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今日は、サタンは私と何の関わりもない という対応を持って、メッセージを分かち合いたいと思います。
今、オリンピック、今日で閉会になりますけど、 オリンピックのデッキが本当に熱いんです。
毎日テレビで皆さん見ていらっしゃるでしょう。 ところが、私はその競技を見ながら、
立派な選手たちが、これでだんだん人気が失って、 忘れていく人もいるし、
逆光を浴びると言いましょうか、 新人たちがオリンピックに現れる、その場面を見ています。
勝負の世界ということは、成績が残らなければ厳しいですね。 やっぱり優れた、私は体操の代表、
内村コウヘイ選手ですから、 その選手にいつも期待してたんですが、今度はあまり見えなくなりました。
他の若者たちが立派にうまくやっていることを見て、 本当に大事だなと思いました。
朱鋭の橋本選手、金で2冠になりました。 また柔道の安倍、漢字が面白いですね、
安倍歌選手、またお兄さんも金メダルを取って、 兄弟の間で、本当に素晴らしい家庭だなと思いました。
オリンピックで金メダルを取ったら、周りから 賞賛を受けます。
しかしその名声は何年続くでしょうか。 しばらく嬉しかった分、
またそれを失ってしまえば、 本当に寂しい気持ちになるんじゃないかと思います。
ですからうまくできたということで、 高慢になることもやめて、
よくできないという時にも失望しないように、 それで謙遜になることがやっぱり人間は一番大事だなということを 今考えているところでありますけど、
世界に一位になること、金メダルを取ること、 みんなが願っています。
なぜ人は金メダルにこだわるんでしょうか。
現在のもとにある人間の特徴をお話ししながら、 選手はこう言っています。
第一弱音の2章の15節から17節です。 世も世にあるものも愛してはいけません。
世を愛する人がいれば、 恩父への愛はその人のうちにありません。
なぜならすべて世にあるもの、 陸の欲、目の欲、生活の奢りは、
恩父から出ないで、世から出るからです。 世も世にあるものも過ぎ去っていきます。
しかし神の御心を行う人は、 永遠に生き続けますと言います。
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ここで大事なことを教えてくださいます。 過ぎ去っていくこと。
過ぎ去っていくことと、 永遠に残ることがここで表しています。
私たちは永遠の勝利、 永遠の勝者になりたいんですけど、
どうすればいいのか。 御心を行う人にならなきゃいけないんじゃないかと思います。
今オリンピックほど熱いのが、 今韓国の大統領予備候補たちの間の争いです。
大統領選挙は来年3月なんですけど、 誰が大統領にふさわしいのか、
それをいつもメスコムとYouTubeで悪宣伝をしながら、誹謗しながら、 過去の罪、過ち、すべてを暴くような状態であります。
今北朝鮮のスパイまで関与したということで、 本当に見苦しい、また泥沼のような状態になっていく母国なんですけど、
本当に今、祈らなきゃいけないと思っているところなんです。 こんな時、イエス様が言われた今日の聖書、
ヨハネ14章30節、彼は私と何の関わりもない、 という御言葉の大事さを考えてみたいと思います。
8月は私たちはヨハネ12章24節、 一粒の麦は地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ、 ということに対して分かっているところなんですけど、
この御言葉と、私と彼は何の関わりもない、 という言葉はどんな関係があるのか、
また、私は、サタンの私と何の関わりもない、 という言葉の大事さ、その意味深さを今日一緒に考えていきたいと思います。
まず初めに、イエス様は、彼は私と何の関わりもないと言いました。 これはどんな意味でしょうか。
ヨハネの14章の背景は、イエス様が十字架に架かれる前、 サタンが扇動して、イエス様を殺す雰囲気をエルサレム全体に作っていきます。
皆さん、この雰囲気怖いですよ。 私は、教会から追い出される時、教会の雰囲気が一気に悪くなりますね。
怖いですよ。イエス様を殺す雰囲気が、 エルサレム全体にこれを作っていきます。雰囲気が変わっていきます。
サタンの敬礼役をする宗教主導者たちと民が一つになって、 イエス様に対する反対運動をします。
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イエス様に対して告発をする人も現れます。 それをあらかじめ知っておられたイエス様は、
結成真似の祈りを通して力をいただいて、 しっかり準備されたことがわかります。
その雰囲気の中で、宗教主導者たちは、 謳える口実を探そうとして、偽りの証言者たちを立てていきます。
しかし彼らの証言を通して、イエス様に対する 謳える口実を発見することができませんでした。
今日読んでくださった聖書は、 そのことに対してイエス様が言われたことです。
世の支配者が来るんだ。 しかし彼は私とは何の関わりもないんだ。
だから彼は私をどうすることもできないんだということなんですけど、
この言葉は、公語訳では彼は私に対して何の力もない。
神会訳は、彼は私に対して何にもすることができないということで翻訳しています。
もし、サタンは私と何の関わりもないと言われたこと、 もし皆さん関わりがあるんだとしたらどうなりますか?
イエス様がサタンと関わりがあるとするなら、 人類の救いもサタンを滅ぼすこともできなくなります。
またイエス様は自分の罪のゆえに裁かれ殺されるようになります。
それだけではありません。 ひっかかる弱点を持っているんだとするなら、
吠えたげる獅子のような悪魔によって散々食い尽くされたと思います。
今、韓国の大統領選挙の予備候補たちの悪宣伝、誹謗、ネガティブ攻勢くらいは何もなかったと思います。
イエス様はひっかかる余地が全くないのにもかかわらず、
サタンは民乱を生かすような、もう幻悪な雰囲気をつくって、
結局ピラドから死刑判決を受け取ることがわかります。
サタンは自分の狙う、この目的のために手段、方法を選びません。
残忍すぎる方法で、もう何でもやってしまいます。
このような時、イエス様がお話しされたこの言葉のように、
私はサタンと何の関わりもない、
いうお話ができる私たちになれればと思います。
2番目に、どうすれば私たちはサタンと何の関わりがない人になりますか。
ローマ書3章10節を見ますと、正しい人はいない、一人もいない。
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正しい人はいない、一人もいないと言います。
そうしながら、ローマ書3章23節、24節にはこう言われています。
人はみんな罪を犯して、神の栄誉を受けられなくなった、となっていますが、
ただ、キリストイエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で喫緊された、と言います。
全ての人は罪を犯して、神の栄誉を受けられなくなった、という言葉は、
罪の誘惑、サタンの声に関わっていない人は誰もいない。
ですから、みんなサタンの支配を受けて、みんな地獄に行かなきゃいけない、という意味でしょう。
誰がここから自由になれるでしょうか。
ですから、正しい人はいない、一人もいない、ということです。
ところが、イエス様の十字架の贖いによって、神の恵みによって、無償で喫緊された、と言います。
罪人は神様から正しい、そして神様からあなたは天国に行くのにふさわしい、と言う、
これはどうしてこれができたのか、イエス様の十字架への贖いということです。
ですから、イエス様の贖いによって、私たちの罪が許され、私たちはサタンとの関わりが断ち切られ、
天国に行くようになった、ということは、どれほどグッドニュースなんでしょうか。
皆さんに何度も申し上げるんですけど、ある業台の罪の問題解決に対する例えがあります。
いつも私が使うものなんですけど、もう一度聞いていただきたいと思います。
小学校に帰っている兄と弟がいました。 学校から帰り道に文法部に入りました。
そこで弟がゲシコムを盗むことを兄が見ました。 そしてダメだよと言っちゃったら、そして弟はそれを元に戻しました。
しかし兄はその盗んだことをもって、弟を脅迫します。
ある日兄が弟に、飲む水を汲んでこいと言います。 そしたら弟はこう言います。お前が汲んでいたのを飲みなさいよと言います。
そしたら兄がこう言います。パパに言うよと言ったら、弟が分かった分かった、私が汲んであげるから。
パパには絶対秘密にしてくれ、お願いしますと言います。 それからはよりより兄は
弟をしもぶのようにこぎ使います。 犯行するならいつもパパに言うよと言います。
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それが長引いたのでどうしたらいいのか、それで仕方がない弟が
父親のところに行って、パパ私がゲシコムを盗もうとしました。 悪いことをしました。許してくださいと告白しました。
そしたらお父さんは次はこんなことをやってはいけないよと言いながら許してくださいました。
その後兄がまた弟にこぎ使おうとして言います。 飲む水を汲んでこいと言います。
そしたら弟が何と言ったと思いますか。 お前が汲んで飲みなさいよと言います。
だったら言います。パパに言うんだ。 その時弟が言いなさいよ。
言ってもいいの?言ってもいい。 なぜ弟はこのように同等になりましたか。
父親からすでに許されるというお話を聞いたからです。 罪の問題で苦しむ弟の解決策は
父親に告白して悔い改めて許しをいただくことでした。 それから兄の告白から弟は自由になりました。
私たちが犯した罪を公衆として私たちを苦しめるサタンから、私たちがどうすれば自由になりますか。
イエス様の十字架の前にいて、悔い改めてイエス様の許しをいただくものです。
第一要念1章8節9節こう言います。 自分に罪がないと言うなら自ら欺いており真理は私たちのうちにありません。
自分の罪を公に言い表すなら神は真実で正しい方ですから罪を許しあらゆる不義から私たちを清めてくださいますと言います。
イエス様は約部の1章5節私たちは罪を咎めないお方。 ヘブラ1章4章15節私たちのすべてを同情できるお方なんです。
またイエス様は最後の時の裁きの時の裁き主でもあります。 ですからこのイエス様の前にいて、悔い改めて自分の罪を告白するならイエス様は許してくださいます。
要は8章には 官員の刑場で捕まえた女がいました。
その女を捕まえて来ながら、君主たちは石を持ってこの女を石で打ち打ちで殺そうと言いました。
その時イエス様にこの女を殺していいのかないのか尋ねるんですね。 その時イエス様は何て言うんですか。
あなたたちの中で罪を犯したことのない者がまずこの女に石を投げなさいと言います。
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それで人々は全部逃げてしまいました。 その時イエス様はこう言います。私もあなたを罪に定めない。
行きなさい。これからは罪を犯したらいけないと言います。 イエス様はこの女のために
十字架を背負ってくださり、地を流してくださったんです。 またこれから罪を犯さないようにイエス様は世の光として彼女を導いてくださるのです。
世の中で誰も罪の誘惑から、闇の牽制者、サタンの影響力から自由になる人はいません。
世の光であるイエス・キリストと親しい中でイエス様の御声を聞き従うなら、自由を得ることができます。
また知らないうちに罪を犯したとしても悔い改める生活を毎日続けるなら、私たちも罪とサタンとは何の関わりもない人になります。
イエス様は主の祈りで、私が他の人の罪を許したように私の罪をも許してくださいと祈りなさいと言いました。
これは礼の日曜の糧です。 私たちは毎日毎日これを続けるとき悪魔にとらわれることではなく、私たちは自由を得ることができます。
では3番目です。 罪、サタンと何の関わりがないことがなぜ大事なんでしょうか。
韓国の大統領選挙の予備候補の中で、もし罪と悪い人々と全く関わりのない候補がいるなら、どれほどこの人は力があるのでしょうか。
皆さん、真事の力はサタンと罪と関わりがないとき私たちに与えられます。
この見言葉をご存知でしょうか。 イザヤ59章1節2節です。
主の手が短くて救えないことでもなく、主の耳が鈍くて聞こえないことでもない。
むしろお前たちの悪が神とお前たちの間を下手で、お前たちの罪が神の三日を隠させ、
あなたたちに耳を傾けることができないように妨げるのだと言います。 神様と私たちの間の妨げ、これが罪なんです。
罪を取り除くとき、神様の全てが与えられます。 神様の手、神様の耳、これは私たちを助けてくださる神様の力を表します。
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また、サタンとも何の関わりもなくなります。 ですからこれがどれほど大事なんでしょうか。
神様はレビキン20章26節に、私は聖なるもの、あなたたちも聖なるものとなれ。
聖書全体的に、私は聖なるものだ、だからあなたたちも聖なるものになれ。 また、マタイの古書の三蔵の推訓で、古書44節48節にこう言います。
力をも愛しなさい。 神様のように聖なるものになりなさい。
なぜこのことを強調しますか。 この時、サタンと何の関わりもない人になるからです。
それだけではありません。またその時、力が与えられます。 サタンを叱る力、サタンを追い出す力、
呪いと病に対するサタンの力を断ち切ることもできますので、 このような人たちは癒しが伴います。
その時こそ、マルコ16章17節18節が実際行われます。 信じる者には次のようなものが印が伴う。
彼らは私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。 手で蛇をつかみ、また毒を飲んでも決して甲斐を受けず、病人に手を置けば治る。
この御言葉が本当になるんです。 なぜ今まで私たちはできないのか。
サタンと関わりを持ちながら、罪の中にいながら、そのような祈りをするのは弱いんです。
しかしサタンとの関わりを断ち切って、罪を全部神様の忠実感によってすべて清くしてもらった時、
信じる者はこのようなことが伴いますということが、実際私たちにもできるんです。
ですから神の子供であるキリスト社たちは、罪を犯したって、過ちを犯したって、
蓄を秀、劣等感に陥る必要はありません。 そのようなことは全部無意味なんです。
これは悪魔に騙されることです。 騙されないで、信徒たちは何があっても、どんな過ちを犯したとしても、
イエス様の御前で悔い改めて、神様の許しと、 回復の約束を信じれば、
サタンと何の関わりもないものとして、力を取り戻すことができるんです。
イエス様は公的障害を始まる時、アラノで悪魔の試みを受けられました。
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悪魔は3度もイエス様を試みました。 皆さん、その時も今も悪魔は私たちを誘惑し試みをします。
何を言いますか?パンの問題です。 いつも肉の欲のために生きなさいということです。
また、人々の評価を求めるように目の欲を促します。 また、この世の中で栄育を受けるように、この世の奢りを私たちを促します。
悪魔は頭悪いものだから、いつも同じ項目で私たちは試みます。 その試みを知り除けた時、
悪魔は逃げてしまいました。 その時、イエス様は悪魔と関係がない人、何の関わりもない人になりました。
そうした時、イエス様の公障害を通して、悪魔に苦しめられる全ての人を救われ、
生かすこと、癒すことができました。 皆さん、悪魔に従いながら悪魔を知り除けることはできません。
ローマ書6章16節、知らないのですか? あなた方は誰かに奴隷として従えば、その従っている人の奴隷になる。
つまり、あなた方は罪に仕える奴隷になって死に至るか、 神に従順し仕える奴隷になって気に至るか、どちらからですと言います。
私たちは悪魔と罪と関わりをすべて断ち切って、 徹底的にイエス様に従う、神の御言葉に従う、
聖霊に従うことによって、悪魔と全く関係がない私たちになりましょう。 その時、キリスト社らしい力ある勝利の人生になるんです。
最後になりますけど、先週、ヨハネ中二章24節から、 一粒の麦は死ぬなら多くの実を結ぶと言いました。
この死ぬならということは、今日の聖書では何の関わりもない人になるならということです。
悪魔と罪と何の関わりもない、 そして神様と深い親しみの中にいる人、
罪に対して生きることではなく、神様に対して生きている私たち、 その時、マゴットのキリスト社らしいキリスト社になり、
そのような人たちが新しい革袋の教会を建て、 地の果てにまで福音を述べ伝えることができます。
じゃあ私たちこう言いましょう。 私は罪と悪魔と何の関わりもないんだ。
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どうしてですか?悔い改めることです。 断ち切ることです。悔い改めることさえできれば、
罪と関わりはありません。 罪を口実として私たちに働く、悪魔との関わりも断ち切ることができます。
悔い改めることによって、私は罪と悪魔と何の関わりもありません、 ということができる私たちになりますように。
お祈り出します。 主よ、今私たちは暑い夏、コロナの中で、
私たちは今苦しんでいるように見えるんですけど、よくよく考えてみますと、 罪とサタンに負けて私たちは苦しむんです。
罪とサタンに対して何の関わりもない、 また神様に対して生きているイエス様が共にあられる私たちになって、
勝利の賃金、幸せの賃金を取り戻す私たちになりたいと思います。 聖霊様、私たちをもともと照らしてください。
イエス様、私たちにもともと十字架の出来事と、 十字架と復活の力を私たちに与えてください。
イエス様の皆を通してお祈り出します。 アーメン。