1. 名谷教会
  2. 2014/03/02:聖日礼拝(旧音源)
2014-03-02 35:03

2014/03/02:聖日礼拝(旧音源)

2014/03/02 聖日礼拝(旧音源)




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おはようございまーす。
今日も、礼拝をくださいました。
それでは、いつもように隣の方と会員の握手をしたり、挨拶したいと思います。
それでは、一言お祈りいたします。
手の近神様、今日も、あなたの民を、あなた自身が、主の宮に集めてくださいました。
どうぞ、神様、一人一人の心の中に、魂の中に、神様の御言葉を持って、あなたがお語りくださり、養ってくださり、
恵みを豊かに、そして、語るものは隠して、神ご自身だけが現され、御言葉だけが語られますように、
イエス様の皆によってお祈りいたします。
今日は、第2コリーント6章1章から2章のところから、今は恵みの時です。
一時期ですね、今でしょう、という言葉、早かに来たけれども、それにしようかと思ったんですが、
あまりにも、ちょっと軽々しく、今は恵みの時です。
皆さん、私たちが信じる神様は、恵み深い。
その神様は、まずは、全ての人に、その人は神様を信じている人であろうが、信じていない人ではないであろうが、
全ての人に、公平に与えてくださる恵みがあるんですね。
例えば、太陽の光、空気、水、雨、雪、植物や、あるいは動物や、あるいは海の魚など、
それはですね、全ての人に公平に神様が与えられる恵みなんですね。
神様を信じるだけに、いい太陽の光が照らされるわけではない。
あるいは信じていないから、そのところだけは悪い雨が降るわけでもない。
このような恵みを、いわば一般恩徴と言うんですね。
一般的に全ての人々に、神様が公平に与えられる恩徴、恵みなんです。
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ところが、これをなぜ恵み、恩徴と言うでしょうか。
例えばですね、雨が1年とか5年とか10年とか降ってこないとしたら、大変なことになると思うんですね。
植物も、全ての生き物も、いきなり亡くなるでしょう。
また、あるいは太陽の光がなくなったとしたら、もうこの地球上の全ての生き物はですね、凍って死んでしまうことになるでしょう。
ですから皆さん、考えてみますと、実は全ての人が、生き物は、神様の恵みによらないと生きられないと思うんですね。
ですから、これを恵み、恩徴と言う。
ところが、一般恩徴、一般恵みだけではなく、特別恩徴という恵みがあります。
それは、イエス様を信じるようになる恵みです。
罪許される恵み。
永遠の命をいただいた恵み。
そして、神様と共に歩む恵み。
それは、イエス・キリストを信じる者にだけ与えられる恵みだから、それを特別恩徴と言うのです。
ところが皆さん、私たちは神様を信じているわけですか。
神様を信じている国家だと言っても、全ての人が同じく深い恵みを預かれば、恵みを受ければいいんですけれども、実際にはそうではないこともあり得るということです。
ある方々は、毎日毎日本当に深くて大きな恵みをいただいているそういうクリーチャーもある反面、ある方々は浅い恵みで、生ぬり恵みだけで生きられるクリーチャーもあり得るということです。
それでは皆さん、毎日毎日のように、毎週毎週のように大きな恵みを、深い恵みを受ける、いただくクリーチャーの特徴は何でしょうか。
それについていくつか考えていただきたい。
そして、私たちみんなが大きな恵みを、豊かな恵みを毎日のようにいただくものでやりたいと願っております。
まずは、その特徴の一つは、悟る恵みがあります。
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皆さん、この悟るということは、実は神様による大きな恵みなんです。
恵まれたクリーチャーは、まずその一つは、自分自身のこと、自分自身のことについて悟る人です。
自分が神様にとってどれほど大事なものであるか。
自分の身分が本当にたったくて神のものであること、それをまず悟る恵みがあります。
また同時に、自分自身がどれほど大きな罪人であるか。
どれほど高慢なものなのか。
あるいは、どれほどこの世を愛しているか。
自分自身の本当の姿を悟ることができる。
皆さん、実はこれも恵みなんです。
神様の恵みによらないと目が開かれない。
霊の目が開かれなくて、自分自身のこの状況を正しく知ることができない。
しかし恵まれれば、これを悟ることができる。
その二つは、神の恵みがどれほど大きなのか。
それから、恵みなくしては一瞬も生きられないことを悟る。
神の恵みなくしては一瞬も生きられない。
イエス・キリストを仰げみる時が一瞬もなくなったら生きられない。
これを悟ること、これも実は恵みなんです。
神様が自分自身の人生の責任を負ってくださる。
助けてくださる。
共にいてくださる。
それを深く、鳥肌が立つほど深く感じて、悟って、それを体験させていただく。
それも実は恵みではない。
このように神様から恵まれることを命のように大事にする。
それも恵みなんです。
恵まれた人が神の恵みをますます求めて、慕って、それをいただこうとするその熱さ、切なるこの礼があるんですね。
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その三つ目は、何をするのか。
自分の使命をなぜ生きるのか。
なぜ仕事をするのか。
なぜお金を儲けるのか。
あるいはもっとも根本的にあらずですが、なぜイエス・キリストを信じるのか。
その使命を悟ること。
イエス・キリストを信じながらどう生きるべきなのか、それを悟る。
実はそれも恵みなんです。
恵みによってそれを悟ることができるんですね。
ひとつのことを紹介したいと思います。
日本にもそのショップがありますけれども、陽気屋さんでフォーエバー21、皆さん知ってますか?
知りません?確かに若い人が好きなブランドだからですね。
アメリカで始まって、日本にも渋谷とか東京とかですね、それぞれでものすごく結構人気のあるショップですけれども、
この宣伝をしているわけじゃないです。これを始めた人のことですが、この夫婦の冊子ですけれども、
在米の韓国人でチャンという名前で、チャン・ドーンという長老の夫婦です。
クリさんの方です。
30年前、1984年か88年ぐらいだったんですね。
アメリカのLAで小さな陽気屋さんを始めました。
彼はもう代々のクリさんの家族で、その親戚全部合わせると牧師が27名も、その家系から、
そして産路さんがあまりにも多くて数え切れないほどの立派なクリさんの家系だったわけです。
初めはアメリカに海に行って大変苦労して、もういろんなバイトをしてきました。
でも彼は立派な親戚を持っていましたから、LAで小さな陽気屋さんを始めるときに、彼の中には夢があったそうです。
それは世界選挙にさせていただきたい。
特に市民の東南アジアとかアフリカとか、あるいは南アメリカとか、そういうところにいて、
その救済を通して選挙をさせていただきたい。また学園選挙をさせていただきたい。
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そういう夢を持って、でも貧しいんですね。
小さい店、一つしか営むことができない、そういう経済の状況でした。
しかし彼は祈ったそうです。
神様、世界選挙をするために、学園選挙や救済選挙をするためにはお金が必要です。
神様、私が金持ちになりたい柄ではなく、神のためにもっと大きな働きをしたいです。
神様、お金もあなたのものですから、儲けさせてください。
夢を持って、一つの店から始めました。
不思議な見る目をおきまして、もうですね、LAのお金をかき集めるような、
そういう大きい店が一つが二つと二つが増えて増えて、そしてアメリカから中国へ、日本へ、韓国へ、
今はですね、世界に400のお店があるんです。
それから2011年には、アメリカの金持ちの順位があるんですよね。
第一はビルデッジさんですけど、このチャンさんのフードはアメリカでですよ。
88位の金持ちになって、あの時の1年間の売り上げが約4500億円くらい。
ただ、あまり驚かないですね。そんなにお金放置でしたか、皆さん。
1兆円くらい持ってるんです。4千円くらいです。
小さなお店一つでですね、あれぐらい、彼の赤足の文章ですね、読んだんですけど、
彼には徹底した信仰があります。
この一つは、小さい時から十分の一を必ず神様に捧げる。
でもですね、貧しい時は当たり前ですよ。
20万円もらう時には、そこで2万円は捧げやすいかもしれません。
しかし、2千万円を儲けるなら、200万円を十分の一は捧げるんです。
でも、彼は今も個人の十分の一も、あの400店の全部の売り上げの十分の一も徹底に捧げているようです。
日々、国がですね、学校を建てるために何千万円の補給も喜んで捧げている。
特に北朝鮮に対する重荷があるわけなんですね。韓国人ですから。
そこでですね、市庫の田園にもですね、何度も訪問して、そこで食料や様々な救済の活動を毎年毎年続けているそうです。
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その奥さんはですね、彼の赤い日を聞いたらですね、例えばブチとかシャネルとかなんとか、そういう有名なハンドバッグとか一個も持っていないそうです。
素朴で素朴で暮らしているそうです。
皆さん、このように恵まれれば、恵まれたクリスタルはなぜ生きるのか?
仕事をしてもお金を儲けてもなぜそれをすべきなのか?
それを悟る恵みがある。
このようにですね、私たちも恵まれて、まずは自分の罪を、それを自分の駒を悟る。
イエスとキリストの十字架の恵みを、生命の働きを悟る。
そして自分の人生の使命を悟る恵みが私たちに豊かに注がれて、そのような使命を、恵みを悟る私たちがやりたいと。
大きい二番目は、その恵みは変わる恵み、変えられる恵みがあります。
神の恵みをいただいて、悟った人がイエス様を信じるほど、人生が変わり、人格が変わり、生活が、言葉が変わるでしょう。
恵まれれば恵まれるほど、断固な人が温存な人に、恵まれれば恵まれるほど、言葉にしょっちゅう棘があった人が優和な人に、愛の人に。
恵まれればですね、何より神中心、御言葉中心、教会中心、恵み中心の信仰生活に変えられるんです。
ところが皆さん、恵まれていないと、七刃教会を通っていても、ただ行ったり来たりするだけになりがちです。
しかし、恵まれれば、自己中心から神中心の生活に、生き様に変えられる。
皆さん、恵まれた人はですね、御言葉を慕うその情熱、礼拝を慕う情熱が人を誓う。
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もう全く変えられるんです。別人のように変えられるんですね。
恵まれていないときには、御言葉に対する、礼拝に対するその熱心もですね、ぬるい。
しかし、恵まれたら、礼拝に対するその情熱が、その渇きがですね、本当にすごいです。
恵まれないと、生きられないほどその死体を求める。
また、恵まれたら、教会中心、恵み中心、神中心の自分のダイエットスタイルが変わるんです。
もう一つの証をさせてもらいたいと思いますが、
福岡にですね、この前ハンナから聞いたんですけど、うちの知り合いの選挙主の家族がいるんですが、その長男さんが今年、大学の受験なんですね。
その長男さんは、日曜日の礼拝は他の教会で、学校が福岡ゴステル教会が営んでいるチャーシュスクルに通っているわけですから、
金曜日の夜の祈祷会に、自分一人で祈祷会にもよく出席するそうです。
大学に行くわけですから、最初はですね、韓国に戻ってですね、韓国に入りたいと思っていたところ、祈れば祈れるほど日本で入学しました。
そして、あなたが若者の伝説のために働きなさいという見事が語られてですね、それで福岡に西南学院大学というバッテスト派の科学もあるミッションを作ることがあるんですね。
そこを受験することにしました。ところが、科目の中でですね、数学だけがなぜか日曜日に試験があった。
それで彼はですね、迷うことなく日曜日の受験は自分はいかない。日曜日は正日で、税配の日だから自分は教会に行く。
後から行くんじゃない。いや、もう数学の試験それ自体をしない。いかなかったそうです。どうなったんでしょうか。
落ちたらこの穴は広がりはしないんですよね。見事に。一つの科目をやめても神様を大切にする。礼拝をですね、自分は落ちても礼拝を守る。
そういう素晴らしい神様が、これは何があったことでしょう。しばたよさで受かったんですね。
だからさ、恵まれたクリスチャンはこのように生き方が、行いが変えられるんです。大学の受験より神を礼拝する礼拝を大切にする。
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自分より神様をもっと大切にする。それを悟るんですよ。それがわかってくるんです。それは何によるんですか。恵みによるんです。
だから恵みのいただかなければ。
生徒一括ですね。一緒に見てみたいと思います。
質エジプト記三図三書十九節です。三図三書十九節。旧約聖書156ページです。
ではご一緒にお読みしたいと思います。
三、はい。主は仰せられた。あたし自身、あたしのあらゆる善を、あなたの前に訪れて、主の名であなたの前に宣言しよう。
あたしは恵もうと思う者を恵み、憐れもうと思う者を憐む。アーメン。
後半のところに神様が仰せられました。あたしは恵もうと思う者を恵み、憐れもうと思う者を憐む。
皆さん、あたし達が神様から大きな恵みをいただくためには、神様から大きな恵みをいただけるものでなければなりません。
例えば、この前ロシアのオリンピックが終わりましたけれども、オリンピックで金メダルを獲れたのです。
そうするならば、金メダルを獲れる実力のある選手にならなければならない。そうなんですよね。同じなんです。
神様の恵みをいただけるその冷静を持つ、慈しさを心を持つ、このような霊的な態度が何より大事なんです。
もう一度申しますと、神の恵みを豊かに深い恵みをいただける私の霊的態度が何より大事。
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どんな態度でしょうか。その一つは、まずは恵まれたい、恵みをいただきたいという、本当に切なる、深い霊的態度。
もう一箇所、ステージを見てみたいと思います。四編です。四編、107編、9節、1016ページです。では、9節を一緒に読みたいと思います。
3、まことに主は渇いた魂を満たらせ、飢えた魂を良いもので満たされるあって。
これなんです。皆さん、私の魂が渇いた魂であること、飢えた魂であること、そうすれば、主が満たらしてくださる、良いもので満たしてくださるんですね。
ですから皆さん、何より神の恵みを、礼拝の恵み、御言葉による恵み、祈りの恵み、あるいは兄弟姉妹、この交わりによるこの恵みをですね、もう渇きをもってですね、切なる心をもって舌を渡し出しとなりたい。求める。
皆さん、メグマレール・クリスタンの態度は、この舌を渇く切なる霊的な習性があるんですね。
例えばですね、例えば一週間も食事をしていないと、美味しい食べ物を見たらですね、もう食べたくなってですね、もうむちゃくちゃ食べてしまうんですよね。
このような切なるこの深刻、冷静なんです。何があっても、どんなことがあっても、恵みをいただきたい。その切なる冷静、それを持っている者一種が恵みをあふれるほど。
二つ目はどんな姿勢・態度でしょうか。チャンスを逃さないです。
今日の御言葉通りに、確かに今は恵みの時、今は救いの時です。この御言葉を常に思い起こして、そうだ、今が恵みの時なんだ、今が救いの時なんだと思って、そして御言葉通りに動くクリスタンです。
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恵まれるチャンスを逃さないんです。他のですね、例えば太刀法の大丸の生力チャンスを逃しても、神の恵みのチャンスは逃さない。
だから恵まれる何かの時があれば、それを積極的に祈れるチャンスがあれば、そのチャンスを獲得する。御言葉を学べるチャンスが与えられたら、それを積極的にそのチャンスを獲得して学ぶ。
皆さん、恵まれる人はその霊的な規制から異なる。皆さんどうか恵みのチャンスを逃さないでほしい。何とかして恵まれるチャンスを獲得して皆さんのものにしていただきたい。そして恵まれるクリスタンになりたいと。
理解してみますと、皆さんがですね、本当にこの恵みをしたい、求める方々が大勢いらっしゃる。何とかして一回でも多く、一度か二度かして御言葉を学びたい、祈りたい、交わりを持ちたいと、そういう風にですね、本当にその御伝うこの切なる霊性がですね、神様が大いに喜んでおられることです。
皆さん、私たちが恵まれるチャンスは、百年千年続くわけではないでしょう。生徒を読みたくても、目が暗くなって読めない時が来る。教会に行きたくても歩けない。あるいは寝立ち来て、礼拝に出れない時が来るかもしれない。
あるいは、生徒を学びたくても、教えてくれる御聞きが少なくなって、なかなか御言葉を学ぶことができない時が来るかもしれない。あるいは、キリスト教が、この信仰が発売されてですね、集まること自体が難しくなる、禁止される時代が来るかもしれない。
ですから、今が恵みの時であり、今が祈る時であり、今が御言葉を学ぶ時なんです。今が礼拝する時なんです。今を逃したら、明日は来るかどうか、誰も確信できないんです。
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明日があると言えるでしょうか?また来週があるから言えるでしょうか?それを誰が自信を持って言えるでしょうか?誰にも確信して言えません。明日があるのも、来週の礼拝があるのも、全ては神様の権限であります。
だから、私たちは常に、今日が、この礼拝が、自分の人生にとって最後の礼拝かもしれない。今日の奉仕が、私の人生で最後の奉仕であるかもしれない。今日の祈りが、今日の御言葉が、今日の礼拝が最後のという、この有末論信仰を持っていきたいと思います。
神様が今晩でも、私たちの命を取ってくださるならば、明日もありませんし、来週の礼拝もないでしょう。もちろん、神様共に永遠に礼拝する、もっと素晴らしいところに生かしていただくわけですが、今が恵みのチャンスなんです。
恵まれたキリッパンはですね、その時その時の礼拝を、祈りを学ぶチャンス、恵まれるチャンスを大事にするんです。
神様に行くときに、何年前か手に召されたある婦人の方ですけど、足が不自由なんですね。でも、来週水曜日、バスも何回も盛り替えて、1時間半日が掛かって、市都会に来るんです。
で、水曜日、礼拝を散歩して、その翌日木曜日に亡くなって、手に逃されました。水曜日ですね、一緒に市都会に来ましたから、それはわかるんですけれども。
皆さん、このように、今日が礼拝。私の人生の最後の礼拝だったら、皆さんどんな気持ちで礼拝するんでしょうか。その姿勢が、心の姿勢が変わると思うんですね。それほど恵みを慕うクリスチャンでありたいと。
皆さん、今こそ恵みの時です。
3番目、謙遜な人が大きな恵みをいただきます。謙遜な人は、きっちり神の恵みを求めます。渇きをもって求めます。
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謙遜な人は、神の恵みを失くしては、一日も一瞬も生きられないと。だから、謙遜な人は、イエス様がおっしゃったように、心の貧しい人です。渇いた人です。この神の恵みに対する渇きがある。
皆さん、よくよく考えていただきたいと願っておりますが、ですから、恵みに対する態度によって、自分の人生の祝福が決めつけられるわけです。
自分がどれほど神様に対する恵みを期待、求めているのか。そして、どれほど恵まれているのか。それによって、その人の人生の道が、歩みが、祝福が決めつけられるわけです。
私は恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたに助けた。確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
どうか、両谷都会の皆さん全てが、渇きをもって、恵みを期待、求めるクリスチャンでありたい。そして、恵みをいただいて、神様ように用いられるクリスチャンでありたい。恵みを期待、求めてまいりますように。お祈りします。
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