1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「勇士アブラハムと訓練された..

東京ぶどうの木教会 2022年10月2日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄

創世記-16 シディムの谷には至るところに天然アスファルトの穴があった。ソドムとゴモラの王は逃げるとき、その穴に落ちた。残りの王は山へ逃れた。ソドムとゴモラの財産や食糧はすべて奪い去られ、ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも、財産もろとも連れ去られた。逃げ延びた一人の男がヘブライ人アブラムのもとに来て、そのことを知らせた。アブラムは当時、アモリ人マムレの樫の木の傍らに住んでいた。マムレはエシュコルとアネルの兄弟で、彼らはアブラムと同盟を結んでいた。アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した。夜、彼と僕たちは分かれて敵を襲い、ダマスコの北のホバまで追跡した。アブラムはすべての財産を取り返し、親族のロトとその財産、女たちやそのほかの人々も取り戻した。

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はいちょっと緊張しています。 さっき先生がですね色々とまた紹介してくださいましたけれども
本当にパウロで手もてだって言ってましたけれどもね。 手もては胃が弱かったって言うんですよね。私も緊張して昨日からちょっと胃が
調子が悪いような感じがいたしますけれども。 でも今回こうやってまた東京ぶどうの木教会の4周年記念礼拝
にこうやって迎えてくださって心から感謝いたします。 そしておめでとうございます。
本当はもう今にも変わって先生の話をメッセージを聞きたいと思っていますけれどもね。 でも今日こんな小さきものを神様が
こうやってまた使わせてまた用いてくださることを感謝いたします。 そして皆さんもこの新型コロナウイルスでね
今約3年ですかね経っていますけれども きっといろんな大変さがあったと思いますね
でもこうやっていろんな工夫をしてね今日もこうやっていろんな工夫をして礼拝が 捧げられているし
そしてみんなが本当にファン先生をまた愛してね 関わってくださってそして一緒に祈りながらこの4年間もまたこのコロナの中も
共に歩んでこられたという話を昨日少しだけまた話を聞かせていただきましたけれども 本当にそのように
支え合って愛し合っていろんな工夫をしながらもこうやっているというのは本当に主が立ててくださっている
教会であるそのように思うわけなんですね
本当の姿というのは私たちの本当の姿というのは試練の時に現れるとよくね まあ言われます
聖書の中でも本当にこの苦痛を通していろんな苦難を通して私は試されながらまた成長していく
まあそういうことが示されていますけれども でもこうやっていろんな課題がありながらもみんなが愛し合って支え合ってこの教会を
と共に歩んでいるっていうのは本当に主がね この教会を愛してくださっていることだと思うわけなんですね
そしてまた特に嬉しいことはね まあ今このいろんな設置してくださいましたけれども
野住さんのご主人がバブテスマを受けられたという話を聞いて本当にその時聞いた時には ああよかったなあっていうふうに心からあの感謝していました2人でよくねそのこと話して
よかったねっていうことを話していました 本当にいろいろこうインスタもあるし今は何ですかね
いろいろの今これも使い続けられてますけどいろんなものがついてこういう it のね この関係してねこのたけた
保護者がいるというのはこれからもう本当に標準的なものをね もう当然なものとして多分これからもう当たり前のようにね
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なっていく時代ですよね そういう中でも本当に大きな持ち入られていく
そのようにも思います 教会学校の今日朝のまた礼拝も聞いて本当に素晴らしいなって思いましたね
子どもたちがこうキャッチボールしてね本当にこの言葉をキャッチボールちゃんとこう話している そのことを見て
本当にいろいろ希望がある希望で溢れている教会 そんな風に思えてありませんでした
本当にますます楽しみだなというふうに思います そしてほんとまたですね皆さんにいつも私たちの夫婦のことや教会のことを祈って
くださっていることも聞いて本当に感謝しています ありがとうございます
続けてですねまた種の癒しを完全な癒しをまた求めて今祈っていますけれども 続けてお祈りしてくだされば感謝です
少しですね話が挨拶の話が長くなりましたけれども 今回またですねこの創立記念礼拝のメッセージをするということになって
どこから話そうかなというふうにこう悩んでいたんですけれども いろんな箇所考えたりしてたんですけれども
なんかねどうしてもなんか創世紀14章のこのアブラハムのねことがどうしてもあの 頭から離れなくなってしまって
もうここにしようっていう風になったんですけれども ロトを救出するというねそういう話なんですが
ファン先生もね真鋼の名前と言ったんでしょうかね アブラハムファンですかねっていう風になってますけど
ファン先生を意識して今日のことを心を選んだわけじゃないんですけども でもそういう必然的にそういう風になったといったのかも知れませんけれども
まあこのアブラハムのことからロトを救出したというところから今日はご一緒に またね分かち合いたいなというふうにまた思っています
でこのアブラハムっていうのはまあ実にね素晴らしい 面もある一方でねそのアブラハムっていうのは弱さもあって
そして失敗も犯すんですよね でそういう中でこの14章ではそのアブラハムの失敗ではない
素晴らしいっていうか本当に信仰者としてのアブラハムというか 戦士のようなアブラハムというか
勇士のようなこのアブラハムそんな姿がですね この14章では見られるわけなんですね
でこの しかもでもこのアブラハムを思う時に自分のね奥さんサライはね
この妹だって言ってねそして騙してね自己保身的になってしまうアブラハムがいたんです けれどもこの前に出てきてるんですけども
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でも それとかその後にもですね
このサライにね自分の 子供が生まれないので女奴隷からね
産むように言って頼まれたらそれに従って神様の約束を破るかのようなねことをして しまうというようなそういう弱さがあるのにも関わらず
そういうでもこのロトを救出するという命をかけて この自分の家族も含めて全部命をかけてですね
助け出すという まあこのところがすごくあの心に留まったわけなんですね
しかも勝利した後もねこの後いろいろ戦いがあるんですけどもね あったわけなんですけどもこの14章は書いてるんですけどもその勝利するんですけども
それも自分の成功ではなくてこれは 意図高き神が勝利してくださったんだということを語って信仰者の本当に素晴らしい姿を
語っているわけなんですね こういう弱さも抱える彼なんですけれどもでもこの場面ではすごく勇者である
この姿が あるわけなんですね
でこの 前のこの13章っていうところ今日は14章を見たいんですけど前の13章のところでは
この アブラハムの老いのロトが
我先にとね自分の良い地をこうね自分が良い地を選んでいくわけですよね まあそういうあの自己中心的なロトを救出するわけなんですよ
そういうことがあった上でこここの方の14章があるわけですよね
そういうもうほっといてもいいようなね ロトを救出する
命を懸けて助ける そのアブラハムの力はどっから来たのかなって思ったんですよね
どうしてそういうことが可能だったんだろうか そういうことを考えさせられました
そしてここにはまた不思議とまた318人の訓練されたね 下部たちがいたということが記されていて
ここにまたすごいなんか不思議なこのことが書かれている そこに何か共同体のことを思わされました
この教会のことですね そういう共同体のこの力強さそういうものもあったんだと思うんですけども
こういうのがどうしてこういうふうに書かれているのかなということを目指させられたんです けどね
まあでもまあここの不思議なところからでもどうして アブラムはロトを救出することができたのかということをね
今日また一緒に見ていきたいとも思うんですけども でもこの
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この時代もねいろいろ戦争があったことがこの14章で書かれているんですけども 今の時代も本当にね
いろんな問題が山積している時代ですよね
政治の問題も日本でも政治の問題でも本当に大変なことになっている 社会的な問題にしろ
信仰的な問題 礼儀的な問題にしろ いろんな混乱しているような時代に思うんですね
コロナ禍の中にあって コロナの問題でも大きいけれども
いろんな社会的な変化している時代なのかもしれないんだけどもいろんな問題が 溢れ出ているようにも思いますし
で戦争や紛争の話がもう絶えないような感じで サイリンがもう近づいてきてるんじゃないかというね
本当に思わされるそういうものです また異端の問題も出てきてますよね
そういう問題の中で どう伝導していったらいいのかという
なんかちょっと不安になってしまうというかね そういうふうに思ってしまうことがある
いろんなまた聖書の価値観が 歪められるような世界観というかですね
世界のもう本当に価値観というのが なんか本当に変わってきていて
聖書から添えてしまっている そういうのが当たり前のような時代になってきてしまう
そういう中で信仰が本当に問われる時代になっていると思うわけですね
でそういう中で教会の存在というのは 実に大きなものだと思うわけなんです
で東京というのは本当にね 世の中の中でも本当にこの日本でも世界にもいってもですけども
注目される場所であり そしてより影響を受ける場所ですよね
一番影響を受ける いろんな世の中の影響をドーンと受けてくるところだと
でもそういう中でこの教会の存在というのは 本当に大きなものだと思うわけですね
今回沖縄からね こう来た時にもやっぱり東京に来たら
人多いなーって狭いなーってね すごい狭く感じてね
ぶつかりそうになるんです
人とぶつかりそうになってびっくりしたんですけれども
それだけ本当に人がこの通い人がたくさんいて いろんなこのキラキラしたものがいっぱいあって
誘惑が本当に多いところですよね
その中で教会の存在っていうのは本当に大きなものでありますね
今日はこのロトはソドムという場所にいたわけですけれども
その中でいろんな問題に巻き込まれてしまった
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この暗闇の力に本当に虜となってしまっていたロトですけれども
それをアブラハムとその318人の者たちが助け出していくわけですよね
だからこの教会というのも本当にそのような役目が与えられている
そういうことをまた一緒に分かち合いたいと思うわけなんです
この創世紀の14章というのは中近東の大きな戦いの話が記されているところなんですね
今もイスラエルやヨルダンやイラクやイランやアラブの地域というのは
戦争をいつもミサイルを向け合っている
いつも警戒し合っているそういうところですけれども
もうこの時代から同じようなことが起こっているんですね
この時代からも同じような問題が起こってしまっているんですね
今日のところではケドルダウメルという王様が出てきているんですね 14章では
このケドルダウメルは大きな国だって そしてそこについていく国々がいっぱいあったんですけれども
それとそれがあったんですが でもこの問題が起こってきたんですね
このケドルダウメルにはついていきたくないと思っている
そのためにそこから別れていく そこで戦いが起こってくるわけですよね
そういう話が14章の前半に記されている
このケドルダウメルと敵対していた国の一つにソドムという国があったわけですね
このソドムにアブラハムの老いのロトがいたわけなんです
そのためにこの戦いにロトは巻き込まれていくわけなんですね
そしてロトとロトの家族と全財産が奪われていってしまうということが起こってしまった
さっきも少しだけ話しましたけれども
ロトはアブラハムと土地を巡ってのトラブルが起こっていたんですね
創世紀の13章の8節から9節に神科学で読ませていただきますけれども こうあるんですね
そこでアブラハムはロトに言った どうか私とあなたとの間
また私の牧者たちとあなたの牧者たちの間に争いがないようにしてくれ
私たちは親類同士なのだから 全地はあなたの前にあるではないか
私から別れてくれないか もしあなたが左に行けば私は右に行こう
もしあなたが右に行けば私は左に行こうとこういう話があるんですよね
そして土地の選択権は年下のロトの方に与えられて
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アブラハムとロトは別れるわけです これまでは一緒だったんだけど別れることになってしまったんですね
そしてロトは見るからに美しいこの素晴らしい方を土地を選んでいった
それがこのソドムの近くにいたんですね
実は別れた時には ソドムの中にはいなかったんですよ
だんだんとソドムの方に入っていったんです
共同約聖書はこのだんだんと入っていた様子を13章の12節に書いているんですけれども
だんだんと入っていったという表現がされていますけれども
鎮海約聖書では13章の12節にはこうあるんですね
アブラハムはカナンの地に住んだがロトは低地の町々に住んで ソドムの近くまで天幕を張ったって書いてある
だからまだソドムには入っていないということだよねその時点では
でもロトはこの初めはだからソドムとは距離を置いていたということなんですね
ソドムとは距離を置いていたにもかかわらず次第にソドムにどんどん引っ張られていってしまうんですね
今日の14章の12節にはこう書いているそして
カエラはまたアブラムの老いのロトとその財産を奪った
ロトはソドムに住んでいたって書いてある
もと初めは離れていって少しだんだんといって そしてもうソドムの住民になってしまった
このソドムは本当に13章の13節に書いてますけどソドムは横島なもので主に対して非常な住人であったって書いてある
だからどんどんと本当にその住民の真っ黒の中にこのロトはその中心に住民
全て住民となってしまったというね そういうことであるわけですね
それで戦争に巻き込まれていく
そしてロトとロトの家族全財産が奪われてしまう
その知らせをアブラムが聞くわけなんですねロトがソドムに
つまりソドムの住民となってそしてこのロトの家族は今
戦争に巻き込まれてね全財産奪われてしまったっていう すべてが奪われてしまったということを聞くわけです
するとアブラムはねなんだあいつなんかほっといけではなくて すぐさまにロトを救出するために立ち上がっていったんですね
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そしてアブラムの家で訓練された下部318人とともに ケドルラオメル軍で連合軍を追跡していくわけですよ
で野州をかけていってそして連合軍を打ち破るわけですね大勝利を収める 318人で大勝利を収めるということが起こっていくわけですね
まあこのケドルラオメルの連合軍が何人ぐらいいたのかわかりませんけれども でも相手は複数の国の連合軍であり
この圧倒的な数の違いがあり圧倒的武力の違いがある中で勝利していくわけですね すごいことが起こっている
アブラムは一遊牧民でありますね でもこのアブラムが勝利していったわけなんですね
シェーンの20編の7節にはこんな言葉があるんですけれども あるものは戦車を誇りあるものは馬を誇る
しかし私たちは私たちの神主の皆を誇ろうというふうに
戦車や武力 そういうものを多くの人は普通は誇るんだ
でも私たちは主の皆を誇ろう
主により頼むものこそが圧倒的な勝利者であるんだ だからたとえ少数の人数であったとしても主が味方であるなら
勝利を与えてください 戦車のいろんな箇所で人数ではないんだって言うわけですね
人数ではない武力ではない 能力でも人間的な能力でもない
主が共にいるか主が味方であるか その主が共にいるかということによってある意味勝敗が決まるということでありますね
詩式にはギデオンの話が ギデオンという獅子がいた話があるわけですね
ギデオンとミディアン人との戦いが記されているところがあるんですけども このギデオンは
このギデオンとミディアン人の戦いの中に イスラエル軍 ギデオンの軍は300だったんですね
それに対してミディアン軍は13万人いたっていうふうに記されているんですね
圧倒的な差であるけれどもギデオン軍が勝利していくわけですね このギデオンはね初めは本当臆病だったんですね
臆病で隠れていたようなものだったんだけども でも神様が彼を力づけ励まして
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そして 人の方法ではなくて神様の方法で戦うことを教えていくわけですね
この300ってさっき言いましたけれども もともとは2万人ぐらいいたんですね
でも神様がどんどん減らせていくわけです 最終的に水のところがあって
そこで顔をつけて飲んだものは そこからもうその人はダメだって
でも手ですくってですね この飲んだ者たちそれだけで戦いなさいというふうにするわけです
そうしたら300人しかなくなったということですね この300人でこの13万人のミディアン軍をやっつけていくということが起こるわけですよね
人数や武力の多さではないということなんですね
だから今日はこのアブナムがどうしてねケドルラウメルに勝ったのかということをね どうしてだったのかということを
共に考えたいと思うわけなんですね いくつかのポイントに分けて
今日は話したいと思いますけれども
アブナムがどうしてこのケドルラウメルに勝つことができたのか 勝利することができたのか
その一つ目は一つはですね種の契約のためであったということがあると思うんです
種の契約のためであるというまた私たちの確信が大切であるということなんですね
創世紀の12章の1節から3節にはこのようにあります 主はアブラムに申しられた
あなたはあなたの生まれ故郷あなたの父の家を出て私が示す地へ行きなさい そうすれば私はあなたを大いなる国民としあなたを祝福しあなたの名を大いなるものとしよう
あなたの名は祝福となる あなたを祝福するものを私は祝福しあなたを呪うものを私は呪う
地上のすべての民族はあなたによって祝福されると アブラムここではまだねアブラムなんですね後にアブラハムとなるんですけども
このアブラハムからですねこの大いなる国民が誕生するつまりイスラエルは誕生していくわけですけれども
誕生しそして 彼を祝福のもといとする他の聖書では祝福のもといって書いてますね
神科学では祝福のもといって書いてませんけれども 祝福のもといとする彼を祝福のもといとする約束を与えられた
だから主はアブラムと共に居続けてくださり そして彼を守り続け
また彼がしくじるような失敗を犯すようなことがあっても彼を助けていくわけなんですよ 不思議と助けていくわけですよね
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でももちろんアブラムが祝福されたのは何か問題がなくなっていくってことじゃないですよね
問題がなくなっていくことじゃなくて問題はいろいろあるわけですよ 苦しいことがいっぱいある悲しいこともいっぱいあるわけですね
でも神様が彼を共に歩み続けていってくださる 失敗を犯した時にその時にも神様は彼に気づかせていくわけですね
そして神様の大きな憐れみを彼に気づかせていく そして悔い改めと導いていくわけですね
マコトのアブラハムの祝福すると言ってくださった マコトの神へと心を向けさせていくわけですね
そしてまた信頼させていこうとする 約束を握らせていこうとする
あの時語ったこの神の言葉をしっかりとまたもう一度思い返しさせようとする そういう風にしてアブラムと共に歩み続けていかれたわけなんですね
私たちもそうだと思うんですね 私たちも神様によって救い出された者たち
選び出されて救い出された者たちなんですよ あるいは私たちも素晴らしい契約の中にあるということです神様
だから私たちはこれをしっかりと受け止めて確信を持って歩むことが大切だと思う
そのガラテアビターの手紙の3章の8節から9節には 私たちキリストを信じる者たちはこのアブラハムの祝福につながる者たちであること
ローマ書にも出てきますけれどもね ガラテアビターの手紙の3章の8節から9節にはこうあるんですね
聖書は神が違法人をその信仰によって義と認めてくださることを前から知っていたので アブラハムに対しあなたによって全ての国民が祝福されると前もって福音を告げたのです
そういうわけで信仰による人々が信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのですと
だから誰でも キリストを信じるなら
このお方を本当に信頼して歩んでいくなら アブラハムと同じ祝福を持って神様は私たちを導いていってくださるお方であると
いう事なんです そして私たちもアブラハムに祝福の基いとしての約束を与えられたように私たちも祝福の基いとして神様は
用いていってくださる方なんですね
だから私たちもいろいろ失敗することもあるかもしれないね人生の中で しくじることもあるし
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悲しみを覚えるようなこともあるしいろんな 理解しがたいような経験をすることもあるかもしれない
でも私たちは神によって選び出されていって そして神様が共に歩み続けていってくださり
すべてを益として用いて祝福して導いていってくださる
そういう中にいられている 者たちであるという
その 契約の民とされているというこの確信が大切だと思います
私たちはこのキリストを信じる者たちは本当に神の子供とされたんですよね 神の者とされたんですね
そういうものが大切だね自分が何者なのかという 自分が何者かというアイデンティティです
自分が何者なのか皆さん気づいてますか 自分は何者なのかってね
自分はあのねこの醜いアヒルの子知ってますか 醜いアヒルの子ね
自分ははじめはアヒルだって思ってるんですよね 醜い皆から嫌われ者なアヒルだって思ってるんですけどね
でも実際は違ったわけですよね 白鳥だったあの空を綺麗に美しい姿で空を飛ぶ
そういうものだったんですね だから自分は本当は神様から選ばれて神の民とされているのに自分はアヒルだアヒルだって
思って生きるならばやっぱりそういうような生き方しかならないということですよね そういう人生になっていく
でも私たちはキリストの者とされて神の子供とされているということ この確信が大切だと思うんです
日本人はこの自己肯定感が低いと言われるんですけども 韓国の方ももしかしたらそうなのかなと思う
アジア人というのは比較的そういうのがあるんじゃないかな 自己肯定感自分が
ねあの ダメと思ったりなんかね
低いと思ったり 自信がなかったりするようなことですけども
まあねだから私たちは この神のものとされているというその素晴らしさをもっと味わいたいと思う
わけですね 主が味方となって共に歩み続けてくださる素晴らしい神に愛されている
ものである しかも祝福のこの
もといとして用いられる器として神様が私たちを選んでくださった
では今日もう一つまた2つ目に見たいのは 今どうしてロートを救出することができたのかということ
それは 神を愛するものであったということ
神を愛するものであった この神様が
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人間を愛する基準というのは何でしょうか 神様が人間を愛する基準って何なんでしょうかね
立法を守っていること 聖書を欠かさず読むこと
祈ること 献金をたくさんすること
ボランティアや自転活動をたくさんすること 教会の奉仕をたくさんすること
確かにこれが素晴らしいことではあるかもしれないわけですけども でも聖書を見るとこのようなことを欠かさないでやったにも関わらず
叱られた人がいるわけですよね それはあの祭司や
立法学者やパリサイ人たち ですね
彼らは何かを一生懸命やることが目的となり 神様を本当の意味で愛することもね
また人を本当の意味で愛することもなかった 彼らは何かをやることで
周りから評価されることで安心感を得ていった そして自分の価値を決めていた
周りからどう思われるか 神様がないんです
周りからの意識しかない 自分は一生懸命やることが目的になっていたわけです
さっきも教会学校の話の中でも誰かが 子供さんが言ってましたけど エリザベス女王の話をしてましたけどね
エリザベス女王が国別式の時に 司教の人がメッセージしていたんですけども
彼女のことについてですね
どのように
従ったか ではなくて
誰に従ったかを見せてくれた人だって言ったんです
どのように従ったかじゃない だからそのどのように何かをやることが中心ではないということですね
誰との関係で生きているかをよく見せてくれた人なんだ というわけなんです
だからパリサイミドたちもそういう人たちというのは
やることで安心感を得たり 神様抜きにして周りからの評価で安心感を得たりするものだったわけですよね
でも神様が求めているのは何かをすることを目的とするのではなくて 神様を愛しているかどうかであった
神様との関係です 個人的な神様との人格的な関係である
何かをやっているからということではない 神様との個人的な愛の関係なんですね
だからイエス様も福音書の中で ある時パリサイミドがこんな祈りをしたわけですよね
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神よ私は他の人々のように悪事をに働くものではなくて ことに主税人のようでないことを感謝します
私は週に2度断食し収入の10分の1を捧げています でもその隣で遠くのちょっと離れたところで主税人はね
祈るわけですよね 胸を叩いて祈るわけなんですよ神様このような強い人の私を憐れんでください
必死にこのように祈っていくわけですよ そしてイエス様は言うわけですよね
このどっちが義と認められたのかって それはパリサイミドではなくて主税人の方だって
罪人と言われてた主税人の方だというわけなんですよ
神様がこの人間を愛する基準は 立派さなのではなくて何か立派さのようなものではなくて神様の心を知って
自分の弱さや罪深さを認めて神様を求めるものであり 神様により頼んでいくものである
そしてこの神様の心を求めてその心を知ってその神様との真実な愛の関係の中で 生きていく
そういう関係を求めている
確かにアブラムもいっぱい問題があったんです 立派じゃなかったんです
立派じゃなかったけれども でも彼は神様が語られるなら修正していこうというものがあったんですよね
語られるならそっちに目を向けていき また悔い改めて神様を愛していくというね
神様をいつも意識しながら神と共に歩んでいこうというものがあった
神様との愛の関係があったからこそ ロトを救出することができたんだと思う
もちろんこのアブラムから見ると老いのロトですから 憎しんでありますからそのような意味合いで愛情も深かったということも言えるかもしれないけれども
でも自分勝手なロトを助けようとする力は神を愛する人だったからと思うからですね
すなわちこのアブラムはこの感情だけで行動したのではなくて 神の御心を知って行動していったということなんです
感情だけで行動したんじゃないロトを助ける
この御心を知って神の御心を知って行動していった
36:00
だから私たちも何か嫌な人がいるかもしれない 敵対するような人がいるかもしれない
でも本当に神様を愛する人だったらこの人のためにもまたこの神様がこの人を愛せよと言うならば
そこに向かっていくというね そういう姿勢だと思うわけですよね
まさにこのアブラムの行動はイエス様が この世に来られたひな形を見るかのようなそのように思います
愛する神様は 御自身に背を向けた罪人を救うためにイエスキリストを贈られた
それは 罪と罪化によって死にまたサタンの虜になっていた私たちを救い出し取り戻すために来てくださった
神に背を向けていたものであればね放っておけばいいんですけども 私たち人間を放っておけばいい
もう滅びるままにしておけば良いのに そんな私たちを救ってくださった
罪のドロドロとしたその世界にイエスキリストは来てくださったんですね そして十字架にかかり復活して勝利をもって救い出してくださった
この時のアブラムがどこまで神の心を知っていた 行動したかわかりませんけども
しかし自分勝手な露と命を懸けて救い出すという行為は 神を愛する人だったからだと
神の愛の中に生きていた人だから そのように神のご性質をいただくというか
そういう中で命を懸けて救い出していくということなんですね
この5年ぐらい前に2017年ぐらいにですねメルギブソン 監督がいますけどメルギブソンという方がね
白草立地という映画を作ったんです白草立地という映画をね 作ったんですけど白草というのはノコギリという意味
立地というのは崖という意味 でノコギリ崖っていうような直略するタイトルなんですけども
そういうのを作ったんですけどもこのノコギリ崖っていうのは 実際の名前はそういうことじゃないと思うんですけども実際にあるんですねこのノコギリ崖という
ところがそれはどこにあるかと言ったらね実は沖縄県の今私が住んでいるところ 近くなんですね
浦添市の近くにあるんですけども
この映画は 第二次世界大戦のこの沖縄戦の出来事を
語っている映画なんです 第二次世界大戦の激戦地のところが白草立地というノコギリ崖と言われるところの
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場所なんですけども そこで全く武器を持たずにねたった一人で75人の命を救った
男性の実話から生まれた映画なんです実話なんです 実話から生まれた映画武器を持たずに一人で75人を助けた
彼の名前はデズモンド・ドスという デズモンド・ドスという人ですけども
1945年の5月に日本軍は日本の本土にアメリカ軍が上陸してこないようにと
必死に沖縄を犠牲にして 沖縄を犠牲にして食い止めようとね
熾烈な戦いをするわけですね そして沖縄は大変な状況であったわけですけども
そういう中で白僧リッジという場所は すごい激戦地であったんですね
アメリカ軍も日本軍もたくさん命がなくなったわけですけども
でもそういう中でデズモンド・ドスという人はね クリスチャンだったんですよ
でもこの戦争に参加することになるわけですけども
戦争に参加する時に彼は彼の中ではね 武器を持つことは良くないというふうにね
そういうふうに思ってた 神様の中にあって武器を持ちたくないという思いがあったんですね
だから武器を持たずに参加するって決めたんです
そのために衛生班として参加するんですね
衛生班として参加するわけですけども その激戦地に彼もね
行くことになるわけです 白僧リッジという場所に行くわけなんですね
彼はそこで全く武器を持たずに一人で本当に崖のようなところから人を吊り下ろしたりして
一生懸命そして弾丸が飛び交うような そういう中で必死に助けるわけですね 兵士たちを
しかもそれはアメリカ兵だけなのではなくて 日本兵までも敵をも作っていく
敵をも助けて全く一人で75人を助けるという驚くべきことをしたんですよ
そういう映画が実はもっとずいて書かれているんですけれども
この出来事を映画を見た時に本当に思わされたんですけれども キリストは本当に罪と死とサタンの繰り出す弾丸
そういう砲丸を私たちを救うためにね ご自身が受けられるかのようにしてこの世に懲られて
42:03
この身代わりの私たちの身代わりの生涯を歩み しかも鞭を打たれ椿を吐きかけられそして十字架という最も苦しい刑を受けられて
死という壁を打ち破って勝利してください それは私たちを取り戻すためです
その中に生きる私たちを取り戻すためであるわけですね そして神様は救われた私たちを用いて今度は
ご自身をこの働きのためにね 持ちようとされるわけですね
神様の御心は ね本当にこのはっきりしてその御心はこの世の人々が本当に滅びないで永遠の
命を持つこと そして神の子供として生きていくということ
ですよね この世には
本当にキリストを知らないで本当にこの罪の奴隷サタンの奴隷となって生きていき そして本来の神の作られた
この形というものがあるんですけどそれを神の形を知らないで自分の本当の姿というか 本当のあるべき生き方ということをわからないで生きている人たちがいる
わけですね 神様はそういう人たちを救うために私たちを使わせ
わけですよね 神様愛する人たちは
その神様の心と一つとなって 救いのその働きのために生きていく
わけですね そのようにだから神様を愛する人たちはその神様の思いを知るわけで私たちを救ってくださった
神様そしてこの世を救いたいというふうに思っている神様のこの心と一つとされていく そして私は出ていく
今日もう一つまた見たいのはですね ポイントとしてどうしてこのロトを救出することができたのか
それはこの訓練された318人という信仰共同体の存在です
ロトの救出のためにこの アブラハムの家の下部たち318人が訓練されたんですね
そのために訓練したわけじゃないんですけども 訓練された勇士たちがいたんですね
ではねこのアブラハムは何を訓練したんでしょうかね
軍事訓練をしたんでしょうか そういうことを考えられなくもないかもしれませんけれども
しかしそんなことでも大切なことを教えようとしていると思う この聖書はね教えようとしている
聖書は私たちに軍事力をつけなさいということを教えているわけじゃないです みんなで軍事力をつけましょうってね
軍事力をつけましょうということではなくて 信仰の戦い
45:04
霊的な戦いといったでしょうか そのことを私たちに教えていると思う
そういうことを考えるときにこのアブラハムはどのように訓練したのかなというふうに 思わされたわけですね
いろんなことが考えられると思うんですいろんなことを訓練したでしょうね でもいくつか今日また分かち合いたいんですけども
その中でねまず一つはこの誠の神を愛していくという訓練です
誠の神を愛していく このアブラハムは
ことあるごとにね 主の祭壇を築いたって
主の祭壇を築いて祈っていっているわけですね でもロトはどうでしたか
ロトは夜市に働いても主の祭壇を築くことはないわけですよ 当たり前なんです
それが当たり前でもアブラハムはことあるごとに主の祭壇を立てて祈っていく
だから全ての歩みに主が共にいてくださってこのような
恵みを与えてくださっていると感謝しながら そして主に寄りたどりながら歩んでいったわけです
主を愛する人であった そして主を愛し主を共に生きていこうとしていた
そういう姿を通してまたこのアブラハムはこの318人の主人たちに伝えたと思うんですね
神様を愛すこと 神様に愛されて生かされているということ
そういうことを教えたと思うわけなんです そういう神を愛する人
という神を愛していく訓練が大切だと思いますね
そしてねまた一つさらにですね この神様に選ばれたものとして祝福の基礎として生きることを教えたと
祝福の基礎であるという確信ですね 自分が
自分だけが満たされて生きるのではなくて 祝福の基礎として
相手を幸せにしていくということです 相手祝福を流していく
ものであるという自覚です 周りを祝福していく
人々を愛していく助けていく そういう神様のご性質に見せられた自分として
この祝福の基礎として生きていくということ そういうことを教えたと思われるわけなんですよね
そしてですね3つ目に行ったそれは 主を信頼していくという訓練
ですね まあなぜならさっきも話しても大国相手に318人という本当に少ない数で大勝利を
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収めていった
だから彼は彼らはこの目に見える現実よりも 全能なる神様に信頼していくって言う
ことを教えられていったんだと思う だから
恐れることなく向かっていくわけですよ 皆さんどうでしょうかねここにね例えば
1メートルぐらいの幅の音 でそして10メートルぐらいのに板があったとしますねここにねここにあったとします
これ歩いてくださいって言ったら きっと誰でも歩くことができると思うんですね
でもねこれが 上に来中ずにされた状態で
どうですかそこ歩いてくださいって言ったら ね恐ろしいもう無理ですって言う風になると思うわけですね
そうだからこの 私たちはどこに自分を置いて歩いているかということは大切である
いうことなんですよねどこに自分を置いているか 死を信じる者たちは全能なるこの神様の支配する神の国にすでに入れられているという
確信を持ってそこに私たちはもう いる存在というか
そこに足がもしっかりとついている存在である そういう
ところから私たちは 王国私たちいつも意識しながらね
神様に祈りながら歩んでいくときに見える世界が違ってくる 同じ状況の中にあってもいろんな苦しい状況の中にあっても私たちは
もう天国神というか そういう天国につながっているものとして
私たちは歩むことができるということですね どこに自分を置いているかこの地上の原理というか地上に足をつけて生きるというか
なんて言ったんでしょうかねこのような地上の
に そのに従って私たちは同じように生きていくんじゃなくて
すでに天国に入れられている者たちである ことを持って私たちの天上の現実こそが
現実である そのことを意識してくださいたいと思う
地上の現実よりも だからそれは
天上の現実ということは本当に神様のまた約束 を握っていくということでもあると思います
天上の価値観 に私たちはすでに入れられているもので神様は私たちに約束の言葉を与えてくださっていて
それはもう確実なもので あるわけですよねそこにつながっている
ですね このアブラハムの後にイサクの後ねヤコブが出てきますけどヤコブのね
もうあのねヤコブとイサクの問題をね喧嘩して出て行ってしまった時にこの天下 梯子がありますよね天国
51:05
あれは天から吊らされたというか天から降らされたって書いてるんですよ 力ではないと言うんですよ
天からであるということはそれほど確実であるということですね 私たちの神の言葉は確実なんだって
天下からだったら僕も一生懸命やってもどうすることができない でも天から来るならば
確実その天の中で天国民として私たちを生きていく ということですね
そして4つ目に見たいのはですねこの共同体を愛し合って 共同体が本当に愛し合って責任を負い合って生きていく
ということなんです 318人はそれぞれ
この それぞれがこうね
単なる強さを持っていたっていうことじゃなくて一致があったんです スポーツで何でもどんなに強い相手が強い人たちが集まったとしても
ね そこに一体感や連帯感
それがなければ負けてしまう わけなんですよね
でも318人たちは 一致して戦うそして愛し合って生きていく
そういうものがあった だから単なる寄せ集めではなかった
わけですね単なる寄せ集めではなくて 一緒に責任を負い合いながら
信頼できる者たちであって 一致して
東京武道の教会の皆さんはすでに一致されているその素晴らしさがありますけれども さらに私たちはキリストにあるこの体であること
を意識して歩んでいくことが大切だと思うわけですね 体というのは本当にこの
連帯 一致がなければ動かないんですよ
この私たちの体というのはねなんでもスポーツでもね このしなやかにねこうバッドを振るにしてもね
しなやかに振るためにはこのいろんな筋肉やいろんな神経やすべてをしなやかに動いて いかないといけない
あれですよねそこではそれぞれの連帯感があってそれぞれの役割があってそう生きて いく
だから そのように私たち一致してそして愛によって結ばれていく
見たまによってまた結ばれていくそういう一致が前ペソビトの手紙にもね 私たち召された私たちはその飯にふさわしく歩みなさいってあって
謙遜と入話の限りを尽くしあ寛容し愛を持って互いに忍び合い 平和の絆で結ばれて見たまの一致を熱心に持ちなさ
から そのようにねこの一致と愛のこの方とです見たまの一致を持ってねまた
54:04
歩んでいくことが大切だと思うね この現代は本当に誠の福に立つ信仰を持って歩むっていうことが本当に難しい時代になって
います 肉的な目で見ればこの世の力は本当に強いように思うわけですけども
そして実際この世の力に流されて多くの人々はこの滅びへと向かう そういう力に流されて住みた沙汰の中にこう虜となって
でも先に救われた私たちはこの選挙の難しい 日本に侵されているわけです置いてくださって
そして彼らを私たちがあったこのアブラハムたちのようアブラハムたちのように 救出するような役割を与えてくださって
いるわけですね そしてここでこの今日の歌詞で取り戻したって書いて書いていますがそれはヘブライ語では
ですね 修部って言う言葉
それは回復するって いう意味でもある
回復するという 私たちはこの神様から離れている者たちはね
私は神の形を崩していてそして本当に生き方ができなくて 神を無視してね生きそしていろんなこの本来の生き方がわからない神の栄光を表すことが
できない生き方ばかりしている でも救われてそして回復していくわけです
そして洗えることが回復している この武道の教会もそういう人々が回復していく
そういう場所としてそういう群れとしてあげまで歩んでほしいなというふうに 思います
たとえ小さな群れであったとしても神様はそこに働いてくださる方です イエス様はルカの福音書でね
小さな群れを恐れることはないあなた方の父は喜んであなた方に御国をお渡いになるから であると主がこの東京武道の教会と共にあってくださる
本当にお方です ですからファン先生とまたね本当に318人ではないかもしれないですけども
小さなまだ確かに群れなのかもしれないけれどもでも神様はここに共にあってくださり この東京を中心にね本当にまたひたかにこうね
神様の栄光を表してくださる お方だと信じています
なので さらにですねファン先生を中心にこの種の愛を訓練や様々な訓練を受けながらね
そしてこの日本東京世界の人々に救いのために用いられている教会として 歩まれるようにと心からお祈りしています
ではお祈りいたします そして彼は全ての財産を取り戻し
57:07
また親類のものロトとその第3それにまた女たちは人々をも取り戻した 愛する天皇お父様
今日こうやってまた 創立記念武道の木創立記念4周年の記念すべき
礼拝に 共に参加し礼拝を下げられていることを心から感謝いたします
神様
4年間の歩みの中にあって このコロナ禍もあり
大変な中でもありますけれども神様がこの武道の木教会を愛してくださり そして一人一人がまた神様を愛し
またこの教会を愛して 使い続けてくださって
神様このように4周年の記念の礼拝が持てています 感謝いたします
神様
確かにまだ小さな群れではあるかもしれません でもあなたが確かに起こしてくださっている群れであることを感謝いたします
神様どうかこの群れが さらにこの持ち入られていくように
どうか神様の心を知りながら神様の心と一つとなって そして歩んでいくことができるようにと助けていてください
どうかファン先生の上にもあなたの豊かな上よりの力で満たしていてくださり そしてまたここに集う一人一人に
またあなたの素晴らしい福音が延べ伝えられていき また共に成長し合いながら
神様本当にこの世のいろいろこの世の 罪やサタンの中に虜となっている者たちを救出して救い出して
神様神の者とその人たちがされていきますようにと助けてくださいますようにとお願い致します
塩どうぞ豊かにこの場所を精霊で満たしてくださり 神様どうぞ導いていてください
この祈りを届け救い主主イエスキリストの皆によってお祈り致します
59:31

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