1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「神の恵みが大事です」2026年..
2026-01-11 37:13

「神の恵みが大事です」2026年1月11日のメッセージ

spotify apple_podcasts youtube

東京ぶどうの木教会 2026年1月11日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちらhttps://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)使徒11:19-23 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。

 

メッセージ題: 神の恵みが大事です (使徒11:19-23)

*新年、第2週目のメッセージとして、今日は、神の恵みの大事さについてメッセージを。願わくは、今年は神の恵みが豊かに臨まれる私たちの教会と家庭になることを切にお願いします。その為に…

*高慢に聞こえるかも知りませんが、私はいつもモーセの人生と私の牧会を比べながら考えています。

1.出エジフト記を通してモーセの生涯を読みながら、私たちの人生の事を考えるようになります。

*モーセの誕生と人生の成長の過程を見てますと…モーセは生まれながら死ぬべき運命でした。ところがヘブライ人なのに40年間エジフトの宮廷で王女の子として成長し、次は人殺しとして荒野で40年間を。その後、40年間神様に召されて立派に用いられました。

*40年間、40年間、40年間 !これがほとんどの人の人生の過程と似ているのではないか !←では、私たちは今、モーセのどんな時期と同じでしょう?

なぜ、そのように思うのか?私の人生と牧会の活動を見てますと、なかなか扉が開かれないからです。
→神様はモーセをいつ用いられたのか?モーセの活力がなくなり口がきけない80才になったときでした。

 

2.用いられるなら、活力があった40才のときがよかったのに、なぜ完全に駄目になった80才に用いるように?

*これは十字架の福音の側面では大きいな意味があります。偽りの信仰と正しい信仰をご存じでしょう#偽りの信仰/正しい信仰: 肉身に委ねる/聖霊様に委ねる、人とこの世に委ねる/ただ信仰によって、自分の努力と自己義で/神の恵みで、律法主義・人本主義・ご利益信仰/十字架の福音で、結局律法の呪いの中で/神の約束が成就する、奴隷になり束縛があるが/真の自由がある。=正反対の信仰結果

*私たちが肉身に委ねるなら聖霊の働きはありません。自分の熱心を誇るなら神の恵みはありません

従って、皆が信仰、信仰というけど偽りの信仰と正しい信仰の特徴を知り、見分けることは非常に大事 !

*40才のモーセはエジフトで学んだ知恵と力に満たされていました。そのようなモーセが神の御業を?できません。従って、荒野で、それを全部下ろし神の恵みに委ねるモーセになるのに40年がかかりました。

*神の恵みの定義は?神様が言われたことを、成し遂げることができるように助ける神のご臨在の力 !

*結局、神の恵みが御業を成し遂げます。使徒11章のアンティオキア教会。異邦人の地域で教会が?

バルナバが確認したのは?神の恵み !―→私たちの信仰は神の恵みによって !救いも、使命を成し遂げることも、教会を建てることも、使役も、私たちが聖くなることも… *また神様はすべての恵みの神様という意味は?Ⅰペトロ5:10 *また神様は恵みを持って時宜に適った働きを。ヘブライ4:16

 

3.ところが、恵みが与えられることも大事ですが…それを持続することが何より大事です。

*恵みは一度与えられたら永遠に持続するのではありません。消え去る場合があるので保つのが大事

#恵みを回復し持続する秘訣は? 1)謙遜 !Ⅰペトロ5:5 2)恵みは当たり前ではない、感謝の心で

また、主につながっていること。使徒11:23 3)恵みは与えられた目的が !それを行われる。使徒13:2,3アンティオキアに恵みが?目的は、世界宣教。それを知って、バルナバとサウルを派遣、支える

@神の恵みが私たちの信仰生活でいつ現れたでしょう?そのときどんな働きができましたか?いまもその恵みが働いていますか?消え去ってしまったなら、その理由は何でしょう?悔い改めながら、初めの頃の信仰を取り戻しましょう。願わくは、新年、神の恵みが再び注がれるように、絶対失われないよう

サマリー

今回のメッセージでは、神の恵みの重要性について考察されています。モーセの人生を通して、神の恵みがもたらす可能性や信仰の本質が語られ、真の信仰について理解が深められます。このエピソードでは、神の恵みが人々の生活や信仰に与える影響に焦点が当てられています。また、アンディオキア教会の例を通じて、恵みを持続させる方法についても議論されます。このメッセージでは、神の恵みが生活や教会においてどれほど重要であるかが強調され、神の恵みを求め、互いに助け合いながら生きることの大切さが学ばれます。

神の恵みの必要性
今日は、神殿の第2週目のメッセージとして、
神様の恵みの大事さを分かち合いたいと思います。 願わくは、今年、神の恵みがいつも私たちの教会と
皆さんの家庭の上豊かにありますようにお祈りいたします。 このために必ず知るべきこと、
それを今日一緒に分かち合いたいと思います。 たびたび、
私は、あえて、私と猛精の人生、私の今、牧会と猛精の人生を比べながら考える時が
いろいろあります。 主治エジプトの記事をずっと読んでみますと、
人生とは何なのかということが、いろいろ考えられるようになります。 猛精が生まれ、猛精がまだ成長する過程をずっと見てますと、
猛精は生まれながら殺されるべき運命だった。 生まれて男の子だったら殺せという命令が既に出ていったからです。
だから、生まれながら殺されるべき運命だった。 しかし、
殺されるんじゃなくて、むしろ パーラオの宮廷で生活するようになります。
宮廷で40歳までパーラオの王女の子供として過ごします。
それから一点人生が変わって、 それから猛精は人殺しになって、
荒に逃げてしまうような、 そのような存在になりました。
人生がぐるっと変わって、そこで40年を過ごします。 それ、荒ので何もできないように見えるんですけど、それから神様に持ち入られて、
40年間イスラエルの素晴らしいリーダーとして持ち入られます。 猛精の人生は120歳まででした。
それで、はじめの40年間、次の40年間、また次の40年間、 全然違う人生を過ごしましたけど、
これを考えたら皆さんどう思いますか? 私は猛精がこの世に3度もひっくり返った人生を過ごしたように、
私の人生もこのような時期が区分されるような時期があるのではないかと思います。 皆さんはどうですか?
皆さんの人生もずっと振り返ってみますと、 私はこんな時代、この時期からくるっと変わってこのような人生、
そうしながら私たちが楽しみを持っていることがあります。
皆さん、今私は71歳になりますけど、 猛精の人生と比べてみたら、
今私は猛精の40歳の時期なのか、80歳の時期なのか、
何かとにかく私は猛精の人生を通して、 私は今まで何もできなかったんだけど、
私は希望を持ちたいんです。希望を持ちたい。 猛精はうまくできた、全然ダメだった、その次にリーパーに持ち入られた、
私は今本当に何もできていない存在になりますけど、
次に猛精のように神様からうまく持ち入られる人間になりたいという希望があるから、
猛精と私を比べながら、猛精もこの時期には悪かった、ダメだった、 しかしこの次は希望があって良くなった、
私は今までずっともううまくできないし、境界もあまり増えないし、 もういろいろなことがあるけど、違う違う、
私はこの次に必ず何とか来るぞ、来るぞ、と思いながら、 希望を持ちたいんです。猛精を通して。
猛精の初めの40年間、 エジプトの帝王国、王様が学ぶ学問を学んで、
それをもって、また自分をヘブライ人、よそ者を、 自分の民、イスラエルの民を見ながら、
掘りの中で鞭を打たれて苦労しているこの民を救いたかった。 彼は情熱を持って、私はこのような勉強もできるし、
まだ私は力もあるし、まだいろいろなことを持っているから、 私の民を救いたいと思っていたんですけど、
神様は彼を使わなかった。 イスラエル人たちも猛精を受け入れなかった。
私はあなたたちのために何とかやりたいんだけど、 受け入れられなかった。
だから猛精は仕方がなくアラノに逃げたんです。 そこでエジプトでの彼の人生は終わったように見えました。
信仰の本質
次の40年、 アラノは何もない世界だと。
そこでミディアン部族の最首長、イドロという人の家で 友に過ごすようになって、その娘と結婚して、
それから羊飼いとして過ごすようになります。 人との対話じゃなくて、羊を見てアラノをあちこち回りながら過ごしました。
アラノで40年間を過ごしながら、 猛精はまるでうどいと言いましょうかね、
バカバカしい人間になった。バカのような人になった。 皆さん、今私71歳。
だんだん記憶力はなくなって、 たまに頭がぼやーっとして、今の私何をしているのかと思う時があります。
その時、私はいつも、私はもう終わったな、希望がないなと思いますね。
猛精も、彼は自分は口が鈍い人であり、 私はできません、できません、他の人を使ってください、
と言うほど彼は全然ダメだと自分自身は分かっていました。 ところが、そのような猛精を神様が現れて、
使いたい、あなたを使いたいと言われるんです。 猛精を使うとするなら40歳の時、力で10万円になった時、使うべきだったのに、
なぜ完全にバカになっている80歳の時、神様が現れて使おうとするのか。 そこに十字架の福音の側面から見てますと、大きな意味があるんです。
皆さん、私たちは信仰信仰と言うから、みんな同じ信仰だと思うんですけど、違います。
十字架の福音でちゃんと見てますと、 偽りの信仰というものもあるし、正しい信仰というものもあります。
これから何項目、皆さん申し上げますので、考えてみてください。 偽りの信仰は肉身を委ねます。
しかし、正しい信仰は精霊様に委ねます。 自分の強さを委ねる人に精霊様に委ねることが正しい信仰だよ。
やりなさいと言ったら、自分を委ねないで精霊様に委ねましょう。 すぐできると思うでしょう。
できません。人間が自分を持っていることを使う。 これは当たり前になっています。
自分を持っていると思ったら神様に委ねますよ、祈りますよと言うけど、 本音の心では自分のものを委ねます。
偽りの信仰は人とこの世、背景を委ねます。
しかし、正しい信仰はただ信仰によって生きます。 偽りの信仰は自分の努力、自己義、自分の熱心に委ねますけど、
正しい信仰は神の恵みに委ねます。 神の恵みが全てやりますと言いながら、
本当の人、ほとんどの人は自分がやります。 神の恵みじゃなくて自分がやる。
偽りの信仰は立法主義、自分の目的のため、ご利益信仰、 自分の方法でまた陳本主義、自分の力で立法主義をやりますけど、
本当の信仰は十字架の福音でやります。 結局偽りの信仰は立法の呪い、
まだ奴隷、束縛の中で縛られるんですけど、 まだ今日立法守れなかった、どうしよう、どうしよう、
そのような状態になりますけど、 正しい信仰は神様の約束が成就されます。
また正しい信仰は自由があります。 自由があります。
同じような信仰、信仰と言いますけど、 信仰生活の中身を見て結果を見たら、
正反対的な結果が出てきます。 ですから神様はこの人が持っている信仰は何なのか、
この人が持っている信仰は何なのか、 神様はよくわかっておられます。
いくら自分は主のために私は命かけますと言うかもしれないけど、 主はその人を使うことができない理由は、
自分の力で全部やろうとするから、 神様はそんな人を使いません。
自分の肉身的な何かを委ねるなら、 精霊の働きはそこにはありません。
自分の熱心を鮮明に表して、 私はこんなことをやりました、こんなことをやりました、
神の恵みはそこにありません。
ですから、偽りの信仰と言われるものと、 正しい信仰と言われるものをよく知って、
見分けることが非常に大事です。
モーセは40歳まで宮廷で学んだ知識と力、 武術とかそれに満たされていました。
だから自分が持っていることがあるから、たくさん持っているから、 これを持ってイスラル人たちを救おうとして彼は頑張ったんですけど、
それを通して神様は、 もう熱心にはやるでしょう。しかし神の御業はできません。
しかし、この次の40年間、 エジプトで学んだ帝王学、この世の中の知識、自分の熱心、
まだ満ち溢れる若いこの情熱、
荒野の40年間、全部捨てる状態になりました。
また、神の恵みがなければ自分は何事もできないんだということを深く悟りました。
この世の事を全部空っぽになってから、 神様はモーセを探します。
空っぽにするのに40年かかったということです。 皆さん、自分は自分を委ねない。私は空っぽにする。
自分が自分、絶対空っぽにはできません。なぜなら、これが自分の命であり、 自分のすべてなのに、これを全部握っています。
しかし神様が荒野に送って、それで40年間ぐろぐろ過ごすようにするなら、 それが全部もうなくなるしかない状態です。
このように徹底的な自己中心的、自分の熱心、自分の自己義、 自分のすべて、このような偽り的な信仰を下ろしておいて、
神の業の実現
正しい信仰になれば、ここに神の恵みが望みます。
皆さん、神の恵みって何でしょう。 神の恵みの定義は皆さんご存知でしょう。
神様が言われたことを成し遂げることができるように、 助けられる神の孤輪際の力。
神様が言われたことを、私はできませんけど、それを成し遂げるように、 神様の助ける力、孤輪際の力が神の恵みです。
ですから神の恵みが来れば、神の御業はできます。 神の恵みが来なければ、人間の力でいくら頑張っても、神の御業はできません。
私たちにはこの恵みが必要です。 なぜなら、この恵みが神の御業を成し遂げるパワーだからです。
今日読んでくださったアンディオキア教会。 エルサレムではステパナの迫害、
使徒行伝6章、7章。 ステパナによるキリスト教の迫害が起こりました。
それで神徒たちはみんな散らばってしまいました。 それでエルサレムから各地域に散らされるときに、
散らされた人たちがユダヤ人だけに福音を伝えます。 なぜなら、
福音を知っている人たちは、お話ができる人はユダヤ人しかなかった。 また言葉的な見解もあったでしょう。
ユダヤ人しか伝えないのに、 ある違法人たちが、
違法人に、キリシャ語を使う人たちに福音を伝えたのに、 その福音が受けられた。
違法人がキリシャ語の神様を信じるのはありえないんだけど、 それを信じる人が現れた。
その信じる人の群れが大きくできて、それで教会が建てられた。 違法人による初めの教会、アンディオキア地域で。
それの噂を、エルサレムの教会の人たちが聞きます。
え? こんなことがあるのか? ユダヤ人じゃなくて違法人?
それを、どうにか確かめてくれと言って、 発見された人がバルナバーだったんです。
バルナバーがアンディオキア地域に行って、見ますと、 23節、バルナバーはそこに到着すると、
神の恵みが与えられたアリ様を見て、喜んでいた。 シンカイアクは、
バルナバーがそこに到着すると、神の恵みがあることを 確かめたと書いてあります。
だったら、違法人に福音を伝えられ、 違法人の世界でキリスト教の教会が建てられる。
これは誰がやったということですか? これは神様の恵みによってできた。
ここで皆さん申し上げます。 神の恵みが来ているなら、
できます。 神の恵みが来ていなければ、
人間がいくら頑張っても、いくら努力するんだとしても、 何にもできません。
これをまずしっかり覚える必要があります。 神の恵みが来ているなら、
神様の御業は何でもできます。 神の恵みがないところには、
人間がいくら頑張っても、何にもできません。 ところが、この神の恵み、
また他の言葉で言えば、精霊の力強い働きは、 ただ正しい信仰によってできる、与えられるということです。
皆さん覚えてみてください。 私たちの信仰は、ただ恵みによってです。
神の恵みの重要性
皆さん救われました。 どうして救われたんですか?
神の恵みが働いて、私が救われたんです。 神様の使命、使命を成し遂げることも、
神の恵みがあるとき、成し遂げられます。 私たちは教会に人を送ってください、送ってください。
神道が少ないです。2階に来てみたら、 空いているところがたくさんあります、あります。
だから皆さん、伝導してください。 伝導しましょう、伝導しましょう。
いくら言っても、神の恵みが来なければ、何にもできません。
代わりに、神様の恵みが豊かに望んでいるなら、 空いているところが、だんだん満たされるようになるでしょう。
神の恵みです。 人が清くなる。
私はこれから、なんとか清い者になりたい。 悪口もしないし、裏でなんとか変な話もしないし、
なんとかみんなを愛する人間になりたい。 やってみてください。できますか?
できません。 神の恵みが来ているなら、
清い人にもなれるし、人も愛することもできるし、 家族を面倒見ることもできます。
恵みが全部あります。 恵みがあります。
大事なのは、神の恵みが来ているのか、いないのか。 皆さん、もし神様の恵みが来ていないのに、ある人が頑張って
教会をしっかり建て上げた。 その教会どうなると思いますか?
その人が、自分がやった分、なんとか自分を何か主張して、 教会は神の教会じゃなくて、
恵みを維持する秘訣
その人の教会になる可能性もあります。 神様は、そんなようなことは許されません。
神の恵みがすべてあります。 ところが、第一ペトロ五章十節には、神様はどんな神様かと言いますと、
すべての恵みの神様。 恵みは、健康のために、恵みが必要です。
知恵、知識のために、恵みが必要です。 社会的な活動のために、恵みが必要です。
また、どこで、経済的に、神の恵みが必要です。 いろいろ、私たちは、もう世の中で働きをするでしょう。
すべてのところで必要な恵みは、神様に全部あろうということです。 また、神の恵みがどれほど
深いのか。 皆さん、太平洋の海があります。
そこでコップを持って行って、太平洋の水をコップでずっと飲んでしまうと、太平洋の水がなくなりますか?
なくなりません。 私たちが、いくらいくら神の恵みをたくさん使うんだとしても、
何にも変わりがないほど、いっぱいあります。 神の恵みは、想像できないほど満ち溢れるほど、神様の中にはあるし、
神の恵みの種類は数多くあります。 私たちに必要なすべての恵みは、神にあります。
また、神様の恵みは、慈悲にかなって、ヘブナイ書4章16節、
慈悲にかなって、恵みを与えてくれ。 私が痛い時、痛い、癒される恵み。
何か勉強する時、勉強をうまくできる恵み。 ビジネスをする時、ビジネスをうまくできる恵み。
慈悲にかなって、すべての恵みを、神様が私たちに豊かに与えてくれ。 だから、あなたたちは、神の恵みの茶に、
私は進み出るべきではないかと、聖書は言っています。 私たちは、神の恵みをいただいて、これから
働かなきゃいけないし、信仰生活をしなければなりません。 問題は、
恵みを与えられることも大事ですけど、 恵みを保ち、これを維持することが大事です。
恵みは、一回与えられたら、永遠に持続されることではありません。 人間の足、良しによって、恵みは
維持されたり、 亡くなったりします。
私たちみんな、ある時期、 もう、私は覚えていますよ。
チュンシー姉妹は、初めの教会に来る時、 ユナちゃん、何歳ですかね、ちっちゃい。
このベイビーカーに乗せて、 ずっとそこから教会まで、地下鉄を乗って、 これは水曜日の起動会ですよ。
水曜日、人が混んでいる時に、 ベイビーカーに乗せて、それで連れて、教会まで来る。
その熱心は一体、どこから出たんでしょう。 もちろん、チュンシー姉妹が熱心だからかもしれません。
違います。 神様が恵みがあったからです。
今、その恵み、今、維持していますか? 今まで持ってきましたか?
私、昔、新学校に行った時、ピークでした。 もう、言葉もできないくせに、マンションマン、勉強しませんか?
それで、参加してくれる人も不思議。 それで、勉強会ができて、人が集まって、
いやー、これで、私、母会ができるんじゃないかと思いました。 しかし、この後、全然できませんでした。
どうして、昔はできたのに、今はできないのか? いろいろ考えます。
恵みがあった時期、できました。 その後、恵みが消えてしまって、
いくら頑張ってもできません。 だから、昔の証しかありません。
これは簡単です。 今は、恵みが消えたから、去っていくかなと思います。
皆さん、私たちは、昔の恵みを取り戻さなければいけません。 取り戻さなければいけません。
恵みが来るのは嬉しいことです。 しかし、恵みは、自分も分からないうちに、いなくなってしまいました。
でも、恵みがあるんじゃないかと思いながら、 自分は何とか昔みたいにやろうとしているんだけど、できません。
だから、ああ、がっかりしながら、なぜなんだろうか、なぜなんだろうか、自分を責めたりします。
昔も、自分は力ありませんでした。 昔も、自分は何もない。
神の恵みがあって、よくできて、 今、神の恵みがないから、うまくできていないだけです。
ですから、大事なのは、恵みを持続することです。 では、恵みを持続する秘訣。
まずはじめ、 謙遜な時、持続させます。
大事ぺったり、固承固説、神は傲慢な者を敵とし、 謙遜な者には恵みを与えてくださるからです。
私たちが自分を固む、なんとじゃ、
ほっこり、なんていうか、固ぶり、 そうするなら、恵みは自然になくなります。自然になくなります。
ですから、私がその間に、何とか偉そうに、 私がもう、昔の教会で、いろいろな偉そうなことを
たくさんやりました。 その時、恵みが消えていくことだと思わなく、
自分は何かやってしまったことを、 本当に申し訳ないと思いますけど、
傲慢な人には、神様は恵みを与えてくださいませ。 謙遜。はじめも謙遜。2番目も謙遜。3番目も謙遜。
これ、オグスティンがこう話をしました。 2番目。
恵みは、絶対当たり前のことではありません。 キリスト者だから、恵みはいつもある。絶対ダメです。
当たり前のことではありません。 恵みがあったら、感謝しなきゃ。感謝する。
また、恵みがいつも持続できるように、 皆さん、神様との親しみの中で、固くついていくことで。
私道教の中心で、バルナーバがそこに到着すると、 神の恵みが与えられた有様を見て喜んで、
固い決意を持って、主から離れてはいけないよ、と。 主から離れてはいけないよ、と。
それが、恵みを維持する方法です。
3番目。 恵みは、目的があるから与えられます。
ですから、その目的が何なのか、よく知って、 その目的を、私が実現することが大事です。
アンディオキア教会に、神の恵みがありました。 なぜ、こんな恵みがイオン人の教会にあったのか。
神様が、アンディオキア教会を通して、 世界選挙をやりたかった。
だから、彼らは、それをよく分かってから、 いつも礼拝の中で、神の御声を聞くのですが、
シドギョーデン中3章、2節、3節を読みます。 礼拝している土地に、神の御声を聞こうとして、断食して祈っているところに、
私が命じる仕事のために、 サウルとバルナーバを別に選んで派遣しなさい、と。
私たちの教会で、牧師と伝道師を派遣しなさいと言ったら、 私たちの教会はどうしましょう、と言うかもしれませんが、
彼らは2人を派遣します。
神様が世界選挙のために、アンディオキア教会を選んで、 そこでパウルとバルナーバを世界選挙に携わるようにした時に、彼らは従います。
それで教会はなくなったのか? いいえ、なくなりませんでした。 それから、ますます世界選挙を行う教会として、アンディオキア教会が成長していくんです。
じゃあ、はじめ謙遜。 2番目は感謝しながら、この恵みのために、主に固くくっついていく。
3番目、恵みを与えた目的があるから、 それを神様から聞いて、その働きにもっと熱心にする。
そうしたら、恵みはいつまで持続でき、 それから、神様の御業が私たちを通してうまくできるでしょう。
ダビデの幕屋とリバイバル
先週、私は皆さんにお互い愛し合いましょうとメッセージをしました。偉そうに。
それで、愛し合いましょう。 愛し合えばいい。
愛し合うんだ。 思いました。
しかし、先週1週間、 私は、私の身の回りにいる人と
もう、揉めたり、喧嘩したり、 口喧嘩ばっかりして、
ひどい1週間になりました。 お互い愛し合いましょうと、自分が語ったのに、自分ができませんでした。
周りと喧嘩ばっかりしちゃって、
日曜日、教会に行く考えをするなら、 この牧師が、
教会で礼拝を導く。 恥ずかしく思いました。
ダメだ、ダメだ。 お前みたいな人間は、僕は辞めた方がいい。
私が、私に責めました。 1週間、お前の生活を見てみなさい。
だから、牧師だから、そうだ、 私たちは、イエス・キリストの十字架の豪浪によって、恵みによって礼拝する。
私の偉そうな働きによって、 礼拝するんじゃない。
主よ、十字架の恵みを、 私に豊かに与えてください、と、何とか祈りながら。
でも、 礼拝を言おうとする時に、恥ずかしくて、
たまりませんでした。 ここで、今日のメッセージを準備しながら、1つ悟った言葉。
私が、愛し合いましょうと言ったんですけど、 愛し合うことも、
神の恵みがなければ、できないんだ、と。
私が1週間、自分の力でやろうとしてたから、 喧嘩ばかりしてたでしょ。
私の力では、愛し合うことができないんだ、と。
皆さん、この十字架の福音の本で、 書いてあるものですけど、
アメリカのマイクル・ビッグル先生という 有名な先生がいます。
その人は、ケンサス・シティに、ダビデの幕屋、 祈りの部屋ということを始めた人です。
彼は、もともと、それをするつもりはなかった。 しかし、神様に祈っているのに、
神様は、終わりの時の大収穫のために、 リバイバルを送ってあげる。
リバイバルを受け入れる準備をしなさい。 それで、祈りの部屋、ダビデの幕屋の準備をしなさい。
ダビデの幕屋をするというのは、 若者たちが来て、音楽が必要だし、
祈りの部屋を運営するために、お金が必要なんだよ。
マイクル・ビッグル先生は、お金もない。 もう人もいない。
どうするつもりか。できないんだよ。
その先生は、そこで3年間、それができるように、 神様が恵みを与えてくださいと、3年間祈りました。
3年間、じゅうと祈ったら、アメリカ全域からお金が、 もう、現金が寄せ、また、若者たちが集まり始めた。
自分たちが番組をつけて、24組。 24時間、24組として、彼たちは、この祈りの部屋を運営することができた。
その祈りの働きが、全世界に広まって、 今、日本にもダビデの幕屋が、祈りの部屋があります。
もちろん、全世界のあちこち、あります。
先生が、それを全部やったんですか。 いいえ。
神の恵みを求める重要性
自分は、このことができるように、神様に祈った。 そして、神様が恵みを与えてくださった。
この恵みとして、若者たちと、現金が寄せてきた。
それをもって、もう、若者たちが、自然に、その運動が広まった。
これから、みなさん、考えてみてください。
どうすれば、私たちの教会が、信徒たちによって満たされるか。
神の恵みです。 神の恵みのために、祈りが必要なんです。
主よ、人を送ってください。
教会で、今、受験をする、私たちの愛する若者たちが2人います。
この子供たちが、受験をうまくパスして、勉強がうまくできるためには、何が必要ですか。
神の恵みが必要なんです。
教会、お年寄りの方がいます。子供たちもいます。
その方たちに、健康が必要です。
健康、どうするんですか。病院に毎日、病院に連れて行きますか。
そうじゃなくて、健康のために、神の恵みを祈りましょう。
教会で、会社に仕留める若者たちがいます。
また、ビジネスをやる人もいます。
その方たちは、お仕事、ビジネス、うまくできるために、どうすればいいですか。
恵みを与えてください。
その恵みを、神様から求めていただかなきゃ。
全ての恵みを持っていられる神様。
慈悲にかなって、この恵みを与えてくださる神様に、恵みを求めましょう。
恵みを求めましょう。
ですから、恵みは教会とか、牧師とか、教会の働きのために、
いいえ、私たちは全てのところで、神の恵みが必要です。
互いに助け合う教会
私たちがやっている全ての働きは、神様の働きです。
神様の働きのために、神の恵みを与えてください。
お仕事、会社、神様の働きじゃないですか。
神様の働きなんです。
全てのところで、子どもの勉強、神様の働きです。
神様の恵みを与えてください。
祈りましょう。
今まで私たちは、恵みを与えてくださるように、祈らなかったら、これからでも祈りましょう。
切磋に祈りましょう。
出川区は、2026年は、今までは神の恵みによって行かなかったとするなら、
2026年は、神の恵みによって生きる私たちになりましょう。
神の恵みによって生きる教会、神の恵みによって生きる皆さんの家庭、
皆さんの子どもたち、皆さんのお仕事、
全部、神の恵みによって生きるように、お互いに祈り、助け合いましょう。
そして、神の恵みによって互いに愛し合う教会になるように、
ぜひとも私たち教会に、あなたの恵みがなければいけません。
あなたの恵みがなければ、何にもできません。
あなたの恵みを与えてください。
また、病気の中でいらっしゃる方々を、神の恵みによって生かしてください、
立たせてください、歩かせてくださいという、
神の恵みは無限大であり、神の恵みはすべてができるものですから、
これからこのために祈っていきましょう。
ぜひとも、神の恵みの求める祈りを休んではいけません。
今日、タネルの祈りのように、もう1日3回でも、ずっと祈っていこう、私たち。
ぜひとも、今年は祈りによって勝利する、私たちの教会になりましょう。
お祈りいたします。
主よ、先週、互いに愛し合いましょう、偉そうにメッセージしましたけど、
1週間、私たちの力では、何にもできないことを徹底的に悟りました。
神の恵みがなければできません。
教会運営、これからすべて、あなたの恵みがなければできません。
あなたの恵みを与えてください。与えてください。
教会で病気の中で苦しんでいらっしゃる方たちがいます。
その方たちを助けたい、しかし何にもありません。
あなたの恵みができることを分かりました。
あなたの恵みによって、すべての人を助けてくださり、生かしてくださり、
豊かな恵みと祝福を与えてください。
私たち子どもたち、愛します。愛するんだけど、何にもできません。
子どもたちが必要なすべてを、豊かに豊かに満たしてください。
受験、すべて、主よ、あなたに委ねます。
あなたの恵みがなしてくださることを信じます。
私たち教会、あなたの恵みに委ねますので、主よ、あなたの恵みが運営してください。
導いてください。
2026年度、あなたの恵みがすべてなしました。
成し遂げました、という感謝と感激の賛美を捧げるようにしてください。
イエス様、皆を通してお祈りいたします。
アーメン
37:13

コメント

スクロール