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2026-01-04

「新年、互いに愛し合いましょう」2026年1月4日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会2026年1月4日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちらhttps://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)使徒-47 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

 

メッセージ題:新年、互いに愛し合いましょう。(使徒-47)

*新年明けましておめでとうございます。2025年、皆さんのお陰で幸いでした。2026年度も、宜しくお願いします。新年のメッセージの為に工夫しながら…ヨハネ13章、イエス様の公生涯の最後、愛する弟子たちをこの世に残して、離れなければならないイエス様の御心を思い出し、互いに愛し合うことを

*当時、エルサレムにはイエス様の共同体を取り壊そうとする宗教指導者、悪魔の攻撃、弟子たちの分裂が、どのように取り納め、使命を担う共同体ができるか!足を洗いながら解決の秘訣を!愛し合うこと

 

1.先ず、愛し合うことには、驚くほどの有益があります。

1)愛するなら、一つになれます。また、愛するなら強くなります。木の枝、一本ではやさしく折れます。しかし枝の束は?従って、集まり、一つになるなら強くなります。一つになる為には、互いに愛することが大事です。これは知っていること。知りながらできない理由?人間は皆、自己中心的なので…

2)愛するなら、一つになれるし、そのとき、敵である悪魔を退くことができます。ヨハネ10:10、悪魔を聖書は盗人だと?悪魔は本姓的に、他人を虐め、苦しめます。騙し、誘惑し、駄目にしようと働きます。

粘り強く攻撃します。この悪魔は霊的な存在で目には見えません。どのように勝ち抜くことができますか?Ⅰペトロ5:8,9私たちが主に従うなら、主がご臨在されます。主のご臨在を信じる心で、イエス様の御名によって命じるなら、退けられます。そのようにして私たちの共同体を保護し、兄弟姉妹を守る

3)愛するなら、幸せになります。人間は愛し合うし、愛を受ける為に、生まれました。愛されるとき幸せ

*このように、私たちが愛し合って一つになるなら、強くなり、悪魔を退き、幸せになることができます。

 

2.ところが、どのように愛することができますか?

1)聖霊様によって可能です。ローマ5:5聖霊によって、神の愛が私たちに注がれることで可能です。

私たちが悔い改めてイエス様を信じるとき、聖霊様が私たちの心に来られますが、神の愛を持っておられます。従って、私たちが愛したいと心を持つさえできれば愛ができるように神の愛を注いでくださいます。私たちが祈りで、愛する人になりたいです。愛する人にならせてください。祈ることで可能です

*しかし、自己中心性が上がって来るなら壊れます。その為に、イエス様が最後の晩餐の後、弟子たちの足を洗いながら・・ヨハネ13:4お頼みを!主であり、師である私が…あなたたちも互いに足を洗うよう

2)畏れ敬う心があるなら、愛することができます。使徒2:43初代教会に?おそれが!そしたら愛が活性化?そして44-47…畏れ敬う心って?モセ、ペトロ、ヨハネ、パウロの経験?今日、私たちには?

今日は、過去のように不思議な体験ではなく…御言葉を聞いて従うときせい霊様の働きによって!

 

3.このような共同体が…初代教会に現れました。そのとき、神様は?

*使徒2:43-47理想的な愛の共同体が…皆が一つになって!すべてのものを共有し、分け合って

毎日ひたすら心を一つにしながら礼拝、交わり、食事をし、神を賛美していた。そうしたら…神様は?

47節、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。←人だけでなく、すべての必要も、癒しと奇跡も、主の御業の為のすべてを送って下さった。神様は、今日もそのような共同体を求めておられる。@終わりが近づいている今の時代、2026年私たちの教会?神の愛によって一つになります。

サマリー

このエピソードでは、2026年の新年に向けて、互いに愛し合うことの重要性が強調されています。教会の使命や信仰を通じて、彼らが互いに強く結びつき、悪魔に勝つ力を得るためのメッセージが語られています。また、信仰の成長と神の愛を示すことの重要性についても触れられています。初代教会が愛と信仰をもって成長し、多くの奇跡を経験した様子が描かれています。2026年の新年に、互いに愛し合うことの重要性が強調され、理想的な共同体を築くための願いが込められています。信徒たちが共に成長し、神様の祝福を受けることを目指すメッセージも伝えられています。

新年のメッセージ
新年明けましておめでとうございます。
新年の初めの礼拝、また新年の初めのメッセージ、これは本当に教会の方向性について大きな意味があります。
今日、初めのメッセージを何をしようかといろいろ工夫しながら、
お互いに愛し合いなさいという神様の見声を聞いたような気がします。
イエス様の交渉会の最後に、イエス様はこれから中止化、復活、昇天をもって弟子たちを離れなければいけない。
イエス様は弟子たちを本当に愛しています。
しかし当時の状況は、エルサレムにはもうイエス様を捕まえて殺そうとするこの不意義、怖い不意義。
また、イエス様の弟子の中で、イスカルユーダはサタンに、悪魔に騙されて、誘惑されて、
それでイエスを裏切ろうとする心を入れる、この悪魔の働きもイエス様の共同体にありました。
また弟子たちはみんな自己中心的に、自分の話、自分の様子ばかり言っているんです。
弟子たちは幼い状態、周りは怖い状態。
この中で、イエス様はこれからこの弟子たちを通して、全世界に福音を述べ伝えなければいけない。
このいろいろな難しい状況の中で、これを解決する方法は何なのか、イエス様は弟子たちに一言を残してくださいました。
これが、互いに愛し合いなさいということでした。
じゃあ2026年度、この世界はどうですか?
今、台湾の問題、今、ロシアといろいろな問題、またベネジュエラの何かがあって、
アメリカが動いているし、関税の問題が今、世界の中で、韓国も不安定だし、日本の経営財もこれからどうなるのか、
また日本と中国の戦争が起こるんじゃないかと、考えれば考えるほどいろいろな難しさがあります。
また、日本は災害の大国、地震がどこでいつ起こるかわからない、このような世界の中で、
私たちの教会がその中でどのように安全に守られ、これから神様が私たちに与えられた使命を、これを成し遂げることができるか、
私たちも同じ状況です。
ですから私は新年の初めのメッセージとして、互いに愛し合いなさい。
そうするなら、この全てを成し遂げることができるんだという、その答えを皆さんと今日分かち合いたいと思います。
じゃあ互いに愛し合いましょう。いいことです。
愛し合うことの重要性
しかし、愛し合うことがうまくできますか?
皆さん、男性女性が愛して結婚しました。
結婚した後、この愛がどのくらいまで続けられたのでしょうか。
まあ、愛をすること、これは本当に難しいなと思います。
夫婦も難しいので、今、イエス様の共同体はもう兄弟、全然分かっていない、知らない兄弟たちが集まっているところです。
この兄弟に、お互いに愛し合いなさいと言うんだって、愛し合うことができますか?
去年、最後の礼拝として、キリスト者が歩む、走っていくべき道、教僧の道、その道を皆さんに申し上げました。
細い道に歩みなさい、走りなさい、ダネルですね。
また、忠順の道を走りましょう。
また、愛の道を走りましょうと言ったんですけど、そのメッセージをしながら、私が一番恥ずかしかったんです。
なぜなら、私はこの愛の道を走ることが一番うまくできなかった人間ではないかと思います。
その私に、神様がこの新年、私と私たちの教会に、互いに愛し合いなさいというメッセージをくださるような気がしました。
愛し合うこと、いいですよ、やりましょう。
まず、愛し合うことの、本当にこの中には大きなメリットがあります。
皆さん、愛するなら、愛し合うなら、人が一つになります。
愛し合って一つになれれば、一番強くなります。
神言にある言葉ですかね、木の枝一本、これをパッと折るのは簡単です。
しかし、木の枝が、木の束であるなら、それを折るのは難しいんです。
ですから、一人一人よりは集まることが大事です。
集まって、それが強く集まっていくなら、これをなかなか折ることはできなく、その束は強いんです。
しかし、それを全部わかっているでしょう。
わかっていながら、うまくできないことが愛なんです。
なぜなら、私たちはみんな自己中心的だからです。
皆さん、自己中心という意味は、自分を基準として全世界が回ってほしいということです。
全てが自分を見て、全てが自分を関心を持って、全ての自分の目的通りに全部動いてくれれば、一番幸せになることが自己中心です。
しかし、また自己中心、自己中心だったら、これがうまくいけるのではなくて、ぶつかります。戦います。
自己中心性の特徴は、ぶつかるということ、戦うということです。
ですから、自己中心的な人は、お互いに愛し合うことが一番難しい。
自分だけ愛するのはいいんですけど、これはうまくできません。
しかし、神様が今年、あなたたちは自己中心性を下ろして、愛し合いなさいと言われるような気がします。
ですから、私たちは愛し合いましょう。
また、愛して一つになるなら、強くなります。
強くなったときに、私たちは私たちを攻撃する、誘惑する、惑わす悪魔に勝ち抜くことができます。
要は、中小、中世時代に悪魔をなんていうのか、盗びとか来るのは、盗んだり、ほぐったり、滅ぼしたりするための方がならない。
イエス様が来られたのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためだと言います。
聖書は、悪魔を盗人と言います。
悪魔は私たちのことを奪います、盗みます、魂取ります。
また、悪魔の特徴はいじめです。人々をいじめられるんです。
皆さん、占い師とかいう人たちは、ものすごいいじめられるそうです。
いじめられて、それで怖くて怖くて従う。
これが悪魔の敬来立ちの働きのもとになりますけど、
悪魔の特徴は、とにかく私たちを苦しめて殺す、苦しめてダメにすることなんです。
悪魔をどうすればいいのか、それで悪魔をなだめる人たち、
この魔術師たちを思いやること、なだめることなんですけど、
悪魔の直性を理解するためには、皆さん、蚊を見れば分かります。
蚊は、私たちがいくら蚊にうまくやっても、蚊は私たちを刺します、血を吸います。
刺して吸う、これは蚊の本性です。
悪魔も、とにかくいじめ、苦しめ、騙す、いじめ、それで殺す、これが悪魔の特徴なんです。
いつまでなのか、悪魔が最後の最後に地獄に陥るまで、私たちを苦しめます。
しかし、この悪魔と戦うのが難しいのは、悪魔が目に見えません。
霊力の存在です。
目に見えないものが私たちを騙したり殺したりするから、悪魔が怖いんです。
悪魔をどのように勝ち抜くことができますか?
第一ペトロー公書8節9節、身を慎んで目を覚ましていなさい。
あなた方の敵である悪魔が吠えてあげる獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。
信仰にしっかりとのまって悪魔に対抗しなさい。
そうするなら、あなたたちから悪魔は逃げていく。
それで兄弟たちを守ることができると言います。
じゃあ、私たちはどのように信仰を持って悪魔に対抗するか?
私たちは神様が指示された通り、お互いに愛し合うなら、神様は私たちの間に臨まれます。
神様に従うなら、そこに神様はおられます。
神様に従わないなら、そこにはいられません。
従って愛し合うなら、臨まれます。
神様が私たちの間に共におられるんだという確信、これが信仰になりますけど、
この信仰、主が私と共におられる、それで悪魔に出てけ、知り抜けなさい。
明治るなら、悪魔はその信仰の力、神の御臨済の力によって知り抜けられるということです。
ですから私たちをこれからやるのは、愛し合うことによって主が、
ああ、本当にこの人はいい人、いい人、私はあなたと共にいる。
神様の御臨済を確信の上、信仰を持って悪魔に出てけ。
大抵私たちは悪魔に出てけという話をします。
しかしうまくできません。
なぜなら、神様が共におられるかおられないか確信もないのに出てけと言ったら難しいですよね。
でもキリストに皆によって出てけ、いくら言っても主が私と共におられるという確信が大事です。
そのためには主が命じられた互いに愛し合うことが大事。
愛し合いながら悪魔に命じるなら悪魔は出てきます。
また愛し合うなら幸せになります。
信仰と聖霊の力
皆さん、人間は幸せが一番大事です。
幸せになるなら皆さん病気も全部治ります。
幸せになるなら家庭も良くなります。
全てができます。
しかし幸せにならなくてお互いに戦ったり揉めたりするなら、
それはいくら頑張ってもなかなかうまくできない状態です。
どうすればいいのか、愛し合えばいい。
それをするなら私たちは幸せになる。
そうです、私たちが愛し合って一つになるなら、
強くなり悪魔を知り除け、そして私たちは幸せになります。
ところが問題はどのように愛し合うことができるかということです。
これを先週の金曜日の鳥梨祈り会でも分かっちゃったんですけど、
ローマ書古書古説にまず初めの答えがあります。
希望は私たちをあじゃまくことはありません。
私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。
不意を改めてイエス・キリストを信じる人は、
必ずその心に聖霊様が来られます。
聖霊様が来られたということを、永遠の命が生えてきたということと同じです。
聖霊様が答えです。
聖霊様が来られるときに、ただ来られるのではなくて、
神様の愛を持って来られます。
ですから、聖霊様がおられる人には、
この神の愛が私たちの中にあって、私たちを幸せにしてくださいます。
また、この神の愛が私たちを通して、いろいろな人々に伝えることができます。
神の愛と聖霊の働き
聖霊によって、聖霊様は私たちの中でそれをやってくださいます。
しかし、いつ私のうちにある神の愛が、
これを表すこと、示すことができるのか、祈るときです。
また、私が本当に主を愛したいです。
私の心の中にある神の愛を示してくださいと言ったら、
聖霊様がそれを示してくださるんです。
だから、私たちはキリスト者、特にキリスト者は、
愛したいという自分の心さえあれば、
誰でも愛することができます。
自分がやるんじゃなくて、私たちのうちにある聖霊様がやってくださるからです。
ですから、私たちはいつも心から聖霊様に、
主よ、私は愛したいです。その人を愛したいです。
その人は私をいじめるんだけど、私はその人を愛したいです。
力を与えてください。神の愛を表してください。
いつも私たちはこの話をすることが大事です。
それをなかなかうまくやらないから、
イエス様が最後の晩餐の後、何をされたんですか。
弟子たちの足を洗ってあげました。
そうしながら、ヨワネ13章14節。
主であり、死である私が、あなた方の足を洗ったのだから、
あなた方も互いに足を洗わせなければならない。
私があなたの足を洗ってあげたように、
あなたも他の方たちの足を洗いなさい。
そうすることによって、愛を示すことができるんだよ。
そのようにしなさいよ。そしてイエス様の模範を見せてあげて、
いつもイエス様を考えたら、ああ、私の足を洗ってくださった。
だから私も、ああ、他の姉妹の足、この兄弟の足も洗ってあげなきゃ。
と思うような、このような模範をイエス様が示してくださいました。
じゃあ、まず初めは、私のうちにおられる聖霊様が、
私たちはやろうとするなら、いくらでも神の愛、
私のうちにある神の愛を示してくださることができます。
じゃあ2番目、どうすれば愛ができるか。
それは信仰成長が大事なんだ。
信仰が成熟する人は何ができるのか。愛ができます。
信仰が幼い人は、愛ができません。
皆さん、サクちゃんに愛しなさいって言ったら、サクちゃん泣きます。
できないからです。しかしサクちゃんのお母さんがサクちゃんを愛するのは、これは非常に簡単です。
おばあちゃんもサクちゃんを愛したくてたまらない。
成長するなら、愛ができます。
成長できない人は、愛ができない。
皆さん、偉い牧師だと言って愛ができるか。
知識が偉い、メッセージが偉いことと、愛ができることはまた違いますね。
本当にこの愛は、成熟する人だけできることです。
ですから信仰が良いのか悪いのか、その人がどうなのかと考えるときに、
この人が愛できるか愛できないかを見ればわかります。
とにかく大事なのは信仰成長です。
信仰成長するなら、私たちのうちに信仰のいろいろな読目がたくさん入っているなら、愛ができます。
精霊10万、見事の10万になっても愛ができます。
じゃあ、愛ができなければ幼い人だと思いましょう。
愛ができる人が信仰立派な人、だったら私は幼いですかね。
信仰の成長と愛の実践
牧師が幼い信仰と言ったら恥ずかしいですね。
これから私も頑張らなければ、信仰成長して愛ができるように頑張らなければ。
皆さん、愛ができるなら第一クリート、中三書、すべての人を耐えていく。
すべてのことに許し、すべてのことを受け入れ、すべてのことを我慢し、すべてのことをみんなを使えることができるんです。
愛が大事です。愛が大事です。
ぜひとも愛ができるように今年、信仰を成長していきましょう。
じゃあもう一つ、神様を恐れ敬う心があるなら、愛ができます。
初代業界の信仰空洞体に愛ができたんです。
どうして愛ができたのか。
彼らが人たちの教えをいただき、そして一生懸命祈っていったんです。
人たちの教えをいただき、神様にしっかり祈っていくときに、この人たちの心に恐れ敬うことができました。
それをもって人々に使えることができた。
特に初代業界は、新しい方たちがたくさん業界に来ました。
もう業界は私たちだけじゃなくて、何人か人が来ているなら、
皆さん、この業界、なんとかできそうな、うまくできるような神様が共におられるような気がするでしょう。
この中で奇跡によって癒しが伴って、ある人が何か病気が癒されたという話がするなら、
教徒たち全体の雰囲気が万全に変わります。
それがまさに初代業界がそう立ったということです。
新しい家族も来られるし、奇跡も起こられるし、
人たちによって不思議な技が行なって、いろいろなことが起こるから、
うわぁ、うわぁ、うわぁ、新人たちが何か楽しみがあって、業界に奉仕することが本当に素晴らしかったです。
それによって初代業界が本当に大きな良い雰囲気になりましたね。
皆さん、これが全て恐れが生じたことばから始まったことです。
恐れって恐れを敬うこと、恐れを敬う心ができたということです。
恐れを敬う心は何でしょう。
罪人が糸高き神様の前で立って、神様の栄光を見た瞬間、
自分の心の中に恐れを敬う心はできるんです。
孟子が神の山に登りました。
神の山に登るときに、神様の栄光の光、
もういろいろ雷のような声、もういろいろな音が聞こえたときに、
もう孟子がちっちゃくなっちゃって、それで、シュワーと呼び求めました。
孟子の心に恐れを敬う心ができました。
それから主が言われる、十戒とか立法とかいろいろなこと、
孟子は一つ残らず全部成し遂げました。
なぜ?
心に恐れを敬う心ができたからです。
パウロがダマスコに行く丘のところで、
太陽よりもっと明るい光にパーンと照らされました。
ワーッとして馬から落ちてしまいました。
その時、パウロが何を見たのか、何がだったのか分かりませんけど、
彼は迫害者が電動車としてぐるっと変わりました。
一気に、俺はもう勉強して説明して、何かこれだからこうだよね、
だからあなた信じなさいと言う話もいらない。
もうその光に照らされた瞬間、彼の心がワーッと変わって、
迫害者が電動車に変わりました。
なぜなら、彼は神を恐れを敬う人になったからです。
皆さん、恐れを敬う心、本当に素晴らしい心です。
ペトロ、ヤクブ、ヨアネ、3人が、何かイエス様についていて、
神の山、変化山に登りました。
そこでイエス様の姿が、輝かしい神の姿に変わりました。
天使のような姿に変わりました。
そこでペトロ、ヤクブ、ヨアネは、もう怯えて、そう怯えて、
それで、主の前にひれ伏せたという場面があります。
どうしてペトロ、ヤクブ、ヨアネがそのようになったのか、
恐れを敬う心がワーッと与えられたんです。
罪人が主の前に立つなら、恐れを敬う心は出来ます。
この恐れを敬う心が信仰の始まりです。
この恐れを敬う心があったときに、
御言葉、従おう、兄弟姉妹、愛し合い、愛し合います、
した従順ができるパワーが、恐れを敬うところから出てきます。
じゃあ、私たちはどうしましょうか。
初代教会の体験と奇跡
恐れを敬う、何か心を持つために奇跡を見ましょうか。
今日、何か山に登って祈りましょうか。
今はそうではありません。
今日の聖書で何と言ったのか。
彼らは、使徒の教え、相互の交わり、
パンを炊くごと、祈るごとに熱心であったと言ったら、
この次に、彼らの心に恐れが生じたと言います。
皆さん、今の時代、
孟子のような神の山に登ってから恐れを敬う、
何か光を見て恐れを敬う心を持つことはありません。
パウロのように、タマスクの丘で何か光、
太陽よりもっと明るい光にパーンと照らされて、
恐れを敬う心ができることではあります。
もちろんそれでもできますけど、
皆さん、パウロはそこで太陽より明るい光に照らされて、
それから目の病気になって、死ぬ時まで目が痛くなった。
私たちはこれを願いますか?
それを願っていません。
私たちが願うことは何か?
神の御言葉、人たちの教え、神の御言葉をいただいて、
それを従順するために主よ力を下さいと言って、
切磋に祈る時に恐れを敬う心が生じた。
御言葉とお祈りによって聖霊様が働き、
聖霊様が照らしてくだされば、
私たちの心に恐れを敬う心が生じるんです。
私たちは今の時代、御言葉とお祈りによって、
聖霊の働きによって、神様の見えない神様が見えるように、
神の光に照らされたように、
私たちも恐れを敬う心にパーッと満たされる、
このような体験ができることを祝福いたします。
ぜひともこれをやっていきましょう。
このような恐れを敬う、この教導体の姿が、
初代業界で現れたということです。
首都行で二章四十三節、全ての人に恐れが生じた。
首都たちによって多くの不思議な技と印が行っていたからである。
信者たちはみんな一つになって、全てのものを共有し、
財産や持ち物を売り、各々の必要に応じてみんながそれを分け合った。
そして毎日ひたすら心に一つして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心を持って一生に食事をし、
甘美を賛美していたので、民衆全体から恋をいただいたと言います。
愛し合う教導体の理想
そうしたら神様がその教導体に、四十七節に、
主は救われる人々を日々仲間に加えて一つにしてくださった。
そのようなユートピアのような理想的な教導体ができたんです。
そこに神様が、伝道は私たちがやるんじゃなくて、神様が人を送ってくださった。
皆さん人だけですか?
この教導体に必要なものがあればものを送ってください。
金銭的なものがあったら金銭的なことをくださり、
そこに精霊注文が必要なら精霊注文を与えてくださり、
全てを満たしてくださる、その大事なこの場面がどうでしょうか。
これが指導行禅二章四十三節から四十七節までのことです。
神様は今も信徒たちがお互いに愛し合って一つになって、
強くなっているこの教導体を神様が願っておられます。
私たちができることは何ですか?
見言葉をいただいて、主よどうか私たちもお互いに愛し合う教導体にさせてくださいと、
切に切に祈るときに精霊様は私たちの中に働いて、
それで理想的な教導体を作ってくださり、
その理想的な教導体を見て神様が喜んで喜んで、
神様の全てを通して満たしてくださる。
人を送ってくださり、健康も与えてくださり、癒しも与えてくださり、
もう皆さんの心配することを全てを成し遂げてくださる、叶えてくださる。
その教導体が初代教会の教導体だったということです。
じゃあ、2026年の新年が始まりました。
私たちは何を願っていますか?
私たちはこの理想的な家庭、理想的な教会、
神様が一番喜ばれる理想的な家庭と教会を築くことをこれから願っていきましょう。
それを持って今日のメッセージを皆さん色々考えて持っていくなら、
主が私たちに必要な全てを満たしてくださり、私たちを幸せにしてくださり、
私たちを使って最後の時の日本のリバイバルと大収穫を起こしてくださると信じます。
私たちができるのは、互いに愛し合いなさいというイエス様の命令に従うことです。
新年の祝福と願い
これから私の自己中心的な考えがパクッと出たら、
知事化が出てきても色々なことがあってもそれを知り除け、それを捨てて、
本当に自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従いなさいと言われたように、
私たちもイエス様の後、兄弟たち、姉妹たちの足を洗いながら、
お互いに愛し合う、それを模範を見せながらイエス様の後についていきましょう。
そうするなら、2026年度、神様は私たちに全てを満たしてくださる、
素晴らしい祝福を与えてくださるでしょう。
教会が2階に来たら、空いている椅子がいっぱいあります。
ああ、椅子を見るときに、ああ、教会に信徒たちが来ればいいなと、
信徒たちが来ればいいなより先にやるべきことは、私たちがお互いに愛し合うことです。
そうするなら、人は神様が送ってくださるんだと言われるほど、
本当に神様はこれから大きな色々な印を私たちに与えてくださると信じます。
このような素晴らしい楽しい2026年度、
2026年を通して各家庭、各教会がますます発展し豊かになっていこう、私たちになりましょう。
お祈りいたします。
ハレルヤ主よ、2026年度新年の初めの礼拝、感謝します。
本当に2026年度、私たちはもう1年間チャンスを与えてくださったことに感謝します。
私たち今年は神様が言われた通り、お互いに愛し合う1年になりたいと思います。
どうか聖霊様、私たちを助けてください。
そして、互いに愛し合う私たちにならせてください。
そして、本当に私たち教会が主によく用いられる、本当に素晴らしい教会になりますように。
各家庭を祝福します。
また皆さんのお仕事を祝福します。
子どもたちの勉強を祝福します。
本当に今年私たちが願っている全てがうまく叶える、主によって叶える1年になるように祝福してください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン、ありがとうございます。

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