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2023-09-18 34:11

「主のご臨在、御言葉とお祈りで」2023年9月17日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年9月17日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら
https://listen.style/p/tokyovinechurch/

ヨシュア1:5-6一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共に いたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。

サマリー

聖書には、エジプトの10の災いとイスラエル民が航海の海を渡る出来事が描かれています。これらの出来事から、主の御臨在と御言葉の重要性が強調され、キリスト社における見事さと祈りの力が説かれています。私たちはこの世界が創造された見事さによって、神の御言葉とお祈りによって力を得ることができます。私たちは過去や将来の問題に立ち向かうために聖書を通じて神様からの指示を受けることができます。キリスト社が神の力と健全さを持ち、マタイ16章9節の聖書を読み、天の国のカギを使い、見事さと祈りによって勝利することを理解し、イエス様の皆さんによって主の御臨在が豊かにある時に出て行くことができます。

主の御臨在の重要性
今日は、「主のご臨在、御言葉とお祈りで」という答えをもって メッセージを分かち合いたいと思います。
聖書には、本当に面白い関連性がある事件があります。 イスラエルが出世する前に、エジプトに10項目の災いが注がれました。
その10項目の災いは、今に対して何を意味するでしょう。 これは、最後の時に私たちに注がれる20項目の災い。
7つのイン、7つのラッパ、7つのフッチの災いと同じです。 また、エジプトの10項目の災いから生きる道がありました。
それは何だったんですか。 10番目の災いで示してくださったゴイチュジの地でぬることです。
では、最後の時の災いから生かされる道は何ですか。 これは神のインを受けることなんですけど、それはイエス・キリストの十字架の地上を信じて委ねることです。
また、イスラエル民が航海の海を渡ったことを、第1コリントの10章20節には、イスラエル人たちがパブティスムを受けたという言葉で使います。
また、アレヌの生活は私たちの教会の生活と同じです。
アレヌの生活の目的は、カナーンに入る準備をすることでしたね。 では、教会生活の目的は何ですか。
これは天国に入る準備をすることと同じです。 まだヨーシワが担ったカナーンの西浴戦争は、
最後の時、私たちが担うべき、最後の大収穫と同じです。
本当にこれがイスラエル、出地エジプトのところのイスラエルをためにあった全てのことは、今私たちにあることと全く同じような関連性を持っていること、これは面白いですね。
では、ここで一番大事なことは何でしょう。 これは主の御臨済です。
イスラエル人たちは主の御臨済の中で公会を渡り、
神の御臨済と共におること
アレヌを40年間生活し、そしてカナーンに入って西浴戦争まで終わりました。
孟瀬の時代には神様が御臨済をどのように示してくださったんですか。
雲の柱、火の柱です。 目に見える雲の柱、火の柱があるから、
神様が共におられるんだ、共におられないんだということはよくわかりました。 しかし、カナーンに入って幼少の時期は雲の柱、火の柱がいなくなりました。
神の御臨済をどのようにわかったんですか。 戦争した時、勝つのか負けるのか、これでわかったんですね。
わかりやすかったんです。 そのために、主の御臨済のために清さ、また見言葉に聞き従う、これを強調したんですね。
今の私たちにも神の御臨済も大事だし、前と同じように御臨済の条件も同じです。
先週、幼少は1章から6章まで、神様が共におられることによって、ヨルダン川を渡り、エリコ城を征服しました。
素晴らしかったですね。 ところが幼少期の7章からすぐ、
御臨済に問題が現れます。 幼少期6章で南高フラークの城、エリコ城を征服したイスラエル。
ところが、7章では御臨済が消えてしまいます。 なぜなら、アカンという人の犯罪による。
清さに問題があるから、主の御臨済が消えたんですけど、それを知らなかった。
だからエリコ城の次に、アイ城という城があったんですけど、そこに小さな城だから、小さな人数で攻撃したんですけど、そこに負けました。
3000人くらいが亡くなりました。 そして、ヨーシャは何が問題なのか、主の前で衣を裂いて、灰をかぶして、
それで神様に何が問題ですかと叫び求める時に、神様がイスラエル人の中で罪がある。
どんな罪ですか。エリコ城を攻撃する時に、アカンという人が、エリコ城に人々が持っていた銀、銀。
また美しい衣を盗んだんです。これを自分の所に隠したんです。
これを全て神様に捧げなさいと言ったのに、隠した。この罪のゆえに、このアイ城で負けたんです。
そして悔いを改めて、それでアカンを連れて行って、アゴル谷という所で殺したんです。
そして神様に訪ねて、美声を聞いて、アイ城という所に攻撃して、征服することができました。
皆さん、神様が共におられることがイスラエルの力です。 神様が共におられなければイスラエルの力はありません。
だからどこに行っても負けるんです。 私たちの力は何ですか。
皆さんの学歴ですか。金、お金の財力ですか。そうではありません。
神様がご臨在されるなら、皆さんが力がある。何でもできます。 神様ご臨在されなければ、何もできません。
その後、ヨウシュワの急所で、キボン住民がイスラエル人たちに降伏するように来ました。
私たちが遠く住んでいるから、あなたたちの話を聞きました。私たちはあなたたちに和解を求めます。
私たちは絶対攻撃しない。そして私たちを絶対殺さないように約束してください。
遠くから来たと言うから、ヨウシュワがOK。そして和解の約束をします。
しかし見てみたら隣にある、すぐ近くに住んでいるキボン住民だった。騙されたんです。
なぜ騙されたんですか? そのことがあったら、神様、この人たちと和解しましょうか?どうしましょうか?
もともと神様は、カナーンの住民は全部征服するように、殺すように、この命令だったんですけど、
キボンの住民だけは残さなきゃいけなかった。 神様の見越えを聞かなくて、自分勝手に約束したからです。
そのキボンの住民のゆえに、この後の問題が次々と起こります。
ヨウシュワの術書で見たら、キボンの住民を攻撃するために、
カナーンの南部にある王たちがそれを攻撃するんですけど、キボン住民と約束したから、
守るように約束したから、イスラエル人たちは戦争に巻き込まれるようになりました。
どうせこの人たちは全部征服するべきものですから、戦争に出るんですけど、
キリスト社における見事ばと祈りの力
戦争に出る前にヨウシュワが神様に尋ねます。神様、どうしたらいいんでしょうか?
だったら神様が、私は彼らを既にあなたの手に渡したと言う。
じゃあ皆さん、これが大事です。神様がこのイスラエル、カナーンの南部の5つの部族の王たちを
ヨウシュワの手に任せた。もともと神の手にあるもので、これをヨウシュワに任せたということは、
ヨウシュワはこれは自由に征服してもいいということです。これは神の力を私たちにくださったことです。
じゃあ神のご臨在、友にある時にどこまでできるのか、ヨウシュワ10章12節から13節を見ますと、
戦争を行うのに日が暮れるんだと、暗くなったらどうなりますか?戦争ができないでしょう。
だったら敵たちはまだ勢力を整えて、次に力を出してまだ攻撃するんじゃありませんか。
だからヨウシュワは日が暮れることは嫌だ。今日中にこれを全部征服しなきゃと思って、何と語るのか。
日をとどまれ、太陽をとどまれ、月をとどまれ。そうしたらヨウシュワの話通り、太陽がそこでとどまって、月もとどまって、
地球、また全宇宙が1日そのままとどまったんです。
皆さんこれはあり得ることでしょうか。それは後になってナーサー、アメリカのナーサーでそれがわかったということですけど、
神様はこんなところまで全部やってくださったんです。皆さん神様が私と共におられるなら、神様がこの敵を私の手に任せたという言葉の中にはどこまで、どれほどまでの神の献身を私たちに与えてくださったのか、よくわかります。
じゃあなぜ私がこのヨウシュワが神様、神様がヨウシュワにくださったこの神の献身を申し上げるのか。
私たちキリスト社にも神様が同じような力を私たちに既に預けてくださったことを私が今日申し上げたいと思います。
じゃあ私たちが信仰告白するとき、洗礼を受ける、バプテスも受けて、その時神様が私に何と言われるのか、それが今日読んでくださったマタイの16章、16節から19節です。
シモン・ペテロが、あなたはメシア、生きる神の子です。信仰告白をしました。するとイエスは答えた。シモン・バリオナ、あなたは幸いだ。
あなたがこのことを表したのは人間ではない。私の天の父なのだと言いながら、18、19節は何と言うんですか。私も言っておく。
あなたはペテロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる。読みの力もこれに対抗できない。
教会はどこまで力あるのか。教会は神と二人、三人が一種の皆によって集まるところです。
そこにはどんな力あるのか。読みの力、悪魔の力がそれに対抗できない。
教会はどんな力を持っているのか。悪魔の力を破る、要塞を破る力が教会を持っています。
それでそれを使う方法を19節にこう言います。
私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上で繋ぐことは天上でも繋がれる。
あなたが地上で解くことは天上でも解かれる。天の国の鍵は何ですか。これが祈りの力です。
祈りの力をどう使うのか。要塞が
日を、太陽をとどまれ、月をとどまれと言うなら、神様が天で太陽と月を1日間止めておく。
私たちが祈りで神様に捧げるなら、神様はそれをとどめておく。
この力を教会に、キリスト社たちに与えてくださったということです。
じゃあこれは自分勝手にするんじゃなくて、これを使うときにはPLO。神様に聞いて、神様の見こえを聞いて従う。
これを祈りで行うものですから、これをPLOの祈りで神様の力を使う。
これが私たちが、要塞がカナンを制御したように、私たちがこの世の中を制御する方法がここにあるんです。
これが神のご臨在の力。 これが私たちに与えてくださった、神の一番の特権ということはこれなんです。
じゃあここで大事なのは、どうすれば神のご臨在が私たちと共におり、
それがまた長く持続され、また強く働くことができるのかということです。
神のご臨在は何によって与えられ、続けられ、もっと浄化するようになるのか。
見事ばと祈りによることです。 今日私が強調したいのはこれなんです。
キリスト社の力は見事ばと祈りの力です。 キリスト社は人脈ではありません。
お金ではありません。社会的な成功、社会的な身分ではありません。
キリスト社の力は見事ばとお祈りなんです。
エペソ6章は霊的な戦いの大事な章ですけど、エペソ6章17節、18節にはこう言います。
また救いを兜として被り、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
神の言葉は霊の剣なんです。 私は何をもって悪魔と戦いますか。
神の見事ばによって出ていけ。 また18節にはどのような時にも霊に助けられて祈り、
願い求め、すべての聖なる者たちのために絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。
霊の剣である神の言葉を取りなさい。 また根気よく祈り続けなさい。
この2つが霊の戦いのための武器であり、神の御臨済が私たちに与えられ、それが持続され、それがますます大きくなる秘訣が見事ばと祈りなんです。
見事ばをよく知るなら、御臨済が大きくなり強くなります。
じゃあ見事ばはどんなパワーがあるのか。 要は1章1節にはこう言います。
はじめに言葉があった。言葉が神と共にあった。 言葉は神であった。
皆さん見事ばはイコール神様です。 特に見事ばは三密大の第二位の神様、イエスキリストを示します。
見事ばによる力の与えられる
じゃあ見事ばによって何ができたのか。 この世の中が創造された。
見事ばによって 光あれと言っている光があった。
この見事ばが何だと言っています。これ先週はイエスキリストだった。
皆さん マタイ古書18節には全世界がなくなっても見事ばの一点一角も消え去ることもなく全て成し遂げられる。
世の中が変わっても世の中がいなくなっても いなくなるもの永遠に変わらない普遍なものがあります。これは何か見事ばだ。
見事ばはすべて成就される。 だから皆さん私たちが何に委ねるのかある時は人に委ねます。
ああその人に委ねたら私に何とか助けられるかな。 また私たちは会社、私が勤めている会社をああなんて誇りと思います。
私がどこに通っているよ、何とかそれが私を支えてくれるように皆さん委ねるんですけどそれはすぐいなくなるし、もう会社から辞めてみてください。
私は会社から辞めてみました。 以前私は会社は私のすべてでした。誇りと思って朝から晩まで命がけて働いて誇りと思いました。
辞めてみれば会社と私と何の関係もない。 その時私は驚きました。会社は私に何もないんだな。
私を最後まで支えてくれる、最後まで私を守ってくれる力になってくれることは何ですか。会社ではなかったんです。
人ではなかったんです。 何が私の力になるのか。見事ば。見事ばイコール神様なんです。
皆さん大事なのは見事ばは私たちの過去と現在と将来に対してすべてを明らかにしてくださいます。
聖書でニコデモが言いました。彼は素晴らしいのでした。しかし彼は問題の中にいました。私の人生どうするか。
サマリアの女がいます。世の中からスケンダルの女として憎まれました。 彼女はなぜ。また彼女はどうすれば人生やり直しができますか。
レイビット人がいました。超税人でした。人生はお金さえあればと思ってお金お金といったのに、そして超税になってお金を稼いだのに
世の中から見捨てられた人でした。彼は質問しました。 私の人生何が間違えたんだろう。わかりませんでした。
また自分の人生どうすればやり直しできるんだろう。わかりませんでした。 イエス様に出会いました。イエス様について行きながら御声を聞きました。
聞き従いました。人生がやり直しができました。 そうです。私の人生がなぜこんなになるのか。
過去の問題、聖書でわかります。 どうすればこのことを解決でき、私の人生がこれから良くなるのか。
これは聖書が教えてくださいます。聖書に聞き従えば人生やり直しができるし人生が良くなります。
病気が癒されること、人生がうまくできること、すべてが聖書にあります。 だから聖書は私の生きる道だということです。
私の過去はなぜ人生がダメだったのか。 聖書の鏡に照らされてみればわかります。
私の将来どうすればいいのか。 将来の保証は見言葉があります。
ヘンリ・ブレカビ先生は世の中は地雷畑と言いました。 地雷畑をどうすれば安全に人生を過ごすことができるか、聖書です。
悪魔が吠えたける獅子のように攻撃し、私たちの地獄に連れて行こうとします。 どうすれば悪魔に勝ちますか、罪に勝ちますか、聖書に答えがあるんです。
世の中の誘惑、世の中の惑わし、このことからどうすれば私は救われますか。 永遠の命はどこにありますか、聖書に答えがあるんです。
私たちの考え、価値観を聖書の見言葉に侮辱し、見言葉通り生きるなら、 永遠の命もあるし、救いもあるし、人生をうまくできます。
見言葉を通して神に出会います。 聖書は父なる神様、子なるイエス様、聖霊様が私のために何をしてくださったし、
今も何をしてくださっているのか、十字架の何のためなのかを全部教えてくださいます。 だから神様から私たちにどれほど大きな祝福を与えられているのか、
またこれから私の人生をどう導かれるのか、すべて聖書を通して分かります。 しかし、聖書をわからなければ、キリスト教派だとしても、
正直に何にも分かっていない。ただ業界だけ行ったり行ったりしながら、 他の宗教と同じようなゴリアック的な信仰ばっかりやっていることと、もう本当に同じです。
また聖書は、これからこの世はどうなるのか、 世の終わりだと言うんだけど、世の終わりに何があるのか、
世の終わりで私たちはどう生きれば、世の終わりのこのすべての落とし穴に落ちらないで、
私の人生が安全に天国まで行けるのか、それが全部書かれてあります。
永遠に生きる人生の秘訣。 それを神様がただの語彙で語ってくださって、それ消えてしまうものではなく、
聖書できちんと書かれて、それをちゃんと私たちの前で永遠に聖書を読むなら、 全部分かるようにしてくださっています。
だから聖書を読まないで、自分勝手に過ごしながら、なぜ神様がいるのか、神様は私を愛しているのか、
聖書を読め! 聖書を読んで、ついて従え!
それをしないまま、神様は私を愛していないとか、なんとか、これは愚かではないでしょうか。
ですから詩編の159の中古説、あなたの御言葉は私の道の光、私の歩みの照らす灯火だ、ということで。
聖書は大事な大事なものです。 行きたいなら聖書、これから読みましょう。
またお祈り、また16章19節、 私はあなたに天国の鍵を授ける。
あなたが地上で繋ぐなら天上でも繋がれ、あなたが地上で解くなら天上でも解かれる。
あなたが繋ぐ、私が繋ぐのに神様が天で繋いでくださる。
私が解くのに天で神様が解いてくださる。 これは何ですか。
イエス神様は容赦あり、彼らはあなたの手に任せた、私だ。
もともと私がやるべきなのにあなたに任せてあなたに勝手にやれ。
ところ容赦が繋ぐなら神様が繋いでください。 容赦が解くなら神様が解いてくださる。
容赦は何をやってるんですか。祈りをやった。 PLOの祈りをやったんです。
すべて神様が私たちの祈りを神様が聞いてくださり、天で働いてくださる。
これが私にくださった祈りの祝福なんです。
私は朝5時半になればパーッと起きます。
前の私の選挙団体のこの朝の日曜のかてQTの放送が始まるのでパーッと起きて、
1階の部屋に入って私の静かなところで私はそれを聞きながら私の朝のQTをやります。
朝のQTを出るときに私はいつも覚える聖書があります。
エリミア333、エリミア33章3節。
私に叫び求めなさい。そうすれば私に与える。
あなたが知らない隠されている秘密をあなたに知らされる。
だから私は神様にカーッと求めながら朝しっくり神様は何と言われるのかカーッと耳を
聖書による人生のやり直し
何か傾いて神様に集中します。
あなたが知らない隠されている秘密をあなたにつき知らせる。約束したんじゃありませんか。
だから主を教えてくださいと言いながら朝の時間を神様と共に過ごします。
皆さん祈りという世界はすごい世界ですよ。
どんな罪を犯しても大地は一地を救出。自分の罪を公にあいあらせる。
神は信じて正しい方で罪を許し、あれより低きから私たちを清めてください。
お祈りをもって悔い改める。どんな罪でも、どんな罪でも許してください。
罪がなかったようにしてください。
また祈りによって不思議な神様との出会い、
精霊の賜物、精霊十万、精霊の油注ぎ、皆さんこのすべてを祈りとして与えてもらう。
一言で言いますと三蔵の推訓で、求めなさいそうすれば与えられる。簡単じゃありませんか。
求めなさい与えられる。求めない、だったら与えられない。当たり前でしょう。
求めなさいそうすれば与えられると言ったんじゃありませんか。
なぜキリスト社たちがこんなに弱く力もなく、
人々は、世の中の人々、業界ということを本当に無視する存在になったのか。
見言葉と祈りのこの素晴らしい宝物を私たちが使ってないからです。
私たち普段、祈り、見言葉、うまくやりません。いつやるのか。問題が起きたら、事故が起こったら、病気になったら、その時一緒よ。
その時、やっと神様に出会い、神の御声を聞き、やっと解決して感謝する私たちになる。
そうじゃなくて、いつも使えばいいのにということです。
じゃあこのように見言葉とお祈りは、私たちに神の御臨済が与えられ、それがいつも私たちに留まり、
御臨済を強めてくださり、活性化させてくださるパワーは、見言葉とお祈りにあります。
じゃあ一つ例えの話をします。皆さんもご存知かもしれない。私はこの例えをたくさん聞いたんですけど、
昔々聞いたことだから、すべて忘れちゃって、私が改めて、私がストーリーを作りました。
ある青年がアメリカからイギリスまで行く船に乗りました。
お金がなかったので、船鎮を払ったら、もうお金が全くなくなりました。
それで、当時アメリカからイギリスまでどのくらいか、2週間か3週間、1ヶ月かわかりませんけど、
そこに行かなきゃいけないところなんですけど、船に乗りました。
他の人たちは、この海の旅を楽しもうとして、その中でいろいろパーティーをしたり、
娯楽もしたり、いろいろ交わりをしたり、楽しんでいくんですけど、彼はもう船に乗った後にはお金が全くないので、
交わりをする時にもお金がないから、うまくできませんでした。
一番問題は食事の時間でした。食事の時にはみんな、食事に行きましょうと言ったのに、お金がないから、
彼は、今日お腹が痛くて、私は部屋で休みますと言って部屋に入りました。
毎日何かお腹とか何とか言いながら、人々と交わりができないから、この後は部屋に閉じ込まれて、ずっと我慢するんですけど、
10日くらいになれば、もうお腹が痛くて、死ぬほど苦しいんです。
その時、船の船内放送が流れるんですけど、大西洋の台風のゆえに、船は静かに来ますので、これからまた時間が延ばされます。
だからお腹が空いて早くイギリスに着いてくれればいいのに、もうまたこの時間が延ばされるという話を聞いたら、彼は我慢できなくて、我慢できなくて、
いやーわからない。じゃあ行こう。食堂に行きました。まずとにかく食べてみよう。それから何とか自分の話をしてみようと思って、そこに行って食事をしよう。
食べたいものを全部注文して、いいっぱい食べました。そしてこの船の職員に、いくらですかと聞いたら、船の職員がびっくりして、
えっ、この食堂初めなんですか? この船の、なんですか、船ちんに食事台まで全部含まれていたんですけど、今まで全然食べてないですか?
愚かですね。 彼はどれほど悔しかったでしょう。
知らなかったんです。 船ちんに食事台が全部含まれていることを知らなかったんです。
キリスト社の神の力と健性の充満
みなさん、なぜ私はこんな話をするのか。 キリスト社たちがこの世の中でこのように過ごしているということ。
神様は私たちがキリスト社になった時、神様のすべての力、健性を私たちに与えてくださいました。
ヨハネ1章12節。 しかし言葉は、自分を受け入れた人、その名を信じた人々には神の子となる資格、
神科学では神の子となる特権を与えられた。 キリスト社になった時、神の子供になった時、父は神の力を子供たちに全部与えたんです。
与えたのに、みなさん、これが与えられたと知っている人は少ないでしょう。
それを使っている方はなかなか少ないんです。 なぜなら、わからないから。
なぜわからないですか。 聖書を読んでいないから。
聖書は何というんですか。 マタイ16章中9節。 私はあなたに天の国の鍵を授ける。
あなたが地上で繋ぐことは天上でも繋がる。 あなたが地上で解くことは天上でも解かる。
天国には宝物がいっぱいあります。 カギ持っているでしょう。
天の国のカギを開ければ宝が私に注がれるべきなのになぜ使わないんですか。
悪魔との戦いで天の国のカギイエスキリストを皆によって 命じれば悪魔が逃げるべきなのになぜ悪魔に負けられていつも問題だらけになりますか
天の国のカギを使う 神様私はそれを私たち与えて下さいました
これから使うか使わないかは私たちは自由意思に関わるものです 使ってないから神様さえもしょうがない
神様は神の主の御臨在 見事ばと祈りに対する神の力をすべて与えて下さいました
使わないで世の中で苦労苦労ばかりしながら問題になればその時やっと祈り その時やっと原因が何かわかる
そしてそれを神様に祈って見事ばを信じて何とかこれを耐え忍び その時神様にやっと感謝する私たちの姿です
なぜ常に見事ばと祈りによって常に勝ち 常に
元気10万にならないんですか 神の力すべてを与えて下さったの
知らないから 悔しいです
じゃあ秋になりました この秋には見事ばを読みましょう
またお祈りもしましょう そして私たち与えられた神様の健性を知って使いましょう
終わりに過ごしている私たち エジプトの中古木の災いのように終わりの時の災いが注がれると言います
それをどのように勝ちますか イエスキリストの十字架の父王の力です
またカナーの西域戦争のように最後の時の大収穫の霊的な戦いがあります どのように勝ちますかイエスキリストの皆によってです
見事ばと祈りによる勝利
それを いつも見事ばとお祈りを持って主のご臨在が豊かにある時
イエスキリストの皆によって出て行けって言うなら出て行くんです 神のご臨在の力によって
神様はこの世の中の全てを私の手に任せてくださったんです じゃあこの9月に入ります
夏は暑かったでしょう 集中できないですなかなか見事ばお祈りできなかったんですけど
秋になったら涼しくなります この時期にイエス様のように静かなところに行って神様と深い交わりをする私たちになりましょう
神のご臨在それがいつも与えられいつも続けられ 活性化されそれがパワーずっと持っていく私たちになりましょう
お祈り出します 主よ最後の時を生きている私たちに主のご臨在が一番大事だことを分かって感謝します
見事ばとお祈りを通して ご臨在が与えられ浄化されまた活性化されることを分かりました
お仕事忙しいし家事が忙しい中で神様を訪ねる時間を持つことは難しいんですけど
主よどうかご臨在のために見事ばお祈りこれを皆を恵みを与えてください 神様が容赦にこの世の中をあなたの手に委ねたと言われたようにこの世の中が今私たちの手に渡されています
PLOで勝利する私たちになるように恵みを与えてください イエス様の皆を通してお祈り致します
アーメン
34:11

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