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2023-12-31 24:07

「終わりと始まりの間に」2023年12月31日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年12月31日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
▼メッセージの自動文字起こしはこちら
https://listen.style/p/tokyovinechurch/

マタイ-27「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢 い人に似ている。25. 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台として いたからである。26. わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に 似ている。27. 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」

サマリー

今年の終わりと、来年度の始まりを同時に考えなければいけない時期です。始まるときには、計画が大事ですが、終わるときには、決算が大事です。彼らの人生は、始まりと終わりを繰り返しながら進めていきます。神様の愛と裁きについて考え、今年の人生の振り返りをします。そして、来年度に向けて神様を愛し、隣人を愛する覚悟を持って生きることを願い、主の晩餐式を行います。

終わりと始まりの考え
今日は、2023年度の最後の週のメッセージとして、「終わりと始まりの間に…。」という題をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
始まりがあるなら、終わりは必ず来ます。
今年も始まったばかりと間もないと思っているのに、最後の日が来てしまいました。
このように、私たちの人生も、いつか終わりの日が来るでしょう。
今は、今年の終わりと、来年度の始まりを同時に考えなければいけない時期です。
始まるときには、計画が大事ですけど、終わるときには、決算が大事です。
また、来年度の計画をうまく立てるためには、
今年のことをうまく立てるためには、
今年のことをうまく立てるためには、
うまく評価して、うまく決算しなければなりません。
このように、私たちの人生は、始まりと終わりを繰り返しながら進めていきます。
そして、もっともっと発展していきます。
そして、その結局、ヘブライ書9章27節につながります。
ヘブライ書9章27節。
また、人間には、
一度死ぬことと、その後に、
裁きを受けることに、ことが定まっているように、と言います。
この裁きの結果は、
永遠な天国か、永遠な地獄か、それが決められます。
人生の結局は、怖いんです。
しかし、神様は、すべての人に、
100回くらい、100回くらいの試行錯誤をする、
チャンスを与えてくれます。
毎年、毎年、
ダメだったなぁ、来年度頑張ろう、
ダメだ、来年度頑張ろう、としながら、
私たちは、人生、100歳、120歳まで、許されているところですから、
100回くらいは、繰り返し、繰り返し、
神様は、チャンス、またチャンス、与えてくださいます。
その間に、私たちは、発展して、
神様が喜ばれる、その場所まで、
進み出ていかなければ、なりません。
じゃあ、これから見てますと、
神様は、だいぶ、我慢してくださる方だ、
ということを、私たちは、分かります。
じゃあ、まず、この世の中の人々は、
成功することを、好みます。
また、成功したいと思って、みんな、頑張ります。
ところが、皆さん、誰が、成功した人ですか?
聖書は、歴史書という、聖書があります。
まあ、特に、サムエル・ジョー・ゲイ、という事は、歴史書でしょう。
その、歴史書をよく見てますと、
いつも、対象になる、2人の人が現れます。
サムエル・ジョーは、神様が、
その中で、誰が、成功した人なのか、
神様の観点を、示してくださいます。
じゃあ、はじめに、エリー・サイショーと、
サムエルが出てきます
エリー最首長は当時大最首長として
人生の評価と決算
またその息子たちも最首長の働きをしながら
国を統治しました
当時エリー最首長の家は
世の中で一番偉い人
成功した人のように見えました
しかし神様の観点では
失敗した人
完全なためな人でした
だから最後にイガフォット
神の栄光がそのところから離れてしまったと
言われるほどの人物でした
むしろ幼いサムエルが
神様が喜ばれる人でした
またサウル王とダビデを比べてみますと
サウル王は神の国
イスラエルの初代王として
神の国を統治された人でした
すべての国民は彼の話を聞き従いました
彼は一番偉い
偉大な人のように見えました
しかし実際サウル王は
神様が離れてしまって
神様から見捨てられた人であり
ダビデは神の御心にかなう人として
大きく持ちられる人でした
ところがこのダビデさえも
ダビデは70歳までの人でした
ダビデは70歳までの人でした
ダビデは70歳までの人でした
ダビデの生涯を見てますと
初めは純粋な時期がありました
繁栄の時期もありました
しかしダビデの終わりはためでした
それを見てますと
第一古臨と中小中二節こう言ってます
だから立っていると思う者は
倒れないように気をつけなさいと言います
私たちの人生
油断してはいけません
傲慢になったらこれは大変です
先週はクリスマスでした
クリスマスの意味は
キリストを礼拝せようという意味です
それほどイエス様は
神様であり
世の中で一番偉大なお方ですけど
そのイエス様のこの世の中の生活は
この世的な観点から見てますと
イエス様の人生は完全に
ダビデのようなものです
神様であるのに
この世で赤ちゃんとして生まれ
また馬小屋で生まれました
また職業は一番癒やしい職業を持っていて
永遠の成功と失敗
貧しい家庭で育てて
そして成長していて
それで世の中の人々から
全部憎しまれました
また一番悪い罪人と取り扱われて
十字架に乗って
かけてられて殺されました
イエス様の人生は
完全にダメな人生でした
この世の中で
イエス様ほど悲惨な人はいませんでした
しかし神様が見られるのには
イエス様ほど成功した人がいませんでした
イエス様の人生を決算しながら
聖書はこう言います
ピリッポ2章9節からです
このため神はキリストを高く上げ
あらゆる名に勝る名をお与えになりました
こうして天上の者地上の者地下の者すべて
イエスの皆に跪き
すべての下がイエスキリストは主であると
公に述べるようにされましたと言います
神様は神ご自身より
イエス様をもっと高く上げられ
すべての人がイエス様を褒めたたえるようにしてくださいました
それほど私たちが見るのには
イエス様が一番失敗した方だと思っているのに
神様の観点から見てますと
一番成功したお方でした
ところが当時イエス様の当時の人物
イエス様を十字架にかけるほど大きなパワー
権勢を持っていたピラト
大祭司長バリサイ人の人生たちは
世の中の人たちが見るときには
もう成功した人でした
しかし聖書は人類歴史上一番悪い人として
永遠に非難と呪いを受けるようになりました
ですから皆さん考えてみてください
後になって結果を見てみたら
また後になって死んでみたら
この世の成功は
成功ではありません
この世の失敗は失敗ではありません
成功なのか失敗なのか
その判断は天地の作り主神様
神様が裁き主になって
後世に裁いてくださいます
それでその結果は
永遠な天国なのか
永遠な地獄なのかとして
決算してくださるでしょう
神様のこの裁きは
厳しいですよ
私たちは成功した人生にならなければなりません
ではどうすることが成功する人生なんでしょう
この要的な観点から見てますと
この世の中で出世して
お金をたくさん稼いで
社会的に偉い地位と名誉を持つなら
成功した人生だと言いながら
みんなそのような人になりたがる
そのような心を持っています
しかしこれは人間的な人生です
この世的な判断
この世的な判断です
皆さん人間は不滅です
私たちが死んだら終わりではありません
体は死にますけど
霊魂は永遠に生きます
またこの世は100年ですけど
この後天国地獄は
永遠であることを考えるときに
この世でしばらくうまく食べて
うまく生きて有名になることが
必ずしも
成功ではありません
賢い人は結局
天地万物の持ち主であり
ある主の身宿り生きることが
この世だけではなく
永遠に永遠に成功であることを
分かる人が
ああ人です
そのような意味で
聖書の三条水君は
私たちの人生の成功と失敗を
一番分かりやすく教えてくださいます
三条の水君の中で
今日読んでくださった
マタイ7章24節からです
そこで私のこれらの言葉を聞いて
行う者は
みな岩の上に自分の家を建てた
賢い人に似ている
雨が降り川があふれ
風が吹いてその家を襲っても
倒れなかった
岩を土台としていたからである
しかし私のこれらの言葉を聞くだけで
行わない者はみな
砂の上に家を建てた
愚かな人に似ている
雨が降り川があふれ
風が吹いてその家を襲いかかると
倒れてその倒れ方はひどかったと言います
人生は結局
砂の上に家を建てるか
岩の上に家を建てるか
そのどちらからです
皆さん新しい家を建てて
作っておけば
立派にもう素晴らしいと思うかもしれません
しかしその土台は何でしょう
砂の上に建てた家は
洪水が起こったら
すべて崩れてしまいます
あっともなく消えてしまいますが
岩の上に建てた家は
洪水が襲ってきても
確かにしっかり建てるように
この世の創造主
全世界の持ち主
私たちの地域の人たちが
人生の主観者である
神様の身群れ通り生きることが
岩の上に家を建てることであり
永遠に永遠に成功する人生になることです
では持ち主である神の身群れって何でしょう
皆さん神様の身群れをどうして分かりますか
神の身群れは
神の御言葉である聖書に書かれてあります
ところが聖書全体を
どのように読んで
どのように理解して
そのことをどうして
全部従うことができますか
ですからイエス様が
聖書で一番大事なことを
ふだちゅとして教えてくださいました
マルコ中二章28節から31節です
ある立法学者がイエス様に尋ねました
あらゆる掟の中で
どちらが一番大事なことか
どちらが一番大事なことか
第一でしょうか
と聞くとイエス様は答えられました
第一の掟はこれである
イスラエルを聞け
私たちの主神である主は
唯一の主である
心を尽くし精神を尽くし
思いを尽くし力を尽くして
あなたの神である主を愛しなさい
第二の掟はこれである
隣人を自分のように愛しなさい
この二つに
マサルの主は
おきては他にありません
と言います
イエス様は聖書全体を
要約すると
二つだと言います
第一の今しめ
第二の今しめだと言います
第一の今しめは
あなたの神様を愛しなさい
また第二の今しめは
あなたの隣人を愛しなさい
この二つだと言います
この世的な観点から
私たちが見るとき
どなたが一番成功したのか
今年会社でどれほど
このポストが上がり
またどれほど
たくさんのお金を稼いでいたのか
皆さんそればかり
私たちは考えるでしょう
また子供たちには
今年どのくらい成績が上がり
立派な学校に進学したのか
また結婚して
お家を買って
車を買って
この世の中で
どのくらい幸せに過ごしたのか
私たちはそのことを
成功だと
これが幸せだと
考えているかもしれないけど
神様の観点
神様の愛と裁き
永遠な裁きの観点から見てますと
神様をどのくらい愛して
隣人をどのくらい愛したのか
この二つによって
神様の裁きが行われるということです
この観点から皆さん考えてみましょう
今年私たちは
神様をどのくらい愛し
隣人をどのくらい愛したでしょう
これをもっと具体的に
神様を愛して
何をされたでしょう
皆さん神様に礼拝し
神様に仕え
主の栄光のために
主の喜びのために
私は何をしたんでしょう
また主の教会のために
何をしたんでしょう
主の御言葉を愛して
どのくらい主の御言葉に
口ずさみ
そして目すさみに
牧草し
それに従ったでしょうか
まだ隣人を愛して
何をしたでしょう
隣人を愛し
その人に救済の活動し
その人に仕え
その方たちの救いのために
私たちは何をしたのでしょう
私たちはどのくらい
どうすればいいのか
イエス様が私たちの模範として
信仰と生活と
私益の完全な模範ですけど
イエス様は
マタイ4章23節でこう言っています
イエスはカリラへの中を回って
諸カイトウで教え
御国の福音を述べ伝え
また民衆のありとあらゆる病気や
患いを癒された
私がある人を愛して
どのくらい助けたのか
その人のために
どのくらい祈りを捧げてあげたのか
その方を天国に
導くために
今年の人生の振り返り
その人にイエスキリストを
どのように伝えたでしょう
またその人を
病気を持っている人を
心を切りたいと思って
その方のために
どのくらい
癒しの祈りをしてあげたでしょう
もし私たちが
神様が願われる
この目的に合わせて
私たちのこの1年間の人生を
過ごしてきたなら
神様はこのように約束されます
マタイ6章3節で
マタイ6章3節です
何よりもまず神の国と
神の気を求めなさい
そうすればこれらのものは
皆加えて与えられる
また明日のことを心配するな
明日は私が全て責任を取ってくれろ
私たちは神様が何を一番願っておられるのか
第一の戒め
第二の戒めのポイントを合わせて
神を愛するために
隣人を愛するために
自分の人生を捧げて生きるなら
この世で何を食べて
どこで生きるか
どの世で過ごすか
心配するな
これは私が全部やるから
明日のことも心配するな
神様が約束してくださることです
じゃあこの観点で
今年1年間
神様が私たちに
チャンスをくださったんですが
私たちはどのように過ごされたでしょう
神を愛して何をしたんでしょう
隣人を愛して何をしたでしょう
私たちはどのように過ごされたでしょう
むしろ自己中心的になって
自分ばっかり
自分の家族ばっかり考えて
そのことだけ
どうしようかどうしようかと思って
過ごしてきたなら
私たちの考えることと
神様が願われること
どれほど
この外れ
この違いがあったでしょう
もし私たちが
第一の戒め
第二の戒めをうまくやったなら
大きな
無垢を天で積むことになっているんで
これは私たちが後ほど天国に行ったら
その祝福を永遠に受けるでしょう
また神様が私たちに
もっともっとチャンスをくださるとき
そこにポイントを合わせて生きるなら
天国でたくさんの宝があるから
早く天国に行きたいと思うでしょう
もしそれができなかったら
どうしましょう
これから悔い改めて
来年の天国に行きたいと思うでしょう
来年度は第一戒め
第二の戒めに
ポイントを合わせて
これから人生を過ごしたいと思って
この人生をやり直す
準備をする時期が
今の時期です
私は人生の先輩である
町井さんと
鳩間さんがおられるんで
私はこんな話をするのは
困るんですけど
私は来年度69歳になります
また70にはなってないんですけど
年取っている
何かいろいろな印が
現れているところであります
私が一番尊敬している
韓国の岡野先生がいるんですけど
その方といつも私は比べます
その方は65歳で亡くなりました
偉い先生なのに65歳で亡くなった
だったら私はもう
岡野先生より長く今生きているところでしょう
もうすでに死んでしまうべきなのに
私はこの神の恵みで
余分な人生を過ごして
いるような気が
神様は私をいつ連れて行かれるか
正直に
毎日神様にそれを聞いているところであります
神様は私を連れて行かないで
また生かしてくださるのは
天国で
永遠な天国で
あなたが受ける報いのために
この世で時間を与えるから
もっともっと準備しなさいよ
天国は長いよ
永遠だから
そこで
永遠に祝福されるか
永遠に神の恵みの中で生きるか
そうじゃないかは
これは大きな違いだから
だからあなた今与える
長の時間を通して
もっともっと準備しなさいよ
ということ
牧師だったら牧師道らしい
準備をしっかりして
この世であなたの働きをしっかりして来い
言われるような気がします
皆さんもし
当たり前ですけど
私はいつもこのようなことを考えています
もし来年度も
神様が私たちに命を
一年間また与えてくださるなら
皆さんは
神の身胸通り生きる覚悟ができていますか
神の身胸
第一の戒め
第二の戒めです
神を愛して
隣人を愛して
私の人生を
神のために
隣人のために
精一杯頑張る
そうするなら
あなたが食べること
生きること
あなたがどうすればいいのか
そのことは
私が全部やってあげるから
あなたは第一の戒め
第二の戒めだけやりなさい
じゃあ皆さんどうですか
うまくやりましたか
うまくできなかったですか
じゃあうまくできなかった場合は
今日私はそのことをために
主の晩餐式を行いたいと思います
主の晩餐式は
私の考えでは
人生のやり直しができる
神様イエス様の体
イエス様の血を
私たちがあったり飲ませて
人生をやり直しができるような
チャンスをくださることと同じです
ぜひ今日
一緒に主の晩餐式を行いながら
来年度は必ず主の御前で
うまくやったと言われるほどの
来年度の覚悟と主の晩餐式
人生を過ごしたい
その覚悟を持って
私たちの人生を
今日の礼拝
また主の晩餐式に
参加していただければと思います
お祈りいたします
恵み深い神様
私たちを憐れんでください
神様
今年
私たちや私たちなりに
ご自分の家庭と
子供を育てることと
職場
また教会のために
最善を尽くして
頑張りました
しかし
私たちの家庭と
私たちの力では
うまくできませんでした
主よ私たちは
憐れんでください
来年度は
うまくやりたいです
神様
私たちに神様の力
信仰の力を
豊かに豊かに与えてください
また私たちには
大切な方たちがいます
愛する私たちの子供たちのため
また間もなく
生まれになる
赤ちゃんのために
また年取っておられる
年配の方々のために
また私たち教会の
信徒皆さんのために
どうかどうか
主の豊かな恵みと
憐れみを
お与えください
また今年は
うまくできませんでしたが
万事が益となるように
全てを合わせて
善にやらせてくださる
神様を信じます
私たちを助けてください
イエス様のために
神様の御名によって
お祈りいたします
アーメン
では賛美歌1節2節を
賛美しながら
主の晩餐式を
お祈りします
24:07

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