1. 名谷教会 podcast
  2. 2014/12/28:聖日礼拝(旧音源)
2014-12-28 35:09

2014/12/28:聖日礼拝(旧音源)

2014/12/28 聖日礼拝(旧音源)




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それでは、借金は見事にあげましたけれども、口づけはしなくていいですか。
挨拶を開始しませんか。挨拶しましょう。はい、よろしくお願いいたします。隣の方々と挨拶しましょう。
はい、それでは、一言は短くお入れさせていただきます。天皇、地の神様、
今年、聖日礼拝のあなたの限りなき、計りしない恵み、誇りから感謝いたします。
主のお恵みがあってこそ、今の私たちがおります。
どうか、今から主の御言葉に、みんな傾け、
主をどうぞ、お語り下さい。
イエス様の皆によって、お祈りいたします。
アーメン。
はい、今日は色々ありまして、本当に感謝いたします。
今、皆さんが見られたこの動画のように、今年は神様が、
私たちに、皆さんのお祈りお祈りに、あるいはそれぞれの家庭に、また教会の上に、
主が大きな大きな恵みを施してくださいましたこと、本当に感謝いたします。
その恵みと祝福を思い起こし、また感謝しながら、
今日は、四編の128編、そのところからは、
数えてみよう、主の恵み、という題にしまして、
今年、神様が私たちにどんな恵みと祝福を与えてくださったのか、
まあ、たくさんありますけれども、数え切れないんですけれども、
まとめて、二つで、共に、主の恵みを感謝してまいりたいと思います。
まず一つは、神様は今年私たちに、皆さんお祈りお祈りに、
主の教会の上に、信仰の恵みをお与えいただきました。
神様が与えてくださった恵みの大きな大きな、あるいは多くの恵みの中の、その一つは、信仰の恵みです。
僕の一年間を振り返ってみますと、
神様は、私たち一人一人の、妙谷教会の全体の信仰を成長してくださいました。
皆さん、この信仰というものは、我々クリスタンにとっては、なくてはならない、本当に大事なことなんですよね。
私たちは信仰によって救われます。
信仰によって、神の子供になります。
03:01
信仰によって、天国の市民になります。
信仰によって、永遠の命をいただきます。
信仰によって、神様を喜ばせます。
全体の事柄を、信仰によって行うわけなんです。
ところが皆さん、私たちの信仰というものは、
主に対する愛で、それが現れます。
つまり、自分がどれほど教えを愛しているか、
そのものが、自分の信仰がどんなものなのかを、現れるんですね。
聖書1ヶ所、一緒に開きたいと思います。
新約聖書、ヨハネの福音書、14書21節。
210ページです。一緒に読みましょうか。
私のいまじめを保ち、それを守る人は、私を愛する人です。
私を愛する人は、私の父に愛され、私もその人を愛し、私自身を彼にあらわします。
皆さん、主を愛すれば、主の御言葉を、主の御教えを、主の言葉を守ります。
御言葉通りにいちまし。それが信仰なんです。
ですから、日ごろ私たちがどこにいても、主をどれほど愛しているのか、
その愛の大きさが、あなたの私の信仰の大きさなんです。
もう一ヶ所開きましょう。新約、ヘブル人への手紙、11章6節です。
ヘブル人への手紙、11章6節。
438ページです。ここも一緒に読みましょうか。6節だけです。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には、
神を救ってくださる方であることと、信じなければならないのです。
皆さん、何がなくてはですか。信仰がなくては、神に喜ばれることはできます。
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即訳したら、神を喜ばすことができない。
私たちがいくら大きな様々なことをやっていても、信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。
それほど、私たちクリスチャンには、信仰が大事であるということなんですよね。
今年1年間、振り返ってみますと、
私より皆さんの中にある、主に対する、神様に対する、
あるいは教会、あるいは兄弟姉妹たちに対する、子どもに対する、
救助者の方々に対する、皆さんの愛、パッション、ハートが、
どれほど深くて厚かったのか、知れないほどだと思います。
誰から言われなくても、心込めて、
教会に仕え、兄弟姉妹たちに仕えてこられました。
だから、言われることなくても、主に押しまずに捧げてまいりました。
雨の日も、暑い日も、寒い日も、
早天に、水曜日ごとに、祈りと御言葉に宣言してまいりました。
兄弟のため、姉妹のため、涙をもって祈ってまいりました。
自ら、施設にいる兄弟姉妹たち、あるいは病院にいる兄弟姉妹たちのためにお見舞いに行ったり、
イエス様に仕えるように、仕えてまいりました。
喜びをもって、分け与え、喜びをもって、おもてなしとする。
皆さん、それが信仰ではありませんか?
それが信仰です。
このように、主を愛している人は、
その人が信仰の人だから、主を愛し、教会を愛し、兄弟姉妹が主を愛せるわけなんです。
そしてですね、皆さん、信仰というものは、
教会だけではなく、
家でも、会社でも、学校でも、自分がいるところで、
そこに信仰が行いを通して現れるということなんです。
自然にですね、香りが話すように、信仰の香りが皆さんから話すわけなんですね。
ですから、主を愛する人は、
09:00
イエス様を愛する人は、イエス様に仕えているように、
夫に仕え、妻に仕え、
イエス様を愛するように、家族を愛する、子供を愛する。
これが本当の信仰なんです。
行いのある信仰なんです。
もし皆さんの中では、そんな方はいらっしゃらないんですけれども、
立派に賛美をさせて、立派に祈ってはいるんだけども、
家にいて汚れた言葉を言ってしまったり、
妻や夫を見下げてしまったり、暴力を振るったり、
そうしたら、そういうような人がいるならば、
その真骨は痛いか、どんなものなんでしょう。
もう一箇所、聖書を開きたいと思います。
マサイノ福音書25章40節です。
新約聖書54ページです。
これも一緒に読みたいと思います。
すると、王は彼らに答えて言います。
まことに、あなた方に告げます。
あなた方が、これらの私の兄弟たち、しかも、
最も小さい者たちの一人にしたのは、私にしたのです。
皆さん、この御言葉を御言葉通りに覚えて、通りに守らなければなりません。
最も小さい者たちの一人にしたのは、誰にしたのですか。
家様にしたのです。
皆さんが日頃、お家で奥さんに、あるいはご主人さんに、あるいはご両親に、あるいは子供にしたのが、皆さん、家様にしたのです。
奥さんに言った言葉は、家様に言った言葉です。
ご主人に救えたあの姿は、家様に対してしたのです。
あるいは教会で、ご主人兄弟姉妹たちに、皆さんが言った言葉、あるいは行ったその行いは、その人に対してだけではなく、家様にしたのです。
ですから、私たちは信仰の人が、信仰によって、
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最も小さい者たちに、この人が、この子供が、この兄弟が、この姉妹が、夫が、妻が、家様だ。
家様ならば、私がこの人に、どんな扱いをするんだろうか。
どのような物言いをするんだろうか。どういうふうに振る舞うのか。
それは、当たり前の話ですよね。
当たり前じゃないか。皆さんは本当に愛を持って、教会に、兄弟姉妹たちに、支えてくださいました。
お祭りとしては、僕会の2年目を送っているわけなんですけれども、
皆さんが本当に支えてくださって、
いろんな所、見えない所で、見える所より、見えない所での、このバックアップをしてくださいました。
私が、あるいは、あんなが、いちいちお願いしなくても、皆さんが自ら分かって、これを、あれを、報酬を、様々な報酬をしてくださいました。
本当に、その皆さんの愛の報酬だ。
愛のおこなげを、主は覚えておられよ。
そして、あなたが来たのは、それは、私に来たことだと、
イエス様、喜んで受け取って下さい。
そして、祝福してくださって、それを、身を結ばしてくださる主を信じて参りたいと、そう思うのであります。
また、この足りなきものなんですけれども、
僕氏の家庭を、家族を、皆さんが、本当に、ある姉妹から来ました、先生。
毎朝、装填で、先生の家族のために、祈っていますよ、というお話を聞いたときに、
本当に感謝して、感謝して、心いっぱいでした。
そういうふうに、祈ってくださって、本当に心より感謝を申し上げます。
これは、ちょっと余談なんですけれども、
アンナは、2年前、シフトしたから、前もそんなに体力のあるものではないんですけれども、
もっと体力がグンと落ちたわけなんですね。
それで、簡単になれば、タンパク質を摂取しないと、
五行になったりしたら、ダウンして疲れやすくなって、何もできなくなってしまうんですね。
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だから、タンパク質を摂取するために、肉を食べなきゃならないとするんですね。
肉が食べたいなと、この前思ったみたいですよ。
そしたら、先日の日曜日も、きょんさんのお家で留学生のために集いであって、
そこでお肉をたくさん食べさせていただきました。
それで終わりかなと思ったら、ある方から、天気のような人からおいしいお肉が送られてきて、
家族どもどもおいしく食べさせていただきました。
単なる一つのケースなんですけれども、こういうふうに支えてくださる皆さん方、
あるいは本当に祈りを持って支えてくださる皆さんの、そのお祈りがあってこそ、
僕氏の家庭が、僕が良させていただいていることであることを覚えるために、本当に本当に感謝しております。
父を愛する人は信仰によって、私一年間、皆さんのお顔を見るならばですね、
本当に信仰がぐんぐんと立てるようにぐんぐんとですね、本当に成長して伸びていらっしゃる方々。
私より神様が一番喜んでおられるでしょう。
信仰は成長し、本当にあらゆる面が成長していることを見るたびにですね、
ああ、本当に神様、感謝いたします。主が成長してくださいました。主が恵んでくださいました。
とですね、感謝せざるをえない今のところなんですが、
代谷教会は皆さん、信仰の教会であることを信じます。
立派な信仰を持つ教会、立派な信仰を持つ信徒さんが多い教会が、主を喜ばせる教会なんです。
また、立派な信仰を持つ信徒さんが多い教会が、一番幸せな教会なんです。
代谷教会が、皆さん追いとり追いとりがですね、行けば行くほど、
われらの信仰がさらにさらに成長して、さらにさらに立派な信仰のものになりたいと、またそうなると信じます。
それですね、来年の2015年の最後の礼拝の時には、私たちがみんなですね、主の御前に、
主よ、私は来年よりこれほど信徒が成長できました、とですね、報告できることをお祈り申し上げます。
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二番目は、こぼし一年たちは、私たちに大きな変化の恵みを与えてくださいました。
つまり、変えられました、変えられました。
皆さん、私たちがですね、イエス様を信じて行けば行くほど、信仰が成とするとともに、私たちの人格が変えられる、品性が変えられる、
言葉や行いや性格や気質が変えられる、主を見る見方が変えられる、自分を見る見方が変えられる、周りを見る見方が変えられる、
生き方が変えられ、お金の使い方が変えられ、時間の使い方が変えられる、全人格が変えられるですね。
あのですね、こういう話がありますね。
お家で飼っている犬や猫ちゃんはですね、その飼い主に似ていくそうなんですよね。
あるいは、夫婦は互いに似ていくそうなんですね。
だから、50年、60年、70年、ずっとお二人がですね、少しだけですから、顔も大体似ているかのように見えるかもしれない。
ただですね、お二人似ているなという夫婦がいらっしゃるんですけど、お互いに皆さん感じますか?似ていきます。
愛するから似てきます。
同じなんです。私たちが家様を本当に心から愛しているから、家様の見方に変えられていくんですよね。
家様に似ていくんです。
ですから、生き方が、言葉が、行いが、品性が、その人の人格が、人間関係が、家様のように変えられていくんですね。
教会の中でも、家庭の中でも、会社の中でも、変えられていくんですよ。
これが信仰の証拠なんじゃないですか、皆さん。
簡単に言うならば、人間が変えられるんです。人間が変えられる。
例えばですよ。以前はしょっちゅうですね、人に家族に起こっていた人だったんですけれども、家様のように入話な人に変えられます。
以前は自己中心的で決して自分のことばかり知らなかった人でしたけれども、
家様のように人に仕え、犠牲の人に変えられていくんです。
かつては世を愛し、世の魂をもっと楽しんで喜んでいましたけれども、
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家様を一番愛する人に変えられていくんです。
以前はあんまり祈っていなかったんですけれども、祈るのが楽しみで、祈りに専念する信者に変えられていくんです。
以前は聖書をあんまり読んでいなかったんですけれども、聖書を読むことが楽しくて、読むことに専念する信者に変えられていくんです。
以前は心の中に憎しみがあって、恨みがあって、その痛みがありましたけれど、そんな犠牲の人でしたけれども、
愛する、許す、寛大で哀れみに満ちた犠牲に変えられていくんです。
みなさんはいかがでしょうか。今年1年間どれだけ変えられたんでしょうか。
それを一番よく分かっている人は、みなさんのご主人であり、みなさんの奥さんか子供だと思います。
でもですね、教会のみなさんのお世話を見ますならば、本当にこの姉妹は、この兄弟は、この口の言葉は変わったなと。
恵まれて、恵まれて、変えられて、顔の表情が変わって、本当にきかている、喜びに満ちている、そういう姿が見えてくるんですね。
みなさんも、おそらくですね、それを分かっていらっしゃると思うんですけど、
このように、今年1年間、明大に教会の私たち一人一人の人格を、人生を、愛を、気が、得てくださいました。
これが信仰の強項なんです。
このように、自分自身が変えられるですね、信仰生活が楽しいんです。
そして、さっきもね、澄永姉妹がおっしゃったように、神様を見る見方が変わるから、自分自身を見る見方が変わって、
周りを、特に一番近い、身近な家族を見る見方が、愛の人に変えられ、許しの人に変えられ、憐れみの人に変えられ、
家様のように、ですから、何をするにしても、喜びでいっぱいなんです。
ですから、教会でおうちをするときも、おうちで何をするにしてもですね、いつも喜びが満ち溢れている。
24:00
このように、みなさん、家様のように、その全人格が変えられていきますと、
そのような人々は、本当に、その表情からお顔を見るだけでですね、もう幸せに満ちている、感謝に満ちているんですね。
どうですか、みなさん。ご夫婦のみなさん、お互いは。
あるいは、教会でお互いは、ああ、私の主人は、私の妻は、兄弟姉妹は、本当にもう、喜びに満ちているお顔を見ていますか。いかがですか。
幸せな神徒の特徴は、何より、良い従順の信仰を持つ人々。良い従順の信仰を持っている。
何より、神の御言葉に従う言葉ですね。
また、密切に従順する。そして、その御言葉を当てはめようとする。実践していく。
そういった方々が、信仰が生としていって、変えられていくんですね。
聞いた御言葉を実践していく。気分の良くないところを、精霊の力によって変えていく。許していく。助けていく。
このように、みなさん、この信仰による変化は、実は従順から始まる。
神の御言葉に従順する変化。
ですからみなさん、今年もみなさんが、本当にですね、聖日礼拝、あるいは水曜日の今年は、
一対一の弟子教育訓練の学びをして、本当に信仰のベースを学んできましたけれども、あるいは当店でのメッセージとして、
去年の魔胎の訓練とかで始まって、今は給浴の四日月に入っていますけれども、本当にですね、その御言葉を、
いただいた御言葉を、主が語ってくださった御言葉を、私たちが自分の実生活にそれを適応していく、
当てはめていく、変えていく。それが信仰生活なんです。
御言葉は恵みがありました。変化がありました。成長がありました。それを本当に今日ですね、神様に感謝しようではありませんか。
主を、私を、私の家族を、主の教会を、この四日が語ってくださって、本当に主を感謝いたします。
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ところがみなさん、このような信仰による変化は、何より、
主と共に深くて人格的な交わりを通して、それができるのです。
ですからみなさん、こう見てですね、本当に信仰が生として変えられた方は、その方は、
みな御言葉と祈りに専念し、恵みの渇きをもって主体を求める方々なんです。
家様を見上げ、二十四時間主を見上げて、人と共に深い交わりを持つ人が変えられていくんです。
みなさん、それは当然のことなんですよね。当たり前のことなんです。
信仰と変化と聖書は、家様と自分との関係に向かっているんですね。
ですから、自分が家様とどれほど親密に深い、楽しい交わりを持っているか、
それをどれだけ保っているのか、それをどれだけ重んじてやってきたのか、
それによって私たちの信仰が左右されます。
どうかみなさん、家様のお交わりの中に、家様の中に留まっていることに専念していただきたいんです。
祈りと御言葉を近くにしてください。
祈りと御言葉、御言葉と祈りに専念しようでありませんか。
今年1年間、教をお配りしましたけれども、今年最初のときに生徒通学票をお配りいたしました。
そしてお勧めしました。
お勧めはしますけれども、強制はします。
しかし、それをお勧めをもらった方々の中で、御言葉に励んでいこう、ですね。
今の時点で私が耳にしたのは、お二人の方はその通りに最後まで一読をされました。
私は本当にすごく嬉しかったんですね。
一人でも二人でも、僕しかお勧めして、これは無駄だな、簡単だなと思ってですね、
何よりその本人が一番恵まれたでしょう、皆さん。
信仰はチャレンジしていくことであり、実践していくことであり、変えていくことなんです。
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そうなんですよね、皆さん。
二十時間は何もしなくても時計は回ります。
皆さん、朝日新聞を読んでますか?毎日新聞を読んでますか?
朝日新聞は大体、男性の方は、時間のある方は三十分も一時間も新聞を観察して解釈して、
適応はするかわかりませんけれども、新聞を読まれるでしょう。
あるいは、いろいろあって、テレビを見たり雑誌を見たり、暇つぶしてくる方々もおられかもしれない。
もちろん忙しくて忙しくて、朝から晩まで本当にですね、働いている方々もおられる。
しかし、そんな中でも一日、聖書を一手ずつ読んでいますよという方もお話を聞いて、私も本当にまた感謝しましたけれども、
皆さんは、どうせ時間は、時計は回りますよ。
聖書を読んでも時間は回りますし、テレビを見ていても時間は回っていきます。
そうするならば、気を愛するアパサーティであるならば、何にもっと専念して思いでいくべきなんですよ。
とか、今年も皆さんが争点で、あるいは金曜日で、あるいはお家でレポーションをされた方々、
聖書と祈りに専念された方々は、また来る年もですね、
御言葉と祈り、祈りと御言葉に専念して、専念していこうではありませんか、皆さん。
そこに命があります。その中に留まることに専念してまいります。
そうしてですね、新子が生とし、また人格や人生が変えられている。
そうしたらば、先ほども申し上げたように、一番好きな人がそれが分かるんです。
気を愛する心を持ってみなさい。
今年1年が帰ってくださった神の恵みよ。
豊かに豊かに甘えんでくださった人の恵みよ。
大きな一休符を与えてくださった恵みよ。
主に捧げただけれども、それより幾倍も一番報いてくださった神様を、
神様に心から感謝しておりありませんか。
皆さん、恵まれた方は、その振る舞いが、行いが、そのお顔、表情さえも変えられていきますよ。
家様のように変えられていきますよ。
ちょっと悪い表現なんですけれども、
家様を信じていながらも、いつも顔が暗くて暗くて、
何か怒りが溜まっているかのような憂鬱な顔をしている方々は、
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それを変えなければならないと思います。
家様を信じているのように、
お家に帰っても、教会にいても、いつも暗くて暗くて暗くて、
闇の顔をしているならば、
何かの心の中に、主に委ねていない、
悔やめていない、退化していない、
闇が心の中に、霊の中にあるから、それが顔に現れるんです。
これは本当に大事なことなんです。
恵まれたら、人生が、人格が、経験した人が、
平坦に教会は、行けば行くほど、
さらにさらに、本当に美しく変えられ、
光のように変えられると信じます。
祈りが深くなり、御言葉を語る力が、本当に力となって、
精霊の力が、さらにさらに活発に現れて、
夫婦関係が変えられ、親国関係が変えられと、
親身が変えられ、人格が変えられて、
そして本当に幸せな生徒、美しい家庭、
夢見る教会に変えられていこうと、
祈り、また控えて信じます。
神様が2015年、新しい時には、
皆さんお祈り、お祈りを、
今年より幾倍も、
祝ってくださるようにお祈り申し上げます。
それを信じていこうではありませんか。
そして、家庭においても、教会においても、
救いの御技や、
また、主から見させていただく、
主の祝福が起きますが、
神様が父を大化に、
支払って、買い取ってくださった、
この妙なに教会に、
主が新しい御技を成してくださることを、
祈り、期待し、信じていきましょう。
お祈り申します。
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