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2021-11-14 31:31

「子供たちを祝福されたイエス様」2021年11月14日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年11月14日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄   聖書の箇所/マルコ-16 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。14.しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。15.はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」16.そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。/ヨハネ3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

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今日は、子どもたちを祝福されたイエス様について 一緒にメッセージを分かち合いたいと思います。
収穫の秋、中1月になりました。 今年はどんな収穫がありますか。
私たちに一番喜ばしい収穫は何でしょうか。 私たち親は
親に何か良いものがあることよりは 子どもに良いことがあることを本当に望んでいます。
自分より子どもが もっともっと神様から祝福されたいなぁと願っています。
イエス様の時代、また今の時代も 人々に対して子どもという存在は
面倒な存在、面倒なものだと言われています。 しかしイエス様はそうではありませんでした。
じゃあ今日、子ども祝福式に際して 神様が私たちに与えてくださった子どもに対して
私たちはどのように思っていかなければいけないし またどのように育てていかなければいけないのか
それを一緒に考えていきたいと思います。 答えはイエス様のようにしなければいけないんですということです。
今日はイエス様は子ども祝福されたということ。 子ども祝福されたイエス様について一緒に考えていきたいと思います。
まず今日読んでくださったマルコ10章の この初めの部分を少し考えていきましょう。
マルコ10章の初め3節から中2節までは イエス様にパリサイ人たちがやってきました。
そして離婚について議論をし始めたんです。 離婚についてずっとお話を議論しているところで
いきなり中3節に見ますとイエスに触れていただくために 人々が子どもたちを連れてきたと言います。
イエス様とパリサイ人たちと 深刻な話をしている途中で
誰かがいきなり子どもたちを連れて イエス様から祝福いただくために入ってきた。
その雰囲気を考えてみてください。 離婚、会員
このような主題で今話をしている。 その中で子どもたちが入ってきたら皆さんどうやりたいですか。
だから弟子たちが 出て行け出て行けここに来るな来るな
と言う 連れて来る子どもを叱ったという言葉があります。
ところがイエス様は違いました。 中4節に見ますと
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しかしイエスはそれを見て息通り 弟子たちに言われた
子どもたちは私のところに来させなさい 妨げてはならない
なぜイエス様は息通りを感じて 叱られることを人たちに何とか逆に叱られるこのような話をされたんでしょうか。
それは イエス様が子どもたちに対していつも持っている
イエス様のお考えがあったからです。 じゃあそのお考えは何でしょう。
子どもたちこそ神様が一番喜んでおられる存在だということです。
なぜなんでしょう。 子どもたちが
実は皆さん赤ちゃん子ども 子どもたちが
人間のもともとの姿に一番似ている姿なんです。
子どもたちは未熟だけど純粋です。
また子どもの特徴は心の中で
双心がないということが大事でしょう。 ですから双心がないから
子どものこの顔から出てくる 微笑み
と言うんですかね。 赤ちゃんの微笑み
これは世の中のすべての人々を喜ばせる
世の中で一番美しい これが赤ちゃん子どもたちの微笑みなんです。
私たちはそのような表情を作りたいんだけどできないほどの 不思議な表情を持っている存在が子どもたちです。
また子どもたちの生き方が大事です。
神様が喜ばれる生き方です。 子どもたちは心配をしません。
私たちは心配をするんですけど 子どもたち赤ちゃんは心配をしないんです。
母に全部委ねます。 母を信頼します。
母に従います。 子どもたちは母だけで十分なんです。
これはこの姿勢は私たちがこの子どもたちに学ばなければいけない姿勢なんです。
心配することをやめましょう。 また
自分がなんとかなんとかしながら まあいろいろ不満不平することをやめましょう。
神様を信頼しましょう。
また子どもたちは無限な可能性があるからです。
無限な成長の可能性があります。
マルコ4章でカラシ種の
カラシ種のたとえがあります。 これは天国のたとえだと言いますけど
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これは事実子どもたちの可能性に対するたとえなんです。
マルコ4章31節32節 カラシ種のようなものである土にまくときには地上のどんな種よりも小さいが
まくと成長してどんな野菜よりも大きくなる。 葉っぱの陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張ると言います。
子どもたちは事実どれほど大きな存在になるか 大きな人物になるかは誰もわかりません。
ですから子どもをよく教え導く
教育の大事性 よく教えてよく育てるなら
神の国で大きな大きな存在になります。
無限な可能性があることが子どもたちなんです。 また子どもは
神の国の継承について一番大事な鍵を持っています。 この教会も同じです。この教会がこれからどのように展開していくか
もっともっと大きな働きができるかできないかは 事実私たちではなく理解におられる私たちの子どもたちに書かれてあります。
神様の国 神の御業は子どもたちに将来がかかっている大事な大事なことなんです。
神様は継承を一番大事に思っています。 今私たちはこのように教会を建てて何とかやっていますけど
この教会の本当の価値は 私次に来る牧師先生にあり私たちの次に来る子どもたちの働きがどうなっていくのかが
私たちがうまくやったのかやってないのかに書かれています。 神様がなぜアブラムに信仰の先祖という名前をつけたんですか
アブラムはアブラムだけじゃなくて アブラム・イサク・ヤクプ・ヨセプにずっとこの信仰が継承されていたからです。
継承がない信仰は神様に対しては 喜ばないのではないかと
神様が一番大事なのは信仰の継承なんです 信仰の継承の鍵は子どもたちが持っています
このような無限な可能性と希望を持っている子どもたちを 大切にしなければいけないでしょう
ですからイエス様は離婚の話 いろいろな議論の中で子どもが入ってきたら
子どものために話題をちゃんと変えます そうしながら子どもたちを祝福され歓迎されたと言います
本当に肝に銘じるべきことがあります 神の国は子どものようなものにものが入るところだということです
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今日のマルコ14節15節 神の国はこのような者たちのものである
はっきり言っておこう 子どものように神の国を受け入れる人じゃなければ
子どものように神の国を受け入れる神様を受け入れる人じゃなければ 決してそこに入ることができない
要するに子どものようにならなければ 天国に入ることができないということです
事実この話をした対象はバリザイ人だったんです 彼たちはすごく偉そうにしました
自分たちは聖書もよく知っているし 立法を守る熱心もあったし 信仰生活もすべてのことを他の人の模範になるほど熱心にやったから
自分の努力で自分のご厚労によって 神様から喜ばれることを自負したということでしょうか
神様から間違いがない 私たちは神様から喜ばれる存在だということを本当に誇っていました
だからイエス様から聞こうとしないんです 本当に傲慢だったんです
先週金曜日の起動会で マタイの中古書7節から9節を分かち合いました
その時イエス様 あなたたちの熱心は偽善だと 偽善
神様に頼らないで人の虚空に頼って そこにもどついて礼拝するから
あなたの礼拝も受け入れられないし あなたの信仰生活も神様には受け入れられないんだと言いました
それほど神様が見るのには全く違うのに 自分たちは神様が一番喜ばれると誇りを持っていたんです
皆さん 私たちは初めは純粋だったんです
しかし年を段々とっていく間に 世辞か この世に染まってしまったと言いましょう
また二股かける生き方が慣れています 神様だけではありません
神様も他の子ども 両方を委ねながら何とか良いことを選ぼうとする
何とか悪賢さが私たちに身についているのではありませんか
そのような神様が純粋 清いということはシングルフォーカス
神様だけということなんですけど 私たちは二股かけています
神様を見られるのが一番汚い 礼的な状態なんです
このような私たちがどうすれば子どものような純粋で 神の前で謙遜で
神だけを愛する存在になれるか
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どうすれば子どもみたいになりますか
聖書は道を教えてくださいます 新たに生まれなければいけないと言います
どのようにすれば新たに生まれることができますか
ヨハネ3書5世紀です
イエスはお答えになった はっきり言っておこう
誰でも水と霊とによって生まれなければ 神の国に入ることはできないと言います
水と霊といったときに 水は真理の御言葉を意味します
私は詩編119編は 御言葉に対する一番素晴らしい聖書です
119編の130 私はこの聖書好きですね
御言葉が開かれると光が差し入れ 無知な者にも理解を与えます
御言葉を開くと光が出る
この御言葉の光で無知な人が賢くなるんだ
御言葉は私たちを清めてくださるし 私たちの霊を豊かにしてくださるんです
また聖霊 霊は聖霊様を意味しますけど
聖霊の働きは大事です
ティテオスは3章5節の下の部分を見ますと
この救いは聖霊によって新しく生まれさせ 新たに作り変える新いを通して実現されるんだ
聖霊様は私たちを霊を洗ってくださって 清めてくださるし 新たに生まれさせてくださる
使徒行伝2章7節には神様の幻 神のビジョン 神の予言によって
私たちの考えと心と霊を 全く違う人のように変えてくださると言います
そして第2コリント5章7節
だからキリストに結ばれた人は誰でも 新しく創造されたものである
古いものは過ぎ去った 新しいものになったと言います
そうです どうすれば子供みたいになれるか
新しくならなければいけません
ですから新しく生まれるということは 人間的な努力 学び 人間の修練によってできることではなく
見事ばと聖霊によってできることです
見事ば聖霊をいただいて そして悔い改め 悔い改めによって
私たちの霊と心と考えが全く違う人として 変わっていくこと
そしてそれで満足したらいけません
毎日毎日 聖霊10万を維持していかなければなりません
新たに生まれたと言いながら
昔のように 自分の昔の堕落した本性に従ってしまえば
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自分も分からないうちに パリサイビトのような寄附者になってしまいます
ですから私たちはいつも見事ば聖霊
本当にそこに委ねて 毎日毎日自分自身を
聖霊10万 悔い改め続けることは大事です
特に今日の聖書では
イエス様はパリサイビトと他の話題で お話をしのうしているうちに
子供たちが入ってきたら 優先的に子供たちを受け入れながら
子供たちは祝福しなければいけないと言われました
マルコ シュッシュ チューセット ロクセット
そして子供たちを抱きあげ 手を置いて祝福されたと言います
大人の対話の中で いきなり入ってきた子供を
喜んで受け入れ祝福されるイエス様
このようなイエス様を私たちはわかっているなら
これから私たちは子供たちを どのように育てればいいでしょう
まず大事なのは 子供たちをイエス様のところに 連れていかなければなります
皆さん 親たちは 親はバカと言うでしょう
親たちは欲張りがあります
特に子供に対しては これは自分のものだと思います
だから自分自身が昔 夢を見ていたんですけど それができなかった分
全てを子供たちに乗せて
私はできなかったんだけど お前はやってくれという要望をするんです
そして子供の時から勉強勉強
そして英語を学ばせるために 早めにアメリカに留学する人たちもいます
また子供たち 学校が終わって アフタースクールで塾に行って
もういろいろな項目を学んでいるところ
皆さん 子供たちがかわいそうではありませんか
親は親の熱心で子供たちをうまく支えていくなら
立派な子供になり 他の子供と競争して勝てる子供になれるんじゃないかと
親たちは考えています
しかし 親ができる領域が限りがあるんです
親は神様ではありません
神様だけが守られる 神様だけが教えられる領域で
親ができる分は本当に本当に少ないし それもあまり効果がありません
ですから自分が子供に対して 何でも何でも私の指示に従え
私の父みたいに父の話に従いなければ 鞭を打たれるほど
自分の意思通りにやらなきゃいけないという
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やめましょう
イエス様に手合わせましょう
子供たちをイエス様に手合わせる方法は何ですか
簡単です
教会に連れてくればいいんです
教会は立派な先生たちが待っています
みんな喚言してくれます 祈ってくれます 助けてくれます
だから自分も助けるんだけど
子供たちを教会に来て 神様に手合わせることが大事です
2番目に 子供たちをイエス様に任せましょう
親がうまくやってあげる
どこまでどこまで親が全て助けてあげる
倒れた人も親がどうしようどうしようとしながら
その子供たちは自分なりに立ち上がることができるのなのに
子供を親が立ち上がらせるために
そうしたら私みたいなママボーイになってしまいます
子供たちをママボーイにやらせないでください
また子供たちを遠ざけて
そして子供を面倒見なければ 子供たちを傷つけてしまいます
どうしたらいいんでしょう
近くなれば近くなるほど問題があるし
遠くなれば遠くなるほど問題があります
じゃあ
そのために子供たちに
幼い時から
微言葉を教えるんです
祈りを教えるんです
それを通してイエス様に手を合わせることが大事
そしてイエス様の恵みと祝福の中で
子供がイエス様が面倒を見て
イエス様が助けて
イエス様が育てるようにしていく方法を
ぜひとも親は身につけなければなりません
ここに母親の役割は大きいです
いつも皆さんに申し上げるんですけど
国際イエス伝道団の ローレン・カーミンゲン先生の話を
今日も申し上げましょう
これは本があります
神様 あなたですか ということです
Is that really you, God? という本です
私は読んだことですけど
ローレン・カーミンゲン先生が幼い時に
そのご両親は巡回伝道師だったんです
だからアメリカのあちこちに伝道師に行って
そこでテントを張って そこで伝道する
そのような方だったんですね
経済的に非常に難しい状況でした
家族の食料費が1週間で5ドル
ある日 母親は夕食の準備で忙しくて
5ドル 紙幣をローレン・カーミンゲン先生に与えながら
これを持って行って牛乳を買ってこい
5ドル これが今週の食料費だから
これを気をつけて管理しなさいと言われた
だから幼いローレン先生は
それを少しおっかのところから
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牛乳ショップに行くために
山道をずっと下って行って
それで行きながら いろいろ面白いことがあったら
そこで少し遊んだりしながら 牛乳ショップに行ったんです
牛乳を買って計算しようとしたら お金がなくなったんです
大変だと思って すぐお母さんに戻ってきて
母親 牛乳ショップ お金がなくなりました
その話を聞いたら 皆さんどうしますか
このやつ 5ドルが今週の食料費なのに これを忘れたのか
殴りながら叱りながらしてませんでした
母親はそれを聞いて しばらくはどうしようという考えがあったんですけど
その次 ローレンは この子供の前でこう言うんです
神様はそのお金がどこにあるのか 分かっておられるはずだ
一緒に祈りましょう
そしてローレンと一緒に祈ります
主よ この5ドルの紙幣はどこにあるのか あなたは知っています
教えてください
そしてローレンの手をつないで
今来たこの道をもう一度ずっと歩いていくんです
そうしながら 神様はここにあるんだと言っている
そして暗くなっているその時に ある木の下をずっと探しながら
ここにあるね そしてこれを探し出すんです
皆さん このようなお母さんによって育てられたローレン
その方が次に全世界の指導者たちを教育させる
ウェーム YWAMのリーダーになりますけど
その時 母親から神の声を聞く方法を学んだんです
私のお母さんは神様と対話で全てをやっているんだ
母親は神様の友達のようだ
母親が祈ったら神様が何でも教えてくださるんだ
それをお母さんたちは子供たちに見せてあげなければいけません
祈るなら全てが神様が教えてくださるんだなと
誰がそれを教えていますか
親じゃなければできません 特にお母さんじゃなければできません
私はいつかセミナーでこの話を聞いたことがあります
大勢のアメリカの選挙主たちは 子供の時にイエス様に出会って検診した
その時から持ち入られた
ですから幼い時から神様に対する熱心を持って
世界選挙がこんなに立派に行われたと言います
24:01
私はそのことはアメリカのお母さんたちのおかげだと考えています
私は40歳になって神様の招きをいただいて
新学校に行ってそれから仏会が始まったんですけど
それから今になってやっとメッセージが自分の手で作られた
昔はコピーすることが多かった
今はやっと自分の手でメッセージを作ることができる
今から本当の仏会が始まるんだなと思うんですけど
66歳です
私は引退する時期が近づいて
次の僕先生を探さなきゃいけない このような時期になっています
気の毒ですね
皆さんお願いします
人生の早いうちにイエス様に出会って
さまよいことをしないで主に持ち入られることを
子供たちにぜひとも教えてあげてください
これが大事なんです
人生の早いうちに神様に出会ったら
神様はこの子を作られた 創造された この世に送ってくださった
理由を神様が持っています
神様それを聞かれる時に 自分の人生の目的がわかります
その子供が一番確かな子供になるでしょう
迷いがない 人生の迷いがない
皆さん子供たちは私たちの先生です
私たちが子供の心を持つなら
私たちの心に神の国が望むでしょう
幼い時に私たちが持っていたこの純粋さを
私たちは取り戻すことができればと思います
今年を取っているのに 子供のような心を持っているなら
世の人々は嘲笑うかもしれません
しかし神様は喜ばれます
マタイ古書8節
心が清い人が幸いである
その人たちは神を見ると言っています
その人だけが神に出会って天国に入ります
子供たちから学びましょう
次は余談ですけど
前回私は韓国に行ってきました
コロナの中で大変皆さんの助けをいただきながら
韓国に行ってきたんですけど
私はそこに行った時に
90歳の私の母を
私の姉と2人の弟が介護をしているところです
私は長男ですけど
それを日本にいるのでできないのでしょう
3日4日くらい一緒に生活しながら
どうするのか
27:00
私はなかなか介護の知識がなくてできなかったです
うまくやりましたよ
訓練ができている状態でした
私の母を姉と弟たちが
食事をスプーンで食べさせるんです
大小便を助けてあげるんです
ベッドに横になる時も椅子に座る時も
またすべて動く時
車椅子とか歩行機とか
それですぐすぐ手合いしながら助けました
そうしながら母に声をかけるんですけど
それが昔私たちが母から聞いたその声でした
これ食べましょう
ああうまくやるんだ
うまくやるんだ
母うまくやりました
今もおしんこは問題ないんですけど
対弁 難しいですね
ああこれをうまくなさいました
と言ったらもう私は日本でから晴れるよ
と言って向こうはバンザイと言いながら
子供たちがああよくやりましたと言ってます
昔 母が私たちを育てる時
母がやったこと
自分の子供たちが今自分にそのような声をかけながら
昔やったこの手伝いを
子供たちが全部やっているところなんです
ああそこで私はいろいろ考えることがありました
昔私たちは赤ちゃんとしてこの世に来ました
私たちはこの世を去る時が来ました
去る時はまた赤ちゃんのような姿で
帰るかなということです
その時大事なことがあります
生まれる時はある父母の子供だったんですけど
帰る時は必ず父なる神様の子供になって
帰らなければいけないということです
赤ちゃんとして来て赤ちゃんとして帰る
帰る時は必ず父なる神様の子供になって
帰らなければいけないんだということ
ぜひともぜひとも覚えていただきたいと思います
そのために私たちはこのように
この世の中に染まることではなく
子供の時に持っていたこの純粋さと謙遜さ
神様に対するその心をよくよく
私たちが保っていっていくことが大事だと思います
最後に私たちにプレゼントして
与えてくださった子供たちは神様のものです
本当に本当に神様に対して大切な大切な存在です
30:04
むやみに接することではなく
イエス様のように愛で祈りで
見言葉によってうまく助けて
神様が喜ばれる
神様が持ちられる立派な立派な大人として
私たちが助けていきましょう
今私たち教会が一番力を入れる部分は教会学校です
教会学校の教師の皆さんありがとうございます
本当にお疲れ様です
私たちの教会は子供がいるから幸せです
もともと子供によって幸せになる教会になっていきたいと思います
親の皆さん先生の皆さんこれからもよろしくお願いいたします
お祈りいたします
主よ私たちの教会私たちの家庭に
子供たちを与えてくださってありがとうございます
イエス様のように子供を大切にして
子供たちのために祈り教え助け祝福しながら
愛の心を豊かに豊かに注ぎながら
うまく育てることができるように恵みと祝福を与えてください
イエス様の皆を通してお祈りいたします
アーメン アーメン
31:31

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