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2021-09-05 34:48

「世に打ち勝つ勝利の信仰」2021年9月5日(日)メッセージ

東京ぶどうの木教会 2021年9月5日(日)主日礼拝のメッセージです。 牧師:アブラハム黄
聖書の箇所/ヨハネ5:4-8 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。誰が世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。この方は、水と知を通って来られた方、イエスキリストです。水だけでなく、水と知とによって来られたのです。そして、聖霊のことを証しする方です。聖霊は真理だからです。霊と水と血です。この三者は一致しています。
00:00
今日のメッセージのテーマは、「四に打ち勝つ勝利の信仰」という題です。
9月は私たちの信仰を新たにし、信仰を通して力をいただきたいと思います。
皆さん、私たちの信仰、なぜ力がないのでしょうか。
今日のメッセージを通して、なぜ力がないのかを、よくよく考えていただきたいと思います。
そのために、皆さんは、この世をどのように見ていらっしゃいますか。
この世は、この世の中、コロナのゆえに怖い。
でも、世には私たちが欲しがる、力の満足、目の満足、この世の奢り、すべてがあるので、この世を愛するしかないと思っておられますか。
これが、私たちの力がない理由になります。
しかし、キリスト社たちは、どう考えるべきなのか。
この世は、良き影響力を及ぼして救うべき存在だ。
また、必ず勝ち抜くべき、克服するべき対象だと考えます。
なぜ、キリスト社たちは、この世をこのように考えなければいけないのか。
聖書が教えてくださいます。
第1話での、立書の15節から17節に、
世にあるものも愛してはいけません。
世を愛する人がいれば、御父への愛は、そのうちにありません。
皆さん、この世って、どんなものだから、聖書がこんなに書かれてあるのでしょうか。
16節、なぜなら、すべて世にあるもの、
肉の欲、目の欲、生活の奢りは、御父から出ないで、世から出た。
神様から出ないで、世から出た。
この世というものは、サタンです。
サタンから出た。
世も、世にある欲も過ぎ去っていきます。
しかし、神の御心を行う人は、永遠に生き続けます。
今日の第1話での古書中級説にも、このような言葉を知っています。
私たちは知っています。
私たちは、神に直するものですが、
この世全体が、悪いものに、悪しきものに支配下にある。
この世の中は、悪いもの、悪しきものの支配下にあって、
私たちは、神様に直しているものだ、ということを聖書は明らかにしています。
これから見ていますと、聖書は、この世は悪魔の世界、サタンの世界。
悪魔、サタン、同じものですけど、
これが、この世の中の神、この世の中の王だ、ということです。
03:02
では、私たちはこの世で住みながら、この世をどのように勝ち抜くことができるのか。
今日の聖書では、信仰によって勝ち抜くと言います。
ですから今日は、世に打ち勝つ勝利の信仰、この信仰は一体何なのか、
これを一緒に考えながら、私たちは信仰生活を通して、
とにかく力を持たなければ、信仰は力です。
信仰は力だということを、ぜひ一緒に考えていきたいと思います。
では、まずはじめに、この世に勝ち抜く勝利の信仰はどんな信仰ですか。
誰がこの世を勝ち抜くことができますか。
第1ようねの古書4節5節に、神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。
世に打ち勝つ勝利、それは私たちの信仰です。
誰が世に打ち勝つか、イエスが神の子であると信じるものではありませんか、と言います。
じゃあ、まず誰が世に打ち勝つことができるのか、聖書はこう言います。
神から生まれた人が、打ち勝つと言います。
なぜなら、神様が共におられるからです。
では、神から生まれた人はどなたですか。
4ようねの福音書1章中4節に、言葉は肉になって、私たちの間に宿られた。
私たちはその栄光を見た、それは父のひどり子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
この言葉はイエス・キリストを意味します。
イエス・キリストは神から出て、私たちのところにおられた。
ひどり子なのに、私たちのところに来られた。
聖肉神と言います。インカーネーションと言います。
インカーネーションされたイエス・キリストが、神から生まれた方で、この世に勝ちます。
また、4ようね1章中2節、中3節を見ますと、
しかし言葉は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神のことなる資格を与えた。
神のことなる特権を与えたと言います。
この人々は、地によってではなく、陸の欲によってではなく、人の欲によってではなく、神によって生まれたと言います。
キリスト社は、自分の努力で生まれることではありません。
自分の知恵でできることではありません。
神の恵みでイエス・キリストを受け入れて、新たに生まれた人が、キリスト社です。
この新たに生まれたキリスト社たちが、神の特権を持って行って、この世に打ち勝つことができると言います。
06:01
このような人たちは、どのように勝つのか。
みなさん、この世の中の人々は、選手は2種類で言っています。
神の礼を受けた人と、この世の礼を受けた人と言います。
じゃあ、みなさん、ご自分が今、神の礼を受けているのか、この世の礼を受けているのか、見てもらえますか。
じゃあ、世の礼を受けた人は、世の中の価値観を持って、陸の欲に従って、この世を愛し、この世が全てだと思って、
この世のために、自分の全てを懸けて生きます。
このような人々は、この世に勝つことができません。
なぜなら、この世を愛しながら、この世に勝つことができないからです。
ところが、神から生まれた人は、この世を愛していません。
世と妥協しません。
この人たちは、どのように生きるのか、精霊に従って、御言葉に従って生きる人です。
この人たちは、神の国、神の御国に対して望みを持って、首都福音のために生きます。
このような人々に、神が共におられ、この世とサタンに打ち勝つことができるようにしてくださるのです。
さらに、その良い事例が、創世紀6章に現れている、ノアの家族です。
創世紀6章には、全世界が堕落して、全世界が全て世の中の流れに従って生きたと言います。
この世の中の流れは何か?
全ての人が、自分が好きな女性を自分の妻にした。
自分の好きな全ての人を自分の妻とした。
とにかくその当時は、不倫とか乱な世界だったのです。
肉の欲、それを満足させる。これがその時の流れだったのです。
みんながそのように生きます。
その時、神様は一人の人、ノアを選ばれたのですが、
彼は堕落した時代に神様を求め、神様と共に歩む人だったのです。
その人に神は命令します。
あなたとあなたの家族を救うために箱舟を作りなさい。
神様はその箱舟を通して、この世の中の生き物たちを全部保存していったのです。
神様の命令、神の御言葉に従って、ノアの家族8人が120年間、山の上で大きな箱舟を作ります。
09:03
みなさん、世の中で船を山の上で作る人がいますか?
当時、ノアの家族は、当時の人たちが嘲笑う、馬鹿にされる、そのような存在でした。
全世界は自分の欲に従っていきながら、ノアの家族を嘲笑いました。
しかし、時になったら洪水が起こり、全世界のすべての人が死んでしまい、
神の御言葉に従ってきたノアの家族だけが生き残りました。
ノアの家族だけがこの世に勝利したのです。
また、神の御胸が成し遂げられました。
ここで大事なのは、ノアの家族は世の中の流れに従っていきなかったということです。
神の御言葉に従っていきた。
当時、神の御言葉に従って生きることは、世の中の人々が見たら、馬鹿らしい、馬鹿のような、愚かなように見えたのです。
しかし、神の御言葉に従って生きるノアの家族だけが残ったのです。
ノアの家族は世の中の霊を受けたのではなく、神から生まれた方、神の霊を受けたからです。
この人たちがこの世に勝ち抜きます。
皆さん、終わりの時はノアの時代と同じだと言います。
ソドムの時代と同じだと言います。
この世の中で、みんながこの世の流れに従って生きるのですけど、
今、この世の中で御言葉に従って、精霊に従って生きる人がいますか?
その人は多分、世の中から馬鹿らしいと言われるかもしれません。
しかし、結局勝利はその人にあります。
また、どなたがこの世に勝つのか。
イエスは神の子、キリストを信じる人です。
イエス様が神の子と言った時に、神と神の子は同じだと言って、等しいと言います。
神の子という意味は、神様と等しいということです。
結局、神の子イコール神様です。
また、イエスが名者であると信じる人は、みんな神から生まれたものですと言います。
ここで大事なのは、イエスが名者だと信じることです。
この名者はヘブライ語で、キリシャ語ではキリストと言います。
キリスト、名者、同じ言葉ですけど、その意味は油注がれた人という意味です。
12:03
王様、預言者、最初の役目をする人です。
ですから、イエス様は王様、預言者、最初であるお方だと言います。
イエス様が本体で、世の中の全ての最初、全ての預言者は影です。
本物はイエス・キリストです。
このイエス・キリストは、世の中でこの三つの役目をされるんですけど、
元々最初ということは、民立ちの立場から神様に対応して進み出る人です。
預言者は、神様の立場から、神様の方から民に向かってくる人です。
ですから、預言者と最初を共に行う、神様から民の方に、民の方から神様に、
ですから、神と民の誠の仲介者になられる方が、イエス・キリストしかいません。
また、この方は王様です。万王の王。
王様は、正義と愛をもって、全世界を統治されるお方です。
全世界を統治されるお方だから、この世の神、この世の王だと言っている悪魔を滅ぼすことができる方は、
このイエス・キリストしかいません。
また、この世でサタンを滅ぼす力を持っている人がどなたか、イエス・キリストを受け入れた神の子供です。
いわゆる一書中二説を神科学で読みますと、神の子という特権を与えた。
神の子供の特権は何ですか?
イエス・キリストが持っている、そのキリストの特権を私たちは持つ人です。
ですから、この人だけ、イエス・キリストとキリスト社だけが、イエス・キリストの皆によって命じる、
サタン、出て行け、出て行けと言ったら、出て行くしかない、勝利ができる唯一の存在です。
このように、イエス・キリストが神様だと信じる信仰が、与党、サタンに勝ちます。
では、二番目に、イエスは神の子である印は何ですか?
これは非常に大事です。
第1ようね五章六説から十説、私が読んでみましょう。
この方は、水と地を通って来られた方、イエス・キリストです。
水だけではなく、水と地によって来られた人なんです。
そして、霊はこのことを証する方です。
霊は真理だからです。
霊と水と地、この三者は一致しています。
15:02
私たちが人の証を受け入れるのではあれば、神の証はさらに勝っています。
神が御子についてなさった証、それが神の証だからです。
神の子を信じる人は、自分のうちにこの証がありますと言います。
ここ大事なんです。
世の中でたくさんの神々があります。
日本では八百万の神々があると言います。
また、世の中には二世キリスト、二世メシアがたくさんあります。
また、世の中には様々な宗教があります。
みんな自分たちの宗教、自分たちが真実の神、真実の宗を信じていると言います。
しかし、この世の中を創造された創造主神様が認めるキリスト社、
キリスト、メシアになるためには、水と血と精霊の証拠が必要です。
証が必要です。
首都行伝4章12節には、他の誰によっても救いは得られません。
私たちが救われるべき名は、天下にこの何ほか、人間には与えられていませんと言いながら、
キリストの条件として、今日は水、血、精霊を意味します。
ここで、なぜ水と血と精霊なのか。
まず、水は何を意味するのか。
これは、バブテスマ、洗霊を意味します。
マタイの3章16節、17節。
イエスはバブテスマを受けると、すぐ水の中から上がられた。
その時、天がイエスに向かって開かれた。
イエスは、神の霊が鳩のように、ご自分の上に下ってくることをご覧になった。
その時、これは私の愛する子、私の心にかなう者という声が、天から聞こえた。
この方がメシアだよ。この方がキリストだよ。
神様が証してください。
これが水の証です。水の印です。
2番目、血。
血は、これは忠実家の贖いの犠牲を意味します。
マタイの26章28節には、これは血が許されるように、これは罪が許されるように、
多くの人のために流される私の血、契約の血である。
この血を流されたところが、イエス・キリストの忠実家です。
18:02
人類がサタンの奴隷になっているのは、罪のゆえ、立法の定めのゆえです。
しかし、イエス様が立法を守ることで、立法を完成しながら、罪を許されたんです。
これは何かと言いますと、ヘブライ賞9章22節。
すべてのものが立法に従って、血で清められており、
血の流すことなしには、罪の許しがありえないからです。
イエス様が忠実家で血を流されたということ、これが血の印、血の証拠と言います。
3番目、この聖霊様です。
このすべてを私たちに知らせてくださった方が、聖霊です。
この聖霊の証拠によって、私たちが信じることができて、
そして告白して救われることができるようにしてくださったのは、聖霊様。
ここでもう一つ加えることができるなら、
これが9節に現れている神様からの内的印です。
水と血と聖霊、その上に加えて、神様が私たちの中にくださった内的印があります。
この内的印は、この世でどんな迫害があったとしても、
絶対妥協できないようにしてくださる、内部から出てくる不思議な力であります。
第一クリント出書20節には、「いや、私が言おうとしているのは、
空上に捧げる備え物は、神ではなく悪魔に捧げているという点なのです。
私はあなた方に悪魔の仲間になってほしくありません。」と言います。
私たちの家におられる神様は、私たちが悪魔の仲間になってほしくない、
空上に拝むものにほしくないということをよく知っています。
ですから、私の中にある内的印が、内的証拠が、私を空上を拝まないように、
空上の仲間にならないように、サタンの仲間にならないように、
私たちの中で働いて、それを最後まで貫くようなパワーになるのです。
皆さんの中で、この内的力、内的印、内的な神様からの確信がありますか?
今度、私が韓国に行ったとき、私の弟の妻が私に助言をしてくれました。
私が韓国にいる間に、「おふくろの心の傷を癒してください。」と言いました。
21:01
え?おふくろの心の傷がある?何なのかと思いましたら、
私がイエス様を信じるんだって、空上を拝むことができない、戦場の空上を拝むことができないって、
私が父親を犯行して家から追い出されたんですけど、
私は怖くて怖くて、私がもう家から逃げるんだって他のことを全く考えなかったんですけど、
その時、私に対して怒られたこの父親が、家にいるおふくろを殴ったと言います。
たぶん私に対して悔しい思いが出るところで、
いつもお前が子供をうまく育てることができなかったと言いながら、おふくろを殴ったと思います。
それを私たちは知らなかったんです。
私は逃げるのに精一杯で、家にいるおふくろが父親からどんな迫害を受けているのか知らなかった。
ですから私が静かな時間を設けて、おふくろに許しを求めました。
私は私の信仰の家に、何とか家から出てしまったんですけど、
おふくろが残られ、父から暴力を受けられ、私が受けるべき迫害をおふくろが全部受けられたということを、
ごめんなさい、ごめんなさい、おふくろに許しを求めました。
そしたらおふくろが私に、痛かったよ、痛かったよ、と言いました。
本当に本当に、本当に申し訳ない気持ちで一杯でした。
許しを求めながら、求めながら私はおふくろにこう言いました。
おふくろは神様にやるべきことを全部やりました。
自分の初めの息子、長男を神様に捧げて、
長男の親子を一日も受けていない、
すべてこれが神様に捧げたものだから、
おふくろはやるべきことを全部やりました。
神様から報いがあると私は信じていますと言いながら、おふくろのために祈ってあげました。
皆さん、信仰を持って、信じていない家庭から、信仰をまず初めに持っている人は、
みんな私みたいな子のようなことをやっているでしょう。
しかし私はその時、父親に父親の話を受け入れて妥協すればよかったんですけど、
妥協ができない、私の心の何か絶対できないような何かがありました。
これを聖書は今日、内的証拠と言います。内的印と言います。
24:04
イエス・キリストを信じる神の子である、神から生まれた人である内的印は、
皆さん絶対に苦情を拝まないように、妥協しないように、この世に妥協しないように、私たちを守ってくださる神様の力になります。
この内的印、内的証拠、内的確信が皆さんの中に豊かにありますように、
私は皆さんのために祈っているところであります。
3番目に、この世に信じた人にはどのような確信が与えられるのか。
はじめには、永遠の命で生きる確信です。
今日の11節から13節です。その証とは、神が永遠の命を私たちに与えられたこと、
そして、その命が御子の内にあるということです。
御子に結ばれている人にはこの命があり、御子に結ばれていない人はこの命がありません。
神の子の名を信じているあなた方に、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。と言います。
ここで皆さん、イエス・キリストを信じる神から生まれた人には、神の永遠の命がその人にあります。
永遠の命は、ただ長く生きることではありません。神の命が私の内にあるということです。
神の命は永遠です。死んでも生きます。失敗しても蘇られます。
新たな力が与えられます。死の力が対抗できない、超越的な力です。
その命によって、私たちはこの世で天の国を味わいができるし、天国に入る、そのすべての力が神様が与えてくださった、神の命、永遠の命なんです。
この永遠の命がある人が、天国に行きます。皆さん、この永遠の命、ありますね。
2番目に私たちに与えられることは、祈り、お祈りをする力です。神様が私の祈りを聞いてくださるという確信です。
世の中の人々は、イエス・キリストに何よって祈りません。なぜなら、祈りを応えられないことを分かっているからです。
しかし、神の子供、私たちはイエス・キリストの名によって祈ります。祈ることが私たちに答えとして与えられることを確信します。
私たちは、祈りを通して、永遠の命を今いただくことができるし、味わうことができるし、永遠の命の力で今日も生きることができるんです。
27:10
ここで大事なのは、中四節に見ていますと、何事でも神の御心にかなうことを私たちが祈るなら、神様は聞いてくださるということです。
神の御心にかなうことを祈る。私の勝手に祈るんじゃなくて、御心にかなう祈りをするとき、確かな答えを私たちがいただくことができるんです。
そのために、私たちは神様との対話、また神の御心を知ることが大事なので、精霊の導きによってこの働きをうまくできればと思います。
皆さん、私たちはこの世でどんな力で生きるのか、永遠の命の力で生きます。永遠の命の力をどのようにいただきますか、これは祈りを通していただきます。
ぜひとも祈りを大事にしていきたいと思います。
最後に、この世の神は悪魔なんですけど、私たちはこの世を生きています。
私たちはいつも葛藤があります。神を愛するべきか、この世を愛するべきか。
しかし皆さん、この世を愛し、この世に希望を持ちながら、この世の中のお金、学歴、成功、出世を誇りながら、サタンとの戦いができるのか、できません。
この世、この世が与えてくれることを愛しながら、この世との戦いができません。
サタンを愛しながら、サタンとの戦いができるわけがありません。絶対に勝つことができません。
ですから皆さん、今私たちキリスト社たちが力がないんです。
キリスト社たちが本当に自己中心的で、この世の中の当民、成功、出世、功学、世の中の学歴、本当にキリスト社たちがもっと愛しているのではありませんか。
これは大きな間違いです。私たちはこの世よりは神様を愛しなければなりません。神のことを誇りに持たなければいけません。
神様が与えてくださることを愛していかなければなりません。
そうするとき、この世の中と私たちが性別できます。この性別が力なんです。
私たちは神様を愛し、神様のことを誇りと思い、神様のことを本当に願って生きるとき、この世にかつ力が私たちに与えられるんです。
30:04
皆さん、この世で成功することも私たちが見て羨ましく思うこともありますよ。
しかしこの世で成功するんだとしても、罪と死の問題はどうすることもできません。
私はアントニオ・イノキ選手をたびたびテレビで見る場合があるんですが、
そんなに強かった人が、どうして今こんなに弱くなっているのか、現在の下にいる人間は仕方がないなと思います。
人はみんな罪によって病気になり、また死んでいく。
ああ、罪と死の力の前ではどうしようもできないなと思います。
しかし唯一、体は衰えていくんだとしても、死を恐れないで喜びと希望に満ちあうれる人たちがいます。
この人たちが神から生まれた人です。
イエス・キリストの主事家の師匠によって、贖いの恵みをいただいた人です。
その人たちには永遠の命があるから、限界があるこの世の中を脱ぎ捨て、
これから心霊な体で天国に行くようになるから、死ぬということが終わりではなく幸せの始まり、祝福の始まりというサインなんです。
ですからイエス様はこう言います。
イエス様は、主事家を背負う理由に対して、ヨハネ16章33節
あなた方が私によって平和を得るために、またあなた方はこの世では苦難を受けるが、しかし勇気を足しなさい。私はすでに世に勝っていると言います。
私たちが今コロナの中でたくさんの苦しみを持っています。
しかし、私たちはこの世の中で生きるようにしても死ぬようにしても、キリストの中で、神の国の中で生きていくことなんです。
私がこの世の中に生きているときには、永遠の命の力でこの世に良き影響を及ぼし、大勢の人々を救われ、
教会を上手く神の家を建て、そして私たちが死んだときには、永遠の天国で私たちがみんな再び出会って、栄光と祝福の中で生きることになります。
このような希望、このような希望の信仰が、この世に勝ち抜く信仰の力です。
33:02
私たちにはこのような神から生まれた人はこの世を打ち勝つ、また私たちは神の永遠の命によってこの世だけではなく、永遠に永遠に生きますという、この希望の信仰、この信仰を私たちがみんな持っていく。
そして世の中には大胆さを持って、何があっても大胆に生きながら、神の国、天国に行く私たちになりましょう。
これが世に打ち勝つ信仰なんです。
これを持っている人は、悪魔も世の中が何を言っても、その人を逮捕することができません。
みんながこのような信仰を持つことができることを祈ります。
さあ、お祈りいたします。
神様、私たちは昔はこの世の霊を受けて、この世が全てのように私たちは生きてきました。
その時は、私たちはこの世を求めながら、この世が滅ぼされる時、共に滅ぼされるものでした。
しかし今は、イエス・キリストの主実家の致勝によって、聖霊によって新たに生まれました。
神から生まれました。
永遠の命を持って、この世に勝ち、この世を救い、そして大勢の方々に力を与えながら、神様と共に永遠に生きる私たちになります。
どうかこのような信仰が、私たちみんなに豊かに与えられることを祈ります。
イエス・キリスト様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン。
34:48

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