私たちは成功してたくさんのお金を稼ぐなら幸せになるんじゃないかと思います。
しかしそうではありません。私たちを創造され、また結婚と家庭を作ってくださった
神様の身むね通り、聖書通り生きるとき一番幸せになります。
ですから先週は聖書的な家庭について分かっちゃいました。
今日は私たちに神の身むね通り生きることができないように妨げるものがあります。
また私たちの家庭に不幸と呪いをもたらしてくれる勢力があります。
この勢力と呪いの原因について、私たちは良くしてその問題を解決するとき
私たちが幸せになるんだということを申し上げたいと思います。
私は私の家庭が本当に難しいときたびたび考えます。
私の父の家も聖書的に福音的に見ますと問題がたくさんある家庭でした。
私の妻の家庭もよく見ますと福音的に問題があったと思います。
妻の家庭、また私たちの家庭、礼儀的な環境の中で棘がいろいろあって
そこに刺されて私たちの家庭と夫婦と子供たちが難しかったかなと思います。
しかし私たちはこれからこの悪い流れ、この苦しみと悩み、不幸の要因を
絶対私たちの子供たちには譲ってあげることは一切言ってはならないと思います。
ですから今日は私たちの家庭を煩わせる、苦しめる実態が何かこれを調べてみて
それを解決する方法を一緒に分かち合いたいと思います。
各家庭を煩わせる問題があります。
各家庭に何か問題があります。
この問題が何なのか、その原因は何なのか。
新元の26章2節に理由もない呪いが襲うことはない。
何か問題、呪い、いろいろなことがあったらそこには必ず理由があるということです。
一般的にその理由の始めは罪です。
創世紀3章から私たち人間を苦しめたこの賢罪の影響です。
この賢罪を呼び起こした悪魔に対して目白く中2章9節に起こります。
この巨大な流、年を減った蛇、悪魔とかサトゥンとか呼ばれる者、
全人類を惑わす者と言います。
この奴が初めに人を誘惑して罪を犯させることによって全ての不幸が始まりました。
この罪は神様との私たちの間を妨げます。
関係をダメにします。
そして神様が持っておられる永遠の命、
また神様の至福が私たちに流されることを妨げます。
この全ての原因は、
イザヤ59章1節2節で見ますと、
この罪、罪が神様と私たちの間を妨げるんだということです。
罪は、礼儀的に見てますと、うんちと同じです。
みなさん、うんちがあるなら臭いが出ます。
うんちには虫がついてくるし、ばい菌がついてきます。
それによって私たちが病気にかかったり、不幸と呪いがくるんですけど、
この汚い臭いが出るこのうんちをどうすれば解決できますか?
これを水できれいに洗えば、これは解決できます。
では、罪は何をもって解決できますか?
罪を解決するために、世の中でいろいろな宗教がいろいろな方法を用いているんですけど、
創造主神様は立法で、
罪の流しがなければ罪の許しがないと定めています。
神様は、罪は地によって清くすると言います。
どんな地ですか?罪がない地。
ですから、旧約聖書では、動物の地によって清くしました。
イエス様が来られて、十字架でイエス様が罪がない地を通して、私たちを清めてくださいます。
その時、私たちは罪の許しをいただきます。
2番目の原因は、空浄する。空浄。
空浄という意味は、虚しいということですけど、
これは神様を代替する、神様に代わりになる、すべてのものがここに当てられます。
神様には私たちしかいません。神様は私たちだけです。
ですから、神様は全身全力で私たちだけを愛します。
そうしながら、私たちも神様をそのように愛してくれることを願っております。
しかし、私たちは神様も愛するんですけど、その以外にも愛することがたくさんあります。
そうしながら、神を愛していますと言います。
私たちが愛していますということと、神様が受け取れてくださることは全く違います。
もし、妻も愛しているし、他の罪も他の女性も愛していると言ったら、これは愛と言いません。
愛はただ追い取りです。妻を愛するなら妻だけを愛することを愛と言います。
神を愛すると言ったら、神様だけを愛することを愛と言います。
私たちは神を愛しますけど、まだ愛することが世の中でいっぱいあります。
他のことも愛しながら、その中で一つとして神様も愛しますということは、
これは愛ではありません。
妻が絶対許せないことは夫の不倫ということです。
神様は偶像は絶対許されない。
しかし、私たちの人生では、私たちが神様よりもっと愛することが本当に多くあります。
これが問題です。
私たちキリスト者は他の宗教の偶像を拝んだりすることはありません。
しかし、私たちの中にも偶像がいっぱいあります。
まず何ですか?お金です。私たちはもうお金を愛します。
また世の中の成功、出世、富、栄光、もういろいろなことを愛します。
特に、私も問題がありますけど、子供を愛します。
子供に何があったら、神様より子供が優先になってしまいます。
これは神様を見られるのには、子供が偶像になります。
神様よりもっと愛する、もっと大切にする、優先順位、もっと高いこと、これは許せない。
これは簡単でしょう。
妻よりもっと愛する女性がいたら、妻は絶対許せないことと同じことです。
ですから私たちは偶像ということは、他の宗教のこの城を拝むことはありませんよ。
いいえ、そのことじゃなくて、今世の中で私たちがもっと大事にして大切にするものがたくさんあります。
事実はそのことによって問題が来るんです。
十回で第一の言いましめは何ですか。
私の他に他の神があってはならない。
その偶像に対して拝んだり、そこに仕えたりしてはいけない。
そして後節に見ますと、私は主、あなたの神、私は熱道の神である。
私を稲む者には不素の罪を子孫に三代四代まで問うと言います。
ですから私たちは分からないうちに、神よりもっと愛する、大切にする、もっと大事にすることがあって、
呪いの原因は罪です。
罪を支払う報酬は死ですと言いますけど、
この罪の問題を解決してくださるために、イエス様が来られました。
イエス様が十字架で苦しみを受け、血を流してくださったのは、
血の流しがなければ、罪の許しがないからです。
その見言葉を成し遂げるためです。
ですから私たちは、このイエス様の指導によって、
私たちは持っているすべての呪い、罪を全部清く洗うことが大事です。
ところが、イエス様を信じる前に私たちは悔いを改めて、それで救われて信仰に入ったんですけど、
キリスト支配になった後も私たちは、私自身では弱くてまた罪を犯します。
ですから私たちは死ぬ時まで、毎日毎日、罪を悔い改める働きをよくよくやらなければいけません。
しかし、初めに信仰告白をかけながら、私はこんな罪、こんな問題がありましたと告白をしますけど、
一旦信仰に入ってからは、私たちはなかなか悔い改めることを怠ける私たちではないでしょうか。
悔い改めを軽く考えたら、皆さん大きな問題があります。
罪を犯すことは仕方がないかもしれません。しかしすぐすぐ悔い改めるなら問題はありません。
しかし悔い改めなくて、罪をだんだん積み上げていくなら、
特に皆さん、キリスト者は解決する方法はありますけど、世の中の未信者たちは罪を解決する方法がありません。
罪を犯します。解決する方法はありません。罪が積み上げられて、罪が大きな罪がたくさん持っています。
皆さん、罪の問題解決できないから、みんな罪にもう奴隷になっている状態です。
罪の奴隷という意味は、罪が指示する通りに従う。また、永遠に罪から逃れることはできないということです。
罪の影響力はものすごい強いです。ですから、罪を犯したら、早く悔い改めて清く洗わなければなりません。
神様の関係、神を私たちは愛しています。しかし神様、神様を愛しているし、私は神を信じているのに、
どうして神の命、永遠の力、また祝福と幸せをいただくことはできないのか。
罪によることです。罪が妨げているからです。この悔い改めをきれいにしなければ、いつか命が断ち切られ、幸せがなくなり、喜びがなくなり、
まあ顔が真っ暗になってどうしようかと思います。これはすべて、罪によって神様と私たちの関係がダメになっている。
太陽は光るんですけど、その太陽の光が私に照らされない。なぜでしょう。
これは苦悶なんです。苦悶のような罪。だから私が不安だと、なんとかうまくできないとか、いろいろイライラするときには、
神様と私の間に何かがあるんじゃないかと思って、何ですか、何ですか。
見言葉を通してちゃんと精霊様が照らしてくださる。すぐすぐ悔い改めること、これを大事にしなければなりません。
しかし悔い改めなければ、キリスト者だと言っても、
苦悶、苦悶が罪の妨げがあります。これがだんだん積み上げていくなら、それが時代が固い要塞になってしまう。
大憎りと畜生四説。この固い要塞になって、この要塞の裏に、
サタンがちゃんと身を隠して、私たちの個人と家庭、また家計に破壊する働きをします。
要はね、畜生十説、盗人が来るのは、盗んだり滅ぼしたり、
盗んだり、ほふったり滅ぼしたりするため、ですからそれをもって私たちの家庭を破壊します。
これは誰にも礼愛がありません。罪を軽んじるなら、罪は積み上げられて、
罪悪になり、その裏に悪魔が働いて、私たちの家庭を破滅します。
それを解決する方法がなければ、上の先祖、私の上のおじいちゃん、おばあちゃんたちがやった罪を、
父親、母親も親譲りでそのまま受けるし、この次に私たちもそれを受け入れて、
それをまた子供たちに引き受けて、罪の泥いの親譲りみたいなことをずっとやって、
それで家がダメになっていきます。ある人がアルコール中毒とか、
また賭博、不倫とか、いろいろな中毒的な問題がたくさんあるでしょう。
世の中に行ってみてください。各家庭に問題がない家庭がありません。それは何かと、
上から流れるそのことが今、積み上げられているから、私族たちは仕方がなくて、それを受けるしかない。
3代、4代まで罪が流れ、呪いがずっと流れるとしたら、3代、4代の子供たちは、子孫たちは、
わけもわからない、いろいろな問題によって煩わせるようになります。この呪いの内容がどんな内容があるのか。
新明記28章は祝福と呪いの章です。祝福もたくさん書いてありますけど、呪いがたくさん書いてあるんですけど、
28章、15節から68章まで、8節まで、その中を読みますと、50種類以上の呪いがあります。
その中には皮膚病がたくさん書いてあるし、精神病がたくさん書いてあるし、その中で私たちの人生をダメにする様々な問題が、
たくさん書いてあります。そのことを事実、私たちは今、もう担っているのにも関わらず、
自分はなぜこんな苦しみがあるのか、なぜ私の家庭にはこんな問題がたくさんあるのか、わからない。
皆さん、この新明記28章の見言葉は、未信者たちに与えた見言葉ではありません。信者たちに与えた見言葉。
信者たちに祝福と呪いがある、呪いの数がものすごいたくさんあります。
事実、これがいつ私が明らかになったのか、イエス様が来られた時、イエス様が行かれる所々に人々がたくさん集まりました。
なぜ?問題が山ほどあるからです。各家に。
なぜしかたし、何か病気もたくさんあるし、悪霊がどれほど働いたのか。
信じているイスラエルの中に、なぜこんな問題がたくさんあるのか。これがジェーム上から流れ流れ流れ流れてきた、
その罪悪による呪いがイスラエルの中で満ち溢れていったんです。ですからイエス様は至る所に教え、述べ伝え、
癒やされたということを働きあげます。私たちも同じです。この私たちは世の管理者です。この世の中、神様が作られたすべてを管理する責任が私たちにあります。
私たちは世の中で苦しんでいる人を見たら、この人を助けてあげたい、癒してあげたい心を持つのは当たり前でしょう。
なぜ?管理者だから。だから私たちもこれをよく知って、それを解決してあげなければなりません。
ところが皆さん、親譲りという呪いが上からずっと下までずっと流れていくんですけど、
流れていくこの経路と言いましょうか、それは何かと簡単に書いております。
癒やしの働き人たちはこう言います。まず遺伝子、遺伝子を通して呪いが繋がる。
また2番目、先祖の罪を子孫たちが真似することによって繋がる。
私は今、母親を慕うと言ったでしょう。母親を大好きで愛して愛して、今も母親を考えたら涙が出る。
私は親、何と言いますか、ママボイと言いましょうか。
だから私たちの母親に年を取った時に言われたいろいろなことが、今私にもあるのではないかと。
何か目がぼーっとするとか、目眩をするとか、血圧が高いとか、何とか何とか。
母親がいつも言っていた言葉を、今私が言っていることを、ヒューンの映画を毎日聞いているんですけど。
それを、母親が言っている言葉を、私がちょっと言っているんだなと。
母親の弱さを、私が親譲りしてもらったかなという。
皆さん、これは簡単です。
悪魔は、親がやっていることを、母親も弱かったから私も弱いだろうと、私が認めたらその通り悪魔が、
母親を支配したこの悪魔が、私を支配し始めます。
親譲りは簡単な言葉によって、認めることによって受けてしまう。
母親がこんなところに弱かったとしたら、娘たちは、お母さんもそうだったから私もそうだろうと、
簡単に受け入れてしまうんですが、それが親譲りの方法なんです。
これを許してはいけません。
母親は弱かったけど、私はイエス・キリストを信じているから、
新しく作られたものだから、私はイエス・キリストの血が流れている。
だから私は、この母親の弱さと関係ないと宣言することが大事なのに、
私たちはそれがわからないから、だからその弱さが自分も縛られて、
また作る子供にも譲ってあげるでしょう。
だから血しそんそん流れてしまう。
いろいろな方法、5つの方法を私がその頃に書いておりました。
その5つの5番目のこと、ソウルタイという言葉がありますけど、根的につながりが強いもの。
だから先ほど母親と私は、ものすごい愛している母親の弱さを私が自然に優しく引き受けてしまう。
そのことによってサタンが私にも働くんだということを考えながら、
私たちはこれをいつかまた皆さんと分かち合いたいと思います。
皆さん、度々考えます。これは簡単に皆さん冗談として聞いてください。
皆さんは結婚相手としてどんな姉妹を欲しがるんですか?と言ったら、
また妻のところも、私たちのところも全部調べてみてください。
私の家庭には3つ、戦場たちに対する空情を拝むこと、また暴力、また淫乱ということがありました。
私の家庭には戦場をどれほど熱心に拝んだのか、
今、食べるものがなくても戦場に対するこの空情の儀式は盛大に行いました。
私たちが食べるものがなくても、戦場たちを拝むときには立派にやりました。
そうしながら私たちは、そううまくすれば祝福されると思いました。
しかし、これが事実呪われる道なんです。
私は子供のとき、戦場に対する儀式をうまくやりました。
おじいちゃんは私にいつも、あなたは親子だ、いい孫だ、いい孫だと言いました。
私はそれが好きで、もともと熱心にやりました。
それが事実、私にたくさんの問題があることをわかりませんでした。
また家庭の中に、淫乱と暴力なんですけど、一つの例と挙げます。
私には、おじいちゃんは一人、おばあちゃんは二人います。
おじいちゃんがまず初めに結婚して、おばあちゃんが自分に気に合わなかった。
だから、他の女性を二番目のおばあちゃんとして受け入れた。
そうしたら、初めのおばあちゃんが二番目のおばあちゃんをネタむでしょう。
ネタむたびに、おじいちゃんはおばあちゃんのところにいて、殴ったそうです。
ネタむんだって。
上の初めのおばあちゃんが亡くなったとき、私の母が亡くなったこの方の死体を見たってそうです。
体が黒くなった。
黒いってことは、殴った後の跡が残っている。
どれほど殴られているんでしょう。
自分の旦那さんを奪われ、ネタむんだということでまた殴られ、人生が地獄だったでしょう。
このおばあちゃんを考えるときに、どれほどどれほどかわいそうなのかと思いました。
そのような暴力と因乱が私の家に満ち溢れていました。
そうしながら、戦場をうまく拝むから、私たちは名門家だと思っていました。
この中身を見てみたら、家庭の中がどれほど怖かったのか。
その怖い残忍な来歴が私にもつながっていました。
私がイエス・キリストによって変わらなかったときには、妻と子供たちが非常に苦労したと思います。
私の家庭でこのような怖い呪いの働きが親譲りとしてつながらないためには、
私はこのことを断ち切らなければいけません。
また、みなさん、この呪いを流した先祖が今生きているなら、
これも仕方がなく流れているんです。
親の方が生きているなら、私には全部亡くなったから今問題ないんですけど、
生きているのは今も流れているから、それを解決するのは非常に難しくなるでしょう。
まず、みなさんの家庭の中で呪いの流れの診断をして、
この次何をするか、それを認めて悔いを改める。
イスラエルが滅ぼされて、またバーベルの捕虜になったときに、
イスラエルがなぜダメになったのか、神の国イスラエルがなぜダメになったのか、
イスラエルの預言者たちはみんなそれを思い出しました。
それでノエニアとダネルはこのように悔いを改めます。
ノエニアです。
あなたの下部の祈りを聞いてください。
あなたの下部であるイスラエルの人々のために、
今私は昼も夜も祈り、イスラエルの人々の罪を告白します。
私たちはあなたに罪を犯しました。
私も私の父の家も罪を犯しました。
そうしながらノエニアはずっと神様に悔いを改めます。
ダネルも同じです。
こうしてお歌え、祈り、私自身も私の民イスラエルの罪を告白し、
私の神の聖なる山について主なる私の神に嘆願し続けます。
ダネルとノエニアは自分の罪と先祖たちの罪を全部持って、
神様の前で繰り返し繰り返し、祈り、祈り、悔いを改めました。
この切なる祈りを通して、神様はイスラエルの背きの罪、
神に対する罪を許してくださった。
まず診断すること、この罪が発火にされたら、
この罪を徹底的に悔い改めることが大事です。
また3番目、宣言の祈りをすることです。
宣言は誰にしますか?
呪いを流しているこのサタンについて、
またこの呪いを流しているすべてのことについて、
イエス・キリスト求人家の力と神の子供の献身によって、
これを断ち切る命令、またそれを止める力を持って祈るわけです。
呪いを流すこの悪しき霊、闇の霊、呪いの霊、失敗の霊、暴力の霊、
因乱の霊、病の霊、貧困の霊、これをいちいち全部追い出さなければなりません。
私たちの家庭の中で、暴力、因乱、病、問題、どれほど多かったでしょう。
これを悔い改めると、そのまま置いているから、
それが罪重ねられ、罪重ねられ、その裏にサタンが隠しておいて、
罪をずっと流しているから、
上の方も、次に父も母も、私も私の妻も、そして子供たちにも、
それがずっと流れていくんです。
それは誰かが、信仰を持っている人が、それを断ち切らなきゃいけないし、
それを止めなきゃいけません。
それを止めるために宣言をする。
イエス・キリスト、皆によって全てを断ち切られ、
全てを止めるように命じることが大事なんです。
皆さん、私たちが持っている十字架の力、
イエス様の父親の力がどれほど力があるんでしょうか。
エジプトの時、皆さん杉越市の祭り、ご存知でしょう。
十番目の災いの時に、
エジプトの全ての老い子が死んでいくところです。
そこでイスラエルの人たちには誰も知りませんでした。
なぜ?
イスラエルの家の門の傍らに、羊の血をぬいたからです。
羊の血をぬいた時に、死の死者がこの血を見たら、杉越をした。
他の言葉で言えば、死の死者が逃げてしまった。
血の血性の力。
イエス・キリストの血性によって、
皆さんの家庭、私たちの子供たち、
全部清く毎日毎日血をぬく。
そうしたらこの世の災いが消えてしまう。
裂けてしまう。逃げてしまう。
血の力。
もう一つ、民族記21章、イスラエルの人たちがあるので、
神様を恨みました。
その時、神様は炎の蛇を送って、彼を噛ませました。
毒の蛇が噛んだ時に、毒が広がり、そして死んでいきます。
その時、孟子が神様に祈ります。
そうしたら、神様が孟子に言われた、
あなたは炎の蛇を作り、
肌竿の先にそれを掲げよう。
蛇に噛まれた者がそれを見上げると、命を得る。
この炎の蛇の形の杖、それは何を意味するのか?
これはイエス切りの十字架を意味します。
罪の呪いによって、噛まれて、毒が広がって、
そして死んでいく人たちがイエス様の十字架を見れば、
孟子が掲げた十字架、この炎の蛇の杖を見たら、癒されました。
こんなことを見るんだって癒されるか?
見なかった人は全部死んでしまいました。
イエス切りの十字架は、世の中の全ての呪いと罪と、
サタンの勢力を破る、これを追い出すものすごい大きなパワーです。
イエス切りの十字架を見上げる人は、全部救われます。癒されます。
これ、信仰によって見るところで、罪が許され、救われ、この全てが癒されます。
しかし、こんなことを見るんだって癒されるか?
病院に行かなければ、という人は全部死んでしまった。
信仰によって見ることが大事です。
皆さん、私たちの家庭に、上からの罪と罪悪によって、
家庭の中で呪いが流れるとき、
そして、家族の皆さんが苦しめられ、また子供たちがそれによっていろいろな問題が生じるとき、
私たちはどうすればいいでしょう。
その原因を分かったら、イエス・キリストの十字架の父親を信じながら、
上の罪と私たちの罪を全部救い改めて、
それからイエス様の十字架の力、神の子供の力によって、
そのすべてを立ち止め、それを全部しり除ける。