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2025-08-31 24:18

#289 偽りの父、真理の子~謙遜と平和に至る道 25/8/31

ヨハネ-47からの礼拝説教。2025年8月31日録音。(聖書朗読は()まで、導入は()までです)この箇所では悪魔についての「偽りの父」等の言及が目を引きます。まずその意味を取り上げます。(1.偽りの父())その上で「真理ゆえ信じない」という人の心理を取り上げ(2.真理故に信じられない())、最後に健全なキリスト者の態度について考えます。(3.信仰者の謙遜と平安())

原稿を読む

https://note.com/nsbc/n/n8d0c61f59707?sub_rt=share_pb

サマリー

このエピソードでは、イエスが真理の子であり、偽りの父である悪魔との対立を通じて、信仰や真理の理解について考察しています。「偽りの父」と「真理の子」というテーマが中心となり、人々がどのように真理を受け入れ、また拒否するのかを探っています。また、人間の不信仰と罪が心を歪め、イエスを信じる意志にどのように影響を与えるのかについても探求しています。さらに、聖霊の働きによって真理を受け入れる特権について考察し、信仰の謙遜と平安を得る方法について話しています。

偽りの父の正体
お読みします。
ヨハネの福音書8章39節から47節
彼らはイエスに答えて言った。
私たちの父はアブラハムです。
イエスは彼らに言われた。
あなた方がアブラハムの子供なら、アブラハムの業を行うはずです。
ところが今、あなた方は神から聞いた真理を、あなた方に語ったものである私を殺そうとしています。
アブラハムはそのようなことをしませんでした。
あなた方はあなた方の父がすることを行っているのです。
すると彼らは言った。
私たちはみだらな行いによって生まれたものではありません。
私たちには一人の父、神がいます。
イエスは言われた。
神があなた方の父であるなら、あなた方は私を愛するはずです。
私は神のもとから来て、ここにいるからです。
私は自分で来たのではなく、神が私を使わされたのです。
あなた方はなぜ私の話がわからないのですか。
それは私の言葉に聞き従うことができないからです。
あなた方は悪魔である父から出たものであって、あなた方の父の欲望を成し遂げたいと思っています。
悪魔ははじめから人殺しで真理に立っていません。
彼のうちには真理がないからです。
悪魔は偽りを言うとき、自分の本性から話します。
なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。
しかし、この私は真理を話しているので、あなた方は私を信じません。
あなた方のうちの誰が私に罪があると責めることができますか。
私が真理を話しているなら、なぜ私を信じないのですか。
神から出たものは、神の言葉に聞き従います。
ですから、あなた方が聞き従わないのは、あなた方が神から出たものではないからです。
以上です。
真理の証言
今日はこのところから、偽りの父、真理の子と題して御言葉からお話しします。
御名様、おはようございます。
早いもので、8月も最終日を迎えました。
先週も申し上げましたが、猛暑日が記録的な日数に伸びています。
昨日も熊谷で最高気温が40℃を超えました。
この間も木曜日でしたかね。
最高気温が32℃ぐらいだったんですけど。
涼しいね、なんて言って。
32℃でも涼しいという、そういう暑さが続いてますけど、
その中でもこうやってカイドウに集まりまして、
共に礼拝できます幸いを感謝しています。
さて、今日のところですけれども、
今日もイエス様と敵対者たちのやり取りから見ていきます。
今日のところも、旧約聖書の背景を知ると見えてくる部分があります。
いくつかの鍵となる言葉やフレーズがあって、
それをもとに今日も3つの点が話しますが、
最初は偽りの父という言葉です。
そして2番目は、真理ゆえに信じられないという不思議な言葉ですね。
そして最後は、私たちと直接関係がある信仰者の謙遜と平安ということで、
少し肯定的な点を取り上げて、信仰の糧にできたらと思っています。
さて、今日の一番最初の部分ですが、
偽りの父というところを取り上げます。
8章44節のところでイエス様は敵対者たちにこのように言っています。
あなた方は悪魔である父から出たものであって、
あなた方の父の欲望を成し遂げたいと思っています。
悪魔ははじめから人殺しで真理に立っていません。
彼のうちには真理がないからです。
ちょっと最後の1行だけ読んでみましょうか。悪魔から3。
悪魔は偽りを言うとき、自分の本性から話します。
なぜなら、彼は偽り者、また偽りの父だからです。
この丸々の父、偽りの父、丸々の父とはですね、
そのある分野を広めたり、その今の元の形を作った人のことです。
その人がいなければ今の丸々はなかったかもしれない。
そういう元祖とか始まりの人を言います。
ご存知ですね、これは。
ヨハン・セバスチャン・バッハは音楽の父で、
現代はクラシックの土台になった人ですね。
そしてこの人はエジソンですね。
発明王エジソン、電気の父、家電の父とも言われています。
発明王ですけども、日本にも発明王がいまして、
この人、わかりますか?
トヨタ・サキチが日本の発明王と言われていて、
トヨタ自動車の創設者であります。
これは彼が初めて作ったのかな、旗織り機ですね。
自動の旗織り機。
ここから発明の父となって、
トヨタ自動車ということに発展していったわけです。
そしてこの人はわかりますかね。
ホンダ・ソウイチロウ。
朝霞市とか和光市に本社があって、
F版の基地があったりしてですね。
割とマニアの方が注目しているようなんですけどね。
ホンダ・ソウイチロウは今風で言うとモビリティの父というんです。
乗り物の父です。
そういう丸々の父というのは創始者です。
今日出てくる2つの良い父が出てきて、
神様を父と呼んでいます。
まさにいのちの始まりですから、
ユダヤ人たちは私の父は神。
そしてもう一人はアブラハム。
信仰の創始者と言われていますから、
信仰の父、神の父、
それは私たちにとっても父と仰げるような方です。
そしてもう一つこのネガティブな父親がいますね。
それが偽りの父で、悪魔ですね。
この悪魔、偽りの父について、
なぜそう呼ばれているか。
悪魔こそ偽りの元祖。
悪魔がこの創造の始まりにですね、
蛇に姿をとって、
最初の人、エヴァ、
そしてアダムに罪を犯させた。
この全宇宙で一番最初に嘘をついて、
そしてそれが、
罪が入り全人類に広がっていったという意味で、
偽りの父が悪魔ですね。
そしてご存知のように、
そのやりとりが創世紀のところに出てきます。
2章17節で、
神様はアダムにこう言ったんですね。
どの木から食べてもいいですよ。
しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない。
その木から食べるとき、
あなたは必ず死ぬと言っている。
しかしご存知のように、
このエヴァがその木を見ると、
実に食べるのに好ましく、
麗しいと言ってありました。
それを見越した、
蛇に姿を変えたと言われている
サタン悪魔が、
エヴァに言ったんですね。
3章4節。
蛇は女に言った。
あなた方は決して死にません。
これ全く嘘ですね。
聖書からちゃんと書いてある。
売る覚えじゃなくて、
はっきり聖書に死ぬと書いてある。
神の言葉で。
そして、悪魔は嘘をついたということが、
はっきり聖書に書いてあるわけです。
そのようなところで、
その結果は御名さんがご存知の通りです。
実はこのところを解説して、
新約聖書でパウロは、
こう言っているんですね。
ローマ書5章12節。
こういうわけで、
ちょうど一人の人によって、
罪が世界に入り、
罪によって死が入り、
こうして全ての人が、
罪を犯したので、
死が全ての人に広がったと、
結論付けているわけなんです。
悪魔が嘘を言って、
アダムとエヴァを、
罪に誘いました。
その目的は何ですか?
それは人を死に至らせるためだった。
神から引き離して、
永遠のいのちから人を遠ざけるためだった。
別の言い方をすると、
霊的な死、もしかしたら肉体的な死を、
もたらすためだった。
だからイエス様が、
8章44節でこう指摘しているんですね。
悪魔は初めから人殺しで、
真理に立ってはいません。
嘘をついた目的は、
この人を死に至らしめるためだ。
ですから、このイエスの敵対者たちが、
イエス様を神と認めず、
信じず、
イエスを偽り者として、
イエスを殺そうとしているということは、
まさに悪魔の子であり、
偽りの子だということなんですね。
この偽りの父が、
悪魔でありましたが、
イエス様は真理の御子ですね。
神様から使わされたお方で、
神であり救い主である。
それは、神の真理を明かすためである。
そのイエス様の証言も、
まさに真理だったわけです。
この真理であるイエス様を、
否定している。
ですから、
彼らは悪魔の子供であるというわけなんですね。
彼らは、
今日のやりとりを見ると、
私たちの父はアブラハムだ。
神の約束の子孫だと言っているわけです。
また、
一人の真理の父なる神がいると言ってますけれども、
彼らはその自負していることとは、
全く違ったことを行っていることがわかるわけです。
なぜか、
ヨハネは5章23節で、
イエス様を認めることと、
そのイエス様を使わせた父を受け入れることの関係で、
こう言っている通りですね。
ここを読んでみましょうか。
こう敬わない者は、
こう使わされた父も敬いません。
繰り返しイエス様が言っているように、
本当に神を父とするならば、
神の御子、
神が使わせた御子イエス様を敬うはずだ。
それをしていないから、
彼らは偽りの子だというわけです。
信じられない理由
2番目。
真理ゆえに信じられないということを見ていきましょう。
イエス様は彼らに、
こう言っているんですね。
8章45節46節。
しかし、この私は真理を話しているので、
あなた方は私を信じません。
あなた方のうちの誰が私に罪があると、
責めることができますか。
私が真理を話しているなら、
なぜ私を信じないのですか。
このイエス様、
今日の言葉、
いろんな違和感が読んでいて感じるんですね。
いつもの通り。
そのうちの一つは、
赤い字で指摘していますが、
この私は真理を話しているので、
あなた方は私を信じません。
という物言いなんですね。
真理を話したら、
信じるべきじゃないかと普通は考えるわけです。
このイエス様は前後しますけれども、
後半の部分で何を言っているか。
私はあなた方に訴えられて、
法廷に立っても私に罪がないと言えますよ。
そしてイエス様は、
神様の前で裁かれたとしても、
私は偽りを言っていないですよ。
それなのになぜあなた方は私を責めて、
罪に定めて信じないんですか。
そういう論理なんですね。
前後しますけれども、
その上で、
違和感がある響きはですね、
真理を話しているので、
のにじゃなくて、
真理を話しているので、
あなた方は私を信じません。
という言い方なんですね。
最近よく耳にする、
フェイクニュースがいますね。
それから後、
冤罪事件。
大きな冤罪事件がありましたね。
人が死んでしまうように。
フェイクニュースをなぜ信じるか、
どういう心理的な作用があるか、
ということをですね、
ある学者、
学術的なコメントで、
このように言っているんですね。
フェイクニュースや嘘を、
認めず信じ続ける真理は何か。
人は正確であるかどうかよりも、
自分が信じたい内容かどうかを重視して、
物事を清くするって言うんですね。
人は正確であるかどうかよりも、
自分が信じたい内容かどうかを重視して、
物事を清くする。
だからイエス様が真理を話しているけれども、
あんな奴は、
今日のところの言葉の端々にですね、
父親が誰かもわからない、
下院で生まれたかもしれない、
あんな男が救い主のわけないよ、
というようなものを、
今日のところにあるんですけれども、
あんな男、イエスを、
神の御子、救い主なんて、
神の御子なんて信じたくないよ、
というところから、
イエス様の真理を、
不信仰の本質
彼らは信じないということが、
出てくるわけなんですね。
実は、このようなところをですね、
神学者は、
神学的にというか、
人間の意志の問題だと言います。
知性じゃなくて、意志。
こういう言い方をしているんですね、
アルカク社は。
私たちの理解力や、
善意さえも、
罪ゆえに、
歪んでしまっている。
不信仰とは、
神との関係を否定する、
頑固で非合理な、
意志の問題である。
罪の問題は何か、
それはですね、
理解力や、
善意さえも、
歪んでしまうんだ、
おそらくイエスの敵対者たちは、
良かれと思って、
私たちは、
アブラハムの子孫であり、
そして、
唯一真の神の子供だと言っているんですけども、
その善意も、
歪んでいる。
そして繰り返しますが、
不信仰の本質は何か、
それはですね、
頑固で、
非合理的な、
真理でやっても信じない、
そういう意志の問題。
自分の意志で、
イエス様を信じないということだ、
と言うんですね。
偽りの子たちはですね、
意志を持って、
イエス様を否定する。
そしてその意志はですね、
罪ゆえに、歪んでいるゆえに、
変えることができないわけです。
聖霊の働き
で、最後は、
この問題を解決する、
道を、
取り上げていきたいと思います。
3番目、
信仰者の謙遜と平安、
8章47節で、
イエス様の言葉か、
ヨハネの言葉か、
いろんな節がありますが、
こういう言葉があります。
ちょっと長いですが、
読める人読んでみましょうか。
神から出たものは、
神の言葉に聞き従います。
ですから、あなた方が聞き従わないのは、
あなた方が、
神から出たものではないからです。
この後半の部分は、
敵対者に対するイエス様の指摘の
言い換えです。
反対に、
前半の部分です。
実は、
ある人が、
イエス様の言葉を信じて、
イエス様を救い主として、
受け入れることができる。
それができたのは、
その人が、
神から生まれ出たという証拠になるんだ、
と言うんです。
別の言い方をすると、
罪によって固くなる意思は、
神様だけが変えてくださる、
ということなんですね。
これがすごい大事なことなんです。
で、
御名さんも記憶にあると思いますが、
これまでイエス様が教えてきたように、
イエス様を信じることができる、
信じることができたのは、
私たちに対する、
神様の一方的な働きかけがあったから、
だって言うんですね。
いろんなことがあると思いますが、
今日一つだけ取り上げたいのは、
それは、
聖霊の働きだということなんですね。
その聖霊の働きについて、
後々イエス様は、
ヨハネン16章8節13節で、
このように言っているんですね。
その方、
聖霊が来ると、
罪について、
義について、
裁きについて、
世の誤りを明らかになさいます。
その方から読めるか、
読んでみましょうか。
そのうち真理の御霊が来ると、
あなた方を、
全ての真理に導いてくださいます。
偽りから離れて、
堅くなな意思を変えて、
真理を認めさせる、
それは、
御聖霊の働きです、
ということですね。
このイエス様の約束は、
イエス様をすでに信じている人たちを、
私たちを、
謙遜にします。
なぜなら、
信仰も、
神様からの賜物だ、
と、
理解するからですね。
あまり批判するのもありですが、
今日イエス様に敵対する人たちは、
自負があったわけです、自負がね。
私たちこそ正しい、
優位称正しい、
アブラハムの子孫だ。
そういう自負ではなくて、
神の働きによって
救われたと知る人は、
謙遜が
芽生えてくるわけです。
そしてもう一つのことを
言えるんですね。
暑いですよね、今ね。
ニュースでも、
エアコンを使ってくださいと言いますね。
昔は、28度って言ってたんですけど、
そんなこと言わなくなりましたね。
夜もエアコンつけて寝てくださいって、
そんなことまで言うようになってですね。
で、
図がうまく見えませんけども、
これね、
電信柱があって、
引き込み線があって、
過電が動くわけです、エアコン。
当然のようにエアコンが動いてますけれども、
なぜかそれは、電気が来ているからです。
目に見えない電気が来ている、
動かぬ証拠は何か。
それは過電が動いているからですね。
同じように、
似たように、
目に見えない聖霊が、
私たちに働いている証拠は何ですか。
それは私たちが、
イエス様を信じることができているということなんです。
過電がですね、
動くのは当然のことと考えて気づきませんが、
電気が来ているから、
であって、
この間もありました。
停電になるとですね、
電気が来ていないと分かるわけです。
私たちも当然のようにイエス様を信じて、
こうやって礼拝しています。
しかし、ふと思ってみると、
当然のように信じることができるのは、
それは聖霊が働いているからだ。
神が私たちに働いてくださっているからだ、
そのことにやはり気がつく、
思いを馳せる。
その時に私たちは、
平安を体験するんですね。
神が私に働いてくださっているんだ、
という確信にもなります。
そして、
神様が授けてくださった信仰だから、
たとえ試練があったり、
自分の心のもとなさを覚えてもですね、
神様が私の信仰を最後まで全うしてくださるんだ、
そういう、
自力でやらないような、
神による信仰が全うできる、
という平安が授けられるわけですね。
信仰の特権
これこそ、
真理の子供、
神の子の、
特権であり、
謙遜であり、
平安ということができるのではないかと思います。
今日は、
イエス様の厳しい言葉からですね、
旧約聖書の背景を探りました。
そして、
その背景については、
私は、
イエス様の背景を探りました。
そして、
堅くならない私たちの意思を、
変えてくださったのは、
これでもない、
聖霊なんだ。
その聖霊、神によって与えられた信仰、
神様が最後まで全うしてくださるんだ、
そのような幸いに気が付く、
そして歩んでいこうと、
やりたいと思います。
同じヨハネが教会に宛てた、
手紙からですね、
最後引用して終わりにしたいと思います。
そして、
ちょっと長い詩、
初めてですけど読んでみましょうか。
神から生まれた者は、
御名罪を犯さないこと、
神から生まれた方が、
その人を守っておられ、
悪い者は、
その人に触れることができないことを、
私たちは知っています。
神様に委ね、
信仰生活を歩んでいこうと、
互いでやりたいと思います。
お祈りしましょう。
天の神様、
御名お賛美いたします。
悲しいことに、
私たちには、
罪ゆえに固くなな心、
強いあなたへの反抗する意思があります。
けれども、
ご聖霊様の働きによって、
あなたが私たちを変えてくださり、
イエス様の御言葉を受け入れることができるようにと、
誘ってくださったことを感謝いたします。
どうかその幸いを、
私たちが、
ありがたく、
本当に特権として、
さらに知ることができますように。
そしてまたどうぞ、
これからも、
ご聖霊様の導きによって、
あなたの真理をますます知っていくもの、
喜んでいくもの、
学ぶものとなることができるように、
あなたに従うことができるものとなるように、
これからも導いてください。
またどうか、
あなたの見たものを導きに応答して、
あなたを信じる方々も、
さらに導いてくださるように、
お願いいたします。
この願いと感謝を、
私たちの救い主、
主イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。
それでは一分ほど御言葉に応えて、
黙祷する時間を持ちましょう。
24:18

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