1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「私たちの喜びと幸せはどこか..
2024-08-18 30:03

「私たちの喜びと幸せはどこから」2024年8月18日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年8月18日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) Ⅰテサロニケ5:16‐18いつも 喜んでいなさい.17.絶えず 祈りなさい.18.どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト․イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。

メッセージ題 : 私たちの喜びと幸せはどこから (Ⅰテサロニケ5:16-18)
*過去の教会、ある姉妹が・・・「笑いの使役」をしている知人がいると、笑いの使役をすれば信徒たちの生活と教会の雰囲気が良くなると!ところが、十字架の福音を追求している教会としては相応しくないと思って・・しかし聖書は、いつも喜んでいなさい!と命令形で?vs私たちは人本主義的なやり方ではなく、イエス様の十字架と復活の恵みと特権を知ることでいつも喜ぶように!

1.一年中、一番暑い時期・・・信仰の本質を! 以熱治熱?
*私たちの信仰の本質は?神を知ること、愛すること!神を知るなら愛するしかない、知らなければ?難しい。 *すべての人間はアダムの原罪の中で生まれる。原罪の影響で、Ⅰヨハネ3:8悪魔の支配下で、エペソ2:3呪いの子として生まれるので、この世で生きるのが・・・苦労そのもの!神はこのような人間を愛され、ヨハネ3:16イエス・キリストを遣わし十字架と復活を通して救い、回復#それを聖書で分かりやすく、ルカ15章の放蕩息子の例えで!2番目の息子?父の家を離れて、結局悲惨な状況に、父の家を思い出し戻って来る。そうしたら父親は、服も、指輪も、履物も →同じように神様はイエス・キリストの十字架と復活を通して、罪を犯した私たちを?ヨハネ1:12

2.ここで、私たちが知るべき大事なことは・・・ 「十字架と復活の福音」です!
*私たちの信仰で一番大事なこと?イエス様の十字架と復活!一体、十字架と復活を通して何が?
1)十字架を通して? ‐罪、過ち、呪いの故に死んでいた私たちが生かされた。エペソ2:1 ‐神様と敵であった私たちが和解され、新しくなった。Ⅱコリント5:17,18 ‐信じることによって悪魔の奴隷から神の子供になった。ヨハネ1:12 ‐自分の努力で生きた者が神の恵みと聖霊の力で生きるようになった。ローマ8:26‐28 ‐結局、地獄に行く者が天国に行く者になった。ヨハネ3:16  ←この為に私たちは何をやったのか?ただ信仰によってこのような祝福を得るとは?十字架
2)復活を通して? ‐体は一度死ぬが、命の復活をし、永遠に生きる者になった。 ‐過去、悪魔の奴隷だったが、今は悪魔を叱り勝ち抜く者になった? ‐この世でだるまのように失敗しても結局勝利を。ローマ8:28 ‐イエス様の再臨のとき、命の復活と引き上げられイエス様に出会う特権をⅠテサロニケ4:16,17 ‐裁き主イエス様から愛される私たち、世の人々は裁かれるとき婚礼に?‐結局、天国で永遠な祝福を。 ‐またこの世で行ったすべてに対して報いと冠を?Ⅱテモテ4:8

3.十字架と復活を良く知っている人に・・・自然にできることが?Ⅰテサロニケ5:16-18 無理矢理では?
1)いつも喜んでいなさい!過去どんな人だったが、今どんな存在になったのか?死んだら天国!
2)絶えず祈りなさい!しかしこの世では悪魔が、吠えたける獅子のように?アパー父よ!電話を
3)どんなことにも感謝しなさい!感謝は万能薬、これだけうまくできれば。災いが転じて福に成す?
‐感謝するなら感謝することが生じる!考えてみて・地獄に行く者が?後ほど天国で永遠に祝福?@私たちは神の子供。伝道師さん、孫の為には?神様は私たちを見られて・・・知ることで喜びを

00:00
さあ今日は、「私たちの喜びと幸せはどこから?」というお題をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
過去、前の教会ですね、ある姉妹が、韓国の知人が笑いの使役をするんですけど、
一度教会で招いたらどうですか?と言われたんです。
笑いの使役をする。話もあるんですね。笑う門には服を着たる。
そのようなこともあり、笑う使役があるそうです。
そうするなら、信徒たちの生活も明るくなり、教会の雰囲気も良くなる。
その話を聞いて、いいですねと言ったんです。
ところが、少し考えてみたら、私たちは十字架の福音を、価値観を目指しているところなので、
それが私たちの教会にふさわしいかということを、いろいろ悩みました。
でも、今日の聖書のように、いつも喜んでいなさいということは、
みなさん、これは命令なんです。神様の命令なんです。
神様の命令されたのに、これを笑いの働き、すごい良いなと思いました。
しかし、私の心では、陳本主義的な笑いじゃなくて、本当の信仰の本質に戻ってきた。
本質を知ることによって、心から現れる喜び。
これを私たち教会が目指すべきではないかと思って、
言い訳みたいになったんですけど、ごめんなさいと言われました。
では、今日は、私たちの喜びは一体どこからという題を持って、
今、一番暑い時期、お盆休みの時期、これなんですけど、
その時期に私たちは、信仰の本質による喜び、それが私たちに豊かにできればと思います。
では、お盆休み、本当に、私も息子が一週間もお家でのんびりしていることを見て、
一緒に楽しむことができたんですけど、この時期が一番暑い時期ですね。
また台風7号が来て、いろいろな難しさがありましたけど、
この時期に私たちは信仰の本質を分かち合うことが本当に意味があるかなと思います。
信仰の本質は、ホスヤ6章6節にあらわれたように、神を知ること、神を愛することです。
一言で言えば、神を知るなら、神を愛するしかありません。
しかし、神を知らないのに、神を愛しなさいと言ったら、
03:03
難しいですね。神をよく知らないのに、神をどう愛するんでしょう。
そのこともあって、信仰の本質が大事です。
皆さん、人間は、罪の中で生まれることをご存知ですか。
アダムの建材のもとにある人間は、大智和音3章8節によりますと、悪魔の支配下で生まれます。
ですから、悪魔の支配下で生まれるから、悪魔の支配から人間の力では逃れることはできません。
だから、普段、世の中の人々は、悪魔の支配から生まれて、そこで死ぬんです。
本当に怖いことです。
また、エピソード2章3節によりますと、呪いを受けるしかない存在として、世の中で過ごします。
だから、この世の中の人生が苦労そのものしかありません。本当に難しいです。
そのような人間を神様が愛されて、ヤワネ3章16節、ひとり子イエス・キリストをこの世に送ってくださって、
主事家と復活を通して、私たちを救うだけではなく、創造された本来の姿に取り戻してくださる。
それが、イエス・キリストがこの世に来られた目的です。
それを聖書で一番よく表現してくださるところが、宝刀息子の例えの話です。
ある父の家で二人の息子がいました。
二番目の息子が本当によくないんです。
その息子が父に遺産を先に私にください。私はその遺産をいただきたい。
その遺産をもらって、遠くの国に行って、自分の思いのままにこのお金を使ったんです。
それでお金を全部失ってしまって苦しんでいる時、彼が悩みの中、苦しみの中で考えるんです。
父の家にいる時がよかったと思って、それで父の家に戻ってきたら、
父は息子が犯した全ての罪を許しただけではなく、新しい服も与え、指輪も与えてくださり、履物を与えてくださった。
皆さん、新しい服ということは、私の息子だという身分を表します。
また指輪ということは、もう掃除者だという意味でしょう。
また履物は、当時家来たちは履物がなかったから、子供は主人だということです。
だから、このことを通して、父と息子の全てを回復してくださった。
同じように、神様はイエスキリストを通して、イエスキリストの忠実化と復活を通して、
私たちに神様の見姿、また神の子供の健性、力、資格、特権、全てを回復してくださった。
06:10
要は一書中二節、しかし言葉は、イエスキリストは、自分を受け入れる人、その名を信じる人々には、神の子供になる資格を与えた。
これが、神教土役です。
神会役では、神の子供になる特権を与えた。
皇后役では、神の子供になる力を与えたと言っています。
全てを与えてくださったということです。
イエスキリストによる素晴らしい回復の御業、それを神様は忠実化と復活を通して、成し遂げてくださった。
今日私たちが一緒に考えてみたいことは、忠実化と復活を通して、私たちに一体何が回復できたのか、それをもっと具体的にもう一度考えていきましょう。
エピソード二章一節には、さてあなた方は、以前は自分の過ちと罪によって、罪のために死んでいた。
しかし、イエスキリストの忠実化によって、罪、過ち、呪いによって死んでいた私たちが、罪が赦されて、そして活かされたということです。
忠実化によって活かされた。
また第二五輪と後章中七節、中八節には、神様と敵になっていた私たちが、神様と和解され、そして新しいものになったということです。
それだけではありません。
先ほど、ヨハネ一章中二節には、イエスキリストを信じることによって、サタンの奴隷だった私たちが、神の子供になった。
サタンの奴隷だった私たちが、神の子供になった。
またローマ書八章二十六節には、自分の力と努力によって生きた人が、今は神様の恵みと、精霊の助けによって生きるものになった。
結局、罪によってダメになって地獄に行く者が、ただ恵みによって天国に行く存在になったということです。
これは私たちの力ではできません。私たちが何がやったからではありません。
ただ、信仰によってこのような祝福をいただく、これはどんな恵みでしょう。
このためにイエスキリストは十字架で血を流して、死んでくださった。
この十字架の恵みを私たちが知れば知るほど、深く考えれば考えるほど、私たちは本当に素晴らしい神の恵みだったと言われるでしょう。
また、イエスキリストの復活によって私たちは何が回復できたんですか。
09:01
私たちの体は一度死にますけど、私たちは命の復活をします。そして、永遠に生きる存在になります。
私たちは死んで終わりではありません。私たちもイエス様のように復活して、永遠に生きます。
また、昔は死の力を持っているサタンの奴隷だったんですけど、今はサタンの奴隷から解放されて、サタンに勝ち抜く、またサタンを叱る者になった。
これはすごいです。だから、パウルはこれを悟って、第1コリント15章55節には、
死を、お前の勝利はどこにあるのか。死を、お前の棘はどこにあるのか。パウルはサタンに、サタン、お前の力はどこにあるのか。あなたの棘はどこにあるのか。サタンを叱るんです。
また、勝ち抜くパワーを私たちが持っているんです。これは復活の素晴らしさです。
また、この世に過ごす時に、キリストのうちにいる人は、死んでも生きる。まるで、ダルマのように、倒れても立ち上がる。倒れても立ち上がる。
キリスト者は、倒れることは倒れることではなく、立ち上がろう。これは素晴らしいことです。
結局、私たちは勝利を収めることができます。
私はもっともっと大事に思っているのは、イエス・キリストが再臨なさる時、私たちは命の復活をします。
そして、イエス・キリストが空中で再臨される時に、私たちはそこに提起をされ、引き上げられます。
そして、空中でイエス様に出会って、そこでイエス様と共にいます。
第1デサルニカ4章、16節、15節、こう書いてある。
すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響く時、主御自身が天から下ってきます。
すると、キリストに結ばれて死んでいる人たちが、まず最初に復活し、
それから、私たち生き残っている者も、空中で主に出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて、引き上げられます。
皆さん、この場面を考えてみてください。
イエス様が再臨なさったら、世の中の人々から、神様から選ばれた人たちは、全部空中にピューッと提起をされます。
引き上げられます。
地上に残されている人は、それから7年間の大観覧に会いますが、
引き上げられた私たちは、イエス様と共に、世の中が観覧を受ける時に、私たちは上でイエス様と共にいます。
12:03
皆さん、これを考えたら、これはすごいことなんです。
イエス様が来られる時に、引き上げられる特権を持っている人、
大観覧を避ける、免除される私たち。
また、私たちは、今はイエス様を救い主と言いますが、
イエス様が再臨なさる時には、これ以上救い主ではありません。
裁き主になります。
しかし、私たちは裁き主に愛される人です。
だから、私たちは最後の裁きが怖くありません。
私たちの名前が命に章に書かれてあって、世の中の人々が裁きを受ける時、私たちは礼服を着て御礼に参加するんです。
これはすごいじゃありませんか。
世の中の人々は裁きを受け、地獄に行く時に、私たちは立派な礼服を着て御礼に参加して、
それで、パーティーをします。
これは祭りに参加する素晴らしいことが私たちに起こります。
また、新しい天と新しい地、天国で愛するイエス様と共に、祝福の中で栄光に輝かしい存在として、永遠に生きる存在になります。
また、私たちはこの地上で主のために行ったすべてに対しては、豊かな報いがあります。
また、輝かしい冠を受ける存在になります。
パオールはこう言います。第二手もて四書八説。
今や昨日栄冠を受けるばかりです。
ただし審判者である主が、彼の日にそれを私に授けて下さいます。
しかし、私だけではなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、誰にでも授けて下さいます。
主が来られることをひたすら待ち望む人は、キリスト者です。イエス・キリストの花嫁です。
だから、主が来られる日を待ち望んで、世の中のいろいろなことがあっても、イエス様が来られる日を待ち望んでいる人には、
最後の時に、輝かしい栄光の中で、私たちを引き受けて下さる。
十字架と復活を、これをもっともっと詳しく、もっともっとしっかり学ぶ必要があります。
なぜなら、これを知ることによって、私たちのすべてが回復できるからです。
知ることの大事さ。知ることができれば、信じることができる。信じることができた時に、すべてが明らかになります。
だから、知ること、信じること、それがどれほど大事でしょう。
15:02
ですから、第1ヨワネ17章3節には、永遠の命は、神様とイエス・キリストを知ることだと言います。
知ることの素晴らしさ。だから、これを知らなければ、信じることもできない。
信じることもできなければ、私たちにこのようなことが現れない。
確信を持って、それを行うことができない。
ですから、それを知ることがどれほど大事なのか、ということです。
これを確かにして、また、信じる人には何ができるのか。
これが、今日読んでくださった、第1ヨワネ17章の5章16節から18節。
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことがあっても感謝しなさい。
これが可能になります。
もともとこれは命令形だから、私たちが知るか知らないか、悟るか悟らないか、
私たちは、いつでも喜び、いつでも祈り、いつでも感謝するべきですけど、
忠実か復活の恵みを本当に悟って、知る人は、命令だからではなく、
それは自然に、それは当たり前として、それを行うことができます。
じゃあ、まず、私たちは、いつも喜んでいなさい。
みなさん、どのようにいつも喜ぶことができますか?
イエス様を信じる前、私たちは、この世で希望もなく、死んで地獄に行くしかない、かわいそうな存在でした。
しかし、イエス様のおかげで、神様と和解ができ、神様から愛する存在として変わりました。
神様は、天地万物の作り主、持ち主です。
この世だけではなく、永遠な世界まで、神様が創造された創造主です。
だから、この神様から愛されて、私たちは後ほど天国に行くのではなく、
その中で、栄光に輝かし、報いと冠を受ける存在だということをわかるときに、
今、この世でつまらないことによって、悩んだり、悲しんだりすることができますか?
私たちが、どんな人から、昔は地獄に行く者が、天国に行くようになり、
後ほど、私たちは天国に入って、どれほどの素晴らしい祝福があることをわかっているのですが、
それをわかっているのに、私たちが、この世のつまらないことによって、
悲しんだり、悩んだり、どうしようかと思いながら、
それを苦労することができるかということです。
皆さん、私たちは後ほど、非常に近い将来、天国に行きます。
皆さん、つい最近、教会の方の中で、天国に召された方がいました。
18:04
つい最近です。私たちはその方に、つい最近出会いました。
しかし、その方は、今、天に召されています。
だから、私たちも、天国には間もないところです。
あっという間です。
だから、私たちは、この世のことで、あまり悩んだり、苦しんだり、
世のことで、うまくできたとして、喜んで、うまくできなかったとして、何か悩み、
そんなことではなく、この世の中のことを、
永遠な天国を所有したものとして、何か余裕を持って見ることができればと思います。
また、私たちがこの世に、私たちに与えられた使命、
よく担って、子どもたちに信仰の準備をしっかりさせておいて、
私、天国に行くよ。あなた、後ほど天国に来なきゃいけないんだ。
わかった。イエス様しかいないんだよ。
子どもにしっかり教えておいて、私たちは天国に行く準備をやっていきましょう。
後ほど天国というと考えたら、私たちはどんな状況の中で喜ぶことができるでしょう。
しかし、天国はどんなところかわからなかったら、天国に行くことはどのように思いますか?
ある子どもが来い、天国に行ったらピザある?
いや、天国にピザないかも。だったら私、天国に行かない。
皆さん、天国はわからないから。
だから天国を知らなければ、天国の素晴らしさを知らなければ、
私たちはどうして喜ぶことができましょう。
だから天国に対して学びましょうね。
十字架と復活をしっかり学んで、天国に対してしっかり学んで、
いつも喜ぶ私たちになりましょう。
2番目、絶えず祈りなさい。
なぜ祈らなきゃいけないのか。
私たちは救われたんですけど、
いまだに体はこの地上にあります。
まだ私たちにはやるべきことがたくさん残っています。
また皆さん、この世には悪魔と悪霊という存在がこの世にあります。
悪魔と悪霊がアダムとエバを攻撃したように、
今も私たち神の子供たちを誘惑して、つまずかせて、
また再び悪魔の奴隷にさせるために、
そして地獄に連れて行こうとして、私たちに攻撃します。
誘惑します。つまずかせます。
その時私たちはどうすればいいですか。
私たちは私の父である神様に、
父よ、今ここで悪魔が、悪霊が攻撃します。
私を助けてください。
21:00
神様に電話しなきゃいけない。
この神様に電話する、これがお祈りなんです。
信仰もお祈りによって、働きもお祈りによって、
また悪魔は吠えたける獅子のように、
誰かを食い尽くそうとして探し回っている。
また悪魔はいつも私たちの隙を狙うもの。
隙があればバーッと攻撃しに来ます。
ですから私たちはいつも目を覚まして、
祈って、そして悪魔に出てけ、命令をしながら、
私たちはこの世で過ごさなきゃいけません。
これをどうするのか。
いつも絶えない、絶えず祈ることによって、
神様に願い、悪魔を警戒し、悪魔を追い出し、
それによって私たちは、私たちの救いを守ることができるんです。
これは私たちだけじゃなくて、
皆さん私たちの家族いるでしょう。
教会の家族、一人一人を追い出るために、
私たちは絶え間なく祈る。
これが私たちの役目ですから、使命ですから、
ぜひ、熱心にやっていきましょう。
3番目、どんなことにも感謝しなさい。
皆さん感謝ということは、
神様が私たちにくださった万能薬です。
万能薬。何によってもその薬を使えば治ります。
だから私たちの状況の中で、
何が起こったとしても感謝すれば治ります。
世の中でいろいろな様々な難しさがあります。
願ったことがうまくできなかったこともあるし、
何か求めたのにそれがダメになったこともあるし、
熱心に頑張ったんだけどうまくできなかったことはいろいろある場合があります。
しかし皆さん、その時感謝してください。
感謝してみたら、災いが転じて福になる。
不思議なんですよ。どんな状況も。
感謝するなら変わります。感謝するなら状況が変わります。
悪魔が絶対できないのは感謝です。
神の子供だけの、本当に神様は私たち子供だけの祝福として与えてくださったのは、
どんなことでも感謝しなさい。
感謝すればすべてが治るんだ。すべてが変わるんだ。
感謝する時、神様から天君天使が現れて助けてください。
どんな危機の中でも助けを乗り越えるパワーが与えられる。
祝福される秘訣が、どんなことでも感謝する。
苦難の中でも感謝。うまくできなかった時にも感謝。
負けた時にも感謝。勝った時にも感謝。当たり前として感謝。
すべての場面で感謝、感謝、感謝。
神様が神の子供たちに、この100年の人生をうまく生きる秘訣、
24:03
ノウハウを一つだけ教えてくださったとするなら、それが感謝です。
感謝するなら、この人生、豊かに祝福の中で生きることができます。
ある人は、感謝することも全くないのに、どうして感謝ができますか?
特に、若者たちはこんな話があります。
みなさん、感謝するなら、感謝する項目がいろいろ現れます。
また考えてみてください。神は絶対善です。
良くないことは絶対くださらないんです。
でも、なぜこんなことをくださったのか、意味があります。
だったら、意味をわからなかったら、まず感謝しておく。
そうするなら、神様は感謝を通して、私たちの人生を良くなるように助けてくださいます。
また、今日学んだイエス様の中辞書と復活の頃、神の子供になり天国に行くようになった。
また、神様の恵みを考えたら、私たちはどうして感謝することができないことがなるでしょう。
また、後ほど天国に行って、永遠に神様の愛と祝福、また栄光に輝かし、
その姿で生きるようになるときに、どうして感謝ができないでしょう。
私は昔、昔ということではないですね、何年前、
いつも私の父のことが心配で、私の母のことが心配。
なぜなら年取っているし、韓国にいるから、
私ここにいるときに、いつも父から何があったと電話したらどうするの、いつも心配しました。
何年の間に、みんな天に召されているんです。
それを考えたら、私たちの人生、
今、私は皆さんの前でメッセージとか何とか語っていますけど、
いつか皆さん、私、ああ、いつかこのメッセージをした、
このハン先生、今天国にいるぞ、という皆さん言われるかもしれません。
人生短いです。あっという間です。
この世で苦しみ、あっという間に過ごします。
この世でうまくできた喜び、あっという間に過ぎてしまいます。
この世のことで、天国ほど、神様ほど素晴らしいことはありません。
だからこの世でうまくできなかったら、落胆しないで、つまずかないで、
うまくできたとして、傲慢しないで、
この世ではすべて神様のために捧げ、
神様のために用いられるために与えてくださったから、
感謝しながら、この世でいつも喜び、いつも祈り、いつも感謝しながら、
この世で生活をうまく全うして、天国に行って、
永遠の永遠の喜びの中で過ごす私たちになりましょう。
私たちは神の子供です。神を愛する人たちです。
27:04
最近、松井先生が面倒見ながら、私にこう言いますね。
孫、素晴らしいよ。先生も孫見なきゃいけないよ。
ああ、もう孫、素晴らしいって。孫、孫。
多分松井先生は自分が持っていることを全部お父さんに与えてくれるでしょう。
全部与えるだけじゃなくて、何でもかんでも与えることは、
どれほど喜びがある。子供に与えて、子供が喜ばれることを見る、
その喜びが父、母にはあるんじゃありませんか。
神様も同じです。
神様は私たちをどれほど喜んでおられるでしょう。
皆さん、一人の命の尊さ、美しさ、素晴らしさ。
神様は私たちを作っておられ、
そこから私たちを見ても喜んで喜んで、たまらないほど喜んでおられる。
この喜びの存在に、神様はご自分の何が与えられないでしょうか。
何を惜しいと思うでしょうか。
神様は私たちに全てを下さるんですけど、
一人っ子であるイエス・キリストを救い主としてあたる。
聖霊様を助け主とあたる。
また私たちは、罪とサタンと呪いから救われ、天国の全てを与えてください。
そこから永遠に生きるように、祝福の中に生きるようにさせてください。
それを考える時に、どのように感謝することができない場合があるでしょう。
また祈るなら、天国の天使が現れて助けてくださるんで、
どうして祈らないことができるでしょう。
また感謝すれば全てが変わるんで、
どうして感謝できないことがあるでしょう。
一年中一番難しい暑い時期だとしても、
信仰の本質、イエス様の十字架と復活の恵み、
考えながら、覚えながら、いつも喜び感謝し、
また神様が褒めたたえるこの時期になれればと思います。
じゃあお祈りいたします。
主を一年中一番暑い時期、お盆休みの期間が終わりました。
この時期、イエス様の十字架と復活の恵み、
また神様の愛、聖霊様の助けを教えてくださってありがとうございます。
短い短いこの100年の人生を過ごしながら、
あんまり苦しまないで、あんまり悩まないで、
あんまり不平不満しないで、
主の恵みを覚えながら、いつも喜び、
いつも感謝する私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
30:00
アーメン、アーメン、ありがとうございます。
30:03

コメント

スクロール