒に勉強するときはある程度上でした
ところが私の友達はもうほぼ韓国だったから 韓国のスウルの良い大学に行ったんですけど
私はそこに行けませんでした なぜなら韓国は大学は前期後期として
同じ日に全部一緒に 日本は各大学別に受験日が違うでしょ
でも韓国は前期だったら全部同じ日にやります 私はスウルのその大学に行きたいんですけど
そこに落ちたらどうするという ああ落ちたら恥ずかしい
ああダメだダメだ だから私は一流大学は行けない
実力があっても行けない なぜなら落ちるならどうするかという心配があるからです
だから私は私のプサンの国立二流の大学に行きました
小学生として入りました ああそうしたら向こうに行った方が良かったのにと思ったんですけど
一番問題は 夏休みになればスウルから友達が来ます
いやーお前どうしたの 楽屋に出てこい 一緒に遊ぼう
私は行けないんです なぜなら
劣等感があるから お前たちはスウルで立派な格好に行って
私はもう地方大学で二流の大学に行っているから
お前たちに会ったら恥ずかしいから また妬みはありますよ
あるんだけど一緒に何かやる気持ちがない
だから友達の電話を全部避けました 止めました
私は避ける 恥ずかしい 私の自信が許されない
劣等感を だから避けて避けて避けて避けてしまえば
人間関係が全部ダメになりました
それから私は劣等感に陥って いつも自分を責めるんです
向こうは私はそこに行けばよかった 同じレベルの友達が入ったのに
私はそこに行かなかったから 私は二流大学で何かやっているんだと
私はいつもそれによって自分自身を責めたり 劣等感に陥ったりしました
なぜ私はこのような悩みを持つようになったんでしょう これは心力が弱いからです
中から薬部のような野心がある 妬みはあるんだけど
それを何か挑戦する心力はないから
私自身がお前はいつも二流の人生 これからも二流の人生に過ぎないお前になるでしょ
だから私はもう自分自身が情けなくてたまらなくて
そうする私がイエス様を信じるようになりました イエス様を信じて私は神様に祈る
神に祈ることは誰も聞かない 私は神様だけですから
私の弱い心 劣等感の塊 私のこの苦しい気持ちを祈りで全部神様に打ち上げました
そして告白して涙を流して神を求めたら 神様が私を慰めてくださり
癒してくださったんです その時私は信仰生活がいいんですけど
私の父はキリスト教が大嫌い また韓国は先祖に対する何とか拝む儀式があるんでそれを私はやらないから
だから私は父から追い出されてしまいました 大学3年生の時に家から追い出されて
行くところがないんじゃないですか 教会の地下の起動室があって
ほぼそこで私は神様を求めました 神様が助けてくださらなければ私は何にもない
死ぬしかないなと思いました 神様は私たちを助けてくださりました
当時学校で一番大きな奨学金が私に出ました その奨学金で
大学と大学院まで 学費 家塾費 または小遣いまで全部できる
私はそのお金で神様に毎週感謝献金をしました 私は信仰生活が楽しくてたまらない
しかし父は大嫌い 父が迫害を私は神様とのこの関係で乗り越えていきました
皆さん私は礼拝をどれほど愛したのか 私は毎朝早天の祈りとか
祈祷会には一度欠席したことはありません もう賛美
教会生活が楽しくてたまらない それでだんだんだんだん私は変わっていきました
それで誰の前でも言ってメッセージもできるし どこにも挑戦できるようなパワーができました
皆さん信仰生活は素晴らしいものですよ これは信仰はそのものパワーですから
私の心が強くなりました それで神様私を小学院で勉強させ
卒業したら韓国で一流企業で就職させ 今は神様が日本の宣教師として牧師として私を使ってくださっています
もう私はそれができたのは皆さん 信仰から与えられた心力 心の強さ
これがあるから何でも挑戦できる パワーが私には与えられたんです
私は今も毎朝手帽子にするでしょ 朝起きて早く神様に祈って見言葉を読んで
それで今日これをやるから神様私を助けてください それで決心してもう祈って
そうするならその日生きるパワーをいただいて それで毎日毎日やるんです
皆さん牧師 私はあまり自信がない
しかし神様に祈ったら今日メッセージ 今日働くパワー全部くださるから私はその力でやっています
皆さん私は今70歳です 年取っている
私の友達の中で70歳でお仕事する人誰もいません 私だけです
私これからもまた教会がやめなさいと言われない限り また続けるでしょう
私はいつまでもやりたい 年取っているのにパワーが与えられて続けてやっているこの幸せ
いやこれは信仰の神様の素晴らしいパワーではないかと思います 私は神を愛し教会を愛し
神様の働きが好きで好きでたまらないんで これをやっている間に神様は健康も与えてくださり
知力も与えてくださり信力も与えてくださり 自己管理能力 人間関係能力をますます与えてくださるので
私はこれで今やっているところなんです いつまでもやりたい いつまで今やりたい
今になって悟ったことがあります これは教会がやっているすべては神様からパワーをいただく手段だったということです
神は全部持っています 永遠の命 全知全能 神は愛
神は豊かな恵み 慰め 憐れみ 豊かなお方です