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今日は新しい川袋の教会のためにという対応をもって メッセージを分かち合いたいと思います。
今日は私たちの東京ぶどうの木教会を開拓して3周年になる 主日礼拝です。
この小さな6畳部屋で開拓を捧げた それからもう3年になりました。
まず、行くところもなかった私を受け入れてくださって 牧会を続けることができるようにしてくださった
松井家に感謝します。 松井家はご自身の家庭を教会として今まで提供してくださっているところであります。
本当に考えてみると それは難しいことだなと思って本当に感謝しています。
また私と伝道師さんを信じて集まってくださった皆さんに感謝します。
何より全てを主観される神様 私たちを導いてくださり
特にコロナの中で私たちを守ってくださった 本当に素晴らしい神様に感謝します。
私は教会開拓3周年に向かって 大事な2つの質問を
私自身と皆さんに 問いかけているところであります。
その初めの質問は 私たちは私たちが信じていると思っている主なる神様を
どのぐらい知っているのか どのぐらい愛しているのかということです。
本当にその方を世の中と何よりも愛しておられますか? ということが先週のメッセージでした。
今日はなぜ東京にたくさんの教会があるのに
またもう一つの教会を建てなければいけなかったのかということです。
私たちの教会のアイデンティティと関連して 私たちはこの質問に必ず答えをしなければなりません。
今日はこの質問に対する答えを メッセージとして分かち合いたいと思います。
その答えは何なのか 私たちは正しくやりたかったからです。
では何を正しくやりたかったのか ここに対する答えをメッセージとして分かち合いたいと思います。
まず皆さん 今の時代に対する神様の希望 神様の願いを知っておられますか?
これをまず分かち合いましょう。
今日読んでくださった マタイ二十四章中四節
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そして三国のこの福音はあらゆる民への証として 全世界に述べ伝えられる それから終わりが来る
皆さんこれはどんな意味ですか?
創世紀三章以来 この世の中は悪魔が支配しています。
すべての人は罪によって悪魔の支配下で苦しんでいます。
神様は神様が創造されたこの世の中が また神の身姿で作られた人間が
これ以上悪魔に苦しみを受けることを願っておりません。
ですから時が満ちた時 イエス・キリストを送ってくださって
十字架で罪と罪の代価をすべて支払ってくださり 悪魔を無力化されました。
誰でもイエス様が私の罪のために死んでくださり その罪の代価を支払ったことを信じて
イエス様を受け入れるなら 救いを得られることができるように
救いの道を開いてくださいました。
また信じる人には地の果てにまで 復縁を述べてくださいという使命を与えてくださいました。
真実な神様の子供達は その働きのために主の恵みを覚えて
自分の犠牲にして今までたくさんの苦労をしました。
また時が満ちた時 神様はその働きのフィナーレを飾ろうとされています。
その御言葉がマッタイの24章14節です。
地の果てにまで復縁が述べられたら イエス様が再臨なさって
神様が創造されたもともとの世界を 回復されようと思っていることです。
しかし皆さん 地の果てにまで復縁を伝えるのは優しいものではありません。
一番激しい礼儀的な戦いが待っています。
今まで自分自身がこの世の神だと言いながら この世の中を自分勝手に抑えながら
もう滅ぼしてもうダメにしてきた悪魔が 自分の時が終わったと思いながら大暴れしているからです。
この最後の戦争に勝たなければ 地の果てにまで復縁が述べ伝えられません。
私たちが大暴れしているこの悪魔を どのように勝ちますか?
私たちはできません。神様が来られて 戦ってくださらなければなりません。
これと関連して私たちが覚えなきゃいけないことが 大衆核ということです。
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今私たちは一人ひとりがんばって伝道をしています。
今私たちがやっている伝道の働きは 落ち葉を拾うレベルです。
落ち葉を拾うレベルです。
しかしたくさんの人々を救う、 地の果てにまで人を救う、
この働きは落ち葉を拾うレベルではできません。
大衆核を行わなければなりません。
ですからイエス様も 衆核の主である神様に
衆核のために働き人、また衆核のために 全てを贈ってくださるように祈りなさいと言っています。
ですから最後の時に神様に 用いられたと願っている教会、
人々は必ず覚えなければなりません。
神様は最後の時リバイバルとして来られて 大衆核を行われるんだということです。
では神様は誰にどのように リバイバルを贈ってくださるのか。
この大事な話が旧約の回復の本 イザヤ書に書かれてあります。
イザヤ59章19節には
西では神の身の恐れ 東では主の栄光を恐れる
主は激しい流れのように臨み 主の霊がその上に吹く
じゃあ激しい流れのように主が来られる 主の霊が来られるという
そのようにしてイザヤ60章1節には
おきよ光を放て あなたを照らす光が昇り
その栄光はあなたの上に輝く そうするなら国々はあなたの照らす光に向かい
王たちは差し出るその輝きに向かって歩もう リバイバルが来るなら
私たちはこのリバイバルの力で 光を放つようになっているし
この光を見た人は 全世界から集まってくるということが
イザヤ書に書かれてある この素晴らしい約束です
これと関連してイエス様は では誰にリバイバルを送ってくださるのか
そのことをマルコ2章22節で 教えてください
また誰も新しい葡萄酒を 古い皮袋に入れたりはしない
そんなことをすれば 葡萄酒は皮袋を破り
葡萄酒も皮袋のためになる
新しい葡萄酒は 新しい皮袋に入れるものだ
そうです 新しい皮袋に 新しい葡萄酒を入れるように
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新しい皮袋の境界になったところに 神様がリバイバルを与えてくださる
イエス様は交渉会の間に 十二弟子を連れて
この新しい皮袋の境界を作りました
そして昇天されました
その弟子たちの共同体 新しい皮袋の境界に
ペンテコステの日にリバイバルが来ました
そしたら彼たちを通して イエルサレムだけではなく
サマリア アンデオキア シオアジア ヨーロッパに福音が伝えられ
その福音が今も全世界に伝えられています
皆さん イエルサレムから始まった福音が
西にくるくる回って イエルサレムに戻ってきたら終わりです
では今 福音はどこまで来ていますか?
皆さん 私 キリスト社たちは これをよくよく考えていかなければなりません
聖書には約部古書7節に 道夫が農業をするときに
春の雨と秋の雨に依存しているということです
春の雨が来ました それがペンテコステのリバイバル
収穫の前に秋の雨が来ます
これが私たちが今望んでいる 待ち望んでいるこのリバイバルです
そのリバイバルをイエス様が 新しい葡萄酒と言いました
新しい葡萄酒はどこに贈ってくださるのか
新しい川袋に贈ってくださいます
皆さん 私たちがリバイバルを受けるために 祈りをチェックすればいい
もちろん祈りも必要です
しかしもっともっと大事なのは
新しい川袋を準備しなければ リバイバルは来ません
ですから今大事なのは
リバイバルを受け入れる 新しい川袋の境界です
古い川袋ではなく 新しい川袋に変わらなければ
リバイバルを受け入れることはできません
ですから終わりのとき 今すべての境界は
新しい川袋の境界として 変わらなければなりません
そうするときリバイバルを受けることができるし
大収穫に用いられることができます
私たちがうまくやりたい 何をうまくやりたいのか
新しい川袋の境界 その境界になりたいということです
2番目です
新しい川袋の境界は 最後のときの境界の使命です
私たちだけではなく
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すべての境界が そのように変わらなければなりません
自ら境界の方たちが判断して
私たちの境界は 古い川袋の境界だと思ったら
悔い改めて新しい川袋の境界として
変わらなければ 主に用いられることはできません
ここで神様が私に見せてくださった
植材の幻をいつも考えます
ろうそくをたえ植材
聖書で植材は何なのか 植材は境界です
曲がっていた植材が正しく立てられたことは
どんな意味なのか
古い川袋が新しい川袋として 変わっていくことを考えていいでしょう
私はこれが私の使命だと思っているのですが
牧師が持っている使命は 境界の使命であります
私はこれを確かめるために
私なりに聖書を読んで祈ったりしました
また 私より先輩の立派な方々と
いろいろ学びながら 経験しながら悟ったこと
この幻は新しい川袋の境界として 回復するべきことを
神様が幻を通して 見せてくださったことは分かりました
では 境界回復 新しい川袋の境界として変わっていくこと
何が変わるべきなのか
今までたくさん申し上げたのですが
今日は簡単に申し上げましょう
まずはじめに 人を中心 自己を中心的な境界ではなく
神を中心的な境界として 変わらなければなりません
境界が今 主に考えていることは何ですか
境界に集まってくる神徒たちが 何を願っているのか
それを満足してあげて
そして神徒たちがたくさん来るように 境界の牧師たちが今 頑張っています
これは間違いです
人を喜ばせる 人に満足させる境界ではありません
神様を満足させる境界
神様が何を願っておられるのかを考えながら
神様の目的のために 神様の方で
神様を下さる資源を持って 境界を運営することが大事なんです
大事なのは人を喜ばせることでは 境界ではなく
神様を喜ばせる境界として 変わらなければいけない
皆さん 最後の牧師録で 牧師録3章でいつも言っている
最後の時の境界の典型的な姿が ラオティア境界だと言います
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ラオティア境界は大きかったです 金持ちなんです
足りないことが全くありませんでした
しかしイエス様は外に追い出されていた
イエス様がおられないのに 自分たちは満足している
これが人を中心として 軸を中心として運営する境界の姿ではないかと思います
それは変わらなければなりません
また2番目に 儀式中心ではなく 本質中心的な境界にならなければ
大事なのは神様のご臨在を 大切にしなければいけない
いくら境界が大きくて 境界にいろいろ立派な設備があり
立派なプログラムがあるんだとしても
神様がどこにおられなければ そこは境界ではありません
神様のご臨在がない境界 これは間違った境界 偽りの境界
神の命がない その境界になってはいけません
神様がともにおられる境界 誠の境界にならなければいけません
保世話6章6節 私が願うのは 儀式 形式ではない
私は知り 私を愛することだ 本質だということをお話ししました
3番目 もっと大事なのは 精霊が働く境界です
御言葉と精霊の調和がある境界
御言葉は御言葉と言いながら 心学と行理を立たせながら
人間の理性 人生で精神を解釈し
適応するパリサイビットのような信仰ではなく
精霊によって照らされて悟る 霊魔の御言葉
また神様の御声を聞いて従う そのような信仰
精霊の働きを認め 精霊に従う境界にならなければなりません
先ほど大表祈りで 神の御声を聞かせてくださいという
本当に大事なのは 皆さん切に精霊様に委ねていきましょう
精霊様は聖書と御祈りと環境と 境界を通して私たちを教えてください
御声を聞かせてください これをもう一度私たちが確かめていきましょう
大事なのは精霊の働きを認め 精霊様に従う境界
そうするとき 精霊のリバイバルが来るなら
精霊様に従って導かれて 全世界に徹底的に復印を伝える境界になれるのです
特にリバイバルのたびに 精霊様は真理の霊ですから
真理の霊精霊様は 聖書の真理を新しく私たちに悟らせてください
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神様が今の時期に私たちに悟らせてくださるのは 正しい救い論です
今まで私たちは信じるなら もう救われた 既に救われたから
これからどのように過ごしても あなたは天国に行くんだと私たちは学ばれました
これをよく見たらカルバンの予定論 カルバンの権限論による行為を信じていたことなんです
真実なしもべたちは今 聖書を正しく私に教えてくださるんですけど
イエス・キリストを受け入れるのは信仰の始まりだと
そして聖火・栄火の過程を通して 救いが完成されるんだと
ピリッポ2章12節
だからあなたの慎みながら 神様におそれを敬いながら
信仰生活をし あなたの救いを完成するように果たしなさいと言われているこの御言葉を
今の時期私たちはよく考える必要があります
今までのこと 新しい川袋の教会は 信仰の本質を求める教会
神中心的な教会 御言葉と精霊の調和を成し遂げ
精霊の導き 神の御声を聞いて従う教会
救い論が正しく立てられて 信徒たちが油断し高慢にならないで
おそれを敬う心で キリストの神父として
最後のリバイバルと大収穫を担う教会です
今の時期 このような教会が建てられなければなりません
この教会へのビジョン 夢が 神様が私にくださった 釈大の幻でした
私はこの幻が成し遂げられていない状態で
仏会を辞めるのはできないと思って 再び開拓するようになりました
皆さん 私はリバイバルに対する期待感があります
マタイの11章17節
笛を吹いたのに踊ってくれなかった
葬式の歌を歌ったのに悲しんでくれなかった
私たちが福音を伝えても 誰も聴いてくれなかった
しかしリバイバルが来るならどうなりますか
今まで聴いてくれなかった そのすべてが変わっていきます
皆さん 日本は宣教師たちのお墓だと言います
宣教師たちが日本に来たら みんな死んでしまうということです
それほど日本で宣教するのは 難しいということでしょう
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しかし日本が難しいんですか
イエス様が処刑されて 十字架に書かれて亡くなられた
この後のイエルサレムが もっと難しいんですか
イエルサレムがもっと難しかったでしょう
しかし人たちがリバイバルを受けて イエルサレムの町に出て福音を伝えたら
1日5,000人 1日3,000人が悔いを改めて 福音を信じました
私は今の私たちの声をかけても 誰も聴いてくれないけど
リバイバルが来て 精霊の力強い油注ぎによって私たちが働くなら
日本が驚くほど変わると 私は信じています
ですから私はリバイバルを 待ち望んでいます
大事なのは新しい武道士は 新しい川袋
ですから私たちは 新しい川袋の教会のために開拓しました
3番目 また開拓した もう一つの理由があるんですけど
自分が産んだ子どもは 最後までケアすることが人間の道理だからです
パオロが第一国連の4章15節にこう言います
世の中には教える人大勢います 牧師たちも大勢います
しかし親は大勢いるわけではない
私は貴方たちを福音を持って 貴方たちを産んだ もうけたと言います
どんな意味ですか
ここに集まってきてくださった皆さんは
私と伝道師さんによって 福音によって生まれた人
また福音によって育てられた人です
皆さん 産みの女 育ての女 ご存知ですか
産む子どもに対する親の心もあるんですけど
育てた人に対する親の心もあります
世の中でも自分が産んだ子どもを 最後まで責任を持って育って結婚させ
生きている限り その子どものために尽くして使えるでしょう
同じように私も霊的に産んだ子どもたちを
天国に行くまでケアすることが
神様が立てられた牧師の道理だと 信じて開拓するようになりました
一人の人生が世の中で生まれて
天国に行くまで人生の様々な出来事
悲しむこと 喜ぶこと 痛いこと いろいろあります
その方たちをケアするために 神様が誰を立たせたのか
私は今日朝 レビティの11章を読みました
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そう見たら 家庭の中で何かトラブルがあったら 最初のところに行きます
最初に全てを言います
最初はその話を聞いて 聖書通り 神様の教え通り その人を助けるんです
皆さんを誰が助けますか?
もちろん皆さん立派ですから ご自分でうまくできると思います
世の中で助けることはたくさんあると思います
しかし神様は牧師伝道師に 教会の信徒たちを面倒見るように
最後まで面倒を見て助けるように 牧師としての使命を与えてくださり
任せてくださったんです
今のままで教会解散して終わりです
いうことは神様が絶対願うことではありません
神様は私を伝道師さんに 教会に預けてくださった一人一人に対する
最後まで面倒を見るその任務を 私たちに与えてくださったんです
私たちはその任務を 最後まで果たさなければなりません
子どもを捨てる親はいません
子どもは最後まで自分が生きている限り 面倒を見るのが親です
私たちの教会はその親の役割を しっかりやっていきたいと思います
結論的に私たちの教会は
最後の時の神の夢を 成し遂げてあげたいと願っています
バターイン24章14節 もう一度言います
そして御国のこの福音は あらゆる民の証として
全世界に延べ伝えられる それから終わりが来る
それから終わりが来る
神様創世紀3章以来 罪を犯す人は悪魔に直します
その見言葉のゆえに 全世界が悪魔に直している
その全世界を取り戻すために 地の果てにまで福音を延べ伝え
地の果てに福音を延べ伝えられたら 終わりが来る
神様のもとにもう一度 それが回復できるということ
神様それを願っております
その働きを神様はリバイバルとして リバイバルをもって成し遂げられる
リバイバルを受け入れる 新しい川袋の教会
この教会は福音書ではイエス様が見せてくださり
使徒行伝では使徒たちが見せてくれました
この教会を最後のとき実現するために 私たちの教会があります
私たちはこのような新しい川袋の教会のビジョン
回復とリバイバルのビジョンを持つ 徒労者たちを探しているところで
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もしそのような教会が見つかったら そのような先生たちが見つけたら
私たちは喜んで協力して 一緒にティームでネットワークで
一緒に働きたいと思います
そして私たちは地の果てにまで 福音を述べされるために
日本のすべての先生 すべての教会
同じビジョンを持っている その先生たちを探しています
その方たちと協力して これからも頑張っていきたいと思います
このような教会のアイデンティティを みなさんぜひ理解してください
なぜ今日東京にたくさんの教会があるのに
またもう一つの教会を 建てなければいけなかったのか
先ほど申し上げたこのことを 私たちが正しく実現した方から
私たちは開拓しました
ぜひ理解していただき 一緒に力を合わせて
主のためにこれからも進めていきましょう
お願いいたします
またここに集まってくださった みなさんに本当に感謝し
これからもみなさん よろしくお願いします
松井池もよろしくお願いします
お祈りいたします
神様 東京葡萄の木教会を開拓してくださり
3年間守り導き 保護してくださったことを感謝します
これからも見事ば 精霊の導きに忠実に従え
回復とリバイバル また大収穫のために
用いられる私たちにならせてください
人ではなく神様を喜ばせる 教会にならせてください
またアブラムの神 イサクの神 ヤクブの神と言われた通り
美しい継承も続けられることができるように
恵みを与えてください
今まで3年間 主がすべてをなさってくださって
ありがとうございます
主に栄光を与えます
これからも主を私たちを導いてください
イエス様の源を通してお祈りいたします
アーメン