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2024-06-30 24:53

「求めなさい、探しなさい、たたきなさい」2024年6月30日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2024年6月30日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄 
▼教会へのお問い合わせ: tokyo.vine.church@gmail.com

▼メッセージの自動文字起こしはこちら https://listen.style/p/tokyovinechurch

(聖書) ルカ11:8-13 しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。9. そこで、わたしは言ってお
く。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。10. だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。11. あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。12. また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。13. このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良
い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

メッセージ題 : 求めなさい、探しなさい、たたきなさい(ルカ11:8-13)
*先週、ペンテコステのリバイバルと私たちのビジョンについて。私はビジョンを分かち合うとき非常に気をつけます。なぜ?強要されたビジョンは真のビジョンではないから。主の照らしが!*神様からの最高のプレゼントは?救い主イエス様、助け主聖霊様。救いは恵みで、助けは?*ルカ12:49,50イエス様の嘆き?火?洗礼? *終わりのときの神の計画?教会は?聖徒は

1.聖霊様の働きの為に、私たちは受け入れる器の準備とお祈りが・・・それが教会とキリスト者の任務!*求めなさい、探しなさい、たたきなさいはマタイとルカの福音書で。その前後の文脈を通して、マタイ7:1-9とルカ11:5-13は同じ内容。その前後、お祈りをするときの前提条件が示されて
1)マタイ7:1-9聖霊様を受け入れる為には、人を裁いてはいけないと!徹底的に悔い改めて
2)ルカ11:5-13聖霊様を受け入れる為には、しきりに願う、しつように頼む祈りを通して!事例)ユダヤ人は共同体社会、お客さんをもてなす義務を共に?夜中で訪ねて来た客、もてなす為にパンを求めるき・・・親しみがあるからではなく、しきりに願う、しつように頼むなら与えるように・・・*私は聖霊様を田舎の純粋で美しい少女のようであると、また一番可愛い娘をどなたに与える?

2.このようにしきりに願う、しつように頼む祈りとは? =求める、探す、たたく祈りです。
*聖書は、聖霊様を求める祈りをするとき、具体的で積極的に祈りなさいと! 例)もし就職活動をするなら?試験勉強をするなら? #神様は絶対善。私たちに一番良いことを与えようとされる。既に神様は私たちに与える祝福を備えておられる。しかし霊的な法則がある!求めなさい、そうすれば与えられると! その意味で神様からの祝福は勝ち取らなければ!マタイ11:12新約時代、天国は激しく襲う者が奪い取るようになると?ヤコブ4:2,3・・・私たちは父なる神様が一番良い物を下さることを信じて!祈らなければなりませんが、一番良いものとは?11:13、聖霊様を!

3.では、どうして聖霊様は神様からの一番良いものでしょう?
*聖霊様を受けるとき、人格が変わり生活が変わります。信仰の巨木と成長できない。ヤクザでも*聖霊様は命の霊として、すべてを生かし、すべてを可能にします。 *聖霊様は悪しき霊を追い出し神の愛と喜びと平和を与える。 *聖霊様は。永遠な天国に入る確信を与える。 *聖霊様が来られると喜びに満ちた人生が。 *聖霊を受けるとき神様の賜物が! *聖霊を受けるとき9つの実りが *聖霊を受けるとき、内的に、外的に豊かな実りが *聖霊のリバイバルで神の御業をすべて成し遂げられる。私たちが思いもしてない方法で、思いもできない不思議な力で*聖霊を受けるとき使徒たちのように恐れを知らない大胆さが! *その上、Ⅰコリント2:11,12
#従って、私たちが勝利の人生を過ごすことが出来る秘訣は?聖霊様を受け入れ従うこと。その為に!
@最後のとき、私たちを助ける為に来られた聖霊様!その助けを知らなく受けなければ?なぜイエス様を救い主と?聖霊様は助け主!その為に、他人を裁かないで、しきりにしつように願う祈り

00:01
今日は、「求めなさい、探しなさい、たたきなさい」という対応をもって、メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、ペンテコステのリバイバルについて分かち合いました。 また、私たちのビジョン、回復とリバイバルについて、もう一度分かち合いました。
私は、教会のビジョンを分かち合う時に、いつも気をつけます。 なぜなら、こんな話、皆さん聞かれたでしょう。
強要されたビジョンは、ビジョンではない。 ビジョンは、強要されてできるものではないからです。
無理やり、押しつけられたビジョンは、ビジョンではない。
ビジョンは、精霊様によって、そのビジョンに燃えて、心が一つにして、教会は一致して進めていくのです。
これがビジョンです。 また、神様が私たち信じる人に与えてくださる最高のプレゼントは、
救い主イエス様です。 また、助け主精霊様です。
私たちの救い。 世の中で、人生で、救いよりもっと大事なことはありません。
今、この世の中で幸せで、なんとか上手く生きるように見えても、
後ほど死んで地獄に行く人だとするなら、 今、幸せで豊かに生きることは、本当に幸せですか?
後ほど地獄なんで、 そんな人生は幸せと言えないでしょう。
その救いは、イエス様だけです。 イエス様だけが与えてくださいます。
精霊様を助け主という時に、 その助けは、
世の中誰でも与えてくれることができる助けではありません。 また、その助けは、あってもいいし、なくてもいいことではありません。
その助けは必ずもらわなきゃいけないし、 その絶対的な助けを精霊様がくださる。
ですから、最後の時に精霊様の助けなしには、 終わりの時の難しい時期を、その時に自分の信仰を守ることができないし、
天国に入ることもできません。 精霊様の助けが絶対的に必要です。
ところが、この大切な救いは、恵みによって与えられます。
イエス様によって、恵みによって与えられます。 ところが、この大切な助けは、
恵みで与えられるものではありません。 じゃあ、今日分かち合いますけど、
しっきりに願おう。 しつこく頼む祈りを通して与えられます。
03:06
今日は、このしっきりに願おう。 しつこく頼む祈りって一体何なの? ということを考えていきたいんですけど、
イエス様をこのような嘆きをする場面が、 ルカの中二章49節50節に出ます。
私が来たのは、地上に火を投げるためだ。 この火がすでに燃えていったなら、どんなに願っているか。
しかし、私には受けなきゃいけない洗礼がある。 これが終わるまで私はどんなに苦しむだろう。
イエス様が火を投げるためにこの世に来た。 この火がついたらどれほど楽なのか。
私が受けるべき洗礼があるので、 この洗礼を受けるまで私はどれほど苦しむだろう。
この火で何でしょう? この洗礼で何でしょう? イエス様はそのためにこの世に来られたという。
この火ということは、受釈をいろいろ探してみたら、 神の国の福音です。
また、私はのっちに与えられるリバイバルでも あるんじゃないかと思います。
また、イエス様を受ける、この洗礼を受けるまで 私はどれほど何か苦しむだろう。
この洗礼は十字架を許します。
だからこの火、この洗礼、そのためにイエス様はこの世に来られて、 その時をずっと待ち望んで、それを準備し、準備していく。
そのようなイエス様が神の御業を成し遂げるための 嘆きがあったんです。
ところが、弟子たちはこんな嘆きありませんでした。
弟子たちの信仰生活の理由はただ一つで、 自分がうまく生きるため。
神様の御心、考えもありません。
うまく生きて、うまく食べて、 この世でうまくできること、こればかりだと。
だからイエス様のお考えと、 弟子たちが今願っていることは全く違うところで、
3年半イエス様についていく弟子たちの姿が 聖書に現れています。
ところがイエス様は十字架と、 また神の国の福音、またリバイバルについて、
弟子たちに、このリバイバルのために、 お前はこんな準備をしなければいけないんだよ、と強要しませんでした。
私たちのビジョンについて、私もある程度強要する、 しきりにみなさんに押し付ける、このようなスタイルですよね。
ごめんなさい。
しかしイエス様は一切こんなのありませんでした。
しかしイエス様は信じることがありました。
これが、ヨワネ14章26節です。
聖霊様が来られたら、聖霊があなた方に全てのことを教え、
私が話したことをことごとく思い起こさせてください。
聖霊様が来られる。私が今言ったことを、 あなたは理解できないかもしれない。
06:03
しかし、私は言っておく。
聖霊様が来られたら、私が言ったことを、 一つ一つあなたたちに思い起こしてくださるから、
私は聖霊様に全てを任せる。
私たちもそうしないといけない。
牧師が、回復という場合もあるんですよ、 準備しましょう、なぜ準備しないんですか、と言うのではなくて、
私は教えるべきことをしっかり教えておいて、 聖霊様が来てください。
お祈りお祈りにそれを思い起こしてください。
これが私たちの正しい姿勢ではないかと思います。
とにかくこの世に対する神様の大きな計画があります。
イエス様はこの神の計画のために、 この世で忠実化と復活を通してそれを適用しておられ、
また、聖霊様が来られて、イエス様が成し遂げたそれを 持ってお祈りお祈り適用していくんですけど、
それをどこを通してやりますか。
それを成し遂げるところは、教会を通して成し遂げる。
また、私たちキリストが、キリスト者は、 そのために神様から命された者たちです。
だから私たちは、この聖霊様の働き、 イエスキリスト十字架の御業、
それをよく覚えて、最後の時の神様の御業を 成し遂げていかなければなりません。
しかし、それは私たちの力ではできません。 聖霊様がなさいます。
私たちができるのは、 聖霊様が来られる時のこの器準備。
また、聖霊様が働くことができるような祈り。
これが私たちの一番大事な役目であります。
では、今日は聖霊様が来られるのに、 どんな祈りが必要なのか、
それを私が一緒に考えていきたいと思います。
結論としては、求めなさい、探しなさい、 叩きなさいというこの祈りのことが必要だということです。
求めなさい、探しなさい、叩きなさいという内容は、 聖書で2箇所出てきます。
マタイの福音書とルカの福音書で出てきます。
ところが、この求めなさい、探しなさい、叩きなさいと言われた、
その文章の前後を見ていますと、
この祈りをするために準備するべきことが出てきます。
では、これを少し説明していきましょう。
マタイ7書1節から9節に、7節からこう言います。
求めなさい、そうすれば与えられる。
探しなさい、そうすれば見つかる。
門を叩きなさい、そうすれば開かれる。
マタイの福音書で言っています。
ルカの11書5節から9節に、そこで私は言っておこう。
求めなさい、そうすれば与えられる。
探しなさい、そうすれば見つかる。
門を叩きなさい、そうすれば開かれるという同じ内容です。
09:03
ところが、マタイの福音書とルカの福音書は、
その祈りをする前に前提条件がついています。
これが大事です。
マタイの7書1節から9節には、
この祈りと同じ文脈の一つですが、
この前の文脈で何と言うのか、
これはもう金曜日のキト会で分かってしまいましたが、
私たちは聖霊様を求める祈りをする前に、
7書6節に、
人を裁くなと言います。
他人を裁きながら祈るなら、
聖霊様は起これないよと聖書は言っています。
ところが私たちは、優しく人を見て判断します。
裁きます。
いろいろ文句します。
教会の中で他の人に対して裁くなら、
非難するなら、
これは教会を潰す働きになります。
神様は大嫌いです。
特に自分も同じ罪を犯していながら、
他の人を裁きます。
これは話もならないでしょう。
また、人を裁くのは神様だけの権限です。
私たちは人を裁いてはいけません。
これは間違いです。
だから私たちが人を裁くことを、
悪い習慣があるなら、
徹底的にそれを悔やらためながら、
聖霊様を求める、求めなさい、
探しなさい、叩きなさい、祈りをしなければいけない。
また、ルカの11章5節から13節には、
この祈りをする前に、
一つの例を挙げてください。
ある人が、夜遅くお友達の家を訪問しました。
ところが、友達が来る時に食事をしていないまま、
夜遅く家に来たんです。
だったら、食事をしていないから、
その方に何か食べさせなければいけないでしょう。
でも、家にパンがなかったと言います。
どうすればいいでしょうか。
ユダヤ人の社会は、共同体の社会です。
お友達に対するおもてなしを、
私だけじゃなくて、周りの隣人たちは、
それを全部共にやるべき、この義務があります。
だからこの人は、お友達の家に行って、
今日はお客さんが来たよ。
私、何もないから、
パン3つ貸してくれないかと言います。
ところが、その友達は、
今、もうすでに寝ている状態です。
友達、子供たち全部、家族みんなが寝ている状態から。
もう寝ているんだよ。
そのことは、あまり私たち、
何か、こんなことをしないでください。
混乱するよ。
しかし、ルカの中一章8節を見ますと、
彼はパンを得られました。
12:00
どうすれば得られたのか、
彼はしっきりに願ったんです。
聖書とは違います。
しっきりに願うということは、
神教語訳で、
必要に願うということは、
神教語訳で、こう書いていますけど、
しっきりに、必要に願ったから、
そのパンを得られることができたと言います。
この話をしながら、イエス様が、
まして、天の父は求める人たちに、
生理を与えてくださらないかと言います。
それを考えるときに、
生理様は、私たちはしっきりに、
必要に願うなら、
神様が生理様を私たちに、
与えてくださるんだということです。
このしっきりに願う、必要に願う、
頼むということを、
聖書は求めなさい、探しなさい、叩きなさい。
私たちが生理様を求めるとき、
ただ、神様が生理様をくださればいいし、
くださらなくてもしょうがない。
このような祈りは駄目です。
求めたのにこたれなければ、探さなきゃ。
また、探してもくださらなければ、
叩きながら、ください、ください、
というような積極的な祈りを、
神様が願っています。
誰か就職活動をするんだと思いましょう。
神様、私にいい仕事をくださいとして、
何にもしていない。
こんなやり方はしないでしょう、みんな。
そこで何かどこがいいかと、
いろいろ探しながら履歴書を入れて、
面接をして、全部やるでしょう。
また勉強も、神様、
勉強をうまくできるようにしてください。
祈りだけですか。
いいえ、塾に行って勉強したり、
また試験をしながら、いろいろ準備するでしょう。
同じように、私たちも、
何か神様に求めるときには、
ただ祈るだけじゃなくて、
探しなさい、叩きなさいと言います。
私は教会の伝道、
一回伝道しても来ないね、
だけで終わりじゃなくて、
求めるだけじゃなくて、探す、叩く。
これができればいいんじゃないかと思うし、
また癒しの働き。
神様、この人を癒してください。
その祈りだけじゃなくて、
何とか探す、叩く。
このような働きがいいんじゃないかと思います。
また、教会が一つになるように、
信徒たちが礼的な成長ができるように、
私たちはこの祈りをしっかりしていっていきたいと思います。
また、子供たちの養育、
そのためにも、しきりに、必要に、
頼む祈りができればと思います。
このように神様は、
積極的な祈りに応えられる。
神様は絶対善です。
私たちに一番良いことをくださいます。
15:00
既に神様は、私たちにくださるプレゼントを準備しておいているんです。
しかしながら、神様は積極的に祈りなさいと言っています。
なぜなら、求めなさい、そうすれば与えられる。
これが、礼的な法則だからです。
だから、祈るとき、求めるときに与えられます。
求めないのに与えられることは、神様にはありません。
その意味で、神の祝福は、勝ち取るという意味でしょうかね。
このように聖書を教えてくれます。
また、11章12節。
先霊者ヨアネが働き始めた時から、今になるまで、
天の国は、力継ぐで襲われており、
激しく襲う者が、それを奪い取ろうとしている。
新約時代の天国は、激しく襲う者が、勝ち取るようになる。
神様の祝福は、激しく襲う者が、勝ち取るんだということを考えていきましょう。
リンゴの木の下で口を開きながら、落ちることを待っているのではなくて、
リンゴの木の上に登って、リンゴを取って食べるような、
そのような積極的な姿勢がなければいけない。
ですから、約部4章2節に、
得られないのは、願い求めないからだと言います。
ですから、私たちは、神様に積極的に求める、この働きが大事です。
また、ルカの11章13節から13節で、こう言います。
あなたたちの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
また、卵を欲しがる者に、サソリを与える父親がいるだろうか。
このように、あなた方も悪い者でありながら、自分の子供には良いものを与えると知っています。
まして、天の父は求める者に、聖霊を与えてくださらないかと言います。
父親が子供に一番良いことをくださるように、私たちの父なる神様も、私たちに一番良いことをくださいます。
私たちは、しきりに、必要に願うなら、神様が一番良いことをくださるんですけど、それが何ですか。
それが聖霊様だということです。
助け主聖霊様。
聖霊様が、聖書は、私たちが神様からいただくことができる、一番良いものだと言います。
しかし、この聖霊様をいただくためには、求めなさい、探しなさい、叩きなさい、積極的な祈りが必要だということです。
では、どうして聖霊様が、私たちを一番良いプレゼントになるのでしょうか。
18:05
まず、聖霊様を受けるときに、私たちは変わります。
人格が変わり、生活が変わります。
また、信仰の巨木として、大きな木として成長することができます。
役者だとしても、聖霊を受けるなら、人は変わります。
人を根本的に変える人は、聖霊様です。
皆さんに聖霊様が望んで、私たちが変わっていくように、信仰は変化です。
変わりがなければ信仰ではありません。信仰は変化です。
また、聖霊様は命の霊です。
全てを生かし、全てを可能にします。
聖霊様が入っていくなら、全てが変わります。
また、生かされます。癒されます。
どれほど素晴らしいことでしょう。
また、聖霊様は悪霊は臆病の霊と言います。
人を臆病させる、心配させる霊です。
しかし、聖霊様は愛と喜びと平和を与えてくれます。
また、聖霊様の素晴らしさは、私たちの救いの印、聖霊様です。
永遠の命、神の国に天国に入るんだという確信を与えてくださる方が聖霊様です。
あなたはどうして天国に入る、この確信があるんですか。
聖霊様がいるからです。
聖霊様は心から私たちを確信を与えてくれます。
だから、世の中にあまりこだわらないで、
永遠の天国がすでに与えられていることを信じることができるのは、
聖霊様によることです。
また、聖霊様によって喜びが満ちあうれる生活ができます。
聖霊様によって愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、乳和、節制のような
聖霊の実りが与えられるでしょう。
内的に聖霊の実りが豊かにあるときに、人生が幸せになり、人が美しくなります。
私は何より感謝したいのは、聖霊様は私たちにリバイバルを与えてくれます。
私たちは神様の御業に、私たちの力ではできません。
聖霊様はリバイバルとして来られて、神の御業を聖霊様が出し遂げてくださるんです。
だから私たちは聖霊様はリバイバルを待ち望んでいます。
また、聖霊を受けるときに、使徒行の中で現れた使徒のように、
恐れがない、大胆さを持って働くことができるんです。
このすべての上、私が一番願っているのは、聖霊様は神の御心をよく知っています。
私たちは神様の御心をわからない。
何が神様の御心ですか?何が神の計画ですか?私はどこに行けばいいですか?
21:00
何を選択すればいいですか?わからないとき、
聖霊様は神の深い御心を知っているので、
聖霊様は私たちに一番いい選択、一番いい道、一番いい決定を行うことのように助けてくださる。
第一国立道二章中一節中二節、こう言います。
人の内にある霊以外に、一体誰が人のことを知るだろうか?
同じように、神の霊以外は、神のことを知る者はいません。
私たちは世の霊ではなく、神からの霊、聖霊を受けました。
それで私たちは神様から恵みとして与えられたものを知ることができるのですと言います。
ですから、私たちが勝利の人生、一番正しい人生を過ごす秘訣は、
聖霊様を迎え入れることです。
勝利の人生の秘訣は、聖霊様を積極的に求め、探し、叩く、
しきりにの、必要に頼むものに与えられる神様のプレゼントです。
じゃあ皆さん、最後に私たちを助けるために来られた助け主聖霊様を、
私たちが知らないまま、私たちの力で生きるなら、その信仰生活を正しくできますか?
なぜ助け主というのか? 例えば、救い主イエス様と言います。
その意味は、救いはイエス様しかありませんということです。
なぜ助け主聖霊様というのか? この世の誰も与えることができない、一番大切な助け、
神の御胸を成し遂げる、一番正しい助けを与えてくださる方が、聖霊様しかいないということです。
ですから私たちには聖霊様が絶対的に必要です。
じゃあ今日学んだように、私たちは聖霊様を迎え入れるためには、
まず他の人を裁く、判断する、批判することをやめましょう。
そうしながら、求め探し叩く意味ありません。
またしきりに、必要に頼む祈りを持って、求め探し叩く私たちになりたいと思います。
そうすれば聖霊様の助けを十万にいただくようになり、最後の時、神様の計画を私たちが神聖霊の助けによってそれを全部成し遂げることができる、
勝利の人生ができるでしょう。また天国まで安全に入る私たちになります。
聖霊様です。聖霊様です。聖霊様の助けがなければ私たちは天国に入ることはできません。
最後に信仰を守ることはできません。私たちの役目を果たすことはできません。
24:03
ルカの11章10節、こう言っています。
誰でも求める者は聖霊を受け、探す者は聖霊を見つけ、門を叩く者には聖霊様が門を開いて下さいます。
アメン。
じゃあ、お祈り出します。
神様、正しい祈りを切に捧げるとき、聖霊様を与えてくださることを教えてくださってありがとうございます。
私たちには聖霊様が必ず必要です。
来てください。10万人来てください。
聖霊様に従います。
私たち一人一人を助けてください。
イエス様の源を通してお祈り出します。
アメン。アメン。
24:53

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