1. 東京ぶどうの木教会 メッセージ
  2. 「私たちに信仰がありますか?..
2021-10-31 34:46

「私たちに信仰がありますか?」2021年10月31日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年10月31日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄   聖書の箇所/ヘブライ11:1-3 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 2.昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 3.信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです 。6.信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。

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今日は、私たちに信仰がありますか?という題で メッセージを分かち合いたいと思います。
私たちは10月の第2周年、開拓3周年を迎えて、 これから今後5年、10年を見通しながら立派な計画を分かち合いました。
また、私たちに与えられた職大の幻、 これは教会回復の美人ですけど、それも分かち合いました。
ところが、もし皆さんの中で、その話を聞きながら、 それは私たちとは関係ない、難しい話だよ、
そんなことを私たちは成し遂げられるかな、と、 いろいろ疑問を持っておられる方がおられるのではないでしょうか。
最後の時の教会はすべて、 回復とリバイバル、大収穫の使命を持っているんですけど、
それも今の私たちとしては無理だと思っていませんか。 事実は私たちには何にもありません。
今、食べて生きることに精一杯。 家族を面倒見る、子供を面倒見るだけで今疲れています。
病を持っています。 年取っています。
弱いんです。 今もたくさん問題があって、悩みもたくさんあります。
日常生活だけで精一杯なんで、 どうしてそんな立派な使命、ビジョンとか、こんなことが私たちできますか。
こんな時、私たちに何が必要だと思いますか、皆さん。 信仰です。
私たちの信仰生活も、ビジョンも、使命も、 それを成し遂げるすべてのことも、信仰が必要です。
ヘブラリー書中1章6節には、 信仰がなければ神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神が存在しておられること。 また、神はご自身を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないと言っています。
信仰は、私たちではなく、
神様が、神様の御業を、私たちをどうして、 成し遂げることができるんだ、ということを信じることです。
ですから、信仰があるなら、すべてが可能です。 信じる人には不可能がないんです。
ですから、今日は、私たちに信仰があるのか? 今、私たちは、無理です、悩みがあります、弱いんです、ということをよくわかっているんですけど、
私たちに信仰がありますか?という題で、 今日のメッセージを一緒にわかっちゃいたいと思います。
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じゃあ、信仰とは何ですか? 今日、読んでくださいました、ヘブラリー書中1章1節。
信仰とは、望んでいる事柄を確信し、 見えない事実を確認することだ、と言います。
神教導薬よりは、神開薬がもっといいんですね。 信仰は、望んでいることを保障し、
目に見えないものを確信させるものです、と言います。 神開薬の薬がもっと素晴らしいんですけど、
信仰は、目には見えないんですが、 確かに存在している実態を見るようにして信じることです。
ですから、2節には、昔の人々は、この信仰のゆえに神様に認められました。 神開薬では、神様に賞賛されました、と言います。
信仰があれば、神様から褒められます。 神様が印を与えてくださいます。
しかし、信仰がなければ、何にもありません。 この際、1章16節には、神様は目に見えるものだけではなく、
目には見えないが存在する全てのものを想像された、と言います。
しかし、目に見えるものはしばらく、 目に見えないものは永遠だ、と言います。
また、目に見えるものは、目に見えないものによって制御される、 動かされる、というお話もしてください。
では、目に見えないものを、 信仰によって見ることができるんだ、と言うんですけど、
私たちが信仰によって、 ぜひ、見なければいけないことは何なのか。
ぜひ、見なければいけないことは、 三密体の神様と、神様が行われる御業です。
これを、ぜひ知って信じなければなりません。 ですから、ヨハネ17章3節、
永遠の命とは、唯一の真事の神であられるあなたと、 あなたのおつかわしになった、イエス・キリストを知ることだ、と言います。
神様とイエス様は、何をされましたか? 神様は、罪人である私たちを救うために、
三密体の神様である、ひどり子、イエス・キリストを送ってくださって、
十字架で私たちの代わりに、血を流してくださり、 罪から私たちを救われ、
また、新しい命を与えてくださるために、復活をなさいました。
このすべてが、罪人である私を救うために、 神様とイエス様が行われることだ、ということを知って信じるなら、
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永遠の命、救いが与えられます。
何よりまず、これが見えてこなければなりません。
では皆さん、信仰の反対語は何ですか? 信仰は見えないのですが、それを信じて行うことです。
信仰がないものは、見ることを見て、
見えるものによって行うこと、これが信仰がないことです。
信仰の反対語です。ですから、見なければ信じないという人たちは、 永遠に信仰ができません。
だから私たちは、見えないんだけど、 存在するものを信じることをしなければなりません。
じゃあ皆さん、目には見えないんですけど、 存在するものは何があるんですか?
私は簡単に考えていきましょう。 鉄が鉄を引っ張ります。
どうして鉄が鉄を、金属が金属を引っ張りますか? その間にマグネクティックという、
磁石の力があるんです。 磁石の力は見えないんだけど、鉄が鉄を引っ張ります。
また皆さん、電気の力。 プラスとマイナスがあって、プラスの方からマイナスの方に電流が流れます。
その間に何かを置いたら、電気がついたり、 物を動かしたり、熱を足したり、いろいろな働きができます。
この電流の動きは目には見えません。 しかし、電気がなければ何もできないでしょう。
また皆さんが使っている携帯。 これを共鳴の権利を利用します。
ここで振動を与えたら、この隣の者が一緒にこの振動を受けることです。 それを重複して遠くまで起こることが電波です。
この力で私たちは携帯を使っているのではありませんか。 じゃあマグネティック、電流、電波、
目には見えないんですけど、それがどれほど私たちの生活を便利さを与えてくださるんですか。
では皆さん、今星を見ていますと、空に浮かんでいる状態です。
どうして星が空に浮かんでいますか。 地球もこの星の中で一つでしょう。
どうして世の中で本当にたくさんの星が、
空にそのまま浮かんでいます。 どんな力で
それを浮かんでいるんでしょう。 科学的にいろいろ説明ができると思いますけど、
聖書はヘブライ書1章3節にこう言っています。 巫女は神の栄光の繁栄であり、その本質の完全な現れであって、
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万物をご自分の力ある言葉によって支えています。
今、星をそのまま浮かんでいるその力は、
イエス・キリストの見事場の力によって支えられていると聖書は教えています。
皆さん、これが理解できますか。 大事なのは霊的な力です。
世の中には目に見えない実体があります。 神様、また天使も目に見えません。
悪魔、悪霊も目に見えません。 また、目に見えないんですけど存在しているのは地獄と天国があります。
それを教えてくださることが神様の見事場である聖書です。
人間は霊と魂と体によって存在するんですけど、
どうして霊的なことは見えなくなり、魂と体しか見えない存在になったのでしょうか。
これが罪のゆえだということを、創世記3章は教えてくださいます。
その結果、罪を犯す者は悪魔に直しますと言いながら、第2五輪と4章4節には、
この世の神、この世の神ということは悪魔を意味します。
この世の神が信じようとはしない人々の心の目をくらまし、
心の目ってことは霊的な目です。 ですから、霊、心の目をくらまして、
全世界がイエス・キリストの御言葉によって支えられていることを知らないように、見ることができないようにしているんです。
この全てが罪のゆえです。
私たちがイエス・サムの十字架の恵みを信じて、罪を悔い改め、
神様である悔い改めるなら、聖霊様が恵みによって、私たちの霊的な目を開いてくださって、
それを信じることができるようにしてくださるんですけど、
このようにして信仰があるのかないのか、
これが日取の人生の永遠な運命、永遠の命が書かれてあろうと言います。
この信仰がどれほど大事なのか、神様は私たちを見るときに、その人が信仰を持っているのかだけを見ています。
そしてその人を通して全てを成し遂げられます。
本当に大事なのは、信じる人には不可能がない、信じる通りできるんだということです。
イエス・サムは口癖のようにいつもお話ししました。
あなたが信じるのか、あなたが信じるなら、神の栄光を見るであろう。
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神の栄光ということは奇跡を意味します。
あなたの信仰通りになりますように、あなたの信仰があなたを救った、
信仰、信仰、信仰、信仰と言います。
もう一度言いましょう。
信じるためには、知らなければなりません。
礼儀的なことを知らなければなりません。
どうすれば知りますか。
十字架の恵みで、罪を悔い改めるとき、
今、罪が全てを塞いで見えないようにしているから、
悔い改めるときに、罪を清くしてくださる。
それで、精霊様が、礼儀の目を開いてくださり、
明るく見ることができるように、照らしてくださって、
この全てを分かって、信じることができます。
ぜひとも、ぜひとも、この恵みが私たちに与えられること、
ぜひとも、お願いします。
じゃあ、2番目です。
目には見えないんですけど、存在しておられる神様が、
信仰を表してくださるために、選ばれた民がいます。
その民が、アブラム・イサク・ヤクブによって、
与えられたイスラエル民です。
神様が、イスラエル民に、
生きておられる神様を信じることができるように、
信仰を教えるために、
今日のヘブライシア中1章29節から31節までは、
3つの事件を与えてくださいました。
この初めが、シュチエジプトと豪海を渡る事件。
2番目は、エリコ城の事件。
3番目は、違法の女、ラハブの救いの事件です。
まず、シュチエジプトと豪海の事件です。
ヘブライシア中1章29節には、
信仰によって人々は、まるで陸地を通るように豪海を渡りました。
同じように渡ろうとしたエジプト人たちは、溺れて死にました。
当時、世界で一番強い国はエジプトでした。
その強いエジプトの国で、奴隷の生活していたイスラエル民を、
神様が超自然的な力で彼たちを救われたという事です。
超自然的な中空目の災いを行って、
彼たちを導き出し、そして豪海の海を分けて、
海の中を陸地のように歩いて、
100万人以上の人々を脱出させたという事です。
100万人以上の人が海を分けて、その海の下の陸地を歩いて、
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豪海の海を渡ったという事です。
そしてその次に、エジプトの軍人たちが、
このエジプトのイスラエル民たちを追いかけてくるようにしたんですけど、
それも理由があったんですね。
海が分けられて、皆さん、下の陸地が現れたといったなら、
海が壁になって、両壁には水の壁が生じてしまう。
その中で、皆さんがこの川をずっと向こうまで通るようにお話ししたら、
皆さん通りますか?
水がいつかこれを元の位置に戻るかと思って、
怖くて通れないかもしれません。
ですから、後ろから追いかけてくる、
エジプトの兵士たちが必要だったということです。
また、彼たちがアラノに出た時に、
エジプトの人たちがまた攻撃してきて、
再びイスラエル民たちを奴隷にすることを防ぐために、
彼たちは豪海の海で完全に滅絶させたということです。
神様はイスラエル民の信仰のレベルに合わせて助けてくださったんです。
このような働きをしてくださる神様は一体どんなお方ですか?
イザヤ43章19節を見ますと、
私はアレノに道を敷き、砂漠に大河を流される。
道がないアレノに道を、水がない砂漠に大河を流させることができる神様。
私はこの知見を考えるときに、
これからでもキリスト社たち、主の福音のために、主の栄光のためには、
これからでも、いくらでもこのような知見を、
奇跡を行ってくださる可能性がある神様を、
私たちは信じなければいけないと思います。
豪海を渡ったということは、超神的な働きを通して、
イスラエル人たちがその目的を成し遂げることができるように、
神様を助けることができるお方だということを、私たちに教えてくださいました。
2番目、エリコ城の事件です。
ヘブラリー書11章30節
信仰によってエリコの城壁は、人々が周りを7日間回った後、崩れ落ちました。
イスラエル人たちがカナーンの土地を征服するためには、
その初めの町、初めの城であるエリコ城を必ず征服しなければいけなかった。
しかし、そのエリコ城は、難航不落の城でした。
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また、彼らはこの城の扉をしっかりと閉じて、
彼らはイスラエル人たちの人々の噂を聞いたから、外に出てこなかったんです。
どうすれば難航不落というエリコ城を没落することができますか?
神様はどうすればいいでしょうか?
そのところで、神様はイスラエル人たちに命じました。
1日、人回りをして、7日目には7回回ってから大声で叫びなさいと言いました。
1日人回り、そして2日、3日、4日、5日、6日、7日は7回回ってから大声で叫びました。
そしたら、エリコ城が崩れ落ちました。
これは何を見せてくださるかと言いますと、
神様の見こえを聞いて従うなら、
神様の見言葉通り、奇跡が行われるんだということを見せてくださったことです。
私が驚いているのは、神様の見方も素晴らしいんですけど、
イスラエル人たちが素晴らしかったということです。
40年間アラノで訓練を受けたイスラエル人たちの成熟した姿です。
皆さん考えてみてください。
7日間毎日1回ずつ回ります。
だったら、100万人ですよ。
200万人に近いイスラエル人たちが、そのエリコ城をくるくる回ります。
1日回りました。
城が何か動いたのか見てみますと、何にも動いていません。
6日間少しの動きもなかったんです。
そうしたら皆さん、100万人以上の人々の間で、どんな話が出ると思いますか。
いやいや無理だ無理、これはダメだダメ、できないよ。
神様がいくら言ったとしても、エリコ城は難航不楽の城だからね、
できないんだ、できないんだと言いながら、
だんだん日数が行けば行くほど、参加する人々が少なくなるんじゃないかと思われます。
私たちもしやりなさいと言ったら、
皆さん、昨日まで何にもなかった、できないよ、参加しますか。
しかし、この人たちは7日間、主の命じた通り、その通り行いました。
それができたということは、自分の考えを全部下ろしたということです。
神様の見言葉だけ信じていったということです。
しかし、モーゼではありません。
モーゼの後につく、ヨウシは若いリーダーの話を聞いて、
それをそのまま従ったということは、
成熟したイスラエル人たちの姿を見えてくるんじゃないかと思います。
彼らたちは成熟したから、神様はこのように従う共同体を祝福されて、
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神様は、エリコ城がそのまま何にもしていないのに、
そのまま崩れ落ちるようにしてくださる。
そして、エリコ城を与えてくださり、
それをきっかけとして、カナーの西行く戦争を完成させてくださったんです。
今も私たちの共同体が、まともに見言葉に従って一つになることさえできれば、
神様は、難航不落のようなエリコ城も崩れ落ちるようにしてくださるでしょう。
皆さんに聞いてみましょう。
皆さんの人生で、皆さんの目の前で、難航不落のようなエリコ城は何ですか?
考えてみてください。
私には絶対無理だ、絶対ダメだ、私はできないんだと思っているエリコ城はありませんか?
そのために私は何にもできない、それが壁になって、
もう前に進めることはできないと思っているエリコ城、どうすればいいですか?
神様は、神の御言葉を聞いて、文句しないで、最後まで聞き従いなさいと言います。
そうするなら、必ず主がそのエリコ城を崩れ落ちるようにしてくださったんです。
これが私たちに今、教えてくださることがたくさんあります。
私たちの人生のエリコ城、難航不落の大きな大きな壁になっている城、
それを崩れ落ちさなければ、私の人生が開かれないような大きな問題、何でしょうか?
信仰によって御声に聞き従うことができればと思います。
3番目、違法の女であるラハブの救いです。
ヘブラリスト中1章31節、信仰によってショウフ・ラハブは、
様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れたために、
不自由な者たちと一緒に殺されなくて済みました、と言います。
ラハブはエリコ城のショウフでした。
しかし彼女は神を信じました。
信仰によってイスラエル人たちの偵察に来た人たちを受け入れ、
彼らを通した神の御業に協力しました。
それによって滅亡されるべきエリコ城の中で、唯一彼女と彼女の家族が救われました。
彼女が救われたということは、信仰の本質を見せてくださいます。
彼女は誰もを認める罪人でした。ショウフでした。
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彼女によって堕落した人たちがどれほど大勢いたのでしょうか。
しかし彼女は倫理道徳を行いではなく、信仰によって救われました。
罪人だとしても、信仰によって救われることができるんだということを、
ラハブを通して見せてくださったのです。
彼女はただ救いだけではありませんでした。
信仰によってダビデ王の家門、キリストの家族の中に入ることができる素晴らしい事件です。
そうです。私たちもラハブのように、罪と過ちが多い人です。
しかし、イエス・キリストを信じることによって、自分と自分の家族が救われるだけではなく、
キリストの栄光の玉座に共に座ることができる特権をいただくことができることをお話ししてくださいます。
信仰はこのすべてを可能にしてくださるんです。
皆さん、信仰はどれほど素晴らしいのでしょうか。
私たちができないすべてを可能にしてくださるだけではなく、
信じる人を栄光を輝く存在になるようにさせてくださるんです。
また、この信仰を持っている人によって、奇跡的な働きが行い、
民族を救い、家族を救い、問題がある人たちを癒し、助け、使える働きができるようにしてください。
今、この世の中は救いを待っている人ばかりです。
癒しを待っている人、助けを求める人ばかりです。
誰がその人たちを助けることができますか。
みんな自分の問題で精一杯じゃありませんか。
この人を助けることができるのは、信仰を持っている人たちしかありません。
神様は信仰を持っている人を使って、そのことを成し遂げてくださるんです。
この3つの事件、航海の事件、エリコ城の事件、
違法の女ラーヴが救われたこと、この3つの事件は、
私たちの信仰は何なのかをよくよく見せてください。
ぜひとも皆さん、お家に帰られて、この3つの事件を目指してみてください。
そして、これを自分の人生に適応してみてください。
この働きをどうして信仰の先輩たちが悟ったのは、
神様は愛なんですけど、絶対善の愛、
善知の愛、善能の愛、
すべてを合わせて善を成し遂げてくださる愛の神様だということをみんなが知りました。
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私たちもこの神様を信じることができますように。
3番目です。信仰によって得られることは何でしょうか。
ヘブライ賞中1章32節から40節まで、ヘブライ賞の記者は、
聖遺書に表れているすべての人物を全部まとめて、
信仰によって何が成し遂げられたのかを記録してくださいました。
信仰によって成し遂げられるのは、
快適な部分、表に表される部分もあるし、
私たちの内的にできる部分を教えてください。
まず信仰によって成し遂げられた快適な勝利の働きです。
32節から33節から読んでみましょう。
信仰によってこの人たちは国々を征服し、
正義を行い、約束されたものを手に入れ、
獅子の口を塞ぎ、燃え盛る火を消し、
鶴木の葉を逃れ、弱かったものが強いものになり、
戦いの勇者になり、敵を滅ぼしたと言います。
信仰によってすべてができたということです。
勝利です。勝利。信仰は勝利。
素晴らしい快適には勝利を与えてくださいました。
では内的には何ですか。35節から38節まで、
この世の中を克服して勝ち抜くような、
信仰の内面性を与えてくださったんです。
皆さんこの世の中はキリスト社を嫌がります。
キリスト社を殺そうとするんです。
しかし敵の様々な迫害の中で、信仰によってこのすべてを乗り越え、
信仰によって勝利ができるだけではなく、
この敵を愛をもって使えることによって、
信仰の素晴らしさ、信じる神様の素晴らしさを、
信者たちを通して表したんです。
そうしたら世の中の人々は、信者たちが嫌なんだけど、
羨ましく思うような、そのような矛盾の中で落ちるようになったんです。
その働きができた理由は、皆さん大事なのは、
その人たちは御国に対する希望が強かったんです。
この世に対しては何にも求めませんでした。
主のために苦難を受けることを喜んで担いました。
そして世の人々を驚かせました。
その人々がいつも思っていることは、
この世の中は100年、天国は永遠ということでした。
この100年短い時間の中で、主のために思い存分、主のために生きながら、
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私は天国によって全てを成し遂げろと言いました。
以前、天道寺さんと私はゴルフが大好きで、
何とか天気が良ければ、今日打ちっぱなしでも行こうかなといろいろ考えたところで、
天道寺さんと私はゴルフのクラブを捨てました。
そしてゴルフは天国でやろうと言って、
この世の中では主のために精一杯、完全燃焼する私たちになりましょうと言って、
今は教会をやっているところなんですけど、
それ大事なんです。
モーゼはエジプトの王子様でした。
しかし、自分の民と共に奴隷になりました。
ヘブナイショ中1章、24節からずっと書いてありますけど、
なぜそうしたのか、26節に書かれています。
キリストのゆえに受けるあざけりを、
エジプトの財宝により勝る富と考えた。
与えられる報いを目に向けていたからですと言います。
ステパノは石打ちで殺されながら、
自分を石で殺す人々を神様に許してくださいと祈りました。
初代業界の人々は園芸競技場で獅子の餌食になりながら賛美をしました。
世の中の人々の目には見えないんですけど、
確かに存在しておられる賛美いたいの神様。
世の中の人々の目には見えないんだけど、
確かに存在する永遠な天国に対する希望を持っている人は、
100年しか生きないこの世の中で未練を持ちません。
ですから世の中の人々はどうすることもできなかった。
その人々がこの世の中を信仰によって神のみむね通り変えることができるパワーがあるんです。
最後に、信仰の先祖たちは初めから偉大な人ではありませんでした。
アブラムはよそ者でした。
皆さんヘブライ人ということは言葉時代がよそ者という意味です。
モーゼはエジプトに住んでいるヘブライ人でした。
ダビデは本当の妻から生まれた子ではありませんでした。
諸子出身です。
みんな人生の問題が多かった人です。
弱点が多かった人でした。
しかし彼らは信仰によって生きたから、
人生のすべての弱点を乗り越えて、
神様から持ち入れられる勝利の人、偉大な人になりました。
私たちに信仰がありますか?
信仰があるなら、私たちが持っているすべての弱点、すべての弱さ、すべてを乗り越えることができます。
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神様は私たちの信仰を見て信じる人を祝福されます。
私たちが生きているこの100年、
私たちは信仰を持ってどのくらい快適に現れる勝利の印、
内的にしっかり立っている信仰の印を表すことができるのか。
それによって世の人々が救われ、
私たちは最後の時の苦難、最後の時の迫害を乗り越えて、
主に栄光を与える人になると信じます。
私たちに信仰がありますか?
主を信じたいです。
恵みを与えてください。
私たちになりたいと思います。
お祈り出します。
主よ、私たちをご覧ください。
私たちは何にもできない者たちです。
弱い者です。
私たちは何にも持っていません。
しかし、主が恵みによって与えられた信仰によってすべてを乗り越え、
可能にできるようにしてくださった神様、感謝します。
この信仰を私たちが生かすことができるようにしてください。
もっともっと信仰を増し加えてください。
そして最後の時、主のために思い順番で働き、
主に栄光を与えながら、
みんなが天国に行く私たちにならせてください。
イエス・キリストの皆を通してお祈り致します。
アーメン、アーメン、ありがとうございます。
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