1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「静かで確かな信仰をもって」..
2023-09-10 34:02

「静かで確かな信仰をもって」2023年9月10日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年9月10日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら
https://listen.style/p/tokyovinechurch/

ヨシュア1:5-7 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたよう に、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。 強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖た ちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じ た律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。

サマリー

彼は今日、霜暗期の信仰生活を送るために、キーワードを決めました。彼は「静かで確かな信仰を持つ」というテーマでメッセージを分かち合いたいと思っています。イスラエルの民は、エジプトからの脱出後、40年間アラノで過ごし、そしてカナンに入る準備が整いました。それを待って、神様はイスラエルの指導者を変えました。彼らは神聖な存在ではありませんでしたので、彼らに勝利をもたらすようにということです。神様は偉大な業績よりも清らかさを望まれます。清らかさがないと神様と共にいられなくなるからです。そのため、エリコ城を早く征服するよりも神の臨在が重要だと言っています。現代は地球温暖化や戦争の噂、経済的な問題など、さまざまな困難に直面しています。しかし、私たちは信仰を持ち、神様と共に歩むことが大切であり、それによってどんな問題にも立ち向かうことができるというメッセージです。

イスラエルの民がカナンに入る
今日は、下半期の信仰生活のために、私はキーワードを決めました。
それが、「静かで確かな信仰をもって」という題をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
イスラエルの民が出世エジプトにしてから、40年間アラノの生活を経て、
それからカナンに入る時が来ました。
その時、神様は、イスラエルのリーダーを変えられます。
モーセからヨーシュアに変えられます。
モーセは、本当に聖書で現れた素晴らしい使徒者ですね。
神の下辺、素晴らしい使徒者、モーセ。
モーセをヨーシュアに変えます。
モーセに比べて、ヨーシュアはどんな存在でしょうか。
ヨーシュアは若くて、リーダーシップとしては、
モーセに比較できないほど弱い存在です。
モーセの使命は、イスラエル人たちをエジプトから導き出す、出世エジプトということです。
また、出世エジプトされたイスラエル民、200万人をカナンまで連れて行く、
カナンのアレノの40年間の導く使命だと。
皆さん、これは本当に難しい使命です。
これからヨーシュアは、ヨルダン川を渡ってカナンに入ります。
そして、カナンの小部族が、カナン全体を支配しているところですから、
その部族と戦って、カナン征服戦争を起こし、
そこに神様が願われるイスラエル国を建てる働きを、ヨーシュアがやらなければいけません。
モーセのように、素晴らしいリーダーだったら、何とか可能性があるなと思いますけど、
ヨーシュアとヨルダン川の渡り
若い下部ヨーシュア、リーダーシップも弱いヨーシュア、その働きができますか?
また、ヨーシュアに全ての国、国、200万人の人々がついてきてくれるのでしょうか?
モーセにはついていってあげたんですけど、ヨーシュアにうまくついていってあげることができますか?
じゃあ、私だったらもう無理です。できませんということですけど、
神様がヨーシュアにその働きができる秘訣を教えてください。
それを今日読んでくださったところですけど、ヨーシュア記1章7節だけを読んでいきましょう。
ただ強く、大いに大しくあって、私の下部モーセが命じた立法を全て忠実に守り、
右にも左にもそれとはならない。そうすれば、あなたはどこにいても成功する。
私があなたに命じたこのすべてが必ず実現されるという神様の約束を与えてくださいます。
じゃあ、ここ難しいですね。私の下部モーセが命じた立法をすべて忠実に守って、
右にも左にもそれとはならない。
じゃあ、これをヨーシュアだけではなく、イスラエルビル全体がこの御言葉に従わなければなりません。
じゃあ、これをどのように従ったのでしょう。
今日一緒に考えたいことは、エジプトから始めに出てきた、出中エジプトしたイスラエルの第一世代の姿、
また、アルノに40年間生まれた、アルノで訓練されたイスラエル第二世代の姿は全く違ったということです。
この一世代の信仰と二世代の信仰はどのように違ったのか、これが私たちも参考しなければいけないこともあります。
5年前、私たちは回復とリバイバルのビジョンを持って、新しいカワブクロの教会のビジョンを持って教会開拓しました。
じゃあ、始めに来た私たちの姿、皆さん思っていらっしゃるんでしょうか。
イスラエル第一世代のような姿ではないかと思います。
しかし、そのどころでも私たちはビジョンを持っていました。
しかし、ビジョンを成し遂げることができる内的な準備は足りなかったのではないかと思います。
ところが、アルノのような開拓教会の生活をしながら、私たちの姿がどのように変わったのでしょう。
じゃあ、第一世代の姿が第二世代の姿のように変わったのか、これを一緒に考えていきたいと思います。
今日、カナーに入っていくヨーシュアとアレノで生まれた第二世代のイスラエル人たちの信仰の姿を見ながら、
いったい私たちは新しいカワブクロの教会、また神様がリバイバルを送ってくださるなら、
それを受け入れる姿ができているのか、これを考えていきたいと思います。
今日の見言葉は、ヨーシュア紀の第1章から第6章までの内容をもって、恵みを分かち合いたいと思います。
アレノの40年間の難しい生活を経て、イスラエル民はカナーに入ろうとしています。
カナーに入るために、まず彼らはヨルダン川を渡らなければいけなかったのです。
ヨーシュア紀第1章から第3章に、この時の状況を教えてください。
イスラエル民がヨルダン川を渡る前に、ヨルダン川の前で3日間ずっと泊まります。
そこで陣を敷いて、それを上からの支持を待ち望むのです。
その状況、ヨルダン川はどんな状況なのか、収穫の時だといいのですが、
ヨルダン川の水が一番溢れる、氾濫する時期だと。
水が少ない時期には、何となくそれを渡るいろいろな考えができるのですが、
水が一番氾濫している時に、そこに渡ろうとしたら、
200万人の人々がそれを渡ろうとしたら、それはなかなか難しいのです。
それはまさに、エジプトから出た時、豪快な海の前に立っているイスラエル人と同じです。
その時、神様はヨルダン3章13節に命令します。
あなたたちはレビィ人の最初たちが、神の契約の箱を携えて川の中に入るなら、
彼らについて行きなさいと言います。
水が分けられたことではありません。
その人たちが入るなら、あなたたちもそこに入ってくださいと。
3章13節に言っているのは、
全地の主である主の契約の箱を担ぐ最初たちの足がヨルダン川の水に入ると、
川上から水が流れてくる水がせき止まって、
ヨルダン川の水は壁のように立つであろうと言います。
水が止まっていったら、あなたたちはヨルダン川を渡ってくださいと言います。
ヨーシュアとエリコ城
その時、第一世代の人たちと比較することができます。
第一世代の人たちは、航海の海の前で何をしたんですか。
エジプトの兵士たちが後ろに追いかけてくるその状況を見ながら、
モーセやエジプトに埋葬地がないから私たちを引き出して、ここで殺そうとするのか。
そしてモーセと神様に逆らったと言います。避難したと言います。
ところが第二世代は何にも言いません。
要所の命令を聞いたら、誰も口を出すことではなく、静かに、ただ確かな信仰を持って従います。
そうしたら、そのヨルダン川を彼たちが渇いた地のように渡ることができます。
第一世代はその川の前で大騒ぎをしたんですけど、
アリノに生まれた第二世代は何にも言わないで、神様の命令通り彼たちは従います。
私はその場面を見ながら、成熟したな、信仰が成熟したなと。
アリノの40年間、アリノで生まれた世代たち、
彼らは神の御声を聞いて訓練をしっかり受けた方だから、
彼らは神様の命令に文句しないで、ただただ静かに、大胆に従ったんです。
これを見て、全世界の人々は神が生きておられる。
また、神の民たちの間には、神様を恐れ敬う心が生じた。
私はここを見て、静かに落ち着いて、大胆に信仰を持って神様に従っていく信仰が、第二世代にはできていったなと思います。
皆さん、私たちはどうですか?
5年間の開拓教会というアリノの生活を通して、今私たちはこのような信仰ができていますか?
私はできていると信じていきたいと思います。
ヨルダン川を渡りました。
ヨルダン川を渡ったら、カナーニが始まるんですけど、それで終わりではありません。
その後、もっと難しいことがあります。
これ、エリコ城という城です。
エリコ城は当時、乱光不白の城でした。
これは今まで崩されたこと、攻撃して倒れたことがない、強いものです。
まず、カナーニに入ったら何か変更があったんですか?
カナーニに入ったら、アリノで毎朝天から降られたマンナが、これから降らなくなりました。
これからあなたたちは、カナーニの地の農産物を食べていきなさいということです。
やっと成長的な生活に戻ってきました。
それでカナーニに入って、カナーンから穀物を得なければいけない。
このような状況で、もっと大事なのは、これからエリコ城を征服しなければなりません。
エリコ城をどのように征服するか。
ここで一つ希望があります。
ヨルダン川を渡る前、
彼らはすでにエリコ城を一度探るために、人々を使わされました。
その人がエリコ城に入って、ラハムという女に出会ったんですけど、
彼女からエリコ城の人たちの状況を聞きました。
要書は2章11節です。
エリコの人たちは、イスラエルの人たちの話を聞いて、
私たちの心はくじけ、もはやあなたたちに立ち向かおうとする人は一人もいない。
あなたの神、シュウコソウ、上は天、下には地に至るまで、神であられる。
エリコ城の人々は、イスラエルの話を聞いて心がくじけて、
もうあなたたちは立ち向かう人はいないほど、心がすでに負けているよという話をラハムから聞いたんです。
それは本当に良いニュースですね。
その上、要書とイスラエルの人たちがヨルダン川を渡ったとき、
その話を聞いて、もっともっとエリコ城の人々の心がくじれてしまいました。
皆さん、こんな状況になったらどう思いますか?
早く攻撃してエリコ城を倒そうと思ってはありませんか?
しかし、エリコ城の前で神様は彼らに何を命じられるのか、
ヨウシワキ五章二節を見ますと、
あなたたちはここで勝利を施しなさいと言います。
みんなが今、エリコ城を、目の前にあるエリコ城、後ろにはヨルダン川、
その中で板挟みの状況なんですけど、
そこで早く攻撃してエリコ城を倒すべきなのに、そこで勝利を受けなさいと命じられます。
皆さん、勝利を受けたら、男性はそれを癒されるまで痛くて動けることもできないのに、
その間にエリコ城の人々が攻撃していたらどうしますか?
そうしたらもう皆殺しになってしまうでしょう?
誰がそのような戦略を立てますか?
なぜ今、今の時期に勝利を行わなければいけないんですか?
後にもできるんじゃありませんか?
なぜ神様は彼たちに勝利を施しなさいと言うのか?
第一世代はエジプトの地で勝利を受けました。
しかしアルノで生まれた第二世代はアルノで毎日移動していたので、
その中で勝利を受けることができなかったんです。
しかし今、エリコ城を攻撃する大きな見業のために、
彼たちに神様が聖なるものになることを願ったからです。
いつも神様が言うでしょう。
私は聖なるもの、だからあなたたちも聖なるものになりなさいということです。
神の御臨済の必修条件は聖なるものです。
イサリル人たちの信仰
イサリル人たちは神様の前で聖なるものになってなかったんです。
だから勝利を施しなさいということです。
神様は大きな見業を行われることより、私たちが清くなることを願います。
なぜ清くなることが大事ですか?
清くならなければ神様が共におられることができないからです。
神の御臨済がそれほど大事なんです。
ここで大事な価値観があります。
エリコ城、なんとか私たちの力で神様が共におられるのか、おられないのか関係なく、
私たちの力で早く征服したいんですか?
そうじゃなければ征服することより、神の御臨済が大事ですか?
また、自分がやりたいですか?神様が働くことを願いますか?ということです。
ここに大事な大事なことが、聖なるものになること、それが勝利を施す理由です。
もしこれが第一世代としたなら、第一世代の人たちはどうだったと思いますか?
割れを施しなさいと言ったら、ある人がこう言ったかもしれません。
これは今、前はエリコ城、後ろはヨルダン川、板挟みの状態で、誰がこんな変な戦略を立てるのか?
割れを施されたときに、エリコの人たちが攻撃したらどうするんですか?
昔のことを思い出しなさい。
ヤクブの人たちがセケムに行ったとき、ヤクブの息子たちがセケムの人たちに勝利を受ける条件として、娘と結婚させる約束をしたんじゃありませんか?
それでみんな勝利を受けたときに、もう男性たちがみんな痛みの中でいるときに、
ヤクブの息子たちがそこに行って、この街全体を大虐殺をしたんじゃありませんか?
そのことを思い出して、そんなことをやってはいけません。その馬鹿なことを誰がするんですか?と言いながら、
多分、ヨーショアに反発し、その戦略はもう無意味だと言ったかもしれません。
しかし、彼らはこんなことを一切言わないで、みんな従います。
むしその間にエリコ城の人たちが攻撃したらどうするか?
彼らは信仰があったんです。
神様が命じた通り行うなら、神様が守ってくださるでしょうという信仰を持って、
神様の御言葉、指示に黙々と従うんです。
とにかく彼らは自分の声を出さないで、自分の考えを言わないで、
静かに、しっかり、確かに信仰を持って従うことです。
素晴らしいですね。
エリコ城とヤクブの息子たちの戦略
みんなが静かにこの世に従うから、神様は彼らと共におられた。
そして、彼らと共におられ、これからのエリコ城の征服戦争を神様が共におられることです。
素晴らしいことです。
また、この次に神様がヨーショア、コショウ、チュセツにいますと、
活礼だけじゃなくて、杉越の祭りを行いさせています。
皆さん、杉越の祭りは何ですか?
羊の血を門の柱に塗った家には、死の死者が杉越をした。
それを記念として、彼らは救いの恵みをいつも思い出すことが、杉越の祭りです。
エジプトの中古墓の災いの最後に、超死の災いがあったんですけど、
エジプトの全ての超死は死の死者によって殺されました。
しかし、羊の血を塗った家には、死の死者が杉越をしたので、
それで彼らは全て救われた、生かされたというので、
救いの恵みをいつも思い出すときに、杉越の祭りを思い出します。
杉越の祭りを行いされることは、
羊の血を塗った人には死の死者が攻撃できない、襲うことができないということです。
戦争に出るとき、一番大事なことは何ですか?
殺されるんじゃないかという心配でしょう。
しかし、羊の血を塗って、それから戦争に出たら、
死の死者が私たちを攻撃することができないから、絶対死なないという自信感です。
これはすごいことでしょう。
また、杉越のところには、救いの恵みをいつも思い出すことです。
エピソード6章17節に、救いの兜をかぶり、霊力の戦いのために兜をかぶる、
これは救いという確信を持つことが、頭にかぶる兜と同じことです。
皆さん、私は救われたということは兜なんです。
私が戦って死んでも天国に行く、
だったら皆さん死ぬことも心配ないでしょう。
だから、このような自信感、確信、安心感を持って、
これは人たちが徹底、死のために戦う。
だから彼らは、とりあえず勇ましい働きができるでしょうか。
この救いの確信を持って、神様がこれからエリコ城の攻撃に出なさいと言ってくれます。
かつれいを受けて、杉越の祭りを、羊の血を自分の体に塗ってから進撃をするんですけど、
最後に彼らの前にある人が現れました。
これが幼少は古書13節から15節までです。
ある人が現れたときに幼少が前に出て聞きます。
エリコ城の攻撃と杉越の祭り
あなたは私の味方なのか、私たちも私たちの敵なのか、聞きます。
そしたら彼が14節にこう言います。
私は主の軍の将軍です。
あなたは足から履物を抜けと言います。
その意味は、私はこのエリコ城の戦いを指揮する軍の将軍である。
私が指揮を取るから、あなたは私の下人になって、私に従いなさいということです。
当時、主人は履物を履きました。
しかし下人たちは履物を履かなかったです。
だから、この意味は、戦争の主導権は私が取る。
私が戦うから、あなたは私が命じる通りに従いなさい。
私の下人として従いなさいということです。
そうです。私たちの戦う全ての戦いは、私の力で戦うことではありません。
神様が指揮をとって、神様が主人になって、イスラエル人たちを通して、神様が戦う。
聖なる戦いです。
その働きのためには、私たちの足から履物を抜くことが大事です。
そして、神様の命令に従うことが大事です。
今日、ヨルダン川を渡り、エリク王城を攻撃する時に、神様が3つのことを私たちに教えてください。
あなたはヨルダン川を渡る前に、自分勝手にいろいろな手を組んで、何かこのことを渡ろうとしないで、私が命じる通りにしなさい。
これが条件です。
また、エリク王城の攻撃のためには、私の御臨済を待ちなさい。
だから、そのためにあなたたちは清くなりなさい。
そして、戦争を私が指揮をとることができるように、あなたは下部として私に従いなさいということです。
そのようにして、イスラエル人たちが主の宗軍を前に立てて、そしてヨウシュワを通して続いていくなら、主がリーダーになってエリク王城の征服、戦争を指揮するんですけど、どのようにされたのか、ヨウシュワ6章3節から5節までです。
主は彼らにこう言われます。
エリク王城を1日1回ずつ、6日間回りなさい。
そして、7日目には7回りをして、それで私があなたたちに指揮、合図をするなら、あなたたちは叫びなさいと言う。
じゃあ、毎日1回ずつ回って、7日は7回回って、神様が命じるときに声を出すことです。
じゃあ、皆さん考えてみてください。
毎日1回ずつ、イスラエル全体の人たちが回ります。
1日回って、2日は回って、3日は回って、イスラエル人たちは全部、このエリク王城がどのように動くのを見ているでしょう。
毎日毎日回るときに、みんなが期待するんじゃありませんか。
エリク王城が動くだろう。少し少し崩れてくるだろう。
自分なりに希望を持って、何とか神様がしてくださることをずっと期待します。
でも、全く変わりがありません。
だったら、皆さんどうなると思いますか。
4日目からは、多分、いろいろ噂が出てくるでしょう。
こんな、このようにするんだって、何個フラッグのエリク王城が崩れてくるかだろうか。
こんなことをやったら、エリク王城は崩れてこないよ。
こんな変な噂が出始め、だんだんだんだん人が減り始め、最後に7日目くらいになったら、何人も回らないような状態になるんじゃありませんか。
多分、イスラエル第一世代としたなら、最後の日まで一緒に回る人が多分少なかったんじゃないかと思います。
しかし、第二世代はそうではありませんでした。
何にもエリク王城の変化がなくても、自分の考えで考えるんじゃなくて、
神様の命令通り、彼らはきちんと毎日1回ずつ、7回回りながら大声で張り上げたら、神様の御言葉通り、奇跡が行いました。
軟鋼不落の支度が崩され、彼らは完全な勝利を収めることができました。
私はこの1章から6章を準備し、この部分をちょっと読みながら、このような共同体が新しい川袋の教会ではないかと思います。
孟子のような立派なリーダーシップを持っていない若い要主は、
若い要主はどのようにイスラエル人たちを導き、氾濫するヨルダン川を渡り、
カナーに入って軟鋼不落の支度、エリク王城を征服することができるのでしょうか。
要主は偉いからではありません。
神様が共におられ、神様が全てを成し遂げてくださったんです。
そのために要主はやったことは、神の御言葉をしっかり確かに聞いてそれを伝え、
民たちは器用さを保ちながら、自分の声を出さないで、
そして要主から与えられる神の御言葉を信仰をもって従うことをやりました。
そうしたら神様は彼たちと共におられ、神様がエリク王城を駆逐してくださいました。
それでカナーの入り口を突破したから、これからカナーの戦争が行います。
じゃあこれからのカナーの戦争をどうしとればいいでしょうか。
そうです。器用さを保って、神様が命じる通り一つの心になってそれを成し遂げればいいんです。
神様が働く御業は人間のやり方、人間の方法でできることではありません。
たくさんの軍隊が必要なことではありません。
数ではなく器用さです。御人材です。
またPLを、御声を聞いて従う群れがいるなら、神様はいくらでも素晴らしい御業を行うことはできます。
私はカナーの西行く戦争が最後の時の大収穫と同じだと思います。
最後の時の大収穫、どうすればいいでしょうか。
強く祈って精霊に満たされて前に出たらそれでできますか。
私はそれでできることではないと思います。
イスラエルを第二世代のように新しい革袋の教会を作って、神の御声を聞いて従うことによってその働きができるのではないかと思います。
ですから今私たちの今の時期、下半期、9月から新しい信仰を持ってこの世の中でどう生きればいいのか悩んでいられる皆さんに
今日のメッセージが一つの答えになるのではないかと思います。
これから下半期のこれからの世界、どのような世界になるでしょうか。
どのように変わるでしょうか。
誰も分かりません。神様だけがご存知です。
信仰を持って共に歩む
いろいろYouTubeでいろいろメッセージがたくさんあります。
地球温暖化によって海の温度が上昇し、地球のあたるところにいろいろ災難が起こり、また戦争の噂が、
将来の戦争だけではなくてあちこちの戦争が今進行されており、コロナのこの次にコロナよりもっと難しい災いが来るのではないか。
また世界経済が今いろいろ問題があり、これから経済的に私たちはどう生きればいいか分からない状態になる。
だから今、たくさん稼いで、たくさん貯金しておけば安心できるかなと思って、
みんなが今、お金はお金。お金はどうすればお金をたくさん確保することができるのか。
皆さん心配ではありませんか。お金をうまく稼ぐことができない人は、これから私たちはどう生きればいいのか心配ありませんか。
じゃあ世の中、終わりの時には一番怖いのは恐れ、心配、悩みです。
これと同じように今、悪魔の惑わしが全世界を今脅かし、全世界に恐れがいっぱいあります。
じゃあこの中で私たちの信仰、信仰を持っている私たちはどんな意味があるのでしょうか。
じゃあここで大事なのは私たちの信仰の働きはこれからです。
大事なのはこの世界がどうなるのは私たちも知りません。ただ神様は知っておられます。
全世界を動かされる、全知全能、また私たち一番愛される神様が私たちと共におられるなら何が問題でしょう。
問題があります。これは神様が共におられなければ問題です。神様が共におられるなら問題ありません。
じゃあ今日ヨーシアは何ができたんですか。神様がどうすれば共におられるのか、それができたんです。
ヨーシアはそれをイスラエル人たちに明示、イスラエル人たちはそれを準備しました。
それで神様が彼たちと共におられるからジョルダン川を渡り、また南高フラッグのエリク城を崩すことができました。
私たちもこれから同じです。神様が私たちと共におられるなら何が問題でしょう。
私はここで一番大事に思っているのは私たちがたくさん働こうとすることより皆さん器用さを保ってください。
ある先生がこう言いました。たくさん働こうとするよりは罪を犯さないように気をつけなさいと言いました。
そうです。器用さです。私たちの世の中と私たちの違い、これが器用さを保つことです。
世の中には器用さという概念がありません。
今日ソドムとコウモラが滅亡されたんですけど、なぜ滅亡されたんですか。
同性愛、不倫、世の中の世界がもうみだらな世界になってしまったから滅ぼされたんじゃありませんか。
世の中から私たちが器用さを保たなければ神の子供らしくないでしょう。
新しいカワブクロの教会の初めの条件、器用さです。
器用さを保って、それで神のご臨在が豊かにあるように神の見こえを聞いて従うこと、
それさえできれば世の中どんな災いが来るし、どんな経済的な難しい、どんな病気が生えるんだとしても
神様が私たちを守ってくださるでしょう。神様が私たちを導いてくださるでしょう。
私は最後に、孟子生の一言、これが私の力になると思います。
旅での詩編の23章1節です。
主は我が羊飼い、私には何にも欠けることがない。主は羊飼い、私は乏しいことがない。
主が私を導いてくださるから、私はもう乏しいこと、欠けること、何にも足りないことがない。
満足している、豊かになっている、これが旅での告白でした。
私たちも最後の時、これを実践していきましょう。
私は最後の時の大事な答えが今日のメッセージの中にあるのではないかと思います。
しかし、これを一人でやろうとしたら難しいと思います。
だから共同体が必要です。
共同体、お互いに助け合って、それでお互い祈り合って、そしてみんなが清くなり、みんなが神様のご臨在が豊かに与えられ、また見声を聞き従うことができるように助け合う教会。
これが今私たちの教会ではないかと思います。
これだけはしっかり最後に私たちは守っていきましょう。
お祈り出します。
共同体として助け合う教会
主よ、ヨウシュワのカナンの征服戦争を通して、最後の時の大収穫を思い出します。
災いの時をどのように過ごし、また最後の時の私たちの使命をどうすれば担うことができますか。
私たちはできません。
神様はできます。
だから、神のご臨在、これが一番大事です。
どうか私たちが清さを保ち、見声を聞き従うことによって、いつも私たちの上、私たちは各家庭の上、私たち教会の上、神のご臨在が豊かに臨む教会にならせてください。
イエス様の皆を通してお祈り致します。
アーメン。
34:02

コメント

スクロール