アブラハムの初期の信仰
今日は、アブラハムの信仰、 アブラハムの忠実化と復活の信仰について、一緒に分かち合いたいと思います。
四巡説の期間を通して、キリスト教の一番大事な忠実化と復活について、 深く黙想することができて、本当に感謝しました。
神様が私たちをどれほど愛されたのか。 また、イエス・キリストを通して、イエス様の寄生と献身を本当に感謝します。
その恵みによって、私たちが救われ、神の子供になり、 天国に入る特権をいただいています。
救いのための神様の方法は、忠実化と復活でした。 それを信じる信仰が大事ですけど。
では、私たちの信仰の先祖と言われるアブラハムには、 アブラハムはどんな信仰を持っていたのでしょう。
アブラハムに忠実化と復活という信仰があったのでしょうか。 それを今日は一緒に考えていきたいと思います。
アブラハムが最後になった時、神様がアブラハムに何と言ったのか知ってますか。 これがイザヤ41章8節に書かれてありますけど。
私の愛する友と言いました。 アブラハムは神様の友だったんです。
皆さん、世の中の人の中で 神様の友になる人がいますか。
しかしアブラムは、神様はアブラムを友と言いました。 愛する友と言いました。
一体アブラムの信仰のレベルがどれほどまで なったので神様はそう言われたのか。
それを今日一緒に考えながら、今日はアブラムにも忠実化と復活の信仰があったのかということを 一緒に考えていきたいと思います。
じゃあまずアブラム、アブラハムになる前、 アブラムの信仰はどうだったのか。
神様から召されたアブラム。 その時75歳だったんですけど、彼の信仰はどうだったのか。
神様が初めにアブラムを呼ばれる時の聖書が 創世紀中二章1節からの言葉です。
神様がアブラムにこう言います。
あなたは生まれ公共、父の家を離れ、 私が示す地に行きなさい。
私が示す地ってことは、後になってカナンってことはわかりますけど、 神様が示された地、約束の地、使命の地、そこに向かって行きなさいと言いました。
当時75歳だったんです。 また私は75歳にもなっていません。
75歳だったんですけど、当時は治安が良くなかったんですね。
もうわからないところ、聖書は彼はどこに行くべきかわからないまま、 神様が出発しなさいと言った時に出発してたんです。
ここで大きな信仰の意味があります。 神様がすべて教えてあげながら行きなさいと言いません。
行きなさいと言って、今日はここまで、今日はここまで。 毎日導かれる神。
それはいつか皆さんと一緒にわかっちゃいましょう。 じゃあ治安が悪いんで、どこに行くべきかわからなくて行きなさいと、とにかく出発しました。
無鉄砲ですね。 家族をどうするんですよ。
彼らの将来はどうなるのか、そこまで考えたら、
彼の信仰ということはすごい信仰だなぁと思われます。 しかしそれだとしても、彼の信仰を詳しく見てみますと問題が多かったんです。
アブラハムの信仰の悪戦苦闘
初めの彼の信仰、素晴らしい信仰のように見えたんですけど、 詳しく見てみたら、
まず創世紀中2章、初めのところです。 神様の見越えを聞いて、カナンまで行きました。
しかしカナンに行ったら、キキンが、キキンと言いながら来たんです。
その時彼はエジプトに下って行きます。 じゃあ皆さん、私たちの信仰が素晴らしいように見えるんですけど、
信仰がますますいっているように見える中で、 都合が悪ければ、皆さんどうなりますか?
アブルハムはいつでも神様の御言葉を捨てて、 自分勝手に生きることもできた人です。
こんな話があるでしょう。 いくら信仰信仰と言っても、私はこれは絶対我慢できない。
いくら信仰と言っても、貧しさ、私はこれは嫌いだ。
環境が悪いところ、私は信仰信仰と言ってもそれは嫌いだ。 人から無視される。
この生活は私我慢できない。 やめろと自分が行きたいところに行ってしまう。
アブラもそのような信仰だと。 ですから彼はキキンが来た時、
神様が約束された示されたカナンを捨てて、 豊かさの象徴であるエジプトに下って行ったんです。
皆さんこのような信仰を持って信仰の先祖と言われるのでしょうか。 また
エジプトに行ったら妻が美しい人なので、 エジプトの人々が美しい美しいと言います。
彼はこのまま行ったら自分を殺して妻を誰かが 連れて行くんじゃないかとその不安があったので
彼は自分の妻を妹だと言いました。
そして妹をパローの王が連れて行くのに、 彼はそのままかましてどうぞという気持ちでいました。
彼は自分が生きるためには 妻を売り払うことができる
恥知らずの人だったんです。 卑怯な男だったんです。
また彼をよく見ますと、創世記中古書で見たら、 彼の心には今不満だらけです。
一人の子供を下さると、大いなる民族を下さると言うから、 ついて行ったんですけど、子供を下さらないから
心からいつも子供をいつ下さるんですか?いつ下さるんですか? 不平不満に満ちあおれている人でした。
アブラハムの信仰の問題点
神様が約束されたことをすぐ下さらないには理由があります。
その理由を聞こうとしないで、神様、いつ子供を下さるんですか?
そのばっかり不満として神様の前で持って行った信仰でした。
彼の一番大きな問題は創世記中古書ではありません。
彼は世の中の価値観、この世の中の方法を捨てることができないまま信仰生活しました。
子供を下さると言ったのに下さらない。 だったら神の時を待つことよりは、世の中のやり方が楽じゃないか。
そして女奴隷ハガルとの関係の中でイスマイルを産んでしまいます。
彼は自己中心的、チンポン主義、またこの世的な信仰を持っている人でした。
皆さん、このような問題が多い信仰を持っている人を信仰の先祖として立てて、
この上、永遠に続くべき神の国イスラエルを建築してもいいですか?
この世に問題が多い信仰は神様が使うこともできない。
また子供が生まれたら、問題が多い父親母親を見ながら子供は何を学ぶことができますか?
子供は言葉によるんじゃなくて、親の背中を見て成長するという話もあるんじゃありませんか?
神様の観点から見てますと、彼には子供が優先ではなく、自分自身が変わること、
自分自身が変えなければ信仰の先祖とか何とか何にもできないことをわかりました。
ですから彼は、神様は彼を訓練し始めました。
信仰の先祖として立てるため。じゃあどんな訓練をされたのか?
皆さん、これは今、事実私たちにもある訓練です。
今、私たちもこれを今やっている通りですから、よくよく聞いていただければと思います。
創世紀中二章2節に、私はあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるようにと言われました。
大いなる国民の父、名を高める、有名になる、また祝福の源になるようにと言われたんですね。
じゃあそのために神様が75歳に招いて、そして子供を与えるのは100歳ですから、
25年のずっとその期間に至るまで、彼の人生を一つ一つ変えてください。
じゃあまず初めに何を変えてくださったのか?名前を変えてください。
じゃあ当時、また聖書の中で名前ということはすごく大きな意味があります。
名前はその人の本性、アイデンティティが現れているということを聖書はいつも教えてくださるんですね。
ですから神様は創世紀中の話を5節に、あなたはもはやアブラムではなくアブラハムと名乗りなさい。
あなたは多くの国民の父となるからだ。
アブラムの意味は、良い父、good fatherという意味です。
しかしアブラハムということは多くの民族の父です。great fatherということです。
神様が彼を呼ばれるときに多くの民族の父とされたんですけど、
彼の考えはいつも細かい、小市民的と言いましょうか、小さな幸せで満足する、そのような考え方だったんです。
彼を大きな民族の父と呼ばれたのに、彼は小さな幸せで満足する良い父にすぎない。
だから彼がアイデンティティを変えてあげなきゃいけない。
あなたは偉大な、多くの国の父となれ、名前を変えてくださったんです。
神の働きと信仰の苦難
結局神様は彼のアイデンティティを変えておいて、彼の持っている器を変えておいて、子供を与えてくださったんです。
その期間が75歳から100歳まで、25年間。
アブラムは25年間我慢するのに大変だったんですけど、神様には25年のこの期間が大切な期間でした。
彼を変え、内面性を強め、そのことを彼の信仰を育てる大事な時間だったんです。
じゃあ皆さんどうすれば信仰が良くなりますか?器が大きくなりますか?
神様を知れば知るほど大きくなります。
ただ理論で勉強で知るんじゃなくて、神との対話、神様を接してみて、神様はこんなことなのか、こんなことなのか。
それを知っていく期間、だから皆さんとの神様の間の関係の期間は無駄がありません。
私たちのすべてを使います。失敗した?OK。失敗を通してもっと良い勉強になります。
成功した?成功しても良い勉強になるでしょう。
25年間様々な出来事を通して、無駄がない時間をよくよく使って、彼に立派な信仰者として作ってくださった。
こんな素晴らしい神様、感謝します。
彼は結局ローマ書4章18節、彼は希望する術もなかった時に、なおも望みを抱いて信じ、
遺作とイスマイル
あなたの子孫はこの世になると言われた通り、多くの民の父となりました、と書いてあります。
まさに不可能を可能にさせてくださる、無から有を作り上げる神様を信じたんです。
ですから遺作を与えられたのは、皆さん、少女が子供を産む、これは無から有ができるんですね。
産む子供を得たのは、死んだ胎から生きた遺作が出てきたんです。
それほど善能な神様の働きによって遺作を生まれることができました。
ところが遺作が生まれたら問題が生じます。
遺作を生まれる前に、人間的なやり方でできた子供が一緒に生まれるんです。
神様からできた遺作が現れたら、
イスマイルが遺作をいじめるんです。
皆さん、信仰の前にお友達がいるでしょう。
信仰生活をやるときに、信仰の前のお友達が邪魔になることを知っていますか?
信仰の妨げになる場合が多いです。同じです。
私たちは信仰によってできること、また信仰の前にいろいろなことができることってあるでしょう。
信仰の前にできたいろいろなことが、信仰によってできるものを妨げるんだということをぜひ考えてみてください。
ですから、人本主義、
世の中の女性が子供を産むときは、奥さんができなければ他の女を通して子供を得ることができる。
そしてイスマイルを得たんですけど、このイスマイルが遺作が成長するのに邪魔になる。
いじめる。叩く。
もう子供を殺すほど叩くんです。
アブラハムが十字架を受け入れる信仰
だから、それをもって神様に祈ったでしょう。
じゃあ、祈ったところで神様が
女奴隷とその息子を家から追い出しなさいと言われるんです。
皆さん、早い優しいと思って人本主義を使ったら、人本主義は結局を捨てなければいけません。
神様は絶対に人本主義を通しては、神様の祝福、神様の装塾は与えてくださいません。
神様にできた遺作を通して祝福と装塾が与えられるものですから、
だから世の中の方法が早いということで、世の中のことで何かを作り上げたとしたら、
あとはこのことによって私たちが信仰の邪魔になり、いろいろな妨げがたくさんあるんだということを考えていただきたいと思います。
彼は自分が産んだ子供、イスマイル。
自分の身を切り捨てるこの痛みを通して、
イスマイルの母とイスマイルを家から追い出すんです。
みなさんこれが十字架です。十字架の痛みを彼は切り捨てるんです。
ぜひ自己中心的、人本主義に通して神の働きをしようとすることはやめましょう。
そうじゃなければ、それを切り捨てるこの痛みを自分が全部背負っていかなければなりません。
イスマイルを追い出してから、彼は神様に用いられることができました。
もっともっと大事なの、この次に続けるんですけど、
彼は神様を愛するのか、あなたの一人子、一作を愛するのか、それに対して神様に対して訓練を受けるようになります。
創世紀22章2節です。神を命じられたあなたの息子、あなたの愛する一人子、一作を連れて森屋山に行きなさい。
私が命じる山の一地に登り、彼を焼き尽くす捧げ者として捧げなさい。
一作を殺して私に生贄と捧げなさい。
結局はどんな話ですか。神を愛するのか、一作を愛するのか、あなたはどちらを選ぶべきかと言われます。
その時、アブラムは何を言いたいですか。神様、あなたは人も殺しなさいと言われるんですか。
そんなことを言ったらいけないでしょう。皆さん、一言でも文句をするなら、神より一作をもっと大切にする、もっと愛することになります。
それをわかっているアブラムですから、神様を選びます。
神様を選ぶなら一作を殺さなきゃいけないんですけど、この前にみんな聖書で読んでますと、神様があなたがこれから天の星のように、海辺の砂のように大きな民族を作るんですけど、それは誰によってできるのか、一作によってできる。
でも一作を殺してしまえば、この大きな約束はどうなりますか。
アブラムは信じたんです。神様は全能の神様、何でもできるお方だから、私が殺すなら、この殺した一作を復活させて、そしてこの大きな民族を与えてくださる神様だということを彼が信じたんです。
それで何にも文句をしないで一作を殺し、神様に捧げようとしたんです。
これが復活信仰と言います。私が殺すなら、神様はそれを生かして、神の約束を実現されるお方だということをアブラムは訓練を通して信じてわかったんです。
アブラハムの信仰による祝福
皆さん、アブラムは復活信仰を持っていたんです。それを持って神様がどれほどどれほど嬉しかったのか。
だから神様が、あなたは愛する私の友だと言われます。
アブラムの信仰の特徴、優れたことがあるんですけど、彼は目に見える現実より、目に見えない神様の約束をもっと信じたんです。
実は目に見える環境は、ますます自分の妻は年を取っていって、おばあさんになっていって、不倫の女で体まで死んだ状態。
また自分自身も年を取っているでしょう。自分は100歳、妻は90歳。可能性が全くない。
これからますますないところとわかっていながら、彼は神様がその中でも働いて子供をくださることを信じたんです。
大抵、今私たちもそうじゃありませんが、毎日天気が変わるように状況が変わるでしょう。
神様信じますと言いながら、目の前の状況が何かおかしくなれば、信仰がいつかサッと消えてしまって、不審、不安、
もういろいろな心配、悩みがバーッとくるんじゃありませんか。これは私たちが神を見るじゃなくて、現実、状況を見るから心配が入ってくる。
約束は確かにあるのに、なぜ私たちの信仰は行ったり来たりするんですか。それは現実、状況を見るからです。
不信仰の三要素は何ですか。
現実、状況を見る、他人を見る、自分の弱さを見たら必ず不信仰が入ってきます。
その中で私は何を見るべきですか。神の御言葉、約束、真実な神様、
その神様を見るときに私たちの信仰は弱まりません。心配しません。そして強くなります。
不信仰の三要素の言葉はアブラムから出てきた言葉です。
人々も、要するに目に見える現在の状況がどうであれ、
彼は神の約束をもっと信じた。約束通り必ず成し遂げられることを信じた。
それが神様が彼の寄託されたということです。
その訓練の結果、
創世紀24章1節を見たら、アブラムは多くの日を重ねて老人になり、
主は何事においてもアブラムを祝福された。
皆さん、信仰の結果は何か。何事にも祝福される。
また、このようなアブラムを神様は私の愛する友と言いました。
アブラハムから始まる神の働き
また、死んだ東洋の妻サラを通して、不倫の女サラを通して子供を下さったのですが、
それは無から有を想像されるような素晴らしい働きでした。
また、アブラムの信仰、そのイサク、ヤクプ、ヨセクが検証することによって、
アブラムの祝福をイサク、ヤクプ、ヨセク、
また、イスラエル民族はその祝福をいただくようになりました。
今もそうでしょ。私の名前もファン・アブラム。
いまだアブラム。
福岡に行ったらヤノ・アブラム。ヤノ先生もアブラム。
創世記勉強したらみんな自分はアブラムと名付けるんです。
それほどみんなアブラムになりたい。
しかし皆さん、アブラムの信仰は自由実家と復活を信じる信仰だったということを覚えていきましょう。
じゃあ、もっともっと大事なことは何か。
アブラムはこのような立派な信仰を持って全てを行ったんです。
それを神様が友だと言われたように、神様もアブラムと同じようになさるんです。
神様も一人子、イエス・キリスト、私たちのために十字架にかけて殺されるようにして、
その地によって私たちの救いの御業を完成され、
アブラムの子孫たちを罪から救われ、サタンから救われ、地獄から救われ、
その子供たちに罪もない、サタンもない、死もない、永遠な世界、永遠の祝福、永遠の命を与えるこの素晴らしい御業を成し上げてくださるんです。
皆さん、親たちの切磋なる願いは何ですか。
子供たちが祝福され幸せになることです。
親は親自身が良くなることより、子供たちが良くなることをもっともっと願っています。
その願いをアブラムの子孫たちを、神様がイエス・キリストを十字架にかけることによって、
アブラムの子孫たちに祝福を与えてくださった。
これはどれほどどれほど素晴らしいことでしょうか。
アブラムの信仰をぜひとも私たちが学んで、自分のものにさせていきましょう。
今日のメッセージを少し整理してみましょう。
私たちも以前、アブラムのように問題が多い信仰を持っていました。
その信仰を持っては祝福されません。
祝福したらむしろ問題が起こります。
だから神様が大いなる国民、名を高める祝福の源にするためには、
彼に何かを訓練させ、変えなきゃいけなかった。
まず名前。
自己中心的なアブラムを、
自己中心的な信仰から神中心的な信仰へ
神のビージョンをいただいたアブラハムとして変えてください。
皆さん、自己中心的な信仰を持っていったら祝福されません。
神中心的な、神のビージョンを受け入れる信仰になるなら、
いくらでも祝福されます。
たまに教会が皆さんの名前を変えてくださる場合があるでしょう。
この方、この方。
名前を変えてあげる場合があります。
昔の教会がありましたね。
今ここにはまだ知っていませんけど。
名前を変えてあげる理由は、
祝福をいただく、アイデンティティを持つ人になるためということです。
ぜひともこれからも祈って考えていきましょう。
2番目。
皆さん、自己中心的、陳本主義によってできたイスマイルは、
捨てなければなりません。
神様は、神の方法、
一作を通して、祝福と所属を与えてください。
じゃあここで、
自己中心的な信仰を十字架にかける。
その犠牲、その痛みが必要です。
ぜひとも、自己中心的にことを全部十字架にかけて、
神中心的に変わっていく私たちになりましょう。
神を愛するために犠牲を払う信仰
最後は、第一今しめ。
神を愛する。
神様よりもっと愛することは全部やめましょう。
それどんな犠牲を払ってもそれを捨てましょう。
アブラムは一作を捨てた時、一作を復活させてくださり、
また一作に大きな民族を与えてくださった。
そうです。
神を愛するために、皆さんが犠牲したすべてを生かしてくださり、
回復してくださいます。
すべて大きな報いを与えてくださいます。
じゃあ、神を愛するために私たちが行われるすべては、
大きな報いがあるんだと、その復活信仰、
それを持っていきましょう。
そして私たちがアブラムのような信仰を持っているなら、
神様は私たちの子供たち、
またこの後の子、子、孫、孫、
すべてを神様が祝福して、
私たちを通してみんなが祝福される人になるでしょう。
それが祝福の源という意味です。
これがアブラムを通して、
神様が正しい信仰はこれだということを教えてくださったことです。
創世紀でよく使う言葉が、天の星のように、海辺の砂のように、
これから私たちを通して神様が行われる大きな御業、
その中で私は祝福を流されていく、
祝福をすべての人に与えていく、
そのような祝福の源の信仰を持っていきましょう。
アブラムは大いなる国民、名を高める、
祝福の源になるようにと言われました。
私たちもその信仰を引き続き持っていきましょう。
お祈りいたします。
主よ、アブラムも初めは信仰は本当に弱いものだったんですけど、
神様から訓練をよくよくいただいて、
祝福の源になったように、
私たちも神様から訓練をよくいただいて、
大勢の人々を助け、
大勢の人に恵みを与える祝福の源として、
私だけじゃなくて、子ども、またしし、孫孫、
すべての人に祝福を伝える人にならせてください。
イエス様の源を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。