東京ぶどうの木教会 2024年11月17日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
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(聖書) 哀歌3:19-25 苦汁(くじゅう)と欠乏(けつぼう)の中で/貧しくさすらったときのことを20. 決して忘れず、覚えているからこそ/わたしの魂は沈み込んでいても21. 再び心を励まし、なお待ち望む。22. 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。23. それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。24. 主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い/わたしは主を待ち望む。25. 主に望みをおき尋ね求める魂に/主は幸いをお与えになる。
メッセージ題 : 憐れみ深い神様に感謝しましょう (哀歌3:19-25)
*収穫感謝礼拝!一年間を振り返りながら感謝することが沢山ありますが・・・何より信徒皆さんに感謝します。狭い家庭、インフラもないところで6年間、我慢してくださています。それはまさに!カタコームでの初代教会の信者と、アメリカ新大陸で移住したピューリタンの信仰と似ています。なぜ地下カタコームで隠して礼拝を捧げたでしょう?キリスト者として当たり前の十字架と思ったでしょう。なぜ新大陸に移って寒さと疫病と飢饉で死ぬまで苦労したでしょう?真の信仰を守る為
1.皆さんもビジョンを持って我慢してくださったことに感謝。その中で何より感謝は?十字架の福音を。
*なぜ十字架の福音でしょう?―>マルコ2:22新しい革袋に新しい葡萄酒が与えられるから!聖霊のリバイバルの為には、ただ熱心ではできません。正しくやらなければ!何が問題でしょう?自己中心的ではなく、神中心的に。=神の手を求める信仰ではなく、神の御顔を求める信仰を!
―>二つの信仰の違い?感謝を見ると分かる。条件的な感謝なのか、無条件的感謝なのか!
*また、なぜそれが大事なのか?マタイ7:13‐14 正しい信仰生活は?命に通じる門は狭い門細い道!しかしその道に行ける人は?神の御顔を求める人だけが行けるから!しかしその道には、孤独、十字架、不便、迫害、苦労が。条件的感謝する人は行けない、御顔を求める人だけ。
2.私たちの教会、16年目、ここにきて6年目、十字架の福音を求めていますが・・・足りないことばかり
どうしようかと思っていましたが・・・詩篇106偏と哀歌3章を読んで・・・感謝が出ました。*詩編106編は、長い間イスラエルをエジフトからカナンまで導かれた神様を振りかえて見ながら書いた詩編。また哀歌はイスラエルがバビロンの捕虜と連れて行かれるときの詩ですが・・・詩篇と哀歌の記者は感謝します。彼らは感謝する条件ではなかったです。しかし何に感謝するのか?―>実際、エジフトから解放され紅海を渡るとき賛美しました。しかし荒野に入ったら?神様が荒野の訓練をされた理由?出エジフト19:5,6彼らを祭司の王国として全世界を救いたかった。その為に奴隷の内面性を王なる祭司長の内面性に変えようとされた。しかし彼らは少しの不便さに不平をしカナンに入ったら世の習わしに同化され罪を犯していた。神様は異邦人の手に渡され苦労を与えたが、叫び求めるならいつでも憐れみ救われる神様を見ながら・・哀歌3:33
*究極的に神様は、彼らに対する夢を消さないで長く長く待っておられ、結局メシアを送られた
3.なぜこの話を?私たちにも同じです。回復とリバイバルの夢を与えて下さり、10年以上・・・しかし!
*私たちが新しい革袋を準備するのに上手くできないとき、主が捨てられると思ったら?しかし哀歌3:22₋25慈しみは耐えなく、待ってくださる神様!それによって、今年できなくても、希望が*教会の子供たち、2世たち、お年寄りも皆さんを長く待って憐れみと恵みを与えて下さる神に@皆さん、今年本当にお疲れさまでした。来年度も再び憐れみの中で助けを与える神様を信じるとき、希望があります。詩編106:48特に、子供たちを考えるとき・・・無限な可能性と神の憐れみで