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2021-05-30 22:29

「傷ついた葦 くすぶる灯心」2021年5月30日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年5月30日(日)主日礼拝のメッセージです。

牧師:アブラハム黄

00:00
今日は、傷ついた足、くすぶる闘心という題で メッセージを分かち合いたいと思います。
先週は、聖霊の降臨を記念する ペンテコステの礼拝でした。
聖霊様はなぜ来られたんですか? 助けるために来られました。
私たちを助けて、悪魔が支配しているこの世から 勝利の人生を過ごし、
使命をうまく担って、天国まで無事に入ることができるように 助けるために来られたんです。
ですから私たちは、聖霊様を無視することではなく、 積極的に助けを求めなければなりません。
聖霊様を無視することは何か知っていますか? それは、助けを求めないことが無視することです。
そのような罪を犯さないようにしましょう。 聖霊様はどこに関心があるでしょうか?
人の救いです。 また、その人が幸せに生きることができるように、 家庭と教会に関心があります。
ところが、今、私たちの個人、家庭、教会の状態を どのように表現すればいいでしょうか?
これは聖書においては優れた表現があるんですけど、 傷ついた足、くすぶる闘心です。
小学生のテーマ、私たちに一番大事な 家庭だったのですが、今日は家庭と聖霊、
特に個人と家庭を癒される 聖霊の働きについて分かち合いたいと思います。
まず一番です。 傷ついた足、くすぶる闘心です。
みなさん、木、樹木。 樹木は毎年成長して花を咲かせ、実を結ぶんですけど、
まるで工場と同じです。 しかし、足、
これは木だというよりは、柔らかな枝を持っている草と同じなんですけど、
3メートルまで伸びるんだそうです。 それはどこに使うんでしょう?
それをほうきとか、ゴザとかいうものを作るところに使います。
また、闘心。 暗闇を照らす役割でしょう。
照らすという意味で、真理、喜び、期待感、 将来と希望を象徴するものです。
これは家族として生まれた一人一人に対して、 神様と親と周りの人が持つ期待感でしょう。
しかし、足が傷ついたと言います。 それじゃなくても弱いのに傷ついたということです。
03:01
そうしたら成長も難しく、活用することは不可能でしょう。 また、くすぶる闘心。
火が消えつついくものですから、 闇を照らすこともできなく、希望を持つこともできません。
どうすればいいんでしょうか? 今の時代、このような人たちがたくさんいます。
先週、伝道師さんと私は、 発達障害を持っている青年に祈りをする機会がありました。
子どもが生まれて成長しながら、何かの理由で成長が止まった子どももいるし、
幸せになるために結婚して家庭を作ったにもかかわらず、 いろいろな理由で傷を受けて苦しんでいる家庭が多いです。
いじめ、引きこもり、不登校、 勝手いない暴力、勝手いない別居、離婚。
また、今の時代は宇宙の時代と言うほど、精神的なダメージを受けて、 丈夫な体を持っていても何もできない人がどれほど大勢いるのでしょうか。
今は、果てしない競争社会です。
欠けたところがあれば、脱落です。 以前、私が勤めた職場、
競争が非常に激しかったですね。 負けないように認めてもらいたくて、
ベストを尽くして努力しました。非常に疲れました。 脱落さも多く見ました。
健康な人も、このようにこんなに難しいんですけど、 傷ついた足、くすぶる闘心のような人は、
競争することができないでしょう。 そのような人は誰も関心を持ちません。
なぜなら、勝たなければ生き残れないものですから、仕方がないですね。 本当に怖い世界です。
ところが、みんな、私の家庭は大丈夫だろうと思います。
いいえ、いつどうなるかは誰も知りません。
私の息子は学校の時、いじめを受けたんです。 まさか、
そんなことは他の人にはあるかもしれないけど、 私には絶対あるはずがないと思っていたんです。
ところが、起こりました。 かっかりしました。
私たち、私の夫婦は、そんなことは初めて経験したものですから、
私たちも苦労して、息子も非常に苦労しました。 本当に人生の行く手にはいつ何が起こるか、誰も分かりません。
ですから、私たちは救い主、助け主、神様が必要なんです。
06:07
今日、私たちが傷ついた足、くすぶる頭脳になった理由は何ですか。
創世紀3章、アダムの現在からすべてが流れてくるんですが、 予測もしていない事故を受けて、そのような場合もあり、
また、生まれ成長しながら、各個人が受けた傷によってそのような場合もあります。
皆さん、傷の5つの手元があるということを話し聞いたでしょう。 胎児の時の傷、
成長の時の傷、父からの傷、性的な傷、
家計に流れる呪いによってこのような問題が来ます。 ところが、よくよく考えてみますと、
その傷の発生元はすべて家庭なんです。 ですから、家庭が正しくならなきゃいけないし、健康じゃなければなりません。
特に親が大事です。 親が傷がいっぱいあるから、それが子供に影響を及ぼし、
親譲りにより、子々、みんなが傷ついた足、くすぶる頭脂のようになるのです。
問題が多い個人と家庭のこの傷が 学校に、職場に、社会に流れ行って
今この世の中は泥沼のような状態です。 ところが、また癒しもできていない状態で、
みんな愛を求めます。慰めを求めます。 愛を受けるため、慰めを受けるため、結婚します。
そうなれば、また傷が多い家庭が次々と増えていくわけです。
今日の聖書、マタイの十二章では、片手のなえた人が同情します。 どういうわけで彼がそのようになったでしょうか。
聖書の開教という本によりますと、もともと異色だったそうです。 ところが、治苦を受けて片手がなえたそうです。
治苦を受けて、彼の肉体的、精神的な苦しみがどんなに多かったでしょうか。
人々に自分の手を見せたくないから、どれほど気を付けたでしょうか。
何より、お仕事ができないから、貧しく過ごすしかないでしょう。
では、その家族はどうするんでしょう。 痛みを持っている家庭。
その事情は、誰が知ってくれるのでしょう。 誰が助けてくれるのでしょうか。
09:07
私たちは哀れに思って、生かしたいと願われるイエス様。
マタイの12章20節に、彼は傷ついた足を折らず、 くすぶる闘心を消さないと言っています。
この見言葉は、イエス様に対する預言した イザヤ42章3節を引用したものですが、
傷ついた足、くすぶる闘心とは、 神様から離れて過ごしている人類がこのような状態だということです。
どれほどかわいそうですか。 誰も関心を持ってくれない。
このような状態に、私たちを哀れに思ってくださった神様。
ヨワネの福音書3章16節、 神はその一人子を与えなったほどに、
要愛された一人子を信じる者が一人も滅びないで、 永遠の命を得るためであると言います。
一人子まで犠牲にされた神様のおかげで、 生きる道が開かれたから、どれほど感謝でしょうか。
イエス様は来られて、私のために、 忠実化と復活で全ての問題の原因になる、
私たちの過ち、罪を許してくださり、 誘惑者、サタンを滅ぼし、
私たちに永遠の命、 聖霊様を贈ってくださいました。
イエス様の忠実化と復活、これが全ての問題の根本、 原因を解決してくださる神様の道です。
これが人類の生きる道なのです。
片手のなえた人は、 癒してもらうために病院にも行ったでしょう。
いろいろな方法を全部使ってみたでしょう。
そうしても解決できない、自分の問題。
彼は神様の恵みをいただき、 助けを受けるために教会に来ました。
神様は傷ついたかわいそうな人々を こんなに愛しておられるのに、
神のしもべ、宗教主導者たちは、 そのような人たちを助けようとしていなかった。
安息日なんで、イエスがこの人を癒すなら、 告発しようとチャンスを狙っていたのです。
人間としてどうしてこんなことが考えられるでしょう。
それでも、彼に憐れみをくださった神様のゆえに、
教会に出たら、イエスキリストに出会うことができました。
みなさん、教会に出られると、 いろいろな人に出会うことはあるのですけど、
12:05
イエス様もおられます。 ぜひ、教会に来てください。
イエス様は、彼を癒してくださいました。
ところが、本当に悪い使徒たち、 片手をなえた人を癒したのに、
安息日に病を癒したって、 安息日の規定を守らなかったって、
告発しようとします。 命が大事ですか、立法の規定が大事ですか。
しかし、みなさん、そんなことには気をつけないで、 神様だけ見上げてみてくださればと思います。
今も、神様は私たちを哀れに思ってくださって、 必ず会ってくださり、癒してくださると信じます。
3番です。これから大事なのは、本当に癒され、 回復されたいのなら、
私たちがやるべきことがあるということです。
まずはじめに、すべてを神様の見方で 見なければいけないということです。
そうであれば、解決する道が現れます。 見えてきます。
人のせいにすれば、解決はできません。 絶え間ない戦いしかないでしょう。
もちろん、傷と呪いは、何者かのせいです。
しかし、他人のせいにしてはいけません。 例えば、ヨワネの福音書9章1節から3節。
生まれつき、目の見えない人がいました。 その人に対して、人々はイエス様に聞きます。
イエス様、その人が名刺で生まれたのは、 自分の罪のゆえですか、親の罪のゆえですか。
なぜ、そのように聞いたでしょうか。 人々は、みんなそのように思っていたからです。
ところが、イエス様は何と言われますか。 神の御業が、この人に現れるためであると言います。
神様の目的のために、彼がそのようになったということです。
このように、神様の見方から見れば、 すべてのところに、神の御業が見えてくるんです。
では、神様は、その目的を成し遂げるために、 今、何を希望しておられるのでしょうか。
答えが出てきます。 イエス様に出会うことができ、その目的を成し遂げるために、 イエス様が癒しを行います。
その人に与えられた、神様の身むねは、何だったんですか。 弱音の福音書、9章、5節と、39節に現れています。
15:01
イエス様は、名刺も見えるようにしてくださる、 世の光であることを知らせるためです。
また、自分には見えてますと高慢になる人ではなく、 私は見ることができませんという、
謙遜な人たちを見えるようにしてくださるために、 来られたと言います。
また、彼の目が癒されたとき、人々は、 イエス様が神様だと信じさせるための目的もありました。
イエス様が祈ったとき、そのような神様のお考えが、 その通り成し遂げられたのです。
皆さん、私たちがイエス様に出会うとき、 私たちに対する神様のすべての身むねを知るようになり、
成し遂げられるようになります。 ですから、私はなぜこのようなものなのか、悩むことではなく、
イエス様に会うことができるようにしてください。 じゃあ、では、傷ついた足、くすぶる頭身、
どのように癒し、回復することができるのか、 3つ、ぜひ覚えてください。
イエス様は、片手の慣れた人を教会の真ん中に立たせ、 祈ること、御言葉を宣言することで癒されました。
イエス様は十字架を背負う前なんですけど、 病気を癒す神の力、聖霊様が共におられたんです。
もちろん、今、私たちはイエス様の十字架の恵みを信じて、 イエス様の皆によって癒すこともできるし、
私たちと共におられる聖霊様の賜物で癒されることもできます。 大事なのは、私たちが癒すことではありません。
私たちが祈るとき、主なる神様が働かれて癒されるんです。
ですから、私たちは祈らなければなりません。 主なる神様が私たちを通して働くことができるように、祈ることが大事です。
またここで大事なのは、信仰です。 癒しの祈りをする人の信仰、
傷を持っている人の信仰、その信仰を見られて神様が働かれるんです。 すぐ癒されないとして、落胆なさらないでください。
私たちの役割は、主がお働きがなるように祈ることです。 主の身実もあり、主の動機もあります。
ただ、病を持っておられる人に愛する心で神様に切に祈ることは大事です。
18:01
また、何より見言葉が届けられなければなりません。 なぜこのような問題が来たのか、
なぜ敵が続けて攻撃するのか、必ず理由があります。 その原因、理由を見言葉を通して悟って、
家族みんなが悔いを改めることができればと思います。 このような時、癒しの力が働きます。
先週の金曜、鳥梨起動会で申しましたけど、 罪を悟り、悔いを改めるところには、必ず精霊様が働かれます。
癒し、救い、回復をしてくださいます。 ですから、見言葉と精霊が大事です。
3番目、またその後がもっと大事なのですが、 傷ついた足、くすぶる闘心は、そうなるしかない理由があります。
傷の手元、呪いの流れを断ち切らなきゃいけないし、 防がなければなりません。
このために、イエス様を受け入れ、共に生きる生活、 礼拝者の生活を続けて行わなければなりません。
皆さん、礼拝者の生活、 礼拝者は、礼拝する神様が私と共におられるから、
神様の力で、保護膜、防御の壁ができます。 ですから、出来、呪いが入ってくることができない、
保護膜になり、二度もそのような問題がないように、 守ってくださるのです。
3日、春風そよ福事に、このような部分があります。
感謝せよ、イマヌエル、主に仕える我が家。 皆さん、主に仕えるということは、主を礼拝する我が家。
感謝せよ、イマヌエル、日々喜ぶ我が家。 礼拝者の家庭に、神様の保護と恵みがあります。
皆さん、お金は私たちを最後まで守ってくれません。 しかし、イマヌエルなさるイエス様は、私たちを守ってくださり、
天国まで導いてくださいます。 結論を申し上げます。
5月は家庭の月でした。 傷ついた足、くすぶる等身、これが、各家庭の姿、
また、私たちの姿ではないでしょうか。 しかし、イエス・キリストの皆によって祈り、
見事ごと精霊によって続けて癒してもらい、 礼拝を捧げる生活によって保護される中で、
主に立派に用いられながら、天国に行く私たちになりましょう。
21:02
いまだに信じてくれない家族を、どうしましょうか。 まず、とりなし祈りをしましょう。
そうしているうちに、必ずチャンスが来ます。 心が開かれるチャンスです。
その時、開かれた心に、今日の1、2、3番、 お祈りと見事ばと、礼拝の生活ができるように助けましょう。
そうして、皆さんの家庭とお祈りが美しく癒され、 回復され、命と希望が満ちあうれる家庭になりますように。
家族が幸せになるなら、教会が幸せになり、 その幸せを全世界に伝えることができます。
そのような私たちになりましょう。 お祈り出します。
5月は家庭の月。 家庭のために見事ばをたくさん与えてくださって、神様感謝します。
私たち個人、家庭が幸せになるとき、 教会も幸せになり、社会も幸せになることを知って、分かって、
イエス様を受け入れ、礼拝者としての人生を、 そう、私たちがうまく成し遂げることができるように、
主を恵みを与えてください。 イエス様の皆を通してお祈り致します。
アーメン、アーメン、ありがとうございます。
22:29

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