今日は、今年最後の集中礼拝のメッセージとして、「人生は競走です。レースです。」というメッセージを分かち合いたいと思います。
今年最後の集中礼拝です。皆さん、一年間本当にお疲れ様でした。
この一年間、たくさんのことがありました。
まず国際的には、戦争と戦争のニュースがいろいろ飛び交っていました。
また、アメリカによる関税、それによる経済的な萎縮、また地震のニュースがいろいろありまして、
災害の大国、日本は、本当に恐怖の中で皆さん過ごされたのではないかと思います。
また個人的には、様々な病気がありまして、おいどりおいどり苦労されていました。
また家庭的には、家族の中で痛い方がおられて、面倒を見たり介護されたり、いろいろなこと、皆さん本当にお疲れ様でした。
聖書は、私たちの人生を競走と言われます。
ヘブライ賞・中二賞一節。
こういうわけで、私たちがまた、このようにおびただしい聖人の群れに囲まれている以上、
すべての重みや絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、と言います。
聖書は、毎日毎日私たちに与えられている、過去個人に与えられているこの競争、これを力強く走り抜こうではありませんか、
諦めず、言い訳しないで、それを最後まで守りつきましょうという話をしてくださいます。
じゃあ、皆さん一年間、本当に熱心に走ってこられました。
たくさんのことを成し遂げたでしょう。
皆さん、ご自分が今年何をしていたのか、一回書いてみたらどうですか。
私と息子はこれをやってみました。
息子なりに大きな道ができたという、これは秘密なんですけど、
今年はこれができたと言って、自分なりに何とか満足する気持ちがあって、うれしいなと思いました。
毎年毎年少しのものでも、何とか頑張って成し遂げていって、
今年はこれができた、来年度はこれからもっともっと何か目標を達す、
このような楽しみが子どもたちに与えられればと思います。
以前の私は、なぜ勉強するのかと言われたら、母を喜ばせるためにと言いました。
小学校の時、成績が少し良くなれば、母がものすごい喜ばれるんですね。
母の喜ばれる姿が、もう私には全ての満足でした。
だから、母を喜ばせるために、本当に熱心に勉強しました。
それから結婚してからは、家族のために熱心に会社に勤めました。
私はその時、もう私のためには何もいらない。
私はお金を稼ぐ機械だからと言いながら、家族を本当に何とかたくさん稼いで満足させようと頑張りました。
皆さんも今そのように過ごしておられるのではありませんか。
しかし、キリスト者はこの上、もともと大事な目標が必要です。
これは、私たちが永遠な人生を準備することがあります。
この世の中で何が一番大事ですかと言ったら、皆さん何と思われますか。
牧師である私は聖書から、この世は百年、この後裁きがあり、この後天国か地獄に定められるので、それを準備することが大事だと申し上げたい。
また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているようにと言われています。
私たちは裁きを目の前にして、今人生を走っています。
私たちが生きていた全てが裁かれます。
それによって、永遠な天国、永遠な地獄に分けられるでしょう。
この世で熱心に過ごして、成功して、たくさんのことを成し遂げ、それから地獄に行くと言ったら、この百年の人生、どれほど虚しいでしょう。
ですから、イエス様がルカの16章の金持ちとナザロの例を通して、それをあらかじめ教えてくださいました。
金持ちはこの世でうまく過ごしました。贅沢な暮らし。しかし彼は死んで地獄に行きました。
彼は火の池の中で水一滴を求めながら苦しんでいる状況が聖書に書かれてあります。
もし私たちが地獄、火の池に入れられ、水一滴を求めながら永遠を過ごすようになるなら、どれほど怖いものでしょう。
聖書はそれをあらかじめ私たちに示してくださったのです。
私はたびたびこのような祈りもします。私たちの教会、子どもたちは私の命です。
子どもたちが好きで好きでたまりません。子どもたちはもう私の命です。
子どもたちの中で一人でも地獄に行くなら、代わりに私が行きます。
子どもたちは絶対地獄に行くことはないようにしてください。
当たり前じゃありませんか。私が正しくうまく教えられなかったから、そのようなことが起こるでしょう。
だから全て私の責任になります。
皆さん、私たちの一番大きな関心、まだ準備することは、絶対地獄にはいてはいけない。
絶対天国に行かなきゃいけない。
何回も申し上げますけど、旧清軍の創始者であるウィリアム・ブースという人が、
新学校の卒業式で、これから僕たちになる新学校の卒業生の前で、
私は、あなたたちがたくさんのことを学ぶよりは、
これから私たちの、後ほど私たちに行われる天国、地獄を、
それを少しでも何分でも見てほしい。
私たちはもし地獄を見てきたと言ったら、これから私たちの人生の目標はもう何にもない。
ただ一つになる。その地獄には絶対行ってはいけない。
だから、100年人生を過ごしながら、どうすれば地獄に行かないか、
それをいろいろ工夫しながら、そこに集中するでしょう。
私たちはどうすれば天国に行きますか。
私たちの力ではできません。
私たちの力では、罪を犯さないこともできないし、悪魔の誘惑に勝ち抜くこともできません。
イエス様が教えてくださった主の祈りの中で、
いつも祈ること、私たちの追い目を許してください。
私たちも私たちに追い目のある人たちを許しました。
私たちを試み合わせないで、悪よりお救いくださいと祈りなさいと言われました。
結局、罪と誘惑を勝ち抜かなければ、私たちはもうこれから悲惨な状況になるから、
イエス様はこれは、慈悲、日常の糧を求めて、
それから罪の問題、また悪魔、誘惑、それを勝ち抜くことができるように祈りなさいと言われました。
それでも私たちはなかなかできなかったので、神様はイエス・キリストを送ってくださって、
十字架で罪の問題、罪の罰である呪いの問題、悪魔の問題、全部解決してくださって、
悔い改め、復縁を信じなさい、そうすれば救われると教えてくださいました。
世の中で一番大事なことは救いです。
救いはイエス様の十字架の地上に委ねるしか道がありません。
ですから、キリストには帰られませんと言います。
ところが、救われることは信仰告白の瞬間、成し遂げられます。
それから私たちはどうなりますか。
直ちに天国に行けば一番いいんですけど、この世の中で続けていかなければいけません。
ですから、私たちはイエス様を信じるということは、
私たちがイエス・キリストにとって救われることを信じるだけじゃなくて、
救われた後、イエス様に従って生きる生活が大事です。
救いはきっとされたことで終わりじゃなく、
聖火と栄火によって天国に入る時まで、
それが救いの完成なので、その時まで油断してはいけません。
皆さん、聖書を読んでみてください。
聖書で救われることは、本当に短く書かれてあります。
聖書の大部分は、救われた後、信者としてどう生きるべきか、
その生活に対してたくさん書かれてあります。
なぜなら、それが大事だからです。
救われた後の生活が本当に救われたのか、
信仰があるのか、聖霊様がおられるのか、
それをすべて立証してくれるからです。
ですからパウルは、自分は救われた、これだけで、
ダマスコに行く丘でイエス様に出会って、それで救われた、
それだけでパウルの人生は終わりではありませんでした。
この後のことをずっと見ていますと、
ピリポ3章13節でこれを教えてくれます。
兄弟たち、私自身はすでに捉えられたと思っていません。
成すべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
神がキリストイエスによって上へ召して、
お当たりなる死を得るために、目標を目指してひたすら走るのです。
それで結果、最後に第2テモテ4章7節、
私は戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、
信仰を守り抜きましたと言いながら、
自分はこれから神様が備えられた栄光の冠が私を待っている、
それを自分は持って信仰の確信、救いの確信を言っているのです。
皆さん、救いの確信ということは、最後の最後に語れることができるものです。
ですから私たちは油断しないで、これから信仰の生活を、
キリストを信じる人として生きる生き方を大事にしなければいけないのですが、
皆さん、世の中の人々は自分の目標があります。
自分の成功、また幸せ、それを得るために走っていこうとするなら、
私たちは既に与えられた救いを完成するため、
また、イエス・キリストを見習うために走っていかなければなりません。
世の中の人々が走る道と、私たちが走る道が異なることを考えていかなければなりません。
私たちが生きる道は、イエス様が生かれた道です。
聖書はそれを3つ私たちに教えてくださいます。
私は今年最後の礼拝として、
私、今年うまく生きたのか、うまくできなかったのかを、
この3つの道を通して判断していただきたい。
考えていきながら、この3つを聖書から選びました。
まずはじめに聖書は、
狭い門から細い道に歩みなさいと言っています。
マタイ七章十三節
狭い門から入りなさい、滅びに通じる門は広く、
その道は広々としてそこから入る者多い。
しかし命に通じる門は何と狭く、その道は細いか、
それを見出す者は少ないと言います。
広い道に行く人は大勢います。
みんな行くから安心して行きます。
みんな行くから、私もその中で一人として、
なんとか私がダメになるということ、みんながダメになることですから、
安心して行きます。
しかしそれが滅びの道だということは難しいことですね。
救いの道は細い道だと言います。
日本にはキリスト者が1%もできません。
ですからキリスト者として、
イエス様の弟子として生きるためには本当に難しいです。
いじめされることを覚悟しなければいけません。
信仰と家庭、これはなんとか優しいかもしれません。
信仰と職場、職場で信仰を持っている、
自分自身の信仰を通り生きる、難しいですね。
信仰と勉強、また信仰とビジネス、
キリスト者として日本で生きるのは本当に難しかったかもしれません。
一年間皆さん本当にお疲れ様でした。
皆さん、うまくなさったと私は信じています。
2番目、聖書は中旬の道に歩みなさいと言います。
御言葉に中旬する道です。
マタイ7章24節
そこで私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、
岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。
私のこれらの言葉を聞くだけで、
行わない者は皆、
砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。
聖書は神の御言葉を聞かないで、
自分勝手にまた自分の方法で建てた家を
砂の上に建てた家と同じだと言われています。
砂の上に建てた家、立派に見えるかもしれません。
素晴らしいかもしれません。
しかし洪水が起きたら基盤が弱くて
全部流されてしまいます。
しかし神様と親しい関係の中で
神の御言葉に従って生きる。
これを岩の上に建てた家、
それは基盤が確かなので永遠に倒れない。
それで保証ができます。
今年皆さん、神の御言葉、メッセージを
僕がいつも準備するように頑張ったんですけど
それを聞かれてどのくらい中旬したと思われますか。
私は1年間メッセージの中で
いつも神様との親しみの中で
PLを祈って聞いて従う。
これがキリスト者の生活ですよと申し上げたんですけど
正直に私自身も
うまくできなかったんじゃないかと
恥ずかしき思いを持っています。
本当に私からはまず
中旬の道を走るべきなんですけど
自分もできないくせに皆さんに
何とか教える立場になったことを
恥ずかしく思います。
3番目、聖書は
神の道に歩みなさいと言います。
聖書は最後の時の裁きの光景を
あらかじめ私たちに見せてください。
これがマタイの今日読んだ25章の31節からです。
もう一度読んでみましょう。
人の子は栄光に輝いて
天使たちを皆従えてくる時
その栄光の茶につく。
これは裁きの茶です。
そして全ての国の民が
その前に集められると
羊会が羊とヤギを分けるように
彼らを寄り分け
羊を右にヤギを左に置く。
そこで王は右側にいる人たち