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2025-12-28 29:01

「人生は競走(レース)です」2025年12月28日のメッセージ

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東京ぶどうの木教会 2025年12月28日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書)

 マタイ25:31-36「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、33 羊を右に、山羊を左に置く。34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

 

 

メッセージ題:人生は競走(レース)です。(マタイ25:1-10)

*25年度の最後の主日礼拝です。一年間、皆さん、お疲れさまでした。2025年度に難しいことが…国際的には、戦争と戦争のニュースで、アメリカの関税と経済の萎縮、地震と津波の恐れで…個人的には、ご自身の体の弱さと病によって、また家族皆さんに仕えるのに…自分の十字架を背負うのに…

 

1.聖書は、私たちの人生を競走(レース)と言われています。

*ヘブライ12:1自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか!一年間、皆さん、お疲れさまでした。それによって生活が豊かになりましたか?成功、出世?子供たちの成長、発展?

*昔、私は、母の為に勉強すると!母の喜ばれることが一番嬉しかったから。それからは家族の為に、私はお金を稼ぐ機械でも良いと…皆さんも同じでしょうか?→しかし、キリスト者はもっと大事な目標の為に!それは私たちの永遠な人生の為に!

*人生に一番大事なこと?この世は100年、天国地獄は永遠であることを肝に銘じるべき。ヘブライ9:27もし、熱心に働いて成功し、やりたいことを成就しながら、死んで地獄で永遠をいきるなら?そのようなことが無いように、イエス様は、ルカ16章で、予め示してくださいました。金持ちの人生?死後、地獄の火の池で水一滴、得られなく苦しむ姿を!それが現実です!もし、愛する子供たちがそのようになるなら?絶対そんなことがあってはいけません。救世軍の創始者の叫び?地獄を経験してほしい?そうするなら人生の目標はただ一つになる!何があっても絶対、地獄は行かないように!→では、天国はどのようにいけますか?罪を犯さない、悪魔の誘惑に勝つ?できない。従って、主の祈りで…神様はイエス・キリストの十字架を通して、赦しと和解の道を備えられ、「悔い改めてイエス様を信じなさいと」→救いは告白だけで、救われた後、イエス様に従うこと

聖書は、救われた後の信者の相応しい生活に対して沢山書かれてあります!その生活が救いの証拠!

*パウロの告白?ピリッポ3:13,14&Ⅱテモテ4:7*世の中の人の走り?vs.キリスト者の走りは…

 

2.救われた人として走るべき道は何ですか?それはイエス様が走られた道ですが…

*聖書は、3つの道を教えてくださいます。それを持って、今年の信仰生活を振り返って見るように…

1)聖書は、狭い門、細い道に走りなさいと。マタイ7:13広い道で歩む人は多い、安心になるから。しかし、救いの道は細い道であると、従って虐められることを覚悟しなければ!キリスト者1%の日本…?

2)聖書は、御言葉に従う道に走りなさいと。マタイ7:24砂の上に建てた家、石の上に建てた家?=御言葉に従って生きること。いつもPLOの生活を強調しながら、いざ牧師自身はどのくらい従ったのか?

3)聖書は、愛の道に走りなさいと。聖書は最後の裁きの光景を予め示してくださいますが、マタイ25:31-36。イエス様は、徴税人と罪人の友だと言われています、マルコ2:16,17それは彼らを救う為に…

私は、一番うまくできなかったこと!→皆さんはどうですか?上手くできなかったなら・遅くないうちに

 

3.神様はイエス様を通して、驚くほどの恵みを…それは、「やり直しの祝福!」←その為に十字架を!

*マタイ26:26-28主の晩餐式で、パンを分け与えられたのは?杯を渡されたのは?→イエス様の血潮によって私たちの罪と過ちを赦され消される為に!パンを渡されたのは?イエス様の力によって生きるように!@主の晩餐式を通して2025年度の過ちを清くして、2026年度はイエス様の力で出発です。

サマリー

このエピソードでは、人生を競争に例え、永遠の目標に向かってどのように走るべきかが語られています。特に、聖書の教えを通じて狭い門や細い道を選び、神の道を歩むことの重要性が強調されています。また、人々が愛を実践し、神の道をどのように歩むかについても論じられています。イエス様の十字架の恵みや晩餐式を通じて、再出発の重要性が伝えられています。

人生は競走です
今日は、今年最後の集中礼拝のメッセージとして、「人生は競走です。レースです。」というメッセージを分かち合いたいと思います。
今年最後の集中礼拝です。皆さん、一年間本当にお疲れ様でした。
この一年間、たくさんのことがありました。
まず国際的には、戦争と戦争のニュースがいろいろ飛び交っていました。
また、アメリカによる関税、それによる経済的な萎縮、また地震のニュースがいろいろありまして、
災害の大国、日本は、本当に恐怖の中で皆さん過ごされたのではないかと思います。
また個人的には、様々な病気がありまして、おいどりおいどり苦労されていました。
また家庭的には、家族の中で痛い方がおられて、面倒を見たり介護されたり、いろいろなこと、皆さん本当にお疲れ様でした。
聖書は、私たちの人生を競走と言われます。
ヘブライ賞・中二賞一節。
こういうわけで、私たちがまた、このようにおびただしい聖人の群れに囲まれている以上、
すべての重みや絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、と言います。
聖書は、毎日毎日私たちに与えられている、過去個人に与えられているこの競争、これを力強く走り抜こうではありませんか、
諦めず、言い訳しないで、それを最後まで守りつきましょうという話をしてくださいます。
じゃあ、皆さん一年間、本当に熱心に走ってこられました。
たくさんのことを成し遂げたでしょう。
皆さん、ご自分が今年何をしていたのか、一回書いてみたらどうですか。
私と息子はこれをやってみました。
息子なりに大きな道ができたという、これは秘密なんですけど、
今年はこれができたと言って、自分なりに何とか満足する気持ちがあって、うれしいなと思いました。
毎年毎年少しのものでも、何とか頑張って成し遂げていって、
今年はこれができた、来年度はこれからもっともっと何か目標を達す、
このような楽しみが子どもたちに与えられればと思います。
以前の私は、なぜ勉強するのかと言われたら、母を喜ばせるためにと言いました。
小学校の時、成績が少し良くなれば、母がものすごい喜ばれるんですね。
母の喜ばれる姿が、もう私には全ての満足でした。
だから、母を喜ばせるために、本当に熱心に勉強しました。
それから結婚してからは、家族のために熱心に会社に勤めました。
私はその時、もう私のためには何もいらない。
私はお金を稼ぐ機械だからと言いながら、家族を本当に何とかたくさん稼いで満足させようと頑張りました。
皆さんも今そのように過ごしておられるのではありませんか。
しかし、キリスト者はこの上、もともと大事な目標が必要です。
これは、私たちが永遠な人生を準備することがあります。
この世の中で何が一番大事ですかと言ったら、皆さん何と思われますか。
牧師である私は聖書から、この世は百年、この後裁きがあり、この後天国か地獄に定められるので、それを準備することが大事だと申し上げたい。
また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているようにと言われています。
私たちは裁きを目の前にして、今人生を走っています。
私たちが生きていた全てが裁かれます。
それによって、永遠な天国、永遠な地獄に分けられるでしょう。
この世で熱心に過ごして、成功して、たくさんのことを成し遂げ、それから地獄に行くと言ったら、この百年の人生、どれほど虚しいでしょう。
ですから、イエス様がルカの16章の金持ちとナザロの例を通して、それをあらかじめ教えてくださいました。
金持ちはこの世でうまく過ごしました。贅沢な暮らし。しかし彼は死んで地獄に行きました。
彼は火の池の中で水一滴を求めながら苦しんでいる状況が聖書に書かれてあります。
もし私たちが地獄、火の池に入れられ、水一滴を求めながら永遠を過ごすようになるなら、どれほど怖いものでしょう。
聖書はそれをあらかじめ私たちに示してくださったのです。
私はたびたびこのような祈りもします。私たちの教会、子どもたちは私の命です。
子どもたちが好きで好きでたまりません。子どもたちはもう私の命です。
子どもたちの中で一人でも地獄に行くなら、代わりに私が行きます。
子どもたちは絶対地獄に行くことはないようにしてください。
当たり前じゃありませんか。私が正しくうまく教えられなかったから、そのようなことが起こるでしょう。
だから全て私の責任になります。
皆さん、私たちの一番大きな関心、まだ準備することは、絶対地獄にはいてはいけない。
信仰の道を歩む
絶対天国に行かなきゃいけない。
何回も申し上げますけど、旧清軍の創始者であるウィリアム・ブースという人が、
新学校の卒業式で、これから僕たちになる新学校の卒業生の前で、
私は、あなたたちがたくさんのことを学ぶよりは、
これから私たちの、後ほど私たちに行われる天国、地獄を、
それを少しでも何分でも見てほしい。
私たちはもし地獄を見てきたと言ったら、これから私たちの人生の目標はもう何にもない。
ただ一つになる。その地獄には絶対行ってはいけない。
だから、100年人生を過ごしながら、どうすれば地獄に行かないか、
それをいろいろ工夫しながら、そこに集中するでしょう。
私たちはどうすれば天国に行きますか。
私たちの力ではできません。
私たちの力では、罪を犯さないこともできないし、悪魔の誘惑に勝ち抜くこともできません。
イエス様が教えてくださった主の祈りの中で、
いつも祈ること、私たちの追い目を許してください。
私たちも私たちに追い目のある人たちを許しました。
私たちを試み合わせないで、悪よりお救いくださいと祈りなさいと言われました。
結局、罪と誘惑を勝ち抜かなければ、私たちはもうこれから悲惨な状況になるから、
イエス様はこれは、慈悲、日常の糧を求めて、
それから罪の問題、また悪魔、誘惑、それを勝ち抜くことができるように祈りなさいと言われました。
それでも私たちはなかなかできなかったので、神様はイエス・キリストを送ってくださって、
十字架で罪の問題、罪の罰である呪いの問題、悪魔の問題、全部解決してくださって、
悔い改め、復縁を信じなさい、そうすれば救われると教えてくださいました。
世の中で一番大事なことは救いです。
救いはイエス様の十字架の地上に委ねるしか道がありません。
ですから、キリストには帰られませんと言います。
ところが、救われることは信仰告白の瞬間、成し遂げられます。
それから私たちはどうなりますか。
直ちに天国に行けば一番いいんですけど、この世の中で続けていかなければいけません。
ですから、私たちはイエス様を信じるということは、
私たちがイエス・キリストにとって救われることを信じるだけじゃなくて、
救われた後、イエス様に従って生きる生活が大事です。
救いはきっとされたことで終わりじゃなく、
聖火と栄火によって天国に入る時まで、
それが救いの完成なので、その時まで油断してはいけません。
皆さん、聖書を読んでみてください。
聖書で救われることは、本当に短く書かれてあります。
聖書の大部分は、救われた後、信者としてどう生きるべきか、
その生活に対してたくさん書かれてあります。
なぜなら、それが大事だからです。
救われた後の生活が本当に救われたのか、
信仰があるのか、聖霊様がおられるのか、
それをすべて立証してくれるからです。
ですからパウルは、自分は救われた、これだけで、
ダマスコに行く丘でイエス様に出会って、それで救われた、
それだけでパウルの人生は終わりではありませんでした。
この後のことをずっと見ていますと、
ピリポ3章13節でこれを教えてくれます。
兄弟たち、私自身はすでに捉えられたと思っていません。
成すべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
神がキリストイエスによって上へ召して、
お当たりなる死を得るために、目標を目指してひたすら走るのです。
それで結果、最後に第2テモテ4章7節、
私は戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、
信仰を守り抜きましたと言いながら、
自分はこれから神様が備えられた栄光の冠が私を待っている、
それを自分は持って信仰の確信、救いの確信を言っているのです。
皆さん、救いの確信ということは、最後の最後に語れることができるものです。
ですから私たちは油断しないで、これから信仰の生活を、
キリストを信じる人として生きる生き方を大事にしなければいけないのですが、
皆さん、世の中の人々は自分の目標があります。
自分の成功、また幸せ、それを得るために走っていこうとするなら、
私たちは既に与えられた救いを完成するため、
また、イエス・キリストを見習うために走っていかなければなりません。
世の中の人々が走る道と、私たちが走る道が異なることを考えていかなければなりません。
私たちが生きる道は、イエス様が生かれた道です。
聖書はそれを3つ私たちに教えてくださいます。
私は今年最後の礼拝として、
私、今年うまく生きたのか、うまくできなかったのかを、
この3つの道を通して判断していただきたい。
考えていきながら、この3つを聖書から選びました。
まずはじめに聖書は、
狭い門から細い道に歩みなさいと言っています。
マタイ七章十三節
狭い門から入りなさい、滅びに通じる門は広く、
その道は広々としてそこから入る者多い。
しかし命に通じる門は何と狭く、その道は細いか、
それを見出す者は少ないと言います。
広い道に行く人は大勢います。
みんな行くから安心して行きます。
みんな行くから、私もその中で一人として、
なんとか私がダメになるということ、みんながダメになることですから、
安心して行きます。
しかしそれが滅びの道だということは難しいことですね。
救いの道は細い道だと言います。
日本にはキリスト者が1%もできません。
ですからキリスト者として、
イエス様の弟子として生きるためには本当に難しいです。
いじめされることを覚悟しなければいけません。
信仰と家庭、これはなんとか優しいかもしれません。
信仰と職場、職場で信仰を持っている、
自分自身の信仰を通り生きる、難しいですね。
信仰と勉強、また信仰とビジネス、
キリスト者として日本で生きるのは本当に難しかったかもしれません。
一年間皆さん本当にお疲れ様でした。
皆さん、うまくなさったと私は信じています。
2番目、聖書は中旬の道に歩みなさいと言います。
御言葉に中旬する道です。
マタイ7章24節
そこで私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
私のこれらの言葉を聞くだけで、
行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
聖書は神の御言葉を聞かないで、
自分勝手にまた自分の方法で建てた家を
砂の上に建てた家と同じだと言われています。
砂の上に建てた家、立派に見えるかもしれません。
素晴らしいかもしれません。
しかし洪水が起きたら基盤が弱くて
全部流されてしまいます。
しかし神様と親しい関係の中で
神の御言葉に従って生きる。
これを岩の上に建てた家、
それは基盤が確かなので永遠に倒れない。
それで保証ができます。
今年皆さん、神の御言葉、メッセージを
僕がいつも準備するように頑張ったんですけど
それを聞かれてどのくらい中旬したと思われますか。
私は1年間メッセージの中で
いつも神様との親しみの中で
PLを祈って聞いて従う。
これがキリスト者の生活ですよと申し上げたんですけど
正直に私自身も
うまくできなかったんじゃないかと
恥ずかしき思いを持っています。
本当に私からはまず
中旬の道を走るべきなんですけど
自分もできないくせに皆さんに
何とか教える立場になったことを
恥ずかしく思います。
3番目、聖書は
神の道に歩みなさいと言います。
聖書は最後の時の裁きの光景を
あらかじめ私たちに見せてください。
これがマタイの今日読んだ25章の31節からです。
もう一度読んでみましょう。
人の子は栄光に輝いて
天使たちを皆従えてくる時
その栄光の茶につく。
これは裁きの茶です。
そして全ての国の民が
その前に集められると
羊会が羊とヤギを分けるように
彼らを寄り分け
羊を右にヤギを左に置く。
そこで王は右側にいる人たち
愛の重要性
羊のような人たちにこう言います。
さあ私の父に祝福された人たち
天地創生の時から
お前たちのために用意されている国を
受け継ぎなさい。
なぜそれを与えてくれますか?
これが35節6節に理由があります。
お前たちは私が飢えていた時に食べさせ
のどが渇いていた時に飲ませ
旅をしていた時に宿を貸し
裸の時に着せ
病気の時に見舞い
牢に行った時にたじねてくれたからだ。
その人たちは王様に
いつ私がそんなことをしたんですか?
私は王様にこんなことをやったことはありません
と言ったら
王様がこう言います
私を信じるこれらの小さなものの一人に
やったことが私にやったことだと言います。
私はこの愛の道に対しては
いつも弱気になります。
私はこのメッセージを準備しながら
この見言葉の前で
私が愛を施したことがあるのか?
東京で私に
なんとか私の子供を
預かってくださいませんか?
と言った時に
難しいです。ごめんなさいと言われたこともあり
また福岡で私が面倒を見ていた
ある兄弟が東京に来て
一緒に生活したいと言われた人もいたのですが
いろいろな理由で
ごめんなさいという話をするしかなかった過去が思い出されて
恥ずかしくなって
私は正直に
裁かれる前に
私は地獄に行きますからごめんなさいと
言うしかないなと思いました。
私はこの愛という部分は
全くできなかったと思います。
まだこの西洋中六世中七世
イエス様は超税人たちと
罪人と友と言われるほど
彼らを救うために低くなられて
彼らと一緒に共同生活をされた
それで愛に覆って使えられたのですが
私はそれができませんでした。
私はもう愛の道を
全く歩むことができませんでした。
皆さん
今年熱心に過ごされましたね。
本当に皆さんお疲れ様でした。
しかしこの上の三つ
神の御言葉に狭い道に行く
これはなんとなくキリスト者として
私たちがいろいろな犠牲、献身
覚悟していらっしゃるのですが
御言葉によく従ったのか
従い中旬の道に歩んだのかと言った時に
なかなか夜明けになり
愛の道に歩んでなかったと言われた時には
全く自信がなくなる
このような部分があります。
これをうまくなさった方たちは
神様から大きな報いが
備えられているでしょう。
もしかして私のみたいに
うまくできなかった方がいらっしゃるなら
皆さん幸い今は恵みの時期です。
イエス様が来られたら恵みが終わりになりますけど
今は恵みの時期です。
ですからもう一度神様はチャンスを与えてください。
2025年度うまくできなかったことを
再出発の祝福
悔い改めて心を新たにして
2026年度もう一度
信仰の道を歩む私たちになれればと思います。
私たちの力ではできません。
主の恵みをいただき
主の力を通して
来年度この道を歩むことができるように
やっていきましょう。
神様がイエス様を通して
私たちに素晴らしい恵みを与えてくださったんですけど
その中で一つがやり直しの祝福です。
やり直しの祝福。
このためにイエス様が
私たちの全ての罪や過ちを背負って
十字架で死んでくださったでしょう。
ですから私たちは悔い改めて
うまくできなかったことを悔い改めて
十字架の恵みを背負って
もう一度主の道に歩む私たちになれればと思います。
その方法を
イエス様が十字架を背負う前に
主の晩餐式を通して教えてくださいました。
また26章26節からです。
一度が食事をしている時
イエス様はパンを取り
賛美の祈りを唱えて
弟子たちに与えながら言われた。
取って食べなさい。
これが私の体です。
また酒漬を取り感謝の祈りを唱え
彼らに渡して言われた。
皆この酒漬から飲みなさい。
これは罪を許されるように
多くの人のために流される私の血
契約の血であろうと言いました。
この晩餐式で酒漬を飲むことは
イエス様の血を意味します。
イエス様は私たちの罪過ちを
清く洗ってくださり
もう一度精霊充満になれるように
血を流してくださいました。
私たちは悔い改め酒漬を飲みながら
これは私の罪過ちを清くしてくださり
再び精霊に満たしてくださるための
イエス様の血だ。
これを宣言しながら飲みましょう。
そうするなら私たちの罪が清められ
また神様から私たちを新たに
精霊の力で満たされるように
してくださるでしょう。
また主の晩餐式でパンを食べることは
イエス様の体を象徴します。
私たちは信仰を持ってパンを食べるとき
イエス様の体が私たちの力になって
これから信仰の競争をうまく担うことが
できるようにしてくださるでしょう。
ですからこのイエス様の体は
イエス様の力
イエス様の血
酒漬はイエス様の血だと宣言しながら
私たちはそれを飲んで
信仰によってその働きを続ければと思います。
今日私たちは主の晩餐式に参加することによって
1年間謝ったこと
イエス様の致勝によって清く洗って
許されてもらって
またイエス様の力をいただいて
2026年度信仰の競争を
信仰の競走
うまく担うことができればと思います。
私たちが細い道
中旬の道
愛の道の
この競争がうまくなっていくなら
まず私たちの家庭の中で
子供たちの中で
神様の恵みが豊かに与えられるでしょう。
また教会の中で私たちの教会が
主に欲を用いられると信じます。
皆さん
これでメッセージを終わりますけど
皆さん今年本当にお疲れ様でした。
教会は皆さんによって
本当に幸せでした。
私はもう教会の
礼拝の案内を金曜日土曜日
また皆さんに送りますけど
今週皆さんが来てくだされば
私は切な願いを持って
皆さんに案内書を送りました。
皆さんはそれを受け取ってくださって
礼拝にいつも参加してくださってありがとうございます。
教会は皆さんのおかげで
今まで来ました。
また皆さんのおかげで
松井先生と私は幸せでした。
本当に皆さんに感謝したいと思います。
皆さんの家庭と子供たち
また皆さんのお仕事またビジネスの上
祝福を教会はいつも祈っています。
本当に今年皆さんありがとうございました。
これでメッセージを終わりたいと思います。
お祈り出します。
一年間
教会の皆さん本当に熱心に
過ごされてきました。
しかし一番大事なことは
なおざりにしたのではないかと思われます。
細い道
忠純の道
愛の道
私はうまくできなかったような気がします。
私たちの弱さを知っている神様
イエス様の十字架の恵みを備えてくださってありがとうございます。
主の晩餐式を通して
イエス様の十字架に参加するものとして
許しとまた新しい力をいただいて
2026年度は神様を喜ばせる
私たちにならせてください。
本当に今年
勝手に職場、教会を使ってくださった
信徒皆さん
また教会の子どもたちにも
本当に感謝したいと思います。
主よ大きな恵みと祝福を与えてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン
ありがとうございます。
29:01

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