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2023-09-03 27:41

「味わって見よ、主の恵み深さを」2023年9月3日(日)のメッセージ

東京ぶどうの木教会 2023年9月3日(日)主日礼拝のメッセージです。
牧師:アブラハム黄
▼教会へのお問い合わせ:tokyo.vine.church@gmail.com
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詩編(口語訳)主の親しみは主をおそれる者のためにあり、 主はその契約を彼らに知らせら れる。 (JCB)神との親密な関係は、主を敬う者にしか持つことはできません。神はそのような人とだけ、秘密 の約束をかわされます。 詩編34:9「味わい、見よ、主の恵み深さを。 いかに幸いなことか、御もとに身を 寄せる人は。」

サマリー

「味わってください、主の恵み深さ」という題を持ってメッセージを分かち合い、彼らは私たちの信仰生活は十字架による生活であることを申し上げています。また、私たちは死んでイエスサムと共に生きることで、新しい人として新しく生まれることができることを強調しています。この世のことは、もうこれ以上愛することはできないということです。またそれを見たら、この世ではなく天国に早く行きたいと思っています。主の親しみは主を恐れる者のためにあり、主はその契約を彼らに知らせてくださいます。

イエスサムと共に生きる
今日は、「味わって見よ、主の恵み深さを」という題を持って メッセージを分かち合いたいと思います。
先週、第二手目2章中1節、中2節を持って メッセージを分かち合いました。
それを通して、私たちの信仰生活は 十字架による生活だということを申し上げました。
2章中1節にこのような聖書があります。
私たちは、キリストと共に死んだのなら、 キリストと共に生きるようになる。
絶えしのぶなら、キリストと共に 王として支配するようになるということです。
死ぬなら、生きる。
また、死ぬなら、イエスサムと共に 王として支配するようになる。
本当に素晴らしい見言葉です。
ここで、キリスト教の一番大事なメッセージは 十字架と復活ということです。
イエスサムは私たちを罪からあがなうために、
イエスサムは代わりに死んで 蘇られたということを私たちが信じています。
ですから、私たちもイエスサムと共に死ぬなら、 私たちは生きます。
生きるということは、悪魔の奴隷だった私たちが 新しい人生として生きる。
また、イエスサムは私のうちにおられ、 私のうちで私たちの代わりに生きてくださる。
キリスト教の神秘はここにあります。
信じる人は自分の力で生きることではありません。
自分の中に、番王の王、番主の主、イエスサムは来てくださって、
私の代わりに生きてくださることです。
どれほどパワーがあるでしょう。
天国に行くのは当たり前。
私たちがイエスサムと共に王として支配することになります。
だからペトロがこう言いました。
あなたたちは王なる最初だと言いました。
このために私たちに大事なのは、 私たちが死んでイエスサムと共に生きる。
そしてイエスサムと共に新しい人として 新しく生まれることが大事です。
死ぬこと。どのように死ぬと言いましたか。
先週、私たちはイエスサムがマタイ16章24節に、
自分を捨てて自分の十字架を背負っていく。 これが死ぬことだと言いました。
またヘブラリー4章12節や13節には、
神の御言葉をいただくときに 精霊様が働いて悟らせてくださるなら、
悟ったことをもって悔いを改めること。
過ちをしました。悔いを改めること。
これを通して過去の自分が死んで罪の許しをいただき、 そして新しく生きることができる。
新しい生きるときに命の精霊様が私たちに怒られ、
精霊様が助けの人として私たちの人生のすべてを助けてくださる。
だからキリスト教で一番大事なのは死ぬことです。
死ぬなら生きろ。
死ぬなら永遠に生きろということです。
しかしキリスト教で死ななければ何も体験することができます。
死なないまま神様信じますと言っても、
キリスト教での生き方
これは理論的な信仰に過ぎない。
力もない。命を体験することがない。
ただ理論的な宗教に過ぎない。
じゃあ私たちはなぜ神様の生きているこの素晴らしさを体験できないのか。
簡単に申しますと、死ななかったからです。
先週または皆さん、信じる前と信じた後の私たちがどのように変わったのか、
それを分かち合いました。
過去私たちは罪の奴隷でした。
空城拝み、体と精神的な問題で患い、
死んだら地獄の裁きを受ける。
またそれで終わりではありません。
自分の子供たちに親譲りとして呪いを譲ってあげる。
しかし私たちは神の子供になって変わった。
信じた後は神の子供の特権を持って、
救いの確信、祈りの答えの確信、
導きの確信、罪の許しの確信、
そしてイエス様の皆によって悪魔を滅ぼし、
この世に対しては祝福を伝えてあげる。
祝福の源として生きる。
驚くほどの特権の中に生きることができる。
皆さん、これを先週分かっちゃいましたね。
信じる前の状態、信じた後の状態、
これをぜひ覚えてください。
この素晴らしい特権をいただいた、
これはいつ味わうことができるのか。
自分が死んで新たに生まれる時に、
これを味わうことができます。
ですから皆さん考えてみてください。
私たちが十字架でイエス様共に死ぬなら、
復活の力で生きる。
また全ての特権を味わうことができるんですけど、
なぜ死なないんですか。
なぜ死なないんですかということです。
ですから今日は、私たちがよく死ぬために、
もう一つ皆さんと分かっちゃいたいと思います。
これが今日の聖書、詩編の34章9節です。
他の聖書は34章8節ですけど、
心経動薬だけは34章9節です。
34章9節には、味わってみよう、
味わってみなさいということです。
私たちが味わってないから、
この味見をよく分からないから、
そこにうまくできないんだということです。
ですから今日は、味わってみるために、
私たちはどうするべきなのか、
それを一緒に考えていきたいと思います。
私たちがよく知っていることがあります。
これが何かと言いますと、
この世の中のこと、この世の味はよく知っています。
ですからこの世を愛し、この世のことは、
もう皆さん本当に大好きでしょう。
私は1955年生まれです。
私が小学校に通う頃、
韓国にアメリカのホットドッグが発売されました。
いやー、私はもう、
ホットドッグが発売されたとしても、
私の家庭は貧しかったから、
もう夢見も考えられることはできませんけど、
私の友達の中で、
父親がお医者さんという方がいます。
この子はホットドッグを買って食べるんですよ。
小学生の時に、
彼がそれを買って食べる時に、
私はその隣で、
おいしい、おいしい、一口なんとかちょうだい、
と言いながら、物恋のように、
その子供についていたことがありました。
その時私は、私は大きくなったら、
お金をたくさん稼いで、
ホットドッグを買って食べるぞ、と思いました。
またその時、皆さん、中華料理、ジャジャン麺。
子供はね、ジャジャン麺がおいしくておいしくて、
私は必ず大人になって、たくさん稼いで、
ジャジャン麺も食べたいと思いました。
私の家庭は貧しかったから、
もう小遣いとか一切ありません。
だからお金を持っている人は、
もう羨ましくてたまりませんでした。
だからお金の威力、
お金の素晴らしさ、よくわかっています。
私たちがこの世の中のことを愛し、
この世の中のことを追い求める理由は、
お金がもたらしてくれる楽しさ、
お金の威力をよく知っているからです。
またお金があるなら、
やりたいことがいっぱいあるからです。
ところがここに礼儀的な問題があるということは、
よくわかりませんでした。
マタイ4章で悪魔がイエス様を誘惑する時、
マタイ4章8節から10節で悪魔を誘惑する時に、
お金の言葉がたくさん出てきます。
私を拝みなさい。
私が目の前に見えるすべてをあなたに与えるからと言います。
私に拝んだら私が与える。
私はそれを誰でも与える。
私はこの剣を持っているよと言っていることです。
それにもかかわらず、
世の中のことは非常に誘惑的です。
皆さん、お金の味、お金の威力。
神の味わいを知る
私は1960年度くらいですかね、
私の家が貧しくて電気料金を払えなかった。
今皆さん電気料金を払えない家がいますか?
だから韓国電力会社から来て、
電気線を切っちゃった。
私の母が非常に苦しかったでしょう。
お金がなかったからです。
私は母がお金のないゆえに苦しんでいることを
私は傍でずっと見ていました。
私の父親はもう無能力者で、
本当に本当に母を苦しめさせたんですね。
また皆さん、成功の威力、味を知っていますか?
この世の中の名誉、栄光、
権力の味、分かっていますか?
韓国には大統領病になっている人がたくさんいます。
大統領になったら5年間、
絶対的な権力を振る舞い、
また大統領としてエスコートして、
大統領の専用機器を乗って世界に回り、
すべての人が自分の前でヘツライをし、
そして自分の支持を待って、
自分が願っている人を大臣に任命し、
国家に任命し、
世の中で自分が勝手にできるようなパワー、
すごいじゃありませんか?
また私は会社に入った時、
一緒に入社した同僚より早く進休して、
そのためにまた競争した。
それで会社から認められて、
進休が早い、また、
給料ボーナスもいただき、
裁量権をたくさん持って、
会社を運営しようとする男たちの味、
これを皆さん楽しんだことありますか?
また世の中の権力、名誉、
いい家で、またいい車を買って、
また本当に楽しんだ、
そのことがあるでしょう。
お金さえあれば、
名誉をいただければ、権力あれば、
目の欲、肉の欲、目の欲、
この世の奢り、いくらでも楽しむことができるから、
それを持っている人、
うやらましい、幸せじゃないか、
私もそうみたいになりたい。
だから、世の中の味を味わった人は、
もっと大きく、もっと高い、
もっと上に登り、
それを追い求めていくようになるんです。
だから、世の中の王様たち、財閥、
特に中国の子兄弟は、
永遠に生きたいと思って、
不老相を探してこい、と言ったのではありませんか。
それを得るために、
世の中の人々は、一生懸命に頑張ります。
ここで、ヘブライション2章15節を見ていますと、
悪魔が働いて、
この世の中のことを持たなければ、
将来、悲惨な人になるんじゃないかと、
恐れまで与えられて、
みんながこの世の中のことを得るために、
大騒ぎをすると言います。
しかし、聖書は、
非常に簡単にこのように申し上げます。
第一手元6章17節です。
この世で富んでいる人々に命じなさい。
傲慢にならず、
不確かな富に望みを置くのではなく、
私たちに全てのものを豊かに与え、
楽しませてくださる、
神に望みを置くようにと言います。
富に望みを置かないで、神様に望みを置く。
みなさん、これがこんなに簡単なことですか?
私たちは、自分の命よりお金が大事に思っているのに、
なぜ私たちはお金にこんなに大事にしているのか?
お金の威力を良くしているからです。
また、お金が私たちをもたらしてくれる、
その影響をたくさん知っているからです。
しかし、人たちは、
全然違うことを味見をしたことがわかります。
世の中の人々が全然わからない味です。
神様の不思議な味、
イエス・キリストの栄光の味、
天国の味です。
ペテロはマルコ9章で、
イエス様とともに山に登ったんですね。
この山に登った時、
自分の目の前でイエス様の姿はゴロッと変わりました。
輝かしい姿にイエス様は変わり、
そこにヴォーセとエリアが現れ、
対話をする場面を見てしまったんです。
みなさん、ヴォーセはBC1800年前の人、
エリアはBC800年前の人なんですけど、
彼は生きていました。
理解できますか?
そのような世界があるということが、
みなさんご存知ですか?
パウルは第三の天まで登って、
人々が口で表すことができない光景を見てしまいました。
第三の天があることをみなさん知ってますか?
ヴォーセは神の山に登って、
神の栄光を見たんですけど、
山全体を満たしている輝かしい神様の栄光、
その栄光に圧倒されて、
40日間断食して神に出会いました。
人ヨワネは天に登って、
天国の礼拝の場面を、光景を見たんです。
不思議な不思議な天使たちの中で、
また救われた大勢の人々の前で、
神様に礼拝を捧げる光景を見たんです。
天国、本当にありますね。
いざやも神の栄光の姿を見て、
自分がどれほど汚い人間なのか、
神様が自分の罪を許してくださる場面を体験した。
みなさん、そんなことはありますか?
この世は100年、天国地獄は永遠ですけど、
それはこの世の100年生きる人には目には見えないこと。
天国で永遠に生きる人だけ見ることができるんですけど、
それをこの世に過ごしながら、それを見てたんです。
ところが、そのような神の栄光の味を少しでも見た人は、
独長があります。
この世のすべてを排泄物として思われる。
この世のすべて、この世の素晴らしいことが、
天国への未練
うんちのように見たということです。
この世のことは、もうこれ以上愛することはできないということです。
またそれを見てしまったら、この世ではなく天国に早く行きたい。
天国は自分のふるさとだと思って、この世は旅人の姿。
自分の未練は、もうこの世の中には未練を置くところではないという。
ヴォーゼはヘブナーション中一章で、宮廷の生活より奴隷であるイスラル人とともに生活することを願いました。
パウルは、この世の中のすべてを排泄物として思い、早く天国に行きたい。
この世で住んでいる理由は、あなたたちに仕えるためだけだと彼は言いました。
みなさんはどんな味を味わったんですか?
私は大学生の時代、修養会で悔い改めながら、丸子二章五節、
こよう、あなたの罪は許されたと言われる神様の御声を聞いたんです。
その御言葉が上手されながら、私に天国の味見を少し見たんですけど、
そのことによって私は謙心して、宣教師として決断しました。
それで今、私は仏会をしているんですけど、
以前の私に出会った人はこういうことをわかるでしょう。
私は会社の社長になるポストを与えてくださると言っても、私は嫌だ。
私はむしろ貧しい牧師がもっともっといいと、昔は大口で叩きました。
今は大口では叩きませんけど、相変わらず私はこの世には未練はありません。
もう一度生まれ変わるんだとしても、私はこの道に歩むことではないかと思います。
皆さん、世の中のお金、権力、名誉の味は、この世の中の100年で終わりです。
神の国の味わい
しかし、神の国の栄光、天国の福祉栄華、また喜びと幸せは永遠に続きます。
皆さんは何を選びたいと思いますか?
2つとも選ぶのはできないと言います。
マタイ6章14節です。
誰も2人の主人に仕えることはできない。
一方、憎んで他方を愛するか、一方親しんで他方を軽んじるか、どちらからです。
あなた方は、神と富に同時に仕えることはできません。
一番かわいそうな人は、神の子供でありながら、
神の国の素晴らしさを見ることはできなく、
この世のことばかり考えて未練を持って、この世のことを追い求める人です。
この人より苦しい人生はないでしょう。
なぜ私たちはこの世のことを未練を持っていますか?
なぜこの世に対して死んで、神に対して生きることはできませんか?
どうすれば私たちはこの世に対して死んで、神様のために生きることができるのか?
詩編の34章9節には、神様のことを味わってみようと言います。
神の栄光、神の祝福を味わってみた人は、この世のことを排泄物として思います。
この人たちはこの世に対して未練はありません。
神様のことばっかり考えます。
早くこの世の使命を終えて、早く天国に行きたいと思います。
しかし天国の味見をわからない、世のことしか知らない人は、
この世のことだけを目的とし、神を求めるんだとしても、
この世のことを愛しながら、心が分散されて二股かける信仰になりません。
だから、いつかリューダーのように、ロッドの妻のようになってしまいます。
じゃあ、どうしたらいいんでしょう?
私はいつも思っているのは、初代教会、ローマの迫害を受けた信徒たちです。
初代教会の信徒たちは何を見たから、
ローマの遠景競技場で賛美をしながら動物の餌食になって死んでいったでしょう。
また、日本で長崎のところで殉教された方たちのことはよく知っていますよね。
殉教された中では子供たちもいました。
彼らは何を見ていたんでしょう?
では、私たちはどうすればこれを見ることができるのか、
今日は簡単に一言申し上げたいと思います。
これが詩編の25章の中4節です。
口語訳でこう言います。
主の親しみは主を恐れる者のためにあり、主はその契約を彼らに知らせて下さろう。
リビングバイブルで、翻訳では、神様との親密な関係は主を恐れ敬う者にしか持つことはできません。
神はそのような人だけ、秘密の約束をかわされますと言います。
神様と恐れ敬う心、また神様の愛する心で主を求めるなら、主との親しい愛の交わりに入りますけど、
その愛の交わりの中で、神様は私たちに全てを見せて下さり、全てを許して下さると言います。
神様との親密な関係
皆さん、私たちが絶対わからないことがあります。
愛する二人の中で行われることです。
恋する二人の中で行われること知ってますか?
これを二人しか知らない神秘、秘密の世界があります。
神様との愛の関係の中でいるなら、神様と私だけ知る不思議な世界、神秘の世界、
神様が愛する人だけに見せて下さる世界があります。
神の愛の中で入る人だけが見る世界、ここで全てがわかるということです。
皆さん、これは私たちの選択にかかっています。
神様と出会う礼拝を、この世の出世よりもっと大切にするのか?
神様の御業を、この世の中のどんな偉大な働きよりもっと大切にするのか?
その小さな心が神様を感動させ、愛をもっと深くなり、
私たちに神様の不思議な世界を全部見せて下さると言います。
神様は神様を愛する、神様のために自分を犠牲しながら主に仕える人たちを決して恥をかかせない。
また、神様全てを見せて下さい。
第1歴代経の収録書9世紙。
主は世界中いだるところに見渡され、
ご自分と心を人質にする人に力をつけようとされていると言います。
私は先週、新白成書の最後、ユダー書1章を読みながらびっくりすることを感じました。
皆さん、ユダー書1章でエノクの記事が出てくるんですけど、
エノクという人は創世紀後書で現れるエノクです。
エノクが予言をしたと言うんですね。
私が知っているエノクは創世紀後書で、神様と360年間共に歩んだ。
神様が彼を連れて行かれたから世の中にいなくなった。
彼は死なないで天国に行った人だと、私はそれだけ知っていたんですけど、違いますね。
ユダー書1章14節15節にはこう言います。
アダムから数えて7代目にあたるこのエノクも、
彼についてこう予言しました。
エノクを予言したと言うんです。
美を主は数知らない聖なる者たちを引き連れて来られる。
それは全ての人に裁くため、
まだ不人人な生き方をした者たちを、
全てを不人人な行い、
および不人人な罪人を主に対して口にした全ての暴言について、
みんな責めるためである。
皆さん、この場面はイエス様が再臨なさる時、最後の裁きの時の姿です。
聖書の初めに現れたエノクと人物が、
この世の最後にイエス様が再臨なさって、
裁かれることを見て予言をしているんですよ。
これは驚くではありませんか。
聖書の初めの人物が、
聖書の最後に行われる裁きについて予言をしています。
一体エノクは神様と共に歩んだという間に、
どれほどたくさんの秘密を彼が聞くようになり、見たことであったんでしょう。
私たちも神様と親しい交わりの中で、
この世で経験できない信仰の深い神秘的な味を経験するなら、
世の中の全ての誘惑、最後の時の全ての惑わしから勝ち抜くことができるでしょう。
ですから私はこうお勧めします。
9月からは下半期の信仰生活が始まりますけど、
願わくは神様がこの世の全てが排泄物のように見えるように、
私たちに神の栄光の光、また天国の味見を少しでも味わわせてくださるように祈ります。
そして最後の時の信仰の惑わし、試練、迫害、
これからどんな災いが私たちを襲っても絶対揺れない信仰を持って、
イエス様だけを愛し、天国だけを希望する、
誠意のある群れの信仰ができるようにお願いします。
この世の中は旅人、カリスマ、私たちの故郷は天国だといった人たちの冷静を、
私たちも持つことができるように、
ぜひとも神様が神の世界の不思議な力を私たちに示してくださる、
この9月からの下半期の信仰に入りますように私たちが祈っていきたいと思います。
お祈りいたします。
主よ、最後の時を過ごしている私たちに一番大事なのは信仰です。
理論的な信仰は何の役にも立ちません。
体験的に主をもっと知る、神の栄光の光に満たされている私たちにならせてください。
イエス様と深い愛の中で神信仰の秘密を持っている私たちにならせてください。
イエス様の皆を通してお祈りいたします。
アーメン、アーメン。
27:41

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