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2022-09-25 31:52

「信仰の継承 、 ビジョンの 継承」2022年9月25日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2022年9月25日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

創世記 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」

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今日は、信仰の継承、ビジョンの継承という体を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
いよいよ来週、創立記念、4周年記念日として、 中尾先生が来られて、記念礼拝をメッセージをしてくださいます。
ところが、皆さん、こう思うかもしれません。 今、私たちの立場で、記念礼拝とか何とか、それが必要なのか、
また、記念するべき何か、何にもないんじゃないかと言われるかもしれません。 しかし、そうではありません。
なぜ、記念礼拝を捧げるのか。 この記念礼拝ということは、私たち自身の
教会の存在、意味と目的、 何のために開拓するまでして、教会を建てなきゃいけなかったのか。
そこには、どんな神様の御胸があり、神の指示があり、 神様の約束があったのか。
そのために、4年間、私たちの教会は、どんな働きをしてきたのか。 また、これからどんな働きをするつもりなのか。
過去を振り返ってみながら、 何とかして、私たちは神様に従っていきたいという、
私たちの歩みのチェックすることだと、私は思います。 ですから、創立記念礼拝は、
礼できない、利点表の意味で、 私たちの存在を確かめる。
その意味で、大きな意味があるのではないかと思います。 私は中尾先生を招いて、創立記念礼拝を捧げながら、
今度、神様の観点が私たちに注がれることを切に祈っています。
その意味で、私は中尾先生が来られることを、 ずっと待ち望んで祈ってきました。
私は来週の記念礼拝を準備しながら、 私なりに何を期待しているのか、
それを今日、皆さんと一緒に分かち合いたいと思います。 私の名前はアブラハムです。
なぜアブラハムなのか。
それは、先生に現れているアブラハムのように、 私も信仰の先祖になりたかった。
私は、日本の信仰の先祖になりたいという心で、 神様が導いてくださった日本に、
骨を埋める覚悟で来て、 その覚悟で今、働いているところであります。
まず、先生に現れているアブラハムについて、 まず考えてみたいと思います。
神様がアブラハムを呼ばれた理由は、 信仰の民、イスラエルの国を、
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カランの地に建てるためでした。 なぜ信仰の民が必要だったのでしょうか。
信仰の民というのは、神様にだけ仕え、 神の御言葉に従う民。
このよとは、徹底的に区別された民を意味します。 当時は、ノアの洪水の後、残された八人、
このから生まれた子孫たちが、バベル塔を建てながらも、 神様を敵対する世界になってしまいました。
神様を敵対するこの世の中に対して、 神様は、ただ信仰によって、
神様だけを拝む、神の民を建てたかったのです。 だから、神様はアブラハムを目指されたのです。
そして、アブラハムにこう言います。 創世記中二章1節2節です。
主はアブラハムに言われた、あなたは生まれ故郷、 父の家を離れ、私が示す地に行きなさい。
私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、 あなたの名を高める、祝福の源となるように、と言われました。
神様はアブラハムを通して、 信仰の大いなる国民を建てようと思われたのです。
その働きのために、神様は、 国民をたくさん作るためには、
子供をうまく産む夫婦を使われるのではなくて、 不倫の女、
また子供がいない夫婦を使おうと思われたのです。 それは彼らが始めから、
ただ信仰によって、 人間としては不可能だけど、その神様が言われたから、
神様が成し遂げられるということを、 善能な神様を信じる、信仰によって生きるように導かれたのです。
不可能なことを信じて待っていた25年間、 あの時は神様を疑ってイスマイルを産んだりしましたけど、
100歳の時にいよいよ一作を得られました。 一作を得てからどれほど喜ばれたのでしょうか。
その時神様は、神様がもっと愛するのか、 一作を愛するのか、テストをすることもありました。
なぜなら、信じるということは愛することであり、 神様は神様だけを信じて愛する信仰の先祖になることを願われたのです。
アブラムは神様のテストをうまく合格して、 信仰の先祖として認められてもらいました。
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ところが、神様が言われた大いなる国・民、 それはアブラムの一人によって立てられることはありません。
神様はアブラムの子孫たちが、ししそんそん神の御言葉とビジョンを受け入れ、 信仰によって生きる民になることを願われたのです。
このために、アブラムだけではなく、 一作、ヤコプ、ヨセプの四代続いて、
神のビジョンを受け入れ、 継承する働きが必要だったのです。
もし、アブラム一人だけ良い信仰生活をして、 一作の代では曖昧になって信仰が終わってしまったら、
神様の招き、神様の大いなるビジョンは 成し遂げられないでしょう。
ところが、それは優しくはありません。
皆さんも子供を育ててみたでしょう。 子供たちが親の話を聞きますか。
また、皆さん考えてみてください。 全世界は神を信じないのに、自分の家族だけ神を信じる。
それが優しいと思いますか。 そのような雰囲気で、親は信仰が良かったり、
また、徹底的な信仰を持っていったとしても、 子供までその信仰を引き受けるということは、優しいことではありません。
一作はアブラムの息子だから、なんとか教育して、 そのようになったかもしれないけど、
その孫であるヨセプ、 県村であるヤクプ、ヨセプまでそのようになることはできますか。
当時のカナンの世の中は、とりほど 偶像、今日、教会学校で偶像ということを言いましたけど、
偶像がいっぱい満ち溢れていて、 また世の中が浄欲的、
そして神なしの世界がますます広まっている中で、 もしアブラムの子孫たちがそのような文化、世の中の流れに巻き込まれて、
カナンの人々を好きになり、カナンの文化を従っていったなら、 信仰の民は立てられなかったはずです。
しかし、アブラムは徹底的に神様の御胸に従って、 子供の教育をうまくし、
マクベラのほら穴を通して、 先祖の美順、御胸を子孫たちが忘れないようにし、
また、信仰の結婚をさせて、 信仰を持っている妻が自分の子供たちをしっかり見守るように、助けるようにして、
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それで、ヤコプ、ヨセプまで信仰が継承できました。 また、神様はそのような子孫たちを祝福して、
その子孫たち、アブラム、イサク、ヤコプ、ヨセプの時代では、 豊かなエジプトの国にヤコプの子孫たちを移させて、
カナンの地域では70人しかいなかったんですけど、 豊かなエジプトの地域で200万人まで増えて、
これは本当に国、民になるように、 繁栄させる祝福を与えてくださった。
それで、またアブラムと同じような立派な信仰を持っている坊主ヨウシは、 カレップを通して、
シチエジプトを行い、アラヌの生活をし、 またカナンの西域戦争を担うことによって、いよいよカナンに信仰の国、イスラルの国が建てるようになったんです。
皆さん、神様の計画は、一人の人によって全て成し遂げられることではありません。
また、信仰の民、信仰の国は、1日2日で建てられることではありません。
このためには、信仰の継承、ビジョンの継承が一番大事なんです。
アブラムだけではできません。アブラムは開拓しただけ。 イサクはアブラムよりはるかに良い信仰を持っていました。
それはレベカの役割が良かったでしょう。 イサクの夫婦は、信仰の根を深く下ろす、そのような作業をしました。
ヤコブは、初めから素晴らしい信仰を持っていたんですけど、 実行中心的な野心を持っていて、醜い信仰だったんです。
それによって、12人の子供を得るようになって、 信仰の家族が増えていきました。
ところが、醜い信仰は、信仰の先祖としてふさわしくなかったので、 彼をヤッポク川の訓練を通して、
野心に満ちあふれた自我を崩して、 内面性が良いイスラエル、神の後退士として帰ってくださったんですけど、
ヤコブの役割は、拡大、発展することでした。
またヨセプは、イスラエル民をエジプトに連れてきて、 大きな民族として信仰の花を咲かせる役割を担いました。
これによって、創世紀12章1節、2節、 神様がアブラウムに約束された大いなる国民、
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これがやっと立てられるようになりました。 アブラウムに与えられた神様のビジョンは、
アブラウム、イサク、ヤコブ、ヨセプになって、 4世代の後に成し遂げられたんです。
驚くのは、アブラウムの信仰が、 どのようにイサク、ヤコブ、ヨセプまで継承できたのか、
これは本当に素晴らしいことです。 また、このようになるとき、神のビジョンが成し遂げられるんです。
このためには、神様が時々子孫たちに現れて、 アブラウムを助けてくださり、イサクも助けてくださり、
ヤコブ、ヨセプも助けてくださった、 その神様の助けのおかげで、このビジョンが成し遂げるようになったんですけど、
でも、信仰によって生きる。 信仰によって生きる人は、神様を助けてくださる。
どんなことがあっても、万事がうまく流れるように、 神様の恵みがあるんだという、神様の御言葉通り、
このような素晴らしい働きができたんです。 私は2008年、
再び日本に来るとき、神様が私にくださった使命は、 新しい葡萄酒は新しい革袋、
だから、新しい革袋の教会を作りなさい。 リバイバルを受け入れる器として準備しなさいということでした。
そうするとき、リバイバルを受け入れ、大収穫に用いられ、 そうするなら、
マタイ24章14節、地の果てにまで福音が述べ伝えられたら、 イエス・キリストが再臨なさるんだ。
それが成し遂げられる、その最後の時の一番大事な使命を 私に与えてくださいました。
このために、新しい革袋の教会のビジョンを受け入れる 信徒たちが必要でした。
また、その方たちと共に教会を建て、 神のビジョン、神の夢を成し遂げていくことが、私の使命でした。
ところが、これを成し遂げるのに、 私自身の弱点が多すぎて、
信徒たちの共感を得ることがなかなかできなく、 争いと分裂をして曖昧になってしまったんですけど、
神様が奇跡的にこの松池を利用して、 ここでその夢、ビジョンを継承することができるように してくださったことを感謝します。
また、共に働く徒労者の皆さんを与えてくださったことに、 本当に感謝します。
私は今も、この五十八章のこの素晴らしい言葉、 五十九章の中九節、二十節、また六十章の一節、三節、
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これを私はいつも考えているところです。 西では主の皆を恐れ、東では主の栄光を恐れる。
主は激しい流れのように望み、主の霊はその上を吹く。 主は贖う者として、潮に懲られ、
厄舞のうちに罪を悔いる者の下に来る、と主は言われる。 そして六十章の一節です。
起きて光を放て、あなたを照らす光は昇り、 主の栄光はあなたの上に輝く。
美や闇は地を覆い、暗黒は国々を包んでいる。 しかし、あなたの上には主が輝き出、主の栄光があなたの上に現れる。
国々はあなたを照らす光に向かい、 王たちは差し出るその輝きに向かって歩む。
それから全世界が集まってくるということ。 私はこの聖書を考えるときに胸がいっぱい感激があります。
私はいつもこの聖書は私のために、私たちのために記録した聖書。 これは私たちが実現する、これが素晴らしい聖書だ。
私はこれを新しい川袋の教会を建てられ、リバイバルを受けられ、 そして福音の光を放つとき、これがすべて成し遂げることを考えるときに胸がドキドキします。
皆さんこれを信じますか? ありがとうございます。
ところが天道師さんと私と天道の皆さんを考えるときに、 これは私たちの世代、これがすべて成し遂げられないことがわかります。
ですからアブラムの記事を読むときに、いつも素晴らしい素晴らしいと思います。 神様がアブラムに今日読んでくださった創世紀17章、7節から9節。
私はあなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。 そしてあなたとあなたの子孫の神となる。
と言いながら9節に、ですからあなたとあなたの子孫は私の契約を守りなさいと言われます。
じゃあここで、 アブラムは神様との契約を結んだから守ることができるかもしれませんけど、
これをどのようにイサクに、またイサクはどのようにヤクブに、 ヤクブはどのようにヨセブに神の契約を教え、それを守るようにすることができるのかということです。
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アブラムは難しかったんですけど、私たちも同じです。 私たちが持っている教会回復、そこにリバイブルを来て、
社へ大収穫を行い、それで地の果てにまで福音を述べ伝えられる。 だから私たちはその美技を準備する。
それを私たちはできるかもしれないけど、毎週メッセージをするから私たちもできるかもしれないけど、
今2階にいる子供たち、また教会に来ていない二世たち、 この人たちにどのようにこれを伝え、それを自分が受け入れるようにし、
そしてその美人のために自分の人生を捧げる、 その働きができるかということです。
もちろん神様の恵みがなければいけません。 神様私たちが現れたように、子供たち、二世たちにも現れ、
子供たちに直接語ってくださらなければそれはできませんけど、 そのためにアブラムはイサク、イサクはヤクブ、ヤクブはヨセブ、
その子供たちと対話をし、教え、まず自分は模範を見せ、 ついてくるように様々な形で助けてあげたということが
聖書には記録されています。 ところが私たちが後悔していることがここにある。
私たちは日本に来ました。日本語ができないから、 また日本に来て信仰生活が始まったものですから、
とにかく生き残るために精一杯頑張った故に、 子供たちに詳しく信仰について、神様について、イエス様について、
精霊様の働きについて説明することができない。 私自身を振り返ってみますと、
日本の教会に赴任して、まず言葉ができなかった。 進学の時から言葉の難しさを感じました。
また日本の文化を知らないから、韓国式のやり方で全てを成し遂げようとする。
また日本の方々を使えるのに大変でした。
外には私たちが何とか頑張るかもしれないけど、家の中に入ったら 夫婦喧嘩が大変だったんですね。
たくさんありました。 だから子供たちに良い信仰の模範を見せることはできませんでした。
私が言った通り、家族がついてこなければ、言葉の暴力が出てくるんですね。
それによって妻も子供たちも心の傷がいっぱいになる。 そのような関係になってしまいました。
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それで私は日本で今20何年ですか。 今になってから
ああ、昔間違えたと思ってうまくやろうとしたら 子供たちはもう全部成長してしまいました。
今はむしろ子供たちが私を教えている立場です。 私を過ちを指摘しながら、だからパパはこれでダメだよと
いろいろ言われているところです。 私たちは今子供たちに自分の言い訳
昔はだから私はできなかった、ごめんごめんという話をするのに、今忙しいところであります。
どうすれば 私たちの信仰、ビジョンを
子供たちに継承してあげることができますか。 今まで私たちの悪い性格、人格が足りなかったので、それによって傷つけられた家族
教会の家族、皆さんにこれからはうまくやるからついてきてくださいと、どのように私は説明すればいいでしょうか。
ですから今私たち教会の賢老、皆さんは口を揃えて、今まで間違えました。
どうすればいいですかという気持ちだけです。 皆さんどうすればいいでしょうか。
私はまず 子供たちと二世たちの心を
本当に神様に向かいさせるためには、彼らに遭う環境、先生が必要だと思います。
皆さん私たちの賢老の私たちは明治時代、昭和時代の人間です。
平成時代、令和時代の生まれた人とは根本的に文化と生まれる環境と考え方が違います。
皆さん、孟子は偉大な子供でした。 しかし孟子というイメージ自体が
子供たちと二世たちには失格です。 厳しすぎる。
ですから、二世たち、子供たちには要所が必要で、またダビデが必要だったかもしれません。
また、孟子が成し遂げる方法論と、ダビデが成し遂げる方法論がまだ異なった。
もちろん神様の働きの方法は、神の御声を聞いて従う、PLOの生活ですけど、
しかしそれを求める、その細かい方法論がまた違います。
来週は中尾先生が来られるから申し上げたいんですけど、神様が私にくださったこのビジョン、
これを私なりに、私の方法でやってきたんですけど、このビジョンを中尾先生はどうなさるか、
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私はそれを知りたい、学びたいと思います。
例えば、昔、中尾先生は伝道師で、私は牧師で、一緒に教会で働いたものですから、
祈りましょうと言ったら、私は手を合わせて膝を交えて祈ろうとするんですけど、中尾先生はギターを弾くんです。
賛美をしながら、賛美の歌詞に心を込めて祈るんですね。
神に祈ることも私の方法と中尾先生の方法が違うんです。 中尾先生はまるでダビデのようです。
皆さん、祈るときはいつも手を合わせて膝を交えて祈るべきですか? それは孟子の時代の人たちの祈りのやり方。
ダビデはハープを弾きながら賛美をしながら 歌詞に心を込めて神様に賛美の祈りを捧げたのではありませんか。
私たちが回復とリバイバル、大収穫を求めて進み出るとき、 元老の私たちは孟子がやっているこのような姿で何かやろうとするでしょう。
これから新しい時代の働き人はダビデのようにやろうとするのではありませんか。
ところが神様は指導行伝13章22節、中5章16節17節を読んでみますと、 ダビデが私の心に敵うものだ。
これから新約の時代の礼拝はダビデの幕屋を取り戻してほしい。 ダビデの幕屋の礼拝を捧げてほしい。
そしてユダヤ人だけじゃなくてイオン人を全部合わせて私に 礼拝するように導いてくれと言います。
これは今まで私たちは年寄り、ある程度年取った人たちばかり集めて 礼拝をしたと思ったなら
神様はこれからは若者だし子供たちを合わせて私に礼拝を捧げてくれ。 そうするなら孟子は足りない。
ダビデが欲しいと言われるようなことと同じです。 私が一番心痛い部分は私たちの二世たちの信仰です。
本当に私たち無知だったんですね。 私たちは当時信仰と言ったら礼拝守るこれしかなかった。
だから無理やり 儀式に参加させることを強要したんですよ。
無理やり儀式に参加させることを強要したと言え 子供たちは儀式に呆れてしまいました。
だから教会と言ったら悪い意味にしか子供たちに残っていないと思います。 信仰は儀式ではなく神様との親しい交わりであり
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神の御声を聞こうとする。そこに従うことが信仰なんで 親しみを教えることができなく、神の御声を聞くことを教えることができなく
儀式を守ることばっかり強調していって 子供たちは信仰、教会、礼拝と言ったら
嫌だ嫌だうんざりだ 教養しないでくれ
となってしまいました。 最近私は教会学校の礼拝を大好きです。
教会学校の礼拝、またメッセージを聞くなら 私たちが初めからこうするべきだったのに
私たちは積極 今この教会学校の礼拝を通して恵みを受けている私たち
今日は偶像ということはどれほど優しくわかりやすく教えてくださったでしょう 私も拍手が出てきました
子供たちの目線に合わせて 先生と子供たちの親しみの中で
儀式を教養するんじゃなくて本質をわかりやすく説明しているから どれほどうまくやっているのか
私は毎週子供の礼拝が羨ましくて羨ましくてたまります 本当に教会の教会学校の先生の皆さんありがとうございます
神様が私たち剣道のたちのこのかわいそうな私たちを知らなかったんですよ
やりたかったんだけどやる方法を知らなかっただけなんですよ かわいそうなかわいそうな剣道の心を見てください
私たちの2世たち子供たちに 心を動かしてくださいますよ
神様私たちにくださったこの回復とリバイバル 大収穫そしてイエス様の再臨を迎える
このような信仰の夢とビジョンを ぜひとも私たちの子供たちと2世たちにうまく継承して発展して
神様を喜ばせ そして神様に大きく用いられ大きな祝福をいただくように
アブラウムから始まった信仰がイサク ヤクプ ヨセプが代々に引き続き祝福されたように
神のビジョン神の夢を研修しようとする もの足りない剣道の
私たちの信仰とこの心の中心を見てくださって 神様が私たちの教会と子供たちに
祝福してくださいますよ
今度中尾先生を迎えるようになって本当に私は感謝しています 私は中尾先生と優子さんの信仰を一番よく知っています
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その方たちは私が日本で一番
まあ 認めると言いましょうかそのような方です
その方との交わりまた先生のメッセージを通して 私は教会の信徒皆さんは
良い影響を受けることができればと思います その意味で来週の
総理一の4週記念出会い 私は楽しみにしています
ぜひとも皆さんも楽しみにしてください 中尾先生優子さんを迎えてください
よろしくお願いしますお祈り致します 絶対全であり全知であり全能の神様
神様の大きなビジョンを持って アブラウムをカナンに導かれたように
私たちを日本に導いてくださったことを感謝します アブラウム・イサク・ヤクブ・ヨセブ
その信仰のビジョン信仰とビジョンの検証によって 神様の大きなビジョンが成し遂げられたようにどうかどうか
私たちに与えてくださった神様のビジョンを 信仰の検証とビジョンの検証を通して
成し遂げられるようにしてください そしてイエス様が再び来られる時
イエス様一番前に出てイエス様を迎える 私たちの教会にならせてください
私たちの理性たち 子供たちに神様無限の祝福を与えてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします アーメン
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