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2025-09-28 35:17

「祈る教会で行われること」2025年9月28日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年9月28日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)使徒12:1-12そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。3 そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。4 ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引き出すつもりであった。5 こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。6 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。7 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。8 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。9 それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。10 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。11 ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」12 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。

 メッセージ題 : 祈る教会で行われること(使徒12:1-17)
*信仰で一番大事なこと、ヨハネ17:3正しい信仰をいつまでも持ち続ける為に必ず覚えるべきこと。1)過去の私は?、2)私の為のイエス様に出会った!、3)その後、私はどのように変わったのか。
*特に、ヨハネ1:12神の子供となる特権?
1)救いの確信 、2)祈りの応答の確信 、3)謝罪の確信 、4)導きの確信 、5)勝利の確信・・・ このような確信を知れば知るほど。今日は使徒12章を通して

1.迫害されている教会
*12節、ヘロデとはエドム人、本人と孫がユダヤの王として?ユダヤ人の反発!どのように鎮めるか。神殿を建てながら、ユダヤ人と悪い関係の教会の迫害を通して・・・3節、ユダヤ人が喜ぶことを見て?先ず、ヤコブを殺し、次はペトロを殺そうと。しかし除酵祭だったので暫く牢に。しかし、使徒5:18―19脱獄ができないように厳しく!可能性は全くない。→これはエルサレム教会の信徒たちには衝撃的
*もし初代教会でペトロがいなくなると?また次はどんな使徒がターゲットに?教会はどうなる?

2.そのとき、エルサレム教会は、何をしたのでしょう?
*デモ?賄賂?怖くて解散? ヘロデには政治権力があった。何でも用いられることができるvs力がない教会!ヘロデと対抗できない。また、ユダヤ人がヘロデの味方?どうすることが出来ない、しかし教会が持っている唯一で強力な力が!それがお祈り!12節を見てますと、教会は熱心な祈りを神様に・・・祈るんだって何が変わるのか?ここで、祈りの応答の確信、勝利の確信を!Ⅱコリント10:4悪魔の要塞を破る神の由来する力はお祈り! *お祈りが怖いのは?その祈りを神様が聞いてくださって応答されるから! 世の中のどんな権勢も神の権勢に対抗できない。神にはできないことが無いから!全知全能!私たちの祈りを聞かれて神様が働かれるか悪魔は怖がる
*お祈りには個人の祈りと共同体の心合わせの祈りがあるが・・それは銃一発とミサイルの違い。
*マタイ18:18‐20主のご臨在の中での共同体の祈りは神の玉座を動かす力が!喜ばれる神様

3.では、エルサレム教会が心を合わせて祈った結果は・・・どうなったでしょう?
*6-10節、祈りの結果、主の天使が現れ、ペトロを救い出しますが・・・ヘロデの兵士たちが厳しく見守っている状況にもかかわらず夢うつつに救い出されました。霊的な働きと実際の現実の?
*このような結果を生み出した決定的な原動力は?教会の心を合わせたお祈りの力であった。
#私たちの周りにも・・・主の助けが必要な大勢の人々!長い闘病生活で、精神的な問題で、中毒に陥て、経済的な難しさで、家系に流れる呪いで・・・<-今も教会の心合わせた祈りで救われる方々がいるなら! #神様は答えてくださいました。しかし!自分たちが祈ったのに、祈りの答えを受け入れない信徒たち?それほど可能性がなかったことだった。15節、「あなたは気が変になっているのだ」、「それはペトロを守る天使だろう」と言うほど。 @イザヤ55:11神様は約束されたことは必ず成就される。祈りながらも信じない信徒たちを憐れに思われた主に感謝!これから・・・

サマリー

このエピソードでは、教会の信仰と祈りの重要性が説明されています。特に、使徒行伝を通じて、迫害の中での教会の祈りがどのように力を発揮したかが強調され、信者が持つべき5つの確信についても触れられています。教会の祈りが持つ力とその重要性が探求されており、ペテロが牢に閉じ込められた際、共同体の祈りが神の働きを引き起こし、奇跡的に彼を救い出した経験が強調されています。また、祈りの重要性と信仰による奇跡の体験が語られ、ペテロが救われたことを通して、共同体の祈りが持つ力と神様の恵みについて掘り下げられています。

信仰の三つの部分
今日は、「祈るなら祈る教会で行われること」という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
教会は6月聖霊降臨日をきっかけとして、使徒行伝を今一緒に分かち合っているところであります。
先週、使徒行伝9章、パウルになる前のサウルの変化、改新という部分を分かち合いました。
そこで私が強調したのは、私たちの信仰は大きく3つの部分が分かれます。
1つは、救われる前の私の状態があります。
そして私はイエス・キリストに出会います。
イエス・キリストと出会った後の自分の姿、この3つの部分を私たちはいつも思い出さなければいけません。
これがしっかりできた人はいつまでも正しい信仰、また強い信仰を持ち続けられます。
しかし、この3つの部分がうまくできない場合、これがもう曖昧な信仰、生ぬるい信仰になるしかありません。
シト・パウルはそれがしっかりできたので、それを聖書が強調して、
シト・ゲーデン9章、シト・ゲーデン22章、シト・ゲーデン26章、
同じ人の記録を3回も聖書は強調しています。
これが大事だということだと皆さんに申し上げました。
イエス・キリストとの出会い
シト・パウルは何があったのですかね。過去の自分がよく分かっていました。
また、イエス様は本当に素晴らしいイエス様に出会いました。
それら自分の使命までしっかり受け取って、それで人はぐるっと変わりました。
じゃあ皆さん、私たちは昔はどうですか。
昔、私たちの霊的な状況は6つの状況があると言いました。
はじめは、未信者はみんな悪魔の奴隷です。
悪魔の何と言いましょうかね、しもべだと言いましょうか。
悪魔の支配を受け入れます。
また、悪魔の支配を受けている人は全部、霊的な問題を、
対応できないのは、今日学んだ空情。
空情を拝まない人は世の習しに従う。
もうこれは当たり前のことです。
なぜなら、この世の空中の勢力を持つ者は悪魔ですから。
悪魔が指示する通りにしなければいけない。
だからそこから霊的な問題が来ます。
また精神的な問題、また様々な体の問題を持っていきながら、
また死んだら地獄に行きます。
それで終わればいいんですけど、
自分の子供たちに、何とか自分がやったことを、
あなたたちもやってくれと頼んでから死にます。
だから、未信者の状態は全部この6つの状態。
悪魔の奴隷、またその中で霊的な問題、精神的な問題、
体の問題、そして死んだら地獄、
そして同じ呪いを子孫たちに親譲りしてから死ぬ。
みんな同じです。
よくよく見てみてください。
じゃあ、それでイエス様に出会いました。
イエス様が私のために十字架で死んでくださり、そして復活された。
このイエス・キリストによって私は新たに生まれ、救われた。
これはイエス・キリストに出会ったことが、
はっきり自分の心の中で証しがしっかり持っていかなきゃいけない。
これが強ければ強いほど、確かければ確かほど、
私たちには力があります。
また、信じた後、私たちはどうなったのか。
皆さん、私たちの信じた後の私たちの状況を、
確かに理解する必要があります。
この中で私が強調したいのは、
ヨアネ1章12節に、
その名を信じる人々には、神の子供となる独権をお与えになった。
新開薬聖書。
神の子供になる資格を与えたと聖書は書いてあります。
神の子供としての資格、独権、これは一体何でしょう。
私は5つを持って皆さんに紹介しました。
私たちには救いの確信があります。
皆さん、今日私は死んだら天国に行く。
確信ありますか。
この確信がなければ、自分は救われたということはまだ曖昧でしょう。
だったら信仰が曖昧になるしかないと思う。
私はイエス・キリストによって救われた。
今日私は死んでも天国に行くんだ。
この確信さえあれば死んでも構いません。
私はどうでもいいですとなります。
まず大事なのは救いの確信。
2番目、祈りの答えの確信。
皆さん、今父なる神様が私の父になりました。
父は子供の声を聞いてくださいます。
私の父は私の声を聞いてくださるんだという、
子供が親を愛する、親が私を愛してくれるから
私のすべてを聞いてくださるんだという確信。
これは子供だけが持つことができる確信です。
祈りの応答の確信。
また、罪の許しの確信。
もちろん私たちはイエス・キリストの中世教の
師匠によって清くなりましたけど、
生きながらまた罪を犯します。
また罪を犯すということは、
この罪をきっかけとした悪魔に隙を与えることもできるし、
いくらでも私たちも呪われることができます。
この罪の問題をどのように解決しましょうか。
それをイエス・キリストの中世教の師匠に委ねて、
悔い改めれば許されるという確信。
罪が清くなるということ。
自分の罪を公に現すなら、
神は真実で正しいお方ですから、
私たちの罪を許し、すべてを清めてくださるんだと。
この確信。
第一王の一書九節の確信。
これは罪の許しの確信です。
呪いがシャーッと消えていきます。
また、私たちは導きの確信があります。
神様は私たちを導いてくださるんだと。
信じる人の心には聖霊様が来ておられる。
助け主。
助け主の役割はいろいろありますけど、
その中で感謝したいのは、
ローマ一書八章二十八節。
私たちが罪を犯したとき、私が悪いことをしたとき、
過ちを犯したとき、
すべてが合わせて善になるように、
助けてくださるお方が私にあります。
だから、過ちを犯しても、まあいいんじゃないか。
また、いろいろな罪を犯したとしても、
悔いを改めながら、
主が私たちをすべて取り返してくださるんだと。
皆さん、神様が私の道を導いてくださる、
この確信がなければ、
過ちを犯したなら、
過ちをきっかけとして、
もっといい道に行くようにしてください。
このような確信。
これが導きの確信です。
また大事なのは、勝利の確信です。
皆さん、指導経験をずっと学びながら、
見てみてください。
人たちは、この5つの確信が忠実になりました。
イエス・キリストの皆、
全能の王、
万王の王、万主の主であるイエス・キリストの皆によ、
勝利を与えられる。
イエス・キリストに何を言っても、「出てけ!」と言っても、
出て行くんだという確信、信仰。
皆さん、これがどれほどのパワーでしょう。
だから、この5つの確信を持って生きる人が、
神の子供であり、この神の子供の特権なんです。
これを知れば知ろうと力になりますけど、
これを知らなければ、
キリスト者なのに何の力も持てない、
かわいそうなキリスト者になるんですね。
じゃあ、今日はこの中で、
教会の祈りの力
祈りの答えの確信部分を、
指導経験12章を通して、
分かち合いたいと思います。
私たちの教会も、初代教会のような、
祈りの教会になっていきたいと思います。
指導経験12章を見ていますと、
迫害される初代教会。
1節、2節に見ていますと、
その頃、ヘロデ王は、
教会のある人々に迫害の手を伸ばし、
ヨアネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
このヘロデ王ということは、
ヘロデ大王ではなく、
ヘロデ王の孫である、
ヘロアグリッパ第一世です。
ヘロデ王の家門、血統は、
ユダヤ人ではありません。
これはエッサ王の子孫、エドム人なんです。
だから、ユダヤ人ではなく、
エドム人なのに、
ユダの王になっているから、
ユダヤ人の反対が多かったでしょう。
ですから、このユダヤ人が反対しないように、
どうすれば、この人たちの関心を、
私たちが買うことができるか。
それで、ヘロデ神殿を長い間作りました。
それから、また、その上、
イエス様を信じる教会を、
ユダヤ人たちが大嫌いだということが分かりました。
ああ、そうだ。
ユダヤ人たちの関心を買うためには、
この教会を迫害することは良いんだと思って、
人たちの中で、一人、ヤコブを殺したんです。
そしたら、ユダヤ人たちが大喜びをしていることを見て、
そうだ、この次にまた、
ペテロも殺そうと思って、
ペテロを捕まえたんです。
この地域が、杉越の祭りの地域だった。
だから、杉越の祭りの地域は、
人を殺すのはやめようと思って、
それで、ペテロを牢に入れたんです。
そして、祭りが終わったら、
すぐ、ペテロも殺し、
次にまた、他の人たちも殺しながら、
ユダヤ人の心を得ようと思っていたんですね。
ペテロは、以前、使徒御殿公書を読んでみますと、
牢に入れられた場合がありました。
その時、天主たちの助けによって、
牢に入れられたのに、
外に出て、神殿でメッセージを知っていました。
このペテロはどうすればいいのか。
そして、今度は16人、
4人、1組の4組、4チームを加えて、
一晩、16人が見守る中で、
今、牢に入れられているところなんです。
ペテロの手には鎖が縛られていて、
そして、また、
脱獄するような要素は全くなかった。
人間としては脱獄できないほど、
厳しく守っていた。
ペテロが捕まえたということは、
ペテロは当時、エルサレム教会のリーダーだったので、
リーダーが捕まえて殺されるということの話は、
教会には大きな刺激ですね。
もし、皆さん、私が捕まえていなくなった、
韓国は今、教会が迫害されているところで、
教会の牧師が今、牢に入られている方がいます。
大変な状況です。
もし、ペテロがいなくなったら、教会はどうするんですか?
次に、また他の人たちが捕まえて殺されるなら、
これから教会はどうなるでしょう?
教会がいなくなってしまうんじゃないかと思いました。
そのような教会に与えられた迫害、
その危機の中で、教会は何をしたのか?
教会は祈ったということです。
後説を見ますと、
こうしてペテロが牢に入られていた教会では、
彼のために熱心な祈りが神様に捧げられていた。
ヘロディンには政治権力があります。
今度、今、韓国の状況が難しくなっているので、
韓国の状況を見ていますと、
政治権力というと、これほど怖いのかと分かります。
何でも使います。
人を、個人を牢に入れるのは簡単。
殺すのも簡単ではないかと思います。
ヘロデ王は武力を通して、
政治権力をいくらでも使うことができます。
しかし、教会は?
教会は力がありません。
教会が剣を持ってヘロデと戦うこともできないし、
教会がお金がたくさんあるから、
お金で何か賄賂をしながらペテロを救い出すこともできない。
教会が持っている力が全くないんです。
また、ユダヤ人たちもヘロデの味方になっていることだから、
この世の中のすべてが教会の敵のような状況です。
教会はどうすればいいでしょう?
しかし、教会が持っている唯一の力があるんですけど、
それが何かと言いますと、祈りなんです。
教会では、彼のために熱心な祈りが神に捧げられていた。
たぶん、マルコの家に神徒たちが集まって、
寄託し神様に祈っていたと思います。
ところが、皆さん正直に考えてみてください。
このような状況の中で、ペテロがローから救い出される道が全くない。
ヘロデは、もう次の日にペテロを連れ出して、
それで殺すように計画をしっかり立てている。
祈りの力の理解
だから、16人の組がペテロを今見守っている。
この中で、どのような力がそれを救い出すことができますか?
私もそうですけど、教会は祈りますから祈ります、
というような口癖のように使っているような気がします。
なぜなら、他の方法がないから、もう私は何にも持っていないから、
だから言い訳、私が何にもできませんということの言い訳みたいに、
祈っています、祈っていますと乱発しているのではないかと思います。
しかし、そうではありませんでした。
祈りはパワーがありました。
第1コリント、第2コリント、中書4節を見ますと、
私たちの戦いの武器は陸のものではなく、神に由来する力であって、
要塞を破壊するように足ります。
要塞を破壊するほどの大きな神様から由来する武器があるので、
それが祈りだと言っている。
事実、私たちは祈りを軽く使うんですけど、
祈っていますと言いますけど、
事実、悪魔が一番怖いのが祈りなんです。
祈りが怖い理由があります。
それは、この祈りを聞いて神様が働かれる。
神は全知全能ですから、神様に対抗するものは世の中にはないものですから、
神様が働いたら悪魔はしょうがない、何にもできない。
神様が働いたら大変なことなので、神様の働きはどうされるのか。
地上で祈る祈りの人の声を聞かれて、天から裸。
だから、地上で祈る祈りの声が神様には必要です。
なぜ神様に祈りの声が必要なのか。
人間は自由意志があるので、私が神に従うこともできるし、悪魔に従うこともできます。
だから、神の身分を知っている人たちが地上で祈ることを聞いて神様が働く。
またその理由は、この地上は世の中の全ては神様が人に任せられたから。
だから神様は世の中の全てに対して、神様が持ち主だと言っても勝手になされない。
人間にお話をされて、人間が動くようにされる。
神様は預言者である人たちに言わなくて勝手に働くことは何もないと、アモスには言っていますね。
だから神様に一番必要なのは祈りの人の声なんです。
その祈りの人の声を聞いて神様が働かれる。
人間は何もできないけど、祈ることができるんです。
私の祈りを聞いてくださって全能の神様が働く。
これは悪魔には一番怖いんです。
私たちは祈りを軽く考えるんですけど、悪魔は祈る声を聞いたら怯えるんです。
神様は喜ぶんです。
だから祈り声ほど悪魔に怖いものはありません。
だから私たちは祈りを持っていかなければならないのに、祈りの意味を、祈りのパワーをよくわからなくて、
言い訳のように、ごめんなさい、祈ってますから、祈ってますから、ということをこれからやめましょう。
共同体の祈りの重要性
本当に祈りはすごいパワーを持っていることを考えながら、
祈りますから、心配なさらないでください、というような大胆な神道になれればと思います。
ある方はこう言います、集まって祈る必要があるのか。
皆さんそうですよ、お困ったところに入って、自分一人で個人的な祈りも大事でしょう。
しかし個人的な祈りは、戦争のところで銃を持ってバーン、バーンと撃つことと同じだと思います。
しかし、教会が集まって祈ることは、まるでミサイルを発散するようなものすごいパワー、
銃一発とかミサイルと違うように、個人の祈りとこの教会の祈りは違うんです。
大事なのは、空中の勢力を持っている悪魔はいつも私たちの心の中、
またあるシステムの中で要塞を作っておいて、この要塞を通して全てを打ち破るものですから、
この要塞を破壊することが大事なんで、要塞を破壊するところには銃一発ではできない。
ミサイルを通して破壊しなければならないということです。
イエス様が魔界18章18節がこう言いました、
はっきり言っておく、あなた方が地上で繋ぐことは天上でも繋がれ、
あなた方が地上で解くことは天上でも解かれる。
またはっきり言っておくが、どんな願い事であれ、
あなたたちのうち二人が地上で心一つにして求めるなら、私の天の父はそれを叶えてくださる。
二人また三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのであろうと言います。
神様がご臨在されるところで共同体が集まって祈る。
そこには神の玉座を動かすパワーがあります。
共同体の祈りは神様は必ず聞いてくださるし、早く聞いてくださいます。
優先的に応えてくださいます。
ですから私たちは個人の祈り大事なことです。
しかし共同体が集まって祈るところがありましたら、
そこに私の力も加えて一緒に祈ることによって、
私たちも教会がたくさんのミサイルを持って確保している教会になっていきましょう。
だからあちこちに問題があったらミサイルをこっちあちこちに発射するような大きなパワーを持つ教会になりたいと思います。
ではエルサルム教会が心を合わせて祈った、共同体が祈った結果がどうなったんですか?
杉越の町野の日、共同体が祈ったら何かありました。
ペテロが牢に閉じ込まれているそのところで神の密会があった。
神の密会ということは天使だということもあるし、
神様の密会が動く必要があるのが精霊の働きがあればいいんじゃないかといろいろありますけど、
神様の働きがいろいろ方法があるんですね。
ペテロは今鎖で繋がれていて、
ペテロの周りには16人の組が、今ペテロが日が明るくなると、
今すぐ処刑するように準備しているところである。
そのところで、突然主の天使が現れた。
主の天使が現れてペテロの脇の腹を続いて起こした。
急いで起き上がりなさい。
すると手で捕まえたこの鎖が自然に外れた。
帯を締めて履物を履きなさい。
そしてペテロに上着を着て私についてきなさい。
すると天使が連れて行くんです。
皆さん、この場面がどんな場面と同じですか?
昔々、出エジプトの時に、杉越の祭りの最後のところに、
イスラエル人たちが帯を締めて履物を履いて、
それで今出エジプトする場面と同じような場面が、天使がここで現れます。
杉越の祭りの最後の時、ペテロも天使が現れて、
同じようなことをやりながら私についてきなさい。
これで天使についてずっと出てくるんですけど、
面白いのは、兵士たちが今見守っている、目を開けて見ているところなんです。
私の霊力のことと現実のことは区別できない。
この中でこんなことはあるかなと思うんですけど、
兵士たちは今目を開けているところです。
今、ずっと見守っているところなんです。
ところが、天使がペテロを連れて出るのを分からないんです。
これをどう説明すればいいでしょう。
霊的なことが行っているんですけど、現実的に目の前に通るんですけど、分からない。
この不思議な不思議な働き。
ペテロ自分さえもこれは夢なのか、実際なのか分からなかった。
霊から出て町に出ると、天使が離れ去って、
それでやっとペテロが、今初めに本当のことを分かった。
主が天使を使わせて、ヘドレの手から、またユダヤ人の君主のあらゆる目論みから、
私を救い出してくださったんだ。
それを悟るようになったんです。
皆さん、この本当に理解できない、霊的なことが、この奇跡的に行われたこの場面、
脱出ですね、解放ですね、それが行われたこの場面、どうしてこんなことがあるんでしょう。
これをきっかけとしたのが、共同体の祈りなんです。
教会の祈りはこんなにパワーがあるんです。
教会に金曜日に集まりましょうと言ったら、私はいつも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
こんな暑い日に皆さん集まりなさいと言うのが申し訳ないこともあるし、
またもう一つ、祈ってこの後結果が出なければどうするかという僕自身のなりの心配もいろいろあります。
だから集まってくださいというのは申し訳ない気持ちがありますけど、
実際このような奇跡のことも起こるはずなのに、
どうして私たちは信仰がなくて、それを信じられなくて、
不信仰の話ばかりしていたのかということ、本当に反省ができます。
決定的な場面はお祈りだったんです。
また18、19世紀、またはっきり言っておくが、
どんな願い事であり、あなた方のうちに二人が地上で心を一つにして求めるなら、
私の天の父はそれを叶えてくださる。
これが世の中のすべての問題を解決する神の子供なりの方法は祈りなんです。
特に共同体の祈りはパワーがあって、
どんな難しい場面、牢の一番奥のところに閉じ込まれていたペテルさえも、
救い出すことができるようなパワーがあるんです。
祈りの結果と反省
そのような祈りのパワーを考えるときに、
私たちが今まであまり祈っていなかったことは反省することができますね。
皆さん、私たちの周りを見てみてください。
今、病気という長い間、糖病生活を通して苦労される神徒がいるんですけど、
家族がいるんですけど、教会が心を合わせて祈らなかった。
その方たちに何か希望を与えることができなかった。
今まで祈ったんですけど、うまくできなかったとするなら、
もう一度信仰を持って共同体の祈りを、
これからこの原動力を私たちが作るべきではないかと思います。
また、体の病気だけじゃなくて、
世の中21世紀は宇宙の時代だと思われるほど精神的に弱い方がたくさんおられます。
もう目で見るのは健全ですけど、
実際その中には弱さによって何にもできないような状況の人、
怖くて怖くて何にもできないという人もたくさんいました。
教会でその方たちが集まっているのに、
教会はその方たちを助けることができなかったということ。
本当に恥ずかしいと思うしかないと思います。
また、経済的な難しさを持っている方たちがいます。
その方たちは祈りを持って助けなきゃ。
また家庭の問題、子供の問題、いろいろな問題を抱えておられる方、
家庭が幸せのもとになる、ホームスイートホームじゃなくて、
家庭がもともと問題のだらけで、
家庭に入ることが苦しくなるほどの方がいるなら、
その家庭の中を本当に主が平和を与える素晴らしい家庭として、
私たちが何とかしてあげなきゃいけないと思います。
また、私たちの教会がいつも祈っていること、
訳もわからない呪い、家庭に流れる呪いによって苦労されていらっしゃる方たちが大勢おられます。
その方たちに、このサタンの鎖を断ち切らなきゃいけない。
それを誰がやってくれるんですか?
焼酎の一発一発でできますか?
それはミッサイルのような大きな破壊力で、
その鎖を破らなきゃいけないと思います。
そのために、私たちの共同体の祈り、教会の祈りが必要なんです。
この心を合わせた共同体の祈りは、
教会と私たちに与えられた特権であり、使命であります。
もう、牢の中で一番奥のところに閉じ込まれたペテロが救われたように、
絶望の中でおられる方々を救い出す道、
これは、教会が何をもってこれができるのか?
これは、心を合わせた祈り、共同体の祈りしか方法がありません。
神様は、教会への祈りを聞いてくださって、答えてくださいました。
ペテロもそれを感じました。
教会が祈って、それで私が、そのヘルデの手から私たちを救い出してくださったんだ。
それで、牢から出たばかりのペテロは、教会に行きます。
マルコの家、そこに行きます。
ところが、ペテロが行って、その教会でノックしました。
タン、タン、タン、タン、ノック。
戸口を叩いたら、ロデという女中が出てきて、
あ、ペテロの声を聞いて、ペテロ様が出てきたんだと思いながら、
扉を開ける考えもしないで、
それで、みなさんのところに行って、
ペテロの救いと信仰の証
ペテロ使徒が出てきました、ペテロ使徒が通されました、と言いました。
彼らは、ロデ姉妹の話を認めませんでした。
自分たちが今、必死に祈っているのに、
祈った通りに神様は叶えてくださったのに、
祈ることは祈ったのに、結果を信じられない。
それで、これはあり得ない、あり得ないと言いました。
何と言うのか、中古説を読みますと、
人々は、あなたは気が変になっていると言います。
まだ違います、違います、本当のペテロ様ですと言ったら、
それはペテロを守る天使だと。
ペテロが出てくるはずがない。
これは人間的に不可能だということです。
僕らのペテロは、続けて続けて扉を叩きます。
そしたら、人々は出て、ペテロに扉を開けました。
本当にペテロに出会いました。
信徒たちは、ペテロを救ってくださいと切に祈りながら、
救われてきたペテロを見て信じられないということは、
一体どんなことでしょう。
私たちは祈るときに、
結果はそのようになることを期待して祈るんじゃなくて、
祈るは祈るけど、期待はしない。
結果は認めない。
そのような、話もできないような、
この祈りのやり方をしているのではないかと思います。
また、いつかは出てくると思ったんだけど、
こんなに早く出てくるのは、
期待していなかったと思うかもしれません。
本当に喜ばしい、もう感激な瞬間ですけど、
その方たちは戸惑っているところでした。
このようなペテロが救い出されたということは、
心を合わせた祈った人、
その祈りに参加した人、
その人たちが感じられる、この素晴らしい体験ですね。
皆さん、信仰の体験は一体何でしょう。
見言葉通りやってみたら、
実際そのようにできましたという証もありますけど、
大勢の人たちは、祈ってみました。
しかし、祈った通り全部できました。
祈りが成し遂げられました。
このような信仰の証が、もっともっと多いのではないかと思います。
ヨハネ16章24節、
イエス様は約束されました。
今までは、あなた方は私の名によって何にも願わなかった。
願いなさい。そうすれば与えられ、
あなた方は喜びに満たされる。
実際、イエス様の見言葉通り、約束通り、
初代教会の信徒たちは祈りました。
結果、素晴らしい奇跡が起こりました。
そして、初代教会はまた喜びに満ち溢れるようになりました。
残念なのは、祈りながらも、
祈った通り成し遂げられた時、
それが信じられなくて、
また、その方たちはこれができると思わなくて、
神様の御前で不信仰を見えらせたことです。
しかし、感謝したいのは、
共同体の祈りの力
完全な信仰ではなくても、
神様、憐れみを通して、恵みを通して、
私たちに答えをくださるということです。
皆さん、信仰がないから、
あなたは祈っても答えがないんだと。
もちろん信仰があればいいでしょう。
しかし、信仰がない人だとしても、
共同体が切磋のある祈りとして神様に祈るなら、
信仰がない私たちにも、
答えてくださって、喜びを与えてくださる、
恵み深い神様を感謝します。
皆さん、祈りは霊力の呼吸と言います。
呼吸するように祈る。
じゃあ、祈ってますか?
私は呼吸するように、祈るように頑張ってますけど、
1日3回は祈ろうと思って、
私は皆さんと約束した、
神と一人ひとりの名前を呼びながら祈ること。
私はもう、できればこれを1日3回やろうとする。
2回はやります、朝と、寝る前に。
昼は一番難しいです。
しかし、皆さん、祈りは呼吸です。
祈らない、呼吸しないんだけど、死んでしまうように。
どうすれば、いつ呼吸するように祈るのか。
私は、威厳の祈りが一番大事なことだと。
また、精霊に導かれて祈るのは、
これは多分、威厳の祈りではないかと思います。
威厳でずっと祈るなら、
私たちがいつも祈りの材木を作って神様に祈るだけじゃなくて、
神様が私の霊に感動を与えて、
私の霊が祈る、
その威厳の祈りも、
これから続けて祈ることが大事だと思います。
とにかく、私たちの祈りを通して、
私たちの教会の家族、みなさんを生かしたい。
助けたい。
本当に、みなさんの役に立つものになりたい。
また、日本の回復とリバイバル、
リバイバルと大収穫をもたらす、
これは日本を救う、
この素晴らしい身技に用いられる教会になりたいです。
みなさん、これから共同体の祈りがもっと力があるということを理解して、
金曜日の取り出し祈り会に、
みなさん、お仕事で参加できない方は、
自分でもぜひとも参加されて、
それで心を合わせて、
神様に祈る、私たちの教会になりましょう。
お祈りいたします。
主よ、今まで、
私たちの祈りは、
生ぬるい祈りの生活ではないかと思って、
本当に悔いを改めます。
祈りを通して、どんなことが起こり得るのか、
今日、一緒に学びました。
これから私たちは、神様が働く、
神様がくださる期待を持って、
信仰を持って、
祈る私たちになりたいと思います。
個人の祈りだけではなく、
共同体の祈りをもっと優先的に、
また早く応えてくださる、
神様の御心を知って、
これからたくさん祈る私たちになりましょう。
また、愛する方、
本当に大切な方々のために、
祈りを持って、
使える教会になりたいと思います。
どうか私たちに、豊かな恵みを与えてください。
イエス・キリストの源を通して、お祈りいたします。
アーメン、アーメン、アーメン。
35:17

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