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今日は、おすれうやまを、 また、へりくらる人の祝福という対応をもって メッセージを語りたいと思います。
先週、最後の時は、特に 御言葉に従っていかなければいけないということを申し上げました。
なぜでしょう。 ヘンリーブレイカビー先生が教えてくださいました。
この世は地雷畑、聖書は地雷畑のマップと同じだと。 だから、このマップに従っていかなければ、地雷を踏んでしまって 大変な被害があるということです。
聖書によりますと、ひとりの人の運命、 また、共同体、教会、国家の運命、
生きるか死ぬか、祝福か呪いか、すべては他のことではなく、 神の御言葉を聞いて従うかにかかってあると言います。
だから、最後の時は災いの時だと言うんですけど、 その時は特に御言葉に集中して従わなければいけません。
聖書が始めから最後まで強調していることがあります。 これが新米記三十章中九章二十節に現れています。
私は今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、 聖と死、祝福と呪いをあなたたちの前に置く。
あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、 あなたの神、主を愛し、御声に聞き、主に尽き従いなさい。
それがまさしくあなたの命であり、あなたが長く生きて、 主があなたたちの先女、アブラム一作役部に与えると誓われた土地に住むことができる。
ここで命と死、繁栄と呪い、あなたの前にある、あなたが選びなさい。
命を選びたいなら、主を愛し、主の御声に聞き従いなさい。 それが命だ。
これは聖書は始めから最後までそうです。
ですから、一番大事なことは、聖書の教師たちです。 聖書を教える人が必要です。
神の御言葉が何なのか、神の御声が何なのかを教えてくれる人がいなければ、 誰がそれを分かりますか。
ところが、私たちはよく分かっていながらもうまくできません。 なぜでしょう。
これは教える前に、自分の心の状態が正しくなっていないからではないでしょうか。
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例えば、神様を軽んじる。 神様を本当に重く受け止めなくて、神様のことを軽んじる心があったら、
神様が御言葉を語るんだって聞きますか。 それを従いますか。
聞かなければ、従うともないでしょう。
ですから、神様からの祝福をいただくためには、
なぜ大事なのは、その心の姿勢が大事だということを申し上げたいと思います。
ですから、神言の1章7節には、 死を恐れることは知恵の始め、信仰の始め。
無知なものは知恵とも、悟しとも侮ると言います。 今日は私たちが祝福をいただくために、神の御声に聞き従わなきゃいけないんですけど、
そこに一番大事なのは、神様の御前に恐れ敬う心、 下り下る姿勢、これがあるのかということです。
恐れ敬うということは、辞書では、 敬いながら恐れるということ。
この恐れるは、ただ恐怖心ではなく、 神様の存在が偉大な偉大なお方だから、
その神様を耐えられないその心から溢れ出る、 聖なる恐れ、それを恐れ敬うと言います。
また、神様の栄光の美しさに圧倒されて、 神の御前で感激、感嘆することを意味します。
神様このような心を持って、主の御前に進み出る人と 親しみを許してください。これが主編の25章の中4節です。
このように、神様を恐れ敬う心を持つ人は、 毎日の生活がどうでしょう、どうなると思いますか。
糸高きお方、大きくて大きくて偉大なお方、 その方を一番大切に思って、一番恐れて、
また、その方の美しさ、知恵と知識が限りがない。 神は善のできないことがない。神と戦う者はない。
また、善知ですべてを知っておられる。 また、絶対善の愛を限りなく注いでくださるお方。
神様だけが真理であり、命の源であるお方。 比べる相手、競争する相手が存在しない、卓越なお方。
だからその方を敬うしかない、恋愛するしかない、誇るしかないんです。 だからその方を知っているなら、その方の前で偶像、考えられない。
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その方の前で自己主張、自分をなんとかする、考えられない。 ただ、その方を中心として、
崇め、高め、愛し、 その方に用いられることを最高の喜びと光栄と思っていく。
また、その方の見前で比例して謙遜に従う、 そのような姿勢で生きるのではありませんか。
その人に神様は親しみを与えてくださるということです。 ですから人生の中で一番大事なのは、その神様を知ること、
そしてその神様を愛することです。 そこに永遠の命があります。
聖書はいつも二人の人を比較しながら、聖書をずっと記録されています。 例えば、カインが出たらアベルが出ます。
アブラムが出たらロッドが出ます。 イシュマールが出たらイッサクが出ます。
エッサウが出たらヤコブが出ます。 ヨセプが出たらヨセプの兄弟たちが出てきます。
サムエルが現れたらサムエルと代わりだと比較できるエリの子供たちが出てきます。
ダビデが出たらサウルが出てきます。 インサウルのテシドが出たらイスカリドユダが出てきます。
聖書は比較して教えてくださいます。 何を教えてくださるんですか?
神を恐れ敬った人と、神を無視した人。 神様から祝福された人と、神様から見捨てられた人。
これらの人を見ろ! だから神を恐れ敬う人が用いられるし、
世の中で祝福され、神様から愛されたよということを教えてくださる。
みなさんこれは個人だけではありません。 共同体も同じです。
イスラエルだって同じイスラエルですか? アラノに出てきたイスラエルの第一世帯、第二世帯をまた比べてください。
もともとイスラエル人たちはシュチュエイジプとしてアラノで1年過ごして訓練を受けて、
そしてカナンに入ることが神様の計画でした。
ところが彼らは1年じゃなくて40年をアラノでさまよう人になりました。
なぜでしょう? これがカデスパニアの実験のゆえです。
神様が第一世帯にカナンに入りなさい。 私が、あなたたちが足で踏むすべての土地をあなたに与えると言いました。
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だったら神様は一度調べてみて入ります。
調べなさい。そしてずっと見回して、見て、そして帰ってから、土地はいいんですけど、
巨人たちがいます。 背が高い者たちがいます。これアナコ子孫です。
この巨人が怖くて怖くて我々が入れません。 だったら彼たちは自分の不信心通り入ることができませんでした。
もし彼たちが神を恐れおやまう人だったら、 巨人よりはるかに大きい、はるかに偉大な神様が入りなさいと言ったから、
心配しないで入ったでしょう。 目の前の巨人はすごく大きい。
お話しされた神様は軽んじるから、 目の前の巨人が高すぎて強すぎて我々入りません。
それから40年後、 アラノで生まれた第2世代、
だからみんな40歳以下の人たちでした。 その人たちにも同じ命令を下します。
カラーに入りなさい。あなたの足で踏むすべてのところをあなたに与えるから。
しかし彼たちにも敵がいました。 その敵、その記事が新明紀3章で、11節で出てきます。
その敵たちの寝る、横になるベッドが、 その長さが4メートル、幅が2メートル。
皆さん、ベッドの長さが4メートル、幅が2メートルだったら、 どれほど大きい人だったことがわかりますね。
第1世代だけが敵が強靭ではありませんでした。 第2世代の前にも強靭軍がいました。
その時彼たちはどうしたんですか。 彼たちは神様を恐れうやまう心で、
カナンの強靭たちを恐れないで入りました。 戦いました。
神様は第2世代のこの人たちの恐れうやまう心、 信仰を喜ばせて、一人も残らず全滅させて、
その地を征服するようにしてくださいました。 神様は敵を恐れないで、神様を恐れうやまう人、
信仰によって生きる人に、 徹底的な勝利を与えてください。
皆さん、世の中のこの世界が怖いですか。神様が怖いですか。 世の中のことが大事ですか。神様が大事ですか。
今私たちは何が大事ですか。何を恐れますか。 何が大きく見えますか。
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神様を大きく考えられますか。 そこに、
神様を恐れうやまう心があるし、 そこに勝利があるし、そこに神の祝福と恵みがあるんです。
恐れうやまう心がこんなに大事です。 またここで考えながら、減り下る心も大事です。
じゃあここと関係して、私が一番理解できない聖書があります。 アハブオウの記事です。
アハブオウの時代、イゼベルと共にイスラエルのすべての預言者を殺し、 神様一番愛するエリアさえも殺そうとしたそのところです。
イスラエル国が空城の国になったきっかけは、このアハブオウとイゼベルのゆえです。
じゃあアハブオウに神様はどうすればいいですか。 罰を与えるべきではありませんか。
しかし、烈王城の21章29節には、 その神の前でアハブオウがどんな姿勢をとったのか。
聖書を読んでみます。 アハブオウが私の前に減り下ったのを見たのか。
彼が私の前に減り下ったので、私は彼が生きている間は災いをくださない。
その子の時代になってから、その家に災いをくだす。
減り下ったから彼の時代には裁かない。 しかし彼の子供の時代、その家を裁くと言います。
これから見てますと、もともとアハブは信仰がある人でした。 妻、イゼベルのゆえに誘惑されたと思います。
だからもともと信仰があったから、彼は神様から救われました。 ここで減り下るという言葉が非常に大事です。
ですから今日は、恐れ敬う心、また減り下る心の素晴らしさ。 これを皆さんに申し上げたいと思います。
では私たちはどうすれば恐れ敬う心、また減り下ることを心ができるか。
今日朝、私は天道寺さんと対話しました。 ある宣教師が宣教地に行って、
宣教地の子供を自分の子供のように預かって、そして育てたそうです。 私たちは難しいですね。
この宣教地にいる子供たちを預かって、子供のように育てたら、後になって、
この子供たちが宣教師の後につく、検証する働きができた。
その話を分かち合いながら、私の子供、 僕、天道寺の子供、今どうなっているのか。
本当に、今、教会も来ていません。
恥ずかしくて話ができない。 宣教師はどのように育てたからこれができるし、
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私たちはどのように育ててからそれができていないのか。 朝、2人が反省して、今、悔いを改める心でいっぱいですけど、
親の心は、子供たちが信仰をしっかり持って、 死を拝んでくださって、謙遜に減り下る心で、
教会に通って入れてくれればいいなと思いますけど、なかなかうまくできない。 どうすればできますか。
聖書、新明記、4章、9節、10節にはこう言っています。 まず、先祖たちが
恐れを敬う心を持って、神の御前に従って生きる。 そして、それを見せてあげながら、子供たちに教えてあげるなら、
子供たちにも恐れを敬う心ができる。 皆さん、私たちは子供たちに救われる、救いだけではなく、
恐れを敬う心を持つように教えなければなりません。 これが大事なんです。
なぜなら、救いは天国を与えられるんだけど、恐れを敬う心には、この世の中のすべての祝福、
すべての恵みがついてくるからです。 神言の1章7節に、
宗を恐れることは知恵のはじめ、無知の者は知恵と悟しとを侮る。 皆さん、恐れを敬う心は幼い時から教えなければなりません。
大人になってから教えるには難しさがあります。 シチエジプト第1世代は大人になってから
エジプトから出てきました。 その方たちに神の見言葉を、神様の教えを、立法をいろいろ教えたのに、
彼らには難しかったんです。 既にエジプトで教えてもらった、見てみた、世の中の常識と知識、また自分の考え、
それが硬すぎて、神の見言葉を純粋に受け入れません。 いつも判断します。
それでできるかい? そんな神様、ここまでできるかな?
それで素直で受け止めてくれないんですよ。 しかしアラノで生まれた第2世代は、純粋な心、
はじめから立法を教えてもらって、はじめから信仰を教えてもらったから、 彼らは純粋な心で恐れを敬う心ができました。
だから大人になってから教育することも大事だけど、 子供の時に教える、
教会学校の先生たちの働きがどれほど大事なのか、 ぜひとも教会学校の先生よろしくお願いします。
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何より根本的な方法があります。 神言の1章23節です。
立ちかえて私の懲らしみを受け入れるなら、 美を、私の礼をあなたたちに注ぎ、私の御言葉を示そう。
皆さん、年と関係なく大事なのは、 神の御言葉を聞いて悔いを改めることです。
悔いを改めるなら、神の礼を与え、 神の御言葉を示そうと言います。
イザヤ11章3節には、神の礼は、 恐れ、諸恐れを敬う礼だと言います。
聖霊様に強く望まれ、聖霊中盤になれれば、 恐れを敬うことが自然にできます。
聖霊様の素晴らしさです。 ですから、悔いを改めることができるということは、 どれほど大きな祝福でしょう。
悔いを改めるためには、神の御言葉によって、 自分自身がどれほど罪深いのか、
神様はどれほど偉大なお方なのか、 一等高きお方なのか、それを知れば知るほど、
悔いを改めることができ、恐れを敬うことができ、 減り下ることができるのです。
ぜひとも、私たちは神様の目前で、 減り下って恐れを敬う心ができるように、
そして永遠に祝福される準備ができる、 家庭と教会になれればと思います。
では、3番目に、神を恐れを敬う人には、どんな祝福があるのか。
まず初めに、神様との親しみが許されます。 皆さん、親しみは許されることです。
私たちが勝ち取ることではありません。
恐れを敬う詩編の25章中4節、 主の親しみは主を恐れる者のためにあると言います。
主を恐れを敬う人に、神様に近づくこと、 親しくなることが許されるんです。
じゃあ皆さん、ある姉妹がいます。 ある姉妹を恋するある兄弟がいます。
この姉妹がどうすれば兄弟に心を開いてくださるんですか。 兄弟が頑張るんだって恋ができますか。
いいえ、恋は姉妹が心を開いてくださらなければできません。
じゃあ姉妹はいつ、どの時に心を開いてくださいますか。 姉妹を尊重して、姉妹を一番大切に思う時、
姉妹を心を開いてくださるんじゃありませんか。 だから、神様を一番尊重して、一番恐れを敬う人に、
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神様を心を開いてくださり、近づくことができるように、 親しみができる、恋ができるようにしてくださる。
神様が共におられるなら、どうなりますか。 ただ、保護され、導かれ、まだ助けをいただく、そのほどではありません。
神様の恵みが来ている。 神様の恵みが来ているなら、何をやってもできます。
神様の恵みがなければ、何をやってもできません。 いくら努力してもできません。
だから、主が共におられ、主の恵みが共におられることは、どれほど素晴らしいでしょう。
また、恐れを敬う人は、神の御声を聞いたら、御言葉を聞いたら、従います。
従うから、いつまでも祝福されるようになるんです。 また、新明記4章7節8節には、恐れを敬う人に、2つの祝福をまた記録されています。
1つは、恐れを敬う人が祈るとき、神様が聞いてくださる。 近くに来てくださって、耳を傾けてくださる。
ある人がこう言います。 私は祈ってみました。しかし、何にもありませんでした。
その人に私はこう聞きます。 まず、悔いを改めたんですか。
罪があるなら、神様は親しくやってくれませんよ。 もう一つは、神様に対する恐れを敬う心がありますか。
その心を持って祈るなら、神様は近くに来てくださり、私が話す前に、すでに心を分かって、全てを与えてくださるお方です。
是非とも、悔いを改めたのか、恐れを敬う心があるのか、
そして、祈ることが大事です。 また3番目に、恐れを敬う人には、大いなる国民、大いなる国民に、ならせてくださると言います。
皆さん、大いなる国民ということは何でしょう。 大いなるということは、強いというよりは、永遠に続くという意味があります。
皆さん、学校の時に喧嘩することがあるでしょう。 喧嘩する時、どなたが勝ちますか。
強い子供が勝ちますか。 強いより粘り強いもの。
負けても、もう一つの日に、また喧嘩を挑む。 また次に、また喧嘩を挑む。その人は勝ちます。
大事なのは、強い者は勝つんじゃなくて、大いなる者じゃなくて、 粘り強く、最後まで勝ち続く、その者が勝つんだということです。
じゃあ、どんな国が大いなる国ですか。 昔、旧ソ連は強かったんです。
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でも今、旧ソ連はありません。存在しておりません。 昔、ローマは強かったんです。
しかし今、存在しておりません。
強いのが大事ではなく、永遠に続くのか、それが大事なんです。 神を恐れ敬う人には、永遠に続けられる神の国、大いなる国を与えてください。
永遠に続く命、永遠に続く安息、永遠に続く祝福、神の国、その国を与えてください。
結局、神を恐れ敬う人に、大いなる国、民、 永遠に生きて、永遠に祝福されるから、
人生は結局、神を恐れ敬う信仰があるのか、そこにかかっています。
数多くの強大な国、豊かな国がありました。 全て水の泡のように消えてしまいました。
最後まで生きていって、最後まで祝福されて、 天国と永遠な命を味わう秘訣、それが
神様を恐れ敬うことです。 これより皆さん大事なことがありますか。
神様がダビデに出会って、シトギョーテン中3章22節、 私はエッサイの子、私の心にかなう者、ダビデを見出した。
彼は私を思うところ全てを行う。 ダビデほど、神様を恐れ敬う人がいなかったということです。
聖書が一貫的に、始めから最後まで教えてくださる、 祝福をいただく、永遠に生きる道は、神の御声を聞いて従うことです。
これは子供の時から、神様に対して恐れ敬う心を持つ子供、 その教育を受けた人だけが可能です。
私たちはどうすればいいのでしょうか。 御言葉を聞いて悔い改める、
それごとによって聖人様が十万に十万に来られるなら、 神様を恐れ敬い、祝福されるものになります。
また、神を恐れ敬う人は、神様の御前で無闇に行いません。 謙遜に従順します。
ですから、神様からいつまでも祝福され、愛され、 そして生きる限り、神様の恵み、神の御臨在が共におられます。
だから私は恐れ敬うためにならなきゃいけないんですけど、
また、神を恐れ敬う人には、神の御言葉、主の教会、 主の信徒たちの御前でも減り下って、
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その方たちを尊重する人になります。 そのような人たちが集まっている共同体は分裂、戦いはありません。
分裂する教会ではなく、永遠に続く祝福された教会になります。
すべてが、主を恐れ敬う心、 また自分自身に対して減り下る心を持っている人たちに与えられる祝福です。
ぜひとも私たちも、神を恐れ敬う、 そして神の御前で減り下る人になって、
永遠に祝福される、勝手に、 永遠に祝福される教会になりましょう。
お祈りいたします。 主を毎週私たちに、最後の時、どんな姿勢で過ごさなきゃいけないのか、
教えてくださってありがとうございます。 神の御言葉を恐れ敬う心で受け入れ、
減り下った心で謙遜に過ごし、 永遠に祝福される私たちにならせてください。
また永遠に続く教会を、いつまでもいつまでも、 私たちが捧げていく、保っていく、私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。 アーメン。