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今日は 救われ恵まれた人には見える世界が違うという対応をもって メッセージを分かっちゃいたいと思います。
先週は収穫感謝礼拝でした。 信仰の違いは感謝の違いです。
感謝が大事です。 しかし感謝するためには神様を知らなければなりません。
いつも私は収穫感謝日の後にはこれで感謝が終わったのか また感謝が足りないこの心をいつも持っています。
ですから感謝はいつもやることなんで 収穫感謝礼拝をやったからこの後は感謝しなくてもいいということではないでしょう。
だからいつも神様に申し訳ない気持ちがいっぱいあります。 その中で先週ラビデの詩編65編を読みながら
照らされたことがありました。ですから今日はそれを一緒に分かち合いたいと思います。 今日のテーマは救われ恵まれた人には見える世界は違うということです。
私たちも詩編の記者が見たこの世界 それを私たちの霊的な目が開かれてそれを見ることができるようにお願いする心でメッセージを準備しました。
まず詩編の60後編にはラビデが献身の思いを持ってこの詩編を書いています。
これは2節。新教導訳は2節。他の聖書は1節です。
沈黙してあなたに向かい賛美を捧げます。 資音にいます神よ
あなたに満願の捧げものを捧げます。 この神様に私は賛美します。私の心を捧げます。というこの次の4節に
彼はこのような言葉を言います。 罪の数々が私を圧倒します。
そもいた私たちをあなたはあがなってくださいました。 私の数々の罪をあなたがあがなってくださったから
私から献身の思いがこんなにありますということを彼がこの聖書に書いてあるんですね。
この詩編を書いたタビデも罪のゆえに非常に苦しみました。
罪を犯す人は平安がありません。亡くなります。 罪による闇が支配します。
闇の中で耐えていくこの心は非常に難しいです。 この罪の罪目が何なのかそれは詳しく書いておりませんけど
タビデは自分自身の罪でもあるし この前の王様サウル王が犯した罪による災いが砕いてくることもあるし
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まだ民たちのこの罪によるものでもあります。 どんな形でも国に災いが臨んで
民が苦しむ時に タビデはいつも自分自身の心が苦しかったんです。
その時タビデがやることは神様の前にひざまずいて神様に尋ねます。
神様なぜこんな苦しみが私たちの国にあるんでしょうか。 あなたの選ばれたこの国、国民になぜこのような苦しみがあるんでしょうか。
聞く時に神様はいつもその理を教えてくださった。 またそれを解決する方法も教えてくださった。
だったら タビデはすべて下ろして悔い改めながら神様が指示された通り
自分はすべて従順しました。 そうするなら
雪が溶けるように泥いが問題が災いが消えてしまい 問題が解決できることをタビデはいつも経験しました。
今度もこのようなことがあったような気がします。 皆さん私たちも大事なことはこれなんです。
家に何か問題が起こるとか何か私たちに何か良くないことが起こるなら 神様に尋ねてみなきゃいけません。
理由を、正義とも。
ところが神様の恵みによって罪の問題が解決できたら この後驚くことを体験しました。
まず罪の許しによる喜びが自分の心に訪れたんです。
皆さん罪が清くなって罪が許されてまた清くなったところには必ず精霊様が来てください。
精霊様が喜びと平安と共に 精霊様を送られるなら精霊様は知恵と啓示の霊ですから
照らしてください。私たちが見ることができなかったことを照らしてください。 そして神様をもっともっと知るようになりました。
支援の65編には神様が罪を許してくださる神様だけじゃなくて 神様の美しさ、神様の慈しみ、神様の尊厳さ
また全世界を動かして全世界を恵みを施してくださる 神様の力ある御業
豊かにさせてくださる神様の愛 そのことが心いっぱい照らされました。
それが悟られた時に彼が支援をかけながら神様を賛美したのです。 またもう一つ驚いたのは
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この世界に対する神様が行われる御業と この世界がどのように神様に褒めたたいているのか
賛美しているのかがふわーっと見えてきたんです 全世界を覆っている神の愛と恵みが照らされながら
わが魂いざたたえよ
お稲る御神を
わが魂いざたたえよ
お稲る御神を
自然に心から賛美が出てくるんですけど 皆さんタービデが見たこの場面が何なのか
60後編の中2節から中4節まで私が読んでいます あなたは豊作の年を
冠として地に授けられました この世界を見たらすべての農業がうまくできて豊作になって
それが黄色い色で全世界を覆っています これを見る瞬間タービデはこれが神様から与えられた冠
冠がかぶされているんだと彼がわかったんです あなたが好きに行かれる後には
油が滴ります 全世界が油が滴るようになって見えた
荒野の原にもしたれどの丘も喜びを帯とし 牧場は羊の群れによそい
谷は麦を覆っています ものみな歌い喜びの叫びをあげています
全世界に収穫がうまくできたことも この羊の群れがあちこち群れがある群れがないということも
彼が見る時に神様が授けてくださった 冠をかぶしているような姿で全世界が潤しているとタービデが見えたんです
これがすごいじゃありませんか 皆さんどう思う私はいつも息子と話をする時息子が腹を立ちながら
神様私は何にもしてくれない この世の中なんか行きたくないと何とかいろいろ言いますね
この話を聞いたら私もこの世の中つまらなくなって何か腹が立って嫌になって この気持ちあるんじゃありませんか
この気持ちがすっきり神様栄光の冠が全世界を覆っているように見えたんです
これが見えたところから私たちの信仰 神様に対する献身は始まるんです
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以前は全くわからなかった神様を新たに悟るようになった時感謝が出てくるし 献身したい思いが出てくるんです
これがタービデがいつも経験したことでした 首都行伝13章22節に神様が私はエッサイの子
私の心にかなうものタービデを見出した 彼は私を思うところすべてを行う
神様タービデを出会った時に私の心にかなうもの 彼を通して私がやりたいことすべてを行いたいと思われた理由は
タービデはいつも神様が やってくださることに対する心に感謝が満ちあうれているところだったからです
信仰の違いは感謝の違いだ タービデはいつも悟った心で神様に感謝し
賛美したんです これが神様にどれほど嬉しかったでしょうか
私はこの65編を通して分かるようになった大事なことがあります 私たちはイエス様を信じて神の子供になりました
では神様の栄光神様の驚くほどの見業を見る 特権がすでに与えられているのに
なぜ私たちにはタービデが見たようなこの素晴らしいことが見えてこないのか なぜ救いに感激があったらすぐ消えてあったりすぐ消えてするのか
その理由は何なのか 罪のゆえなんです イザヤ59章1節2節
主の手が短くて救えないというのか 主の耳が鈍くて聞こえないというのことではない
むしろお前たちの悪が神とお前たちの間をへたで お前たちの罪が神の御加を隠させお前たちに耳を傾けろと妨げているのだ
イエス様信じるんだと言いながら教会に通いながら神の子供だと言いますけど 続けて犯している罪
積み重ねているこの罪のゆえに私たちは全てを失うようになるんです だから持続的に悔い改めて罪を清くする
その働きを絶えずやらなければ神様との関係があっという間に塞がれ 喜びと平安が消えてしまい
昔のように闇の中で縛られ生きる私たちになるのではないでしょうか
イエス様はこう言われました13章の10節と14節 イエスは言われた既に体を洗った者は全身清いのだから足だけ洗えば良い
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ところで主である私があなたたちの足を洗ったのだから あなた方も互いに足を洗い合わなければならない
体を洗ったとしても足は毎日洗わなければいけない そしてイエス様が洗足式をやってくださり
あなたたちもお互いに足を洗い合いなさいということ これからこれやりましょう足を洗ってあげること
皆さん神様の観点から見てますとこの世の中で見聞きする全てが罪です
イオワネの9章41節にイエス様はこう言われています 見えなかったのであれば罪はなかったであろう
しかし今見えるとあなたたちが言っている だからあなたたちの罪は残る
見えないと言ったらあなたの罪がないけど 見えると言ったらあなたたちの罪がすでにあるんだということです
私たちが見聞きする全てが罪だと言うような 何か世の中でこれを見て目の欲肉の欲心の世の中の奢り
これらのことをいつも心で欲しい欲しいこれはやりたいやりたい 私たちの欲を満たそうとする世の中の全てを見聞きするために
私たちは心から罪を神様の前にふさわしくない罪を犯すようになるんだということ この罪が神様から来る全てを妨げています
約部1章17節こう言います 良い贈り物完全な賜物は皆上から光の源である恩父から来るのです
ところがエレミア5章25節には お前たちの罪がこれらのことを知りづけ
お前たちの戸賀が恵みの雨をとどめたのだ 私たちの罪が神様から来る全てを妨げています
とどめています 神様から来る全てが私は頂くことができないように
罪が妨げをしているんだということです 皆さんこの罪のゆえにためてが見たこの世界が見えてこなかったんです
では罪の問題どのように解決できますか 罪の解決のために神様が与えられた唯一な方法がヘブナイショ9章22節です
こうしてほとんどすべてのものが立法に従って地で清められており 地の流すところがなければ罪の許しがありえないのです
だからイエスキリストが十字架で私たちのために地を流してくださったんです 神様が私は人間に許された罪の許しの方法はこれしかありません
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私たちが罪の許しをいただく前の状態には 罪の闇が私たちを覆っています
抑えられています縛られています 他の言葉で言えば
聖書は目に鱗がかぶされているという表現をしています 目に鱗がかぶされているから神様の観点で見ることができなく自分の観点で見ます
だからすべてが 暗く
嫌で苦しく見えるんです ある日気持ちがすごく良ければ少し明るく見えるんですけど気持ちが悪ければ
世界全体が暗く見えます 人生行きたくないという状態になるんです
しかし罪を許していただければ目から鱗が落ちるように
闇が消えてしまい神様が見える 神の御業が見えるそして生きて働く大自然の驚きさが見えてきます
そうするなら感謝と賛美また献身の思いが心から出てくるんです 皆さんこれがどれほど大事なのか
信仰はここから始まるからです 私たちの目から鱗が落ちてますか
今鱗にかぶされていますか 鱗が落ちなければ神中心的な信仰生活はできません
鱗がついているなら見えるのは全部自分の観点で見るしかないからです 旅ではある時罪によって闇に覆われていました
しかし罪の許しをいただいて神様と神の御業が見えてきれば来るから
彼は喜んで感謝し神様の献身の賛美を捧げているんです 元々目から鱗という言葉はパウルから出てきました
使徒行伝9章17節18節にパウルはタマスコでイエス様に出会います 光のようなイエス様が照らされた時に彼の目が黒くなりました
鱗から落ちました そして人々に導かれたある人にある家にいる時に神様がアナニオを使わせて
アナニオが向こうに行ってパウルの上に手を置いて祈ってあげます その時パウルは非常に悔い改めながら
神様あなたはどなたですか 私はあなたが迫害しているイエスだという
それで自分の心で本当に苦しみを感じながら悔い改めている時に アナニオが来て彼の上に手を置いて祈るんです
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安心の祈りをする時に目から鱗が落ちるんです それで彼がよく見て
迫害者が伝導者として変わるのです パウルも世の中にこの世的には優れた存在
学問的に優れたレベルの人でした しかし礼的には罪と立法的な知識、距離、自己自身的な主張に覆われていて
だからイエス様を迫害するしかなかった しかし光として来られたイエス様に出会って悔い改めて
聖霊をいただいたら目から鱗が落ちて彼の人生がすっきり変わったんです
皆さん私たちにもこのような経験が必要です 罪と過ちによる鱗が取り除かなければ
見ることができません 信仰の世界を見ることができません
しかし目から鱗が落ちた時に 信仰の世界、神の世界をよく見て神様に真心からの感謝ができるんです
ここから信仰の美しい人生が始まるんです
イエス様をこねた理由はこのゆえです ヨハネ14章6節イエスは言われた私は道であり真理であり命である
私を通らなければ誰も父のもとに行くことができない 罪によってかぶされている目の鱗が落ちて
よく見て神様に出会わせてくださるために イエス様が十字架で血を流して私たちの罪を許してくださったんです
誰でも自分が罪人であることを認め 悔い改めるならイエス様はこの罪を許してくださり
清くなった心には知恵と賢慈の霊である 聖霊様が来てくださる
聖霊様によって目が開かれ 神様を見る
神の素晴らしさ 驚くほどの神の栄光が見えてきた時に 神をおそれを敬い感謝しまことの恋愛がされることができるんです
ですから私たちは何を感謝するべきでしょうか 100年もいけないこの世の中で
今年はたくさん儲けました感謝します このような感謝もいいんですけどもっともっと大事なのは
神様の栄光が見えてくる また神様が働く全世界の素晴らしい宮座が見えてくる
また全世界の大自然が神様をどのように褒め立てるのか 見えてくる時に
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この素晴らしい神様に対する私たちの心 またこの全てが可能にしてくださる
イエス様 聖霊様に対するこの喜びの心 感謝の心が満ちあわれる時に神様との関係がますます親しくなり
愛する心になるのです 私たちはこのような信仰を持って
神様に感謝する時期になれればと思います 私は今日この言葉をぜひ分かち合いたいんですけど
私は聖書の中で一番理解できない聖書があります 今日読んでくださったところなんですけど
イエス様が再臨なさってメイシアの時代が開かれるならその時に行われる 実現できることなんですけど
イザヤ11章6節から9節です 狼は子一児と共に宿り
狼と子一児が共に宿られますか 兵は子やぎと共に伏す
子牛は若児子と共に育ち 小さな子供がそれらを導く
牛も熊も共に草をはみ その鞍は共に伏し
獅子も牛も等しく 干し草を喰らう
獅子が草を食べますかね また血の巫女が読者の穴に戯れ
幼子が魔虫の巣に手を入れる 私の聖なる山においては何者も貝を食わず
滅ぼすこともない その理由が
水が海を覆っているように大地は 死を知る知識に満たされているから
私はこれを詳しく読む理由はここにあります どうすればこのような世界ができるかということです
これは全世界が死を知る知識に満たされているなら それができます
罪と過ち呪いを受けて徹底的に暗くなって塞がれているこの世界が
死を知る知識が増えれば加えるほど 美しい天国
平和の世界 弊社の世界に変わっていく
全ての闇が消えて全ての縛られることが溶かされて みんなが幸せになる祝福的なその日が早く来るように
私たちは何を目指すべきなのか これは死を知る知識が全ての人に増し加えられることを
私たちが望んでいることです 神様を知り愛し救われた神の子供であるなら
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死を知る知識が私たちに豊かに与えられて 全て塞がれていることが取り除かれて
神を見る神に出会う神の栄光に預かう 幸せ祝福的な毎日毎日になること
それがますます毎年毎年良くなっていくことに感謝があるなら
神様がよくやったあなたたちはこれが一番大事なことなんだ 褒めてくださるのではないでしょうか
この側面から私は私の教会は感謝がたくさんある教会だと私は信じています
特に教会学の子供たち 今日クイズに答える子供のこの素晴らしさを聞いたでしょう
また今日は新谷先生 初めなんですけど素晴らしくやってくださいました
私は教会の先生皆様本当に本当に1年間 ものすごい成長しました
先生に成長したという言葉はふさわしくないんですけど 本当に私が見る限り素晴らしくなりました感謝します
死をもっと知り 死を知ることによって永遠の命永遠の祝福をもっと確信し
もっとたくさん持つことができた そのことによる感謝
それが私にはあります 皆さんを見るときに皆さんにもそれがあります
それが感謝なんです そうするなら神様がダメでを見つけられた時に
ああ私はダメでを見出した 私は彼を通してすべてを行うと言われたように
私たちの教会 神と皆さんを出会ったら 神様が私の心に敵うものと言いながら
神様私は通してすべての御業を成し遂げてくださることを信じます これからますますそのような日々が続けていくようにお願いします
今年もこれらのことを感謝する 私はその感謝で満ち溢れています
教会学校も感謝皆さんにも感謝 私たち教会皆さんに感謝
本当に本当に今年お疲れ様でしたありがとうございます お祈り致します
神様2022年1年間 コロナによって礼拝の時間に集まることもなかなか難しかったんですけど
それにもかかわらず熱心に教会に集まってくださり 神を求め神様を尋ねる
その働きをさせてくださって感謝します 何より感謝したいのは神様をイエス様を精霊様をもっと知ることができたということです
知ることによって神をもっと愛しもっと大きな信仰を持つことができて感謝します
特に教会学の子どもたちによって感謝します 熱心に教えてくださった教師皆さんに対して本当に感謝します
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もっと知ることによって神を愛し永遠の命を味わう 私たちにならせてください
毎年毎年もっと成長していってイエス様のようにいけるようにしてください イエス様の皆によってお祈り致します
アーメンアーメン