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2021-11-07 27:18

「素晴らしい 神様」2021年11月7日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年11月7日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄   聖書の箇所/哀歌 -24 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して 尽 きない。それは朝ごとに新たになる。「あなたの 真実 はそれほど深い。主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言いわたしは主を待ち望む。/ 詩編  義と公平はあなたのみくらの基、いつくしみと、まことはあなたの前に行きます。 /詩編 11:3 基が取りこわされるならば、正しい者は何をなし得ようか」と。

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今日は、素晴らしい神様という体でメッセージを分かっちゃいたいと思います。 私が私の息子に神様は素晴らしいよと言ったら、私の息子はチェッと言います。
今まで経験上、自分が知っている神様と異なるからです。
私たちの2世たちが教会、礼拝に出席することがなかなかできないんですけど、その理由の中で一つは、
2世たちが神様をよく知らないこともありますけど、
今まで親が親の信仰のところで教養して
無理やり教会に引っ張ってきたので、 2世たちの心からは
神様は厳しい方だと 愛がない方だと
だから、私は神様が嫌だと
なぜそんな神様に私が礼拝しなきゃいけないの?と言っているかもしれません。
私の子供たちは 生まれながら親が信じるから
信仰を持っている親、生まれた子供は無理やり教会、礼拝を教養されます。
また私が牧師になってからは 信徒たちが見て、今日牧師の家族が教会でこのような態度をしているのはダメだと
だから私は厳しく教会生活と礼拝に対して子供たちに守りなさいと教養しました。
素晴らしい神様を見せてあげることよりは 信仰を無理やり教養してきたので
結果的に子供が今 反発していることではないかと思います。
ではこれからはどうすればいいでしょう? これからは親である私が悔いを改めて
まずもっともっと神様を良くして 模範を見せて
これから私たちが今までできなかった分 取りなし祈りを持って子供たちのために祈らなきゃいけないと思います。
またお願いしたいのは 親ができなかった分、今までできなかった分
教会学校の先生皆さんに 図々しい顔を持ってお願いしたいということで応援の祈りをしているところであります。
教会学校の先生の皆さんよろしくお願い致します。 今日は私の反省論も含めて
今まで私は厳しい神様を伝えてきたのではないかと思います。 それは私の使命と関係があるものです。
私たちの教会のビジョンと使命が 新しい川袋の教会
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ですから教会回復、信仰の本質を強調し続けてきました。 先週の金曜日の取りなし祈祷会のメッセージ皆さん聞かれましたか?
信仰の本質と儀式について7つのことを皆さんに申し上げました。 信仰の本質は神様との親しい交わりであり
神様の行いを見て自分のすべてを尽くして参加することですよと言いました。 また儀式は神様命じられた大事なものです。
また儀式は信仰の本質のための手段です。 しかし儀式がいくら多くても信仰の本質はなければその儀式らは神様の前で何の意味もありませんよ
皆さん非常に厳しいでしょう? 本質から離れたこと、それが神様から離れたことですというお話を申し上げました。
そして神の民が神を捨てるなら、すなわち信仰の本質から離れるなら裁きがありますよ
怖い話もしました。 信仰の本質がない礼拝が
すなわち口先だけの礼拝で心がない礼拝です。 ですから結論は今日のメッセージで皆さんの人生を振り返ってみて
神様を求め全存在で神様を愛する信仰の本質を取り戻すことをお願いしますというメッセージを先週金曜日で申し上げました。
要するに新しい川袋の教会にふさわしい正しい信仰生活をしましょうという
このようなやり方で私は十数年メッセージを分かち合ってきました。
私のメッセージは間違いはないと思います。
ところがそのようにしてみたら 信徒たちは
神様が厳しい怖い方だと思うようになる このメッセージの態度だったんですね
ある方はどうしていつもそんなにきつい話ばっかりするのかと言いながら 教会から離れた人もいます
牧師の使命がそうだから仕方がない部分もあるんですけど 私が反省しているのは
神様を 神様のこのおられるその神様を正しく伝えることはできなかったのではないかという反省論を持って
今日のメッセージを準備しました。 私たちは神様を正しく知らなければなりません
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信仰の本質は神を知ること 神様を愛することです
ところが私たちは神様を本当に正しく知るなら この素晴らしい神様を愛するようになっています
愛するなら神様に対する献身 主に対する奉仕は少しも難しいことではないでしょう
しかし牧師が厳しい神様ばっかり伝えるなら そしてその話を聞いてやらなきゃいけないんじゃないかと思って仕方がなく奉仕をするなら
その方の信仰生活の中で神を愛することは難しいことがあるでしょう これは正しくないということで牧師が今反省しているところであります
神様を正しく知ることは非常に大事です 私たちの神様は愛と正義の神様
慈しみと厳しい神様です その神様に対するバランス
愛と正義 慈しみと厳しいそのバランスが大事です
まず神様は喜と正義の神様です 4編の89編の中4節に
喜と公平はあなたの御蔵のもとい 慈しみと誠はあなたの前に行きます
神の国の土台は喜と公平 慈しみと誠です
義がなければ正義がなければ神の国は成り立ちません ですから4編の11章の3節に見ますと
もといが取り壊されるならば正しいものは何を成し得ようかと言います もといが壊されるなら信者はどうすればいいんでしょうかということです
反面悪魔の国は不義が不義不義不法 不義が根本土台です
皆さん役者の世界は不義不法暴力 お酒と女とかお金と堕落
まあそのような悪霊による世界です しかし神の国は
精霊による喜と平安と喜びの国です ここで役者の世界と神の国の異なる点違う点は
喜と正義が立たされているのかということが大事なんです さあ一番大事なのは神の国は喜と正義の
国神様は喜と正義の神様ってことです また2番目神様は愛と慈しみの神様です
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これは神様の根本 属性御品性だとように思います
神様のすべての創造物と神様が行われる御業には神様の愛が 限りがない
慈しみと恵みが含まれています ですから愛がない神様
愛がない神の御業は考えることもできません 神様は絶対善だということを皆さんたびたび聞かれるでしょう
神様はすべてのことを私たちのための良き計画をもって働いておられ すべてを合わせて善を成し遂げてくださる
方が神様です 私たちは神様が絶対善だと私に行われるすべては必ず善を成し遂げて
くださるんだということを信じなければなりません これを信じなければ混沌がきます
もうこれはもう信号めちゃくちゃになります ですから絶対善ということをぜひ信じてください
喜と正義の神様 愛と慈しみの神様を信じることも大事なんですけど
愛と正義に対する信号のバランスが大事です 傾いてはなりません
ですから今まで私は厳しい神様を皆さんに申し上げたとするなら 今日は神は愛の神様ですよということを
皆さんに申し上げたいと思います キリスト教は愛です
第一コリッド中3章中3節にそれゆえ信仰と希望と愛 この3つはいつまでも残る
その中で最も大いなるものは愛であると言います この意味は愛がない神様
愛がないキリスト教 愛がない教会
愛がない神の国 愛がない天国は想像もできないという意味です
皆さん力の中では2つの種類があります 一つは
破壊する力です もう一つは生かす力です
悪魔の世界であるこの世の中でほとんどのすべての力は破壊する力です 世の中で力を振りではどうするんですか
戦争します 征服します 軍輪します 破壊します 殺します 苦しみを与えます
すべて破壊する力 悪魔には愛を要求することはできません
悪魔に人を生かす 慰める 育てる 命の働きは期待することはできません
12:06
しかし神様がくださる力は生かす力である 生まれさせる
成長させる 傷も癒される
実りを実らせる 力です
このすべては神様からの命に基づいています イエス様が私は道を真理を命だと言いました
イエス様が神の命なんです ですから私がイエス様を信じてイエス様が私の家に入って来られるなら命が入って来られたことです
これからはイエスの命を私が発揮することができるんです
ですから私たちは祈って人を生かしたり人を助けたり いろいろなことを行うことができるんです
命は悪魔が真似することはできません 悪魔は愛を真似することもできません
ただ神様だけが命である愛であります 神様が命だ神様愛だということをどのように表現できるか
今日3つを持って皆さんに説明したいと思います まずはじめに神様が愛だということは神様は弱者の味方だということを意味です
神様は世の中の弱者たちの味方です 身なしごやもめ旅人
病者罪人のための配慮 皆さんこの身なしごやもめ旅人病んでいる人罪人
このような人々は全部悪魔による罪と死の力の被害者たちなんです
ですからイエス様はこの世に来られた理由をルカの4章18節 主の霊が私の上に居られる
貧しい人を福音を伝えるために主が私に油注がれたと言いながら 囚われている人を人に介護を
目の見えない人に視力を圧迫されたり人に自由を与えるために来たと言います イエス様は医者を必要とする人は病者である
私は義人を招くためではなく罪人を招くために来た イエス様は医者として救い主として来られたことを明らかにしました
世の中は強い人を好んで従います しかし神様は強い人に弱い人を脚退してはいけないと言います
神様は弱い人弱者の味方だからです 見なしごやもめを帰り見ていかなければいけないと
15:05
と言われます 主中二十二章21節から23節 これ本当に素晴らしい見言葉ですね
家婦や孝児を全て苦しめてはならない もしあなたが彼を苦しめ彼が私に向かって叫ぶ場合は
私は必ずその叫びを聞く そして私は怒りを燃え上がりあなたたちを剣で殺す
あなたたちの妻は家婦になり子供らは孝児になる 世の中の弱者が私に叫ぶならあなたたちが帰り見ることがなくて
その人たちが私に叫ぶなら私は必ず働いて強い者たちを 神様を殺すという剣で殺すと言います
そして強い者だと誇っているお前たちの妻がむしろ家婦になり子供が孤児になるようになるかもしれない
どんな意味ですか 神様は弱者の味方だ
世の中の弱者を無視するな その方たちを帰り見ていきなさい
弱者ということはやむを得ない 孤児また旅人また罪人 病者たちその方たちを大切にしなさいということは神様の命令なんです
2番目神様は愛だというのは 神様は長く我慢してくださるお方です
詩編で歌い続けるこの歌は詩編の136の1節に見てみますとわかります
主に感謝せよ 主は美しみ深くその美しみはどこしえに絶えることがないと言います
主は美しみ深くその恵みは絶えることはないと言います 神様は悪人だとしてすぐ裁かれる方ではありません
罪を犯しながら悔い改める改めない人に対して 7回だけではなく7回の70回も許しなさいと言います
なぜ神様はそのように許しなさいというのか 人間は誰も弱い存在
罪を犯すべき存在だからその方たちをすぐすぐさばいてしまったら 残る人は誰もいないんじゃないか
そして我慢して長く待ちながら悔い改めることを待っておられる神様
1000年を1日のように待っておられる 1000年を1日のように待っておられるお方です
またマタイの21章34節から40節を見ますと 頑固で神を無視する民たちに悔い改めなさいと自分の下辺を使わせます
18:10
下辺を使わせたらその人たちは殺します だったらまた下辺を使わせます また殺されます
また下辺を使わせます また殺されます 最後は私の息子を送る一人息子を送ります
それだったら聞いてくれるんじゃないかと希望を持ちながら 神様は続けて続けて悔い改めるための下辺を使わせる神様です
なぜすぐ裁かれないのか 神様の願いは生かしたいからです
救いたいからです 助けたいからです いつまで待ってくれるんですか
その人が最後の最後に死ぬ瞬間まで 悔い改めるチャンスを与えてくださる神様です
ですからこの神様の身分を知っているなら 罪を犯して苦しみの中で悔い改めて
また罪を犯してから苦しみの中で悔い改める このような波乱万丈な人生を止めて
これからは積極的に主のために良き御業のために生きることを願って 神様はいつまでもいつまでも悟ったら戻ってくるだろうと思って待っておられる
神様忍耐深いお方です
3番目神様が愛だというのは 悪人も善人にも同じチャンスを与えてくださる神様です
マッタイの古書44節45節です しかし私は言っておく敵を愛し自分を迫害する者のために祈りなさい
あなた方の天の父の子となるためである 父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ 正しいものにも正しくないものにも雨を降らせてくださるからである
私たちが考えるには善人は太陽も雨も与えてくださり 悪人は太陽も雨も与えてくださらなければいいと私たちは思うんではありませんか
しかし神様は悪人にも善人にも同じように雨を与えてくださり 同じように太陽を与えてくださり同じようにチャンスを与えてくださって
その方たちも秋になれば収穫を得ることができるように助けてください そうしながら神の愛を恵みを悟って戻ってくることを願っておられるんです
ヨナ書を読みますとこの内容がよく現れています ヨナ書3章4章では
21:00
予言者ヨナが神様に対して予言者が躓きます なぜ神様は神の民イスラエルを苦しめる悪人アッシリアを退治にするのか
アッシリアの首都であるニノベに行って彼たちは裁かれることがないように 悔い改めを叫びなさいと言います
そのような神様が理解できない そしてヨナは逃げてしまったんです
さあ2番目再び召されてそしてニノベに行って神の見言葉を述べ伝えたらみんな悔い改めます
そしたら神様がその悪人たちを許されるんです 予言者は悪人たちが滅亡されることを待っているのに神様が許されるから腹が立ちました
そして予言者が神様に怒るんです 予言者が神様に怒ることはこれはあり得ることでしょうか
その時神様は親切に 遠駒の木を持って
神の身分を教えてください これがヨナ書4章10節11節です
主はこう言われたお前は自分が老することも育てることもなく 一夜にして生じ一夜にして滅びたこの遠駒の木さえ惜しんでいる
そうならばどうして私がこの大いなる都ニノベを惜しまずにいられるだろうか
そこには12万人以上の右も左も脇前の人間と無数の家畜がいるからである
あなたが遠駒の木を惜しんだように私は神の見姿で作られた このアシリアのニノベのその人たちを私は大事にするのは当たり前ではないかと言います
神様はニノベの人たちだけではなく彼らが育てる家畜も大事に思われたんです 神様はこのように悪人も善人も大事に思って
いつまでも待ってくださり同じチャンスを与えてくださる神様です 結論申し上げます
神様は罪の罰をすぐすぐ下される方ではありません もしそのような方だったら私たちは不安で今日神様にうまくやった
明日うまくできないからすぐ罰が与えられる 皆さん不安でどのように神を信じて従うことができますか
私たちは罪過ちだらけなんです いつ過ちをするかわからない私たちではありませんか
私が謝っても罪を犯したとしてもすぐすぐ罰されることではなく いつまでもいつまでも我慢してくださり
24:06
チャンスを与えてくださる神様に感謝します 今年も神様は私たちの罪過ちと関係なく
結婚を許してくださり出産を与えてくださり 新しい家も与えてくださり就職もさせてくださり
癒しも行ってくださりコロナの中で私たちの家族を全部を守ってくださいました 考えてみれば
私たちがあまり信仰によって生きたということもないのに 神様に対してうまくやったこともないのに
何にも神様にやってあげたこともないのに すべてを成し遂げてくださった神様に感謝します
この神様に対して私はどんな聖徒がいいのかと考えるときに 今日エレミーやアイカの3章22節からの言葉を思い出されました
主の慈しみは決して絶えない 主の憐れみは決して尽きない
それは朝ごとに新たになる あなたの真実はそのほど深い
主こそ私の受ける分と私の魂はいい 私は主を待ち望みます
そしてこのような祈りが出てきました 主を私たちが主の御前でいつも完璧に生きる自信はありません
しかし神様を知り愛するごとに力を尽くし 神の子供という名前にふさわしい人生を過ごすために頑張ります
うまくできなくても主をお許しください 私たちを憐れんでくださり毎日
神の恵みと憐れみで助けてくださり守ってくださり導いてください 2021年1年間私たちを守ってくださってコロナの中で守ってくださってありがとうございます
私はこの慈しみ深き神様を愛します
お祈り致します 主を収穫の時期秋中1月です
今年コロナの中で私たちがみんなを守ってくださり 私たちに必要なすべてを満たしてくださったこと本当に感謝します
今年の主の慈しみと憐れみが 私たちに毎日毎日新たに注がれたことを感謝します
主を愛します 私たちは何の値打ちもないものなんですけど
本当にいつも愛してくださって感謝します これから私たちは主を愛して正しい礼拝者として生きることを神様に祈ります
27:09
物足りないものですけど私たちを受け取ってください イエス様の源を通してお祈り致します アーメン
27:18

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